なあ、、史記ってどこまで信憑性あるんだ?

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1世界@名無史さん
司馬遷先生はまるで見てきたかのような表現をされてらっしゃるが
果たして本当の事を書いてるのがどれだけあるやら。

町民や官僚などから聞いた伝記をそのまま事実として書いてる節がよく見られるし

そもそも、先生自身の苦い経験から来るものを
昔の英雄に重ね合わせて物語を作り上げたように思われる事が多々ある。

全てが嘘とは言わないが、
80%ぐらいの割合で真実じゃない物が含まれてるんじゃまいか?
所詮、先生も中国人だしな。
2世界@名無史さん:2007/06/15(金) 18:33:20 0
ちなみに司馬遼太郎の司馬は司馬遷先生からとったらしい。
これマジ。

知ってた?
3世界@名無史さん:2007/06/15(金) 18:36:44 0
どうしても知りたいのならタイムマシーンを準備すべし。
4世界@名無史さん:2007/06/15(金) 18:37:07 0
>>2
知らなかった・・・。
それよりも(,,゚Д゚)∩先生質問です!
質問・王安石大先生を排斥してたのは司馬1000でおkですか?
5世界@名無史さん:2007/06/15(金) 18:41:16 0
司馬遷に遼に及ばずって意味で司馬遼太郎でしょ。たしか
6世界@名無史さん:2007/06/15(金) 18:45:50 0
>>2の嘘吐き!(´Д⊂)
7世界@名無史さん:2007/06/15(金) 18:46:48 0
>町民や官僚などから聞いた伝記をそのまま事実として書いてる節がよく見られるし

2200年以上前の「伝記」が保存されて
現代に伝えられているだけでも司馬遷には感謝しなくちゃ。

かの宮崎市定先生も、司馬遷の記述はそのまま史実とは言えないとしながらも
上記の事に触れて「よくぞこれだけの伝承を保存してくれた」と言っている。
8世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:03:54 0
>>4
>王安石大先生を排斥してたのは

それ司馬光だろ?
司馬違い。
9世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:07:08 0
>>5
そうそう。

最初それ知ったとき驚いたけど、
この人(司馬遼太郎)妙に歴史物書くなあって思ってたら
司馬遷先生を尊敬してたからその影響なのよね。
10世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:08:47 0
信憑性は未知数だよな。
三国志の場合なんかも、もし正史の資料が歴史上で損失してたら
演義が正史代わりにもなりかねなかったんだし。
11世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:19:12 0
>>7
もちろん歴史的重要性は認めるが(これがなかったら徳川光圀の大日本史もなく水戸学も生まれなかっただろうし、、、)

しかし、冒頓単于とか実際にいたかどうか分からない不確定な情報があったり
漢民族に有利になるような歴史の改変などが行われてる可能性もある。

もちろん回りの民族が歴史を残さなかったのも悪いけど
そのまま100%信用するのもどうかと思うよ。

まあ、確かに2000年前の伝記をまとめたってのは大きな功績だと思うけどね。
歴史書として信用していいかは別問題だ。
12世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:28:08 0
>>10
そこなんだよな。
中国人って昔から大きな事を大きい声で言えば真実になるってのを実践してる民族だし。

史記は司馬遷が歴史という物から自分自身を見つめなおし
後世に残る人物に漢民族(中国人)としての規範意識を植えつけるために書いた
ある意味、教科書として残したように思える。

決して歴史書としての価値がそんなに高いわけではない。
まあ、どの国も同じようなもんだが、、
読み物としてはハイレベルな物だとは思うけど。
13世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:33:03 0
少なくともイリアスよりは信憑性が高いはず
14世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:35:21 0
>読み物としてはハイレベル

そうなんだよ。
李斯列伝なんか出色の出来。
「始皇帝崩御後の、趙高たちの密談、誰が記録してたんだ?」
とか史学の面では疑問が多々あるけど、
文章の見事さやドラマ性はまさに文学そのもの。
15世界@名無史さん:2007/06/15(金) 19:46:47 0
民間人気に支えられ少しずつ完成度が増していった演義媒体の方が
いい読み物としても仕上がってるしな。
しかも国土の英雄をいつまでも風化させることなく昇華させているので
こういう部分は史記などの正史資料よりも個人的に好き。
なので史記がある程度、肉付けされた資料だったとしても俺はそれでいいかな。
孔子廟や関帝廟にもよく行く身だし。
16世界@名無史さん:2007/06/15(金) 22:16:03 0
>>1
そういうことは司馬遷自身が一番わかっていて註釈として
異説とか民間伝承も、ちゃんと載せているのがスゴイところ。
17世界@名無史さん:2007/06/15(金) 23:00:54 0
ツキディデス>>(次元の壁)>>司馬遷=ヘロドトス

ぐらいか?
18世界@名無史さん:2007/06/16(土) 01:56:30 0
中国人とみると日本人は低く評価する傾向あるからねえ
19世界@名無史さん:2007/06/16(土) 02:00:18 0
んなこたぁーない
20世界@名無史さん:2007/06/16(土) 02:26:39 0
蚩尤が死んじゃったとこで飽きた
21世界@名無史さん:2007/06/16(土) 02:30:46 O
本人自身が嘘と分かっていることを平気で書いてしかも真実を握りつぶした
プルタルコスやタキトゥスに比べれば百倍まし
22世界@名無史さん:2007/06/16(土) 12:16:00 0
甲骨文字と殷王朝の歴代王の系図が粗一致するから、大筋は、おK
23世界@名無史さん:2007/06/16(土) 13:07:21 0
>>22
現存する甲骨文字の大半が見つかった殷墟って盤庚以降の首邑で、盤庚以前のことはよくわからないんじゃなかったけ?
婦好なんて史記にも竹書紀年にも全く記載されていない女将軍の記述も甲骨文字には散見されたり、史記とはかなり異なる内容も存在する可能性があるようだけど。
24世界@名無史さん:2007/06/16(土) 13:19:00 0
25世界@名無史さん:2007/06/16(土) 13:29:04 0
かつてスーファミに「史記英雄伝」というクソゲーがあってな…
26世界@名無史さん:2007/06/16(土) 18:17:37 0
司馬遼太郎の本を読むよりは役に立つ。
27世界@名無史さん:2007/06/16(土) 19:40:14 O
無茶こくでねー!近代以降の歴史家だって何がしかの文明、国家観に立脚して公正中立なぞ望むべくもない。古代にしては上出来だろ。物語性、伝聞も無理ないだろ。謎もまた歴史を辿る楽しみだー。
28世界@名無史さん:2007/06/16(土) 22:48:20 0
だいたい、司馬遷は「古代の古代史家」なわけだよ
彼自身、ろくに資料もない大昔のことどう書きゃいいんだよ・・・
というところからスタートして史記をものにしてる

「発掘資料と内容が合ってない!」とか言われても
「俺だってその資料見てないんだからしょうがないだろ」という話
29世界@名無史さん:2007/06/16(土) 23:35:44 0
ソレを言ったら、「平家物語」「太平記」もw
30世界@名無史さん:2007/06/17(日) 00:15:27 0
三国史記は事実100%ニダ
31世界@名無史さん:2007/06/17(日) 03:38:00 0
殷の甲骨文字って歴史の記録じゃなくて、祭祀の跡だよね。なんで系譜がわかるんだろう?
32世界@名無史さん:2007/06/17(日) 03:45:36 0
祖先崇拝中心の宗教だったんだから、祖先の系譜を
詳しく記すのは当たり前。
33世界@名無史さん:2007/06/17(日) 04:05:06 0
昔の歴史書を現代の観点で批判しても意味はないが、
検証できてないことまで「史記のすべてが真実」という
理屈を押しつける「史記ファンダメンタリスト」もうざい。

行き過ぎると「黄帝も実在した」という中華ナショナリズムに
奉仕するだけになる。
34世界@名無史さん:2007/06/17(日) 04:10:49 0
黄帝陵って実際は誰の墓なんだろう。
35世界@名無史さん:2007/06/17(日) 08:06:20 0
前漢・武帝が遠征の帰りに橋山(黄陵)の黄帝陵に詣でた
という記事があるらしいから、前漢代にはすでに黄帝陵と
されていたらしい。

でも高さ3m直径十数mという小さい陵墓だし、あんまり
著名な人物の墓じゃないんじゃない?おおかた春秋戦国
時代の狄か羌(西戎)系の有力者あたりとか?
36世界@名無史さん:2007/06/17(日) 10:06:07 O
死後公表することで、現政権から検閲されることを避けた(?)
実に巧妙な作戦ですね。
37世界@名無史さん:2007/06/17(日) 10:42:35 0
武帝って陰険だったからな
38世界@名無史さん:2007/06/17(日) 13:22:57 0
匈奴に屈辱外交になったのをしっかり書いたのは凄い
39世界@名無史さん:2007/06/17(日) 14:18:23 0
武帝も陰険だが、その先代の景帝も史記を丹念に読むと
かなりろくでもない君主だぞ。
教育が悪かったのかその皇子たちも多少の例外はあるが変質者や
色情狂揃い。

暗君ではないが、積極的に仕えたいとは思わない。
40世界@名無史さん:2007/06/17(日) 14:32:36 0
司馬遷の孫(娘の子供)は宣帝の時代に官界から身を引いて
悠々自適しようとしたが、農作業の合間に
「天子さまなんか知ったことか」と謳っているのを
知人に書き送ってそれがばれて不敬罪で処刑されてしまったという
運のない人物。
41世界@名無史さん:2007/06/17(日) 14:45:21 0
>>17
どーなんだろ
トゥキディディスもペリクレスの演説とか勝手に創作してるし。
最近の評価によるとギリシア主義的なイデーがかなり言われてるし
案外ヘロドトスが再評価されてる
42世界@名無史さん:2007/06/17(日) 15:58:40 0
思想的なバイアスがかかるのは史書の宿命だと思う
43世界@名無史さん:2007/06/17(日) 19:12:44 0
>>42
司馬遷は良心的なほうだろ
項羽に好意的な記述したり高祖劉邦より扱いが…
44世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:04:11 O
刺客列伝とか貨埴列伝とか滑稽列伝とか、後世の史家からは
「くだらない伝を立てた」と叩かれてるよね。一番面白い
ところなのになぁ。
45世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:22:53 0
歴史が「学問」としてとらえられるようになったのは、実は19世紀ドイツでの出来事。
ランケあたりからにすぎない。で、学術においてドイツの植民地だった日本でも、歴史が「学問」として
捉えられるようになった。
それまではどこの世界においても、歴史は「物語」だった。

史記が「学問」としての厳密性、資料批判などを経ていないのはある意味当たり前。
だから史記は「物語」「読み物」として扱われてきた。
そもそも2000年前の中国の作品だぞ、「学術論文」と一緒にするな!!(笑)

で、肝心の「信憑性」についてだが、「学問」としての歴史が確立したと言われる現在においてさえ、
いろいろなことをいろいろな立場の人が好き勝手言ってる。
学問だから「信憑性」があるって考えるのは、高校生までで十分。
むしろ学問は「信憑性」を目指すモノであって、既存の学説に信憑性が足りないのは当然の前提。
それを批判してさらに信憑性を高めていく作業が、研究者の仕事。

結論としては、史記には信憑性は一定程度存在する。しかし十分に信憑性があるとはいえない。
そこで他の資料、場合によっては考古資料などを使って、
(史記の)信憑性の空隙を埋める作業をするのが歴史「研究者」の仕事だ。
さぁ、がんばれ!(笑)
46世界@名無史さん:2007/06/17(日) 22:05:03 0
感動した
47世界@名無史さん:2007/06/17(日) 23:50:39 0
くだらん人生をおくってる輩にはくだらんのだろうよ。
春を売る娼婦がさげすまれるのと同じように、
命を張る侠客と自分たちを並べて置かれるのは、
役人様にとってさぞかし不愉快だったんだろうよ。
48世界@名無史さん:2007/06/18(月) 13:59:12 0
で、冒頓単于っていたの?いなかったの?

夏、殷、周って実在するのしないの?

正直、日本の邪馬台国とかゼウスが実在するってのと同じレベルだと思うんだよなあ。
もちろん全ての国がそういう神話を歴史として残してるんだけどさ。
まあ、贔屓目に見て周からだろうね中国の歴史として認められるのは。
49世界@名無史さん:2007/06/18(月) 16:10:22 0
冒頓がいなかったってのは初耳だな。
50世界@名無史さん:2007/06/18(月) 16:15:19 0
冒頓単于がいなかったら西漢の歴史自体成り立たなくなるわな。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chu801.html
51世界@名無史さん:2007/06/18(月) 16:47:13 0
冒頓単于は史記の中でいえば
かなり最近の人物だからねえ。
どこから実在を疑う話が出てくるんだよ。
52世界@名無史さん:2007/06/18(月) 18:29:12 0
ていうか銀河英雄伝説のほうが面白い
53世界@名無史さん:2007/06/18(月) 19:37:34 0
>>45
「歴史家」が「歴史学者」になったのはドイツ文献学のテクを導入した
ニーブーア・ランケ以降だけど、「まったく別の理由で」この時以後の
歴史の方が間違いが多いんだな。「まったく別の理由で」。。。

歴史家以前には(つまりヘロドトス以前には)、ホメロスのような叙事詩詩人が歴史を担っていた。
民族の歴史を歌う吟遊詩人の方が案外正しい事も多かったりして
54世界@名無史さん:2007/06/18(月) 19:49:32 0
×正しい事
○そうであってほしい通りの事
55世界@名無史さん:2007/06/19(火) 22:01:08 0
易姓革命という概念が確立していた以上、歴史の記述にバイアスや思想性を帯びるのは仕方がないように思う。
まして夏殷周秦と劉邦を繋げるのは「天命」以外にないわけだし。
56世界@名無史さん:2007/06/20(水) 14:47:12 0
邪馬台国は日本の神話だったのか
57世界@名無史さん:2007/06/20(水) 15:08:04 0
その時代の遺構が見つかったらすぐ新聞の見出しに「邪馬台国の〜」が出るのは
中国の夏王朝祭りと同じレベルではあるな
58世界@名無史さん:2007/06/20(水) 18:37:13 0
「ニーブーア」なの?
「ニーブール」なの?
59世界@名無史さん:2007/06/20(水) 18:59:46 0
「史記、夏子」・・・五木寛之・・・?
60世界@名無史さん:2007/06/20(水) 19:24:44 0
信憑性はあまりないだろ。
61世界@名無史さん:2007/06/20(水) 21:44:12 0
>>1
「なあ、、」って、ネゴシックスか?
62世界@名無史さん:2007/06/20(水) 22:38:25 0
戦国時代以降はそれなりにあるんじゃね?
63世界@名無史さん:2007/06/21(木) 00:03:54 0
>>48は当然ネタだよな。
二里頭も安陽殷墟も金文も知らないようなやつが世界史板に来るわけないものな。
64世界@名無史さん:2007/06/21(木) 00:23:39 0
二里頭遺跡が夏王朝のものかは議論が分かれるところではあると思うが…その他はともかく
65世界@名無史さん:2007/06/21(木) 01:13:01 0
夏・・・末喜(ばっき)
殷・・・妲己(だっき)
周・・・褒ジ(ほうじ)

絵に描いたような悪女が出てきて、国が滅ぶって
「水戸黄門」を楽しんで観ているような感覚だな
66世界@名無史さん:2007/06/21(木) 01:22:46 0
水戸黄門という人物がいたのは史実だが、漫遊したとかいう行動の方はでたらめだったみたいなもんか。

史記のほうは出来事はあったかもしれんが、登場人物は嘘臭えという点では真逆だが。
67世界@名無史さん:2007/06/21(木) 02:42:32 0
史記を素直に読めば確かに武帝までの漢は匈奴の属国だな。武帝のやった事は独立戦争と考えれば
あれだけ財政をパンクさせた皇帝の評価が妙に高いのも納得がいくというもの。
68世界@名無史さん:2007/06/21(木) 04:35:34 0
武帝の評価が高いのは儒教を国教にしたからでしょ
69世界@名無史さん:2007/06/21(木) 06:36:45 0
武帝って司馬遷を宮刑にした人だろ
客観性があるとは思えない
70世界@名無史さん:2007/06/21(木) 07:50:59 0
水戸黄門の原作は助さん角さんは学者で剣術はからっきし 黒人の大男も仲間にいて諸国の名所旧跡を見てまわる穏やかツアー


・・・まあ、考えてみれば当たり前で「○○藩の悪者を懲らしめる」なんて書いたら作者捕まるわな
71世界@名無史さん:2007/06/21(木) 09:57:36 0
漢の武帝って、伝統的に評価高くねえよ。
儒教的に言っても瀆武の君だから評価高くない。
72世界@名無史さん:2007/06/21(木) 17:06:45 0
遊牧民に頭を下げてる方が経済は豊かになることがある
73世界@名無史さん:2007/06/21(木) 22:23:51 0
まるで、この場面で印籠が必ず出てくるかのような、
読み手が期待した展開で、国が滅ぶってのは、歴史書としてどうかと思う
74世界@名無史さん:2007/06/22(金) 00:28:37 0
>>73
易姓革命からすると国家の滅亡はある意味サイクルの節目。
民族を挙げての大イベントだからいいんじゃね?
75世界@名無史さん:2007/06/22(金) 12:52:26 0
>>54 とんまだな 

歴史はいつの時代だって「そうであって欲しい事」。
歴史家なんて所詮ゴイムだもん
76世界@名無史さん:2007/06/22(金) 20:11:19 0
盤古は史記に出てこないんだよな
77世界@名無史さん:2007/06/23(土) 22:34:07 0
チンチン切られてまで書き上げた入魂の書をこんなところでボロクソに言われるとは、司馬遷が哀れだ・・・
78世界@名無史さん:2007/06/24(日) 03:02:35 0
『史記』の比較的つまらない部分の多くは
当時の宮廷の史書や記録などに基づいているため史実としては信憑性が高いが、
面白いことで定評のある部分は民間の語り物などから取材しているから
史実としての信憑性は落ちる、というようなことを宮崎市定先生がどこかに書いていたような。
79世界@名無史さん:2007/06/24(日) 03:09:44 0
暗号とか埋め込んでありそうな気もするな。
武帝はクソとか、劉邦はドン百姓の卑怯者とか
80世界@名無史さん:2007/06/24(日) 03:28:19 0
>>79
それは暗号を埋め込むまでもないような……。
劉邦が敗走する時に馬車からわが子を蹴落とした話まで書いてるし。
81世界@名無史さん:2007/06/24(日) 03:34:43 0
>>80
あの逸話「孝」の精神から言うと無問題なんじゃなったけ?
御者の夏侯嬰を助けるためだ、なって言ってたのは赤龍王だけか。

それより和睦して帰っていく項羽の後ろを騙まし討ちしたことをきっちり書いてるのも凄いけどな。
もっとも「天命だ」とか「大義のため」とか「戦乱を終わらせて民を安んじるため」とかフォローも忘れてないが
82世界@名無史さん:2007/06/24(日) 05:07:37 0
項羽本紀と高祖本紀の馬鹿さ加減を考えると
司馬遷は絶対に狙ってあれを書いている

一例

項羽がある日高祖に向かって言った。
「なあ、戦争とか面倒くせえから、俺たちで一騎打ちして
 それで勝ったほうの勝ちってことにしようぜ」

高祖が答えて言った。
「知恵比べでよかったら相手してやるぜ」
83世界@名無史さん:2007/06/24(日) 07:04:26 0
>>77
便所の落書き2ちゃんねるでそんなこと言っても仕方ないべ
84世界@名無史さん:2007/06/24(日) 13:41:05 0
まあ、1の「80%ぐらいの割合で真実じゃない」ってのは酷すぎるな。
いまどき疑古派でもこんなことはよう言わんと思うぞ。
85世界@名無史さん:2007/06/26(火) 22:51:42 0
赤龍王よりは信憑性がありますか?
86世界@名無史さん:2007/06/26(火) 23:00:04 O
もちろん、史記>>>>>>>>>>赤龍王だよ。

厨房の頃、赤龍王を鵜呑みにして友達に知ったかかまして恥をかいた俺が言うから間違いない!
87世界@名無史さん:2007/06/27(水) 00:50:29 0
>>86
昔は始皇帝に弾圧された諸子百家が結託して劉邦に天下を取らせたと固く信じていたことが懐かしい。

当然、墨攻は更なるデマだよな。でも孔子暗黒伝はオレは信じ続けるよ・・・
88世界@名無史さん:2007/06/27(水) 19:01:33 0
>>84
じゃあ話半分で、50%ぐらいホントは?

ウソの部分は元資料がウソだからで、司馬遷自身が脚色した部分はあまし無いと考えていいわけ?
(もっとも、これは三国志や日本書紀でも同様な疑問を出せるわけだが。)
89世界@名無史さん:2007/06/28(木) 01:14:36 0
項羽の強さが一番よく分かるのは赤龍王。
90世界@名無史さん:2007/06/28(木) 01:19:48 0
>>90
オレは黥布の脱走シーン。
秦兵の首根っこを掴んで振り回し、秦兵どもを叩きのめすあの一コマが好きだ。
91世界@名無史さん:2007/06/28(木) 08:21:28 0
「赤龍王」って何?
92世界@名無史さん:2007/06/28(木) 11:10:30 0
マンガ
93世界@名無史さん:2007/06/28(木) 15:12:10 0
俺の脳内の劉邦や項羽の顔はいまでも赤龍王のがデフォ
94世界@名無史さん:2007/06/29(金) 00:31:24 0
>>93
おれも。
子供の頃に赤龍王読んだあと、横山版読むと
劉邦はけっこう上品だし、項羽もあんま強そうに見えなくて困る。
赤龍王の盧綰とか農民丸出しだもんな。
95世界@名無史さん:2007/06/30(土) 16:35:07 0
オレは
劉邦のイメージは蒼天航路の劉備
項羽のイメージは蒼天航路の曹操
ごちゃごちゃになっとる。
96世界@名無史さん:2007/06/30(土) 19:20:41 0
項羽、才求めてNEEEじゃんw
97世界@名無史さん:2007/06/30(土) 22:12:19 0
>>94
農民をバカにするなw
赤龍王の盧綰の顔は知将にそっくりだろ。
98世界@名無史さん:2007/07/01(日) 00:03:37 0
そのうちタイムマシーンで確認できる日が来る
それまで寝て待て
99世界@名無史さん:2007/07/01(日) 11:17:04 0
>>95
項羽はラオウだろ。
100世界@名無史さん:2007/07/02(月) 02:03:50 0
戦いとは百戦のうち九十九回負けても最後の一回に勝てばいいのです。
ということで100
101世界@名無史さん:2007/07/02(月) 04:33:16 0
でも最初の一回目で死ぬ事も多々あるわけで・・・
102世界@名無史さん:2007/07/02(月) 05:58:23 0
横山光輝の史記12巻(項羽と劉邦の最後)のシメで

「農民出身の劉邦は身分を気にせず才能を重視し
 項羽は貴族出身であった為に肩書きを重視した。
 それが勝負を決めたのである」

と書かれてたが、項羽も十分に能力主義者だろ。
ハンゾウ、ショウリマイ、英布、桓楚、陳平は平民だし
竜且や季布もおそらくそう。
秦滅亡後に王に封じたのも下克上そのものだったし。
やっぱり先入観がある人はダメだな。自分が書いてる癖に都合のいい解釈しかできない。
103世界@名無史さん:2007/07/02(月) 08:42:03 0
104世界@名無史さん:2007/07/02(月) 19:39:15 0
>>102
范増は離反
英布、陳平は寝返り
韓信や張良のような珠玉の逸材もすべて劉邦側に。
能力主義者の割には一線級の武将に冷遇しすぎだろ?
項羽が温情を持って接するのは自分に対して有益な
働きをしたもの+楚出身者だけじゃなかったか?
105世界@名無史さん:2007/07/03(火) 00:12:01 0
ていうか、自己愛性癖の強い人間って
他人からの搾取を当然だとおもうから

最後は周囲から嫌われて自滅するってのも
黄金パターン
106世界@名無史さん:2007/07/03(火) 00:21:26 0
ヘロドトスは好き放題に面白そうなことを書き連ねていて
歴史家としてはあんましだけど、
イデオロギーによる色眼鏡が少ない分、史料としての価値は案外高いかもね。

107世界@名無史さん:2007/07/03(火) 02:10:04 0
>>106
> イデオロギーによる色眼鏡

ヘレネス至上主義
108世界@名無史さん:2007/07/03(火) 05:39:02 0
★始皇帝陵内に高さ30メートルの建築物?

 中国国営通信、新華社(電子版)は1日までに、中国陝西省西安郊外にある
秦の始皇帝陵の墳丘内部に高さ約30メートルの高層建築物があることが分かったと報じた。
同省の考古学専門家がハイテク技術で内部を測量、発見した。

 新華社によると、東西南北に巡らされた壁のような建築物で、外形は9段の階段状。
ピラミッドのように上から下に広がっているという。
上部の長さは東西168メートル、南北142メートル。

 始皇帝陵では、墳丘の地下約30メートルの地点に巨大な「地下宮殿」や
墓室が存在することが確認されている。墓室の周囲には頑丈な壁が巡らされているとの
測定結果も出ており、今回発見された建築物がこの壁の可能性もある。

 専門家は、建築物の上部に木造瓦ぶきの建物があった可能性もあるとしている。

日刊スポーツ http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070702-221025.html
109世界@名無史さん:2007/07/03(火) 11:36:15 0
>>107
それは後世の誤解
110世界@名無史さん:2007/07/03(火) 17:03:20 0
>>109
そうでもないだろ。
「植民地出身の自分が如何にギリシア的か」という目的で、
「ギリシア人とは何か」を書き連ねているのだから。
111世界@名無史さん:2007/07/04(水) 01:07:02 0
劉邦ってヘボのくせになんで対匈奴では自ら指揮をとったの?
112世界@名無史さん:2007/07/04(水) 01:49:02 0
>>111
天命は我にありとか将に将たる、なんて戯言を本気で信じちゃったんじゃない?
113世界@名無史さん:2007/07/04(水) 03:58:44 0
ローマのオクタヴィアヌスが自ら戦いたがってぼろ負けしたのと同じじゃないかな。
武功のないまま最高君主位につくと、自分だけの武勲がほしくなるものなんだよ……
114世界@名無史さん:2007/07/04(水) 04:51:29 0
あと匈奴なら秦の時代にも追っ払った事があるから軽い、って言う自信もあったんだろ。
115世界@名無史さん:2007/08/17(金) 11:22:08 0
司馬遷って武帝に去勢されたというのは本当?
116世界@名無史さん:2007/08/17(金) 18:30:16 0
 「史記」を歴史として有りがたがって読むのは日本人。歴史講談として
読むのが中国人だそうな。
117世界@名無史さん:2007/08/17(金) 18:39:34 0
>>116
逆だろ。
中国人は三国志演義ですら「歴史」としてありがたがって読んでいる連中だぞ。
最近だと金庸の武狭小説とかも真実だと疑わないのが多いそうだしな。
118世界@名無史さん:2007/08/17(金) 19:19:32 O
>>117
うろ覚えですまんが、何かの中国映画で公然
と有力者が歴史を塗り替える場面がでてきた覚えがあるんだが。
119世界@名無史さん:2007/08/18(土) 01:03:16 0
>>116
いちがいにいえない。日本人にも中国人にもいろいろいるから。
しかし、「歴史として有りがたがって読む」のも「歴史講談として読む」のも、
歴史屋としては問題ある態度だと思う。
120世界@名無史さん:2007/08/18(土) 02:21:38 0
あれをまるごとそのまま信用していいかどうかはともかく
きわめて重要な古代資料であることには間違いない。

そして、そのまま小説みたいに読んでも面白いというのも本当。
121世界@名無史さん:2007/08/25(土) 05:21:10 0
史記は歴史哲学になる?
122世界@名無史さん:2007/10/03(水) 21:48:57 0
>>117
最近はみんな創作だと知らないみたいだね
123世界@名無史さん:2007/10/03(水) 22:03:56 0
項羽が詠んだ歌が史記にはそのまま掲載されているけど、
信憑性があるのかどうかは疑わしいよな。
項羽の生存していた時代を考えて司馬遷が史記を叙述した時期を考えると
項羽が生きていた瞬間に立ち会ってはいない筈だし
項羽が歌を歌った時に側近に人間がそのまま全て聞いていたとは思えない。
こうもんの会の描写といい、どうやって事実関係を調べたんだ?
と思わされる記述は少なくないよな。
仮に項羽の歌やこうもんの会が事実だとしても
100年近い時間差がある事をどうやって調べたんだ??
紙もレコードもない時期に???
伝承で伝わっていたとするのならその伝承はあてになるのか???というのもあるし。

でもそれでも史記は古典の中では信憑性が高い代物に入るのではないの。
日本書紀のように神話と歴史が混ぜて扱われているようでもないみたいだし
124世界@名無史さん:2007/10/04(木) 02:54:37 0
>>65
史記はたしか紀元前842年からじゃなかったかな?
それ以前の「史記」といわれてるのは司馬遷が書いたんじゃなくて唐代に誰かが付け加えたとかじゃなかったかな?
共和以前の資料がなくて書けなかったとかなんとか。

俺が中学の頃国語の時間に何気に習っただけで専門高校出だし詳しいことはよくおぼえてないけどなww
125世界@名無史さん:2007/10/04(木) 07:12:31 0
>それ以前の「史記」といわれてるのは司馬遷が書いたんじゃなくて唐代に誰かが付け加えたとかじゃなかったかな


これはマジですか?
126世界@名無史さん:2007/10/04(木) 10:32:20 0
>日本書紀のように神話と歴史が混ぜて扱われているようでもないみたいだし
何を言うか。
史記だって、三皇五帝や各王朝の先祖の記述なんてまず神話というべき。
127世界@名無史さん:2007/10/04(木) 15:00:51 0
本紀の最初のほうとか、司馬遷も嘘と承知で書いてるふしがある
「伝説だからあんまり信憑性ねーけど」とか自分で添え書きしてるし

ちなみにリヴィウスの「ローマ建国史」の最初のほうにも
「このへんの叙述は史実というよりファンタジーですんでよろしく」
みたいなことが書いてある
128世界@名無史さん:2007/10/04(木) 16:08:32 0
司馬遷のそもそもの史記の五帝本紀は唐突に黄帝から始まる。
しかもそれ以前の別の王統があることを匂わせ、別に「これより世界始まる」という感はない。
このへんが神話というよりは伝説、て感じがするんだよなあ。
昔、黄帝って偉い人がいたんだべ、墓もあるべ、みたいな感じ。

まあ夏本紀、殷本紀、周本紀や世家の系譜記事のみなんかはすべて怪しいわな。
ただ伝説として残っているものや逸話なんかは司馬遷の創作とは断言しにくいな。
どうも史記には「神話」というイメージは弱い。
129世界@名無史さん:2007/10/05(金) 22:20:01 0
夏は兎も角殷周の系譜は出土史料からほぼ確認されてるだろ
130世界@名無史さん:2007/10/05(金) 22:21:44 0
確認されてるのは王名であって
酒池肉林は本当だったか、とかいうのはまるで別の次元の話
131世界@名無史さん:2007/10/05(金) 23:18:01 0
系譜と限定して話してるんだけどなぁ
132世界@名無史さん:2007/10/06(土) 00:17:04 0
>>129
おっしゃる通り、ご指摘の通り>殷本紀・周本紀
ただ春秋戦国時代の世家の勃興以前の系譜記事は事跡記事が見られるまでは
それこそ「建国譚」以外何もない、怪しいものだよなあ。
133おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2007/10/06(土) 09:50:42 0
>>124
>それ以前の「史記」といわれてるのは司馬遷が書いたんじゃなくて唐代に誰かが付け加えたとかじゃなかったかな?
それは唐の司馬貞が加筆した三皇本紀ですね。五帝本紀の前に付け加えています。

>史記はたしか紀元前842年からじゃなかったかな?
それは、陳舜臣氏が述べているように「史記で年代が特定できるのは紀元前842年から」という話で、
それ以前の記述が司馬遷の執筆した部分になかったというわけではないですね。

司馬遷は五帝・殷・周の本紀を記していて、それは紀元前842年の共和以前のものです。
134世界@名無史さん:2007/10/06(土) 12:54:26 O
司馬遷の書いた物がそのまま残っているの?一番古い物でいつの誰が写したものが残っているの?
135世界@名無史さん:2007/10/06(土) 13:00:44 0
司馬遷が書いたのは木簡か帛書だろうな
136世界@名無史さん:2007/10/06(土) 13:32:12 0
現物ってことじゃなくて内容が司馬遷が書いたものそのままで残ってるかってことだろ。
残ってないだろう。
137おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2007/10/06(土) 17:58:12 0
司馬遷が執筆した直筆原本はさすがに残っていません。最古のテキストで完全なものはせいぜい宋代でしょう。
北宋仁宗景祐監本が最古、直江兼続旧蔵の南宋慶元本が最善本とされているようですね。
部分的に残っているものならそれよりさかのぼれるものはあります。奈良時代からの写本を校訂すると
文字の異同は色々あるようです。
校訂は清朝考証学者たちを始めとして日本の直江兼続、滝川君山、水沢利忠らが
色々やっていて、その人々の成果を集大成したのが今市販されている史記の本文ですが、それが司馬遷の原本どおりかどうか
というのは分からないでしょうね。

司馬遷が執筆した部分が史記の大半を占めることは事実でしょう
(これだけでもすごいことだと思います)。司馬遷以降の加筆者としてはチョ小孫がいますが、史記において彼の書いた部分は特定されています。

史記は割と原著者の書いた部分が残っているほうで、シナ古代の本としては残存率が高いほうでしょう。
138世界@名無史さん:2007/10/07(日) 01:53:18 0

かの孔子は、実は本当はイスラエル人の予言者エリヤだったのであり、
支那には孔子などという儒者は存在していなかったと言われて、
みなさんはどう受け取られるだろうか?

端的には、支那古代の歴史をつづったとされる、例えば『史記』は、
全部が偽造の書であって、すべてイスラエル地方の歴史、ずばり言えば
『聖書』などの引き写しでしかなかった!

『史記』は、あまりにも有名で、司馬遷が紀元前91年ごろに完成した
“歴史書”とされるが、大ウソなのだ。司馬遷は南朝イスラエルの
(支那地方に亡命してきた)予言者が己のイデオロギーを説くために
偽造したデタラメ本で、決して史実をつづった“歴史書”なんかではない。

『論語』もしたがって、孔子は架空の人物だから、孔子がしゃべった
言葉をまとめたものではなく、予言者エリヤの書なのである。エリヤの
言ったことを書き留めたものらしく、それをいわば適当に翻訳したものが
『論語』なのである。予言者エリヤは『旧約聖書』に登場する人物である。

鹿島昇は、支那人の古代史はすべてオリエント史を“借史”したものだと
断定している。つまり支那の史書作成の目的は、儒者=ユダヤ人が儒教の
テキストとすることにあった。歴史上こうだったのだからこうすることが
正しいとか、こういう施政をやれば暗愚な皇帝といわれて排斥されるぞ、
とかを分からせるためのテキストなのである。

支那ではよく焚書が行なわれたが、これはよく言われるような前王朝を
否定するというよりも、“借史”を隠すためだったそうだ。
139世界@名無史さん:2007/10/07(日) 06:11:00 0
はいはい。眠い目をこすりながらの妄想、お疲れ
140おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2007/10/07(日) 06:54:46 0
鹿島昇は普通に電波でしょう(笑)
なお、この手の「シナ文明西方起源説」というのは明治時代にネタになっていましたが、
狩野君山博士により論破されています。鹿島氏の説はそれの最も極端なもので、
借史なるものもこじつけに過ぎません。
141世界@名無史さん:2007/10/07(日) 10:18:54 0
既存のふたつのものを頭の中でこじつける、
ってのは妄想の中でもごく簡単な作業に過ぎないからね
142世界@名無史さん:2007/10/31(水) 11:28:18 0
>>135
竹簡の方だろ。
143世界@名無史さん:2007/11/22(木) 03:40:51 0
あげ
144世界@名無史さん:2007/11/22(木) 12:16:53 0
やっぱり始皇帝の兵馬俑が発掘されて、いろいろ調査されてから
司馬遷の評価も上がったのかもしれない。それまでは始皇帝をの
権威を示しために地下宮殿とかはオーバーに書いているとか
言われいたけど、

145世界@名無史さん:2007/11/22(木) 20:45:08 0
>>36
公表された後も、前漢時代は危険な書籍として、
禁中門外不出の禁断の書扱いだった筈。
前漢が滅んだおかげで世に広まった。

様々な権謀術数が書かれているというだけではなく、
「歴史的事実(あくまで当時の、という意味でだが)」が、各地を
支配しコントロールする上で、危険だった、という点は、今の中国政府が
歴史教科書をコントロールしようとする姿勢と同じ。

これに対して漢書は、書かれて直ぐに知識人の間に広まったというから、
儒教リテラシに凝り固まった後漢の方が、意外と知識に関しては
寛容になっていたのかも知れない。慣用というか、班固の思想が儒教思想を内面化
していて、もう危険だと見なされなくなっていたのかも知れないが。
146世界@名無史さん:2007/11/22(木) 21:01:32 0
単に全国各地の講談と『春秋』や『戦国策』などの資料をうまく編集したものだよ
147世界@名無史さん:2007/11/22(木) 21:41:41 0
>>146
おおむねそんな所だろう。だから、所々不必要なまでに劇的。
脚色抜きで劇画になる。

後、既存資料で重要なものは既に散逸して断章しか残っていない『楚漢春秋』が重要。これは劉邦に
仕えた漢朝初期の臣、陸賈の著作。項羽と劉邦の逸話はかなりがこれをネタに
していると思われる。何しろ史記の文章と楚漢春秋の断章の文章を比較すると、ほとんど
コピーと言っても良いほど。
でも、逆に言えば、楚漢の争いの各エピソードは出所がはっきりしているとも言えるので、
あの面白おかしい話の数々も本当にあったことなのかもしれない(鴻門の会とか、陸賈は当時
劉邦の幕営にいた)。

陸賈のおじさんがホラを吹いてなければだけど。
148世界@名無史さん:2007/11/23(金) 03:22:27 0
項羽が一人で劉邦の陣営に乱入して
数百人を殺したなんて無茶な話を書いたのもそいつの仕業なのか。
149世界@名無史さん:2007/11/23(金) 11:09:56 0
そんな話し合ったっけ?
150世界@名無史さん:2007/11/23(金) 19:54:10 0
50万の劉邦軍を3万の部隊で蹴散らした彭城の戦いの事か?そのくらいの事なら中国にはよくある話だ。
151世界@名無史さん:2007/11/23(金) 20:20:20 0
長平の戦いで40万人を生き埋めにした話とかは半分事実らしい。

中国ってぽんぽん何十万を壊滅とかいうけど、実際は数万くらいしか
戦死してなくて、すぐ四散して故郷や親戚のところに帰ってたり、別の土地に
住み着いたり、山賊になったり、どっかの軍隊の徴募とか志願したり
そしてまた徴兵されたり、何度も別の陣営の兵士になったもの多いのかもしれない。

大学時代に四面楚歌で楚の歌を歌ったのは漢に投降したりした楚出身
の兵士だとか、教授は言っていた(中国では各地発音とかはかなり違うので、
沛の人間が会稽の方言を教えられても上手く発音できないらしい・・・)



152世界@名無史さん:2007/11/23(金) 22:47:56 0
山西省高平市の郊外から大量の人骨が出土した奴ね。幅4m、長さ10m、深さ2mの
ピットを掘ったら140体の人骨が出土したそうだ。そんなのが村中にあるとか。
0.04HA当たり140体なら1HA当たり3500体。史記の記述もあながち誇張とは言えない。
今でも村の道端にはいつでも人骨が浮き出てくるらしい。
あな恐ろし。
153世界@名無史さん:2007/11/24(土) 10:10:49 0
あれ、未だに村人は白起を恨んで白い豆腐を白起に見立てて焼き豆腐にして食ってるらしいな。
NHK取材班が現場に行ってるんだが、記者によるとすごく焼き豆腐がまずいらしいね。それもまた歴史の味だそうだが。

白起の子孫とかがその村に行ったらどうなんのかね、謝罪と賠償でも請求されるのか?
154世界@名無史さん:2007/11/24(土) 22:46:18 0
>>148の話は項羽本紀の一番ラストシーン。
項羽は馬を捨ててたった一人で敵軍の中に突入し、
一人で数百人の漢兵を討ち取ったが、
漢兵には項羽を討てるものが誰もいなかった。
項羽は最後、たまたま敵の中に知人の顔を見つけ、
「高い懸賞のかかっているこの首、
 せっかくだからお前にやろう」
と言って自らの首を斬って死んだ、という。

明らかに誇張だろ。
どこの世紀末覇王なのかと。
155世界@名無史さん:2007/11/25(日) 01:57:15 0
>>154
これは間違い無く当時の演劇からの借用だな。
156世界@名無史さん:2007/11/25(日) 09:59:15 0
>>147
陸賈は生年不詳、楚人だが出身県は不詳、漢中争奪戦の時には、既に劉邦
に仕えていたが、仕えた経緯も不詳で、多分に庶民に近い出身だったと思われ
ます。ギョウ関攻略戦で、敵将を弁舌と賄賂で籠絡させ、名を上げました。
楚漢抗争時には、主に説客として外交を担当し、漢帝国成立後は、太中大夫に
なり、南越王への使者ともなっています。しかし、呂后専制が始まる直前に、
あっさり引退します。史記によると、南越王から頂いた宝物を売りさばき、
その資金で息子達を独立させると、独立した息子達の間を定期的に訪問し
ながら暮らしていたようです。
157世界@名無史さん:2007/11/25(日) 10:09:21 0
>>147
気になるのは、各息子間の間を渡り歩く時は、歌舞音曲の楽師連中を
十人連れ、馬車に乗りながら、息子達を年2・3回訪問していた、という
記述で、ひょっとすると、引退後の陸賈は講談師として生計を立てて
いた可能性があります。
件の楚漢春秋も、その乗りで書かれた可能性はないでしょうか。
陸賈は楚の人なので、つながりのある楚人から伝聞を集めた可能性もあるでしょうし、
そうなると、項羽が格好良くなるのも分かりますね。
158世界@名無史さん:2007/11/25(日) 20:57:45 0
>>154
「弓」が無いのは日本の悪奉行・悪代官の屋敷だけかと思っていたが、
昔の中国にも無かったんだな。
159世界@名無史さん:2007/11/25(日) 22:29:58 0
なぜそんなに一騎打ちにこだわるんだろう。武将〜足軽まで
弩を使って狙い打つか、何十人が槍衾で襲い掛かれば
項羽だって討ち取れるだろう・・・・
160世界@名無史さん:2007/11/25(日) 22:36:51 0
>>159
ヒント:「創作」
161世界@名無史さん:2007/11/25(日) 23:08:48 0
>>159
多分、気合いを発するだけで矢なんか弾き跳ばせるんだと思うよ。
史記の中の項羽はそのくらいの化け物に書かれてる。
162世界@名無史さん:2007/11/25(日) 23:51:42 0
>>157
楚漢春秋では・・・
亜父謀りて曰く、吾人をして沛公を望ましむるに、その気天を衝き五色相交わる。或いは竜に似、或いは蛇に似、
或いは虎に似、或いは雲に似、或いは人に似たり。是れ人臣の気に非ざる也。是を殺すに如かず。

史記では・・・
沛公山東に居りしとき財貨を貪り美姫を好めり。今関に入りて財物取るところなく婦女幸するところなし。是その志
小に在らざる也。吾、人をしてその気を望ましむるに、皆竜虎となり、五采を成す。是天子の気也。急に撃ちて
失ふことなかれ。

楚漢春秋の方が一次資料のはずなのに、何か文章がより派手に感じる。何で?
やっぱり講談に仕立てたのか。
しかし、陸賈は劉邦の臣下のくせして、子供を三度も蹴落とすような話を伝えたのか?
何か恨みでもあったりして。
163世界@名無史さん:2007/11/26(月) 00:23:12 0
史記はぜんぜん劉邦を聖人扱いしないからな
項羽に矢で射られて重傷を負って
負け惜しみを言う場面とか、ほんといい意味で馬鹿に書かれてる
164世界@名無史さん:2007/11/26(月) 01:33:13 O
陸賈って儒者だよね?
まぁ、この頃の儒者って戦国時代の名残からか説客っぽさが濃厚だけど、劉邦は儒者嫌いのエピソードがあるから、陸賈も劉邦にムカつくことされたんじゃね?
165世界@名無史さん:2007/11/26(月) 02:41:07 0
陸賈のほうが文章うまい
166世界@名無史さん:2007/11/26(月) 07:38:39 0
>史記はぜんぜん劉邦を聖人扱いしないからな

そこが史記の面白いところだな。
即位後の謀反を未然に防ぐ策謀も、普通の史書なら
「善政を行ったので謀反を起こそうとするものはいなかった」
で済ますんだろうけど。
167世界@名無史さん:2007/11/26(月) 09:31:18 0
項羽本紀の劉邦と漢高祖本紀の劉邦は別人格にすら思える。
168世界@名無史さん:2007/11/26(月) 13:32:47 0
項羽本紀の劉邦が立てた王朝を漢高祖本紀の劉邦が簒奪したんじゃね?
169世界@名無史さん:2007/11/26(月) 16:34:27 0
史記での最終的な勝利者は冒頓単于。
170世界@名無史さん:2007/11/26(月) 20:54:39 0
>>164
劉邦は馬鹿に書かれているが、
決して悪く書かれているわけじゃない。
むしろ、愛すら感じられる。
171世界@名無史さん:2007/11/28(水) 14:03:29 0
本人が輝ける星だった項羽と、輝く星を引きつける劉邦。
劉邦がバカなほど星は輝き、照らされた劉邦も輝く訳で。
立てたキャラに合わせてストーリーを組み立てるのは、確かに演義の手法だな。
172世界@名無史さん:2007/12/04(火) 12:43:34 0
武田泰淳がそんなことを書いてたな
173世界@名無史さん:2008/01/05(土) 11:25:36 0
(講談社) 史記の「正統」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4061598538.html
一千ヵ所にも及ぶ年代矛盾。
取り違えられた王侯、隠蔽された「史実」―。
司馬遷らによる編纂過程で、いったい何が起きていたのか。
そして『史記』自体の「虚像」はどのようにつくられたのか。
膨大な年代矛盾の謎をことごとく解明し、中国古代の帝・王・宰相の「正統観」を明らかにした画期的論考。
これで春秋戦国時代の「常識」は塗り替えられる。
174世界@名無史さん:2008/01/06(日) 11:41:11 0
また平セかw
175世界@名無史さん :2008/01/06(日) 20:49:56 0
伝の立て方とか、恣意的だよな。
李広将軍の伝を、衛青将軍の伝の前に置いたりとか。
あと、郭解については、直接あったことがあると理由で、
詳細に記録したらしい。
まあ、面白い話だから、いいけど。
176世界@名無史さん:2008/01/06(日) 20:50:59 0
述べて作らずったって、限度があるからな
177世界@名無史さん:2008/01/06(日) 21:32:21 0
後漢の朝廷では「武帝が司馬遷の命を助けてやったばっかりに、悪口だらけの本を残されるはめになった」と
偉く不評だったそうだなw
178世界@名無史さん:2008/01/06(日) 21:34:37 0
まじな話平勢氏の説ってどうなの?

179世界@名無史さん:2008/01/06(日) 22:07:28 0
平勢スレがあるから、そっち見たらいいよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1123502212/
全部読まなくても少し見たらどういう評価かが分かる。
180世界@名無史さん:2008/01/06(日) 22:37:19 0
>>179

ありがとう。講談社学術文庫の本、買うかどうかじっくり考えてみる。
181世界@名無史さん:2008/01/07(月) 17:46:52 0
司馬遷が当時残存していた資料を片っ端から集めて、
全国を放浪した上で、真偽をきっちり検証したので、
信憑性はカナリ高いと思うね。

例えば伏羲と女女咼に関しては、実在する根拠が
無いとして、ばっさり切り捨てていたりする。
182世界@名無史さん:2008/01/07(月) 18:50:45 0
兵馬俑のことを一言も書いてないんで本当によく調べたか疑われてるんじゃないの?
それとも工人全員を口封じ? ガクブル
183世界@名無史さん:2008/01/07(月) 20:21:34 0
始皇帝陵については、水銀の件とか『史記』の記述が裏付けられてる部分もすでにあるよ。

疑うも何も、疑古的な立場を取るやつは、考古的裏付けがなければ伝世文献の何も信じないだろうし。
そういうスタンスはそれはそれでアリ。疑えるだけ疑って信じざるをえなくなった部分だけ信じなさいよ。
184世界@名無史さん:2008/01/07(月) 20:32:44 0
兵馬俑は墓の施設の一部でしょ。特記するもんじゃないと思うが。
墳丘だけが墓だと見てるから分からなくなる。
185世界@名無史さん:2008/01/07(月) 22:39:35 0
水銀の湖は項羽の部下が発見したけど兵馬俑は見つかってなかったから記述しようがないでしょ
186世界@名無史さん:2008/01/08(火) 06:42:17 0
兵馬俑が発見されたのは20世紀
187世界@名無史さん :2008/01/08(火) 15:28:40 0
「史記」はもともと公的な仕事じゃなくて、単なる自家版歴史書
として書いたっていうけど、司馬遷の本職の太史って、なにするの??
公的記録とかの編纂もやってたの??暦の制定をやったってのしか、
仕事の内容わからない。
188世界@名無史さん:2008/01/08(火) 15:37:07 0
天文官(星の運行を見て、占いをしたりする役だろうな)だったらしい。
「太史公は天文を司っていて、行政にはたずさわらなかった」
と「太史公自序」にある。
189世界@名無史さん:2008/01/08(火) 21:02:11 0
凡そ国瑞応・災異有らば、之を記すを掌る
と続漢書にある。
天文観測、暦の制定や占いも仕事。
190世界@名無史さん:2008/01/10(木) 06:36:21 0
>>180 読み続けるにはかなりしんどい本
191世界@名無史さん:2008/01/10(木) 19:25:57 0
>>181

その理屈で行くと、黄帝と蚩尤は実在したということになるが。
192世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:23:29 0
>>182-186
兵馬俑は現代から見れば考古学的価値のあるものだが、当時の人にはただの粘土細工の副葬品だったので「史記」には特筆してないだけでは?
193世界@名無史さん:2008/01/15(火) 05:07:19 0
兵馬俑って古墳の埴輪と似ているんですか?
194世界@名無史さん:2008/01/17(木) 07:25:57 0
目・鼻。口があるところとか
195世界@名無史さん:2008/01/18(金) 21:37:20 0
精巧さが全然違うけどな。
196世界@名無史さん:2008/02/05(火) 18:26:18 O
史記の日本語訳は全8巻で全部なのでしょうか?
親切な人教えて下さい…
197世界@名無史さん:2008/02/06(水) 00:42:34 0
皆知らぬのだろうが、発掘の結果明らかになったのは、墓域は噴丘に限られてなかったってこと。
現在の陵墓のかなり外側に墓域を示す城壁がぐるりと築かれて取り巻いていた。
兵馬俑は墓域の正門付近に置かれていた一施設。
現に、兵馬俑に限らず、陵墓周辺のあっちでもこっちでもおびただしい数の副葬品が
発掘されてる。青銅の馬車とか。
十数平方qに及ぶ広大な墓だったのだよ。始皇帝陵とは。兵馬俑について特筆するなら、
青銅の馬車も、力士俑にも、青銅の水鳥にも、あらゆることに言及しなけりゃならない話。
兵馬俑なんて墓の施設の一部に過ぎない。本当の核心はもっと別の所にある
198世界@名無史さん:2008/02/06(水) 01:17:50 0
>>187
>188-189の言う通りで、王朝が編纂したもんじゃない。

いわゆる天道是か非か……
199世界@名無史さん:2008/02/06(水) 04:23:32 0
漢書、後漢書、三国志も個人が編纂した私家版、同人誌。
200世界@名無史さん:2008/02/06(水) 21:45:47 0
史記〜三国志まではえらく人気があって評価も高いのに、
後漢書以降、歴史書の人気も地位も地に落ちるのは何でだろう。日本では、図書館に
でもいかなきゃ、読むこともできない。抄訳すら出版されてない。
普通は後代になるほど洗練されて人気も出るもんなんだけどね。

せいぜい資治通鑑くらいか?以降で評価を得ているのは(後、十八史略?)
201世界@名無史さん:2008/02/06(水) 23:06:35 0
>>195
精巧さは誇るべきものではない、とは陳舜臣氏は書いてるね。
これだけ精巧なものを製造させるのにどれだけの犠牲が支払われたのかを思えば
出土品の精巧な殷や秦時代より稚拙な周や漢時代のほうが民は暮らし易かったはずだとも。
202世界@名無史さん:2008/02/07(木) 00:08:16 0
>>200
歴史的史料価値が一番高いのは「宋史」
なぜかというと編纂方針をめぐってイデオロギー対立で二転三転、
「だったら、生資料を全部詰めこんじまえーww」てことで全496巻!
ゲップ 結果的に源史料が多いのは良いが、後世読む人間のことを考えろバカヤロ
203世界@名無史さん:2008/02/07(木) 02:40:28 0
>>200
そりゃあ官製の歴史書が面白いわけがなかろう。
204世界@名無史さん:2008/02/07(木) 06:42:41 0
宋史 中華書局版では他を圧倒する全40冊
205世界@名無史さん:2008/02/07(木) 09:23:36 0
>>191
それは、もともと司馬遷が書いてなかった部分。
あとで誰だかが付け足した。

と聞いた。
206世界@名無史さん:2008/02/07(木) 11:56:54 0
>>205
五帝本紀はもとからあるぞ。だから黄帝のとこは司馬遷の筆。
蚩尤も五帝本紀に出てくる。
唐の司馬貞が加えたのは三皇本紀。
207世界@名無史さん:2008/02/08(金) 18:36:46 0
>>200
その頃はまだ史書の形が固定されてないから
先例などに縛られず融通が利き
また著者の信条や感情がよく出てたからじゃないかな
208世界@名無史さん:2008/02/09(土) 01:17:26 0
小説上の創作人物を歴史上の人物としてしまって伝を付けたりとか、後世の史書の
一部は評価自体がめちゃ低い。特に元史。無茶苦茶なことでは定評がある。

史記は伝説・脚色何でも来いで、年代矛盾も多いけど、漢の宰相張湯の墓が列伝のとおり
質素な状態で発掘されたり、始皇帝陵から水銀が検出されたり、殷王の系譜が甲骨文で確
認されたりと、ちゃんと考古学的検証にも耐える面がある。
司馬遷の時代の方が資料集めには苦労したはずなんだが。
文章で見ても、史記の簡潔な文章は、今読んでもあまり古さを感じさせない。会話文なんて
そのままドラマのセリフに流用できそうなものがたくさんある。
209世界@名無史さん:2008/02/09(土) 01:22:49 0
>>208
> 会話文なんて
> そのままドラマのセリフに流用できそうなものがたくさんある。

だって芝居の脚本をそのまま採用しているからな。
210世界@名無史さん:2008/02/09(土) 01:50:16 0
宮崎市定の説って、どのくらい信憑性あるの?
211世界@名無史さん:2008/02/09(土) 17:31:48 0
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/image/yellow.jpg


2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、
中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、
2000年前の漢代の臨シ(山東省、黄河下流にある春秋時代の斉の都)
遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリア
DNAの比較研究の結果を発表した。

それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を
持つことが明らかになった。約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民
の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約2000年前の前漢末の
の遺伝子は現代の中央アジアの遺伝子と非常に近く、現代遺伝子は、
現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。

この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ
人集団と遺伝的に近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。
また、2500年前から2000年前の500年間に臨シ集団に大きな遺伝的
変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な移動があったこと
を示唆している。
212世界@名無史さん:2008/02/09(土) 17:32:47 0
現在の中国語には、互いに外国語であるかのような種々の方言が存在し、
北方方言と南方方言に二大別される。この南方方言の分布域が、黄河
文明と対峙する長江文明の栄えた領域と大まかに重なり合っている。

しかも、伝説上の南方の支配者蚩尤の統治領域ともほぼ重なる。
そして歴史時代における中国文化は黄河文明を源流とするものであり、
史書もまたはっきりとそのように記している。

一方、ミトコンドリアDNAの研究が示しているのはユーラシア西部に
起源を持つ人々が黄河文明の南端付近にいたがその後現代のような
「黄色人種」である漢民族に徐々に置き換わっていったという事実である。
これらの諸事実を統一的に説明する仮説は以下のようになろう。

「長江流域にモンゴロイドが稲作を基礎とする文明を築いていた。
一方、西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えた
コーカソイドが黄河流域に定住した。武力に勝る北方黄河文明の
支配者は、人口においては優勢な長江文明の人々と戦い勝利した。

人口に勝るモンゴロイドは政治的軍事的文化的には敗者であったが、
遺伝子的には黄河文明の人々を凌いで現代漢民族は『黄色』になった。」

さらに追加するならば、戦士である長江文明の男たちの多くは殺されたが、
残った女たちのミトコンドリア遺伝子が引き継がれていったことも大いに
寄与したと思われる。また、中国の南方では長江文明を担った人々の
言語の影響を未だに受けているのである。
213世界@名無史さん:2008/02/09(土) 17:36:17 0
214世界@名無史さん:2008/02/09(土) 21:22:37 0
蚩尤は南方の神じゃないよ。斉あたりの軍神。
だから炎帝(斉姜の祖霊神)の家来なの。
215世界@名無史さん:2008/02/10(日) 00:24:04 0
>>211-212

誰だよこいつを病室から出したのは。
216世界@名無史さん:2008/02/10(日) 02:13:32 0
北方黄河文明が殷で南方長江文明が夏や周ってことか?
217世界@名無史さん:2008/02/10(日) 03:16:59 0
>>211-212
貼った奴は病室からだろうが、>>211
内容は日本DNA考古学会で発表されたホンモノ
>>212はデムパ
218世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:44:21 0
>>208
>特に元史。無茶苦茶なことでは定評がある

えー、許してつかぁさい。何せ編纂期間が1年とちょっとしか無かったんですぅ。
そんな短期間で一体何をしろと・・・
おまけに命じたのはこのお方ですから

               __
             /;;;;;;;;;;;;;\
            /;;:::::::::::::::::::::::\
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ
         l::||::::              |l  
        / ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||  
      r┤    ト::::: \___/     ||      
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ    
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
     ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ


誰だって命は惜しいでしょ。ね、ね、
20世紀にもなってから最後の正史「新元史」が書かれましたから、そちらの方で何とかお願いします。
219世界@名無史さん:2008/03/01(土) 12:13:57 0
ここの博識な皆様にお願いします。

朝鮮征伐で
明側の犠牲が数十万(明史)死亡と記載しておりますが
これは事実なのでしょうか。

参謀本部や英wikiの3万を狂信している
チャンコが暴れてうざいので論破お願いします。

普通、被害にあった明が数十万死んだと記載しているなら
これは信憑性が極めて高いといえる数字ですかよね。
220世界@名無史さん:2008/03/01(土) 13:06:33 0
半島に住む人は
たいがいしぶとい
221世界@名無史さん:2008/03/01(土) 13:19:35 0
>>219
数十万壊滅と書いてあったら、「数万くらいかなw?」って
脳内変換するといいよ。
当時の明は数十万も壊滅程兵を動員してない。
222世界@名無史さん:2008/03/01(土) 16:46:50 O
>211

おもしろい
日本人の顔見てて稀にコーカソイド入ってません?な人いるでしょう
前までは長崎出島辺りで混合したのかなとか妄想してたけど、そういう考え方もあるのだな
これとアイヌや縄文は関係してくるの?

てゆうか広い範囲にどんだけ元気?

ただたった500年でこれほどすんなり変われるものかな??
223世界@名無史さん:2008/03/03(月) 00:17:39 0
>>221
例の人か。
その根拠は何だい?
224世界@名無史さん:2008/03/04(火) 04:59:33 0
史記の数字を信用するやつは阿呆
225世界@名無史さん:2008/03/04(火) 06:42:17 0
他の王朝史も一緒くたにするのはどうかと思うがな。
226世界@名無史さん:2008/03/11(火) 10:31:56 0
史記の正確性は異常
227世界@名無史さん:2008/03/17(月) 21:56:38 0
【韓国】 国祖檀君奉安会長「歴史教育を立て直し、中国の東北工程を克服せよ」〜司馬遷が史記で歴史歪曲[03/14]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1205755453/

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
228世界@名無史さん:2008/03/17(月) 22:59:46 0
流石にこれは斜め上過ぎるだろw;
229世界@名無史さん:2008/03/17(月) 23:15:23 0
>203
現代でも、日本政府の各省庁が作成して出版している白書・青書の類を
第二次大戦以後からに限ったとしても、通読している人は多くないでしょう

というか、宋以降は正史と史稿、地方史の分量が多すぎて全体像はおろか一分野を
ピックアップするために俯瞰するだけでも人生終わりかねません、マジで。
230世界@名無史さん:2008/03/18(火) 01:00:09 0
>>227
そりゃ朝鮮の妄想史観を否定するような事しか書いてないんだから否定するしかないわな。
例え物証が一つも無かろうとも認めるわけにはいかないだろうしw
231世界@名無史さん:2008/03/18(火) 09:38:02 O
史記のおすすめ著作を教えて下さい
232世界@名無史さん:2008/03/22(土) 01:43:09 0
>>231
列伝
233世界@名無史さん:2008/04/13(日) 23:13:38 O
>>232
遅レス失礼しました
横山光輝マンガで全体の流れを
掴んでから挑戦します
ありがとうございました
234世界@名無史さん:2008/05/27(火) 17:10:21 0
史記て小説としてみたらかなり面白いよな
235 ◆xlamATTsTA :2008/07/02(水) 16:36:34 0
管仲あん嬰列伝第二の御者の妻の話が好きだな
あの伝はシンプルでいい
236地獄博士:2008/07/02(水) 23:58:26 0
事実かどうかは調査するしかないのー
読み物としてみればいいものだと思うよ
司馬遷 入魂の作品だとおもえばいい。

関係ないけど中国の歴史家?の記述で信長やら秀吉のことを説明しているのがあったが

大筋はあってるんだが ちょと変な印象だった。

史記もある程度は事実だが 細かいところはアレなんだと思うよ
237世界@名無史さん:2008/08/28(木) 19:56:58 0
どうせ当時の記録や伝聞を編集しただけでしょ
238世界@名無史さん:2008/08/28(木) 21:57:57 0
礼儀作法みたいなのがことこまかに載って覚えがあるけど
あれは信憑性が高いだろうね
ただ史記の中で一番つまらない箇所だな
239世界@名無史さん:2008/08/29(金) 09:20:55 0
読み物として面白い所ほど背びれ尾びれ胸びれがついてると考えなきゃな
240世界@名無史さん:2008/08/29(金) 19:41:09 0
そこで項羽本紀ですよ
ほとんど講談の世界
241世界@名無史さん:2008/08/29(金) 21:50:24 0
つまらないのは孝武本紀
242世界@名無史さん:2008/08/29(金) 22:30:47 0
>>241
封禅書のコピペだからね。
漏れは散逸した十巻の中で一番読みたいのは今上本紀。
自分を宮刑にした相手を、一体どう書いたのだろう?
太史公曰。。。ああ、読みてぇ!
243世界@名無史さん:2008/08/30(土) 00:36:05 0
つーか、項羽本紀とかあの辺は、当時の演劇のまるうつしらしいし。
244世界@名無史さん:2008/08/31(日) 07:57:57 0
>>243
kwsk
245世界@名無史さん:2008/08/31(日) 16:07:44 0
>>242
北方謙三が替わりに書いてる。史記<武帝紀>一、発売。太史公曰では無い。
246世界@名無史さん:2008/08/31(日) 18:40:35 0
明の記録にある太閤さんの記述はデタラメ。

他の時代の支那の史書も、異国の記述にかんしてはどこまで信憑性があるか・・・
247世界@名無史さん:2008/08/31(日) 18:48:37 0
あの時代に演劇なんて合ったの?
248世界@名無史さん:2008/08/31(日) 23:40:52 0
>>243
陸賈という劉邦の元部下が書いた『楚漢春秋』という本をほとんどまる写し
したようですな。演劇のまる写しとはちと違うかと。一応、渦中の事件の当事者だった
人の記録です。



もっとも、この陸賈と言う人。官吏を一時引退していたとき、劇団率いて巡業して食ってたようなんで
怪しいといえば怪しいですが。話に背びれ尾ひれをつけて面白おかしく脚色しまくってる
可能性は大。
と考えると、やっぱり当時の演劇のコピーと言えますかね?でも司馬遷のせいじゃないよ。
陸賈さんのせいです
249世界@名無史さん:2008/09/01(月) 01:07:19 0
>>247
ギリシャにゃあったしあるんでないの
250世界@名無史さん:2008/09/01(月) 02:22:32 0
つか 伝わってないだけで
演劇がない国と時代なんて無いだろ
251世界@名無史さん:2008/09/01(月) 02:32:59 0
まあ西洋よりレベルが低いのは言うまでもない。
252世界@名無史さん:2008/09/01(月) 04:03:02 0
>>251
馬鹿なのか無知なのは、もしくは両方なのか。
253世界@名無史さん:2008/09/01(月) 09:56:44 O
両方に一票 つ□
254世界@名無史さん:2008/09/01(月) 19:45:12 0
>>243 の発言には何の根拠もありませんでしたとさ
255世界@名無史さん:2008/09/01(月) 21:47:33 0
>>243じゃないけど、全く無根拠な話じゃないぞ。
宮崎市定『東洋的古代』(中公文庫)の「身振りと文学三」を見ろ。
まあ今は宮崎市定説の支持者ってあまりいないのかもしれないけど。
256世界@名無史さん:2008/09/01(月) 23:46:25 0
演劇がどうかは知らんが
項羽本紀の物語性が高いのは確かだな
257世界@名無史さん:2008/09/03(水) 23:54:56 0
史記の原書って読み下しできるの?
258世界@名無史さん:2008/09/04(木) 01:02:14 0
>>257
夜聞漢軍四面皆楚歌
項王乃大驚曰漢皆已得楚乎是何楚人之多也
項王則夜起飲帳中

夜漢軍の四面皆楚歌するを聞く。
項王乃ち大いに驚いて曰く「漢皆已に楚を得たるか、是れ何ぞ楚人の多きや。」
項王則ち夜起き,帳中に飲す。

普通に読み下せるし、わざわざ読み下さなくても原文そのまま読めば良いと思う。
259世界@名無史さん:2008/09/04(木) 15:27:13 0
>>252
プw携帯まで使ってw素直に支那<<<西洋を認めればいいのに。
260世界@名無史さん:2008/09/04(木) 17:01:12 0
マラ立たず。如何すべき。ぐにゃぐにゃ汝をいかんせん。
261世界@名無史さん:2008/09/04(木) 19:39:40 0
漢文は普通話よりは簡単
262世界@名無史さん:2008/09/04(木) 23:18:15 0
そもそも、訓読って史記漢書や四書五経みたいなのを読むために
発展したんじゃないの?
263世界@名無史さん
>95
蒼天航路には劉邦本人が時々出てるから落ち着くんだ。