古代ローマ帝国の軍隊を語るスレ 其のV

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
古代ローマ帝国の軍隊について語るスレです

【過去スレ】
古代ローマ帝国の軍隊を語るスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046862617/
古代ローマ帝国の軍隊を語るスレ 其のU
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1134961353/
2世界@名無史さん:2007/05/25(金) 16:01:50 0
【関連スレ】

古代ローマ総合スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1143779274/
ローマ帝国の退廃・悪徳
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1085708517/
古代ローマは海洋国家?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1081330843/
古代ローマに宦官がいたの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/975259020/
激突!ローマ帝国VS秦
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1177843556/
3世界@名無史さん:2007/05/25(金) 16:42:22 0
ルビコン越えた>>1乙!
4世界@名無史さん:2007/05/25(金) 17:54:18 0
三国志・戦国板は、中国と日本の歴史という、異なったジャンルを合わせ持つ板。
歴史ジャンルというと男性が多いイメージですが、女性も多数参加しております。
さらに初心者にも優しく、真面目な議論スレ・ネタスレはもとより
801ネタから美少女ネタ・なりきりまで許容オケーの 素晴らしい板です。
是非来てください。

三国志・戦国
http://ex21.2ch.net/warhis/
5世界@名無史さん:2007/05/25(金) 23:39:11 0
カエサルの本などを読んでいると、その日寝泊りする陣営地を建てるのが、
以上に早いような気がするんです。
だっていちいち、堀をつくり柵を立てて、しかも各軍団兵の為のテントも建てる。
これをだいたい夕方の4時くらいから、暗くなる前に作る。
とても2時間くらいでは出来ませんよね。不思議です。
6世界@名無史さん:2007/05/26(土) 04:29:53 0
大人数だから手分けしてやってるだけだろ。こっからここまで穴掘りに専念、とか。
7世界@名無史さん:2007/05/26(土) 05:42:34 0
 歩兵だけだともっと行軍できるんだけど、攻城兵器とか食糧・武器運搬の
馬車なんかの移動速度考えると、歩兵だけどんどん先行っても仕方ないんだ
ろう。
8|ω・`) :2007/05/29(火) 16:24:29 0
おう
9世界@名無史さん:2007/05/30(水) 01:17:56 0
キンブリ・テウトニ戦争でゲルマン人が、数十人の死者出したのは後のローマ
軍がゲルマンに苦戦することを考えるとほんとの話なのかな。
10世界@名無史さん:2007/05/30(水) 09:48:49 O
数十人

わりと少なかったんだな
11世界@名無史さん:2007/05/31(木) 09:35:58 0
ローマの騎兵の絵で金属製の仮面をつけて戦ってるのを見た記憶があるんですが
どういった民族や部隊の装備だったんでしょうか?
12世界@名無史さん:2007/05/31(木) 16:35:15 0
あれは本来ローマ軍の儀式用の仮面らしい。
なぜかトイトブルク古戦場から発掘されたりしているが。
13世界@名無史さん:2007/05/31(木) 20:11:18 0
フン族ってローマ帝国崩壊に至ったゲルマン民族の大移動の原因になったって言われてるけど、実際はそんなに凶暴な遊牧民だったのかな?
チンギスハンの元なんかはものすごい大軍とそのチームワークで向かうところ敵無しだったらしいが、フン族って同じ遊牧民でもそういうイメージないよね。
14世界@名無史さん:2007/05/31(木) 20:16:13 0
デザインはちょっと違うがササン朝のカタフラクトなんかも装着してたな>鉄仮面
15世界@名無史さん:2007/05/31(木) 23:21:20 0
 フン族の影響ってよりローマ内部がキリスト教や皇帝制度の疲労でスカスカ
になって今まで支配してたゲルマン人に寝首かかれたってのが正しいと思う。
西ローマ末期にゲルマン系の服装をするのがローマ人の間で流行ったなんて
のが価値観の逆転を示すもんだと思う。
16世界@名無史さん:2007/05/31(木) 23:50:34 0
>>13
フンっていやあ、匈奴じゃないの?漢の初代皇帝を捕虜にしちゃったくらいの無敵の軍隊ですよ。

>>15
ヒップホップファッションがイギリスで流行るようなもんか。
って言ったら差別?
17世界@名無史さん:2007/06/01(金) 00:38:03 0
フン=匈奴説は最近は否定されてる。蹄鉄の発達で相対的に騎馬戦有利
になったが、地球の裏側まで大々的な影響を即時に展開できる程、影響
があったかは疑問視されてる。一部のゲルマン人を押し出す原因にはなった
かも知れないが、どっちかと言えばローマ自体が内部崩壊して、権力の
空白地域にゲルマン人が入ってきたのが実態に近い。実際、後にローマを
滅ぼすゲルマン諸部族は5賢帝時代には認識されてた。病気と同じで体力が
あれば治るが体力がなければ死んじゃうって事だな。
18世界@名無史さん:2007/06/01(金) 07:00:29 0
>>12
防具じゃなかったんですね。残念。
19世界@名無史さん:2007/06/01(金) 09:30:49 O
>>15
ローマって元々そういう国民性なんじゃね?
一時期はギリシア文化が流行したし
20世界@名無史さん:2007/06/01(金) 15:17:31 0
 確かにファッションには移り変わりがある。でも正装までゲルマン化してくる
と、ゲルマン系の社会進出が進んだ証拠になる。日本のコスプレイヤーだって、
冠婚葬祭にはそれなりの服着ていくだろ?またギリシャ文化への傾斜化もギリシャ
が自国領になって以降大々的になっていく話で、ゲルマンは当時も昔も敵国、
その恰好で堂々と歩くのが平気になって事はローマ的価値観が壊れて、ゲルマン
的な価値観がローマ人に広がった証拠と言える。
21世界@名無史さん:2007/06/01(金) 22:32:36 0
フンと言えばアッティラだよね。かなりの暴君だったらしいが最後は時の教皇レオ様に説得されて引き下がる素直な一面も。
22世界@名無史さん:2007/06/02(土) 02:21:24 0
「パンノニアに本拠地を構えた後のアッティラ軍は夏に遠征をおこなっているが
これはフン族がすでに遊牧民の軍隊とはかけ離れたものになっていたことを示す」
とかものの本に書いてあった。
23世界@名無史さん:2007/06/02(土) 10:13:21 0
帝政初期にもゲルマン人の金髪によって作られたカツラが大流行したんだが…
24世界@名無史さん:2007/06/03(日) 19:10:32 O
ゲルマン人を敵と割り切るのもどうかと。
25世界@名無史さん:2007/06/05(火) 20:33:19 0
流行った宗教もミトラとかキリストだとかヨソモノが多いな。
冠婚葬祭の服装どころか冠婚葬祭の中身そのものが変わっただろw
26世界@名無史さん:2007/06/05(火) 21:33:48 0
《新作映画情報》
ttp://www.imdb.com/title/tt0382731/
Hannibal the Conqueror (2008)
27世界@名無史さん:2007/06/05(火) 22:04:04 0
>>26
ハンニバルが黒人か白人かで大荒れになってるな。
28世界@名無史さん:2007/06/05(火) 22:34:50 0
元々はフェニキアの植民地だから
29世界@名無史さん:2007/06/05(火) 22:38:00 0
ハンニバル黒人はないだろ・・・やつらセム系民族だぞ
30世界@名無史さん:2007/06/05(火) 23:42:34 0
>>26の荒れ具合に禿ワロタ
31世界@名無史さん:2007/06/06(水) 00:37:23 0
>>26
黒人至上主義者ってのは始めて見た。
32世界@名無史さん:2007/06/06(水) 07:44:52 0
朝鮮/韓国人至上主義と似た様なもんか
奴隷人種/民族のコンプレックスの裏返しだな
33世界@名無史さん:2007/06/06(水) 11:07:57 0
いわゆる擬似歴史学ですか。
34世界@名無史さん:2007/06/07(木) 21:02:29 0
そういえば「イエス・キリストは黒人だ!」ってのもあったなw

つーか、普通に浅黒い肌のデカ鼻ユダヤ人だろっ。
35世界@名無史さん:2007/06/08(金) 18:58:07 0

>>21
キリスト教徒の言い分だってこともわりひいたほうがいいとおもわれ。
36世界@名無史さん:2007/06/09(土) 00:44:07 0
疫病の流行で、アッティラ軍は進行を続けられない状況になってたらしい。

たまたまそこに変な坊さんがやってきて「とっとと帰れ!」って言うから
「坊さん殺すとバチあたるかもしれないし、じゃあまあこのへんで帰るか」

これがおおむね真相に近い
37世界@名無史さん:2007/06/11(月) 14:27:32 0
アッティラの仕事は略奪や賠償金の獲得と分配だからな、賠償金取れそうな
相手を殺したら金取れなくなっちゃうみたいな事考えたんじゃないか。
38世界@名無史さん:2007/06/12(火) 15:44:13 0
キリスト教徒がその立場で後世に伝わってほしい歴史
を書き上げたっていうことか。なるほど。
39世界@名無史さん:2007/06/12(火) 22:24:42 0
キリスト教は何の気兼ねも無く思う存分悪者に出来るから気持ちいいよな。
無論ソースなんて必要ない。キリスト教なんだから悪い事やったに決まってる。
40世界@名無史さん:2007/06/12(火) 23:48:36 0
うまいこと言ったつもりで滑ったでちゅー
41世界@名無史さん:2007/06/13(水) 02:34:34 0
まあ確かにハッタリなんだけど

「神風が吹いて元軍を追っ払った」
というのとおおむね同程度のハッタリだ
42世界@名無史さん:2007/06/13(水) 05:59:35 0
教皇がアッティラに相当な賂を贈ってお引取願ったという言い伝えもあるが、
公式には教皇レオの神秘的な雰囲気にアッティラは恐れ入って退散したと記されている。
43世界@名無史さん:2007/06/13(水) 14:01:20 0

アッテラ「うわ、なんだこいつ、キメェww」
44世界@名無史さん:2007/06/13(水) 19:08:06 0
>>42
そもそも交渉には西ローマ帝国の高官も参加しているので
金を出したのはそっちだと思うぞ

45世界@名無史さん:2007/06/13(水) 19:55:26 0
当時の西ローマ、そんな金あったのかな?
東側に経済の中心はおさえられてたんでしょ?
46世界@名無史さん:2007/06/15(金) 05:51:52 0
 なかった。だから傭兵契約みたいな形で封土を与えて土着させ、徴税権を
与える。土着すればその先に攻めてくる可能性が減るし、他の異民族や東ローマ
の攻撃から防いでくれるでウマーと考えるんだけど、実際はどんどん領土が減って
兵力も収入も減って権威が益々低落するって感じの負のスパイラルになる。最初は
西ローマで次に東ローマがそういう形で滅んでく。
47世界@名無史さん:2007/06/15(金) 11:04:12 0
東ローマは途中バルカン半島をほとんどスラヴ人に席巻されて
それでも立ち直ったのはすごいと思う
48世界@名無史さん:2007/06/15(金) 11:48:11 0
アレクサンドロス大王とその後継者たちの帝国はあっさり崩壊したのに、
東ローマはゴキブリのようなしぶとさを持っているなw
同じギリシア人の帝国でもえらい違いだ。
49世界@名無史さん:2007/06/15(金) 13:17:28 0
フン族の残党も最後はビザンツのフェオデラティになってたとか。
そういやフランス辺りにもフン族の末裔の村があったとか無かったとか・・・
50世界@名無史さん:2007/06/15(金) 16:10:53 0
ダラダラと1000年続いちゃったからな。
つーかトルコはオレの空気読んでコンスタンティノープルを残しておくべきだった。
そうすればローマ帝国が現在でも残ってたのに。
51世界@名無史さん:2007/06/15(金) 17:07:19 0
 君の空気なんて知った話じゃないよ。だが、イスラム側でもコンスタンティノープル
を残して措くべきって意見はあった。キリスト教徒との貿易や外交がやりやすく、十字
軍的な報復の意見がキリスト教圏で起きかねないって考え、まあ末期には最盛期の人口
の十分の一以下に低落し領土も実質、コンスタンティノープルだけの都市国家なんて恐れ
るに足らずって意見が大多数を占めて攻撃が決まる。占領後、オスマン帝国の首都にな
った事を考えればあの土地の地政学的有利さをイスラム側が完璧に理解してたんだろう
な。
52世界@名無史さん:2007/06/16(土) 18:11:30 0

>つーかトルコはオレの空気読んでコンスタンティノープルを残しておくべきだったw


ところでローマの軍隊の活躍まだぁ〜?
53世界@名無史さん:2007/06/18(月) 19:52:14 0

過疎ってるな。
だれかユリウス・カエサルのように戦況逆転できる
戦略の天才はいないの?
54世界@名無史さん:2007/06/30(土) 20:10:46 0
>>53

世界史板に人材イナサスW
55世界@名無史さん:2007/07/14(土) 20:14:39 0

シーザーインペラトール!!
56世界@名無史さん:2007/07/15(日) 17:22:16 0
>>49
ハンガリーのエステルハージ家
57世界@名無史さん:2007/08/20(月) 13:53:21 0
パレスチナを属領にしてた時代はローマ兵が赴任してたんですか?
58世界@名無史さん:2007/08/21(火) 09:23:18 0
エトルリアってどんな軍制だったんでしょう?
ギリシャあたりと似た感じですか?
59世界@名無史さん:2007/08/25(土) 15:50:37 0
>>58
ローマ軍のピルムってエトルリア由来でなかったっけ?
ファランクス中心のギリシャとはまた違った感じなんじゃないかな?
60世界@名無史さん:2007/08/25(土) 19:50:38 0
ピルムはサムニウム人の物。
エトルリアの軍は初期のローマと類似(つまりギリシャ風の重装歩兵が主力)していたと推測されている。
61世界@名無史さん:2007/08/26(日) 08:04:02 0
 ローマとパルティア揚げ。
62世界@名無史さん:2007/08/26(日) 08:18:02 0
ローマ軍がピュドナの戦いでどうやってファランクスを撃破したのか
良く分かりません。
エロい人教えてください。
63世界@名無史さん:2007/08/26(日) 08:45:26 0
>>62
ピルムなどで横隊崩されたところから分断されてあぼんぬ。
64世界@名無史さん:2007/08/26(日) 10:43:11 0
>>62
ペルセウスが無傷の騎兵隊を連れて逃亡したので士気が崩壊。
65世界@名無史さん:2007/08/26(日) 10:44:36 0
そして止める者がいなくなったローマ軍の騎兵と戦象は思う存分マケドニア軍の側面と後面を攻撃出来た。
66世界@名無史さん:2007/09/07(金) 08:46:44 0
>>12
これ? ペルシャ軍の防具に似てるけど
ttp://www.livius.org/a/1/germania/kalkriese_mask.jpg
67世界@名無史さん:2007/10/10(水) 14:01:19 O
age
68世界@名無史さん:2007/11/25(日) 23:09:42 0
保守age

ローマ総合スレでも話題になってるがwowowでやってたドラマ「ROME」のフィリッピの会戦は素敵だったな。
ピルム投げないのかよ、とかフィリッピの会戦ってブルートゥス、カシウスがそれぞれ二つに分けた軍団と
アントニウスとオクタビアヌスのそれぞれの軍団が別個に戦ったんじゃないのかよ、とか突っ込みどころはあるが。

ところでこれでブルートゥス軍が絹の軍旗を持ってたんだが、実際ローマ軍に絹の軍旗ってあったのかな?
カルラエの戦いで生き残ったローマ兵がパルティア軍の光る軍旗に驚いたというから、
クラッススの時代にはなかったとして、ドラマ的にはカシウスがパルティア戦で見た軍旗を真似たって設定なのか。
69世界@名無史さん:2007/11/25(日) 23:17:52 0
絹はシルクロードを通じて伝来してはいた
だけど、もんのすごく高価だったはず

だいたい、ローマの「銀鷲の軍団旗」って
イラスト資料で見た限りでは、布製ではなかったが
70世界@名無史さん:2007/11/26(月) 14:24:41 0
お蚕さんは、ヨーロッパまでは持って行けんかったのかな?
桑が育たんといかんからなあ。
でも、インド辺りなら育てられてんじゃねーのとか思わんでもないが。


ところでさ、オレみたいな素人はついつい、全盛期のローマからゲルマン移動でボコられるまでの間、ローマ軍は弱体化の一途をたどったように錯覚しちゃうんだけど、冶金技術の進歩とか鎧づくりのノウハウとか、強化されてる部分の方が大きいはずだよな。

ゲルマンの戦力の源って、何だったんだろ?
71世界@名無史さん:2007/11/26(月) 15:36:30 0
>>69
いや軍団旗じゃなくて、大隊かなにかの旗が絹だったんだ。

>>70
ゲルマン人が戦争に強いって言うのもあるが、それ以上に大きいのは、ゲルマン人側の後背を叩けなかった事じゃないかな。
ベトナム戦争もそうだが、戦争っていうのは敵の野戦軍をいくら叩いたところで敵の拠点を落とせなければ戦争には勝てない。
ゲルマニアは未開すぎてローマが占領する価値のある戦略拠点はないし、略奪もできない未開の地じゃ
当時の軍隊は補給もままならない。
また、予防占領という形でゲルマニアを占領したとしてもサルマタエやらフン族やらとやりあう羽目になるだけだしね。

だからティベリウスはゲルマニア占領を放棄した訳で、ローマが衰退すればいつかゲルマン人の侵入を防げなって、
彼らに滅ぼされるのは、ローマが地中海の覇権国家となった時点で運命付けられていたんじゃないかな?
ゲルマニアの先が海であったならまた話は別だったんだろうけどね。
72世界@名無史さん:2007/11/26(月) 20:49:11 O
>>70
紀元200年頃から皇帝暗殺→後継者争い→暗殺が繰り返されて政治不安定・軍事費増大
政治不安定になると属州が独立思考になるためさらに兵を増やして赤字悪循環

金がないと兵士一人一人に配給される装備も劣化


ついに安くて強いゲルマニア傭兵を多く雇う
不安定なローマ帝国に見切りをつけた属州が次々と独立
経済基盤を失う

だが依然ローマ軍は超軍事大国
でも実態はゲルマニア傭兵やダキア人などの非ローマ人が大半を占める
そいつらがローマを裏切って属州独立させたり同族をわざと侵入させて一緒に侵略したり

そして最終的に身内のゲルマニア人兵たちのクーデターによりローマ市破壊・西ローマ帝国滅亡


簡単にいうとこんな感じか
まあ途中がんばった時代もあったけどな
73世界@名無史さん:2007/11/26(月) 21:02:55 0
>>70
養蚕技術のヨーロッパ導入は6世紀頃。
既にローマはなく、ビザンツ帝国の時代になっていた。

74ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2007/12/11(火) 00:08:32 0
>>62
ピュドナの会戦 BC168
マケドニアの密集方陣正面の衝撃力に耐え切れずローマ軍の第1戦列は崩れて
第2戦列も押されまくったのであるが、それに乗じて前進したマケドニア密集
方陣は戦場の地形の変化にまで対応できず整然とした横一列の体型が維持でき
なくなった。突出してしまった部隊や出遅れた部隊が現れ危険な側面を曝す状
態をローマ軍指揮官ルキウス・アエリミウス・パウルスは見逃さず、軍団兵の
戦列を解き多数の小部隊に分割して密集方陣の槍衾に生じた亀裂へ多方向から
突入させた。密集方陣の脆弱な側面を護るはずの軽装歩兵や騎兵はローマ軍団
兵によって駆逐され、孤立した密集方陣はもっとも苦手とする白兵戦を強いら
れ切り刻まれていった。1時間半の戦闘の後、マケドニア軍は25,000名の兵を
失ったがローマ側の損害は80〜100名に留まった。

↑……というようなことを市川定春さんがどっかの掲示板で教えてくれました。
ピルムによる投擲は思ったほどの効果を挙げておらず、密集方陣の戦列が崩れ
た後のローマ軍の臨機応変な柔軟性(小部隊指揮官の判断力と個々の兵士の剣
士としての能力の高さ)が勝因だったそうです。

マケドニア軍もアレクサンドロスの東征軍の頃とは違って、金床(密集方陣)
は準備できてもハンマー(重装騎兵隊)を揃えるのが難しい事情があったそう
です。その分、戦象とかファランクスとかがハンマーの役目を果たすようにな
るのですが、騎兵に比べれば機動性も柔軟性も格段に劣りますから。
75世界@名無史さん:2007/12/11(火) 00:26:11 0
マケドニア・ファランクスの槍衾には、矢玉を弾く効果もあったそうだ。
76世界@名無史さん:2007/12/11(火) 08:43:40 O
>>75
それガセ
77世界@名無史さん:2007/12/11(火) 10:46:20 0
塩野七生の「ローマ人の物語」を読むと、

ローマ軍の損害・・・数十人〜数百人、
敵国の損害・・・数万、全領土損失

なんて戦いがとても多いんだけど、嘘っぽくないか?
78世界@名無史さん:2007/12/11(火) 11:23:08 0
ローマの坂の上の雲
79世界@名無史さん:2007/12/11(火) 12:47:03 0
>>77
嘘にきまっとる。だいたいいつの時代、どこの軍隊でも、被害は過少に、戦果は過大にするものだ。
80ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2007/12/12(水) 08:52:02 0
BC390のガリア人ローマ来寇とか
BC321のカウディウムの屈辱とか
対ピュロス戦役とか
BC255のウティカの戦いとか
BC249のドレパナ沖海戦とか
BC218のティキヌス&トレビアの戦いとか
BC217のトラシメヌス湖畔の戦いとか
BC216のカンナエの戦いと
……以下略
81世界@名無史さん:2007/12/17(月) 11:31:26 O
まあ戦いがはじまってすぐに敵が壊走したら勝者の被害数十人・敗者の被害数千人ってのもあり得るけど、
半日とか長時間戦って死者数十人ってのは有り得ない
ローマ兵はけっこう訓練を積んでるが、スパルタンのような超人エリートではない
むしろ兵士一人一人の戦闘能力は体格の差でガリア人に劣ってたし

82世界@名無史さん:2007/12/17(月) 21:43:36 0
「戦闘」ではなくて「殺戮」に過ぎない状況でなら、考えられなくもない。
マリウスが蛮族の大軍団を後ろから襲ったときなんか、
もう戦いとも呼べない状況だったらしいから
83世界@名無史さん:2007/12/21(金) 15:16:34 0
>ところでさ、オレみたいな素人はついつい、全盛期のローマからゲルマン移動でボコられるまでの間、
>ローマ軍は弱体化の一途をたどったように錯覚しちゃうんだけど、冶金技術の進歩とか鎧づくりのノウハウとか、
>強化されてる部分の方が大きいはずだよな。
そもそも後期のローマ軍も大抵はゲルマン部族軍に対しては勝利していたと言う事実があります。
例えば4世紀後半のアルゲントラトゥムの戦いでは三倍のアラマンニ族の連合軍に大勝を収めてるし5世紀になってもスティリコ、コンスタンティウスやアエティウスが優秀な戦績を収めています。
アドリアノポリスの様な大敗は悪条件や劣悪な指揮官などによる例外です。
属州が次々に奪われたのも単純に言えば経済の悪化によって縮小した軍が別の場所で戦っている間に侵入されたという場合が殆どです。
仮に属州を一時的に奪還できても既に経済基盤が蛮族によって大幅に弱体化させられたので更に軍を縮小せざるをえなかったと言う悪循環に陥っていたんです。
5世紀にはリミタネイ(駐屯軍)を同時にコミタテンセス(機動軍)として運用すると言う苦肉の策がとられましたがそれでも数が足りないと言う点はどうしようもありませんでした。
>ゲルマンの戦力の源って、何だったんだろ?
4〜5世紀のゲルマン部族は1〜2世紀のゲルマン部族とは大幅に変わっていました。
ローマとの通商や技術開発によって経済が大幅に発展しそれまでは貴族階級の人間しか手に入れられなかった鉄製の武具がある程度生産されるようになりました。
また、経済発達の結果としてそれまでの社会構造が大幅に変わり、いわゆる中流階級の人間が大きく増え、それがそのまま鉄製の武具をある程度自前で揃えられ、士気も高い兵士の増大に繋がりました。
そして長年に渡るローマ軍との戦闘や共闘の中でローマ軍の戦術や編成を応用したりもしました。
ただしこれらの要素をあわせても、上述したとおりローマ軍とはよくて互角といった所だと思います。


84世界@名無史さん:2007/12/30(日) 12:56:34 0
85ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2008/01/01(火) 01:51:11 0
キュノスケファライの戦いだったと思うが、戦意を喪失したマケドニア軍が
当時の戦の礼儀にしたがって、長槍を垂直に立てて降伏の意思表示をしたの
だが、それを知らない苦戦によって興奮したローマ兵に虐殺されたという話
を、ゴールズワーシーが書いていたよ。
86世界@名無史さん:2008/01/01(火) 02:09:15 0
ガリア戦記でのローマ軍の強さの秘密ってなんだろう?

ローマは都市が発達し人口が流入し膨大な兵力を送ることができたんだろうか。
ガリアは森林の中で少数部落の生活をしており、どうしようもできない人口差があったとか?

軍団行動をとる訓練をしていたローマに対して
ガリアは個人戦をモットーとしていたとか?ちょうど元寇みたいなかんじで。

ぱっと思いつくのはこんな感じだけど、どうでしょう?
87世界@名無史さん:2008/01/01(火) 03:04:19 0
>>86
・ガリア自体が長年の内乱によって疲弊していた
・一人の指揮によって動いていたローマ軍と違い(ウェルキンゲトリクスの登場まで)各部族はバラバラに行動しており各個撃破された
・同じ部族内ですら権力争いが絶えなかった
・ローマ軍にはある程度豊富な予備兵力があり一度の敗北で壊滅する様な事は無かったが一部族が一度敗北すると大抵はもう取り返しがつかなかった。
・カエサル個人の軍事的才能
・軍の錬度の差(高度に組織化されたローマ軍と違い部族軍の多くは錬度の低い徴集兵)

仮にもし最初から全部族が結束してカエサルに当たってたならガリア征服は非常に困難だった筈。
88世界@名無史さん:2008/01/01(火) 17:14:52 0
>>87
なるほど、文明国と非文明国の差ですね。

人口差が決定的な差を生んだと思っていたんですが、
たとえ人口でガリアが上回っていたとしても、まとまらなければ
各個撃破されてしまうほど弱小部隊しか指揮できませんもんね。

ウェルキンゲトリクスでさえ、各部族の指揮に手間取ってますから
ガリアの劣勢は人口では補えないでしょうね。

89世界@名無史さん:2008/01/02(水) 04:57:03 O
>>83
アルゲントラトゥムの戦いでの敵兵力がほんとうに我の3倍の兵力があったか疑
わしい、ローマ側の記述だし
同時期に行われたアドリアノープルの戦いではローマ側の記述者アンミアヌスは
敵兵力が我より凌駕していた様に記述しているが、実際の敵兵力は13000〜18000
程度でローマ側を下回っていた
敵将は優秀でこの戦いの2年前、もっと少ない兵力でマルキアノープルの戦いに
おいてルピキヌス率いるトラキア野戦軍をほぼ壊滅させている(精鋭野戦騎兵〔
宮廷親衛騎兵〕全連隊全滅)
当時のローマ軍はスティリコのように優秀な戦術家でない限り、我が敵兵力より
少ない場合、こちらから攻撃を仕掛けることは少ない
アドリアノープルでは敵兵力が我兵力より少なかったためヴァレンスは西帝来援
前に攻撃を仕掛けた
90世界@名無史さん:2008/01/02(水) 06:19:57 0
>>90
トイトブルクの戦いだって精鋭によって編成されていたローマ軍は敵を上回っていたが全滅したぞ。
マルキアノポリスでの戦いは記述が少ない為何が起こったかを判断するには材料が足りない。
ハドリアノポリスの大敗は敵の陣容をよく確認しないで全軍を突撃させた結果身動きが取れない状態で挟撃されたワレンスに責任がある。
91世界@名無史さん:2008/01/02(水) 10:30:05 O
>>90
マルキアノープルの戦いはアンミアヌスが詳細に記述を残しているけど
ルピキヌスはトラキア野戦軍の宮廷親衛騎兵と野戦騎兵7個連隊(定数3500、現数
2100?)野戦部隊(レギオネス・コミタテンセス)21軍団(定数21000、現数16800
?)を集結した
ルピキヌスは西ゴートのフリティゲルンとアラヴィウスを和議と偽り殺し、ゴー
ト人を一気に殲滅しようとした
ゴート軍は5000〜8000しかいなかったが、暗殺を逃れたフリティゲルンは急ぎ戻
り巧みにローマ軍両翼から攻撃殲滅した
395年の顕官表から再編成されたトラキア野戦軍をみるとマルキアノープルの戦
いでは宮廷親衛騎兵3個連隊、野戦騎兵1個連隊、野戦3個軍団が全滅したこと
がわかる
92世界@名無史さん:2008/01/02(水) 10:46:02 O
アドリアノープルの戦いではヴァレンスに最大の責任があることは間違いないが
事前の軍事会議で西帝軍来援まで攻撃を控えようと主張するサルマティア人の騎
兵司令ビクトール将軍の慎重論を押さえ、セバスティアン将軍らの積極攻撃策が
押しきった
戦場となるのはローマ側が地勢を熟知しているアドリアノープル郊外であり
それにローマ軍は斤侯隊から敵がローマ軍より兵力が少ないことを知らされてい
たからである
もともと敵将フリティゲルンは西ゴートの国王でなく軍事的指揮を臨時に委ねら
れた単なる公の一人に過ぎず、マルキアノープル戦後は西ゴートは各族長ごと自
由行動し始めた
先のセバスティアンはその時正規戦をさけ、スコラエから300ずつの兵を選抜し
各族長部隊にゲリラ戦を仕掛け戦果を挙げていたから強きだったのである
93世界@名無史さん:2008/01/02(水) 21:44:35 0
そういや白羊朝も地味にペルシャ湾まで領土広げてたな・・・
94世界@名無史さん:2008/01/02(水) 21:50:52 0
↑すいません誤爆です
95世界@名無史さん:2008/01/13(日) 16:08:30 O
ミトリダテス戦争ってどんな意味?意義?があったの??
96世界@名無史さん:2008/01/14(月) 13:33:26 0
>>91
>>92
言いたい事は判るが要するに自分が言いたいのは帝政前期のローマ軍も後期のローマ軍も強さは変わらないって事だ。
1〜2世紀のローマ軍も優れた敵将や凡愚な指揮官によって大敗を喫した例はトイトブルク以外にもいくつもある。
4〜5世紀のローマ軍も同じだが共通するのは大抵は勝ったいたって事だ。
97世界@名無史さん:2008/01/14(月) 23:49:24 0
>>95
ミトリダテスという小さな国の王様が頑張った。以上。

ローマ史の流れの中で大きな意味があるか、
と言われればあんまりない。
98世界@名無史さん:2008/01/16(水) 12:25:03 0
どうでしょう
果たしてミトリダテス全盛期のポントスが小国だったかどうか…
99世界@名無史さん:2008/03/28(金) 00:12:30 0
ほす
100世界@名無史さん:2008/03/28(金) 17:49:12 O
ローマ軍は強かったのに末裔のイタリア軍は激弱なんだろう。
101世界@名無史さん:2008/03/28(金) 17:52:58 0
ローマ末期の楽観的・享楽的な性格だけを受けついたんだろうか
102世界@名無史さん:2008/03/28(金) 18:02:56 0
映画グラディエーターの序盤のゲルマニア遠征のシーンでのローマ軍の戦い
って史実とくらべるとどれくらいあっているの?
ああいう投石器とか、コモドスたちが乗ってた馬車(戦車)みたいなのとかあったの?
103世界@名無史さん:2008/03/28(金) 18:21:24 0
>>100
理由はいくつか考えられる。

1. ローマ時代周辺があまりにも弱すぎた。
(ゲルマン人なんかは個人の肉体的資質はローマ人よりは上であっても
集団で戦う戦術を身につけていなかった)
2. 現在のイタリア人はローマ人と同じでない可能性がある。
3. イタリア人は現在も決して弱くないが、国家の覇権主義などという
題目のためには頑張れない性格になってしまった。
104世界@名無史さん:2008/03/28(金) 18:23:45 0
古代ローマと中世以降のイタリアじゃ国民性がぜんぜん違う。
いや、共和政期と帝政期だけでも相当違うのだが。
105世界@名無史さん:2008/03/28(金) 21:10:27 O
ローマの支配下に入ったギリシア人が糞だったのと一緒でね?
イタリアといい中国といい、古代文明の末裔の民度の低さは異常。
106世界@名無史さん:2008/03/28(金) 22:09:11 0
WW2のイタリア兵は実は結構勇敢だったが装備とかが貧弱という話を聞いたことがある
ところでイタリアて中世以降は戦争弱そうだけどベネチアとかの海軍は結構強いよな

>ローマの支配下に入ったギリシア人が糞だった
kwsk
107世界@名無史さん:2008/03/28(金) 23:34:37 O
ジャンガレアッツォ治世時のミラノ大公国が独力でフランス軍を破ったことある
あとはオスマンを撃退したマルタ攻防戦にも多くのイタリア人がいたな
クリミア戦争ではサルディニア軍が7万のロシア軍を撃退した
ガリバルディがローマで寄せ集めの軍にも関わらずフランス軍を破ったこともあ
った
あとは伊土戦争での勝利、それ位か

アドワの戦いはよくイタリア軍の敗走でよく引き合いに出されるが
あの時は伊軍は重火器を殆んど所持していないのに反しエチオピア軍は仏露から
伊軍より新式のライフルを大量に供与されていたからあの兵力差では仕方なかっ
ただろう
むしろ重火器を所持して相手が銃すら所持していないのに惨敗したズールー戦争
での英軍の方が酷い負けっぷりだ
108世界@名無史さん:2008/03/28(金) 23:49:49 0
>>106

>ローマの支配下に入ったギリシア人が糞だった

答えになるかどうかわからんが、国際人が多くなる国は没落すると思う。
ローマの支配下に入る前、入った後でもギリシアは多くの植民都市を有していた。
もともと独立心の強いギリシア人であるから植民都市に住んだギリシア人は本国の
援助を受けることなく国際人となっていった。またその能力もあった。
そうなると有能な人材はどんどん海外に出て行き、本国の求心力がなくなってしまう。
有能な人は本国の援助がなくても十分にやっていけるから、本国がどうなろうと知った
ことではないという意識になってしまう。個人レベルで言えば有能なギリシア人は
ローマに重宝されていた。

それを考えると現在外資に有能な人材を奪われている日本もあぶないと思う。
109106:2008/03/29(土) 00:29:22 0
>>108
ああなるほど、一般レベルでの話ね、納得しました
110世界@名無史さん:2008/03/29(土) 00:40:33 0
Rome Total Warまじおすすめ
111世界@名無史さん:2008/03/29(土) 03:05:07 0
>>107
映画のズールー戦争(教会を砦化して戦う古い映画のほう)では
ズールーも銃使ってたよ。

会戦のほうでも銃くらいはもってたんじゃね?
112世界@名無史さん:2008/03/29(土) 04:31:30 0
ズールーのシャカ王は
かなり早くから銃の威力に注目して、
白人たちからこれを手に入れようと図っていたようだ

ズールー戦争の際のズールー軍の原型を作ったのはこの王だから
銃があっても全然不思議はない
113世界@名無史さん:2008/03/29(土) 22:08:35 0
それよりプルムバタリの話しようぜ
114世界@名無史さん:2008/04/03(木) 20:48:11 0
>>100
大体からして、イタリアぐんが弱いという明確なソースがあるのかと。
まさかネットからの伝聞や又聞きで知ったかしてる訳じゃあるまいな?

ローマやイタリアに限った話じゃないが、疑問に思った事は本買って調べろよ。
そんなんじゃ将来大学でレポートにWikipedia使って留年する人間になっちまうぞ。

>>112
完全武装してたのは第一次アドワの際。
フランス製の兵器をしこたま購入し、西洋式の軍服を着た20万の軍勢で迎え撃った。
更にイタリア政府がアフリカ人を侮って少数(1万)しか兵を送らなかったのも敗因といえる。

第二次(WW2前のやつね)の時は一部の精鋭部隊を除けばまた槍だの剣だのに逆戻りしてた。
でもイタリア軍側の兵士も殆どが現地で雇った部族民傭兵(やっぱり槍と弓)で、正規兵は半分以下だったそうな。
115世界@名無史さん:2008/04/04(金) 00:16:09 0
>>114
アフリカ戦線でのイタリア軍の活躍を見て
「弱いわけではない」というのは無理がありすぎね?w

弱いかどうかの比較はこの場合は相対したエゲレス軍と、イタリア軍の”指揮下”だったはずの、たった数個師団の味方ドイツ軍な。
116世界@名無史さん:2008/04/05(土) 02:03:18 0
海戦もお粗末だった
明確なソースは本買って調べろよな
117世界@名無史さん:2008/04/24(木) 17:26:05 0
>>116
>海戦もお粗末だった
>明確なソースは本買って調べろよな

ソノラマ新戦史54
『地中海の戦い』
三野正洋

当然あなたも、これくらいは読了ですよねぇ。





118世界@名無史さん:2008/04/24(木) 18:04:44 0
つか現在のイタリア人とローマ人は別人種だぞ?
>>108
都会化すると弱くなるのはよくある、日本でも関東の兵は昔は強かったが江戸末期には無学で惰弱と侮られ
田舎者の薩長にしてやられた
119世界@名無史さん:2008/04/24(木) 20:12:12 O
>>116
デ・ラ・ペンネ大尉を知らんのか
日本人では逆立ちしても真似ることできんな
イタリア海軍は特殊部隊作戦では第1次世界大戦でもオーストリアの戦艦撃沈し
てる
戦後も治安警察のレザー・ヘッドが米軍のドジャー准将救出作戦、憲兵(国防省
国家警察)特殊部隊によるラウロ号奪回作戦を成功させている
SATなんて栓抜きハイジャッカー1人検挙がせいぜい
後は短銃で十数発しか弾持ってない単独犯に何時間もかかって射殺されるヘマす
るぐらい
120世界@名無史さん:2008/04/24(木) 21:25:36 O
>>105
長い間に民族として色々経験すると、『国敗れて山河あり』って言葉が民衆レベルで実感されるんじゃないか。民族レベルで大人になっちゃうんだろな。
逆に歴史を持たない生まれたての国って国家レベルでムチャしてるよね
121世界@名無史さん:2008/04/24(木) 22:13:05 0
大躍進政策や文化大革命を見る限り、それは無いわ。
「民族レベル」での集合的な意思や経験なんて無いと思うね。
イタリア人と中国人に限った事ではないけど、仮にそういう要素が有っても
時の流れや王朝の交代・分裂等で忘れ去られる。
122世界@名無史さん:2008/04/25(金) 02:35:45 0
>>119
えーっと、最後の一件は、愛知県警?
123世界@名無史さん:2008/04/25(金) 02:40:28 0
でもまぁイタリアが共産圏だったらエセ中国みたいになってるかもな。
今のイタリアは肩の力が抜けた良い感じにリラックス状態に見えるし、旅行したらかなり楽しいけど、
建物の窓とかにあからさまに隙間あったり超軽犯罪多数(ウソつき)とか色々手抜きがありすぎ。
しかし、知り合いでイタリアで働いてる奴の一日の就業時間の少なさを聞くとウラヤマシイ。

中国は大河の洪水で人口がドーンと減っては、子沢山で復活してるから、
食べ物や金儲けなんかの生に貪欲なのはその辺りの影響もある気がする。

国ごとの国民の性格ってあると思うから、
風土や歴史はやっぱ影響してると思う。
民族とは何かというのはまた別の話しかもしれんけど。
124世界@名無史さん:2008/04/26(土) 14:49:43 O
日本人だって真面目に働いている奴の割合低い
すぐ一休みとかいって休むし
特に営業なんかやってる奴は特に休んでるじゃないの?
じゃなかったらビジネスバッグでスーツ姿の奴が平日の昼間にパチンコ屋でたむ
ろしてるはずがない
同じく平日の昼間から同じような姿でラブホを出入りするわけがない
どちらも俺は電気系統の修理で出入りすること多いから如実に感じるけど
125世界@名無史さん:2008/04/26(土) 17:08:34 0
イタリアなら俺も知り合いに聞いた事があるぞ。
10時過ぎに出勤。昼まで昼飯の話をして12時〜14時過ぎまで昼食。
17時過ぎには退社みたいな。
日本はこっそりやるけど、イタリアだとおおっぴらにやる違いじゃね?
126世界@名無史さん:2008/04/27(日) 13:15:26 0
イタリア人はそもそもローマ人とはまったく別種族
ローマ人を亡ぼしたゲルマン系の子孫が現在のヘタリア人
日本のように民族と国土の歴史が同じじゃない
127世界@名無史さん:2008/04/27(日) 16:31:45 0
>>126の話はよく聞くけど、本当なのか?
いまのイタリア人は、ガリア戦記やゲルマーニヤで書かれているゲルマン人
の特徴をほとんど残していないじゃないないか(長身、金髪、碧眼、無表情)。
古代のゲルマン人の特徴を残しているのは北欧だけで、反対に今のドイツ人
なんか、かなりケルトとラテンの血が入っていると思う。
128106:2008/04/27(日) 16:45:39 0
>>126
なんだそりゃ。ゲルマン人がローマ人を皆殺しにしたとでも?

北のほうはゲルマンとの混血、南のほうはギリシア・サラセン・ノルマンとの混血だろ
129世界@名無史さん:2008/04/27(日) 17:34:09 0
だから、民族なんてもんは近代に出来上がった概念だと何度言えば(ry
130世界@名無史さん:2008/04/27(日) 17:46:32 0
今で言うドイツは欧州でローマ帝国の植民地にならなかったんだっけ?
後のパリやロンドンはローマの植民地だった。
131106:2008/04/27(日) 17:55:28 0
ドイツでもケルンとかのあたりはローマ植民地
132世界@名無史さん:2008/04/27(日) 18:46:54 0
イタリア人はローマの子孫ですか?なんて聞いてみろ笑われるから
まったくの別人種ですw
>>127
まったく特徴が違うイギリスやフランスが我われこそローマの後継者と言ってるのはローマ人が滅んだからいえるんですw
133世界@名無史さん:2008/04/27(日) 19:28:55 0
イギリス人って案外黒髪・巻き毛・茶色の目ので、イタリア人を
力ずくで根暗にしたような外見のやつは多いよ。
134世界@名無史さん:2008/04/27(日) 20:26:12 0
>>132別人種ならローマ人はどこ言ったんだよ
ゲルマン人に皆殺しにされたのか?
135世界@名無史さん:2008/04/27(日) 20:53:36 0
>>134
ほとんどローマ民族はほぼ蛮族にころされたでしょうね
もともと人口が少ないから
136世界@名無史さん:2008/04/27(日) 20:54:15 O
>>129
エトノスという言葉すら知らん奴に何を言っても無駄だよ
奴の自演までする連投荒しを誘致するだけ
もう暫く放置するしかない
それが現在の世界史板の現状
137世界@名無史さん:2008/04/27(日) 20:59:03 0
>>135
つまらない
138世界@名無史さん:2008/04/27(日) 21:15:47 0
>123
イタリアで共産党が強かったのは裕福なボローニャなど。
独裁者が出てきてもムッソリーニその2みたいな感じになっていただろう。
139世界@名無史さん:2008/04/27(日) 23:27:58 0
ローマ人がいなくなったのは虐殺というよりも同化して吸収された。
ローマ人は絶滅したとも、
逆にローマ人の子孫はヨーロッパ全土に今なお繁栄してるとも言えるな。
140世界@名無史さん:2008/04/28(月) 02:52:21 O
>>135
オドアケルに始まる、イタリアに侵入したゲンマン人はローマ人と共生している。
元老院の温存に始め、地方まで行政はローマ人、軍事はゲンマン人方式。
混乱で減少していたが476年時点でイタリアの人口は200万以上。
そんな簡単に消えたりしない。
141世界@名無史さん:2008/05/02(金) 11:29:19 O
>>110
このスレに常駐してるようなマニアには粗が目立つんじゃないかと思うんだが
そのへんはどう?
142世界@名無史さん:2008/05/02(金) 17:25:23 0
>>141
製品版はエジプトがファンタジーだったりするけどMODいれれば解決される
学者とかが制作に参加してて名詞が全部現地語(ローマはラテン語、カルタゴはフェニキア語)になるようなのもある
143世界@名無史さん:2008/05/02(金) 20:18:37 0
>>140
もともとローマは都市国家でローマに居た民族をローマ人と言う、その後属州も市民権得たりしたがイタリア人とローマ人は別
そもそもイタリア人と言う概念も未だに薄い、自分はイタリア人というよりナポリ人だという奴がいるのもそのため
ローマ人との混血が居たとしてもほとんど少数で血は薄くなってるだろうし別物
144世界@名無史さん:2008/05/03(土) 01:54:36 O
日本でも関西人、九州男児とか言ってる奴多いけどね
145世界@名無史さん:2008/05/03(土) 03:11:30 0
>>143
そんなこと言いはじめると、ローマは建国そうそう、サビーニ族とか他の部族
を同化している。ローマ人を建国時の構成員とすれば、紀元前2世紀ぐらいの
時点でかなり薄くなってしまっている。
146世界@名無史さん:2008/05/03(土) 06:25:23 0
いい加減イタリア人とローマ人はまったく別だと言う科学的思考をしろ
ヘタリア人とローマ人を一緒にするな!
147世界@名無史さん:2008/05/03(土) 11:45:01 0
へたり牛をヘタリウシって書くとなんとなくローマっぽいな。
148名無しの権瓶:2008/05/04(日) 01:57:19 0
イタリア兵が弱かったと言うよりも、ファシスト政権が強力な軍隊を作れなかったのが原因。

命令系統が硬直化していて、隣の小隊との連絡すら、司令部を通さないといけないとか。
補給計画は広げきった前線に対応できず、各部隊では弾薬・食料が不足していた。
そのため、士気はガタ落ちで、後半での弱さはそのため。

新兵教育も不徹底で、洗脳という技術が欠如していた事。
149世界@名無史さん:2008/05/09(金) 12:40:18 O
古代ローマのSPQRの紋章や軍旗を
イラストで網羅したサイトってないですか?
150世界@名無史さん:2008/05/18(日) 14:11:25 0
ローマ人は滅んだというよりも一般化しすぎたんだろ?
蛮族以外の古代地中海世界の人間はみんなローマ人になっちゃって、固有の民族としてのローマ人という概念がなくなってしまった。
その証拠が初期中世におけるローマ法の卑俗化だろ。
151世界@名無史さん:2008/05/31(土) 13:26:20 O
概念としては、ローマ市民権を持ってるひと=ローマ市民だから、民族って曖昧な表現が難しいんじゃ無いかと。
よくも悪くも人の移動が激しかったわけだし
152世界@名無史さん:2008/06/26(木) 23:45:19 0
大学のレポートのタイトルが「古代ローマの人口問題」というものなのですが、
浅学ゆえ何から手をつけてよいか分かりません。

アプローチの仕方など何でも構いませんのでどなたかご教示ください。
153世界@名無史さん:2008/07/18(金) 13:10:05 0
ローマの衰退、滅亡を扱った書物でいくつかある
衰退の理由の一つとして人口に関する話が紹介されてたナー

属州の徹底的な搾取と農業技術の限界で都市部以外は早々に人口増が頭打ちになり、
奴隷流入のストップと蛮族の侵入により減少に転ずる、みたいな感じだったと思う。

末期の方のローマ軍は兵士の子供は兵士、てかんじで階級がほぼ固定されてたのだけど、
国境防衛のために軍団を新設、拡充するのが困難なほど人的資源が枯渇していた。
結果、低国内に移住してきた蛮族も帝国の防衛を担うようになっていく・・・
154世界@名無史さん:2008/07/23(水) 17:25:10 0
環境論的滅亡論も最近盛んだな。森林破壊→表土流出→港湾が埋まる→経済停滞
→政情不安。森林破壊→表土流出→収穫量減少→経済停滞→政情不安のダブルパンチ
で崩壊したって説。人口も確かに大事だけどそれだけでは理由にならんだろう。ローマ
市民権保持者が100万行かない時代にローマはがんがん領土増やしてたし、ローマ
軍に同盟者や傭兵という形で蛮族居るの当たり前だったし、帝政に入ってからは補助兵
の形でローマ軍の半身を担ってた。帝政期に入ってからはローマ軍自体が民族的にラテン
系であったかも怪しい。
155世界@名無史さん:2008/08/30(土) 14:36:19 O
その環境論的滅亡論って何て本に載ってます?
156世界@名無史さん:2008/08/31(日) 15:33:19 0
>>154 のソースとは別かもしれんが
『NHK人間大学 森と文明』が結構それに近いアプローチだったな
157世界@名無史さん:2008/09/07(日) 07:06:55 0
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   カルタゴはわしが滅ぼした
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
158世界@名無史さん:2008/09/08(月) 00:41:43 0
>>157
カルタゴは知らんが日本代表は間違いなくお前が滅ぼしたな
159世界@名無史さん:2008/09/14(日) 15:23:04 0
>>158
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   セレウコス朝シリアもわしが滅ぼした
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
160世界@名無史さん:2008/09/14(日) 23:12:22 0
ハンニバルの亡命先でしたっけ
161世界@名無史さん:2008/09/23(火) 21:38:32 0
>>160
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   パルティア王国もわしが滅ぼした
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
162世界@名無史さん:2008/09/27(土) 00:42:24 0
>>161
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   ガリア戦記はわしが代筆した
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
163世界@名無史さん:2008/10/01(水) 23:46:42 0
>>162
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   アンティゴノス朝マケドニアもわしが滅ぼした
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
164世界@名無史さん:2008/10/06(月) 21:37:36 0
>>163
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   西ゴート王国はわしが滅ぼした
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
165世界@名無史さん:2008/10/07(火) 22:41:07 0
>>164
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   共和制はわしが廃止した
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i
166日本@名無史さん:2008/10/21(火) 11:50:54 0
歯状核や結合腕が侵されると企図振戦
167世界@名無史さん:2008/11/05(水) 10:08:23 0
なんだかんだ言って今のイタリアは国家規模を考えると結構充実した軍隊だけどな。

そもそも第二次世界大戦のころのイタリアなんて国がボロボロじゃねえか。
あんな状態で軍隊運用するのがそもそも困難。
世界史版なら国の弱体化=軍隊の弱体化(もちろん例外はあるが)=戦争に負
けて滅亡って例をみんな理解してそうなもんだが。
168世界@名無史さん:2008/11/07(金) 00:10:14 0
結構弱体だったのにソ連軍を追い返した人民軍の例もあるわけで
169世界@名無史さん:2008/11/08(土) 13:47:48 0
ローマは自ら滅んだようなもんだからね
軍事力と経済力が」弱体化したのが大きな原因
170世界@名無史さん:2008/11/12(水) 22:02:17 0
一つの文明が滅んだんですよ。

 それがわからないのですか?!!
171世界@名無史さん:2008/11/15(土) 20:42:06 0
西暦二〇〇九年は、西暦九年、ライン河畔のトイトブルグ TEUTOBURG の
森の戦役二千年記念の年である。

ピーター・S・ウェルズ著 「ローマを停止させた戦役」
THE BATTLE THAT STOPPED ROMA
Emperor Augustus, Arminius, and the Slaughter of the Legions in the
Teutoburg Forest by Peter S. Wells

西暦九年、ローマ軍から離脱したゲルマンの軍人、ヘルマン(ローマ風の
名前は、アルミニウス)は、ゲルマンの部族を団結させて、トイトブルクの
森の中にローマ軍の精鋭二個軍団二万人を完全に殲滅した。

もし、ヘルマンが、このトイトブルグの戦役を組織して、完勝させることが
なかったなら、ローマ軍は、ライン河を超えて進軍してエルバ河に至り、
全ヨーロッパ大陸を征服したのみならず、更にロシアを支配下に置いた
であろう。ローマ奴隷制帝国は、全ヨーロッパ、そして、全ブリテン、更に
ロシア全てを支配する、未曾有の奴隷制世界帝国を構築し得たであろう。

ヘルマンは、ローマ帝国の軍隊に致命的打撃を与えた。
そして、ローマは、二度とこの打撃から回復し得なかったと。
ヘルマンのこのトイトブルグの戦役こそ、本当のドイツ建国の日であると。
172世界@名無史さん:2008/11/15(土) 22:56:13 0
その頃のロシアって、それほど人が住んでたのかどうか
ましてシベリアなんてロシア領になっていった当時ですらほとんど人居なかったんだから、当時はほぼ無人だろ
173世界@名無史さん:2008/11/16(日) 11:49:39 0
>>171
トイトブルグでのローマの敗北は、ライン河からエルベ河にいたるゲルマニアの
文明化を頓挫させた。この地はカロンリグ朝のザクセン戦争後にようやく文明化
がスタートする事となった。オクタビアヌスの意志は、シャルル・マーニュに
より成し遂げられとされる。
トイトブルグでのローマの敗北は、800年もの年月を空費させたとされる。
174世界@名無史さん:2008/11/29(土) 16:55:20 0
ロシアまでの征服に成功しえたとしても、維持は無理なんじゃない?

ローマの統治機構が史実の版図に対して貧弱だったからこそ、4人の皇帝に統治を分割したわけで、
史実よりはるかに広大な版図なんて、統治できないでしょ。
175世界@名無史さん:2008/12/01(月) 17:42:55 0
無線技術という通信革命でもないとあまりに巨大な版図の国家はどうやったって維持できねーだろ
176世界@名無史さん:2008/12/09(火) 12:44:12 0
ディオクレティアヌス「四分割すればいんじゃね」
177世界@名無史さん:2008/12/09(火) 15:55:32 0
>>171
オクタビアヌスは、エルベ河を国境とする事で、ライン方面軍とドナウ方面軍
一体化して兵力集中と効率化を意図したとされる。
ライン方面軍は、ガリアとヒスパニアの防衛に寄与出来るが、イタリア本国の
防衛には直接寄与出来ず、本国防衛の為には軍団を移動させねばならい事態が
予想された。
そこで、エルベ・ドナウ方面軍に一本化すれば、ガリアとイタリアをまとめて
防衛する事が可能であると考えられ、ゲルマニア併合が試みられたとされる。
178世界@名無史さん:2008/12/26(金) 21:17:05 0
兵役25年は長いな。
179世界@名無史さん:2008/12/27(土) 19:32:08 0
十七歳で入隊したとしたら満期除隊で四十二歳。
人生の再出発には丁度いいでしょ。
180世界@名無史さん:2008/12/27(土) 23:00:28 0
無事成人した人間の平均寿命が現代と同程度ならな
181世界@名無史さん:2008/12/30(火) 09:47:18 0
古代ローマやギリシャって成人≠一人前だったような。
182世界@名無史さん:2008/12/31(水) 05:36:27 0
ゲルマニクスの指を自分の口にいれて歯がないことをアピールした軍団兵もいる
183世界@名無史さん:2009/01/30(金) 23:18:46 0
>>177
>>「ローマを停止させた戦役」Teutoburg

そのミニチュアを買ったんだけど
格好が気に入らない
http://www.pegasomodels.com/productdetails_en.asp?id=259
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/43.jpg

もっと格好いいローマ騎兵の甲冑・衣装を急募します
くわしい人はよろしく(^ω^  )
184世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:05:09 0
二週間経ちましたが
トイトブルグ戦役のゲルマン人たちの兵装は
どのようなものだったのでしょうか?
185世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:27:14 0
上半身裸のムキムキマッチョ
なべぶたの盾
おおむね鉄製の斧

こんな感じです
186世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:54:06 0
こんな感じか?
ttp://www.manowar.com/
187世界@名無史さん:2009/02/14(土) 22:20:32 0
>>184 ヨーロッパの軍装について手軽に入手できるのは、オスプレイ・メン・アット・アームス シリーズ。
この中の一巻に「ゲルマンとダキアの戦士」というのがある。これを見ればある程度の知識は得られるのでは。
私はその巻を持っていないので内容を説明はできない。
版元は新紀元社 ただしこのシリーズが出ていたのは今から8,9年ほど前。今も出しているか、会社がつぶれていないかまでは知らない。
03-3291-0961
188世界@名無史さん:2009/02/14(土) 22:24:32 0
ありがとうございますm(_ _)m

映画「グラディエーター」などを見ると
ゲルマン人どもが角を生やした兜などをかぶっていますが
あれは五賢帝末期の時代ですよね?
それより100年以上前のトイトブルグでは、兜をかぶったのでしょうか?
アルミニウスはローマ的かもしれませんが
前線のゲルマン人の衣装が知りたいですm(_ _)m
189世界@名無史さん:2009/02/14(土) 23:47:18 0
>>187さん
ご親切に、ありがとうございますm(_ _)m
188のレスは、187のレスに時間差で気づかずに入れたものです
ごめんなさいねm(_ _)m
190世界@名無史さん:2009/02/15(日) 00:01:15 0
合併前15万の市の住人だが図書館にあるな<オスプレイ・メン・アット・アームス シリーズ
我が市はどちらかといえば充実している方だが、場合によっては図書館巡りも悪くないんじゃ
191世界@名無史さん:2009/02/15(日) 15:10:13 0
>>188
187の書籍を持ってるが、ダキア人の武装はけっこう詳しい。
トイトブルグのゲルマン人の武装は載ってないが、
一世紀のゲルマン人に関する情報(本文・イラスト)を見ると、
一般兵士の防具は大きな盾だけ。武器は槍が多い。剣を使うのは10人に1人だけ。鉄が不足しているので。
裕福な兵士・族長になると、メール(鎖)の半袖シャツ、兜(スパンゲンヘルムという複合式の兜、デザインはギリシアや中東起源の印象)をつける
という感じ。
あとは戦利品としてローマ人の防具をつけることは可能かと。

ただ、森の中でゲリラ戦をするという性質上、重い防具はつけなかったんではないかと
それと防寒の必要性など、環境で衣装は変わるし

結論から言うと、兜(角の生えた、バイキングのようなイメージの)をつけてる奴は10人に1人くらい?
革や骨片で補強したような帽子は被っていたんじゃないか?(そしてそういう有機素材は遺物としては残らない)
192世界@名無史さん:2009/02/15(日) 19:32:26 0
>>191さん
詳細なレポをどうもありがとうございます!m(_ _)m
これで大方の状態は把握できました。
この路線でいきますよ。

この程度の衣装なら許されますよね?
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/44.jpg

ミニチュア風情で考証とは大袈裟な、と思われるかもしれませんが
一応、メタル製の三体組で13,000円近くした高級品ですので…
それなりに気合は入っていますもんで(´д`)
↓ちなみに買ったのは、この商品です
http://www.modelingtime.com/?p=328&lang=el
193世界@名無史さん:2009/02/15(日) 19:55:18 0
それと追加質問で恐縮なのですが
ローマ騎兵が戦闘中にマスクを被っていては変でしょうか?
トイトブルグでは騎兵用のマスクがかなり出土するようなのですが…
http://www.locr.com/photo-germany-lower-saxony-bramsche-vennerstra%C3%9Fe-13222361
194世界@名無史さん:2009/02/16(月) 00:36:55 0
あの鉄面はちゃんとした防具なのかそれとも儀礼用の仮面だったのか
意見が分かれてるようで。

フィリップ・シドネルのWarhorse(古代〜暗黒時代までの突撃騎兵についてまとめた本)
ではたしか防具って意見だったな。
読み返さないと論拠までは思い出せないが。
195191:2009/02/16(月) 01:55:21 0
>>192
拙いレポで恐縮ですが、少しでもお役に立てたなら嬉しいです。

>>192
掲示板にアップされている他の画像と一緒に拝見しました。
バイキング(8c)っぽい印象ですね。ですが、一般的なゲルマン人のイメージには反しないと思います。。
ただ、ゲルマン人は口ひげ・顎鬚を伸ばす習慣があるので、もう少しひげ(特に顎鬚)が伸びてると「蛮族」ぽいかもしれませんね。

>>193
アレは儀礼用のマスクと思ってました。
187と同じシリーズで、カエサルからトラヤヌス時代のローマ軍の装備の本があって、そちらでも競技用・儀礼用ではないかとの推測がされています。
実際、他の兜+(どんどん大型化して顔に密着する)頬宛と比べてもアレは異質に思えます。
その本では、徒歩の旗手がマスクをつけているイラストですので、
実際の戦闘中に「騎兵の旗手」がつけている分には違和感はないかと思われます。
あれをつけて突撃するのは無理でしょうね
196191:2009/02/16(月) 02:30:27 0
こんなイメージですね(本のイラストと殆ど同じです。)
http://www.andrea-miniatures.com/images/andrea/detallegran/SG-F16-02.JPG

いろいろありますね。貼っとこう
ゲルマン無双
http://www.andrea-miniatures.com/images/andrea/detallegran/SG-S13-02.JPG

197世界@名無史さん:2009/02/16(月) 03:08:57 0
自分の読んだ本ではローマ軍の騎兵マスクはヒッパカ・ギムジアナっていう
騎兵がお互いに投げ槍を投げ合う訓練の際つけられたとか読んだことあります
危険だからつけるそうだが、皇帝の前とかでもやることが多く儀式的な面もあったらしい
あまり詳しくないから戦闘用マスクがまったく無かったのかはわからないけど
198世界@名無史さん:2009/02/16(月) 04:12:20 0
>>191さん、194さん、197さん
みなさん、ほんと御親切にありがとうございますm(_ _)m
お忙しいところにすみませんね(´д`)

件のマスクなのですが、
豪華な装飾を施して競技専門に造られた観覧・観賞用のマスクと、
戦闘用のヘルムに装着する戦闘用(?)の二種類が確認されるようです。

↓これらの華やかなマスクは、観賞者の視線を強く意識して
豪華なレリーフを施すために、
実戦用のヘルムとは別途、新規に製作されています。
恐らく観賞用・競技用と思われます。
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/50.jpg
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/52.jpg
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/53.jpg
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/54.jpg

それに対し、↓こちらのタイプは
実戦部隊の一般的な既製品のヘルムをそのまま用い、
蝶番をつけて面を追加しただけのものです。
こちらなど実戦用の可能性もあると思われます。
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/55.jpg
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/58.jpg
http://joy.atbbs.jp/armourmodelling/img/56.jpg
199世界@名無史さん:2009/02/16(月) 04:25:10 0
もし仮にこのマスクが儀礼用・競技用であり
実戦には使用しないものであったとしても、
実は今回のミニチュアのテーマが
「"文明と野蛮"の対比を鮮烈に表現する」というものなので
これを強調するために、あえて金属色に輝くマスクを
採用してみようと思います(´д`)

実際にトイトブルグの古戦場で発見されている以上、
仮に儀礼用であっても、その場にこのマスクを装着した兵士が
存在したことは事実なので、これを装着しての戦闘も想定できる、と
無理を承知で強弁してみようと思います(´д`)

なぜならこれまでの経験上、ミニチュアというのは、
多少のフィクションを踏まえても、視覚的に面白いものを選択したほうが
結果的に好評を博することが多いからです。
リアリティにこだわり、地味で平凡な設定を選ぶと、
大抵は退屈でつまらない作品になってしまうことが多いんです。

ですから今回は、あえて見た目の面白い、マスクを選びたいですね。
みなさん、お騒がせしてすみませんでした。
モデラーというのは意外と設定にうるさいので
やっぱり書籍を購入するほどの人たちに確認できると安心ですし、
率直に嬉しいんですよ。

ほんと、どうもありがとうございましたm(_ _)m
200世界@名無史さん:2009/02/16(月) 04:27:31 0
追伸、>>198
みなさんの御教授をもとにgoogleで
追加検索したものです。
ありがとうございましたm(_ _)m
201191
>>199
うん。いいんじゃないですか、それで。
自分はイラストを書くのが好きで、デザインの参考に歴史的な武装の本を読んでいます。
史実に基づいた上でディフォルメしたりフィクションを加えるのは楽しいですよね。

今回は貴方の書き込みをきっかけに色んな画像をググれましたし、私にとっても良かったです。
ヒストリカル・フィギュアも多いに参考になりそうですし、
作品が完成した暁には是非、御一報下さい。