故山本七平氏の「アラブ史教科書」を一部省略要約してお目に掛ける。pp218−248
1517年オスマン・トルコが中東に覇権を確立した。それ以後第一次世界大戦後
1917年までの400年間にわたり、中東にはトルコ帝国の支配が続いたのだ。
この間に、いわば中東はトルコ化されたと言える。
これは北条早雲から大正時代までの日本史に相当し、その最大の違いは、
日本の政権が、純然たる世俗政権であったことだ。つまり日本の政権は、
近代国家の政権と変わらない。
一方の中東の現在はトルコ化された400年の状態を残している。中東が近代化
するとは、トルコ化と西洋文化の織り成す変化であり、その変化こそが中東の
未来を予測する鍵になる。
山本氏は、最も参考になるのは、トルコとレバノンであると書いている。
トルコは第一次大戦の後、ケマル・アタチュルクによって徹底的な近代化が
行われた。それは、宗教体制の廃止から文字改革にいたる徹底的なもので
あった。中東でこのような徹底的な変革を成し遂げた国は他にない。トルコ人
は「ケマルだから出来たのだ」という。
だがそのケマルにも出来なかったことが一つあった。それが農地改革である。
中東では、土地に手をつけたものは失脚する。イランのパーレビ帝もそれで
失脚している。ワクフ制に基づいて、土地がモスクに預託されており、地方が
宗教勢力と固く結びつく原因になっている。これに手をつけるのは不可能に近い。
トルコには現在2万8千人の大地主が居り、その地域を支配し、彼等は、
一般人とは隔絶した豪奢な生活をしている。この寄生地主のもとに、姿形
こそ新しいものの、武官イエニチェリ、文官エフンディ、法学者ウマラーが
取り巻きを形成し、社会を支配し続けているのである。これがトルコの
諸問題の原因を作っている。