軍板で質問があったのですが、
チャコ戦争に関する知識が無い人にお勧めな
何かよい資料(できれば日本語の)はありませんでしょうか?
パラグアイ側視点も含んでいるとベターっぽいのですが。
チャコ戦争単独ってのは日本語じゃ見たこと無いです。
洋書でも今のとこ見たこと無いです。今のところはやっぱり、
中川文雄、松下洋、遅野井茂男『世界現代史34 ラテン・アメリカ現代史U』山川出版社、1985年
が一番とっかかりやすくて情報量があるかと思います。
あと小説になりますが、アウグスト・ロア・バストスの『汝、人の子よ』は
パラグアイ側からの視点が出てるんで面白いかな。
余裕があれば同作者の『至高の存在たる余は』(かっこいい邦訳ですよね)とかも良いです。
ありがとうございます。
自分でも興味が沸いて調べてみたんですが、
結構面白そうですね。
保守
保守
223 :
世界@名無史さん:2008/07/25(金) 16:17:07 0
革新
224 :
世界@名無史さん:2008/07/26(土) 22:19:57 O
ケンブリッジで「Consice history of Bolivia」があるけどこのシリーズを訳して出してる創土社で日本語初のボリビア史は出ないかな。
フランス史が最近出たけどさ。
>>224 創土社だろ。マイナーな国を出せるほどの力は無い。
マイナーな国だと資料を探すのが大変そうだな
228 :
梵阿弥:2008/07/28(月) 20:22:05 0
>>213 ボクシングは良くてフットボールは駄目なんですか。偏ってませんか
保守
230 :
世界@名無史さん:2008/08/04(月) 04:07:00 0
231 :
世界@名無史さん:2008/08/07(木) 07:40:51 0
ウルグアイ。ブラジル国境付近のリベラ市はスペイン・ポルトガル中間言語・ポルトゥニョール・リベレンセ語(Portuñol Riverense)を話す
保守
保守
中道左派
235 :
世界@名無史さん:2008/09/04(木) 12:58:27 0
ペルー、エクアドル、ボリビアを統一し、その首都をクスコにしよう
独立戦争の時にミランダとかベルグラーノはそんな感じのこといってたんですけどねえ
237 :
世界@名無史さん:2008/09/04(木) 20:20:08 0
独立戦争の時には、
ケチュア語も公用語にする案もあったはずだが?
ペルー、ボリビアではケチュア語も公用語だな
239 :
世界@名無史さん:2008/09/07(日) 19:07:54 0
240 :
世界@名無史さん:2008/09/16(火) 11:19:01 0
驚愕の真実1:「ケチュア語はインカ帝国の公用語ではなかった!」:平民階級の使う言語とは別にインカ公用語があったが絶滅したらしい。
驚愕の真実2:「ケチュア語はスペイン植民地時代に拡大した!」:スペイン宣教師が布教用に使用したので他の先住民諸言語を消滅させて拡大したらしい。
驚愕の真実2:「ケチュア語はクスコ起源の言語ではなかった!」:クスコはインカ初期にはアイマラ語に近い言語であったらしい。
242 :
ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/10/10(金) 10:27:46 O
>>240 おお、なるほど。そう考えれば確かにケチュア語の方言の差が大きいのも納得かも
243 :
世界@名無史さん:2008/10/11(土) 09:10:16 0
「ケチュア」というのは、民族名でなく、山の高度区分のひとつ「ケチュア[地帯]」のこと。
>>242 そうかな? どのように普及したかの事実は別にして
論理は逆な気がする。
「スペイン植民地時代に拡大した」場合と、それ以前から広まっていた場合とを
比べると、前者のほうが方言の差は小さくなる。
>>244 確かにそういわれてみればそんな気もする。
言語事情にも言語学にも詳しくないので、詳しい方に色々語ってもらいたいです。
246 :
世界@名無史さん:2008/10/13(月) 07:44:31 0
チムー、シカン、ルパカにも独自言語があったんだよね。
ペルー・ボリビア・エクアドル・・・
なんでエクアドルには日系人がほとんどいないの?
ペルーボリビアにはおおいよね
248 :
世界@名無史さん:2008/10/21(火) 02:14:02 0
エクアドルには土地無い。
249 :
世界@名無史さん:2008/10/24(金) 02:10:46 0
エクアドルは、今世紀初めから戦後にかけて日本人の移民が組織的に行われた他の南米諸国(ブラジル、ペルー、ボリビアなど)とは違い、日系社会が極めて小さく、全部合わせても100名程度と言われています
(首都のキトが80名程度、グアヤキルが20名程度)。これはフジモリ大統領のペルーの7万人と比較しても極めて少なくなっています。
現地に住んでいる日系人は商社の南米担当を辞して居付いた人達などで構成されていますので、
概してフォルクローレに興味を示す人は少ないのですが、グアヤキルの小林りゅうへい氏は、エクアドルのクラシックギターの第一線で活躍しながら、
エクアドルやベネズエラなど中南米音楽の民謡のギター編曲を手がけるなど、
フォルクローレも演奏されています。
同氏の編曲した中南米音楽の楽譜は、確か現代ギター社という出版社から日本で発売されています。同氏は現在このシリーズの第2弾を発売すべく準備中でした。(同氏はスペインに渡りクラシックギター
の巨匠セゴビアなどから教授された後、もう20年以上もグアヤキルに滞在しています)
252 :
梵阿弥:2008/12/19(金) 17:15:23 0
>>213 クラブ世界杯でエクアドルから来たリガ・デポルティバ・ウニベルシタリア(リガ・デ・キト)が
北中米カリブ海代表のメヒコのパチューカに勝って決勝に上がりました。
>>212の「リベルタドレス」というのは「解放者」という語で、ラテン・アメリカの独立運動の
指導者のことです。特にシモン・ボリバルに捧げられました。
と言う訳で、歴史的背景を持つ大会名です。南米を代表して欧州勢に挑む。
しかし反響無かったところを見ると、誰も興味無かったみたいですね
253 :
辺無宇々悟 ◆eaYqa3SeLE :2008/12/22(月) 04:05:27 O
久々にレス。
>>247 エクアドルにはペルー・ボリビアのアマゾンが日本人吸引したようなゴムブームがなかったことや、
>>248さんの言うように、先コロンブス期からの人口密集地でブラジルみたいに良い土地がなかったことが原因では。
また債務不履行したらしいけど、早くも反米国家から脱落するのかな。
254 :
世界@名無史さん:2008/12/22(月) 06:04:52 0
>>251 むしろまだ生きていたんだと…
パントーハも死んだ、ユパンキも死んだ、生きているのは
メルセデス=ソーサくらいだなぁと思っていたので…
後者二人はアルゼンチンだから微妙にスレチか
後者二人もアルゼンチン北西部のサルタらへんのZサンバが得意レパートリーだったから、
全くスレ違いってわけでも無いと思うお。あそこら辺は綺麗で豊かなボリビアって感じだから。
また話はずれるけど、音楽の趣向だとエクアドル・ペルーはサルサ文化圏になってて、ボリビアが飛び地的にクンビア文化圏なのが興味深い。
256 :
世界@名無史さん:2008/12/22(月) 21:21:35 0
>>255 こんなところでフォルクローレの話が出来るとむちゃくちゃ嬉しくなるからやめてくれw
音楽は言語と違って日常で使うものではないから、
「誰が伝えたか」でえらく違って来ると思う。
ボリビアって音楽的にはものすごくちぐはぐなイメージがある…
ものすごく「ラテン的に」洗練された高地地帯と、
ものっそ泥臭い大河地方と。
「インディア」なんて、スペイン語の壊滅的な音楽性もあいまって、
聞いた瞬間にこれ何て日本の民謡?と思ったもんだw<すごい好きだが
257 :
世界@名無史さん:2008/12/22(月) 21:33:57 0
チャールズ・ミンガスが最後に興味を示したのがクンビアだったね
肌の黒くない黒人だったミンガスはノガレスの生まれで両親はおそらく不法移民
ラティノの血だろうとは想像ついたけど民族の血が最後に求めたのがクンビア
>>256 たまにユパンキとかリリアナエレーロとか聴くぐらいしか知識ないけど、ボリビアって何か周りの国とは違う気がする。
何が違うかわかんないけどwフォルクローレっていろいろなリズムがあって楽しいですよねw
>>257 クラッシュのジョー・ストラマーが死ぬ直前にハマってたのもクンビアだったから、
スコットランドのハイランドケルトとも何か親和性があるかもと思っております。
259 :
辺無宇叫 ◆eaYqa3SeLE :2009/01/10(土) 03:20:49 O
ホルヘ・サンヒネス監督、ウカマウ集団政策のボリビア映画『地下の民』を視聴。
感想、アルティプラーノのもの寂しい光景とアンデス山脈の映像が美しい。肌寒さを感じずに見るボリビアのなんと美しいことか。
映画内のボリビアの都市のあり方は近代以降の都市と農村の関係のあり方を、最も根元的なところで示しているんだろう。
1967年にボリビアの農村部住民がゲバラ軍に合流しなかったのも、共産主義が西欧=都市のものでしかないと見抜いてたからであり、
「白人ゲバラは先住民との接触に失敗した」という言葉の意味はそういうことなんだろうと考えさせてくれる映画だった。太田昌国氏に感謝。
260 :
ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2009/01/19(月) 20:51:40 O
よく考えたらペルーの初代元首はアルゼンチン人で、ボリビアとエクアドルの初代大統領はベネズエラ人なのか。
エルサルバドルの初代大統領はホンジュラス人だし、アンダーソンもナショナリズムの鍵をラテンアメリカに見たわけだ。
261 :
世界@名無史さん:2009/01/19(月) 21:33:28 0
・天野博物館は素晴らしい
・インカコーラは黄色くて驚くが味は普通
・マテ茶は美味いものじゃない
・インディオは体を洗わないからホームレスの臭いがする
・国境を越えてボリビアに入ると道がボロボロ
262 :
世界@名無史さん:2009/01/20(火) 01:27:36 O
インカの方がおいしく感じるから不思議。マテは最初雑草の味だけど、段々病み付きになる。
263 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 11:15:11 0
264 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 11:33:25 0
エクアドル経済の生命線といえる石油収入は、実はそのかなりの割合が必ずしも
透明とはいえない形で軍に流れている(ガーラッチによれば、その割合は石油輸出が
開始された1972年から2000年までの期間を通じて45%にのぼるという
陸・海・空の三軍はその豊富な資金を利用して航空会社(TAME)の経営など様々な
ビジネスを展開しているが、その意味でエクアドル軍の上層部は、多少の皮肉を
こめていえば、立派な「ビジネス・エリート」でもある。先住民に対するエクアドル軍の
姿勢は、1995年に勃発したペルーとの国境紛争を境に変化してきているとの指摘がある。
セネパ川上流域の戦闘において、エクアドル軍は周辺地域を熟知する先住民シュアールの
(とりわけゲリラ戦の訓練を受けたことのある現役・退役軍人たちの)知識と
技術に少なからず依存したことがあったからだ。ホイットンによれば、この戦闘を
きっかけに先住民に対する敬意の念が軍の中堅・幹部にも広がり、国内全般の
空気としても「ナショナリズム的精神が昂揚する中で」文化の多様性がプラスの
イメージを帯びるようになったとのことである。2000年の政変において示された
先住民とエクアドル軍(さらには一般の国民と)の連帯、そこにはこのような
事情も背景としてみてとることができる。
エクアドル軍はロドリゲス将軍の革新軍政期の改革と、
戦後長らくペルーの圧力から国家を防衛してきたこと、軍企業の利益から出る奨学金などから
今でも先住民に限らず、一般国民からの信頼が厚いみたいですね。
いつの時代でも文民政権に録なのがない国だからある種そうなるのも必然なんですかね?
にしてもペルーはワスカルやラモン・カスティージャの時代からエクアドルと戦争してる。
>>265 日本も、大正デモクラシー→軍国主義化という道をたどりましたっけ。
1941年
ペルー、アマゾン低地(エクアドル東部平原地帯・オリエンテ)に侵攻する。
エクアドルの領土面積の半分近くを奪う。
1942年
エクアドル、リオ・デ・ジャネイロ議定書に調印(保障国はアメリカ合衆国、
ブラジル、アルゼンチン、ペルー)し、領土割譲を認める。
この時、金や原油があるコンドル山脈はペルー領内に組み込まれる。
1960年
エクアドル、リオ議定書のコンドル山脈付近の国境確定内容が曖昧であるとして、
議定書の破棄を宣言。
1978年
エクアドル、ペルー侵攻を始める
1983年
エクアドル軍、再びペルーに侵攻
1995年1月
エクアドル軍とペルー軍が国境で衝突。双方、数百名の死傷者を出して停戦。
翌月、休戦調停が調印される。
>>265 エクアドルは10を超える脆弱な政党が乱立しているし、植民地時代まで遡る
グアヤキル(海岸地方)とキト(アンデス高地)の根深い対立もあるし、こういう
国で安定した文民政権をうちたてるのはかなり難しいでしょうね。
エクアドルが独立した1830年以降、政権を担った主体(大統領・暫定大統領・
軍事評議会など)は2000年までの段階で111にもなります。
エクアドル軍は先住民運動への対応も、他のラテンアメリカ諸国に比べると
非常に穏健に見えます。
2000年にエクアドルで政変が起きた際、軍はマワ政権の命令を聞かず、
一般国民や先住民と連帯したぐらいですし。