676 :
世界@名無史さん:
【前史】
ベトナム戦争の源流は実は、コミンテルンによる日本破壊作戦にあった。
昭和7年、ソ連の支配するコミンテルンは「32年テーゼ」を発表。
日本を貶めるための大作戦を開始した。
これは、東亜細亜において、
ソ連・共産主義の侵略を食い止められる唯一の国家が日本だったからだ。
亜細亜におけるモスクワの代理人は毛沢東率いる中共だった。
昭和12年、北支の蘆溝橋において、中共の謀略によって日支事変が始まった。
毛は、日支両国を戦火に陥れることによって、9億の支那のマンパワーをもろに
我が国にぶつけ滅ぼそうとしたのだ。
しかし、日本軍の前に支那軍は連戦連敗、毛は悪名高い
「便衣兵戦法」(今で言う無差別テロ)を繰り出すも、歯が立たなかった。
昭和14年。黒幕であるソ連は、壊滅寸前にあった中共を救うべく
正規軍による侵攻を図った(ノモンハン事件)。
20万の大兵力の機甲部隊による完全な奇襲にもかかわらず、
日本の関東軍はよく耐え、逆に敵に5万の人命と8百輌以上の戦車の損害を出させて敗走させた。
677 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 14:18:01 0
【迫り来る嵐・序章】
ここにおいてあせったモスクワは、対日本の戦線を、
支那のさらに南、インドシナに置く事にした。
モスクワの指令により、延安から2人の中共工作員が派遣された。
胡志明(本名・阮達体)と武元甲の2人である。
「ホー・チ・ミン」「ボー・グエン・ザップ」
と名乗ったのだ。
彼らの目的は、東南亜細亜における赤化勢力を育てること、
蒋介石への援助ルートを維持すること、
日本のみならずモスクワの邪魔になる政治勢力
(フランス、ベトナム民族主義者)を滅ぼすことであった。
彼らはコミンテルン東南亜細亜支部であるベトナム共産党(略称ベトコン)を結成、
日本が仏印進駐によって、多くのベトナム民族主義勢力を支援しても、ひたすら逆らい続けた。
大東亜共栄圏構想にのっとり、日本がベトナム帝国独立政府を復活させても、
ベトコンは逆に中共じこみの便衣兵戦法でこれに反対したのである。
あくまでベトナムに必要なのは「モスクワのロボットたるベトコン政府」だったからだ。
678 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 14:19:01 0
【迫り来る嵐・間接侵略の章】
昭和20年。日本がポツダム宣言を受諾。
しかし、日本が亜細亜各地に播いた「独立の種」は、
インドネシア、マレー、ビルマ、フィリピン、インドと育っていた。
ここベトナムにおいても、宗主国フランスは、ベトナム帝国政府を無視できなかった。
これを気に入らないのがモスクワ、中共だ。
ベトコンに指令が下った。大日本帝国無き今、拠点を築くチャンスだ!
得意の便衣兵戦法でフランス、ベトナム両軍を苦しめる。
しかも、悪いことは重なるもので、昭和24年、中共がついに大陸を赤化。
余裕ができたため、朝鮮と同様に大量の中共義勇軍を派遣してきた。
この中共兵による人海戦術により、昭和29年、仏軍ディエンビエンフー基地が
陥落、仏軍の撤退が決まった。
679 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 14:20:09 0
【謀略の章】
仏軍の撤退によって、ベトナムにはサイゴンのベトナム共和国政府、
ハノイのベトコン政府の2つの政府が並び立つことになった。
ハノイは国内で独裁政治を実施。宗教を禁止、秘密警察が国民を監視、
経済は共産主義化され多くの人が粛清された。
各地にはホーの巨大な銅像や記念物が大量に建てられ、個人崇拝が強要され、
「ホーチミンはベトナム人。 20代のころから抵抗活動をしていた」との宣伝がされた。
一方、共和国政府統治下の南部には、
北の圧制を逃れて大量の難民が流入してきた。
この混乱をハノイが見逃すはずは無い。
ハノイにはソ連・中共から大量の兵器と、
両国正規軍からの兵員を受け取り、近代的な軍隊をつくるとともに、
南部ベトナム武力併合・赤化のための指令が下った。
すなわち。
第1段階・難民に化けた破壊工作員を南部に潜入させ、
無差別テロを実施。社会インフラを破壊し社会不安を煽る。
第2段階・スペツナズ部隊を派遣、共和国政府の要人を暗殺、政治混乱をつくる。
第3段階・ソ連・中共の大部隊がベトコン正規軍の制服を着て一気に南下。武力占領する。
680 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 14:21:27 0
【地獄の戦場の章】
この計画にもとづき、南ベトナムでは連日爆弾テロが発生、
ガス、水道、電気、電話などインフラを破壊されたほか、
国会議員、医者や教師などインテリも無差別に暗殺された。
共和国政府はついに、米国と相互援助協定を結び、
軍事顧問を招くなど対テロ戦争に乗り出した。
米国の支援・参加によって、モスクワの計画は多いに狂った。
あせった彼らはそこで米兵や施設に対する無差別テロに乗り出した。
テロに屈しない米国は、逆にテロの策源地である北ベトナムを爆撃、
A4スカイホークやA8イントルーダー、B52が次々ベトコン基地を破壊した。
F4ファントム戦闘機はミグをバタバタ叩き落した
陸軍、海兵隊やグリーンベレー、シールズは、
麻薬で感覚を麻痺させる自爆便衣兵や、侵入してくる共産側正規兵を次々倒した。
そこで、ボーは一大反撃作戦「テト攻勢」を発動。
昭和43年1月の正月、南部の各都市に総攻撃をかけた、
中部のユエでは自由主義者を大量虐殺。
サイゴンでも警察長官の家族を皆殺しにするなど皆殺し作戦を展開したが、
防衛の意思の硬いベトナム共和国、米両軍に大敗北をした。
681 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 14:22:56 0
【獅子身中の虫章】
この大敗北にあせったモスクワはそこで、宣伝戦に乗り出した。
日米両国のブサヨク、プロ市民、マスゴミに工作資金を渡し、
いわゆる「反戦活動」をさせたのだ。
マスゴミは、米軍が「無差別爆撃」「虐殺」「強姦」「略奪」「侵略」
をしていると宣伝、一方、テロリストや共産兵士のことを、
残虐行為を一切しない「天使」のように宣伝した。
テト攻勢で家族を惨殺された警察長官が犯人のテロリストを処刑した写真を、
「南ベトナム政府の虐殺」と嘘のキャプションをつけて公開、被害者家族を愚弄した。
(諸君はどこかでデジャピュを感じないだろうか。そう。日教組の自虐歴史教科書と同じ手口である)
プロ市民は毎日毎日デモをし、 脱走させた米兵をソ連のスパイに引き渡して洗脳させたりした。
米国では国の為に戦って帰還兵士が空港でデモ隊から腐った卵をなげつけられ「ベイビー・キラー」とののしられた。
日教組教育によって育てられ、日教組の圧力によって大学に優先入学したブサヨ学生たちは、
ストで鉄道を麻痺させたり空港を破壊したり火炎瓶を投げたりピース缶爆弾や腹腹時計(時限爆弾のこと)で爆弾テロをしたり、
ベトコンばりのテロをして社会を不安に陥れた。
682 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 14:25:14 0
【崩壊の章】
結局、自由民主主義陣営である米国や日本、ベトナム共和国では、
言論の自由が保障されスパイ防止法も無いために、
ブサヨクの工作で自由に国の足をひっぱる反戦活動ができ、
選挙権が保障されているために、軍事の素人(イージス艦からB52が飛んでいるwというような議員)
が国策に介入できるという弱点があったのだ。
今でも愛国活動に専念する若者には「ニート」のレッテルが貼られる。
国の悪口をいうだけで秘密警察に拉致・粛清されるコミンテルン支配下の共産主義国は、
このような心配をする必要は無かった。
「ノイジー・マイノリティー」の声によって米国は撤退。
ソ連・中共の強大な軍事力を持つベトコン・ハノイは昭和50年、
大戦車部隊をもって南を侵略して「統一」。アジアにコミンテルンの拠点が増えた。
勿論、その後には、ポルポトのような大虐殺、強制収容所、何1000万人もが殺され、
さらに何10万人もがボートピープルとして自由世界に脱出するという悲劇があったのであるが…
この論文を、自由の為に報われない戦いを戦った愛国兵士と、
コミンテルン、共産主義に殺戮されたすべての人々に捧げたい。