カリブ海諸国の大雑把なスポーツ史
1744:英でクリケットがルール整備
1754:栄でクリケットをジョージ2世が許可し各植民地にも普及
1802:英でクリケットがプロ化
1803:米でクリケットがプロ化
1839:アマチュア規定で芸能職工鉱夫排除つまり地主と農民(出稼兼業含む)だけOK
1846:米で野球開始
1858:英で最初の真円球11人制ルールのフットボール
1860年代:中南米カリブ地域に野球伝来、米でアマ野球選手にクリケットルールで惨敗し米プロクリケット廃れる
1870:米で野球がプロ化
1871:英FA杯を楕円球で手を使わないルールで開始
1876:英でフットボールからラグビーとサッカーとオージーボールが正式に分化
1877:スコットランドでサッカーがプロ解禁、カナダで野球がプロ化
1878:英でサッカーがプロ解禁、英FA杯が真円球11人制ルールに
1885:米でアメフトがプロ化
1889:ブラジル始めこの頃に中南米カリブへサッカー伝来
1891:米でバスケ開始しこの試合に日本人参加(前JBL会長の祖父)
1892:デンマークでハンドボール開始
1895:英と豪でプロ化したラグビーリーグ開始
翌年の五輪開催に向けてYMCAがスポーツ普及開始し、
サッカーやバスケやハンドがカリブ海地域始め世界に拡散
1897:米でバレーボール開始
1898:西から独立したキューバで野球がプロ化(〜1961)、西インド諸島でクリケットがプロ化
1907:カナダでアイホがプロ化し現行NHL開始
1919:ベネズエラで野球がプロ化
1920:米でプロアメフトNFL開始
1924:蘭で野球リーグ開始し最初からカリブ出身等によるプロ契約選手が存在
オーストリアでサッカーがプロ解禁
1925:メキシコで野球がプロ化
1929;メキシコとその旧宗主国スペインでサッカーがプロ化
1930:米でインドア野球又はカッチンボールを公募でソフトボールと命名
1932:仏(とウルグアイ)でサッカーがプロ解禁、仏植民地では下層民が唯一のプロ団体球戯サッカーへの人材集中開始
1936:五輪で最初のバスケ実施しメキシコ銅で日本9〜14位
1942:米でバスケがプロ化
1956:蘭でサッカーがプロ解禁し同時にアヤックスでユース制度開始
1961:キューバ革命でプロ野球が公務員ステートアマに
1962:英連邦西インド諸島からジャマイカとトリニタードトバコ脱退し独自展開
1964:バレーが五輪で実施し男子で日本銅で蘭6位
1966:テニスがプロ解禁
1970:メキシコで世界サッカー開催しホンジュラス出場
1972:ハンドが五輪で実施、日本11位
1974:サッカーW杯でハイチが出場
1975:クリケットW杯で西インド諸島優勝
1977:バスケでダンクシュートが解禁
1979:クリケットW杯で西インド諸島優勝
1981:五輪でほぼ全種目プロ解禁
1987:英と仏でバスケがプロ解禁
1992:五輪で野球実施、キューバ金日本銅で米4位プエルトリコ5位ドミニカ6位
1993:ベネズエラでバスケがプロ化
1995:ラグビーがプロ解禁
1997:野球の国際大会でプロ解禁
1998:サッカーW杯でジャマイカが出場
2000:メキシコでバスケがプロ化
2002:サッカーW杯でコスタリカが出場
2006:サッカーW杯でコスタリカが出場
2007:西インド諸島でクリケットW杯開催
2008:五輪でジャマイカが短距離王国をアメリカから奪取
>>205 視羅(Silla)乙
日本語では貴重な、西インド諸島クレオール関連のコラム
週刊新潮2008/09/25号の高山正之・変見自在・白人の一滴
「文明の衝突」の沙ミュエル・ハンティントンは日本の異質さを「それはもうハイチと同じだぜ」みたいな言い方をする。
(中略)
いずれにせよ他の黒人国家よりは一世紀半も早く独立し、生意気にフランス語をしゃべり、自分の宗教を持つ異質さを残した。
ハンティントンはそれが小面憎い日本みたいに見えたのだろう。
ただ日本と徹底的に違うのが政治的安定性だ。
(中略)
それにHIVもあるとハンティントンは顔をしかめて付け加えるだろうが、それは貧困に付け込んだ米国の小児性愛者がここに遊びにきて子供たちを買い漁った結果だ。彼は白人の醜さには触れない。
実をいうとここの政治的不安定さも元は白人が持ち込んだものだ。そのヒントがクレオールになる。
本来はルイジアナとか新大陸に棲みついたフランス人を指す言葉だが、転じて彼らが黒人女に産ませた混血児を言う。
モンテスキューは「黒人は金貨よりガラス玉が好きだから人間のはずがない」つまり家畜だと言った。クレオールはその家畜に産ませた子というわけだ。
ここからが日本人には理解しがたいところだが、白人の血が一滴でも入れば、半分家畜でも二階級特進して一揆に白人扱いとなる。
211 :
210:2009/10/03(土) 16:20:36 0
オーストラリア人はアボリジニを家畜扱いしてきた。
(中略)
そして妊娠すると豪州政府が出てきて母と子を引き離し、子供だけを白人世界に引き取る。いわゆる隔離政策というものだ。
白人の一滴は有色人種にとって白人社会へのパスポートというわけだ。
これがハイチに混乱をもたらした。子の口が独立(AD1804年)した時黒人奴隷は45万人で黒白混血児は2万人ほどいた。彼らは仲良く共存していたわけではなかった。
混血児は「農園の三分の一を持ち、黒人奴隷の四分の一を働かせていた」とハイチ史にある。
混血児で初代大統領になったジャン・ピエ−ル・ポワイエはパリに留学している。まさに白人扱いだ。
独立後の血塗れの政争は、平たく言えば白人の血が一滴入っているかいないかの二派の争いだった。
例えば冷戦時代のハイチを牛耳った独裁者デュバリエ。彼は実は一滴も入っていない。彼は黒人主義を掲げ国旗まで変えた。
それまでの秦はフランスの三色旗から白(白人)を抜いた青赤の二色だったのを黒人を示す黒と血の赤の二色にした。
しかし反白人主義は(白人と特アに)嫌われる。デュバリエも血に飢えた独裁者に独裁者にされて失墜し、旗も元通りにされた。
ジンバブエのムガベもまた一滴も入っていない組で、彼の黒人主義も(白人とそのシンパ等の経済制裁による猛烈なインフレで)潰されかけている。
米国初の黒人大統領になるかといわれる(08/09/25現在)オバマ氏は母方が白人で、だからこういう心配はない。
高山正之かよ
こいつ平気でソースに書いてないこと捏造したり事実誤認を垂れ流すから嫌い
214 :
梵阿弥:2009/12/16(水) 14:59:45 0
選手:迷国875/ドミニカ共和国137/ベネスエラ83/プエルトリコ28/カナダ20/日本16/メヒコ15/
クーバ11/オーストラリア10/パナマ7/蘭アンティル6/韓民国;コロンビア;台湾;ニカラグア4/
ドイツ;ネデルラント2/コスタ・リカ;ジャマイカ;ブリテン1/不明1
監督:迷国25/クーバ;ドイツ;ドミニカ;フランス;ベネスエラ1
別冊宝島『メジャーリーグパーフェクトデータ選手名鑑』刊:2009年3/17 より
2月時点での所属球団未定選手も同書には掲載
大リーグ所属者の国籍です。少しは数え間違いも在るかも知れません。
ドミニカ共和国は本当に多いですね。
カナダはトロント・ブルージェイズが在るものの、日本より少し多い位。
クーバの場合は、亡命を警戒して、渡航制限が在るんでしょう。
ドイツ/ネデルラント/ブリテン人選手、ドイツ/フランス人監督は意外です。
テレビ放映権料を意識して採ってる可能性も在りますね。
自国選手が居るから視る、という人も多いでしょう。応援品も売れるし
215 :
梵阿弥:2009/12/16(水) 15:03:59 0
この前
>>199に書いた、現迷領ヴァージン諸島の購入価格なんですが
この度出た『デンマークを知るための68章』を立読みしたら
25万ドル(金48トン)と書いて在りました。
2500万ドルというのは、世界再発見3『南アメリカ』刊:同朋社出版
に載ってました。2桁も違いますね。一体どう成ってるんでしょうか
>>200 おかしく成ってしまいますか。
貴方はいかれているんですか。
宜しければ、マルティニクに於ける、
産業が無くても生きていける面白さに付いて書いてみて下さい。
楽しみにしてます
英語版wikipediaには出典なしで$25 millionとあるが
デンマーク語版でも同じ
218 :
世界@名無史さん:2010/02/02(火) 15:04:57 0
219 :
梵阿弥:2010/05/19(水) 15:19:24 0
>>173 マルティニクと違い、グァドループは独立要求が強いですね。
この違いを考えるのは面白い
>>202 そもそもは「元居た場から新大陸に移されて、2世以降と成った家畜/奴隷」
の意味で使われましたからね。次いで
>新大陸で生まれたヨーロッパ人
の意味と成りました。だから、割と蔑称でした。
因みにカスティリャ語で"crio(a)"は「子供/赤ん坊」の意味です。
故に例えばシモン・ボリバル達は
・先住民/奴隷に対して「エスパニャ人」
・欧州に対して「アメリカ人」
と自称しました。
但し今のラテンアメリカでは「生粋の自国民」といった意味も持ちます。
コロンビアでは何故か「臆病な」という形容詞としても使われます
220 :
世界@名無史さん: