●● 奴隷スルタン朝 ●●

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47世界@名無史さん:2009/03/07(土) 18:50:55 0
ほんと、あきもせんでよくやるもんだねえ
ばか?
48世界@名無史さん:2009/03/15(日) 20:13:59 0
         (´・ω・`)
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49世界@名無史さん:2009/04/19(日) 10:39:15 0
         (´・ω・`)
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50世界@名無史さん:2009/06/06(土) 10:43:41 0
         (´・ω・`)
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51世界@名無史さん:2009/06/06(土) 17:01:36 0
シェール・シャーのスール朝も入れてあげてください
52世界@名無史さん:2009/07/12(日) 17:08:36 0
キャンディーたべゆ?^w^
53世界@名無史さん:2009/07/20(月) 21:33:00 0
な……なんだこのスレ
54世界@名無史さん:2009/08/06(木) 01:08:01 0
ほしゅ
55世界@名無史さん:2009/08/26(水) 00:19:33 0
         (´・ω・`)
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56世界@名無史さん:2009/09/30(水) 23:30:20 0
         (´・ω・`)
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57世界@名無史さん:2009/10/06(火) 03:39:40 0
         (´・ω・`)
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58世界@名無史さん:2009/10/19(月) 21:11:52 0
         (´・ω・`)ラズィーヤ萌え☆
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59世界@名無史さん:2009/11/07(土) 12:06:06 0
         (´・ω・`)
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60世界@名無史さん:2009/11/20(金) 04:30:28 0
              ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
             /": : : : : : : : \
           /-─-,,,_: : : : : : : : :\
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          /、      /: : : : : : : : i     ________
         r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i    /
         L_, ,   、 \: : : : : : : : :i   / すばらしい。このスレの壮大にして華麗なる事
         /●) (●>   |: :__,=-、: / <     このムショク伯ニート、感嘆の極み
        l イ  '-     |:/ tbノノ    \  
        l ,`-=-'\     `l ι';/      \  
        ヽトェ-ェェ-:)     -r'          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ヾ=-'     / /  
           {ミly^ヽ-ニ=テ彡豸_
        ,.-'´y' {;;;;;;}lヽ三彡シ/  ` ー 、_
    _,、.-' ´ /  ヽ_ソ ヽ三へ 、_     `''ヽ、._
  ,.-'     ん  /  i  ゙、   / 〃`f' ‐ 、_   ヽ、
 /      /ヽ、/_r Lノヘヽ       /  7ヽ/. \
61世界@名無史さん:2009/11/23(月) 00:52:11 0
アクバル帝によるヒンドゥ教徒への積極的融和策
62世界@名無史さん:2009/11/25(水) 00:54:09 0
         (´・ω・`) <そうさ、僕達は、奴隷だった♪
         /   ヽ
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63世界@名無史さん:2009/12/05(土) 09:44:24 0
         (´・ω・`)
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64世界@名無史さん:2009/12/06(日) 13:19:44 0
>>61
それムガル朝
65世界@名無史さん:2009/12/06(日) 22:01:35 0
マムルーク朝も奴隷スルタン朝なんだけど、何故異なった用語を
用いているのかな。どっちも同じ現象だと思うんだけど、違いは何?
あと同じ時期に両方(エジプト、北インド)とも、女性スルタンが誕生
しているのも共通点だよね。
66世界@名無史さん:2009/12/06(日) 22:52:52 0
>>65
実際にマルムークが建てた王朝だから特に違いはないよ
だから別名インド・マルムーク朝とも言われる
67世界@名無史さん:2009/12/08(火) 01:03:53 0
>>66
なるほどー。ありがとうございます。
でもそうなると、中間のイラク・イラン、マーラワンナフルで奴隷王朝が出現しなかった
理由は何なのでしょうか?出現しそうな気配はあったのでしょうか?
68世界@名無史さん:2009/12/09(水) 00:35:59 0
マムルーク朝やデリースルタン朝の
自称はなんだったんだろ
69世界@名無史さん:2009/12/09(水) 00:45:41 0
トルコ人は先頭民族
70世界@名無史さん:2009/12/09(水) 04:22:53 0
>>67
基本的に、エジプトのマムルーク朝はエジプトを領有していたアイユーブ朝の本家が断絶して、
スルタン直属のマムルーク軍団がエジプトでの既得権益を守るため、シリアなどのアイユーブ家
王族たちのエジプト継承を拒絶し、勝手に主家からエジプトの領有を横領したような形。

奴隷王朝の場合は、ゴール朝のインド方面の代官だったアイバクが主家が滅んだために
北インド方面を根拠地にして独立したが、ゴール朝に臣従していた将軍たちの家同士が
スルタン位をめぐって争奪していた感じで、エジプトのマムルーク朝がスルタン直属の
マムルーク軍団の首長が代々スルタンに即いていたのと様相が大分異なる。

エジプトのマムルーク朝もインドの奴隷王朝も、主家が断絶するなどして残余の
マムルーク(グラーム)勢力が政権を引き継ぐ形だったが、中央アジアやイランでは
おおよそ外部勢力の侵攻によって打ち倒される場合がほとんで、残余勢力は新たに
やってきた政権に主家ともども滅ぼされるか吸収されるので、これらの2例のように
なる余地がない。そこら辺がこれらの地域にエジプトのマムルーク朝もインドの奴隷王朝
みたいな政権がなかった理由だと思う。

もっとも、ガズナ朝やホラズムシャー朝は世襲政権だが、もともとはサーマーン朝とかの
グラーム出身の将軍が立てた王朝だったりするが。
71世界@名無史さん:2009/12/09(水) 22:32:41 0
>>70さん、

回答ありがとうございます。
グラームとマムルークは本質的な相違が無いと考えてもよいのでしょうか?
となると、イランやマーラワンナフルでも、マムルーク朝、インド奴隷王朝と
同様の現象が起こっており、この時代イスラム圏で見られた一般的な現象と
考えてもよさそうだと思うのですが、どうなのでしょうか?
72世界@名無史さん:2009/12/13(日) 09:39:27 0
エジプトやインドではテュルク・タタール型の騎兵をリクルートするのが難しかったが
奴隷の輸入で大規模なマムルーク軍団を編成できる経済基盤はあった・・・てのはどうだろう
73世界@名無史さん:2010/01/14(木) 08:21:19 0
スレ開始以来2年にして初めてマトモなレスが続いてるw
74世界@名無史さん:2010/02/02(火) 09:00:41 0
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75世界@名無史さん:2010/02/19(金) 11:38:51 0
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76世界@名無史さん:2010/03/09(火) 07:59:07 0
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77世界@名無史さん:2010/03/09(火) 08:41:44 0
「奴隷王朝」って五反田のピンサロかとおもたよ
78世界@名無史さん:2010/03/25(木) 12:14:31 0
     σ;y=ー(´゚д゚)・∵. ターン
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79世界@名無史さん:2010/04/28(水) 02:47:52 0
     σ;y=ー(´゚д゚)・∵. ターン
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80世界@名無史さん:2010/04/28(水) 13:33:30 0
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81世界@名無史さん:2010/05/13(木) 16:59:35 0
イスラーム軍がインド亜大陸に初めて大規模にやってきたのは、711年、ウマイヤ朝
カリフの軍隊が海陸から攻めてきたときだった。しかし、このときはインド側の
抵抗によってシンドとパンジャブの一部が占領されるにとどまった。
次いで962年コラサン太守だったアルプテギンがアフガンにガズニ朝を創始し、
1001年ごろからスルタンのマフムードひきいる軍隊がインドを頻繁に侵略し、
1004年にはパンジャブを征服した。ガズニ朝はやがて1148年にアフガンのゴールに
興ったゴール朝に追われ、1186年に滅亡した。

トルコ系のゴール朝は1181年にはパンジャブを占領し、1192年にはデリーを
陥落させ、1202年にはベンガルに達した。(ベンガルにムスリムのトルコ人支配が
及んだのはこのときが初めてである)
そしてセーナ朝のラクシュマン・セーナ王は東ベンガルに逃げ、1205年まで
東ベンガルを支配した。ゴール軍は1203年には仏教の中心であったヴィクラマシー僧院を
破壊しつくし、多数の僧侶を虐殺した。このときをもってインドから仏教は姿を
消すことになる。
セーナ朝の軍事的英雄とされたラクシュマン・セーナやインド諸王が、ゴール軍に
手も足も出なかった理由は、ゴール軍の機動力を持った騎兵隊による戦法が、
敏捷性に欠ける象軍を中心とするインド軍の戦法に勝り、また、インドの諸王が
重要な局面で団結できなかったためでもあった。

82世界@名無史さん:2010/05/13(木) 20:12:11 0
ゴール軍を率いたバクチアルは、占領地をいくつかの行政地に分けて司令官をおき、
多数のモスクを建て、多くのヒンドゥーをムスリムに改宗させた。

彼はさらにチベット征服にのりだし、ブラフマプトラ河を北上してシッキムを
ティースタ川に沿って進み、チベットの一部を攻略した。しかし、チベット人の
抵抗と他のトルコ族の介入で損害を受け、ベンガルに引き返したものの帰路でも
周辺山岳部族の襲撃を受けたり、渡河の際に多くが溺れるなどして、ベンガルに
戻れた者はごくわずかであった。バクチアルは権威を失い、病気になって弱った
ところを部下に暗殺された。
83世界@名無史さん:2010/05/14(金) 00:20:01 0
>トルコ系のゴール朝

アフガンの土着のグール人じゃなかったっけ?
8482=83:2010/05/14(金) 04:10:36 0
>>83
そうだった、スマソ

グール人の言語はイラン系だったっけ?
85世界@名無史さん:2010/05/15(土) 09:48:22 0
インドにおけるイスラーム系王朝といえば、兄弟の目潰し。
86世界@名無史さん:2010/05/27(木) 15:03:12 0
ペルシア一帯や正教圏でもあるけど>目潰し
ペルシアが発祥だろうか
87世界@名無史さん:2010/05/27(木) 15:06:20 0
>>84
>グール人の言語はイラン系だったっけ?

たしかグール系のクルト朝が近隣のトルコ・モンゴル系の王侯に
「タジクごときが王権を主張していいはずがない」とか言われてたような
88世界@名無史さん:2010/05/28(金) 18:30:31 0
>>85-86
目潰しじゃないよ。
目潰してメッカ巡礼強行。
89世界@名無史さん:2010/06/03(木) 01:43:46 0
>目潰してメッカ巡礼強行

そのまま幽閉される場合も多い。
90世界@名無史さん:2010/06/07(月) 09:44:44 0
日本語でこの辺の時代を詳しく扱ったのってサティーシュチャンドラの
「中世インドの歴史」ぐらい?
91世界@名無史さん:2010/06/14(月) 14:24:45 0
>>90
「インドの『奴隷王朝』―中世イスラム王権の成立」はどうよ?


92世界@名無史さん:2010/06/14(月) 14:38:08 0
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/8f/33689eacd63ff5afcb809d6833710941.jpg
奴隷王朝の支配領域

したローディー朝のスルターン・イブラヒム・ロディーってさあ、10万を超える
有能な兵士と1000の象を率いていたのに、わずか1万2000にすぎないバーブル軍に敗北。

これによってデリー・スルタン朝も終焉を迎え、インドにおけるアフガン人支配も途絶えた。

インドのイスラーム系王朝は、滅びるときはものすごくあっけないんだな。
93世界@名無史さん:2010/06/19(土) 10:28:24 0
ハルジー朝の頃のハラジュ族は何語を話してたんですか?
94世界@名無史さん:2010/06/22(火) 15:12:32 0
>>92
ロディー朝の軍隊の側には、砲兵がいなかったんでしょ?
95世界@名無史さん:2010/06/22(火) 21:31:08 0
そうなん?
インドで火砲が言及される最も初期の史料は
14世紀のバフマニー朝とヴィジャヤナガルの戦争についてと聞くが・・・
96世界@名無史さん
>>91
図書館でちらっと見てきたけど、かなり基礎知識が要りそうな内容だった。
目次でとりあえず興味を引かれたのがラズィーヤの墓についてぐらいだったw