1 :
世界@名無史さん:
あえてロシア遠征に絞って考察してみるスレ。
前半の華々しい勝利やワーテルローの最期はよく扱われるけど、
独ソ戦の単独スレみたいに、一大転機となったナポレオンの
ロシア戦を研究しよう。
確か、同盟国を含めて70万くらい動員したんだっけ? 古代中世の大げさな数字を除けば凄まじい数だな。
対するロシア軍は50万いた、ていうから焦土戦をしなくてもいい勝負だったかもしれないね。指揮官の質は雲泥の差だけど
3 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:10:36 0
いい勝負じゃないよ
初戦で速攻大敗したじゃん
ロシア軍
焦土作戦にしたって最初から自国領焦土する指揮官がどこに居るんだよ
北方戦争も独ソ戦のときもそうだが、最初ガチでやってそこで大敗して、
火付けながら敗走したら結果的に焦土作戦になっただけ
4 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:14:39 0
40数万だろ対15万で大敗したお笑いの英雄
以前読んだナジェージダ・ドゥーロワの自伝によると
ロシアの民衆はフランス軍に捕まると心臓に烙印を押されて
異教徒にされるとか思ってたらしい
6 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 10:09:01 0
みんな、クレフェルトの「補給線」は読んだ?基本?
なんで、あれだけ戦術を研究していたひとが、遠征失敗するの?
8 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 14:07:40 0
国境のベレジナ河を50万人超で渡って、
再び戻ってこれたのが5000人だっけ?
コランクールの回想録読むとゾクゾクしてくる。
>>6 探したけど、近所の図書館で扱ってなくて……早く読みたい
フランスの失ったもの
兵員37万戦死、20万人捕虜
馬20万頭、大砲1000門喪失で軍の弱体化。
何よりも常勝不敗の栄光神話が崩壊し、
従属諸国が離反し第六次対仏大同盟結成で
フランス凋落の始まりになったのもスターリングラードの決戦に似てる。
11 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 00:56:34 0
>7
戦術を勉強してても
ロシアの冬については勉強してなかった
勿論、フランス人もロシア冬が厳しい事は判っていただろうが楽観視していたのだと思う
現実のロシアの冬は我々温帯の人間には想像もつかない
過酷な自然状態なのだよ
あの辺は冷帯湿潤だから冬は常に豪雪地帯。一歩も歩けない
補給船の維持も不可能
街焼かれて現地調達の道が断たれたら40万だろうと100万だろうと
連れてきた分そのまま餓死者の山を作るだけ
>>7ユリウス・カエサルとナポレオン・ボナパルトの資質の差
冬のロシアを征服できたのはモンゴルだけ
14 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 07:00:52 0
戦車やトラックがない分冬の雪や春の泥濘の影響も
ドイツ軍ほど深刻ではなかったんじゃないかと思うが
馬車や人間の足の接地圧の方が高いから、泥濘の影響はより
深刻だよ
しかも大砲その他を動かすのが人力か馬力
ロシア遠征って、実は夏の暑さで倒れた人数のほうが多いんじゃなかった?
チフスが原因とも聞いたな
ペストが原因とも聞いたな
錫ペスト
20 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 22:31:31 0
どうして海軍+バルト地方進軍でぺテルブルクを攻めなかったの?
どうして冬でも比較的温暖な穀倉地帯南ウクライナを攻めなかったの?
21 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 22:40:47 0
農奴解放を掲げて居ればよかったのに(身分解放だけ)。
22 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 22:53:10 0
冬将軍が強調されるけど、その前の夏将軍(こんな言葉あるかどうかしらないが)で
実は大多数が消滅しているんだよな。
夏にも前進する大陸軍の跡は病死者と落伍者で満ち満ちていたんだろうか?
23 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 23:03:57 0
広くて深すぎタン単打よ
24 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 23:22:50 0
あそこらへんは夏40度までいくらしいからな
25 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 13:50:48 0
モスクワ辺りだったらそこまで暑くないと思うが。
まあロシア人にいわせるとモスクワでも「気候温暖の地」らしいが。
26 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 14:07:27 0
これは面白いスレだね。
1805年と1812年の違いだけでも面白い。
トルストイの「戦争と平和」がまさにこの時期を
描いていたような気がする。アウステルリッツが
1805年でボロジノが1812年だっけ?クトゥーゾフの戦略が
ロシア魂の象徴のように描かれていたっけな。
27 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 21:06:03 0
ナポレオン軍は一冬で壊滅
ドイツ軍は四冬持ちこたえた
よって 総統>>>>皇帝
戦死者50万人以上か。
それまで一回の遠征でそんな大量の死者出た事あったっけ?
29 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 12:04:19 0
ボロディノで勝っていたら、ワーテルローでも勝っていたかも
しれないな。でも、1812年はあれでよかった。チャイコフスキー
の名曲が生まれたわけだからね。ナポレオンはベートーベンに
「英雄」を作ってもらっているわけだし。もういいでしょ。
ナ保守
戦時におけるもっとも大切な、補給路を軽視するとはもう論外。
どの道、ナポレオンは落ちる運命だったのさ
32 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 23:26:36 0
それが20世紀のどこかの国のお得意な現地調達でつよw
33 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 23:41:30 0
>農奴解放
モスクワ占領後、農奴解放ではないが仏軍の布告を出しに各地に派遣された使者が
農奴たちに襲撃されて殺されたというから、農奴解放なんて宣言しても
「侵略者・異端の親玉が父なるツアーリを差し置いて俺たちを騙そうとしているぞ」
くらいにしか受け取られなかっただろう。
>>20 ロシア軍を殲滅出来なければペテルブルクやウクライナを占領しても何にもならん
君に3つのキスをささげる、君の心と唇、そして瞳に・・・・
36 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 13:17:39 0
>>25 東部戦線で戦ったドイツ人が書いた本によると
「南部以外では夏の暑さは烈しくない」
とのことだったが。
ウクライナあたりの話か?
>>33 フランス軍撤退後になぜかナポレオンを神と崇める
「ナポレオン派」という異端教団が現れたそうだ。
ボロディノで大勝して講和できても、どのみち帰り道で壊滅寸前になっていただろうな。
38 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 13:23:26 0
いや、講和できれば一応撤退だけはなんとか出来たのでは?
ロシア軍の追撃はないのだし。
補給という分野で見ると、ロシア遠征は無謀に見えるな。
この当時も、輸送手段は船が一番だった。馬車での輸送は使用が限定される。
馬車で輸送するとなると、馬のエサの飼葉をどう補給するかも出てくる。
大体、飼葉は常に欠乏しやすいもんだし、現地ロシアの荒地で補給も出来んし。
馬は雑食じゃないからエサの始末に困る。
船での輸送をするとなると、「沿岸部で進軍すればいい!」と言うかもしれんが、
大量の輸送船とその荷物を荷揚げする港の能力問題も出てくる。
40 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 21:49:42 0
しかしロシアではそれほど移動や補給が困難だとすると
中世の諸公国なんかはどうやって戦争してたんだろう?
補給を必要としない規模の軍隊を率いて、現地で略奪しつつ前進。
敵主力を撃破するよりも、敵国の経済にダメージを与えるので大変有効な戦略だったそうです。
42 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 00:08:27 0
>>40 少なくともリューリック朝崩壊と合間ってのポーランドのモスクワ
占領時には、こんな大軍ではなかったと
最盛期のリトアニアとか殆ど騎兵だろ?
長距離の遠征とかもあったらしいですけどね。
13世紀のカルカ河の戦いとかを見ると、諸侯連合軍のうち一番遠いウラジーミルの軍隊なんかは
一度集合地点のキエフに寄ってそれからアゾフ海北方の戦場に向かってるので
3ヶ月かけて1500キロ近く移動している。物資は荷車に載せて運搬していたらしい。
>>43 割とモンゴル軍に近い戦術だったようですね。
短期決戦に拘り、初秋には兵を引くか冬営するかを決断できなかった時点で
奈翁の負け。
46 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 17:42:59 0
仏軍のモスクワ冬営は可能だったのだろうか?
冬営している間に露軍は続々と兵力を増して
春になったらモスクワが逆に露軍に包囲されている状態に
陥ったりはしなかったか。
47 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 17:47:41 0
ヨーロッパを制圧するならとかくロシアにかかわるな
ヒトラーもナポレオンもヴィルヘルムU世もカール12世もそれでみんな失敗している。
48 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 17:51:17 0
>>46 カール12世のロシアとの戦いを事前研究しなかったのかねぇ
近世以降荷かの地に潜入してロシアの焦土戦術と冬将軍、春の大攻勢に勝てた大国などナポレオン前も
後もいまだありえず
ロシアに勝ったのは、後にも先にもモンゴルだけってことですか?
ロシアから攻めてくれるなら、勝った奴は探せばいるんだけどね。
>>49 確か、ローマ帝国末期にフン族があの辺にいたスラヴ人を傘下に収めてたと思う。どっちにしろ遊牧民だが
51 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 17:46:03 0
だから
>近世以降荷かの地に潜入してと前置きしている訳だが。
200年も薄汚いイエローに調教されたせいで無敵と化したのだろうか。
53 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 17:49:53 0
>>45 ヒトラーもそうだが、戦ってみると莫大な損害を出すソ連軍。
まさに無人荒野をいくが如しとなってみんな引き際を誤る。
これが他のヨーロッパ諸国ならつぶれてしまうところが、
そうはならないのが味噌。
>200年も薄汚いイエローに調教された
詳しく
55 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 22:02:51 0
ポーランドも結構ロシアに勝っているよな
内乱につけ込んでいるケースが多いけど
56 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 00:26:41 0
>>2 >古代中世の大げさな数字
深い理由はないが気に食わない。
中世はともかく、古代の記録は信用できる。
>>55 たしか8万のロシア軍を3万で破った戦いがあった。
58 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 07:17:59 0
日中戦争から200年近くも前に広大な国土を有する国は無意味だと言う事を
ナポレオンが証明していたのに日本軍といいヒトラーといいアホばかりだな。
59 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 12:20:55 0
しかし、第一次大戦でドイツはロシアに勝ってるからのぉう。
ヨシフ小父さんによる自爆大粛清、フィンランド相手にケチョンケチョンに
やられてるとこを見れば、伍長閣下ならずともブレストリトフスク条約リメイクを
夢見ても仕方がないというか、俺でも勝てそうと思うもの。
ダブーの北方迂回を採用すれば良かったのに
断片的な情報として、「荒土・冬が厳しい」って事は分かっていた。
だが、実際に体験しないと分からん事の方が多い。「アホ」の一言で片付けられんぞ。
ちと話は違うが、現代でも日本海側の雪の怖さを太平洋側の住人が分かっているのか?
分からんから、無謀な事をしてニュースになってるじゃないか。
安直に結果だけで「アホ」って判断するなよ。
情報を吟味する能力・吟味した情報を元に想像力を働かして準備する能力・現場の状況を
率直に把握して修正する能力、こういった能力が「無い・低い」って事を批判するのは構
わんがね。
63 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 02:43:17 0
諸君にいうまでもないだろうが、ナポレオンはコルシカ出身の没落貴族で
広大な国土、戦場の気候そのものが事前想定した作戦のタイムスケジュールに
大規模な遅滞が時には生じ、致命傷もなりえると言う事実を
頭ではわかっていても、感覚的にわかっていなかったんじゃないかなと思う。
カール12世もロシアを引きずり出した戦いではかったが、侵入すると負けているし、
基本的にあそこは攻めていって征服できる土地ではない
ヒトラーの電撃作戦なんか過去最高のタイミングだったが「それでも」モスクワは
落ちなかったのだ。
たとえ落ちたとしてもソ連は屈服しない ようはそういうkとよ。
ナポレオン時代の輜重ともなればもっと酷い情勢だったろう。
ウラー ウラーとロスケのトキの
>>62 だとすると
>>52でいってる200年という数字がどっから出てきたのか分からんな。
タタールの役人が実際にロシアに駐留していた期間は半世紀ほどだし
ロシアの君主がハンの代理人として貢納を収めるのは18世紀までやってたはずだが。
65 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 14:44:48 0
ああ、ようするに杉村正明系のモンゴルマンセー派としては「ゆるせない」わけね
うざいからよそでやってくれないか
66 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 16:29:31 O
まず戦略目標はなんだったんだろう?ロシア全土の制圧だったのか、城下の盟を誓わせて保護国化することだったのか、それとも、大陸封鎖令を守らせればそれでよしとしたのか。
ここが論点の一つになると思う。
これは私見だがナポレオンのそれまでの行動から保護国化がもっとも可能性が高いのでは?と思う。
それとロシア遠征の失敗についてはナポレオン自身の体調不良からくる判断力の悪化というのも要因の一つとして無視できないだろう。
勿論、それ以前の問題として兵站の軽視というのが最大の要因だろうが。
むしろそれだけの大兵力集められるなら、スペイン方面のケリつけるなり、
大元のイギリスを叩けばよかったんじゃないか?
わざわざモスクワまでいかんでもいいだろ。
今までのようにポーランドかドイツ方面に出てきたら追い返すだけで十分。
中欧ぐらいならむしろフランスに有利だろうし。
68 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 22:00:56 0
イギリスにはネルソン提督がいるからむりぽ
スペインはゲリラ化してちょうど今のイラクの
ような状態だし
陸戦が持ち味のわが軍で手っ取り早く片がつくと(ナポレオン視点)
ということで消去法でロシアなんだろ
あの時代の補給として考えるならロシア遠征自体無謀なんだが、実はナポレオンはロシア遠征に関して
兵站を軽視してた訳ではないんだよ。
文献を調べれば、1811年に100万人分の食料準備、1812年にはダンチヒに40万人分・馬
約5万頭分の50日分の物資の集積を行っているのが分かる。
他にも輸送部隊の拡充を行ってるしね。
ただ、実際に進軍してみると、予想以上に補給が破滅的混乱しまった。現地は荒地の為、道路は貧弱、
河川は浅く、沿岸部の港も貧弱。移動するにも時間がかかる。
軍も統一されたフランス人だけのではなく、多国籍の為軍律は低下。軍律が低下した兵士達は、用意に
略奪脱走に走るし、下手すると病気を貰って撒き散らすから、移動に更に時間がかかる。
それだけ、物資が無駄に消費してしまう訳。
統率が不十分な兵士たち。限界のある補給手段。進めど見えてこない敵の軍勢。
よくそんな軍隊率いて、モスクワまで行ったもんだと感心するよ。
71 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 00:48:24 0
WW2が終わって
イギリスの元帥が記者会見
記者「この大戦で得た教訓は?」
元帥「一つ、ロシアを侵略してはいけない。二つ、中国を侵略してはいけない」
実際のところ
イギリスは、クリミア戦争でロシア征服を諦め、義和団事件で血動く侵略を中止していた
72 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 01:02:37 0
>>59 あとスターリン政権が極めて脆そうに見えたのもあったと思う
戦争が有利に進めば、各地で反スターリン、反共産主義の旗印が起って
ドイツが攻めるまでもなくソ連は自壊するという推測だったようだ
しかし、予想に反してスターリン政権は一枚岩でドイツに最後まで抵抗し続けた
73 :
66:2007/06/12(火) 01:14:11 O
>69氏
つまり『時代の限界』という枷が原因だと言う意見だと理解して良いかな。
確かにナポレオンの書いた手引書には兵站についても書かれていたし、ロシア遠征でも実際に集積も行っていたとするなら、段列の運用についての批判の方が妥当かもしれない。(もっとも、運用についても時代の限界があてはまるだろうけど)
ある程度、整備された街道、(ロシアにくらべれば)温暖な気候といった戦場しか体験しなかったナポレオンは結局、ロシアを知識でしか理解していなかった、というのが、この戦略的な娯断(ロシア遠征そのもの)につながったという事なのかな。
74 :
66:2007/06/12(火) 01:18:32 O
>70氏
ネルソンは1805年10月のトラファルガーで戦死してる。
ソ連版戦争と平和か……テレビでやんないかな
一度壊滅した海軍を再建するには、30年かかるとか半世紀かかるとか言われる。
ネルソンとは関係なしに、英国攻めは無理だ。
だからこその大陸封鎖でもある。
ヴィルヌーヴ提督が自殺するのも当然だろう。
78 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 05:36:52 O
海上支配を説くなら、海軍力のみならず商船の保有量、造船(重工業)なども含めるべき。
フランスが単純な海軍力だけでなくシーパワー全般においてイギリスに劣っていたからこその大陸封鎖令とみるべきだ。
そもそも世界の工場と呼ばれた英を封鎖して経済的打撃を与えようとしても欧州側の方がより深刻な事態に直面した訳で、ここにロシア遠征の原因がある。
ということは開戦前からナポレオンの戦略的誤断は致命的なものがあった、ということか。
ロシア国内の親仏組織っていたの?
どうも一会戦に勝利して、和約って筋書きしか用意してなかったのでは?
>広大な国土を有する国は
いやロシアはともかく中国は攻めても全然OK。
中国史見りゃ分かる通り、少数の敵や内部反政府軍だって
点と線の支配、相手主力の覆滅によって完全支配に
何回も成功してる。
ナポレオンも要地の奪取や敵中枢の打倒によって
ヨーロッパ制覇に成功したが、ロシアではその達成前に
失敗してしまったな。フランスでクーデタあったから
仕方ないかもしれんが、ロシアは環境的に特殊といえるかも。
81 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 20:03:12 0
ただ独ソ連に関してはヒトラーが
アホ過ぎたって言うのもあるだろう。
普通は戦争といってもそう民族対民族の全面戦争みたいにはならないのに、
DQNな人種イデオロギーでロシア人民というか、スラブ全体を敵に回す発想してたら、
凄惨な泥仕合になっていくら敵主力の打倒、要地の奪取しようが
終わりが見えなくなる。
せっかくスターリンが自分から和平を打診してきたのに
それもフイにしてしまった。
82 :
69:2007/06/12(火) 22:57:42 0
>>66氏
補給という分野で見れば、「時代の限界」となってしまいますね。
現地調達型と後方支援型の両方の補給制度を持っていた、ナポレオンの軍団。
現地調達するならば、絶えず移動しないと補給が途絶える。後方支援で補給を
受けるとなると、補給を受けるのに進軍停止・時間ロスという条件が付く。
矛盾する性質をもった補給制度で、どう進軍するのか?
ココで現地の悪条件・兵士の質の問題・上部統率者の問題が複雑に絡み合いま
すから、もう「何を目的にココまで進むの?」って感じになってしまいますよ。
83 :
66:2007/06/13(水) 02:21:33 O
>69氏
う〜む。
その上、焦土戦術までされた、となるとグランアルメもロシアの土地に溶け込むしかなかったわけですな。
ついでに海上支配についてはアルフレッドTマハンの海上権力史論がよくまとまっているかと。(上で海上支配、シーパワー云々やってたのも私)
84 :
66:2007/06/13(水) 04:47:26 O
>80氏
確かに中国史を見ると指摘された点については同意するが、それをナポレオン戦争以降にあてはめるのはどうだろうか?
中国史において氏が指摘されるような事柄が起きたときと言うのは相手が起動力に優れた騎馬民族であるときで尚且つ、国力が疲弊しているとき。(反乱については言うまでもないだろう。国力が疲弊しているときに、起こる頻度は高く致命傷にもなりやすい)
反乱云々はおくとしても、ナポレオン戦争以降(というよりも火器の発達と騎兵に対する対処の確立以降と言うべきか。)大国が騎馬民族の致命的脅威を受けた事例はないのだから、同列にすべきでないと思う。
ナ保守
86 :
世界@名無史さん:2007/07/31(火) 19:27:03 O
WW2時のドイツと同じくらいに侵攻開始して、
ドイツより早くモスクワに着いたフランス軍。
距離や途中の戦闘など違いはあるが一日どんだけ歩いたんだ?
スゲー!
ま、ドイツのほうが条件悪かったし、一部を除き文字通り「歩兵」師団だったが。
87 :
世界@名無史さん:2007/07/31(火) 20:35:51 0
ナポレオンがミスするのは仕方ないとしても
よい前例がありながらナポレオンと同じミスに陥る
ヒトラーはとんでもないミスを犯しているとしか思えない。
>>87 たしかナポレオンのロシア遠征にちなんで同じ日に侵攻開始したんじゃなかったっけ?
89 :
世界@名無史さん:2007/08/01(水) 02:43:54 0
確か40万の軍勢がスモレンスクにきた所で半分位になってたよね
その時点で講和に漕ぎ着けても大損害だな。
どれだけ会戦で大勝利しても、損害は遠征軍>ロシア軍で覆らないだろうし。
91 :
世界@名無史さん:
補給戦―何が勝敗を決定するのか (文庫)
序章 戦史家の怠慢
第1章 一六~一七世紀の略奪戦争
第2章 軍事の天才ナポレオンと補給←ここで説明している
第3章 鉄道全盛時代のモルトケ戦略
第4章 壮大な計画と貧弱な輸送と
第5章 自動車時代とヒットラーの失敗
第6章 ロンメルは名将だったか
第7章 主計兵による戦争
第8章 知性だけがすべてではない