117 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 00:10:06 0
檀君朝鮮は架空。
箕子朝鮮も架空。
ただし偶然に半島に何らかの勢力があったが完全に時代が重なってるわけではない。
衛氏朝鮮のみ実在。
ただし「朝鮮国だ」と自称していたわけではない。中国側が勝手に朝鮮とよんだだけ。
(漢の属国になるのを拒否したから国号を認めなかった)
そして衛氏朝鮮は中国人の国。今の朝鮮人と関係ない。
118 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 11:48:43 0
>>29 朝鮮という名称は史記にも書いてあるぐらいだから、昔からあった。
その話は、李氏朝鮮の時の国名を決めるときの逸話だよな。
119 :
世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:17:18 0
朝鮮も、韓も、Korea(高麗・高句麗)も、
元々を辿れば、すべて今の朝鮮人とは無関係な民族の名称。
彼らは自己の存在説明すらパクることでのみ生きてきた。
>>113 事実
マスゴミ、街宣右翼、ヤクザ、サラ金、パチンコ、日教組、新興宗教
は在日&2世3世が牛耳っている
長者番付上位には、在日2世3世が異常に多い
エヴェンキ半島なら実在しただろう
122 :
世界@名無史さん:2009/07/21(火) 12:34:51 0
>>117 檀君神話は三国志に記載があるという話だが
三国時代にちっとでも朝鮮に絡んでた奴でなおかつ「檀」の字に関係のある奴っていうと
檀石槐くらいしかいねーんだよなぁ
鮮卑の檀石槐の話を膨らませに膨らませてなおかつ朝鮮人に仕立てちまったというのが実情な気がしないでもない
123 :
世界@名無史さん:2009/08/26(水) 10:43:10 0
>>121 エヴェンキ電波は朝鮮発。学界では相手にされてない。
>>122 それもありえん。
檀君説話が捏造された頃は遊牧民なんか馬鹿にいてたから
あえて檀石槐を元にすることが考えられない。
また、檀の一字以外物語に共通点なにもなし。
>>123 だから檀の付く人が朝鮮北部にいたという事実を膨らませに膨らませたのが檀君神話じゃないかって話な
その際、物語の共通性とか一切関係なく朝鮮人の思いつくままに理想のキャラ作ったってだけではないか?という程度
125 :
世界@名無史さん:2009/08/26(水) 17:29:09 0
これからyoutubeでの啓蒙を行っていこうと思います。
まずは、他の方の作られた動画ですが
キーワードを変えて掲載しました。
朝鮮半島真実の歴史
Cool, KOREA!! 독도 Dokdo 는 우리의 땅이다 Fucki'n Japan
http://www.youtube.com/watch?v=6-zgLG6BhdI アクセスアップして、韓国からの検索にも引っかかりやすくなるよう
勉強していきたいと思います。
ぜひ、アクセスをお願い致します。
126 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:17:23 0
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F 歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
127 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:19:30 0
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。
高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。
128 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:20:26 0
129 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:21:07 0
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。
ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
130 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:22:10 0
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人だろ?
それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな
※
広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。
一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので
百済≒高句麗≒渤海 ≠ 三韓=朝鮮民族
131 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:23:40 0
132 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:24:55 0
133 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:25:52 0
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』
【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。
134 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:26:58 0
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。
〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕
見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。
135 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:27:43 0
136 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:30:08 0
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」
スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213 http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129 世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
137 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:34:00 0
箕氏朝鮮と衛氏朝鮮は中国人国家だったけど、辰韓も中国人国家なんでしょ?
あと辰国もそうなの?その他にも朝鮮史で中国人国家はありますか?
138 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 01:51:33 0
漢四郡
139 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 13:57:33 0
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱
「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。(コリョ族もモンゴル族も同祖、東胡が匈奴に破れ四散したのは2200年前、ゆえに彼らの歴史も最長2200年)
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
140 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 14:02:04 0
百済→王族は扶余族、大和朝廷と親戚 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに大和出自伝説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人+
渤海→ツングース系女真人+倭族系統
渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
141 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 15:13:27 0
142 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 15:16:39 0
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。
wiki より
上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。
143 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 14:06:03 0
144 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:36:37 0
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】
145 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:38:20 0
宋書倭国伝・・・・・・・・・・・・朝鮮半島は倭の支配が及んでるとも書いてる
満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
三国史記「新羅本記」・・・・慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
日本書紀・・・・・・・・・・・・・「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
宋書・・・・・・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。
随書・・・・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
特に随書ね。
↓
百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
146 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:39:10 0
■韓国の歴史歪曲
<国号の選択>
朝鮮王朝実録によれば、太祖・李成桂は使いを明に送って、国号として「朝鮮」と「和寧」という二つのうちのどちらかを採択することを請い、「朝鮮」を選んでもらった。
国号すら自分たちで決めることが出来ず、他国に選んでもらうなど「属国」以外の何者でもない。
なお、この「国号の選択」に関して韓国の教科書は次のような歴史歪曲捏造を伝えている。
曰く「新王朝は、国号を朝鮮と定めた。「朝鮮」は、すなわち古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、壇君に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。」
無論、事実は上の通り明に選んで貰ったのである。
<朝貢>
朝貢については韓国側もその事実はさすがに認めている。
となれば当然、「朝貢」は臣下の礼を致すものであるから、朝鮮は中国の属国であったと言える・・・のだが、ここでもまた韓国の歴史歪曲捏造の教科書は次のように始めている。
曰く「明との外交は朝鮮側がより積極的であった。朝鮮は朝貢を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済的・文化的実利を得た。しかし後にはいきすぎた親明政策に流れる傾向があらわれた。」
何をかいわんやである。
「明の名分」という訳の分からない理屈で朝貢は仕方なくやっていたもので決して臣下の礼をとった訳ではないことを強調しているのである。
147 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:39:50 0
[続き]
<人質・強制連行>
明の後、清が中国の統一王朝となったが、この際朝鮮と戦争をし清は朝鮮に勝利している。
清は朝鮮の王子一族他、貴族とその家族数百人を人質としており、朝鮮民衆50万人を強制連行している。
朝鮮が清に敗北した1636年から1881年までの244年間の間に、朝鮮から清への朝貢はなんと500回を
超えるに至っている。
また、清の使者が朝鮮を訪れる際には朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門まで出向き、土下座をして恭しく使者を迎え、慕華館で
勅使の接待をすることを余儀なくされていた。
もう誰が何と言おうとこれは清の属国として朝鮮である・・・はずなのだが、ここでまたまた韓国の歴史歪曲捏造の教科書は
次のように説明している。
曰く「後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対しては君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽を占領した。
そのため仁祖は臣下とともに南漢山城に移り、45日間抗戦したが、ついに清の要求を受け入れて講和を結んだ。
この戦争を丙子胡乱という(1636年)。」
そう、朝鮮は敗北したのではない「講和」をし清と友好関係を結んだだけであったのだそうだ。
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi08.htm
148 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:40:38 0
韓国歴史教科書探訪記
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi24.htm 以下は、韓国の歴史教科書からの抜粋である。
国家の形成(2)古朝鮮の建国
檀君と古朝鮮「もっとも早く国家として発展したのが古朝鮮であった。古朝鮮は檀君王倹によって建国されたと言う。
(BC 2333)檀君王倹は当時の支配者の称号であった。・・・ 古朝鮮の建国事実を伝える檀君神話は長年月にわたって伝承され、記録として残されたものである。」
>何も言うことはない。常識で物事は考えるべきである。
中世の政治的変遷(4)対外関係の変遷
蒙古との戦争 「蒙古は契丹族を討伐した後に、・・・ 軍隊を率いて侵入してきた。(1231年)そのときはいつも高麗人は粘り強く戦って蒙古の進入をよく防いだ。
高麗は蒙古の侵入を防ぐことができたのは、一般民衆が侵略群に対抗して勇敢に戦ったからである。・・・しかし引き続く蒙古の侵入で国土は極度に荒廃し、・・・貴重な文化財が多く焼失した。」
>高麗は蒙古に降伏した。そしてその紛争で貴重な文化財が消失した・・・秀吉より前に多くの文化財が消失していたとは、話が違うのでは?
中世社会の変遷(5)高麗の試練と自主性の回復
自主性の試練「高麗は蒙古との講和以後自主性を著しく損なうに至った。講和後、高麗が最初に受けた試練は日本征伐に動員されたことであった。高麗は、国号を元と変えた蒙古の強要によって日本征伐のための軍隊を始め多くの人的・物的資源を徴発された。
・・・しかし2次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征は、台風によって全て失敗に帰した。」
>韓国は日本侵略の先鋒となっている。過去に一度も他国を侵略したことがないという韓国の謳い文句が虚偽であることを自ら認めている。私の記憶する限り、韓国が日本征伐(「元寇」では翻訳されない)について日本に謝罪したことなど一度もない。
149 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:44:12 0
韓国の歴史教科書歪曲捏造問題
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi32.htm 「韓国人が日本の歴史教科書・教育に口を挟むのはどう考えてもおかしい。」
これが普通の日本人の感覚であろう。
日本の教科書・教育は日本人自身が決めることは当たり前である。
もしそこに問題があるならそれを解決するのは日本人であり、韓国人ではない。
内政干渉の批判を受けても止むことのない韓国の態度に怒りすら覚えるものである。
そしてまた、そうであるなら韓国の側の歴史教育はどうなっているのか?と疑問を覚える人も多くいるだろう。
今回、そんな韓国の歴史教科書を見ながらその問題点を指摘していきたい。
「熊太郎(壇君)神話」の問題点(国定韓国初等学校社会科教科書より抜粋)
「神の息子である桓雄と、熊が変身して人間になった熊女の間に生まれた檀君王倹はこの土地に最初の国家である古朝鮮をたてた。古朝鮮は中国北東方面を中心にして、次第に韓半島までその勢力を広げていった。
檀君王倹は「広く人間に利益をもたらす」弘益人間の精神で国を治めた。古朝鮮にはいくつかの法があり、青銅と鉄製の武器も作った。今も江華島摩尼山には檀君王倹が天を祭った塹城壇があり、毎年この場所から全国体育大会の聖火を点火している。」
150 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:48:07 0
[続き]
個人的に過去の神話を教育するのは全く問題がないと考える。
古代の人達が「国家」という概念を神話になぞらえてその成り立ちを子孫に伝えていくことは非常に重要であるからだ。
また神話というものは古今東西、一つの「冒険」物語の側面を持ち、子供達に夢を与える物でもあり、
またその国家成立の有様を伝えることは民族のアイデンティティを形成するものでもある。
そういった、「神話」の教育であれば問題はないだろう。だが、「神話」を「実話」として教える事は非常に危険である。
実際、過去の日本では神武神話を実話として教え、子供達に神の国日本(神州日本)を説き、間違った選民思想を当時の国民に植え付けた。
その結果、日本がどうなったかは言うまでもないだろう。
韓国ではこの過去の日本の有様を非難しておきながら、上記のように自分たちは熊太郎(壇君)を実在の人物として教育し、
さらに古朝鮮まで捏造するのであるから何をかいわんやである。
韓国の歴史年表によれば紀元前2333年に古朝鮮が建国されたとある。
幻の王朝と呼ばれる中国の「夏王朝」よりも前に存在したというのである。
151 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 04:48:48 0
[続き]
つくづく不思議なのがこれほどの世界的歴史事実が何故世界の歴史学会で全く取り上げられないのだろうか?
5000年前の王朝などと言えば、それこそ世界の歴史を塗り替えるくらいの大発見である。
ちなみに紀元前2300年頃の世界は、日本は縄文時代であり、西アジアではアッカド帝国が成立し、中国では竜山文化が花開いた頃である。
韓国人にこれを話すと必ず「中国には古朝鮮の存在を示す史書がある」「熊太郎(壇君)の遺跡が北朝鮮にある」と言い出すのだが・・・
中国の古朝鮮を示す史書には裏付けが全くない。ないからこそ世界の歴史学会は相手にしないのである。
例えば、中国の古い道教の教本には「古代日本から文化が伝搬した」という記述があるそうだ。
だが、これを信じる日本人はいないだろうし、まともに取り上げようとはしないだろう。
日本語で言うところの「トンデモ本」の類であるからだ。
戦後教育の結果、日本人はその点では自国であっても歴史的事実を非常に冷静に判断出来ると言っていいだろう。
正直に言って5000年前の古朝鮮などは神話の世界でしかない。
裏付けのない神話を事実として教えることの危険性は言われるまでもなく、日本人が一番良く理解している。
152 :
世界@名無史さん:2009/09/19(土) 03:00:37 0
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
153 :
世界@名無史さん:2009/09/19(土) 22:22:51 0
韓国語の起源
つまり元を辿ればわかる
154 :
世界@名無史さん:2009/09/20(日) 15:17:10 0
155 :
世界@名無史さん:2009/09/20(日) 15:40:53 O
奴隷
歴史 (事実関係) と歴史観の歴史的変遷を区別してほしい。
つまり、檀君朝鮮 - 箕子朝鮮 - 衛氏朝鮮 という枠組みを
古代史の議論に持ち込まないでほしい。
歴史観を先に片づけておきます。
この歴史観がどこまでさかのぼれるかというと、
13世紀高麗の坊さんが書いた『三国遺事』が上限です。
檀君の史料上の初出と同じです。
(なので箕子を否定しようとすると檀君説話も脅かされるww)
この枠組みがおそらく李朝初期には定着して、
以降の史書で繰り返し述べられています。
事実関係の議論をするときに、
こんな新しい歴史観をナイーブに過去に投影されても困ります。
朝鮮人は、「古朝鮮」という巨大で統一的な政治体があったと
決めてかかるわけですが、そんなものは文献上確認できません。
さて、箕子と衛満は文献上はるかに遡ります。
それは支那の史書のおかげです。もはや朝鮮人の出る幕はありません。
でも、文献を古い順に並べていくと、
面白いことに新しいものほど話が膨らんでいます。
例えば、『史記』では、同時代に漢の武帝が衛氏の朝鮮を征服したので
衛満については比較的詳しいのですが、
衛満が箕子の (子孫の) 国を乗っ取ったとは書いていません。
箕子の朝鮮行きのエピソードも、
『史記』の全然別の個所 (宋微子世家) に載っているだけで
衛満とは関連付ける記述はありません。
おそらくこの時代には箕子の朝鮮と衛満の朝鮮が
同じという認識自体がなかったのでしょう。
そして、後になって漢書が箕子と衛満のエピソードを続けて書いたから、
衛満が箕子の国を継承したという認識が生まれたのだと思います。
ついでに言うと、「朝鮮」という語の初出は「鮮卑」よりもずっと古いので、
「朝鮮」が「鮮卑」から派生したというのは誤りです。
158 :
世界@名無史さん:2009/09/21(月) 18:17:51 0
>>154 ニュース板みたく在日が書いたのを翻訳してホルホルしてんの?
>チョクバルイは分からないのになぜあのように知ったかぶりして...
つーかあいつ等だけには言われたくない台詞だな(笑)
159 :
世界@名無史さん:2009/09/21(月) 19:02:00 0
古代大朝鮮帝国は世界の半分を支配した
世界の半分から朝鮮半島だけってエラク落ちぶれたなw
真番ちゅうのはどういう存在だったんじゃろうねえ。
燕の全盛時には朝鮮と共に勢力下におかれ、衛氏朝鮮の勢力が伸びて
漢への朝貢を邪魔されたり、武帝に真番郡を設置されたが20〜30年もすると放棄
されたか楽浪郡に移管?。なんか辰国が近くにあったとか?
楽浪郡はそれから80年後、6万戸超、40万人超の規模だったというが、
周辺の諸民族はどんなぐあいだったんだろ。
衛氏朝鮮は燕だから中国人というか鮮卑だろ
>>163 鮮卑はまだ無いし、その先祖と思われる東胡は朝鮮と共に
燕の秦開将軍に攻められ領土削られた対象だし。
領土削られたということは燕国内に東胡は居ただろうし、燕人の満が
民族としては東胡という可能性も無くは無いだろうけど、現地人の
格好して朝鮮に行ったことからすれば(当時の中国で言う)朝鮮人
である可能性のほうが高いんじゃない?
>>164 それはないだろうなぁ
現地に行ってから現地人の格好しだしてたから
166 :
世界@名無史さん: