1 :
世界@名無史さん:
馬にのって戦ったといってもサラブレットみたいな馬じゃなくて
小さい馬にのって重い鎧をきて直線的な動きしかできなかったらしい。
長平の戦いはすごい(死者が)
3 :
世界@名無史さん:2008/01/03(木) 22:42:21 0
ローマ軍もスパルタ軍も映画でみるような立派なものじゃないと思う。
映画にでてくる馬ってサラブレットじゃん。古代ローマ軍がのってた
馬って小さい馬だろ。モンゴル軍ですら、サラブレットみたいな
馬じゃなくて小さい馬にのってたし。
>>3 サラブレッドは早く走れるだけで
非常にもろい。
大型で頑丈のように見えるがすぐに怪我する。
指摘するように昔の軍馬は小さい。
体格はポニー並だが、頑丈なので重いものを
持たせてもへこたれない。
農耕馬の延長のような馬だったのかね?
6 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 00:18:20 0
なにをもって「ショボイ」というか定義づけからはじめて欲しい。
クルマで例えれば
でけーアメ車はかっこよくて高性能小型日本車はショボイのか?
また鈴木眞哉か
8 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 18:54:29 0
まあ危険なサッカーの試合みたいなもんだよな。
古代中世の戦争は
よくラグビーに喩えられる。
10 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 19:01:35 0
馬は、戦闘用ではなくて、荷物運搬用。
11 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 19:05:04 0
昔の戦争は基本は兵の数が多いほうが勝つ
12 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 20:02:22 O
ところで馬に蹄鉄打って無い頃は馬は戦ではあまり使いものにならなかったのかな?
日本なんて馬に蹄鉄使い始めたのなんて幕末の頃にヨーロッパの文化が入って来てかららしいが。
>>13 基本的に蹄鉄をうつのは定住民(騎乗の士は一般の兵士より格上)の軍馬で、
騎馬遊牧民は大量にいる馬にいちいち蹄鉄をつけるはずもなく(そんな鉄があったら
鏃にする)そのまま乗っていた。
騎射戦術には問題なかったが、石の多い場所だと蹄が割れて大変だったようである。
15 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 00:01:30 0
映画などを見ていると、
>>1 のいうようなことを思うことがある。
でも今は、サラブレッドみたいな馬ばかり。ポニーのような体型の
馬の方が今は少ない印象があるけど、どうなんだろうね。
たまたまなのかも知れないが、ドラマや映画で、ポニー体型の馬が
登場するとリアリティを感じてしまう。
16 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 00:54:52 0
>>12 今は兵隊の数より兵器が優れてるほうが圧倒的に有利
さらに経済力が物を言う時代
軍馬は大きいか小さいかより
丈夫か、長く動けるか、重いものを持たせても大丈夫かが問われる
サラブレッドは大きいが早く走れるだけで軍馬には使えない
19 :
名無しの権瓶:2008/01/06(日) 00:10:53 0
ギリシャの密集戦法なんか魅力的でないかい。
それに騎馬を会わせたデーヴァやアレクサンダーの軍隊なんかもうわかりやすくて
武士が乗っていた馬がポニーのようだという話も、現在、頭の中で想像するポニーよりも大きかったようですよ。
21 :
世界@名無史さん:2008/01/07(月) 03:44:04 0
昔の戦争なんて鎧が重くてはやく進めなかったんじゃないか。
22 :
世界@名無史さん:2008/01/07(月) 10:10:19 0
ところで軍事史のスレなのにデストリアーとかじゃなくて
競走馬のサラブレッドを基準にして話してるのは何故なのか
既出かもしれませんが、古代における最も基本的な戦闘隊形は、3つに分割されていました。
@重装歩兵(heavy infantry)、A騎兵(cavalry)、B軽装歩兵(light infantry)です。
この内、軽装歩兵は、弓や投石器や投槍といった飛び道具で武装していました。
これらの戦闘部隊は、ジャンケンゲームの「グー、チョキ、パー」に例えられるのだそうです。
@重装歩兵部隊は、長槍でもって、騎兵や戦車部隊に立ち向かうことができました。
A騎兵部隊は、味方の重装歩兵を、敵の軽装歩兵による側面攻撃から守ることができました。
B軽装歩兵部隊は、味方の重装歩兵に守られていれば、騎兵に立ち向かうことができました。
とはいえ、軽装歩兵は、騎兵の機動力が落ちる起伏のある地形で、本領を発揮したのだそうです。
そのような地形では、軽装歩兵部隊は、敵の重装歩兵にやりたい放題だったそうで。
このジャンケンゲームに負けたのが、ペレポネソス戦争でのアテネ軍でした。
トゥキディデスによれば、アテネの重装歩兵部隊は、山地の戦闘で、投石器を駆使する地元の軽装歩兵に殺戮されました。
>>23訂正
×ペレポネソス戦争
○ペロポネソス(ペロポンネソス)戦争
>>20 >現在、頭の中で想像するポニーよりも大きかったようですよ。
ポニーの定義が肩の高さ147cm未満で、中世日本の軍馬が体高130〜
145cmであったのに、それより大きかったとはこれいかに。
体格は動物園で見る「ポニー」よりたくましかったようですが。
ただ、中世前期なら騎射に乗り回していたものの、後期には下馬戦闘が普及
しますから、一日に長距離を移動できることが重視されたようです。
馬に乗ったまま戦った例もあるものの、偶発的な戦闘であったらしい。
勢いよく疾走出来る馬よりは、長く歩ける馬ということ。
移動時には牛馬に草鞋を履かせていましたが、これも戦場に到着すると脱が
せていたということです。牛馬用の草鞋の使用は14〜20世紀。
蹄鉄は享保年間に物好きが試していますが、普及したのは明治以降。
徒歩の随伴者を想定しない独立した「騎兵」という兵科が成立し,ガラス窓
を破るような役割を求められるようになったのもこれ以降でしょう。
それ以前は騎馬の「士」に、徒歩の「卒」が同行していた。
もっとも、シーボルトなどは日本の山道を移動するには草鞋の方が優れてい
ると書いていますが。
>>25 「ポニー」と聞いて普通の人が連想するのは、147センチよりはるかに小さい感じ
ってことが言いたかったんでは?
シェトランドポニーみたいな小さいやつ
>>23 古代の重装歩兵って要するに長槍の密集陣っしょ?
スペインのテルシオみたいに投射兵器と組み合わせればウマーのような気もするが
この頃は弓矢とかの威力が低かったのかな
>>27 >古代の重装歩兵って要するに長槍の密集陣っしょ?
そうです、いわゆる「ファランクス」ってやつです。
映画「アレクサンダー」では分かり易く描かれていて、ガウガメラ戦のシーンでは、パルメニオンが、マケドニア軍左翼の重装歩兵の指揮官になっています。
そして、右翼に行ってしまったアレクサンドロスの騎兵部隊に、援護の要請をしきりに出しています。
というのも、
>>23のAに書いたように、重装歩兵部隊は、騎兵部隊の援護がないと、背・側面が丸裸になってしまうからです。
重装歩兵(ファランクス)は、正面攻撃には強く、劇中にも描かれていたように、騎兵や鎌付戦車をも撃退することができますが、
側面や背面攻撃にははなはだ弱く、そこを騎兵や戦車部隊に襲われると、密集が“ほぐれ”、無力化されてしまうのです。
鎌付戦車の“側面”車輪に鎌がついているのはそのためで、重装歩兵の密集の側面を“けずり落とす”効果があったと思われます。
ですから、騎兵隊は、敵の騎兵隊による、自軍の重装部隊への側面攻撃からの防衛こそが、最大の任務でもありました。
それで、騎兵は、敵の騎兵隊が自陣に到達する前に、敵の騎兵隊を叩かねばなりませんでした。
その結果として、騎兵vs騎兵の騎馬戦が引き起こされました。
これに対して、スリングショットや、弓、投槍で武装していたのが、B軽装歩兵部隊です。
この部隊の役目は、機動性の低い密集部隊の歩兵を狙い撃ち(スナイピング)し、密集陣形に“隙間”と“破れ”を作ることです。
そして、できた隙間に、騎兵や、準重装備の歩兵が飛び込み、密集陣営を内部からズタズタにします。
あるドキュメンタリー番組の再現では、投石兵や投槍兵が、味方の密集陣形の隙間から飛び出てきて、敵兵(騎兵も含む)を狙い撃ちし、すぐにまた陣形に引っ込んでいました。
29 :
世界@名無史さん:2008/01/08(火) 18:21:59 0
でも実際おまえらが重騎兵のランスアタックとかを前にしたら
しょんべんどころかうんこ漏らすんじゃないの?
30 :
世界@名無史さん:2008/01/08(火) 18:31:18 0
現代人がラケダイモン人と同じ条件でやりあったら、
30分でミナゴロシにされるなw
31 :
世界@名無史さん:2008/01/08(火) 20:19:06 O
ラケダイモンといえば、300で、最後、レオニダスが「スタリオーース!」(?)って叫ぶけど、どういう意味だろ。
>>29 まあ、俺らじゃ大変だけど、今の兵士なら普通に避けるか撃ち殺すだけだろ。
あんな方向転換も出来ない猪攻撃なんて。
33 :
世界@名無史さん:2008/01/09(水) 07:31:15 0
ステファノスは、冠、栄冠を意味するが・・・ 不明w
34 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 22:42:41 0
だったぴろいところにチラホラといる人の群れが
ポニーで駆けたり、安っぽい石や木の武器でワーワー言いながらどつきあい
バタバタと人が死ぬわけでもなく、逃げたり追いかけたりしてるだけだろ?
武田のポニー軍団は違うぞ!
37 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 23:19:10 0
脱力系合戦シーンならNHK大河ドラマにおまかせあれ
>>29 ランスアタックって、ア○スソフトのゲームに出てくるあれですか?
騎兵のは「ランスチャージ」というのが一般的か
40 :
\(^o^)/ ◆mmtllzc6qY :2008/03/01(土) 00:24:06 O
40なら股裂きの刑
41 :
世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:56:16 0
誰か鎌戦車について語ってください。
42 :
世界@名無史さん:2008/03/01(土) 19:58:18 0
ダ・ヴィンチのアイデアメモにある鎌戦車はスゴイ。
この戦車の前に立った敵兵士は上半身と下半身が生き別れ。
43 :
世界@名無史さん:2008/03/03(月) 07:05:50 0
>>42 それは未来兵器すぎ。スレの趣旨からすると、
フツーに二輪馬車の車軸に鎌をつけたやつじゃない?
兵器として実用的なのかは疑問だけど
たしか映画『ベン・ハー』の戦車競争に出てたかな。
44 :
世界@名無史さん:2008/03/09(日) 17:12:11 0
歩兵の目からみると、鎌戦車と歩戦協同はしたくないっす
古代の鎌戦車って実際にはどんな運用されたんだろ
オールタンク・ドクトリン?
敵の方陣の横を削る攪乱専門部隊?
>>31 ステリオスだったかな
名前です。作中登場人物の固有名詞。
「いまだ、ステリオス、行け!」くらいのニュアンス。
>>44 古代の戦争における鎌戦車の役割としては
敵軍の前列を崩すと同時に後続の歩兵
が突撃しやすいように隙をつくるものだと
思います。でもマケドニアのファランクスには
正面から挑んでも串刺しになるだけですが。
>>46 ファランクスの長槍で馬や馬上の兵を殺したところでそこまでに加速された鎌戦車の突撃衝力は
なくならないんじゃないの?
アレクサンドロスは鎌戦車が突撃しはじめたら方向転換できないことを利用して、オトリの軽歩兵に
突撃させてかわしたんじゃないの?
鎌戦車の天敵はファランクスというよりは騎兵だし。
48 :
世界@名無史さん:2008/05/30(金) 14:28:43 0
古代の戦争
小さい馬にまたがったノロノロ移動する兵士
武器や鎧が重くて動けない
いつまでもダラダラ戦ってる
戦争というよりスポーツ
さすがにそんなにへっぽこなら俺でも勝てるわ
50 :
世界@名無史さん:2008/05/30(金) 17:57:54 0
>>16 昔の方が経済力がものを言ったんじゃないの?
どの世界でも人件費が一番高いだろ。それに昔は
攻撃も守りも人力に頼った部分が多いし、ますます人件費が高くついたはず。
>>50 中世近世の傭兵全盛期ならそうともいえるかもしれませんが
それ以外(特に古代)では餓えた蛮族が富裕だけど軟弱化した文明国を
打ち破るという例がたくさんありますね
それに反して現代では軍事技術の高度化で資金力のある方が絶対的に強いです。
現に米国は肥満率高いけど世界最強の軍隊をもってますしね
>どの世界でも人件費が一番高いだろ。
どんなお花畑の世界史を読んでるんだ?
「人件費が一番高い」なら奴隷制度があれだけ長く生き残った理由はなんだ?
産業革命以後も奴隷制はあったんだぞ?
53 :
世界@名無史さん:2008/05/30(金) 21:48:51 0
>>52 逆なのでは。昔は人力に頼ることが多かったせいで人件費が高い、
だからこそ奴隷制度が求められたのではないでしょうか?
でも奴隷だって無償の労働力ではなく、所有者の財産なのですよね。
54 :
世界@名無史さん:2008/05/30(金) 21:51:30 0
大砲の砲弾に火薬を入れられるようになったのって、近世に入ってかららしいね。
戦国時代モノで兵士が吹っ飛んでるのは、全部演出。
55 :
世界@名無史さん:2008/05/30(金) 23:16:08 0
>>54 戦国時代とか大砲とか近世とか、お前は一体何を言っているんだ
56 :
世界@名無史さん:2008/05/30(金) 23:25:40 0
砲弾?榴弾の事か?
中世蒙古の使用したてつはうは火薬兵器だが?
歴史ドラマの火薬は演出だし
57 :
世界@名無史さん:2008/05/31(土) 10:49:42 0
>>50 人件費っていっても国によって差がでるからねぇー。
経済力が高い所だと必然的に兵の給料も高くなるし、逆に貧困な所だとタダ同然で兵士集めれるんじゃない?
都市国家が傭兵に頼るようになるのは多分それが原因かと。
ところで現代日本の軍事費は世界でもトップクラスってのはよく聞きますが、実際の軍事力は大したことないらしいです。
その理由は人件費が軍事費の4割を占めるからだとか。
それに裕福な市民っていうのはたいてい戦争を嫌うもんだから軍隊への支持も薄れる。
今も昔も経済力が高ければ戦争で有利とは一概に言えないかもしれないね。
>それに裕福な市民っていうのはたいてい戦争を嫌うもんだから軍隊への支持も薄れる。
いつの時代のどこの国も、今の日本と同じと考えるのは大間違いだぞ。
昔のアテネ人曰く、「戦争ほど儲からない商売はない。しかし軍隊がなければもっと儲からない。」
ペルシアの圧力で小アジア西部のイオニアでは公正な取引ができなかったそーだ。
>>58 それって戦争を厭う惰弱な市民に対する訓戒じゃないの?
ペロポネソス戦争で過激な好戦的行動を取ったのは商売人と結び付いた中産階級。
所謂デマゴゴスの多くがこれだった。
逆に富裕な貴族の家系では戦争回避の努力が行われた。
ニキアスが戦争に消極的だったのがその典型。
ペリクレス曰く「戦争になったからには支配者として生き残るか、さもなくば滅びるかだ」。
>>59 そもそも軍隊の第一の役割は「戦争の抑止」にある(防衛のみならず侵略目的の場合も!)。戦争に勝つのは二の次。
つーか戦争が起こった時点で軍隊の最大の任務は失敗だ。
強い軍隊を持つ事と、戦争キライなのは決して矛盾しない。
>>61 戦争の抑止は政府、政治家が"軍隊を使って"行うもの。
軍隊はあくまでもその命令を受けて防衛や勝利を達成するのが第一の役割。
戦争が起こるのは軍隊ではなく、政治の失敗故だ。
>>61 その強い軍隊とやらの矛先が常に敵国に向いてるなら文句はないと思うよ
「平和を欲するならば戦争に備えよ」 ローマ帝国
>>62 違うんだな。軍隊の第一の役割は戦わないこと。
ただしその役割を果たすためには(矛盾してる様だが)戦いの為の十分な装備・訓練が必要となる。
その装備や訓練が、ある意味無駄になることが軍隊の最大の目的。またそう言う無駄が許される組織が軍隊。
だから災害救助とかPKOとか、国防と関係ない事にかなりの人数を長期派遣できる。
これは自分の考えでなく江畑謙介氏の受け売りだ。
それは古代ギリシア他でも当てはまる話かい?
>>65 あぁ現代の国、特に日本はそう言えるだろうな。
ペロポネソス戦争で戦死したアテナイ人よりクリティアスの独裁政権に粛清された人間の方が多かったってんだから、如何に実戦では戦死者が少ないかって話だよな。
マラトンやグラニコスの戦いでの勝った側の戦死者の異常な少なさを見ても負ける側はまず士気が崩壊して潰走するのが普通だったんだろな。
69 :
世界@名無史さん:2008/10/08(水) 15:11:57 0
古代の軍隊で最強なのは匈奴なの?
現代の戦争は機械化されているが、
古代の戦争とは、まさに人と人の殺し合いだったのだよ。
残酷さがダイレクトに伝わるという点においては、決してショボくはないんだぜ。
古い戦争は捕虜生き埋めやら都市皆殺しやらやたら残虐な例が出るからなあ
鉛玉撃ち合って数十万死んだよヤベー!とかとは違ったおっかなさがある
アッシリアの兵士は征服地の住民を虐殺する時は楽しくやってたのかねえ。
村上春樹?の小説かなんかで読んだことあるが、モンゴル人は捕虜を生きたまま皮剥ぎしてたそうだな
他にも鉄板の下に下敷きにして圧死させたりしてたというが本当なのだろうか?
なんにせよ戦闘に負けて逃げ遅れたら高確率で死亡ってのは兵士にとってかなりの恐怖だよな
>他にも鉄板の下に下敷きにして圧死させたりしてたというが本当なのだろうか
それはカルカ河の戦いのときだな。鉄板ではなくて木板だが。
寂しいすれ
77 :
世界@名無史さん:2009/03/09(月) 06:05:58 0
スズメバチの巣をカタパルトに載せて投擲したら効果ありそうだな
映画「グラディエーター」の冒頭の合戦シーンを見る限り、古代の戦争もすごい
と思うぞ。
ただあれは映画だから演出でだいぶデフォルメされてはいるから、そこの所は割り引いて
見なきゃならん。
でも、それでも古代の戦争は現代から見ても引けを取らない物がある。
79 :
世界@名無史さん:2009/03/09(月) 12:51:47 O
兵器の効率性からいって直接戦闘では死ににくいよな。
80 :
世界@名無史さん:2009/03/09(月) 16:47:57 O
大軍の人間同士の殺し合いですからスマートな現代戦のがある意味ショボいと言えます
81 :
世界@名無史さん:2009/03/09(月) 17:50:11 0
死亡率人口比でいえば小さな社会の戦争の方がよっぽどシビアだよ
現代は非戦闘員が死ぬ確率はそんなに高くない
82 :
世界@名無史さん:2009/03/09(月) 20:11:19 0
全世界を敵に回しても戦える国はどこでしょうか?
アメリカ、ロシア、イスラエル、ドイツ、日本?
83 :
世界@名無史さん:2009/03/10(火) 02:25:32 O
拷問ならヨーロッパだけど、人を結びつけて馬数匹を色んな方向に走らせて身体をひきちぎるやつがあったな
人を張り付けにして、飢えたライオンに柔らかい腹を食わせたりとか
あと足を箱に入れて締め付けてゆっくり骨を砕いたり 白人も最悪だな
84 :
世界@名無史さん:2009/03/10(火) 02:31:51 0
いや、アッシリア人の大規模な串刺しだの皮剥ぎだの強制移住のが酷いだろ。
>>83 拷問で四つ裂きにしてどーすんだアホ
確実に死んじまうだろが、拷問は吐かせるためにするんだぞ
あれは王侯殺害の大逆に限って処される極刑だ
西欧は無意味に極端な残虐刑は嫌う
やるのはその必要があればこそだ
文明のレベルと拷問の洗練具合は比例するよね
88 :
世界@名無史さん:2009/03/10(火) 20:29:21 0
>>87 縛りの技術を芸術にまで高めた江戸時代はどうなるんだろうねぇ?w
江戸時代は文化の爛熟期だからな
問題ないだろ
>>77 誰がカタパルトに載せるんだw
俺は嫌だぞwwwww
91 :
世界@名無史さん:2009/03/11(水) 21:32:33 0
>>85 実際、アッシリアってそんな酷いことしたのかな
なんか殷周革命と同じ匂いがするんだが
>>82 アメリカとロシアくらいじゃねえの。
どっちもジリ貧で負けるけどな。
他の国は戦争になったとたん輸出をストップされて
すぐ干上がる。
>>91 事実でない可能性もあるが、そういう言い伝えがあちこちに残るような要素があったのは確か。
94 :
世界@名無史さん:2009/03/12(木) 02:51:03 0
カタパルトに疫病で死んだ死体のっけて城内に投げ込むとかやってたな
カタパルトのメインの用法が石投げってだけで、
基本的にはなんでも放りこめるからな。
動物の死骸、糞尿、ギリシア火などなど、
放り込んで効果がありそうなものはなんでもぶち込んだろうねえ。
斬った捕虜の首も投げこんだよ
97 :
世界@名無史さん:2009/03/14(土) 07:54:01 0
古代ペルシャやローマでは、数万の兵は軽く動かせた。多少頑張れば十万を越える兵も動かせた。数から行くと現代に劣らない。
そこへ行くと中世は、多くてもせいぜい数千人単位、数から行くとショボイのは中世。
庶民、一般兵から武人、武士、貴族へと主役が移る
→飛び道具は卑怯なので禁止等、多分に儀礼的な戦争になる
封建領主が戦争する時代になるとどうもどこでもこんなことが起きるようです
>>51 超遅レスだが……。
米国の肥満率は高いが、米軍の肥満率は低いと思うぞ。
やつらの体力錬成なめんな。
>>97 古代には強力な中央集権国家が多かったけど、中世にはそれが崩壊して小規模な共同体が乱立したから当然動員力も落ちるんだが。
そういう時期を経験してるかどうかで現代の国家の体質さえ左右されてるからなー。
>>100 お前のは97の通りになった理由を説明してるだけで、
数からいけば〜っていうのの反論になって無い希ガス。
別の要因で中世のよさをアピールしようぜ!
中世たって、ユーラシアを見渡せばイスラム帝国やらモンゴル帝国やらあるわけで
中世のいいところなんて別に…
そもそも古代と近代の狭間の暗黒時代を指すわけだからいいはずもなく
封建社会に注目して言うなら
非常に狭く閉鎖的な社会になるので逆に外界にファンタジーが溢れる
領主がタフガイぶりを見せるチャンスが多い →騎士道武士道
>>102 ???
中世って年代によって規定するものじゃないぞ?
古代と近代の間の暗黒時代だって一方的に言ってるのはルネサンス期の人間だろ。
近年はそういうレッテル張りしない史学がスタンダートじゃねえか。
多国家間での権謀術数は中世のが美しいな。
陰謀の塊みたいな人間は逆にかっけえ。
レッテルを貼らないというならそもそも中世とひとくくりで呼ばわるのが間違ってるっての
中世ヨーロッパたって、
フン族やらゴート族やらマジャールやらヴァイキングやらビザンツ帝国やら十字軍やらレコンキスタやら百年戦争やら…
>>105 だから、
中世前期だの後期だのって呼び方されるっしょ
定義問題だろ
古代と近代の間として中世が定義されたのは事実だし、
中世を経験しなかった文明があるのは当然、というより
これはローマからいったん文明崩壊した西欧の定義であって、
ほかの文明社会には当てはまらないのがあたり前
>>101 別に反論ではないんだが…。
むしろ補足。
よく中世の戦は数百人対数百人なんて話を聞くけど
それは騎士などの数えてもらえる人間だけで、実際に戦場に赴いた人間を数えると万に迫るなんて可能性はある?
それとも額面どおり下っ端を含むと捉えちゃっていいのかな?
>>109 だとすると、
〜〜〜だが。
って言葉の使い方おかしくね?
少なくとも相手に同調しているようには捉えられなかった。
まあ、些細なことだが。
>>110 万はないな。
中世じゃないけどルネッサンス期の有名な「アンギアリの戦い」では戦死者は馬に踏み潰された一名だけとか極端な話が伝わってたり。
基本的に西欧中世は封建貴族の拠出した兵員だけで戦うので余り大規模になりようがない。
それは傭兵同士の戦争だったからで小規模云々とは話が全然違う
当時の傭兵は派手に戦っておきながら損害を限りなくゼロに抑えて丸儲けする手口が横行してたから、
戦死負傷者ゼロの芸術的戦争がそこかしこで起こってた
十字軍も数千単位だったのか
たったそんなんでよくエルサレム落とせたな
だいたい戦争の規模で小規模な封建領主の小競り合いから
国王同士の戦いまでいろいろな規模があるだろ
日本も西欧と似た社会だったから
鎌倉から室町では小規模な小競り合いが頻発していた
封建制の頃に小規模な地方組織が自生的に発生して整備されて
それが近代化に有利に働いたって説もあるけどな
ていうかイタリアが特殊
イタリア戦争でフランス軍とハプスブルクのドイツ・スペイン軍がイタリアで衝突したが
人をガチでバカスカ殺すからイタリア人は衝撃受けたって話だからな
イタリア以外のヨーロッパは普通に戦争してたよ
ホークウッドの事書いた本読んだけど出来レースてのは書いてあったな
16世紀(かな)のイタリアの文筆家が書いた文章で「戦争は千人より百人で行われるのが望ましい。そうすれば個人の勲功がより明確になるから」とかいうのがあったらしい。
これがシャルル8世のイタリア侵攻後に書かれたものだってのがビックリ。
118 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 05:16:14 0
>>115 ようするに寸止めの空手から、フルコンタクトの極真カラテへの変化というわけだ。
人類世界から戦争が根絶されるなんて全く信じられないけど、
世界のすべてがイタリア人だったら今ごろ戦争はなくなってた
田舎者ほど真面目に戦争したがるから困る
古代の戦争って古いよなー
だがヤマトの世界の古代というセンもある。
するとどうだろう!
122 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 16:06:21 0
>>23 論理破綻wwwwwwwwwwwwwwww
@ABで「重装歩兵無敵論」だろ
じゃんけんになってないぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
123 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 16:07:27 0
誰もが眠っていた暗黒の中世ヨーロッパでちゃんと起きていたのはポーランドだけ
イタリアでもヴェネツィアなんかは真面目に戦争してたような
126 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 16:38:40 0
>>1 でも、船の技術は凄かったらしいよ。
海賊が昔の映画や書物に伝記が多いからね。
メソポタミア時代なんていまよりぜんぜん進んでたんだって。
今より進んでたってマジかよ
>>124-125 両方とも貴族による民主的な議会制度があったから
ヨーロッパで中世後期にこういう制度を持っていたのはこの2カ国だけ
>>125 超真面目に皆殺しのトルコがきちゃったので
やっぱ蛮族は血が大好きなんだなあ
ヴェネチアなんかは海上封鎖して
トルコを経済恐慌に陥れたんだから
すごいよあんな小国なのに
133 :
世界@名無史さん:2009/03/19(木) 22:40:59 0
私は殺されたいです、死んで幸せになりたいです。
134 :
世界@名無史さん:2009/03/19(木) 23:07:38 0
>>127 マジだよ。
なんてたって世界中の動物を二匹ずつ収容できる巨大な船体。それを建造する造船場。
しかも、船も造船所も、7人(老人と3組の夫婦)で管理できるほどオートメーション化されていた。
その文明は、大洪水で滅んでしまったけどいまでもアララト山にいけば、その偉大な遺構をみることができる。
神は偉大なり。
135 :
世界@名無史さん:2009/03/20(金) 11:26:00 0
>>113 その子孫たちがヘタリアといわれる理由がよくわかりました
>>133 人生相談板へいってスレたてなさい
>>134 聖書のお話がしたいあんたは宗教板がいい こっちの板くんな
傭兵は大抵ドイツ人やフランス人ですが?
スイス人傭兵は今もバチカンを守ってます
イタリア人が自分で戦争しないのは、西欧では圧倒的に金があったから
交易金融加工生産文化芸術、生産性で完全に群を抜いていた
比較的豊かなフランスと比較してさえ、1人あたりのGDPに10倍も開きがあったほど
で、イタリア人を兵隊にするんじゃあまりにもコストが高いから
外国の出稼ぎ傭兵を雇って戦わせようとなったわけ
そりゃ月給5万円で戦争してくれる人間がいたら喜んで雇う
おかげで13〜15世紀あたりまでのイタリアは
年がら年中戦争しても資金が尽きない戦国状態になった
そのGDPの10倍差のソースあんの?
16世紀前半はフッガー家が出た南独は商業的にヨーロッパで一番優勢だったし
フランドル地方は中世を通じて北の経済の中心地で
そこを支配したブルゴーニュ公はヨーロッパで最も金のある君主といわれた
ハンザ同盟も栄えたし、フランスではリヨンが経済的に栄えた
さらに新大陸やアフリカと関係したセビリアやリスボン
イタリアが他の地域に比べて文化や経済が優位だったのは確かだが
10倍差はほんとなのかよ
だいたいイタリアでも地域や時代によって差があるだろ
ひとり当たりのGDPと国別GDPを混同してるだろお前
少ない人口で巨万の富を上げてたイタリア都市国家と
人口は多くても産業は農業メインのフランスじゃ差が出てあたり前なんだよ
あ、あと13〜15世紀って書いてあるのに16世紀前半とか
ぜんっぜん読んでないのな
フランスバカにされたと思ってアタマがフットーしちゃったのか知らないがまずはオチツケ
GDPはしらんが国家予算と人口なら手元にある
フェリペ2世時代のスペインで国家予算は500万ドゥカート、人口750万
同時代のヴェネツィア共和国が280万ドゥカート、人口20万
フィレンツェは15世紀、120万ドゥカート、人口はちょっとみつからなかったがヴェネツィアより少ないくらいだったはず
ジェノヴァ14世紀80万ドゥカート、人口8万
フランス、420万ドゥカート、人口2400万
ビザンツ帝国9世紀、ドゥカート換算の史料はないけどおおよそ410万ドゥカート、人口不明
ぶっちゃけこういう数字は研究によってものっそい開きがあるから
目安程度にしかならんが、フランスの売りは圧倒的な人口であって
単位人数あたりの生産性ではイタリアとくらぶべくもないのは事実だな
にしてもこれだけの人口を支えるだけの食糧生産があることが力の証明になるんだが
シャルル8世が侵攻した時にイタリア諸国がどうにも出来なかったのは兵力・戦術の違いが大きかったからでしょ。
百年戦争やら何やらを経験して軍制改革してたフランスが金銭頼みのイタリア諸国を圧倒したのは当然のこと。
だけど文化水準なんかはヴァロア家にカトリーヌ・ド・メディシスが輿入れしてやっと追い付いて来たようなもんだし。
E・ロンメルもイタリア人に関して言ってたけど、「戦争に強いかどうかが国民の価値を決めるわけではない」のだよ。
144 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 13:04:44 0
>>142 その頃の国家予算って大半が軍事費と考えていいかしら?
>>144 違う
昔の国だって役人を使った行政やインフラ公共事業の整備維持に莫大な費用がかかる
戦争するとなればこの上さらに戦時予算を銀行から借り入れたりしてもっと膨らむ
ブルゴーニュの最盛期の国家予算はどんぐらいだったんだろうな
>>138 その考え方は半分正しい
例えばフィレンツェでは13世紀末まで市民皆兵制を採用しており、周囲の貴族から都市を守るために市民たちが自ら軍を組織してまじめに戦争に参加していた
しかし都市の経済成長が著しくなると貧富の差も増大して富裕層による国政寡占状態が生じ、戦争がいつしか富裕商人の利権確保の道具でしかなくなっていった
その結果下層の市民は富裕市民に対して不満を持ち始め、兵役を忌避するようになる。富裕市民は自らの経済活動に忙しく、戦場になどいく暇がない
そこでフィレンツェは兵役免除税を設定して、その金で外国から流れてきた傭兵を雇うことになった。 ・・・と、俺の手元にある本にはそう書かれてる
つまり、イタリア都市国家が傭兵を雇った理由としてイタリア人の所得が高かったからだ云々というのは少し的を外した見方ではないのかと言いたい
もっと単純に、都市の支配者たる富裕市民に対して忠実で都合のいい人間が市内に存在しなかったので外部の傭兵集団を雇っただけというのが正解では?
ただし、イタリア人を兵隊に使うと金がかかるというのは間違っていない
15世紀になると都市が雇う傭兵のほとんどがイタリア人となりスフォルツァやカルマニョーラなど国の重職に任ぜられるほどの活躍を見せる傭兵隊長が多数現れた
雇い主側も傭兵団の寝返りを危惧して土地や多くの報酬で繋ぎとめようとした。15世紀半ばの兵一騎の値段は13世紀末に比べて十倍以上値上がりしたらしい
古代ローマが国防をローマ市民による軍団兵から傭兵へとシフトしていった過程はどういうものだったんだろうか。
そのフィレンツェの例との比較として。
職業軍人の行きつく果てというか
市民や皇帝、政府と軍事部門が完全に乖離隔絶した結果、
「戦争は他人任せ」がすっかり定着した
しかし、取り巻く要素は少しずつ違っても
傭兵依存体質への進展プロセスはほとんどどこもいっしょだな
平和が続けば国防を他人事と考えるようになるのは仕方ないことなのか
ジェノヴァ傭兵とかはどうなるんだ?
百年戦争からコンスタンチノープル攻防戦にまで参加しているが
そもそもその時代の海上戦力というのが極めて希少なわけで
その中でもジェノヴァ艦は(1隻あたりなら)地中海最強と謳われる質で、
自ら外国の戦場に絶賛売り出してたのよ
ああ、ちなみにジェノヴァの船は基本個人所有であり、船は商船と軍船を兼ねる時代だから、
船を保有するジェノヴァ商人は実質いつでも傭兵艦長に転身できるということになる
ちなみに傭兵よりは海賊のほうが儲かったみたいだけど
>その中でもジェノヴァ艦は(1隻あたりなら)地中海最強と謳われる質で、
>自ら外国の戦場に絶賛売り出してたのよ
カタルーニャ傭兵を満載したアラゴン艦と海上でガチで戦ったらどうなるか興味深いな
というかそういう例実際になかったのかな
アラゴン艦隊は15世紀に、サルディーニャの取り合いをやってジェノヴァ艦隊に大敗してるよ
アラゴン王のアルフォンソ5世はそのままとっつかまる有様
>>149 ローマ市民による軍団兵から傭兵へとシフトしていった過程って、・・・それはローマの始めから終わりまでの軍制史そのものだ。フィレンツェや他の中世国家とはかなり状況が違う。
ローマの場合、共和制の頃は兵役=市民の義務、というかむしろ権利に近いもので一定以上の資産を持つローマ市民だけが自ら装備を調達して軍に参加し、将来出世の足がかりになった。
しかし、遠隔地での戦争が主となると兵役期間が伸びて兵士の生活に支障が出てくるようになる。
おまけに貨幣経済の浸透で没落市民が出始め、兵役の資格を満たす市民の数が減り、軍人が不足していった。
そこでマリウスが軍制改革して資産の少ない貧民にも資格を与え、国が装備を支給、給料も支払い、退役後は土地支給、の条件で志願兵を集めるようになった。
これが後に同盟市戦争やら門閥派と民衆派の争いを招き、ローマを1世紀に渡って内紛状態に陥らせる火種となるのだが長いので省略
なんやかんやあってローマ軍は志願兵制の常備軍を置くようになる。
兵に志願できるのはローマ市民権を持つ者のみで、軍団長などの指揮官クラスには元老院出身者や貴族が優先的に就ける仕組みになっていた。
その後帝政に移行しアウグストゥス帝は政治的な障害にならないよう軍団を属州防衛に専念させ、イタリア半島には親衛隊のみ駐留を許可した。
だが、拡大する帝国の広大な属州を治めるには軍団のローマ人兵士だけでは足りなくなってきた。
そこで各軍団は属州の現地人に軍籍に入ればローマ市民権を与えるという条件を出し、現地出身の援助兵をなんとか掻き集めようとした。
最終的にはこの方法もカラカラ帝による全自由民にローマ市民権を与えるという政策のせいで成り立たなくなってしまう。
反乱が相次ぎ、経済的にも危機に陥っていた帝国は仕方なく夷狄の民であるゲルマン人を傭兵として雇うようになった。
安い報酬で大量に徴用できる彼らは便利な存在で、権力者にとっては四六時中簒奪を企むローマ人よりかは信用のおける存在になっていた。
軍では大量に雇用されたゲルマン人傭兵が幅を利かせるようになり、ついに近衛連隊司令官を勤めたオドアケルに皇帝は廃位に追い込まれてしまったと。
細かい経緯はともかく本国市民に兵士のなり手がいなくなることでは同じだろ
命がけで戦うのはわりにあわない、そして下層の人間に安い代償で戦争を肩代わりさせられる
わりにあわなくなるかどうかは市民の生活レベルと軍事費の兼ね合いによる
>>155 直接対決してたんだね。
ラモン・リュイか誰かがカタルーニャ人は地中海一の弩兵とか豪語してたとかいう話があって
気になってた。
海戦は石弓だけで決まるわけでもないからな
>>157 いやだからさw その市民の生活レベルと外国人傭兵の雇用は密接に関係しあっているのだ…というような発想は一体どこから出てくるんだ?
とりあえずネットの海を一通り見回してみたが、フィレンツェやローマについて
そのような説を明言してる人はなかなか見つからないんだが?
…まさか細かい経緯を無視して自分の直感だけで作り出した自説というわけではないよね?
はっきり言って、ローマとフィレンツェでは比較にならない。
傭兵を雇うようになった経緯もひと括りで語れるもんじゃないよ。
例えばローマが志願兵制となり属州の外国人をアウクシリアとして雇うようになって以降も
貴族や資産家はちゃんと軍務に就く者が多かった。
外国人への給与も待遇が良かったし、軍の中核をなしたのも外国人ではなく、ローマ人自身だった。
逆にゲルマン人傭兵を皇帝が大量に雇うようになったのは産業の空洞化が進んでローマ人が困窮した時期だ。
中央アジアから伝播した騎兵戦術が見直され軍に採り入れられていく中で
ローマ人よりゲルマン人のほうが騎兵戦術に優れていたから雇用したという説もある。
彼らは騎馬民族ヌミディア人よりも安いし、平時には領内をうようよ闊歩してたから治安対策にもなった。
一方、フィレンツェのコムーネが傭兵を雇うようになるのは階級、党派間の争いが激化したからという点が大きい
13世紀以降、ギベッリーナ派(皇帝派)とグエルフィ派(教皇派)に分かれて武力衝突が何度も起きたし、
平民政府が出来た後も崩壊と再興の繰り返し。市政は白党と黒党に分かれて内部抗争は深刻化していった。
こんな状況で市民全員に武器を持たせるなんて危険すぎる。
市内の下層民を安く雇って常備軍を作るにしても、その下層民すらアルテによる派閥を作ってた。
軍が中立を守ることは非常に難しい。
軍事費がどうのとか以前に、兵隊は外部から雇うしかなくなるんじゃないか?
>例えばローマが志願兵制となり属州の外国人をアウクシリアとして雇うようになって以降も
>貴族や資産家はちゃんと軍務に就く者が多かった。
>外国人への給与も待遇が良かったし、軍の中核をなしたのも外国人ではなく、ローマ人自身だった。
問題は兵卒の雇用であって、指揮官クラスの待遇は関係ない
>彼らは騎馬民族ヌミディア人よりも安いし
経済要素がきっちり絡んでるじゃないか
税収の低下に伴い防衛線の維持費捻出が困難になった現実がれっきとしてあるんだよ
>一方、フィレンツェのコムーネが傭兵を雇うようになるのは階級、党派間の争いが激化したからという点が大きい
フィレンツェに限らずイタリアの大半の都市で傭兵依存体質になった理由がそれでは説明がつかない
ギベリンとグエルフの対立はどこででもあったが、フィレンツェほど過激な内部抗争に発展する例は稀だ
162 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 14:03:57 0
南のナポリ王国とかも中世末期にはコンドッチェリが主力?
ナポリ王国の海軍はモノ人共にスペインの軍事供与に依存する
国内の人材をスペインの海軍学校へ留学させるようなこともしてる
陸軍などは専制君主の権限で領民を兵に仕立てる
が、こちらもスペインあるいはフランスの後ろ盾があればこそ
ナポリ王国は西仏のイタリア出張所みたいであんまり軍事的に自立してるイメージないな…
>問題は兵卒の雇用であって、指揮官クラスの待遇は関係ない
いやいや、なぜ指揮官クラスの待遇だけ除外するんだw
貴族も資産家も無産市民も市民権持ってればみんなローマ市民だろ
都市の市民といったって生活レベルはピンキリだぞ?経済が伸張すれば格差も当然広がる
富裕層は得票とキャリアのために、貧困層は職と土地のために兵に志願する
軍事費上げれば兵士が増えて下げれば減るから外国人雇うようになるとかそういう単純な話だけじゃないんだよ
大体、兵士への報酬は遠征地の土地や略奪品もあるんだから軍事費上げて装備と給料整えても大した影響ないだろうが
>経済要素がきっちり絡んでるじゃないか
>税収の低下に伴い防衛線の維持費捻出が困難になった現実がれっきとしてあるんだよ
ん・・・?どういうこと?そりゃ金欠なんだから安い方を雇うというのはおかしくないのでは?
>フィレンツェに限らずイタリアの大半の都市で傭兵依存体質になった理由がそれでは説明がつかない
その通りだね。ローマもフィレンツェも他の都市も傭兵依存のプロセスは様々。一概には言えない。
それぞれ状況が違うからひと括りで語れるもんじゃないね。
>いやいや、なぜ指揮官クラスの待遇だけ除外するんだw
無給奉仕が原則なのに雇用問題に引き入れて論じてどうするんだ
>兵士への報酬は遠征地の土地や略奪品もあるんだから軍事費上げて装備と給料整えても大した影響ないだろうが
そんなわけないだろ
国境防衛が主任務となった軍団にその手の収入はほとんどない
>ん・・・?どういうこと?そりゃ金欠なんだから安い方を雇うというのはおかしくないのでは?
つまりそれが軍団の傭兵化プロセスの原理だ
安かろう悪かろうでは意味がない
市民が満足する財源を拠出して軍団兵の質を維持するのが本来だ
>その通りだね。ローマもフィレンツェも他の都市も傭兵依存のプロセスは様々。一概には言えない
一概に言えないならあの時代、イタリアに乱立した数十の都市国家のプロセスを
それぞれ説明してもらおうか?
西欧の他国に対する経済的優位性で一括で説明をつけるほうがはるかに合理的だ
>雇用問題に引き入れて論じてどうするんだ
あなたは『市民の生活レベルと軍事費の兼ね合い』によって軍に入るかどうか決まると言ってるよね?
でもローマの場合は給料以外にも軍に加わる様々なメリットがちゃんとあったってことだよ。
属州や戦地周辺からアウクシリアを雇った経緯も単純に斥候要員や即戦力の補充が目的と考えるのが妥当
給料が安かったから兵員が不足して外国人を雇うようになった、なんて言える根拠が見つからない。
>国境防衛が主任務となった軍団にその手の収入はほとんどない
外国人の雇用が始まったのはローマが周辺国に侵略を始めた頃からだが?
絶えず対外拡張を繰り返してた時期に略奪や奴隷、その他を一切期待出来ない軍団なんかあったか?
志願兵が期待するのは給料だけじゃなかったってことだろうな
>つまりそれが軍団の傭兵化プロセスの原理だ
原理って…、これはまた大きく出るね。的外れな感が否めないが。
ひとつ聞くが、あなたの言う傭兵化プロセスの原理とは、『市民の生活レベルと軍事費の兼ね合い』が
とれなくなると、市民が『命がけで戦うのはわりにあわない』と感じるようになり『本国市民に兵士のなり
手がいなくなる』ので『下層の人間に安い代償で戦争を肩代わりさせ』るようになるというものだったよな?
その原理を使ってゲルマン人の傭兵雇用のプロセスを分かりやすく説明してもらえるか?
>一概に言えないならあの時代、イタリアに乱立した数十の都市国家のプロセスを
>それぞれ説明してもらおうか?
>西欧の他国に対する経済的優位性で一括で説明をつけるほうがはるかに合理的だ
そんな時間とれないよ。それよりあなたは(昔のローマも含めてだが)中世イタリア都市の市民の
生活レベルが高く、軍事費との兼ね合いがとれなくなったという背景をもう少し具体的な情報を使って
一つくらい提示してくれ。イタリア全都市とは言わないし、都市の一つを例にとってでもいいから。
>給料以外にも軍に加わる様々なメリットがちゃんとあったってことだよ
アントニヌス法以降のローマ市民が軍団に加わるメリットはないと言っている
ノーブレスオブリージュに基づく国家への奉仕とは完全に別の話だ
もっともそれさえ、3世紀も過ぎれば危うくなるが
>外国人の雇用が始まったのはローマが周辺国に侵略を始めた頃からだが?
属州民やゲルマン、ヌビア騎兵を雇い入れる補助兵制度と
帝国末期の蛮族雇用を同列視するようじゃまるで話にならない
帝政以降、具体的には対外拡張をほぼ断念したハドリアヌス帝以降のローマの基本戦略は、
ダキアなど一部例外を除き国境防衛で一貫している
>ゲルマン人の傭兵雇用のプロセスを分かりやすく説明してもらえるか?
いつの時代か明確にしてくれ
>そんな時間とれないよ
少しも理解してないだけだろ、時間がないと言うならジェノヴァに関してだけでも説明をつけてみろ
>中世イタリア都市の市民の生活レベルが高く、
>軍事費との兼ね合いがとれなくなったという背景をもう少し具体的な情報を使って
>一つくらい提示してくれ
所得水準に関しては上で説明されているはずだが?
カトリックの権威と東西貿易によって当時イタリアには莫大な金が集まっていた
熟練工の給与水準をとってみても、ドイツと比較して5倍以上の開きがあったのは紛れもない事実であり、
潤沢な資金によって外国の安い兵力を際限なく雇いあげることができなければ
数世紀にわたる小都市国家の戦国状態が維持されるはずがないんだよ
>アントニヌス法以降のローマ市民が軍団に加わるメリットはないと言っている
アントニヌス法以前にもローマ人と共に市民でない外国人が雇われていたのは事実
>ノーブレスオブリージュに基づく国家への奉仕とは完全に別の話だ
つまりノーブレスオブリージュという概念そのものも、あなたの言う原理に対する例外の一つってことだよ
>帝政以降、具体的には対外拡張をほぼ断念したハドリアヌス帝以降のローマの基本戦略は、
>ダキアなど一部例外を除き国境防衛で一貫している
いつどこで戦争や反乱、移動が起こるか志願兵には予想できない。
>カトリックの権威と東西貿易によって当時イタリアには莫大な金が集まっていた
外国人兵士の多くは、13 世紀末から14 世紀の初めにかけて、アルプスの彼方から皇帝や王たちに率いられてイタリアに入り、
主人が本国へ引き揚げた後もそのまま残留した者達がほとんどで、裕福な都市へも略奪目的にやってくる者もいたらしいが、
そのようなならず者対策として都市が傭兵を雇うようになっただけとも説明できる
>熟練工の給与水準をとってみても、ドイツと比較して5倍以上の開きがあったのは紛れもない事実であり
それだと市民の生活レベルと軍事費の兼ね合いがどうだったか分からない
貧富の差がほとんどなく、無産市民や小作人が都市近郊にすら全くいなかったのならともかく。
>潤沢な資金によって外国の安い兵力を際限なく雇いあげることができなければ
>数世紀にわたる小都市国家の戦国状態が維持されるはずがないんだよ
問題は傭兵雇用の動機。戦国状態だったのは事実だがなぜ傭兵を雇ったのかが明確でない
傭兵を雇った結果として戦国状態が維持されたのだと言うのなら、特に反論はないが。
>アントニヌス法以前にもローマ人と共に市民でない外国人が雇われていたのは事実
なにを言ってるんだ?
アントニヌス法以前には兵役満了後に市民権取得の特典があったんだから
市民以外が軍団にこぞって加入するのは当たり前だろ
>つまりノーブレスオブリージュという概念そのものも、あなたの言う原理に対する例外の一つってことだよ
ノブレスオブリージュの意味をわかっていない
富める者の尊き義務がノブレスオブリージュであり、兵卒にはなんの関わりもない概念だ
>いつどこで戦争や反乱、移動が起こるか志願兵には予想できない
意味不明
帝政期のローマ軍団は帝国国境全域に、危険度重要度に応じた数が配置されていたが?
>そのようなならず者対策として都市が傭兵を雇うようになっただけとも説明できる
だからなんだ?
その手の連中はドイツやフランス、ブリテンの耕作地を捨てて大将にくっついてきた、
戦うしか能のない、貧しい元百姓のならず者だ
そんな半ば乞食のような連中を裕福なイタリア諸都市が二束三文で雇ったんだが
>貧富の差がほとんどなく、無産市民や小作人が都市近郊にすら全くいなかったのならともかく
イタリアで当時繁栄していたのは都市国家だぞ? わかってるのか?
都市生活者、つまり商工業者ばかりで成り立っていたのが当時のイタリア諸都市国家だ
農耕国のドイツやフランスと桁違いの生産性を叩き出していたのは当然だろ
>問題は傭兵雇用の動機。戦国状態だったのは事実だがなぜ傭兵を雇ったのかが明確でない
人命の価格が違うからだと言っている
ひとりあたり年間数百から数千ドゥカートを稼ぐのが当時のイタリア諸都市だが、
同時に1国あたりの人口は多くて数十万だ
戦って死なせることは、そのまま国家の衰亡に繋がる
金はいくらでも稼げるが、人間には限りがあるのが当時のイタリアだった
逆にドイツやブリテン、フランスなどは、イタリアに比べれば安くて余分な人間がいくらでもいた
ここに、互いの利害が一致したんだ
傭兵とは、己の肉体以外に売り物のない西欧後進国の人間が、
畑を捨ててイタリアへやってきて始めた出稼ぎ商売のひとつだ
学問板らしくなってきたな。
個々の場合で異なるのは当たり前の話だが、様々なところを比較してみる事で、
徴兵/志願兵といった自国民を軍隊にする方法から、
傭兵というある意味国防のアウトソージング化するトリガー要因があるんじゃないか?
あるんならそれは何だろう。
っていうのが学問における発展だと思う。無けりゃ無いでいいし。
もしそれがわかれば、今後の政治にも活かせる部分があるかもしれない。
それが、歴史に学ぶってことなんじゃあないの。
>数百ドゥカート
一年間に家賃を除けば、15〜25ドゥカートあれば一家が暮らしていくのに十分でした。
まず年収から決めないと先へ進まん。
そんなもん基礎知識だろ
171はチョンピが数百デゥカート稼ぐようなことを言っているけどー?
傭兵が、個人事業主みたいなことを言ってもいるけど、傭兵団?というか、軍団として都市の警備とか戦争を請け負ったんじゃないのか。
>一年間に家賃を除けば、15〜25ドゥカートあれば一家が暮らしていくのに十分でした
年収25ドゥカートなんてイタリアじゃ下層民だろ
あとチョンピなんてどこから出てきたの? 意味不明
>個人事業主みたいなことを言ってもいるけど
これも意味不明、畑を捨てて傭兵隊長の下へ走るのがどうして個人事業主?
フィレンツェの傭兵隊長ジョン・ホークウッド
て本にそこら辺の事情が詳しく書いてあった
自国民を軍隊にする方法がなくて、傭兵団つか山賊を軍隊にしていたように思われる。
生活水準の差でイタリア人が兵隊にならなかったのならば、15Cからイタリア人傭兵団が増加した理由が別途なければならない。
15世紀以降なら話は簡単だろ
その時代にはすでにイタリアの落ち目は始まってる
スペインフランスに蚕食されて、元気なのはヴェネチアとフィレンツェだけ
コンスタンティノープルが陥ちてジェノヴァが青くなってる時だ
いつ頃だか、「イタリア出身者は兵士になるな」ってお触れが出されたとか読んだことがあるな。
享楽的なイタリア人は一般的に軍務を嫌ったんで外国人の傭兵に外注したのかも。
地元の人は負けそうになると逃げる先があるので兵士には向かない。
兵士になるなじゃなくて、“使えない”かもしれん。
契約は果たさなければならないとか、
金のためには命を賭ける!とかそういう意識の集団ならともかくとして、
普通は自分で地元を守る方が士気が高くなるきがするんだけども。
マキャベリの時代のイタリアなら、どうせトップがすげ変わるだけだし…
ローマ帝国の時代からイタリア人は軍人としては使い物にならなかったらしいからねえ。
何と言うか、もはや業に近いなぁ。>イタリア人は軍人として使い物にならない
187 :
世界@名無史さん:2009/06/22(月) 04:51:30 0
アレクサンドロス大王の軍隊とかは実際にどうなんだろうね?
どうなんだろうって何が?
孫子は理想論だと思う。
いつもいつもそんな完璧には動けないよ。
アレは単純化した教科書のようなもんで
そっからの応用が大事ですよ
刎頚の友の故事で有名な藺相如の時代の、藺相如の晩年あたりに
趙の将軍が兵法の天才に変わったけど、応用性が無いことを敵に見抜かれて倒されたりしてたな。
漢の韓信将軍も孫子の兵法では愚とされている背水の陣を敷いて、
同じく孫子の兵は死地に追い込んで初めて生きるだとかの方を優先して勝った。
馬謖は兵法では山の上に布陣するのが有利ってことになってるって言って布陣した
結果がこれだよ!
まあ孫子の意義は兵法を初めて体系的に整理したことにあるんじゃないかね。
んで、戦闘の基本そのものはずっと変わらなかったと。
ヒトラーか誰かが言ってたな。
「兵器の性能は向上しても兵法の核心は変わらん」
能力のある将帥とそうでないのの違いは戦場の空気と言うか匂いを嗅ぎ分ける能力にあるんだろう。
日露戦争では黒木、奥の両大将が眼を瞠るほどの冴えを見せたのにクロパトキンにはそれがなかった。
ソ連邦元帥のG・K・ジューコフは「土の匂いを嗅いでから作戦を立てるそうだ」ってスターリンに嘲られてたらしいが、戦場の空気を読み取るってことは大切だからジューコフもそんなことしてたかも。
戦闘・戦争の仕方なんて基本の骨格に色んな肉付けがされて分かり辛くなってるだけで、基本が身についてる将帥は勘で最良の策を見付けられるんだろな。
どんなに教育機関が発達しても、一般の将校の養成は可能でも名将を作り出すことは出来ないから。
最近の米軍は正規戦なら誰が司令官でも負けないだけのバックアップ出来てるけど、非正規戦への対応は完璧には出来ないよな。
もし手段を選ばないならレーニンが命じたようにその地域の住民全部纏めて片付ければ済むんだけど、それを許す者はこの地上にいないしな。
孫子は基本テキストだろ。
あのとおりにできれば問題は無いと。
どうやってそれに近づけるかが一番の問題だが。
194 :
世界@名無史さん:2009/11/30(月) 22:02:28 O
古代中国はどうなんだろうね。
火砲が発達する前は視覚的にも聴覚的にもそれ以降よりしょぼかったろうな
196 :
世界@名無史さん:2009/12/03(木) 06:11:32 0
古代アフリカ、欧州の戦いはショポい、西アジアもイマイチ、シナはガチ
孫子はよくできた兵法書だが現実的に当てはまらないこともたくさんあるからな
例えば背水の陣もそうだが、日本の武士道、モンゴル、ヴァイキングなどなど
死を恐れないで戦うやり方や戦闘を好むのは孫子では下策だが
歴史的には実際そっちの方が強い
198 :
世界@名無史さん:2009/12/03(木) 12:51:45 0
何を言うか。騎兵だけでもすごいもんだぞ。
競馬場で馬が突進してくる前に立って見りゃいいわ。
199 :
世界@名無史さん:2009/12/03(木) 14:52:45 O
クラウゼ君は実際に何回も著者で繰り返し書いてる事だが、
孫君も同じ民族、同じ装備の人間を基本にしとるやろ。
でないと一般化された教科書になりえないからな。
死を恐れない戦士はすばらしいが、そんな特殊な人間は一般的でないから教科書に書いても意味がない。
200 :
世界@名無史さん:2009/12/03(木) 21:40:04 0
>>197 ヴァイキングは当事者が彼我共にしょぼい蛮族だからなww
戦国時代の数十万の兵同士が激突する総力戦とは関係の無い、ただのおままごと
モンゴル軍は数ヶ月から数年に渡って綿密に調査・偵察、諜報・工作した上で
極めて厳格で組織的な軍律に基づいて行動、無知を曝すのはほどほどにw
武士道?成立したのは太平の世だw
それに、秀吉は歴代でも弱体なしかも落ち目の明軍に敗れとる。
というかオマエ、孫子読んだこと無いよね
孫子が絶対だと思ってるバカ発見
孫子のいうことが現代ではあわないことはいくらでもあるというのに
先人のいうことを何でも盲信しない方がいい
宗教と変わらなくなるからな
202 :
世界@名無史さん:2009/12/03(木) 23:12:32 0
>>201 こいつ、自分の書いた無知極まりない落書きを放棄して
なんの脈絡もなく現代の話をし始めたよw
つーかさ、そもそも孫子は基本原則を書いてるだけで
だからこそ現代でも通用するというか事例を当て嵌められる事もあるし
当時でもそこから外れる例外もいっぱいあるわけで
>>モンゴル軍は数ヶ月から数年に渡って綿密に調査・偵察、諜報・工作した上で
>>極めて厳格で組織的な軍律に基づいて行動
それプラス死を恐れない勇気があったした極めて好戦的な集団で戦を好んだ(これが反孫子的)
それに孫子の知識もなかったし
だいたい孫子はダメージをできるだけ回避
負けを少なくして勝率を上げる、一歩一歩時間かけて拡大してく発想(秦やローマ的)
あの発想からはアレクサンドロスやモンゴル、ティムールのような遠征活動とは結びつかないし
モンゴルは遠征につぐ遠征で、国家自体が戦争目的のような国
遊牧国家は孫子の理想とはかなり異なる
西洋近代諸国も違うよね
まぁ孫子は抽象的に書いてあるから、どういう風にも曲解して孫子が正しいって方向にもってけるけど
俺は文面そのまま読むのが正しいと思うね
当時の中国の戦争を反映させてるから現代にあわない部分もでてくる
遊牧国家や日本や西欧のように戦士階級が支配する封建国家には適合しない部分もあるよ実際
あーもちろん孫子は評価してるよ、ただ合理性を追求するあまり
士気やノリみたいな、どう考えても劣勢なのに火事場のバカ力で勝ってしまう
そういう非合理な面をあまり書いてないね
>>202 お前にとっては孫子は絶対なんだろ
俺にとっては単なる古典だよ
207 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 00:04:11 0
>>204 モンゴル軍は基本的に決戦を指向しない軍隊で
調略を多用して極力戦いを避けてる、戦うのは雑魚や機が熟した後
>極めて好戦的な集団で戦を好んだ
古臭い白人至上主義者の思い込みから創られた虚像
アレクサンドロスの遠征は全て内乱中だったり統合権力が瓦解していた集団が相手
テムールは優位を認めれば、従前の状態をほぼ維持したまま
決戦する事なく兵と貢納だけ取って権力構造を残すやり方
フビライの元帝国も脆弱な雑魚相手の西方では短期間に急拡大したが
軍備の整った対南宋戦は戦いを避けて攻囲持久策を採ってる
何れも簡単に勝てる相手に対して速戦即決しただけ
孫子が念頭に置いていた国家制度と軍制の整った大軍相手とは大違い
孫子を知らず、モンゴルを知らず、日本を知らず、マケドニアもテムールもヴァイキングも
全く何一つまともに知らずに、妄想で知ったか書き込みするのは恥ずかしいよ
だからそれが拡大解釈だわ
孫子は長期遠征自体否定的だ
>>孫子は抽象的に書いてあるから、どういう風にも曲解して孫子が正しいって方向にもってけるけど
こういうことだ
ちなみに俺が孫子に否定的なのは
サラリーマンのための孫子を現代に活用的な腐った本が一杯でてるからだよ
あれなんてまさにミーハーで拡大解釈
それに孫子は読んだけど俺にはあわなかったな
兵はキ道なりってのも一つの真実だがそれが全てだとは思わん
210 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 00:36:50 0
リーマンに孫子が役立つわけねーだろw
んなもんは出す奴がキチガイだw
>>208-209 長期遠征を否定する箇所なんて無いよ、あると言うならその一文を書いてみな
横からだけど、孫子は「兵は不祥の器、常には用いず」と説いて戦わないで済むならその方が
良いとしている。その上でやらなきゃならない時のために準備する。
>>210 「長期の露営は士気が低下する」という趣旨の事が書いてあるからそれを拡大解釈したかも?
遊牧民族はずっと露営だけどね。
>>209 >兵はキ道なりってのも一つの真実だがそれが全てだとは思わん
不利な状況をひっくり返すための詭道でしょ?数に勝ってれば詭道も要らないだろうけど、それでも
有利な状況でも敵の詭にひっくり返されないように頭を使わないと負けてしまう。
>>207 それはまさしく孫子の理想とする処じゃない?戦わないで屈服させるのが最上って書いてあるから。
直接的には書いてないけど
基本的に長期的な軍事活動は国力を蝕むとして否定的だろ
ていうかモンゴルみたいな遠征は完全に想定外だし
まぁモンゴルの遠征はモチベーション理論の方が答えを出してくれるだろうけどね
孫子に欠けてるのはモチベーション理論
信念や意欲などといった情動が理性や合理性を圧倒するパワーになることがある
そういった面を孫子は全く触れてない
>>不利な状況をひっくり返すためのでしょ?数に勝ってれば詭道も要らないだろうけど、それでも
>>有利な状況でも敵の詭にひっくり返されないように頭を使わないと負けてしまう。
宮本武蔵の五輪書にあまり欺く欺かれるにこだわると逆に相手のペースに引きずり困れて不利になるとある
不利な状況でも兵の士気、統率力、一体感で相手を上回ることもある背水陣みたいに
だから何も詭道を一番上にもってくることないだろと思うわけ
どちらかというと策略よりこちらの兵の鍛錬度や統率、陣形の習熟、士気とか
そういった基本的なことの方が重要だと個人的には思うんだけどね、
詭道はそれが出来てから2番目でいいや
214 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 03:25:58 0
>>212 攻城すれば疲弊する、長期滞陣して糧秣を遠く輸送すれば膨大な費用を消費する。としか書いてないよ
善く兵を用うる者は、役は再籍せず、糧は三載せず。用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足るべきなり。
国の師に貧なるは、遠く輸す。遠く輸さば百姓貧し。
故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、??一石は、吾が二十石に当たる。
とも書いてる
215 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 03:40:44 O
>>207 フェニキア人は何の内乱があったのかね。
ペルシアは分裂した弱い敵ではないし。
アレクの捏造をされても
216 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 03:51:45 0
>>213 大略から詳細まで一般的な事柄は一通り言及されてるよ。
一度読んでみたら?戦争論に比べたら全然分量少ないんだし
凡そ衆を治むるに寡を治むるが如くなるは、分数是なり。
衆を闘わすこと寡を闘わすが如くなるは、形名是なり。
激水の疾くして石を漂わすに至るは、勢なり。鷙鳥の疾くして毀折に至るは、節なり。
是故に善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短なり。勢は弩を引くが如く、節は機を発するが如し。
乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。強弱は形なり。
217 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 04:20:57 0
>>216 フェニキアって?w 当時のフェニキアは既にギリシャ諸部族と同じただの都市部族
当時のペルシャは元々外来政権で成立当初から独立性の高かった
西のシリア、パレスチナ、イラク農耕部が離脱していく課程
218 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 04:31:47 O
>>217 論理も安価も間違ってるが。
都市部族だからといって内乱があるわけでも分裂が起きてる訳でもないね。
論理力がないのかお前は
しかしペルシアは世界帝国だから完全な統合は無理だが、
それをもって分離していく途中と切り捨てるかね。
アレクがいない世界を仮定しなきゃそれは検証できないぞ
>>213 そういった基本が出来てなければそもそも戦えません。それらが出来た上での『兵は詭道なり』です。
>不利な状況でも兵の士気、統率力、一体感で相手を上回ることもある背水陣みたいに
そもそも数で不利な韓信はわざと背水の陣を敷いて自分の才に溺れる陳余の油断を誘う意味も
有った訳でそれがつまり『詭道』でしょ。
220 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 07:12:47 0
>>218 都市部族にまともな国家の相手が出来るわけないよね
当時のフェニキアはただの小規模集団に過ぎないのだから
おまえは論理力以前に知識が足りないなw
ペルシャは分離離反が相次いでいた完全な衰退期
221 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 09:37:43 0
実際の合戦てサッカーのサポーターが相手チームと罵り合うのに毛が生えた程度だと思うよ。
人数が少なくて勢いが負けたほうが走って逃げてお終い。
でもそれすら滅多になくて本当は話し合いで手打ちとか。
でもモンゴルのチンギスハーンは本気で相手を皆殺しにしちゃった。みんなビビッて屈服。世界征服完了。
古代と中世の区別もつかない馬鹿は帰れ
>>220 ローマだって都市部族だぞ。
ヨーロッパを征服するくらいに強力な。
激水の疾くして石を漂わずに至る者は勢なり。
鷲鳥の撃ちて毀折に至る者は節なり。
是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして其の節は短なり。
勢は弩を引くが如く、節は機を発するが如し。
故に善く戦う者は、これを勢に求めて人に責めず、故に能く人を択びて勢に任ぜしむ。
勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや木石を転ずるが如し。
木石の性は、安ければ則ち静かに、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。
故に善く人を戦わしむるの勢い、丸石を千尋の谷に転ずるが如くなる者は、勢なり。
これは確かに士気について書いてるな
ただモチベーション理論はもっと広く、じゃどうやったらこういった状態にもってけるかを論じるけどな
225 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 10:18:04 0
久しく師を暴さば則ち国用足らず。
それ兵久しくして国利あるは、いまだこれあらざるなり
国の師に貧なるは、遠師にして遠く輸せばなり。
遠師にして遠く輸さば則百姓貧し。
長期にわたって軍を戦場にとどめておけば、国家の財政も危機におちいる。
そもそも、長期戦が国家に利益をもたらしたことはないのである
国が戦争で貧しくなるというのは遠征して遠くに兵糧を運ぶので民衆は貧しくなる。
それと敵の糧秣を取るのは良いと書いてあるが、最初っから敵の糧秣に依存するのは不確実
それに食料や日常生活自体が移動するモンゴルの遠征なんて孫子の想定外
孫子が万能じゃないことがわかる
>>そもそも数で不利な韓信はわざと背水の陣を敷いて自分の才に溺れる陳余の油断を誘う意味も
>>有った訳でそれがつまり『詭道』でしょ。
それは『詭道』かもしれんが、孫子の逆やったんだから孫子の功績じゃない、韓信のアイデアだ
ていうかなんでそこまで孫子を万能にしたい
孫子の理論で古今東西の全てを説明するのは不可能って言いたいだけなのに
まぁただ孫子支持者のおかげで久しぶりに孫子を読み返したわ
「饒野に掠めれば,三軍も食に足る」だな。
当時の戦争はそれが基本。
実は現代戦でも国力次第ではそれが基本(独ソ戦のドイツなど)だったんだから
孫子の問題にはできない。
孫子が兵の士気を保つ方法について繰り返し述べているのは
ちょっとしたことで総崩れをおこす戦意の低い軍隊を率いているからなんだよ。
だから中国史では士気の高い小数の精鋭軍が
他国では信じられないような破格の活躍を繰り返す。
最もそれが際立った典型的な例は陳慶之だな。
228 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 11:43:57 O
>>220 お前が言ったアレクの敵は全て!内乱中だったり分裂してる
の反論としてフェニキアは分裂してねーよと言ったんだが。
それに対して都市国家は大陸国家をまともに相手にできないつう再反論なわけだ。
理解できた?
お前はやっぱり論理力がねーよ。
再反論になってない!!
あとアレクがどんだけ時間をかけて橋を作ったとおもってんだ。
十分都市国家が対抗しとる。
あとは
>>223のローマやらペルシア破ったギリシアやら。都市国家はまともな国家に対抗できんのですか、
そうですか。
お前は一度でいいから論文というものを読んでみろ。
229 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 13:12:40 O
モンゴルなんかwww
ものすごい敗者というか弱者
むしろ白人に全否定され根絶されるための歴史
マゾだったのかよハンは
あと中国史のほとんどは嘘デタラメだから
少なくとも赤壁の戦いは無かった
>>226 >孫子の功績じゃない
『孫子』はいわば教科書であって功績とか関係ないでしょ。おそらく同じ知識を陳余も持っていた
だろうけど、それを現実にうまく当てはめて実践した韓信が勝った。
誰も知らない秘伝じゃなくて誰もが知ってる基本だから文面通りにやってるだけでは役に立たない。
でも別に孫子が万能だとは思ってないよ。ただ、もっと抽象的に書いてある気がしたけど、読み返し
たら意外と具体的だなと思った。
231 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 22:03:50 0
>>223 地中海沿岸一帯と南欧州を征服した頃のローマは、法と秩序で統治した王国なw
秩序無く都市が連合しただけの部族連合とは別物
>>225 最初、孫子に書き留められていてる普遍的な法則に反する例として挙げてなかったっけ?w
何1つ反する事例を挙げてないじゃん
>>227 小火器による戦力の集中運用が可能になり、徴兵軍とナポレオンが登場して以降
近代戦の基本は現地調達、決戦志向じゃん。ソ連侵攻は失敗例w
南北朝時代は長く続いた戦乱で軍隊の規模も武装も軍組織も卑小
似た事例は蛮族が割拠した中世欧州でのお飯事にもある。
>>228 そもそも考慮の範疇に入らない、弱体なただの都市部族フェニキアを持ち出したことが詭弁
おまえはいきなり論文読まなくていいから、まず薄い入門書をとりあえず読もうなw
232 :
世界@名無史さん:2009/12/04(金) 23:19:29 O
>>231 うんだから
全てアレクの敵は分裂もしくは内乱が起こっていた
という君の珍説の立証になってないね。
あと弱小な敵にエライ苦労したんだねぇ。
都市国家は弱小と言い張ってるだけで具体的に何の反論にもなってないよ。
論理的に物を考えよーね。
昔の戦争がショボイのは、現代のような生産力がないせいだな
実際の戦争では、いつの時代も飛び道具での死者が最も多くて(餓死除く)
9割がた、弓矢、投石、銃火器で死ぬんだが、
昔は、手作りだからそれを大量に生産する手段がない
大規模な会戦では、それまでに蓄えたモノを使えばいいにしても、あっという間に使い切るから
1回戦ったらそれで決まってしまう
歴史に残ってるような戦闘でも、その参加人数や死傷者数は大抵が誇張されてて、
一部の例外を除けば、大抵、数十から数百人程度の死傷者が精々だね
簡単に万単位の人間が死んでしまう、産業革命以後の戦争とは別物だと言っていい
一国の人口自体が100倍じゃ効かないほど差があるんで
ショボくて当然だろ。
235 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 11:50:45 0
>>235 古代は中国が先進国家だったのは確かだけど、
兵数なんかは、ものすごい誇張がされてるから鵜呑みにしないほうがいいよ
三国時代に数十万とかね、人口はともかく、
軍事システム的にありえない数字
当時の軍制で統制できる数ではない
日本の太平記の記述でも100万とかそういう数字が出て来るけど、これも同様
その手の数字は、ものすごい数って意味の比喩だと思った方がいい
軍ではなく、流民だと思えばわかるけどね
237 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 13:21:24 0
>実際の戦争では、いつの時代も飛び道具での死者が最も多くて(餓死除く)
>9割がた、弓矢、投石、銃火器で死ぬんだが
んなわけねえよ。
ライフル導入後はともかく、フリントロックが主力の時代でも、一回の射撃で敵の1割を減らせればいいほうだ。
白兵戦に突入するまで2回ぐらいしか射撃の機会はない。
死傷者の大半は敗走の時にでるもので、そのときに活躍するのは当然刀槍。
>>237 日本の戦国時代の合戦例を見ても、死傷の大半(7割近く)は弓矢や銃弾によるものだったわけで。
239 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 14:33:46 0
>>238 矢傷で死んだのか、刀槍で傷つけられて死んだのか、区別つくの?
亀甲陣形なんてのが必要な時点で飛び道具の脅威は明らか
>>239 合戦での死因を調査した統計資料がある。
242 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 14:45:17 0
軍忠状で示されているのはあくまで負傷率。死亡率じゃない。
さらに、昔は刀槍で殺されることを不名誉視する考えもあったというぞ。
弓矢で傷を負ったり死ぬのは別段不名誉ではないらしいが。
243 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 14:47:52 0
軍忠状って敗走した側の記録も残ってるわけ?
敗走した敵を追い込んだ側が、弓矢の傷が多くて、刀槍の傷が少ないのはわかるが。
244 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 14:58:34 0
>軍忠状って敗走した側の記録も残ってるわけ?
俺は残ってないと思うんだけどね。
敗走した側は、逃げるのに必死で誰が何で死んだかなんて把握できないから。
死体だって置き去りにしていかなきゃならないだろう。
245 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 15:33:17 0
軍忠状で戦果はいくらでも誇張できても、
損害の方は虚偽申告するわけにはいかないだろう。
頭数が足りないのに、優勢な敵勢相手の配置を任されたら全滅だ。
246 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 20:34:52 O
負傷の記録だから矢傷が多いのは当然だよなぁ。
槍や刀の傷は矢傷より致命傷が多いだろうから、矢傷の数は割り引かないと。
247 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 21:41:11 0
孫子(笑)
核兵器一発で終了だろ
>>247 莫迦だなぁ。孫子は「戦わないのが最上」と書いている。相手が核兵器用意したら使わせない
ようにこっちも用意する。これはまだ孫子の理屈に中に収まってる。
孫子の理論は、ゲーム理論でフォン・ノイマンが証明した「ミニマックス法」の結論そのままなんだよな。
ミニマックス法はゼロサムじゃなかったり、完全情報じゃないと前提が崩れるのだが、逆に双方が情報を
最新機器で集めたり、被害を限定しゼロサムに持って行くと…自然とミニマックス法になっていく。
つまり、現代こそ孫子の兵法が役立つ時代になるってことだ。
言わんとしている事は解るし、大した人物だとは思うが
死なないためには、生まれてこない事がいい。
みたいな理屈にも思えてきた。
251 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 23:00:14 0
>>236 三国時代は王朝崩壊とその後の内乱によって、戦国時代に比べると
各国とも統治組織は整備途上、技術・産業も廃れ、農村が酷く疲弊していた小規模弱体な時代
戦国時代に関しては、出土品や当時の状況からみてもそれほどの誇張はないよ
>>241 鈴木のおっさんが書いた本はかなり信用性に欠けるw
252 :
世界@名無史さん:2009/12/06(日) 04:34:58 0
うむ
>>250 なんだそれw 孫子の結論はそんなんじゃないぞ。
>>248 孫子は負けないための方法は詳しく書いてあるんだけど、勝つための戦術は高いところが有利みたいな
ありきたりの事しか書いてないで、武将の応変の将略頼みだしね。
戦国時代は1州落とせば伝説的な名将と言われた時代だったから、この基準で考えると劉備や孫策でも
戦国時代なら伝説の名将レベルということになるんだよね。
>>254 理解がちょっとちがう。孫子の兵法はミニマックス法なんだよ。
相手の対応とこちらの手をとことん考え、こちらの損害が最も少ない最善手を取る。
で、相手が仮に間違いを起こしたら、それを徹底的に突く。
だいたい、戦術と戦略は明確に分けて考えなきゃ。戦略書に戦術書いていたら、旧日本軍の二の舞だ。
孫子には戦術論もたくさん書いてあるが?
というか旧軍が戦略書に戦術書いてたって何のことかサッパリだから詳しく
257 :
世界@名無史さん:2009/12/06(日) 13:20:13 0
>>255 当時の日本軍人達には、「旧弊」な孫子よりも、欧州発のクラウゼやらなんやらの方が受けてたけどな。
日本だけでなくクラウゼヴィッツは世界中の軍隊の近代戦理論の基本になってるが
それには普通に戦術と戦略がごちゃ混ぜに併記されているし
そもそも戦略と戦術の明確な境目なんか無いんだから
>>256みたいな物言いは意味不明であるばかりでなくお笑い種。
259 :
世界@名無史さん:2009/12/06(日) 14:29:39 0
>>256 孫子に戦術論を語ってる部分なんて無いよ
戦争論も戦術と戦略は厳密に区別するのは不可能と言いつつ、戦術論はほとんどないし
>>259 それは実際には全然読んでいないか、
単に戦略と戦術という概念を理解していないかのどちらか。
孫子の勢篇なんて丸ごと戦術論といっていいし
クラウゼヴィッツの戦争論では
「戦略は本来戦闘だけに関するものであるが、戦略の理論では、戦闘の本来の担い手である戦闘力とその主要な特性についても考察されなければならない。
というのは、戦闘は、戦闘力によって生み出され、戦闘の結果はまず戦闘力に影響を与えるからである。」
として具体的な戦闘における戦術各論についても詳細に分析している。
日本で読める戦争論(クラウゼヴィツ学会訳)では具体的な戦闘についての記述は煩雑だから
大部分略されてはいるが。
ま、孫子は確かに戦術の記述もあるが、章ごとに戦術を戦略に分けられてるよな。
>>251 秦の白起の40万人生き埋めも?
確かに戦場跡から大量の人骨がでたそうだが、7カ国のうちの一国だけでっていうのはちょっと信じがたいんだけど
>>236 俺の知る限り三国時代に一回の戦争で動員された最大兵数は魏(司馬昭)が諸葛誕と戦った時の魏の26万人
三国志演義だと70万とかあるけどねw
264 :
世界@名無史さん:2009/12/06(日) 22:17:24 0
>>264 236は俺じゃないんで俺に言われても困るね
あくまでも俺は251の戦国時代の記述は全て正しいとでも言うかのごとき書いたのが気になっただけだから
266 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 04:49:10 0
265の感性では
出土品や当時の状況からみてもそれほどの誇張はない=記述は全て正しい
に解釈されるのか、凄いな
孫子の兵法で一番好きなのは、戦わずして勝つのが最上ってとこだな。
古今の筋肉ダルマどもはすぐ戦おうとしていかん。
268 :
世界@名無史さん:2010/01/01(金) 13:26:12 0
>>267 漢・唐・宋・明「遊牧民はどうしたら戦わずに勝てますか」
戦わずして勝つのが最上
戦国三大暗殺者の一人最上義光のことなんだね
271 :
世界@名無史さん:2010/01/01(金) 14:19:51 0
耐え忍んで相手が弱体化するまで待つ(自分達の方が先に弱体化する可能性あり)
>>269 夷をもって、夷を伐つ。
元町秘史でも、テムジンの敵は結構いるんだよね。遊牧民側に。
>>267 孫子は極論として「戦わずして」と述べているだけ。
その文意は同じ成果が得られるなら
こちらの損害が少ないほど利益が大きいという
当たり前を説明しているにすぎない。
むしろ孫子を著した孫武は
積極的に戦争を行なって外的を打ち破り続ける事で
呉を春秋時代に覇を唱える強国にした武将。
避戦が最上なんていう謝った解釈をすれば
孫武は落第ということになってしまうわな。
最上は「暗殺を成功させること」であって
「戦争を避けること」ではないものな
273のいうとおり「戦わずして勝つ」を額面通り受け取って
戦うのをおろそかにしていたら国が滅びる
「夷をもって、夷を伐つ」もこちらが介入できるだけの軍事力があればいいが
それがないなら最終的に勝者が出てかえって危険
権謀術数だけだとダメだね、力がないとな
>>266 何倍くらいまでならそれほどの誇張は無いことになるんですか?
2倍? 3倍? 10倍?
2.5倍だな、イスラムは5倍、ローマは10倍、キリストの教えは50倍
桶狭間の戦いが終わって何十年も経たないうちに
「今川軍6万vs織田軍500!信長超スゲエ!」
とか無茶な法螺を吹く奴が出現していて
「たかが東海三ヶ国で6万も動員できるわけねえだろドアホ」とか
「500で勝てるわけねえだろ池沼」とか
桶狭間リアルライム組が一生懸命突込みを入れていた、
という心温まる史実
279 :
世界@名無史さん:2010/02/05(金) 16:43:44 0
歴史なんて誇張されるもんだろ
280 :
世界@名無史さん:2010/06/01(火) 22:48:16 0
>>278さんの言うリアルライム組というのがどんな組織なのか
真剣に5分ほど考えてしまいました。
戦わずして勝つってのは、あくまでも陰で最良の行為をとり続けることが前提なんだよ。
ゲーム理論でいうミニマックス法の態度じゃないと、意味がない。