274 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 22:02:31 0
275 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 22:08:10 0
しかし中央日報も日本向けの報道で自国の食文化のつごうわるいところは翻訳していない。
いつもこんな事ばかりしている。
ニュース極東などでは、朝鮮語、韓国語に詳しい記者がいてあちらの未翻訳のニュースを
できるだけ翻訳しているんだよ。
変に識者ぶって差別や偏見云々というなら、最初からすべてをさらけ出してからいうべきだ。
息を吸うように嘘をつくからおかしいといわれる。当たり前の話だよね。
276 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 22:10:03 0
>>261 韓国では馬も鯨も食ってるぞ。産経の黒田記者が取材して記事にしてる。 韓国人に非難されるいわれはありません。
>>269 奈良時代から明治維新までの日本人が肉食したわけがないだろ?
嘘つき野郎
マタギは日本人じゃないんですね、分かります。
犬喰いも人喰いも文化だからなぁ
無闇に容喙するもんじゃねぇやな
江戸でも生類憐れみの令で廃れるまでは町人や武家奉公人がよく犬食していたらしい。
薩摩のえのころ飯はどれだけ普及していたのかよくわからないようだけど、
薩摩・大隅ではごく普通に犬を食べていたし、奥羽の人も食べていたと言われる。
薩摩・大隅以外の日本では犬食が食文化の一つとはいなかったが、犬食がよりタブー視されるようになったのは、明治になって西洋の考え方が普及してからと言われているね。
中国、台湾、南洋諸島の人たちも犬を食べてor食べているし(香港はイギリス植民地だったから早々に禁止。台湾は確か90年代に禁止)、
非難するほどの問題ではないような気がする。
カニバリズム(つーより同種食い)となるとクロイツフェルト・ヤコブ病や類似した脳障害を起こしやすいらしいから危険らしいがw
子供のころ見た時代劇で犬U^ェ^Uを喰ってた。
三船敏郎の宮本武蔵だったかな?
みなしごが侍にご馳走してた。
だから江戸時代は普通に犬U^ェ^Uを喰ってたと思ってたよ。
アカイヌは体があったまるそうだ。
282 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 09:19:38 0
283 :
梵阿弥:2008/10/20(月) 19:25:35 0
>>1 この前
>>40で紹介された『ヒトはなぜペットを食べないか』を見付けました。
えのころ飯の所しか読んでませんが、「いか飯」の様な物か、と書いてました。あれは飯を取り出さず、
烏賊の身ごと食べますね。おかしいな、と思いWipeを見ましたが、
>米飯を取り出し食べる
の根拠が判りません。蜀山人の引用部にはそれらしき表現は在りませんよね。
そうなると
>>249の人の、肉も食べたという見方が正しそうですね
285 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 09:50:32 0
★日本人は犬食が大好きだった★
大道寺友山の『落穂集』には、
「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。若したまさか見當り候へは、
武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、
賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、
見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)と記されている。
「犬が居たとすれば、『これ以上のうまい物はない』と人々に考えられ、
直ぐに食われてしまう」ような状況であったのである
★さらに猿すら食う日本人★
幕末に日本を訪れたイギリス人ロバート・フォーチュンは、
店先に皮を剥がれた猿がぶら下がっているのを見て
「実に気味の悪い姿だった。日本人はどうやら猿の肉
をきわめて風味のあるものと思っているらしい」と書き記している。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-35.html
薩摩最強でごわす
287 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 21:36:46 0
犬って美味いんすかね?
なんか角ばっててあんま美味く無さそうだけど
兎の方が美味そうだ
288 :
世界@名無史さん:2008/12/06(土) 07:59:20 0
289 :
世界@名無史さん:2008/12/24(水) 00:25:29 O
半年どころか一年近く経ってるわけだが
薩摩最強でごわす
293 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 12:50:50 0
294 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 12:59:12 0
俺がたてたスレがまだ続いていてビックリした
296 :
世界@名無史さん:2009/02/13(金) 13:19:42 O
わんわんお
わんわんお
わんわんお
わんわんお
わんわんお
わんわんお
297 :
世界@名無史さん:2009/02/14(土) 14:27:47 0
298 :
梵阿弥:2009/02/19(木) 20:30:12 0
299 :
世界@名無史さん:2009/03/12(木) 19:24:35 0
300 :
世界@名無史さん:2009/03/22(日) 01:36:40 0
戦後ちょいまで普通に犬食ってたってじいちゃん言ってたな
秋田犬なんて戦後食われまくって全滅しかけたって話じゃん
ヘレンケラーが秋田犬の恩人扱いされているって話もそういう事情加味するとリアルになるよ
301 :
世界@名無史さん:2009/03/22(日) 04:27:58 O
幕府と奥州を中心とする諸藩の苛政の結果
江戸時代の終わり頃には百姓の体格は原始人の縄文人以下になってたらしいが、
そうだとすると、えのころ飯で動物性たんぱく質を摂取できていた薩摩人が
戊辰戦争で恐れられていたという事実もむべなるかなと納得できるな。
302 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 02:36:48 0
16世紀以降の生産性向上の結果
江戸時代の終わり頃には百姓の暮らしぶりは一般の武士を凌いでいたらしいが、
そうだとすると、シラス台地で近代まで痩せた土地に暮らしていた薩摩人が
えのころ飯で動物性たんぱく質を
摂取していたという事実もむべばるかなと納得できるな。
ちなみに薩摩人が格別に戊辰戦争で恐れられていたという事実はないけどね。
303 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 00:08:00 O
>>302 >16世紀以降の生産性向上の結果
>江戸時代の終わり頃には百姓の暮らしぶりは一般の武士を凌いでいたらしいが、
それ札差の話だろ。
大多数の農民は北朝鮮人民状態。
>ちなみに薩摩人が格別に戊辰戦争で恐れられていたという事実はないけどね。
そうなのか?
司馬小説のシンパが流したデマだったのか…。
>>302 シラスの台地なんてタンパク質とカルシウムが豊富そうだ
塩気が多いのがたまにきず
305 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 13:58:54 0
塩分が多い土地ではまともな農作物そだたんだろ
306 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 17:41:03 0
俺はシラス台地だけでご飯三杯はいけるね
>>302-303 薩摩は恐れられたってか、残虐性で嫌われまくったようだ。
会津では戦死した会津藩士の死体を埋葬することを禁じて腐るにまかせて晒し者にしたので、
会津の民衆からは「薩摩は鬼か」と言われ憎まれた。
308 :
梵阿弥:2009/05/14(木) 18:43:36 0
島津氏の霊獣は狐。初代惟宗(島津)忠久を産む時になぜか母は屋敷を追われ、
「狐火」に守られて産んだからです。狐と犬は似てる様に思いますが、領主も喰ったんですかね
309 :
世界@名無史さん:2009/05/16(土) 12:50:19 0
キタキツネはエキノコックスの寄生で有名だが、本州の狐は食って大丈夫なんだろうか。
そもそも、狸汁はよく聞くが、狐汁など寡聞にして聞いたことがない・・・お稲荷信仰(薩摩にもあるのだろうか?)
が日本各地に点在している事実を考慮すると、仏法伝来律令以前はいざしらず、
皆無ではないだろうが、今ひとつなじみがない。
310 :
世界@名無史さん:2009/05/16(土) 12:52:36 0
>>307 郷土史家の言い分は話し半分に聞いておくほうがよろしい。
wikiなどでも論争が続いているようだが、会津側もまあ領民に
それほど慕われてたかというと正直・・・・
311 :
世界@名無史さん:2009/05/16(土) 13:05:35 0
犬のおかあさん
312 :
世界@名無史さん:2009/05/16(土) 13:37:45 0
えのころ島ってのがあって
313 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 07:14:30 0
314 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 20:11:47 0
315 :
梵阿弥:2009/06/05(金) 16:13:23 0
>>309 解り難い文でしたね。すいませんでした。
島津氏にとって狐は霊獣だから、食べなかったと思います。
しかし犬は食べていたらしい。
>>1で領主が食ったと紹介されてますし、
>>40,
>>283の
『人はなぜペットを食べないか』でも食ったと書いてある。
しかし狐と犬は似てますよね。だから不思議に感じた訳です。言葉足らずでした。
狐鍋があったか、ですが、確かに余り聞きませんが、『本朝食鑑』でも取上げてます。
今の人は好んで食わないが
と書くからには、昔はもっと食ったと言う認識でしょう。
>>19の『日欧文化比較』の注記にも、四谷で狐や兎等を売ると在ります。
元は『嬉遊笑覧』に載っているらしい。
臭くて不味い、と言うのもそもそも食ってみないと判らない事です。だから
食うことも在ったでしょう。但し島津家臣は食わなかったでしょうが
316 :
梵阿弥:2009/06/05(金) 16:14:45 0
エキノコックスは、80年位前に礼文島や根室辺りで初めて確認されました。それ以前に日本列島で
無かったとは言い切れませんが、何れにせよ本州には縁が薄かったと思います。
但し近年は青森県や、果ては埼玉県でも感染した犬等が見つかることが在る。交通事情が
良くなった為でしょう。しかし突発的で、蔓延はしていない。
猶、日向都城に初代忠久の建てたという稲荷社が在ります。島津氏の稲荷信仰は
篤いものが在りました。何時だか忘れましたが、戦の時に「狐火」の御かげで勝った、
なんて話も在りました。
また、天明期に『大石兵六夢物語』という話が書かれました。「狐退治」に譬えて
島津の政治を批判したものです。詰り、島津と言えば狐。
狐がなぜ神聖視されるかですが、尾がふさふさしていて穂に似てるからでしょうね。
大抵、尾を強調して描かれます。何しろ「稲成」の使いですから
317 :
梵阿弥:2009/08/03(月) 16:18:12 0
>>308で書いた様に島津氏は惟宗姓です。しかし元は秦姓でした。
山城国紀伊郡伏見の稲荷社を始めたのも秦 伊侶具ですね。だから崇めたんでしょうか。
元は「伏水」だったと言われる様に、水神の性格を持ってます。だから「稲成」。
酒の名産地でもある。水と稲で造りますね。
また、狐は子育てに熱心です。従って人が「多産」の願を掛けるのに相応しい。
猶、狐と火との縁ですが、これも尾が豊かだから火に見えるという事でしょう
318 :
梵阿弥:2009/08/21(金) 15:17:51 0
島津は元は秦姓、と言うことは、渡来人ですね。
秦氏というと漢氏に対抗して古くからの雑多な渡来系を集めたという面が在りますが、
特に新羅系が中心です。
という訳で島津氏は朝鮮系。
鹿児島県には白木神社なんかも在ります。
一応、島津は源 頼朝の落胤、とか言ってますが捏造ですよね。
尤も江戸期の犬食いと直に関係は無いでしょうけど
>>307 会津藩士の埋葬を禁止したのは薩摩藩じゃないぞ。
死体から肝取ってたのは薩摩藩士だろうが。
320 :
世界@名無史さん:2009/09/26(土) 16:16:10 0
尾篭な話で申しわけないが、小さい頃、兄がおねしょに悩んでいた時、
励ますつもりなのか、親が、有名人たちの子供の頃のおねしょ話を集めた本を買ってきた。
そんな話の中に「赤犬の肉が効くと言って食べさせられた」とかいう談話があった。
今だと多分80歳↑の人たちかな。