1 :
世界@名無史さん :
2007/07/31(火) 16:35:32 0 だよな?
傍目からみればどれも似たようなもんでね
西洋史的には重要な事件だな。カトリック、十字軍というもへの疑問が芽生えた。
6 :
世界@名無史さん :2007/08/01(水) 15:48:07 0
普通に馬鹿じゃね? コンスタンティノープルいった時点で。
>>6 だってビザンツの元皇太子が「オレを皇帝にするのに協力すれば、軍資金出してやる」って言ったんだもん。
ビザンツ帝国を潰したのは馬鹿。
9 :
世界@名無史さん :2007/08/01(水) 17:54:00 0
このおかげでトレビゾンド帝国やエピルス帝国などというマニア受けするのが出来たのだ。
難攻不落のコンスタンティノープルを落としたというのは軍事的には画期的事件 まあ第4次十字軍の伏線ともいうべきビザンツのマヌイル1世の一方的なヴェネ ツィア人の一斉逮捕事件も考慮すべきだな 第4次十字軍時のヴェネツィア総督ダンドロは先の事件時には在コンスタンティ ノープル大使でこの事件がもとで失明したといわれる ヴェネツィアにとってはビザンツに対する報復をうかがっていたとこだろう
この事あんまり詳しくないけど十字軍はよくコンスタンティノープル落とせたね トルコはあれだけ苦労してたのに
十字軍が陸から、ヴェネツィアが海から攻撃 海からの攻撃で塔を二つ占領 恐怖に駆られたムルツプロスが逃亡して、陥落 であってたっけ? しかし、コンスタンティノープルが陥落したのって これとメフメット2世の2回くらいじゃない? ニケーア帝国は守備兵のいない隙をついての占領だったし
13 :
世界@名無史さん :2007/08/04(土) 08:12:37 0
「キプロス、ギリシャ、エーゲ海の十字軍城塞」って本では ギリシャを占領したラテン人は土着の職人や建築家によって 城塞を建てたので、単純で時代遅れな後期ロマネスク様式の ものしか出来なかった、などと書いていた。 もうこの頃では築城技術も西欧に抜かれてたんだろうか。
>>10 1171年初頭、金角湾沿いのジェノヴァ人居留地に対して
ヴェネツィア人が襲撃をかけ、施設を破壊し多数のジェノヴァ人を殺傷しました。
マヌエル1世はヴェネツィア人に対して損害を賠償するよう命じましたが
逆にヴェネツィア人はマヌエル1世に対して
ヨハネス2世の時と同じことをしてやろうかと恫喝しました。
ヴェネツィア人の狼藉に対して慎重な姿勢で臨んできたマヌエル1世の忍耐も
ここに至り限界に達しました。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~paruwees/Histoly_37_40.html ヴェネツィアがやられたにはそれなりの理由がある
さらにヴェネツィアと東ローマはイサキオス2世の時に和解している
マヌエルの復習ではなくアレクシオス3世のヴェネツィア断行が原因ではないか
ハンガリーのザラを最初に奪いとった時点で 歴史上最も馬鹿な軍隊 というかヴェネツィアの私兵軍隊だろ
17 :
世界@名無史さん :2007/10/14(日) 10:49:03 0
(^ρ^)ノ<アウアウアー
18 :
世界@名無史さん :2007/10/14(日) 13:48:36 O
>>9 エピルス、ニケーアはともかく、トレビゾンド帝国建国には第4回十字軍
はあまり関係ないような記述がWikiにあったけど、たまたまタイミングが合ってただけ
じゃね?
19 :
世界@名無史さん :2007/10/14(日) 17:54:18 0
当初は異教徒達をやっつけてやるという意気込みが、いつの間にかその矛先がビザンツに変わっている。
やっぱ十字軍なんてくそ
21 :
世界@名無史さん :2007/10/14(日) 21:13:55 0
まあでもビザンツ帝国の首都を制覇する元気があるのだから、あのままエジプトへ遠征できていればイスラム軍を壊滅できたかな?
その前にハンガリーのザラも制圧したからね
>>19 当初の攻撃目標(ヴェネツィア)は
異教徒ではなくハンガリー
>>23 十字軍:ハンガリーを攻めるよ
バチカン:同じカトリックの国を攻めてどうするんだアホ馬鹿
十字軍:じゃあ異教徒(正教)の国を攻めるよ
バチカン:オーマイゴット
25 :
世界@名無史さん :2007/10/15(月) 10:44:55 0
みんなベネチアンを悪者扱いしすぎ
26 :
世界@名無史さん :2007/10/15(月) 12:37:17 0
WWI後のギリシアも真っ先にイスタンブール攻撃したら勝てたんじゃないか?
27 :
世界@名無史さん :2007/10/15(月) 13:20:58 0
参謀総長が通商側との戦争を反対していたんだから無理
ロシア革命がなければロシアがイスタンブール制圧して 全スラブ民族の皇帝を宣言していただろう そしてイスタンブールの日本語表記はツァーリグラードだ
十字軍に話を戻すが 「ビザンツ帝国史」では第二回十字軍の頃から コンスタンティノポリス制圧の話が出ていたらしい
異端撲滅
32 :
世界@名無史さん :2007/10/15(月) 16:44:14 0
>>30 バルバロッサも十字軍への妨害をするビザンツにイラついて本気でコンスタンチノープルへの侵攻を考えてたらしい。
元々およびでなかったんだ 教皇は余計なことをした
>>32 正しくはイサキオスだな
サラディンとひそかに同盟を結んだらしい
ヴェネツィアもマムルークと裏で取引があったと思ったが
マムルーク朝は自分たちの国のことをなんと呼んでいたんだろ
>>32 元々十字軍成立の過程が
ビザンツ<トルコが国境荒らすから助けてくれや。聖地への巡礼者にも迷惑かかってるし
バチカン<それならいっそのこと聖地奪還しようぜ!
フランク<おーーーーーーー!!!
ビザンツ<そこまで言ってねーよ
だからなあ。
ボエモンとアレクシオスが早速戦い始めるし
この時の東ローマ軍とは 他民族の混合で 一次大戦の時のオーストリア軍のように 言語の違いで連携もろくに取れなかったという
西ローマ帝国はゲルマン人に侵食されて滅ぼされたが、 東ローマ帝国もゲルマンの末裔たちやノルマン、ヴェネチアの蛮族に侵食されて、 滅んだんだな。 オドアケルと東ゴートに該当するのがオスマントルコになるのか。 オスマン皇帝がキリスト教徒に対してビザンツ皇帝の後継者を自称したこともあったし。
復活した東ローマを蝕んだのは セルビアとオスマンでしょ
俺たちはとんでもない思い違いをしていた ビザンツ帝国といえば皇位争いが有名だが 古代ローマもクラウディス朝の最初から後継者でもめているし 四帝が相次いで交代したことがあった。 そもそも伝説の王ロムルスも叔父や弟を殺して即位している。 つまりローマははるか昔から後継者問題が頻発していたということだ。 ほかにビザンツがよく言われる悪口に「夷を持って夷を制す」があるが カエサルはガリア蜂起時にゲルマンの騎兵を投入している。 さらにポエニ戦争の際には、カルタゴに敵対していたベルベル人をカルタゴにけしかけている。 このように、他民族を使って敵対勢力を攻撃させる、という外交手段も 共和制の頃から行われていた。つまり
i| ilレ ミミミミ''"`─- 、 , .,i! i !/i i ミミミミヾ ミヾ ゙ヽ .i ,!i l.| ' i ゞ 彡ミミミヾ ミヾヾ `ヽ , i!、k ヽ、 ヽ 彡ミミ ミヾヾ ゙ li l ヾ、 ヾ _,,== ミヘベ , |i、ヽ ヽ、 ヽ ヾ ゙ !ヾ ヽー- _ ー- ,,__ 〃ヾ ヾヽヾ ‐- ,,___ /ソツ、ヾゞ、ヾヾ ` 、`ー- 、...,,─-- __,, 彡ソソ ヾゞゞミミ ヽ.、 `ー --- .,,─-- __,, 彡ソソノ,; ,,-弋ミミミミ \ ゙ー‐- 、..,,,____,,. --彡彡彡'"'",ィ'-====、ヽミミミ ``,.-、-─r,=====、:;;,,::;;::f" ,.'i´ o`i 冫ヽ ]-'´ ∧∧ ゙iヾ ニill 〈 (.O)ーi` ̄´i _`_-_'....' li ゙_/ ヽ ゙i ill::::::::;ー-‐γ'i'::l,⌒ヾ`)::::::::::;;'' 〃u \ ゙i :ill::::::::;; ソ::::;i,、, ヾ:::::::;''' _,,ノ' ,r-| ゙i、 ゙`‐=='"..::::::;i,, .,,, ゙゙'''''"~´ l_| ローマ帝国は昔からビザンツ帝国だったんだよ!! ヾ.イ '''"..-一、 u .lヽ ヽ :;;l ̄´ _,,,...,.ヽ ,イ_〉 ゙i. u ;;iェ'´ i' ヾト! ./:! \ ゙!. :;;Fi、 ,,.ツ ./;:;: ゙i ./゙i ヽ ゙;ヽニ二ニ-'´ ./ :;:; / ヘ / i ヽ :..,,-‐' /::;' ;:; / /∨\/
>>32 十字軍でビザンツ領を通過するとき「どっちがローマ皇帝か」って揉めたんだっけ>バルバロッサ
第4回十字軍を語る時は その約20年位前のビザンツ皇帝マヌエル1世によるヴェネツィア人一斉逮捕事件 に留意すべきです 逮捕といってもかなり暴力的に行われ、唯一逃れたヴェネツィア人が1隻の船に 乗り込んで逃げた際にはビザンツ海軍の船舶が執拗に追い掛け、火炎放射を浴び せた程です(ヴェネツィア人はとっさに船体に酢に浸した毛皮で覆い逃れたが) この事件の際、在コンスタンティノープル大使ダンドロが失明 そのダンドロが第4回十字軍時のヴェネツィア総督です ダンドロ以外のヴェネツィア人もビザンツに対し深い恨みを抱きました マヌエルはこの事件の理由に帝都内でのヴェネツィア人によるライバルのジェノ ヴァ人への暴行を挙げますが マヌエルはノルマン両シチリア王国への侵略へ失敗し、それまでの同盟国の神聖 ローマ帝国、ヴェネツィアを突如切り、仏、ジェノヴァ、ノルマンと組んだこと とヴェネツィアによる帝国内交易独占を排除したいがためと言われています
>>45 > この事件の際、在コンスタンティノープル大使ダンドロが失明
それは嘘。この事件の後もダンドロの目が見えていた記録がちゃんと残ってる。
>>45 マヌエル没後に皇帝になったイサキオス2世は
ヴェネツィアとの関係を修復している。
ヴェネツィアがアレクシオス4世に力を貸したのも
親がイサキオスだったからということも大きかったと思われる
(ついでにイサキオスにクーデターをおこしたアレクシオス3世は
反ヴェネツィアであり、ヴェネツィアの敵だった、確かジェノヴァ
だったかピサだったかと修好を結んでいた)
>>44 イサキオス2世が同盟関係にあったサラディンに十字軍の動向をちくったからもめた
48 :
世界@名無史さん :2007/10/16(火) 15:58:04 0
そもそも十字軍がヴェネチアとの契約の時に必要とする船の数を間違わなければこんなことにならなかった。
49 :
世界@名無史さん :2007/10/16(火) 16:02:28 0
文盲の十字軍+アラビア数字導入前にそれは無い物ねだり。
ヴェネチアもヴェネチアで「今回の十字軍は全員ヴェネチアの船使うから!」って十字軍側のヨタ話を ホイホイ信じなければこんな事にはならなかった。
51 :
世界@名無史さん :2007/10/16(火) 23:14:56 O
文盲? 文盲だったら海洋交易のような“正式な”商業行為なんか普通出来んでしょうが それにこの頃の西欧の文字文献なんか腐るほど出てるけどね
騎士は文盲がいいと言われていた
53 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 09:41:34 0
54 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 11:16:49 0
1202年 ,−、__ / ____ \ ( ─── 、 ヽ / ゝ/ ____ヽ // \ | i 「やあやあ、十字軍の皆様」 / | / −、| | / ヽ |__| | |─| (・| / ⊂⊃ )(ヽ/)、 ヽ (|| `− b /ヽ∩⊂───┐ ノ^\ / )) ヽヘ/ ──┘ ヽ、 / ^\\ _ ノ ィ \ j二二ヽ ̄ (( / ` T_ / ヽ ──── / l | / | | / |  ̄ ̄ ̄ | | | ! | / / |__ l⌒⊃ `─ ヽ \__/ ───── \_uuノ、 ,-v-、>━━━━━━ヽ^ヽ  ̄ ̄ ̄ ヽ ヽ ヽ | | | | ドタ ドタ |─|─|_ (( ヽ__ 人 /\_ ノヽ__ノ _ - 、 ,⌒ヽ (__( __ )  ̄ ̄ ( ) ( ) ( )
55 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 11:41:29 0
,−、 __ (────、ヽ ゝ ─── 、 // \ | | / ______ヽ | / ヽ l_ | 「おつとめご苦労様です。 | | / −、− 、| / ⊂⊃ ) しかしながら、旅費が少し足りませんので | _|─| .|. | !⊂___ ノ\ この船に乗って一仕事していただきたいのです。」 ( `ー o ー | \ヽ__ノ / \ \ ___⊃ / `───/ ヽ )) /^| ヽ_─┬、′ / \/ i / \/\/ \ / / ! / /| |ヽ \⌒\/⌒\ ノ 「う、うん・・・やむを得まい」
56 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 11:42:12 0
| ________ | | | | | , ─── 、 | | 十字軍 | | /・ ) 、 \ | | コンスタンティノープル│ | d-´ \ ヽ | | 占領 | | 亅三 ヽ | | | | | (___ | / |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | \ | / | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| o━━━━┥ |. | / | |__________| ◯ | ←教皇 インノケンティウス3世 ( o )
57 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 11:42:57 0
______ / −、 −、 \ / | ・|・ | 、 \ / / `-●−′ \ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |/ ── | ── ヽ | < 東西教会が統一されたのはよいことだ |. ── | ── | | \_______________ | ── | ── | l ヽ (__|____ / / \ / / l━━(t)━━━━┥ 8 ドラえもん のび太と十字の騎士 完
58 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 20:45:14 0
/  ̄ ̄ ̄ \ 「騎士が3万人来るはずが1万2千しか来なかったから、約束の8万5千マルクは払えないよ」 / / vv | | | ←十字軍騎士 | (|| ヽ _______ ,ヽヘ / | >_____ | ←ヴェネチアン /\\ /  ̄ |⌒ v⌒ヽ |__| / \\ __ / | .| . ノ ) / `\| < ` o `- ´ ノ | ヽ > / | | l | /▽▽\ ____ \ ───___ <  ̄ ̄ ̄ ̄| > _________ |  ̄ ̄ | / \ | | | /⌒ヽ /⌒ヽ | | | | ‘ | i ‘ | | | ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | ヽ.__ノ ヽ._ ノ レ⌒ヽ ノ o 6 | /__ \ _ノ > ノ <、___ イ |───┤ / |/ \ / \
59 :
世界@名無史さん :2007/11/21(水) 17:07:23 0
60 :
世界@名無史さん :2007/12/16(日) 22:17:37 O
61 :
世界@名無史さん :2007/12/18(火) 12:05:51 0
当時のビザンツの支配層も皇帝の地位争いで滅茶苦茶だったしな、コンスタンチノープル陥落は起こるべきして起こった
62 :
世界@名無史さん :2008/01/02(水) 20:09:45 O
しかしこの時の十字軍の所業は「これぞ野蛮人!」って感じだな。 東方から蔑まれて来たフランクの面目躍如たるものがあるw
>>61 オクタヴィアヌスの頃から
皇帝争い、内乱は日常茶飯事だよ
何であんなに争いがあったのに
1400年国が続いたのかふしぎなくらい
>>63 1回目と3回目の十字軍だってすごいぞ
カトリックであるハンガリーを攻撃したことは容認されない
>>65 ヴェネチア<うるせえ!オレの商売敵は皆異端だ!
>>66 むしろヴェネツィアが異端扱いされても
平気な顔をしていられるからカトリック国
への攻撃がありうるわけで。
68 :
世界@名無史さん :2008/01/03(木) 21:50:28 0
当時のビザンツ兵の格好って、ドングリ型の兜に鎖帷子やスケールアーマー、カイトシールド、 肩と腰に変な革製のビラビラ、みたいな感じで間違いないですか?
>>68 テマ制が崩壊していこう傭兵だらけ
装備もばらばら
バルバロイさらしage
>>69 ばらばらっていってもあの辺の武装の再現図とか見ると独特なビザンツ色があるじゃないですか。
まあ戦士聖人のイコンとかソースにしてて、あのビラビラとか(肩のはプテルゲスとかいうらしい、
腰のほうの名前は忘れた)なぜか胸に巻いてる革帯とか、その描写のどこまでが様式でどこまでが
当時実際にみられたものなのか議論の余地はあるらしいですけど。
メンアットアームズでも、邦訳された「ビザンツ軍」の著者のイアン・ヒースなんかは
イコンの描写を信用してるようだけど、Romano-Byzantine Armiesを書いたデヴィッド・ニコルは
信用してないみたい。
そういやデヴィッド・ニコルのHungary and the Fall of Eastern Europeで14世紀前半の
「プロノイア騎兵」がタタール人と戦ってるイラストがあったけど、頭にはシャペル・ド・フェールみたいのを被って
膝から顔面までメイルで覆い、その下にラメラー装甲をつけているようだった。
ローマの軍制は レギオン→ゲルマン傭兵→テマ→傭兵
西ローマ帝国軍も末期はゲルマン人だらけだった
75 :
世界@名無史さん :2008/03/31(月) 00:12:42 0
>>15 読んだけど西欧と比べてどうなのかは分からなかったよ。