1 :
世界@名無史さん:
僧職の身にありながら軍隊を率いたり武勇で名を残したりした世界史上の人物を語るスレです。
2 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 02:44:23 0
とりあえず神秘主義教団の長にしてサファヴィー王朝の始祖シャー・イスマーイールとか?
3 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 03:01:09 O
この発想はナカッタワ
ラテンアメリカカトリック分派の解放の神学の聖職者が思い浮かんだんで
1966年にコロンビア内戦で死亡し、後に『ゲリラのキリスト』として汎南米的に有名になった
コロンビアの牧師、カミーロ・トーレスを挙げておこう
こういうタイトルだと、つい、某ゲームや某マンガや某アニメを思い出してしまうなぁw
5 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 03:35:23 0
俺も普通に
プレザンス神父を書き込もうとしたしな
最後はリッチに転職してたけど
6 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 03:39:34 O
プレザンスは牧師だろといってみるテスト
にしてもエクソシストってすげ〜クラス
どこかの国では大統領になった人もいたような>解放の神学
8 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 11:35:20 0
ミュンスターの獅子ことグラーフ・アウグスト・フォン・ガレン大司教
聖職者が同時に領邦君主だった中世ヨーロッパだといくらでもいる気はするが。
とりあえず軍人教皇ユリウス2世とか。
10 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 12:51:49 0
聖職者ってゆうとクリスチャンをイメージしちゃうみたいだが、仏教の僧侶だって
聖職者だろ。
比叡山の僧兵とか、少林寺の武芸僧とかいる罠
武当山の道士もな。
12 :
3:2007/05/31(木) 13:05:31 0
コロンビア民族解放軍(ELN)情報部
ttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/otherla/eln.htm より
1960年代初め,国民戦線とオリガルキーに対する広範な大衆運動が発展した.
それは「人民統一戦線」(FUP)と呼ばれた.この運動を率いていたのは革命的神父,カミロ・トーレスだった.
数万の労働者,スラム街の住民,学生や農民が社会的不正義と非民主的な二大政党制に抗議して立ち上がった.
独立共和党と人民統一戦線はオリガルキーの攻撃の的となった.マルケタリア(Marquetalia)の農民共和国は,
1964年までに,軍の手により消滅させられた.カミロ・トーレスは死の脅迫を受けて地下に潜まなくてはならなくなった.
彼の潜行先は,ELNが活動を開始したばかりの地域だった.
現在につながる二つのゲリラ組織が発足したのは1964年のことだった.
直接にはマルケタリアの虐殺に呼応する形で,共産党の影響を受けた二つの農民組織が
「コロンビア革命武装勢力」(FARC)と人民軍 (FARC-EP)を創設した.
同じ頃,キューバ革命の影響を受けた別のグループがサンタンデル州の農村を根拠地として
活動をはじめた.その組織は民族解放軍 (ELN)と名乗った.ELNはチェ・ゲバラの戦略を規範とし,
カミロ・トーレス神父が戦列に加わったことで,広範な共感を勝ちとった.
カミロ・トーレス神父は,1966年2月15日,最初の戦闘で命を失った.
1967年,国際共産主義運動のソ連派と中国派への分裂を受けて,
第三のゲリラ組織が生まれた.毛沢東主義者の人民解放軍(FPL)である.
この組織は主として国の北の部分に影響を広げた
あと基本としてキリスト教の騎士修道会。
十字軍方面のテンプル騎士団、ホスピタル騎士団。
レコンキスタ方面のサンティアゴ騎士団、アルカンタラ騎士団、カラトラヴァ騎士団。
東方殖民のチュートン騎士団、リヴォニア帯剣修道会。
まあ、聖職者っつーとちょっと怪しいが。
二次大戦の時にクロアチア独立国への協力と虐殺指示で有罪判決の出たザグレブ大司教ステピナツ
が真っ先に思いついた。
15 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 15:31:17 O
恐るべき数の女犯を犯し、領民から過酷な搾取を行った戦国版麻原の本願寺顕如
16 :
水 ◆TCygujgOWY @株主 ★:2007/05/31(木) 15:32:16 0
アステカの神官も生贄を捕まえるために戦争に出たんだよな。
数は少なかったけど。
戦巫女さん
18 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 16:39:17 O
これから出て来るどんな人物よりもムハンマドが最強
最強はモズグズに決まってるだろうが。
ちょい前までこの板でもモズグズ様スレがあったぐらいだ。
この板で専用スレがあったのはこいつぐらいだろうw
↓ここからタクティクスオウガのスレになります
21 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 20:20:01 0
>>10
少林寺僧が実際に参加した有名な戦闘ってあるの?
満州のアルバジン要塞攻略戦とか
まあ、伝説の類だが
とりあえず、対外戦で。
・常覚
→壱岐島分寺(国分寺)の講師。刀伊が入寇し、壱岐守理忠が殺害された後、
抗戦して三度に渉って敵を撃退した。後、衆寡敵せず大宰府へ逃れる。
・休静(西山大師)
→秀吉の朝鮮出兵の際に抗戦。自ら1500人の門徒と共に挙兵し、併せて
全国の寺院に檄文を発した。弟子の処英と惟政(松雲大師)も挙兵しており、
惟政は後に外交交渉の場でも活躍している。
>>21 有名じゃないけど明代に40人の「山東少林僧」が倭寇と戦ってついに全滅した記録がある。
少林寺とは関係ない連中だったらしいが。
>>23 李氏朝鮮では仏教僧は蔑視されてたとか聞きますが
実際は結構影響力があったんでしょうか
平民や白丁にとっては儒者よりよっぽど親近感がもてる罠
27 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 15:23:27 0
本願寺蓮如のことを忘れてませんか?
某戦国漫画で殆ど亀田興毅みたいな本願寺顕如が出てきてワロタw
「おおきに!」とか絶叫しながら布教するのなw
戦国時代だと、宮部継潤、筒井順慶、宝蔵院胤栄、大林坊俊海、法華経寺日親。
中国へ目を転じて弓の達人・王陽明。
29 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 17:36:10 O
王陽明って宗教家に入れていいの?
31 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 20:32:06 0
王陽明はれっきとした官僚。
それに宗教家ではなく思想家。
三好清海みたいな一応出家してる武将なんかも数に入れていいのか?
チェーザレ・ボルジアも一応聖職者だよな
全然聖職者らしくもないが
>>33 チェーザレ・ボルジアは戦争おっぱじめるころには既に聖職捨ててなかったか?
単体で最強はらすぷーちん
面構えだけならベネディクト16世も捨てがたいな
8 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/10/24(火) 09:52:12 ID:x/hU9IuZ0
少林寺守護神・緊那羅王
『少林寺志』によると、緊那羅は元末明初の少林寺に実在した僧で、俗名を許那羅という。
普段は寺の炊事僧として働いており、誰の話題に上る事もないような目立たぬ存在だった。しかし元朝末期に起こった農民蜂
起軍である紅巾軍が、大挙して少林寺に攻め入り寺の財物を略奪しようとした時に、寺の衆僧で誰も敵う者がいないのを聞くと
棍を手にして飛び出し、見事これを撃退した。
後世、観音菩薩の化身・緊那羅王として神化され、現在でも当地の武術家によって「少林武術の守護神」もしくは「山門顕武
第一人」として奉られている。
月空和尚、倭寇を撃退す
西暦1551年(明嘉靖30年)、月空和尚を首領とする少林僧兵100余人は、中国南方沿岸部に出没しては猛威を振るってい
た倭寇を撃退するために出撃し、数度の戦闘で倭寇に壊滅的な打撃を与えた。しかし度重なる激戦で、月空をはじめとする僧兵
らも最後には全員戦死、寺に帰ることはなかった。少林寺の西にある搭林(歴代高僧の墓碑)には、月空和尚のための搭が今で
も残っている。
38 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 08:33:09 0
中世ヨーロッパで日本と違って僧兵がいなかったのは
やはりキリスト教の戒律に抵触するから?
いや、騎士修道会から普通の教会の司祭まで別に武装してるのは珍しいことじゃなかったからいちいち言われないだけ。
僧兵や悪僧も仏教の戒律に則ってやってるわけではないと思うが・・・
>>25 どのくらい、といった話だと何とも。調べてみないと分かりませんが。
>>32 中世日本では、芸能民などは僧体でしたし、老年期には大抵剃髪して入道と
なったので、朝鮮からの使いなどは、国民の半分が僧体だと記していたくら
いです。これは大袈裟としても、正式な僧侶からそうではない入道までかな
りの人間が当て嵌まりますよ。
また、入道という場合、俗家にいる正規の僧侶ではない者も指しました。
それでも、三井高利夫妻像のように、一応剃髪していましたが。
>>40 あれは仏教の産物というよりは、寧ろ中世の産物ですね。
中世に武装し、行動していなかった個人や集団の方が珍しい。
「僧兵」という単語自体、武士・侍以外の武装が異常となった近世の産物。
チベット仏教では、悪党を生かしておくと周囲の人間が不幸になり、本人も
悪業を重ねて因果応報で苦しむから、自分が殺生の罪を犯してでも殺すこと
が慈悲であり(やや大人しめでしたが似た理屈は日本にもありました)、悪
党の行動を看過することは、却って無慈悲だと言われていました。
中国側からの行動を武力で撃退したチベット人の中に相当数の僧侶が混じっ
ていたのは、この理屈があったからです(少なくとも19〜20世紀は)。
ただし、戦闘や破壊行為がない場合、外道(非仏教徒)であっても毘盧遮那
如来の一部であり、それらへの攻撃は広義の仏法破壊にあたるという理由で
行われなかったので、宗教上の理由での開戦はなかったようです。
また、理念上は受身=抗戦のみになりますね。拡大解釈はつきものですが。
河口慧海「チベット旅行記」ではラサの「壮士坊主」が石を投げたり
山を走ったり飛んだり、棒で殴りあったりして体を鍛える様子が描かれてるね。
刀で決闘まですることがあったという。
43 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 20:58:31 0
東欧には要塞教会があるけど、武器などため込んでいたのだろうか?
45 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 00:01:13 0
初期のキリスト司教とかは戦争しまくってたらしいよ
指導者になれるやつが教会にしかいなかったし
蛮族はせめてくるわで勇猛な司教も多かったとか
改宗前のプロイセン人たちは、石の要塞を建造する技術を伝授してくれれば
改宗するといい、伝授されれば発言を翻すのが目に見えていたためになかな
な伝授してもらえなかったそうですね。
おそらく、キリスト教徒が立てこもる姿が驚異に映ったのでしょう。
13世紀、キリスト教宣教師クリスティアンは、最初は平和的な伝道をして
ある程度の成功を収めていましたが、キリスト教布教がポーランドの支配に
繋がるという理由でプロイセン人が武力蜂起すると、あっさりと方針を転換
して、十字軍の招聘と騎士修道会の設立を画策しています。
こうした時代には、勇猛な司教の活躍の場もありそうな。
東欧の要塞教会というと、ルーマニアなどに現存しているものが想起されま
すが、オスマン軍が外で略奪をしている間に籠もっていたそうです。
中世の戦争では、大々的な会戦や城攻めよりは食糧等略奪が多かったようで
すが、わざわざ攻めようということもあまりなかったのでしょうか。
47 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 07:01:40 0
>>44 17世紀にロシアのトロイツェ・セルギーエフ修道院を訪れたアレッポのパウロによると
そこの軍備は「数え切れないほどの砲、無数の大型小型の銃、弓、矢、剣、ピストル、槍、
鎖帷子に鉄の鎧――すべてトルコ人の国々より良質なものであった」という状態だったそう。
「動乱時代」に1万2千のポーランド兵が60門以上の大砲で4ヶ月攻囲しても陥落しなかった。
>>46 アキンジなど軽騎兵の略奪部隊なら防げるのでは。
童貞かどうかは関係ないの?
イランには「闘う聖職者協会」という政党がある。
日本のいわゆる僧兵は『行人』という低い階級の僧侶達で、
宗教界エリート僧侶の『学侶』は、戦闘のような荒っぽい行為には無縁の存在。
しかし欧州キリスト教世界では、エリート司祭までがきらびやかな甲冑を着て、
騎士として戦闘に直接参加するからなあ。そこが日本との大きな違いだな。
52 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 23:54:21 O
ホメイニ師
東欧の武装教会も、防衛指揮官は司祭?
>山野さま
ルーマニアの要塞教会は地元で聞いたら、「タタール人が攻めて来たら逃げ込む」
とのことで、おそらくクリミアタタールあたりの略奪部隊対策なのでしょう。
そんな大規模なものでなく、長駆して敵地の奥地に侵攻しており、攻城装備なども
持っていないでしょうから、要塞教会なんかに手間取って捕捉される危険を冒すよ
りも、防備の手薄な村を狙ったと思われます。
>48
ルーマニアの要塞教会に限らず、要塞化した修道院というのはあります。
スロバキアのニトラなんかは城そのものですし、スピシュ城の麓のスピシ
ュカ・カピストラも周囲に銃眼のついた防壁をめぐらしてます。他にも例
はいくつもありますが、修道院は食料も財宝もあるので防備を固める必要
があったのかと思います。
>53
村の長が指揮官だったのだと思います。
修道院が城になっているとか、城主が司教だとかいう場合は当然
聖職者が指揮してるのでしょう。
>>54 クリミア方面からの襲撃ですか。
タタール兵ってハプスブルクとの戦争にも動員されてたと思うけど、
ルーマニアとの関係がそんな感じだったら戦線に着く前に
モルダヴィア領とか安全に通れたのかな?
って完全にスレ違いか・・・
指導者は孤独だなぁ・・・。
ホロコースト・スレはどうした?
>>49 騎士修道会なら関係あるだろう。
一回だけなら結婚してもよいという所もあったらしいが。
教勢拡大のための戦いじゃないよね。
1365年に1万2千の騎士を含む盗賊団がアルザス地方を荒らしまわったが
その首領は「主任司祭」と呼ばれるイングランド人Arnold von Cervolaで
実際に聖職を帯びていたといわれる。
(鯖田豊之「14世紀の盗賊騎士団について」による)
>>48 >>54 やはり、とりあえず防げればよかったのですね。どうもありがとうございます。
地元まで行かれたとは、研究熱心な。
>>25 >李氏朝鮮では仏教僧は蔑視されてたとか聞きますが
一応、調べておきました。
新羅や高麗とは異なり、専門の仏教史研究書や史料集は確認出来ませんでし
たが。李朝も太祖は仏教を信仰しており、その時代は陵墓の傍に寺院を建立
することも珍しくなかったものの、太宗の時代になって、国家公認の寺院を
242寺に減らされ、宗派も12宗から7宗とされています。
もっとも、242寺などというのは、免税などが許された寺院の数ですが。
寺自体は、その後も各地に存続していたようです。
これが、世宗の時代になると、寺が36、宗派が2に減らされました。
16世紀、明宗の時代になると普雨が出て、文定王后の信任を得て教勢がや
や回復したものの、王后が崩御した1565年にほぼ元の木阿弥に。
朝鮮出兵時には、その残り香があったくらいでしょうか。
また、儒家からの極端な仏教排撃論は、太祖の時代から出ていたようです。
>李朝も太祖は仏教を信仰しており
それは意外。
別に意外でもないべ。日本でもよくあるし。
そりゃ日本では珍しくないだろうが・・・
李成桂が台頭する前にも高麗王に取り入って
土地改革に着手した仏教僧がいた。
このスレには関係ないが。
67 :
ドン・ベムーゴ ◆ijbu/dKPW2 :2007/06/19(火) 02:01:18 0
>>7 第一次、第二次のニカラグア内戦で、
解放の神学派がサンディニスタの一翼を担ったことからサンディニスタ革命直後に
外相、文化相、教育相、OAS大使がニカラグアの解放の神学出身の閣僚として政権に就きました
大統領の件は聞いた記憶がないんで調べて見ます
イダルゴ神父は基本中の基本。
69 :
世界@名無史さん:2007/06/21(木) 08:57:24 0
三十年戦争でハプスブルク家側の指揮を執った、レオポルト大公もそうだね。
フェルディナント三世の弟。次男だから聖職者になった。
聖職者というより聖界諸侯で、「ドイツ教会史上最大の禄を貰った一人」らしいけど。
ちなみに、フェルディナント三世の次の皇帝のレオポルト一世も、
もともと次男で(兄が死んで皇帝になることになった)、聖職者だったそうな。
フェリーペ3世の王子フェルディナンド、
いわゆるカルディナル・インファンテもそうだな。
ネルトリンゲンでスウェーデン軍破った。
ハンガリー軍がオスマン帝国軍に大敗したモハーチの戦いの、ハンガリー側の
司令官はカロチャ大司教のトモリ・パールでした。
この戦いでは、前日にトモリの作戦の修正を進言したものの入れられず、「明日は
何千ものハンガリー人が殉教することになるでしょう。」と敗戦を予言した、ペレ
ニ司教他、何人もの司教が戦死しています。
73 :
世界@名無史さん:2007/06/22(金) 01:29:14 0
やはり戦闘中に使っていい武器は槌矛で?
74 :
世界@名無史さん:2007/06/22(金) 01:55:06 0
ちなみに聖職者は、相手の血を流す事を禁じられてたのであって
刃物を持つ事自体を禁じられてた訳じゃない。
>>74 では鎧を着た相手を剣で叩き殺すのはおk?
モンゴルの処刑方法みたいだな
血を流すのもOK。血で濡れるのがNG。
聖書のこれだけ守っとけば他に義務とかないよという話の中に
「血は避けろ、血から遠ざかってればOK」って書いてあるから守らぬ訳にもいくまい。
77 :
世界@名無史さん:2007/07/01(日) 10:07:12 0
こういうのもOKだったわけだな
ttp://www.deremilitari.org/resources/pdfs/arnold.pdf 「同様の調子でStade Annalsは、次回の遠征において上記のマインツ大司教クリスティアンが傭兵部隊を率いて
ロンバルドとトスカーナの住民を殺戮し、ボローニャ、フェッラーラ、ラヴェンナ、アンコーナを攻囲、陥落させる
ことによってイタリア全土に多大な恐怖を与えたと記している。ボローニャの攻防戦において、この血に飢えた高僧は
甲冑に身を包み馬に乗って、3つの角をもつ槌矛で9人を殺したと記録されている。司教の秘書の一人であった
ブレーメンのHenry(ハインリヒ? ヘンリク?)は、彼が岩を取って、恐らく捕虜であったと思われる28人の著名な
イタリア人たちの歯を打ち砕くのを目撃している」
13世紀にドイツで書かれた説話集『奇跡についての対話』の中に、ドイツ
の司祭にだけはなりたくない、彼らは死刑を命じるし、戦争の指揮もとる罪
深い存在だからだという聖職者の声が出てきました。
そもそも、司教自体皆罪を重ねているとも言われている。
最後の話は、洋の東西を問わずに認識され、説話化していますが。
>ドイツの司祭にだけはなりたくない
フランスでも「ロランの歌」なんかでは僧侶が戦ってたような気が・・・
マイナーなハンガリー関係の話題をご提供。
前にモハーチの戦いのことを書きましたが、
もっと以前にバトゥ率いるモンゴル軍とベーラ4世のハンガリー軍
が戦った際も、大司教のウグリンがモンゴル軍相手に奮戦しています。
結局、戦いはハンガリーの大敗北に終わり、聖職者としては大司教2人
司教3人が戦死しています。
ハンガリーの内戦の際、ヤン・イスクラはエゲル大司教と交戦しており、
彼の軍に、重要な鉱山である現在のバンスカ・シュテアヴァニッアーの
街を焼き払われています。
さすがは使徒王国
82 :
世界@名無史さん:2007/07/22(日) 09:36:25 0
ハンガリーより更にマイナーなネタかもしれないが
フィレンツェ公会議で東西教会の合同を支持してロシアから追放された
モスクワ府主教イシドールは、オスマン帝国のコンスタンティノープル征服の際に
200人のイタリア人射手を率いて戦ったそう。
トルコ兵が市内に突入してきたとき、乞食の服と法衣を交換して
何とか逃げ延びたとか。
そういえば日本のほかに、仏教僧の僧兵っていたんだろうか?タイとか。
なかなか想像が出来ないけど。
チベットとか
100以下ないで終わったのこのスレ
87 :
世界@名無史さん:2007/08/21(火) 09:08:18 0
まだ終わりません
第二代ユクスキュル司教ベルトルド
当時多神教徒の土地であったリヴォニアに赴任したが、原住民に命を狙われたりして
キレてドイツから十字軍を率いて戻ってきたw
で、最初の戦いでリヴォニア人の槍に刺されて戦死。
ざっと読んだがこの手のはキリスト教徒ばっかりだな
戦国時代の本願寺は各地の門徒が決起すると、中央から戦闘指導員や司令官の僧を派遣していたな。
織田軍や上杉軍なんかをガンガン打ち破るようなのもいたが、ああいう派遣司令官の研究って進んでいるのだろか?
坊主が鎧着て向こう鉢巻みたいなルックスでしょうか?
>>88 仏教僧とかヒンズー僧とか、ムスリムも大量にあるはずなんだが、
いかんせん情報量が少なすぎるな
ヒンドゥー教徒、面白いのがいそうなんだけど誰かネタないものか
>>80 >聖職者としては大司教2人司教3人が戦死しています。
凄い燃えだ…
聖職者が戦死だぜ?
94 :
世界@名無史さん:2007/09/26(水) 02:08:05 0
オスプレイ・メンアットアームズのThe Moorsって本に
中世の北アフリカやイベリア半島には異教徒への聖戦に身を捧げたムスリムが
集まって暮らす「リバート」という要塞修道院のようなものが点在していて
それがのちにキリスト教国の騎士修道会の成立にも影響を与えたとか書いてたけど
本当なのかねえ。
今ミャンマーで仏教層が軍政相手に戦ってるな。
スペイン人のちょっと異色な戦う聖職者を二人ほど
・カテリーナ・デ・エランツォ
スペインの女海賊で、尼僧院や軍に在籍していた過去がある。修道女時代に何か武勇伝を残してるらしい。
コーエーのゲーム「大航海時代U」のプレイヤーキャラクターの一人、カタリーナのモデルでもある。
・セルヒオ・グラディエス・ベニトス
メキシコ在住の神父で、かつては孤児院の経営基金を稼ぐ為にルチャ・リブレのレスラー、フライ・トルメンタとして戦った。
現在は、この孤児院出身者の一人がフライ・トルメンタJrとして活躍中。
「ナチョ・リブレ 覆面の神様」のモデルか・・・
>>89 最近、神田千里先生の新著が出ています。
『聖王ルイ伝』を読んでみましたが、聖職者が自ら武器をとって戦い、敵を
殺害していますね。
しかし、毎度のことながら、十字軍従軍者の遺した記録の中のキリスト教徒
は、異教徒に容赦がない。
ルイ9世に十字軍に誘われたノルウェー王ハーコン4世は、断って北の十字
軍に参戦したそうですが、そこでも同様のことが行われたのでしょうか。
本書には、学僧が弩と鎌槍を持って賊を追いかけたという話がありますが、
佐藤健一先生の『カルチェ・ラタン』270頁を思い出しました。
同時代の我が国で寺院に盗みに入れば、長弓と長刀を手にした僧が出てきま
したが、似たようなものです。学僧も凶暴。
>>51では無縁とされていますが、学侶も暴れていましたね。
中世(あえて日欧の「中世」をまとめておきますが)という時代は、あらゆ
る階層が自力救済のために武装していましたし、寺院は領主でもありました
から、当然といえば当然で、十字軍などとは異なり、過激な泥棒対策は宗教
の内容が原因ではなかったと思いますが。
>>15 一向宗系統は女犯の禁忌はないはずだが
つか普通の宗派で言う所の破戒って概念が一向宗では全体的に薄いだろ
>>98 修道院も御坊も最初は自衛の為の武力を持ってたのが、後には利権獲得の為の暴力に使われるのも似てるな
>>98 時代はもうちょっと後だったと思うが、ドイツ騎士団なんか異教徒狩りを観光資源化して金稼いでなかったか?
>>97 他にもジャン・レノ主演「グラン・マスクの男」のモデルでもあるぜ
>>100 >時代はもうちょっと後だったと思うが、ドイツ騎士団なんか異教徒狩りを観光資源化して金稼いでなかったか?
行けば贖罪が叶うということで、末期には西欧の騎士たちがサファリで狩り
をするかのように異教徒狩りをする場と化しており、リトアニアのキリスト教
化を喜ばず、「実は異教徒だ」と言い張っていたのがドイツ騎士団。
flashにもなっていますが、あの戦いもリトアニア側は避けたがっていた。
103 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 00:51:07 0
今週号のモーニングに「チェーザレ」が載ってたので読んだら
「あの黒衣の連中が本当にドミニコ会士なら命はなかった。
奴らの中には戦闘訓練を積んだ者たちもおり、殺人も辞さない」
とかいう台詞があったけど、そうなんですか?w
104 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 08:12:33 o
聖職者に、原理主義のテロリストや、伝説のアサシンも含むのかや?
イスラムは職業聖職者をもうけてないから判断に迷うんだよなぁ
>>105 イスラム法学者=他宗教で言う所の聖職者、って判断であまり間違ってもいないと思うけど。
>>106 正確には=ではなく≒だね、プロテスタントの牧師も職業聖職者じゃないし
カトリックの修道士も聖職者じゃなかったりするしな
んな事言ったら仏教僧も、本質的には修行者であって、聖職者ではないわな。
>>107 牧師さんて信者を代表して冠婚葬祭の儀式進行をする檀家総代みたいなもんだっけ?
111 :
世界@名無史さん:2007/12/03(月) 10:30:27 0
宗教で飯を食ってたら聖職者と言っていいのかな?
少林寺って実在するの?
113 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 15:18:04 0
114 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 15:58:45 O
>>18で出てるけど、預言者にして大帝国の創始者たるムハンマドが
一番世俗的な業績を残した聖職者だろうなあ。
本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。
ゾロアスター(ザラスシュトラ)も最期は異教徒との争いで戦死したんじゃなかったっけ。
117 :
世界@名無史さん:2008/01/09(水) 04:38:35 0
ミヤンマー・カレン族には仏教徒のゲリラ戦闘団
民主カレン仏教徒軍(Democratic Karen Buddhist Army=DKBA)てのがある。
DemocraticでBuddhistでArmyていうのがスゴイ。
誘拐したり少年兵を徴兵したりタイに侵入したり内部抗争したりして評判悪い。
118 :
s:2008/01/09(水) 05:04:20 0
ふーん
119 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 01:29:33 0
信長の野望にはいくらでもいるな
本願寺顕如とか太原雪斉とか
現職僧侶の武将
本願寺は海外に出ないだけでどっちかっていうとドイツ騎士団に性格が似てるな
>>119 独立した寺院勢力(実は天台宗)としての本願寺の法主と、軍配(占い師と
言った方がいい)としての雪斎では異なるでしょう。
「武将」という言葉の定義も問題になりますしね。
>>120 異教徒の改宗を目的とした軍事行動など、起こしておりませんが。
当時は無碍光宗と呼ばれた現代の真宗本願寺派のみならず、それと対立して
いた(やはり別系統で天台宗に所属していた)高田派や仏光寺派も独自の武
装をしていましたが、中世に独立(の定義も難しいですが)勢力が武装する
ことは、他の寺社や寺社以外の勢力にも見られましたからね。
本願寺自体の性格によるものではない。
信長は本願寺と対立した後、高田派や仏光寺派の参戦を得てこれを打ち破っ
ており、報酬として知行を与えています(信長宗教弾圧説は大嘘)。
さてその本願寺ですが、思われているほど戦闘的ではありませんでした。
そもそも、本願寺の軍事動員は、お膝元の寺内のみならず、各地の門徒にも
出される訳ですが、この時点で断られることが多かったですし。
「進めば極楽浄土」云々も、一部地域で勝手に言っていたことともいう。
本願寺自体も極力戦闘行為は避けようとしており、将軍や管領の要請を断り
きれずに動員をかけています。信長にも当初は進んで服従している。
わざわざ戦おうとか、戦って救われるとは(公的には)言っていなかった。
親鸞(=阿弥陀如来)の子孫に従えば救済され、従わなければ見捨てられる
という理屈もあったでしょうが、そのものずばりの布告はなかったらしい。
(今後、出て来る可能性はあるでしょうが)
最後の一行で怖いこと言ってる・・・
今後というのは、未来に「本願寺が親鸞の子孫である法主に従わないと極楽
へ往生できない」と本願寺が提示したという史料が出て来るかもしれないと
いう意味で、本願寺が今後軍事動員をかけるという意味ではありません。
あしからず(私の表現が不味かったか)。
124 :
世界@名無史さん:2008/01/11(金) 01:45:05 0
太原雪斉は現職でどこかの寺の住職さんでしたなあ
125 :
世界@名無史さん:2008/01/11(金) 02:17:26 0
フリーメイソンの前身、テンプル騎士団最後の総長ジャック・ド・モレー
>>123 ああ、史料が出てくるかもしれないってことですね。失礼しましたw
127 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 02:00:26 0
>>120からの流れを見て思ったが
仏教圏で布教のために征服戦争を起こした例ってあるのかな?
タイあたりとか
東方正教の総主教ってヘラクレイオス帝のときみたいな皇帝遠征時には
都市守備の指揮を何回か取ってるよな
129 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 16:15:47 0
昔の聖職者てその地域のリーダーだからけっこう戦闘に加わること多かったみたいだね
130 :
世界@名無史さん:2008/01/15(火) 00:46:08 0
戦う聖職者といえばデ・ソヤ神父大佐
131 :
世界@名無史さん:2008/01/15(火) 10:41:08 0
>>128 正教の聖職者は軍事関係に関わるのが禁じられてたとかロシア史関係の本で
読んだような気がするが、実際は違ったのかな
132 :
梵阿弥:2008/01/19(土) 21:23:55 0
諏訪、宗像、阿蘇大宮司は戦国大名
>>129 司教が国王や地域の領主から封の形で土地を与えられている場合
その土地から一定の軍役奉仕を行う義務が発生します。
本来の聖職者は祈る事が仕事なので、軍役関係はその教会と封建関係を
結んでいる守護役の俗人領主に任せるのですが
辺境や重要拠点防衛の為に設置された修道院などでは、院長自ら
指揮を執る事も珍しくありませんでした。
また、高位聖職者層は貴族階級の既得権となっており
俗人修道院長というのも存在していましたので、こういった層は
普通に従軍しています。
134 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 09:23:42 0
そういう場合たとえば教皇庁に対する軍事行動でも参加しなきゃならんのでしょうか・・・
>>134 封主との現実の関係次第ですが、軍役を提供する封地は
封主との間だけの関係なので、法理念上では例え相手が教皇であっても
正当な理由であれば、従軍する必要があります。
そして現実的には、高位聖職者は叙任されれば独自行動を取る事が多く
教皇庁へ服従していたケースというのは稀でした。
教皇が軍事的に確実に期待できたのは、あくまで自身が封建領主である
教皇領から出てくる戦力のみで、他はその時の事情によりけりです。
>>135 非常に明快な答え、ありがとうございます。
>>103 ドミニコ会のMilitia Christiかな?
139 :
世界@名無史さん:2008/02/05(火) 14:22:10 0
3世紀のユダヤ教のラビだったシモン・ベン・ラキシュはかなり体格のいい男で
学問で食えなくなった時期にはグラディエーターをやってたとか
荒野で追いはぎをやってたとか言われてるらしいw
140 :
世界@名無史さん:2008/04/14(月) 13:34:57 o
古代や中世の軍隊で、聖職や宗教と関係ない軍隊っているの?
いても盗賊のような感じがする
>>140 古代ローマとか古代中国とかの軍隊は、比較的宗教色が薄い。
142 :
世界@名無史さん:2008/04/14(月) 21:10:58 0
ササン朝の皇帝ってたしか代々アナーヒター女神の神官だったっけ
>>141 氏族性社会の軍隊が宗教色薄くないわけが無いと思われ。
教会組織みたいなものだけが宗教じゃないから。
薄くないわけがない→薄い?
>>104 イスラームは、キリスト教世界のような、聖と俗、政治と信仰といった二元論では分けにくいと思うのよ。
>>106 のように、原則的にはイスラームには聖職者はいなくて、それにあたるのは、法典を解釈する法学者だね。
彼らは平和な状態では政権のご意見番だけど、治安が乱れると直接行動にでるから(例えばイランやアフガニスタン)、原理主義のテロリストは強いていえばこっちかな。
スーフィー(神秘主義者)や、本人らはイスラームといってるけど、どっからどう見ても土俗と混淆しちゃってる(原理主義者からバカにされるような)怪しいものは、ちょっと違うかも。アサシンはこっちだろうな。
146 :
世界@名無史さん:2008/04/17(木) 12:11:09 0
>>145 つーか、一般的に原理主義者こそ、土俗とイスラームを混同しちゃっているよ。それもおそらく意図的に。
今のイスラーム原理主義は清教徒的なものではなく、狂信的保守主義と定義した方がいいと思う。
>>146 うんうん、狂信的保守主義。イスラム原理主義っていうけど、原点回帰の運動と過激派を分けろっていうもんね。
土俗とイスラームを混同って、ブルカとか割礼のこと?
>>147 他にも、イスラムの名の下の、有力部族による長老政治もそうだし、女性の参政の制限や
権利の一部剥奪、夫に先立たれた妻へのサティ(殉死)も、この辺は現地の土俗的風習をいつのまにやら
イスラムに転化したものだね。
インドやパキスタンなんかでは、イスラム教徒の間に(非公式ではあるが公然と)カーストすらある。
イスラームは過激派の活動で一見にぎやかだけど、宗教としての根っこは相当弱っていると思うよ。
へー、南アジアはそうなのかー。
実際は土着の文化とうまく折り合いをつける、ゆる系宗教だもんね。
ヴァチカンのような中央集権的な組織もないし。
狂信的保守主義な人も、ピュアなイスラーム像を勝手につくるしかないってことかな。
>宗教としての根っこは相当弱っている
トルコのように揺り返しが起きたりするわけで、そこがイスラームの妙だと思うな。
しかしスレにあがってる事例を見ると、聖職者って結構血にまみれてるなあ。逆にきれいな聖職者ってなんなの?って思うよ。
聖職者と言ってもその実体は巨大組織の運営者なんだから、生臭い政治もあれば血まみれの暴力もあるわな。
今でこそ双璧のポジションにある浄土真宗も禅宗も、
最初期は群れるなとかいった主旨の教えに忠実だったからドマイナーな宗派に甘んじてたんだよね
やがて教義の適用を緩くした事で、教団を拡大できた代わりに純粋な教えから遠ざかってしまった
なんにつけてもメジャー化・巨大化すると政治的要素とは無縁でいられなくなるからなぁ
んー、
「戦う聖職者」ってわざわざ言うぐらいだから、
みんな、少なからず、聖職者は殺しをしないってイメージがあると思うんだ。
きれいな聖職者ってなんなの?って思ったのは、
そのイメージがどこで植えつけられたのか、気になったのですよ。
まあ政治的云々を抜きにしても、
古代中世では外敵から自衛する為にあらゆる団体・勢力は武装してたし、
それは坊主だって例外じゃない
日本人にとっては信長・秀吉・家康らの流れで出来上がった民衆や寺社の非武装化政策の流れで、
そこから出来上がった坊主をイメージしてるせいで、
坊主は普通は武装しないって印象になってるのかも
少林寺
日本も室町時代の寺社は、戦争や紛争ばっかりやっているな。
まあ、あの時代は日本人全体が、異様に凶暴な時代だったが。
156 :
世界@名無史さん:2008/06/22(日) 21:53:08 0
武装した聖職者は例外的存在なのか
信長の野望の影響が強すぎるんだろうか…
んじゃ、三国志の方から
黄帝信仰や道家学説を含む初期道教の一派である太平道の創始した道士であり、
黄布の乱の指導者でもある大賢良師こと張角
コーエーの影響が強すぎるんだろうか…
160 :
世界@名無史さん:2008/08/18(月) 20:25:29 0
フン族のもとに赴いたオリュンピオドルスの遺した記録に「ドナトゥス」という名のフン族が言及されているが
彼はフン族の王であったという説もあれば、迫害を逃れて亡命したドナティスト派の僧侶だったという説もある・・・
161 :
世界@名無史さん:2008/11/15(土) 01:09:22 0
あげ
163 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 15:55:21 0
164 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 17:19:49 0
天台座主も何度か甲冑着て戦場まで出てるよ
明雲に至っては木曽義仲と交戦して戦死してるし
護良親王も還俗する前から出陣してたはず
戦国武将とか入道になっても何も変わりなく戦ってたしね
166 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 00:18:04 0
しかし武田信玄とか斎藤道三とか、どうみても聖職者じゃないw
在家入道ってやつだ
戦国時代の場合、武将が入道になると、坊さんのほうが「悟りを開こうとかマジに仏道に入ったりしないで、
ちゃんと政治や軍事に集中してくださいね」って、わざわざ釘を刺したりする。
あと、「うちの宗派で得度されたけど、宗派は平等に扱ってくださいね」なんて事まで言ったりする。
168 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 01:01:46 0
旧約聖書に出てくるモーゼやヨシュアだって、ある意味戦う聖職者だろう
まあ、あの時代ユダヤ教はまだ預言者とラビと政治指導者の区別が
ついていないような気がするが、
169 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 01:10:08 0
ムハンマドも戦う聖職者と言うか預言者
170 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 08:04:47 0
ピニョー・ド・ベーヌ,
フランスの宣教師、グエン朝の初代皇帝嘉隆帝に協力して西山朝と戦った
171 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 09:37:37 0
>>163 >イスラエル・エルサレム(Jerusalem)旧市街の聖墳墓教会(Holy Sepulcher)内で起こった
>ギリシャ正教とアルメニア正教の聖職者同士の乱闘騒ぎで、イスラエルの警察官ともみ合うアルメニア側のミサの従者
画像の説明だけでワクワクしてくる
172 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 21:48:27 0
パウルス3世 (ローマ教皇)
>・・・・教皇自身が政治問題を引き起こすこともあった。たとえば1540年には自分の孫にあたる
オッターヴィオ・ファルネーゼをカメリーノ侯にしようと、ウルビーノ大公からカメリーノ侯
の地位を剥奪している。また、過酷な税を課したことで教皇の支配下にある都市との間で戦争
が勃発したこともあった。たとえばペルージャは税の支払いを拒否して教皇の軍隊に包囲され、
降伏。抵抗したコロンナ市民も制圧され、アスカニオも1541年に屈服させられた。・・・
まさに戦うローマ教皇だな。
ミケランジェロの映画にもこのパウルス3世が戦争するシーンが出てくる。
173 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 21:56:33 0
大僧正テュルパン
王重陽
武器は十字架型のハルバードとかで宜しく
>十字架型のハルバード
槍の横に斧と鉤が付いたのがハルバードなのにどこをどうやって十字架型にするんだ
教皇が自分で軍を指揮することはあるの?
179 :
梵阿弥:2009/03/19(木) 17:11:23 0
>>128 コンスタンティノポリスのセルギオスですか
李氏朝鮮で日本が攻めてきたときに戦ってた坊さんがいたような
181 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 14:25:16 0
へースティングでウィリアム征服王と共に戦ったオド司教
182 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 01:13:11 0
完顔陳和尚
184 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 20:03:26 0
和尚さんなんでしょ?
185 :
世界@名無史さん:
わんにゃんちんおしょうさま。なんてかわいらしいのでしょう!