>>31 カトリック陰謀事件
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カトリック陰謀事件(-いんぼうじけん、Popish Plot)は1678年?1681年、イングランドのカトリック教徒が国家転覆の陰謀を企てているという陰謀の捏造と、それに伴う集団ヒステリーの事件・社会現象である。
2年半にわたってカトリックを敵視した立法・裁判が横行したが、陰謀がまったくの捏造であったことがわかると、ゆきすぎから反動をおこして反カトリックを鮮明にしているホイッグたちの地位を低下させた。
鎮静化
オーツは2年半にわたって我が世の春を謳歌したが、1681年の秋になると当初のヒステリー状態は鎮静化してきていた。次第にオーツの主張は信憑性を失い、逆に自分が偽証罪の容疑で裁判にかけられることになった。
裁判の結果、オーツは首枷つきでさらし台に載せられ、市民の投石の的になったが、死刑は免れた。
こうして、無実のカトリック数十名を斬首に追い込んだ張本人であるオーツは死刑を免れたばかりか、名誉革命後は年金を得て裕福な晩年を過ごした。
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