【Venezia】イタリア海洋都市の歴史【Pisa】
ヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィ、ピサの四つの海洋都市に
ついて語りませう。
2 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 02:04:53 0
今「中世の海戦」って本を読んでるけど、ヴェネチアとジェノヴァでは
大規模な海戦だとヴェネチアが強いが、ジェノヴァは奇襲が強かったそう。
というかヴェネチアは軍船をほとんど商船隊の護衛に貼り付けてたので
ゲリラ的な襲撃ができなかったと。
中世に軍船と商船の違いなんてあるのか
>>2 個人主義のジェノヴァ人らしいエピソードだな。
盲目のダンドロ、20年来の恨みを1204年に晴らす
なんとなく、
最盛期のビザンツ(東ローマ)帝国=アメリカ
初期のヴェネツィア=日本
というイメージ。
>>6 それより
オスマントルコ=アメリカ
ヴェネツィア=日本
だろ。
あ、戦前のね。
810年にシャルルマーニュの息子ピピンがヴェネツィアに攻めてきたが、この時代の
フランク王国にとってヴェネツィアはそんなに魅力があったのか?
9 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 01:05:17 0
>>3 ヴェネチアだと政府が作った船の用途を決めてたんでは?
よく知らないけど。
>>4 ヴェネチアは軍事行動のために派遣された艦隊でも
元老院と密に連絡を取って指示を仰がなければならなかったみたいですね。
ジェノヴァだとドリアなど提督に任命された者が割合自由な裁量で
やってたみたい。
ルネサンス時代のイタリア諸都市の権謀術数外交スゴスギ
アマルフィって印象薄い
ピサはジェノヴァやアラゴンと争ってたのは知ってるけど
アマルフィの大聖堂って、シチリアと同じ様式。
初期のヴェネツィアは内部がビザンツ派と神聖ローマ帝国派に分裂して抗争を
続けていたが、その後安定した政治体制を樹立。
これに対しジェノヴァは最期まで内紛が絶えなかった。
アマルフィは欧州で初めて羅針盤を使用した
日本で一部言われているような中国から伝搬したわけでない
中国の宋の羅針盤のもとと言われる指南魚は魚の形をした磁石をただ水に浮かべ
ただけのもので航海などでは絶対使用できない
アマルフィで使用された磁針を使用した羅針盤とは全く別物
アマルフィで使用した羅針盤はイスラム発祥であるかアマルフィで独自に発明さ
れたものと推測されている
イスラム発祥って説あったっけ・・・
中国→アラビア→アマルフィじゃないかな。
>>8 当時のヴェネツィアとフランク王国じゃ、豊かさが日本と北朝鮮ほども違う
>>17 URLのシチリアの綴りが・・・
ピピンの軍勢が攻めてきたとき、フランク人が、
「おまえたちは我々の臣下だ」
と叫んだのに対して、ヴェネツィア人は
「我々が従うのはローマ人の皇帝(ビザンツ皇帝)だ」
と言い返した。
>>19 後々になってそのローマ人の皇帝を侵略したり
借金滞納で拘禁するとは夢にも思わなかったでしょう。
>>20 最初のころはドージェ(総督)がビザンツに対して「ヴェネツィアのきわめて
謙遜な伯爵」と自ら述べているくらいだったのにな。
貿易の利益の前では神も皇帝もない。
それがベネチアクオリティ
>>16 時間的に無理だね
指南魚を本格的羅針盤にするには伝搬する期間が短すぎる
まあ、活版印刷術もまたヨーロッパ独自の技術で作りだしている
ただ開発時期が中国より遅かっただけ
圧縮器はワインを作り出すためのブドウ絞り器を改良したものだし、速乾インク
も中国には無かった技術
もし中国よりの伝搬、ないしはイスラムからの伝搬ならドイツの片田舎でなくイ
タリアの商業都市で活版印刷術が開発されたはずだからね
アマルフィの羅針盤発明は12世紀説と13〜14世紀説があるようだ。
>>20 でもヴェネツィアもマヌエル帝にはしてやられてるよな。
26 :
世界@名無史さん:2007/06/30(土) 11:50:10 0
ヴェネツィアの干潟って埋め立てることはできなかったの?
というよりマヌエルが一方的にヴェネツィアを裏切ったからでしょ
ヴェネツィアはマヌエルがそんな裏切りをするとは想定していなかったのは帝都
でのヴェネツィア人一斉逮捕事件時にヴェネツィア人が無防備だったことからも
推定できる
28 :
世界@名無史さん:2007/06/30(土) 13:14:29 0
ヴェネツィアは実はドイツの港
???
30 :
世界@名無史さん:2007/06/30(土) 18:40:23 0
マジで干潟を埋め立てればよかったのに。
オランダや佐賀藩にできたことをやれないはずがない。
干潟はわざと残したんだって
干潟は彼等にとって天然の城壁。
干潟のおかげでジェノバ等イタリア都市国家連合軍の
攻撃を耐えきれたんだって
と塩婆ファンの漏れが力説する
>>30 一度埋め立てようと工事したけど、物凄い難工事になって金もかかりすぎるって事で中止したんじゃなかったっけ?
14世紀後半にジェノヴァ海軍がアドリア海侵入に成功して結構やばかったらしいですね。
36 :
世界@名無史さん:2007/07/16(月) 02:30:43 0
マルタだがバレッタの話はダメ?
かなり遠い話だが、こんだけ過疎っているからいいんじゃない?
旧日本陸軍731部隊隊員
マルタのことバレッタ
やば戦犯になっちゃう
39 :
世界@名無史さん:2007/07/19(木) 18:42:33 0
クヌース著「シティーの帝国」。第八章 自由党対保守党の戦争。
いわゆる「大英帝国」には、二人の主要政治家が居たと言う。
一人は、大英帝国の建設者、ディズレイリであり、もう一人は、
そのディズレイリの原則と手法を受け継いだチャーチルであると。
ディズレイリは、政治家に成る前は作家であり、政治家になった
あとも作家として多くの著述を刊行した。
クヌースの著述(一九四六年)のあと、英国でラムゼー大尉の
「無名の戦争」が出版された。 ラムゼー大尉は、前出著作の
冒頭でディズレイリの父親の大著「チャールズ一世伝」の中の
重要な一節を引用した。
ディズレイリの父親は、英国に移住したユダヤ人作家である。
ディズレイリの父親アイザックは、英国革命(クロムウェル革命)は、
その後の一連の革命の第一幕であり、そしてその革命は未完である。
と述べていると。
ディズレイリの父親も、そして、ディズレイリ自身も、実によく
近代西洋史の実情、その深部に通じている。そしてディズレイリの
代表的政治小説、「コニングスビー」の中で、彼は、
ハノーバー朝以後の英国の国家体制は、ヴェネチア共和国の
憲法の丸写しである。
と言う趣旨のことを述べた。
40 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 08:47:15 0
15世紀にトルコ軍が陸路でヴェネチア領へ侵攻してきた事件について
日本語か英語で詳しい本ってないものでしょうか?
アンドレ・クローの「メフメト2世」に多少書いてたような気がしますが・・・
41 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 11:36:31 0
ヴェネツィアはドイツの港
42 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 13:05:06 O
ベネチアの黒い貴族は、まだ存在するのだろうか?
44 :
世界@名無史さん:2007/07/22(日) 09:21:58 0
「アドリア海の海賊は彼ら(ウスコク)だけではなかった。スペイン人、フランス人、オランダ人、イギリス人、
マルタ騎士団、トスカーナのサント・ステファノ騎士団、これらが皆ヴェネチアの船舶を襲っていた」
(David Nicolle "The Venetian Empire 1200-1670"より)
アドリア海無茶苦茶だな
45 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 13:51:53 0
第四回十字軍の原因はアレクシオス4世が金を払わなかったからではないか
ヴェネツィアと東ローマはイサキオス2世の時に和解している。
47 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 13:57:09 0
18世紀のヴェネチアって母親は分かっても父親は確定しようがないという
酒池肉林の世だったようだが、詳しく書いてあるところない?
第四回十字軍はカトリックのハンガリーを攻撃している時点でもうだめだろ
ハンガリーを攻撃して波紋され
それにもめげずに東ローマ占拠
そこにしびれるあこがれる
めげずにというより気にせずに
ヴェネチアが法王に向かって、田舎の司教にしちまうぞと脅迫したのは
この時だっけ?
52 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 18:46:21 0
>>43 つブレンナー峠→アウグスブルグ(ヴェルザー・フッガー)
15世紀にもハンガリーと戦争してたような>ヴェネチア
>>52 その理屈だと、ヴェネツィアはトルコの港とも言えるな
>>53 アドリア海の中継基地ラグーザの確保が重要課題だったからな
>>54 ところがそうじゃないんだな
ヴェネツィアとジェノバの力関係が逆転したのはジェノバサイドにある
スイスの峠が開通した事情との関連が指摘されてるから。サンタゴールだっけ?
欧州と中東の中継港としてのヴェネツィアを考える場合、
ドイツの意味はトルコよかはるかに大きい。
ジェノヴァが没落したのは内紛ばかりやってたからかと思ってたけど
>>55の理屈がいまいち理解できない。
スイスの峠が開通するとジェノヴァとドイツが繋がるようになる。
しかしジェノヴァが没落した。
だからヴェネツィアにとってドイツと繋がっていることは非常に重要である。
↑これおかしくないか?
>>57 16Cにジェノバがヴェネツィアを一時抜いた現象のことを言ってるだけなのだが・・・
ジェノバの没落って
>>56が言ってる事か?
>>58 論旨は分ったがどうもな。
トルコがエジプトを支配して以降、ヴェネツィアのイスラム側の交易相手はトルコのみ。
一方ヨーロッパ側は、フランドル航路とかも有りドイツだけが相手ではない。
ということを考えると、ヴェネツィアにとっての重要性がドイツ>トルコだと言われても、
素直に納得できないというか何というか・・・
ただ、海洋都市の立地条件って、要は陸上交通なんだな。
中継なら単に直行した方がコストが安く済むし。
ビザンツ系海洋都市の中でわざわざアドリア海のどん詰まりにあるヴェネチアが
なぜ最も栄えたかと言う理由は立地条件だと思う。
(それもドイツが主でロンバルディアの線は薄い)
逆にドイツの方もなぜ奥地アウグスブルクにヴァルザーやフッガーが栄えたかの
説明がつ
>>60 いや、ヴェネチアにとってドイツが重要であったことは分かってる。
だけどドイツ>トルコと言い切ってしまうのはどうか、と言っている分けで。
62 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:51:50 0
現在の4都市の序列
ジェノバ>ヴェネツィア>ピサ>>>>(越えられない海)>>>>アマルフィ
63 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 00:19:47 O
アマルフィは没落が早すぎるからな。
名前すら知らないヤシの方が多いんじゃね?
64 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 07:47:20 0
アマルフィは高級リゾート地として最近復活を遂げつつあるぞ
その辺にいる旅行好きの女どもに聞いてみろ
>>64 手近に居る、ヨーロッパ留学経験のある旅行好きの女は知らなかった。
アマルフィの検索結果 約 239,000件
アマルフィ リゾートの検索結果 約 58,500件
アマルフィ 滞在 の検索結果 約 30,700 件
アマルフィ 貿易の検索結果 約 1,650件
アマルフィ 交易の検索結果 約 862件
アマルフィ 航海 の検索結果 約 1,630 件
アマルフィ 商業 の検索結果 約 687 件
>>60 アウグスブルクの場合、まず銀鉱があったってのが第一だと思うが。
68 :
世界@名無史さん:2007/10/04(木) 01:05:48 0
4大都市はこんなものか
ジェノバ
都市国家としてはヴェネツィアより先に落ちぶれたが、先にサヴォイア領になったおかげで工業化で先行して発展。
ミラノ・トリノの外港的地位を持っていたのも大きかった。周囲のリゾートへの拠点としても有力。
ベネチア
一番都市国家として発展するが、島がネックとなり近代化はジェノバほどうまくいかなかった。
オーストリア離脱後はトリエステが強敵に。
しかし、島自体は観光地として他をリード。
ピサ
ジェノバに近すぎたのとコルシカ島を押さえられたのが原因で港町としては後退。
しかし、フィレンツェの傘下に入ったのと大学・空港などの施設を持っていたのが功を奏して衰退は免れる。
皮肉にも欠陥建築の鐘楼のおかげで有名に。
アマルフィ
早期の繁栄も自身で中心地が水没したり、土地不足なのがネックとなって落ちぶれる。
不幸にもナポリが強すぎた。
最近はリゾートとしてポジターノなど周辺都市とともに再起を図る。
69 :
世界@名無史さん:2007/10/10(水) 13:48:08 O
age
70 :
世界@名無史さん:2007/10/12(金) 19:55:48 0
71 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 14:52:48 0
ここにいる人なら知ってるかもしれないのでお聞きします。
ピサの現在の紋章が、フランス南部オクシタニアの紋章と同じなんですが
何か関係があるのでしょうか?
オクシタニア→ピサなのか
ピサ→オクシタニアなのか知りたいです。
72 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 18:41:33 0
コルシカ語は、トスカーナ方言に近い。
コルシカとピサ、フィレンツェの間で、頻繁な交流・交易ってないの?
サルディーにゃ人には、トスカーナ地方に移住者が多いというのに
コルシカって一時期ジェノヴァ領になったと思いますが
74 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 09:33:19 0
4大海洋都市の歴史に関するオススメ資料ってないですか?
英語でもおkなんですが。
史学科じゃないからさっぱり('A`)
つ 塩婆
ジェノヴァで英語ならGenoa and the Genoese
一時期っていうか財政的に維持できなくなってフランスに売るまでずっとジェノヴァ領>コルシカ
78 :
世界@名無史さん:2007/11/02(金) 00:47:53 0
塩婆がプッシュしてたLaneの例の本読んだけど面白かった。
でも塩婆のでも十分な気がする。
塩婆 文化功労者になったな。。。
地中海史の研究者でとった人いないのに
>>79 よし、「作家に負けた研究者」のテーマで文化功労賞をねらえ
81 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 09:49:09 0
>>77 サルジニア島より人口少ないね
一応ワインは特産品だけど
82 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 14:47:15 0
ミラノ、トリノはイタリア本来のイタリアとは気候が違うね
ヨーロッパっぽい。 それに比べてジェノバにしろローマ、フィレンツェ、どこでも
地中海性気候で気温も植生も文化も違う。
ミラノ、トリノの北イタリアはイタリアの本質ではない。おまけ、北海道みたいなもの
ミラノ、トリノだけ行ってもイタリアを見たことにはならない。
本当のイタリアとは地中海性気候の中にある。
83 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 20:09:32 0
>82
それならプロヴァンスもカタルーニャもチュニジアもエフェソスもイタリアになるだろ。
84 :
世界@名無史さん:2007/11/16(金) 21:26:38 0
『昔のミラノはもっとドイツ的で時間にも厳しくて列車も遅れなかったけど、最近は南イタリアから来た人間が多くて、
駄目になった』byミラノ市民
86 :
世界@名無史さん:2007/11/21(水) 20:32:53 0
オーストリア寄り?
87 :
世界@名無史さん:2007/11/22(木) 03:12:49 O
>>87 ミラノでタクシー乗って運転手のおっちゃんに聞いてくれ。
89 :
世界@名無史さん:2007/11/29(木) 19:05:02 0
エトルリアの歴史について興味を持ったんですが、それについてのオススメな本はありませんか?
ググッて色々探してみたんですが、種類があまりなく、どれがいいのかよくわかりませんでした。
初心者ですいません。
90 :
世界@名無史さん:2007/12/09(日) 11:25:07 0
>>83 南仏って、もともとはカタルーニャと同じ文化圏
91 :
世界@名無史さん:2007/12/11(火) 22:30:47 0
シラクサ
シャラクサイ
93 :
世界@名無史さん:2007/12/22(土) 19:25:26 0
94 :
世界@名無史さん:2007/12/22(土) 19:33:56 0
>>93 >レヴァント貿易で打撃を受けていたヴェネツィア貴族の中に公債に投資し、
>その利息を生活の拠り所としていたものもいた。
>しかし、1509年のカンブレー同盟戦争の危機により利息支払いの停止が行われた。
>それにより、利息収入に依拠していた貴族は収入を断たれ、公債を安値で売らなければいけなくなった。「新公債」は102.5ドゥカートから40ドゥカートに下落し、「旧公債」は25ドゥカートから15ドゥカートに下落した。
>そのため、資本を公債から土地へ移すようになったのである。
そういえば、日本の国債は、インフレで紙くずになったことはあっても、
支払停止になったことはなかったような
でも、いざとなったら
95 :
世界@名無史さん:2007/12/28(金) 21:19:50 0
いっそ国債発行じゃなくて、日銀が政府に融資する代わりに、
担保として国有財産や、企業や個人に対する債権(租税)を徴収できないだろうか?
96 :
世界@名無史さん:2007/12/28(金) 22:43:20 0
日銀の裁量の範囲を逸脱しすぎでね?
所得税ゼロ、消費税200%とかいう税制になっちまうぞ、それだと。
不良債権の時の民間銀行の裏社会に対する不甲斐なさを思い出せ。
98 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 23:11:08 0
アテネのパルテノン神殿爆破したのはベネツィアでしたっけ、ジェノバでしたっけ?
99 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 23:12:40 0
爆破というより弾薬庫に砲弾が直撃したんでなかったっけ?
101 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 13:45:18 0
誰だよあんなとこ弾薬庫にしたやつ
>パルテノン神殿
オスマン帝国の領土になる前から、ビザンツ人やアテネを占領したラテン人に
城壁とかいろいろくっつけられて要塞化してたらしいw
>>104 ビザンツ人っていうのはギリシャ人?
ラテン人の占領って言うのはいつの時代でしょうか?
>>105 第4回十字軍のコンスタンティノープル征服から15世紀ぐらいまで。
カタルーニャ人の傭兵団に支配されてたりしました。
>>106 えっと、このばあいカタルーニャ人がラテン人ってことですか?
>>107 十字軍としてやってきた西欧各国の人々です。
ギリシャに居ついたのはフランス人が多かったらしいですが・・・
109 :
世界@名無史さん:2008/01/28(月) 09:30:09 0
ゲノはどれ?
111 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 22:35:19 0
ギリシャといえばコジャック
112 :
世界@名無史さん:2008/03/01(土) 23:27:54 0
いなエル・グレコ
「ザ・ギリシャ人」ってのも凄い名前だよな。
テオトコプーロスってスペイン人には発音しにくかったんじゃない?
だから「あのギリシャ人」。
「近日発表 今話題の『ギリシャの人』待望の新作!」
……こんな感じだったのかねえ。
116 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 23:11:00 0
ギリシャ人ていう通称は多いのかな
117 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 16:06:37 0
英語のほうが発音しにくいぞ
子音で終わる語彙多いから
ラテン世界じゃ「外人」くらいの語感だろ>ギリシア人
119 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 21:42:17 0
スペインとギリシャじゃ遠いからね
120 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 22:19:39 0
ピサの港より、南イタリアの港町のほうが交易盛んそうだ
密輸や密入国も多そうだが
貿易協定とか、販売地域のカルテルとかなかったのだろうか?
122 :
世界@名無史さん:2008/06/22(日) 07:23:36 0
ハンザ同盟が海軍もってたくらいだから、ある程度の協力関係はあったはずだよな
岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き
6月24日20時37分配信 読売新聞
岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、
13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。
同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。
発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、
日付や自分の名前、短大名などを油性マジックで落書きした。
同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。
同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。
最終更新:6月24日21時5分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080624-00000044-yom-soci
124 :
世界@名無史さん:2008/07/28(月) 17:58:17 0
日本だけだったんだな
こういうことで、自分のとこの生徒を処分するのは
まあイタリア人は寛容だよね。
穴を掘れば遺跡にぶつかるような国では落書きくらい普通にあることかもしれないなw
126 :
世界@名無史さん:2008/07/28(月) 19:31:02 0
どこかのニュースで、遺跡を管理してる人が
「遺跡に落書きするのを当然と思ってるイタリア人は
少しは日本人を見習ったほうがいい」
みたいなコメントをしてて笑った。
遺跡につけられた落書きの跡すら遺跡になってそうな場所だしね
128 :
世界@名無史さん:2008/08/10(日) 00:25:02 0
ドイツの大学の学生用懲罰房に落書きが残っていたはず
129 :
世界@名無史さん:2008/08/26(火) 10:25:40 0
港といえば、港湾荷役
労働者のための居酒屋、売春宿、賭博場
130 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 23:06:31 0
131 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 23:09:49 0
きれいだなと思ったけどたしかに周囲にあってないな 色を緑から茶に変えればあうんじゃないの
まるで掃き溜めに鶴
実際ヴェネチアへ行くと汚い水とボロさにガッカリするね。皆なんとなくその気になってるというのがホントのところ。
一箇所だけ綺麗なものを作ったばかりに、周囲のみすぼらしさが目立ってしまうのだなw
それが叩かれている理由だろう。
あそこの橋は下が低いのが良いんじゃないかなと思う。
橋の下を船ですれすれにくぐるのが情緒あるのに あんなに高い橋はどうかと思うよ。
132 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 23:14:27 0
133 :
世界@名無史さん:2008/09/09(火) 18:49:30 0
確かに今は景観にそぐわないとは思うけど、100年も経てばいい具合にボロくなるんじゃないかな?
135 :
世界@名無史さん:2008/09/25(木) 15:58:04 0
大騒ぎすることじゃないな
136 :
世界@名無史さん:2008/10/11(土) 00:12:25 0
>>130 橋の根元て言うのか?
あそこコンクリの打ちっぱなしみたいで良くないな
赤レンガで装飾すりゃよかったのに
138 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 21:01:31 0
ほんと装飾を忘れるイタリア人ってのは意外だ
今このスレこんなふうになってるのね。
興亡の世界史のイタリア海洋都市を買ったんだけど、中身建築史でぜんぜん面白くなかった。
ちゃんと4海洋都市の歴史取り扱ってる本ないのかな
141 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 18:41:05 0
>>140 ヴェネツィアの歴史なら大きな図書館にあるのでは
143 :
世界@名無史さん:2008/11/25(火) 22:09:35 0
北海や黒海の港町の方が興味ある
黒海ならカッファ(ジェノヴァの勢力下)とかタナ(ヴェネチアの勢力下)とか面白そうだけど
日本語や英語の本では情報が少ないですね。
146 :
世界@名無史さん:2008/12/17(水) 09:06:06 0
イタリア系ロシア人とかいないのかな
147 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 18:40:01 0
スキタイ人の子孫がウクライナ人というが
一応スラブだけどね・・・
149 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 18:47:56 O
プギャ━━━≡≡≡≡≡⊂`⌒m9^Д^)⊃━━━ !!!!! 第二次大戦の元捕虜とか、共産主義者ならいるだろうな♪
第ニ次世界大戦で勝利したイタリアは
「旧敵国条項」対象とされていないしwwwwww
ドイツや日本などとは違うしwwwwwwww
敗戦国民がイタリアに嫉妬するなよwwwwwwwwwww
626 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 20:50:23 ID:???
さすが戦勝国の講和条件は違いますね
WW2のイタリアの講和条件
・ソ連に1億ドル,アルバニアに5000万ドル,エチオピアに2500万ドル,
ギリシャに1億5000万ドル,ユーゴスラビアに1億2500万ドルの賠償金支払い
・リビア、ドデカネーズ諸島等の海外領土の放棄
150 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 21:55:46 O
151 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 20:24:58 0
保守
152 :
世界@名無史さん:2009/02/03(火) 20:33:56 0
レパントの海戦の敗北のあと、主力艦隊の喪失に動揺する海軍長官クルチ・アリ・
パシャに対して、大宰相ソコルル・メフメト・パシャが言った言葉。
「そなたはこの国の底力を知らぬと見える。そなたが望むならば、すべての
軍艦の錨を銀で、ロープを絹糸で、帆を綸子でつくることもできるのだ」
実際、オスマン帝国はわずか5ヶ月で艦隊を再建した。
アルマダ海戦と一緒。艦隊はすぐに再建できる。
>>150 その本、薄いが素晴らしいリサーチによって完成度は高い
当時のサロ共和国の軍にフランス人義勇兵中隊があったなんて驚き
レパントの海戦は、キリスト教国の勝利とか、オスマン帝国がたどった長い衰退の
プロセスの出発点として語られることが多いが、実際にはガレー船時代の終わりと
カリヨンを主力とする帆船時代の幕開けを告げるものだった。
レパントの海戦でカリヨンの威力を目の当たりにした西欧諸国の海軍は、いち早く
このタイプの軍艦へとモデルチェンジをはかった。
ところがヴェネツィア人はガレー船を商船として使用しなくなった後も、軍艦と
してはガレー船を用いた。
そして、軍艦と商船とが判然と分けられることによって、軍事費が顕著に増大する。
ガレー船を商船としても使用していたときには、ガレー船は利潤を生み出していたので、
海軍力を維持するための政府支出は少なくてすんだ。
しかし、この時代になると軍艦を維持する経費はすべて税金でまかわななければ
ならなくなった。
156 :
世界@名無史さん:2009/02/04(水) 10:02:37 0
>ブチントーロ(元首(ドージェ)の御座船)
安土桃山時代の日本に持ってっても意外と違和感なさそうだw
>>157 ヴァネツィア人はふだんはケチだったが、「海との結婚式」やカーニヴァルなどの
祭には派手に金を使った。
ふだんの謹厳な生活からくるストレス発散といった意味合いもあったらしい。
さらに公共建築物にも金をかけた。
ヴァネツィアの造船所「アルセナーレ」の語源は、「daras-sins’ah」という
アラビア語。
ヴェネツィアの場合、なまじ優れた造船システムを誇っていたせいで、そう簡単に
帆船に全面的に切り替えるわけにはいかなかったんだろうな。
それに地中海のような、複雑な海岸線と変わりやすい風のある地域では、帆船よりも
ガレー船のほうが向いていた。
162 :
世界@名無史さん:2009/04/09(木) 09:41:30 O
保守
163 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 02:29:50 O
あげ
>>161 風が頻繁に変わる地中海では、帆船よりガレー船の方がメリットがあっただけでしょ?
当時の帆船はそんなに大きくなかったしね。
>>161と同じこと繰り返してるだけなのに「あっただけでしょ?」って偉そうだなw
おお、丁度良いスレがある。
ヴェネツィアは上下水道整備をどうやってたのか疑問に思ったんだけど
こういうことについて触れている本はないでしょうか?
塩婆さんの本で触れられてた記憶がある。多分上巻
以下ソースはそれ+うろ覚え
下水道は各家から運河に配管引いて垂れ流し、逆流だけはしないように気をつけてたとのこと
上水道は引きようがないから広場の地下に井戸を設置して雨水を濾過して貯めて使ってたんだったと思う
昨日の世界遺産で、トリノの上水道について触れられていた
人工的に地下水脈を掘って、さらにそれを一定時間貯めておくことで石灰分を取り除いていた
>>168 ありがとう。
どっかに埋まってるからまた探して読んでみます。
垂れ流しじゃあ、天気によっては臭くもなるし、疫病も流行るわけですねorz
>>169 あの辺り石灰なんですね。洗濯出来そうにないなぁ。
沈殿させて上澄みの綺麗なところを使うと。
171 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 15:55:12 0
172 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 11:59:16 0
詮無き事情でアマルフィが注目度が高まっている今日この頃
アマルフィの住民がこれを知ったら何と思うか
アマルフィ舞台にフジが映画作ったようだな。織田裕二主演で
174 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 12:02:43 0
mi chiamo Kuroda.
175 :
世界@名無史さん:2009/07/15(水) 20:17:54 0
>何と思うか
「世界で最も美しい場所」とかアマルフィを宣伝してるから、
まんざら悪い気もしないんじゃない?
織田裕二の演技はあまり好みじゃないけど。
海系の気質とはなんなのでせうな
177 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 11:25:53 0
178 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 20:34:55 0
179 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 09:01:28 0
180 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 09:09:48 0
>>179 免責法とかトンデモな法律つくれちゃうなんてさすがイタリア
でも憲法裁判所なんてあってまがりなりにも司法が機能してるのは羨ましいな
>>168 地盤の都合であまり地下水をくみ上げたくないから雨水濾過型の井戸を作った みたいなこと書いてあったね
海洋都市じゃないんだけど
13世紀半ばギベリン派のクレモーナの僭主だったウンベルト・バッラヴィチーノ(Umberto Pallavicino)
ないしはウベルト・パッラヴィチーニ(Uberto Pallavicini)のサイト探してます
一応イタリア語とドイツ語のサイトは見つかったんですが
当方、イタリア語とドイツ語読めません (T_T)
日本語サイトは極めて望み薄なので英語サイトでもご存知の方教えてください
183 :
世界@名無史さん:2009/11/19(木) 15:58:38 0
hosyu
184 :
世界@名無史さん:2010/02/02(火) 15:07:38 0
あげ
185 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:39:49 0
仏図書館、カサノバの直筆原稿を入手=「誘惑した女性は122人」
【パリ時事】華やかな女性遍歴で知られたベネチアの作家・外交官ジャコモ・カサノバ(1725〜98年)による回想録
「我が生涯の物語」など3700ページ分の直筆原稿を仏国立図書館が18日、購入したことを明らかにした。
現存するカサノバの直筆原稿で唯一のものとされ、購入費700万ユーロ(約8億7000万円)は篤志家が同図書館に寄付したという。
すべてフランス語で1780年代から書かれた回想録の中で、カサノバは修道女1人を含む女性122人を誘惑したなどと告白している。
(2010/02/18-22:00)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010021801002
186 :
世界@名無史さん:2010/03/12(金) 11:04:26 0
187 :
世界@名無史さん:2010/03/18(木) 23:15:23 0
188 :
世界@名無史さん:
hosyu