松原久子

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1ななし
松原久子氏は、ドイツ・ゲッティンゲン大学院でヨーロッパ
文化史を専攻、小説や評論などドイツ語の著書を多数出版され、
さらにドイツの新聞やテレビで活発な発言を続けている。

氏は「言上げせよ日本」という。その意味は、日本の(伝統)文化の紹介ではない。
「言葉による自国の防衛」である。
白人は日本の伝統文化の紹介は歓迎するが、このような発言にたいしては激しい抵抗をするのである。



『言挙げせよ日本』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog172.html


驕れる白人と闘うための日本近代史、松原久子著、田中敏訳
http://teda.iza.ne.jp/blog/entry/45917

2世界@名無史さん:2007/05/22(火) 03:47:39 0

 オ カ マ が 2 獲 り ィ ☆
3世界@名無史さん:2007/05/22(火) 03:56:12 0
>さらにドイツの新聞やテレビで活発な発言を続けている。

ドイツ人って偉いですね。
4世界@名無史さん:2007/05/23(水) 22:50:09 0
4さま ^^
5世界@名無史さん:2007/05/28(月) 10:51:49 0
(笑)
6世界@名無史さん:2007/05/31(木) 11:38:26 0
6
7驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:08:43 0
なぜ日本人は近代への飛躍を急ぎ、慌ただしく実行したのだろうか。誰かが急がせたわけでもないし、ましてや、強要されたのでもないのだから、
あのように慌てる必要はなかったのではないか。日本は欧米列強の植民地になったわけではないから、
日本が進むべき道は、日本が自由に決めることができたはずではないか。

 この疑問に対して、欧米でよく開く答えは、「それはまあ、なんといっても日本人は、西洋の素晴らしさに驚嘆したのだ。
だから自尊心は、仮にそんなものを持っていればの話だが、潔く脇に置いて、熱心に西洋を模倣したのだ」というものである。

 この答えに満足できず、日本の発展の原因を深く見てみたいと思う謙虚な西洋人がいたなら、是非、当時の日本人の視点から世界を眺めてみることをお勧めしたい。

日本の鎖国は、一八五三年の夏、ペリー司令長官率いる合衆国東インド艦隊が江戸湾に入ってきて、港を開くことを要求したことで終結したと歴史書は伝えている。
幕府は交渉を延ばしたのでペリーはひとまず帰ったが、一八五四年の春、再び艦隊を増強してやってきた。そこで日本は圧力に屈した。
日本は、アメリカに二つの港の使用と領事館の設置を許すという条約に署名した。アメリカが日本に港を開かせた当初の目的は、北太平洋を蚊底していた七百隻以上の捕鯨船団に、燃料、食糧等の補給と船の修理をするためであったといわれている。

8驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:10:49 0
しかし、事はそんなに簡単なことではなかった。日本は大変な危険にさらされることになったのである。

 この二つの港をアメリカの捕鯨船のために開けば、必然的に他のヨーロッパ列強も、同じように港に入港する権利を要求し、
そして単純な港の使用権以上の要求を次々に出してくることは明白であった。さらにそれらの列強が、通商関係を求めてくることも間違いなかった。幕府は、それを非常に恐れていた。

 こういったことを今日読むと、幕府が不安に感じるのが理解できないと思うかも知れない。
当時の日本人は、外界と交渉を持つと考えただけでパニックに襲われるほど島国根性にどっぷり浸かっていたのか?

 通商関係を持つことに対する不安? 恐怖? ばかばかしい。
いったい何を恐れる必要があるのか、と。

 通商関係、それは何か喜ばしいもの、有利なもの、と今日の人たちは理解している。
通商関係を持つことで、双方が利益を得ることができる。通商関係は新たな視界を広げる。通商関係がなければ、今日の世界は灰色で貧しい。

 その通り。現代では、このような考えが自明のことになったといえよう。
世界に広がる貿易なしには、今やこの豊かさと生活の多様性は考えられない。

しかし十九世紀半ばの世界は違っていた、特に日本人の視点からすれば、
世界は脅威に満ちて見えた。というのも、ペリーの黒船が現れる数十年前から、
西洋の旗を掲げ、発砲準備のできた大砲を備えた外国船が次々と日本の海岸に姿を現し、日本の港へ入ってきていたのである。


9驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:12:46 0
それはロシアから始まった。皇帝のメッセージを携えてロシアの商船が最初に日本へやってきたのは一七七八年のことだった。一七九二年に彼らは再びやってきた。
その後も、一八五二年まで何度も日本へやってきた。ロシアは通商の認可を迫ったが、日本が応じなかったので、武力を行使して威嚇した。
それよりはるか以前にロシアはシベリア全土を占領しており、ロシアの猟師と毛皮商人はアラスカとアメリカ西海岸に沿って今日のサンフランシスコに至る地域に根拠地を設けていた。
ロシア帝国は樺太を占領し、中国の沿海州まで南下してきた。ロシアは日本の最大の脅威国になっていたのである。

一七九六年頃、一隻のイギリスの船が日本の海岸に現れた。その船はゆっくりと海岸に沿って航行し、湾内に入ったが、
小さな日本の船が追い出そうと近づくとすぐに南へと走り去った。幕府には、それが測量船であることは分かっていた。
軍事行動の準備のために白人が測量を行なっていることを幕府は十分承知していた。
しかし幕府は無力であった。

10驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:15:15 0
一八〇三年、ナポレオンが大陸封鎖令を出してイギリスを窮地に追い込んだ時期であるが、
一隻のアメリカ船が長崎の港に入ってきて、出島の横に停泊した。船長は日本の当局に、通商認可を強く要求する文書を渡した。
幕府は船長に対し、礼儀正しく、だがきっぱりと拒否した。

一八〇八年、イギリス船が糧食を供給してもらいたいという口実で長崎港に入ってきて、長崎の町を砲撃した。
乗組員が出島に乗り込み、流血を伴った短い戦闘の後、出島を占領した。船長はオランダ人を人質にして、
大英帝国に通商認可を与えるよう江戸の幕府に要求した。長い交渉の末、船長は断念し、人質たちに再度の流血の惨事を起こすことなく引き揚げた。

 イギリス船はその後も何度も釆航した。幕府は海岸線の強固な防衛施設を増強し、新しい大砲を戦略的に重要な場所に設置するなどしてこれに対応した。
一八二四年、イギリスは艦隊を編成してやってきて、江戸の北東百五十キロの地点に上陸した。
しかし彼らは、バリケードを築いて立てこもる前に、大名が急速掻き集めたサムライたちに包囲され、まもなく江戸から援軍も駆けつけたので、断念せざるを得なかった。
砲弾は落とされなかった。イギリス人は、目的を果たせずに立ち去った。

11驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:19:16 0
初めてアメリカの船が江戸湾に入ってきたのは一八三七年であった。
一隻の船で、中国南部の広東からやってきた。
合衆国は広東に営業所を置いていたのだ。そのアメリカの船モリソン号は、
台風で船が木っ端微塵になって中国の海岸に漂着した七人の日本人漁師を日本へ連れて帰ってきたのだった。

 モリソン号の船長は宣教師の入国を許可するよう迫った。彼は、自分たちが七人の日本人を海難から救って連れてきたことから、キリスト教の隣人愛がどういうものか分かっただろう、と言った。
そして日本人にとっても、このように崇高な宗教を受け入れることは素晴らしいことだ、と言った。船長は執拗だったが、日本の沿岸警備隊が何回も警告のための一斉砲撃をしたので、引き揚げていった。

この事件は日本国内で尾を引き、一騒動あった。国内には鎖国政策の放棄を要求している勢力があり、
幕府が発砲命令を下したことを公然と非難したのだ。この反対派の指導者たちは売国奴として起訴され、長期の刑に処せられた。

12驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:20:31 0
九年後の一八四六年、テキサスがアメリカに併合されたその年に、アメリカの小艦艇部隊が江戸湾に入ってきた。
しかし幕府は通商を求めるいかなる試みも退けてしまった。

 フランスの船団もイギリスの船団も、長崎にやってきたが、いずれも門前払いだった。

 ニューメキシコやアリゾナ、カリフォルニアがアメリカに併合された一八四八年以後、イギリスはひっきりなしにやってきて、最後通牒の形で開国を要求した。
イギリスの測量船は戦艦に護衛されて直接、江戸湾に入り込んで、航海路や水深を測量した。幕府は、江戸湾の入り口の丘陵の上に砲兵中隊を配置したが、発砲はしなかった。

 一八五二年にはロシアが最後通牒を突きつけ、大艦隊を引き連れてもう一度来ると脅して帰っていった。

 以上を見ただけでも、司令長官ペリーの前にすでに先鞭をつけた人たちがあまりにもたくさんいたことが分かるだろう。

13驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:21:52 0
なぜ、と、ここで問わずにはいられない。いったいなぜ日本の政府はそのように長い間、かくも執拗に、頑固に、鎖国に固執していたのだろうか。

 頑固だったからではない。不安だったのである。不安の原因は、歴史の経験に根ざしていた。経験といっても日本人自らの経験ではなく、南アジアや東南アジアの諸国、そして中国が、ヨーロッパに翻弄されていく様相をまざまざと見せつけられた故の不安であった。

14驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:24:16 0
ポルトガル人がインド洋に進出して、アラブとの競争に勝利すると、ヨーロッパの他の海洋諸国が後に続いた。
イギリス、フランス、オランダ、そしてデンマークである。
彼らはそれぞれアジアの南の沿岸に拠点を構えた。アラビア半島の沿岸からマラッカまで、
さらには東南アジアの太平洋沿岸から中国、インドネシア諸島まで、瞬く間にヨーロッパの営業所が撒き散らされたように設置された。

営業所は重装備の砦に守られ、高い塀を巡らせた「基地」であった。

 ヨーロッパはついに何百年もの間、熱望していた目標を達成したのである。
東洋の贅沢品をヨーロッパ大陸に供給するための経済的・軍事的基盤を確保した。
商品は大河のように流れ込んできた。ヨーロッパ人は歓声をあげ、バロックとロココの陶酔に身を投じた。
繊細な綿織物、清酒な絹、金欄、ビロード、絨毯、砂糖、香辛料、香料、宝石、珊瑚、軟膏に薬……彼らの消費は増大の一途をたどった。

 富豪たちは、ダマスカスでできる緞子に似た美しい色あざやかな織物ダマスクに感激し、
モスールでできるモスリン、カルカッタのキャラコ、南インドの都市と同じ名前のマドラスなどを珍重した。
ゆとりのある人たちは誰もが繊細でしなやかな綿の下着を身につけた。少なくても二、三品の品数を持っていたので、
ヨーロッパでは初めて一週間に一度下着を換えることができるようになり、上流階級ではそれが当たり前になった。

15驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:26:04 0
しかし、オリエントとの交易に関しては、基本的には以前とほとんど状況は変わらなかった。確かにヨーロッパ人は、渇望していたオリエントの商品を格安の値段で、多量に直接生産地で購入できるようになったが、
奮発して買うような贅沢品はやはりそれなりの価格であった。
支払いも大部分は、アラブ人の仲買人から買っていた当時と同じように、
金・銀で支払わなければならなかった。というのは、ヨーロッパは皮革、羊毛、蜜蝋以外には、
インドのような何でもある国が買ってくれそうな商品を提供することができなかったからである。
以前は、ヨーロッパの貿易赤字は白人の男奴隷と女奴隷の輸出で減らすという可能性があったが、
それはもはや時代精神にあわなくなっていた。
胎動を始めた啓蒙思想のために、もはやこういった商売は認められなくなったのである。
16驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:28:07 0
海洋諸国はどうしたらできるだけ多くの金・銀を手にすることができるか考えねばならなかった。
イギリスでも、フランスでも、オランダでも、そしてデンマークでも貴金属の鉱石が産出されなかったので、
ドイツが脚光を浴びるようになった。特にエルツ山脈で極めて豊富に銀が産出されるザクセン王国は豊かになり、力を得ていった。
アウグスト王は十年もたたない内に首都ドレスデンをヨーロッパのバロック建築の宝庫に仕立て上げてしまった。
 イギリスでは、インドの綿織物の輸入に悩まされていた毛織物業の同業組合が議会に陳情した。
綿織物が多量に輸入されたため、もはや以前のようには羊毛が売れなくなって困っている羊の飼育業者たちの強力な支援を得て、
毛織物業者は一七〇〇年代に、インドからの綿製品の輸入を禁止する法律を議会で無理やりに通してしまった。
一七〇二年頃には、その法律はインドの綿製品を身につけても罰せられるという一層厳しいものになった。

17驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:29:43 0
自国の羊の飼育業者と毛織物業者を保護する対抗措置は、
イギリスにおいて新たな展開をもたらすこととなった。
まず木綿を織る技術の習得が熱狂的に盛んになり、これが成功すると、
今度は紡績機を機械化することに最大の努力が払われた。
当初は風力、水力、雄牛の力など、様々な動力が試された。
しかし、決定的な成功は、一七六〇年前後のジェームス・ワットによる蒸気機関の発明だった。

 石炭を焚いた二台の蒸気機関がはずみ車を動かすと、複雑に組み合わされたベルトによって
十数台の紡績機を同時に作動させることができるようになったのである。
十年たつかたたない内に、イギリスに最初の本格的な紡績工場が誕生した。工業化時代の到来である。

18驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:31:48 0
こうした時代の中で、インドにおいて後々まで影響を及ぼす新たな悲劇が起こった。
ヨーロッパの大国だったイギリスとフランスは、インドで犬猿の間柄になっていった。
両国はそれぞれ傭兵部隊を集め、互いに争っているマハラジャたちと野心を持ったインドの権力者の応援を得て、
インドの地で血みどろの戦いを展開した。
一七六〇年頃には、インドにおいてフランスの状況は芳しいものではなくなっていたが、一七八九年にフランス革命が勃発し、
その後しばらくしてナポレオンがフランスの支配者となると、英仏の紛争はエスカレートしていった。
ナポレオンはヨーロッパ諸国にイギリスとの通商を全面的に禁じて、
イギリスに経済的打撃を与えた。そこでイギリスはフランスに職減的打撃を与える態勢に入った。

一八一五年はワーテルローの戦いの年であり、ナポレオンが世界の舞台から決定的に退場したばかりでなく、
大英帝国が全インド亜大陸を完全に支配下に置いた年でもあった。
オランダもインドから消えていった。ナポレオンの圧力を受けて、イギリスのバルト海への進入を封鎖したデンマークは、
イギリスの報復を受けることになった。強力なイギリス艦隊が四日にわたってコペンハーゲンを徹底的に砲撃し、デンマークは降伏した。
降伏と同時に全艦隊をイギリスに引き渡し、デンマークの植民地国家としての栄光は完全に絶たれたのであった。

19驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:32:49 0
ドラマの次の幕は、肥沃な北部インドのベンガルとビバールが舞台となった。
この地方は完全にイギリスの東インド会社の管理下に入っていて、
イギリス本国の工業に必要な原料、特に原綿を供給する役目を課せられていた。
この目的達成のために、インドの農民たちは、東インド会社がイギリスへ輸出するためのものしか栽培することが許されなくなった。
ベンガルとビバールは十年足らずの間に、綿花栽培をするだけの広大な土地と化してしまった。
20驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:37:15 0
ドラマの次の幕は、肥沃な北部インドのベンガルとビバールが舞台となった。
この地方は完全にイギリスの東インド会社の管理下に入っていて、
イギリス本国の工業に必要な原料、特に原綿を供給する役目を課せられていた。
この目的達成のために、インドの農民たちは、東インド会社がイギリスへ輸出するためのものしか栽培することが許されなくなった。
ベンガルとビバールは十年足らずの間に、綿花栽培をするだけの広大な土地と化してしまった。
21驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:39:21 0
 ベンガルやビバールの、かつて楽園のような田園風景と謳われた広大な地域は見る影もなくなってしまった。
イギリス人が入ってくるまでは、高度な自主性と繁栄をほしいままにしていた農民たちは日雇い労働者になった。
東インド会社は、会社の命令に従わない農民たちの土地を「合法的」に没収したり、追放したりした。
こうすることで損失をまねくようなことはなかった。反抗的な農民に頼るよりも日雇い労働者を働かせる方が、栽培ははるかに成果をあげたからである。

次に東インド会社がやったことは、何百年もの伝統に基づく、全インドの何千という繊維生産の手工業をつぶすことであった。その理由は単純明快である。

 イギリスは機械による紡績で、大量の綿織物を生産していた。加えてナポレオンによる大陸封鎖の影響もあって、ヨーロッパの各地で、イギリスに依存しない繊維工業が盛んになった。

 そこでイギリスの関心は新たな市場の開発に向けられた。
市場経済の観点から、新興のイギリス繊維工業の利益と発展のために、インド独自の繊維産業をつぶしてしまうことは当然であった。


22世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:40:02 0
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23驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:40:41 0
つぶしてしまったことによって、同時に二つの目的を達成することができた。
一つは、イギリスはほとんど無限にと言ってよいくらいインドから原綿の供給を受けることができるようになった。
というのは、繊維産業がつぶされてしまった現地インドでは原綿の需要は激減したからである。
もう一つは、インドはイギリスの織物製品を購入する一大市場となったことである。

 インド全土を軍事的に制圧したために、イギリスは原綿の購入価格も綿製品の販売価格も独断で決めることができた。

 美しい言葉で自己を正当化するという西洋の上品な伝統に従って、
一九八〇年発行の歴史辞典には、この時の状況が次のような一文で簡潔に記されている。

「インドの古来からの繊維工業は、十九世紀にヨーロッパからやってきた機械織の繊維製品によって、
インドにとっては都合の悪い影響を受けることとなった」

24世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:41:35 0
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25驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:43:44 0
鎖国によって日本は、世界から遠く離れていたにもかかわらず、幕府はアジア大陸の南部で何が起こっているかについて正確な情報を収集していた。
インドは日本にとって単に五千キロ離れた大国以上のものだった。
インドは日本人にとって、中国に次ぐ心情的にも親近感のある文化の一大中心地であった。
日本人の精神の柱ともなっている仏教の発祥の地である。

 それ故に、あの広大で人口も多いインドが、かくも悲惨なやり方で、
もう取り返しのつかないところまでイギリスの完全な支配下に陥ってしまったらしいという情報は、
日本に大きな不安を与えるきっかけとなった。

 こういった情報を、幕府は長崎の出島にいるオランダ人と中国人の商人たちから定期的に得ていた。
情報の流れは日本側で厳しく調整され、極秘情報として形式が整えられた。
鎖国の初期、一六四一年頃から、オランダは二足の期間ごとに世界の出来事を報告するという義務を負わされていた。
後には、オランダ商館は年に一度、江戸に使節団を送るという江戸参府の慣習が生まれた。
使節団は幕府が指示した街道を通って、片道約千五百キロを往復したのである。そして謁見の際に、報告書を手渡さねばならなかった。
この一連の報告書は、日本の外で何が起こっているかを知る幕府の重要な情報源であった。
その際、驚くべきことは、十数世代にわたるどの将軍の下における幕府も、その報告内容を決して疎かにしなかったことである。
オランダは十七世紀、十八世紀を通じて、十九世紀の最初の十年まで、イギリスとフランスを最も危険な競争相手として、
時には敵として見ていたので、イギリスとフランス、特にイギリスがインドの首を絞めている有様を、取り繕って報告する義理は持ち合わせていなかった。



26驕れる白人と闘うための日本近代史より:2007/06/02(土) 00:45:55 0
日本人が恐怖を覚えたのは、事が全て何事もなく始まっていたことであった。
まずいくつかのインドの沿海都市が、西から海を越えてやってきた白人たちと単に「通商関係」を持ったことから始まった。
自人たちは、最初はことのほか慇懃で、親切で、友好的であった。彼らは、アラブ人に代わってインドから何かを買わせていただきたいと申し出た。

 日本人を不安にしたのは、貿易を行なっていく内にその白人たちは慇懃でも、親切でも、友好的でもなくなり、ゆっくりと、着実に一歩一歩、影響力と権力を広げていったことだった。
彼らはインド内部の地域間の争いを自分たちの利益のために利用することを心得ていた。それが、十年、二十年、五十年、百年、二百年あるいは三百年かかろうと、時間は白人にとって問題ではなかった。
最初のヨーロッパの商人がインドの地を踏んでからちょうど三百年たって、白人は全インドを完全に手中に収めたのであった。

 鋼のように強靭なサムライの精神力といえども、
ヨーロッパ人の歴史的に培われたこの力、母国から何千マイルも離れ、三百年という年月をかけて、
大文明圏インドの征服を徹底して完遂するという力の前では全く無力である。
最初、インドはほとんどあらゆる点で、文化的にも軍事的にも、ヨーロッパより勝っていた。
しかしそんなことは最後には何の役にも立たなかった。

27世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:46:59 0
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28世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:48:31 0
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29言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:49:02 0
松原氏が、ドイツの全国テレビで「過去の克服−ドイツ
と日本」をテーマにした討論番組に参加された。ドイツ代表は、
日本も戦時中、中国、朝鮮、東南アジアで市民を殺戮したから
ホロコーストは日本の問題でもある、と発言した。松原氏はす
かさず、こう反論した。

 日本にはアジアの特定民族を絶滅することが優秀な日本
人の使命だという論理は存在せず、日本政府がそうした論
理に基づく政策を立てたことはかつて一度もなく、占領し
た地域で目的の民族をしらみつぶしに探し出して、もっと
も効果的に安上がりに殺すべきだといった発想そのものが
日本人の思惟方法には存在しない。ドイツの犯したホロコ
ーストは戦争とは全く無関係の次元にある殺戮だ。[1]

 ドイツのテレビ番組で、これだけ明快、かつ論理的に主張す
る日本人がいたとは、うれしい驚きであった。
30言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:49:52 0
このエピソードにはさらに後日談がある。テレビ局からの帰
りで、ケルン駅で列車を待っていると、人ごみの中から中年の
女性が近づいてきて、「我々のテレビで我々の悪口を言う者は
これだ。日本に帰れ」と言うなり、松原氏の顔に平手打ちを食
らわせ、消えていった。

 次のテレビ出演の時に、松原氏はこの事件を手短に話し、ド
イツには今もって言論の自由がないから、身を守るため沈黙す
ると宣言した。すると、放送中に80件以上もの電話があり、
局を通してたくさんの花束がお見舞いとして届けられた。その
一つには「あなたの言うことは腹立たしい。でも本当だから仕
方ない」と書かれたカードがついていたという。

 わが国は「言挙(ことあ)げ」をしないこと、すなわち、言
葉に出して言い立てず、「以心伝心」や「沈黙は金」を美徳と
する伝統がある。国際会議でも日本の代表は、3S、すなわち、
Smile、Silent、Sleepだと阿諛されるほどであるが、それでは
国際社会ではやっていけない。

 松原氏は大変な経験をされたわけだが、これによって多くの
ドイツ人に対して、日本の戦争犯罪とドイツのホロコーストと
を同一視する過ちを認めさせた氏の「言挙げ」に対して、謝意
と敬意を表したい。同時に、このような「言挙げ」の方法は、
国際社会で生きる日本人が大いに学ぶべき術であると思う
31世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:50:30 0
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32言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:50:37 0
松原氏は近著「言挙げせよ 日本」でこう説かれている。

 日本は今やあらゆる摩擦の渦中にいる。それは技術力に
根ざした経済力が他を凌ぎ、他にとって脅威となれば当然
起こりうる摩擦である。別に日本のみが叩かれているわけ
ではない。ただ、それをいかに乗り越え、禍を福に転じて
いくかが大切なのであり、そのためにはヨーロッパとアメ
リカの歴史をこの観点から一度じっくり辿ってみる必要が
ある。

 今日国際社会を動かす方法や手段は長いヨーロッパの歴
史の中で培われ、後にアメリカへ移植されたのだが、日本
人には全く異質な考え方、わかったようでわからないやり
方が多く、それがあたかも世界の常識であるかのごとく行
き渡っている。

 それらを知り、心得た上で、それでは日本をどうすれば
よいかを考えていきたい。[2,p11]
33言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:51:30 0
松原氏が「国際社会を動かす方法」について、開眼したのは
チューリヒで開かれたヨーロッパ経済会議の基調講演に招かれ
た時のことである。講演の後、二百人あまりの経済専門家たち
の中から次々に質問があったが、その中の一つが松原氏を愕然
とさせた。

 日本人が一生懸命もの作りに精を出し、良質の製品をアメリ
カへ輸出して得た富をアメリカ長期国債に投資している。それ
はすべてドル建てであり、ドルが下落すれば、その財産価値も
減ってしまう。日本人はそのリスクを考えないのか、という質
問であった。

 日本はアメリカと友好関係を保つ必要上、赤字にあえぐ
アメリカに日本の金を投資して助けることはまず当然とい
うか、友好国の使命と思っているのではないか。

と松原氏が答えると、聴衆はあきれた表情で、

 アメリカを助けるなどという甘い考えは国家間を律する
論理ではない。助けることによってこちらもそれ以上の利
潤を得ているならまだしも、、、

といった意見が次々に寄せられた。
34世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:51:54 0
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35言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:52:21 0
5.個人道徳と「国家間を律する論理」は違う■

 彼らは、別に日本の見方をしている訳でも、反米で団結して
いる訳でもない。国家間の協力とか友好の本質は、利害関係の
均衡にあり、利害を抜きにした親米も反米も意味はない、とい
うのが欧米の発想である。特に「国家間を律する論理」という
表現に注目すべきである。

 個人同士、友人同士が友好関係を保つには、正直、親切、
誠実、寛大といった倫理が大事である。ところが国家間の
友好においては、そういった個人同士の倫理は無意味であ
る。[2,p58]

 1498年フィレンツェ共和国の書記官に就任して以来、食うか
食われるかのヨーロッパ社会の中で、軍事・外交を担当したマ
キアベリはこう喝破した。

 ヨーロッパ諸国は、こうして個人道徳とは異なるレベルで、
国益貫徹の冷たさを美しく包む言語を豊かに発達させ、自由と
民主主義、平和と繁栄、福祉と人権など、美しい言葉を繰り返
しつつ、自国の利益を守り、かつ他国との利害関係の均衡を図
っていった。[2,p12]
36言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:53:03 0
6.アメリカの「美しい言葉」■

「美しい言葉」で飾りつつ、国益を追求するという手口の実際
を見てみよう。アメリカは、テキサスからカリフォルニアに至
る広大なメキシコ領土を戦争で奪い、ハワイ王国を乗っ取り、
フィリピンをスペインから奪った。これらを正当化した「美し
い言葉」が、「明白なる天意 Manifest Destiny」である。非
白人劣等民族の領土を植民地化することによって、文明をもた
らすことは、神からアメリカに与えられた「明白なる天意」と
言うのである[a]。 同様の事を、イギリスは「白人の責務 Whi
te Man's Burden」と称した。

 また中国市場に割り込むための名分として、各国の経済的機
会均等を求めた「門戸開放」主義を唱えた。その一方では、南
北アメリカ大陸をヨーロッパ勢力から隔離する「モンロー主
義」を主張していた。明白な二重基準である。

 第2次大戦では、連合国側を「民主主義陣営」とか、「平和
愛好国」と呼び、枢軸国側を「ファシズム陣営」として、世界
の民主主義をファシズムから守るための戦いだと位置づけた。
フィンランド、ポーランド、バルト諸国を侵略したソ連も「平
和愛好国」の一員なのである。[b]

 アメリカは民主主義の国だけに、「美しい言葉」を他国との
交渉だけでなく、自国民を説得するためにも使う必要があり、
現実と建前のギャップがより大きくなる傾向が強いのである。
37世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:53:34 0
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38世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:55:00 0
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39言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:55:39 0
7.ルールの蔭の国益追求■

 国際的ルールや法律も、公正な見かけのかげで、実は冷徹な
利益追求の動機を隠している場合もある。たとえば、アメリカ
はメキシコからカリフォルニア州を奪った後、そこに住んでい
たメキシコ農民達に「税金はすべて金銭で支払うこと」という
簡単な法律を課した。

 しかし、それまで産物で納税していた農民達は現金を持って
いない。税金を払えない農民達は抵当として土地を奪われ、追
放された。その土地を東部の資産家達が二束三文で買い取って、
巨富を築いた。実はこの税法は彼らが議会を動かして成立させ
たものであった。

 これは今もアメリカが国際社会でよく使う手口である。たと
えば貿易黒字を続ける日本は市場を解放していないからだとし
て、次々と罰則を作り、制裁を加える。さらにIWC(国際捕
鯨委員会)のような国際機関も、国益追求の道具にされている
場合がある。[c] 近年よく唱えられる「グローバル・スタン
ダード」も、自国に有利な基準を押しつける場合の「美しい言
葉」として使われている場合が多いので要注意である。

40言挙げの方法:2007/06/02(土) 00:56:36 0
9.「騙しのテクニック」と戦う「言挙げ」■

「騙さず、騙されず」を貫いた言挙げの見事なお手本をもう一
つ紹介しておこう。中国は他国と国交樹立する際に、「台湾が
中国の一部であることを認めよ」と要求する。それに対するカ
ナダ政府の回答の中に、次のような一節があった。

 中国政府が台湾を実効支配していれば、外国と国交樹立
する際に、中国の領土であるとの承認は不要である。それ
は米国が他国と国交を結ぶ時に、ハワイが米国の領土であ
るとの承認を得る必要がないのと同じである。[3]

 つまり中国が「台湾を中国の一部と認めよ」と要求する事自
体が、「台湾を実効支配していない証拠」である、というので
ある。これは中国の主張の欺瞞を見事についた「言挙げ」であ
る。

 こうした言挙げをした上で、カナダ政府は「台湾は中国の一
部」という主張を認めるのではなく、「テイク・ノート」しよ
う、と答えた。これはノートに書きとめる、すなわち、その主
張自体は認めないが、そう主張したという事実には「留意」し
ましょう、ということである。

 日本の戦争犯罪とドイツのホロコーストを並べ立てて、少し
でも自国の罪過を相対化しようとするドイツ人の欺瞞。実効支
配もしていない台湾を自国領だと言い張る中国人の傲慢。こう
した「騙し」のテクニックと戦うために、我々は「正直、親切、
誠実、寛大」を基盤とした「言挙げ」の方法を身につけていか
ねばならない。
41世界@名無史さん:2007/06/02(土) 00:58:56 0
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42世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:00:19 0
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43世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:04:59 0
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44世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:08:40 0
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45世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:14:47 0
>驕れる白人と闘うための日本近代史

この題名のほうがレイシストの臭いがプンプンするぜ。
相手を一くくりにして悪役にして何が戦うだ。
46世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:33:13 0
>>1
>驕れる白人と闘うための

相手の立場に立って考える知能に欠けてるんだよ。
アメリカ白人の文化人が中国の驚異や韓国人の犯罪に対して、
『驕れる黄色人種と闘うための○○○』なんて本を書いたら日本人はどう思う。
モンゴル軍のポーランド人虐殺に対して、「黄色人種の残虐さの証明だ」なんて言われたら、
大概の日本人は人種で一くくりにして対立を煽る偏見にレイシズムを感じるだろうが、
それと同じことをやっているんだよ。
ほんとに愚かなことだ。
47世界@名無史さん:2007/06/03(日) 21:14:25 0
>アメリカ白人の文化人が中国の驚異や韓国人の犯罪に対して、
『驕れる黄色人種と闘うための○○○』なんて本を書いたら日本人はどう思う。

ちゃんと、46は本を全部読んで言ってるのかな?
中国や韓国人の犯罪を例は当てはまらないよ。
例えるなら『驕れる中華圏と闘うための○○史』じゃないのか?

奢ってるってのは、
大航海時代を知的好奇心の冒険からとし、
植民地として他の国々を支配した結果、欧州文化が世界に貢献した、
優れた思想や民主主義を世界に伝播し、
悪の日本帝国を潰し、正しい国に導いたと
大真面目に世界標準の歴史にしてることについてだよ。

48世界@名無史さん:2007/07/07(土) 11:29:14 0
この人の著書もっと読みたい
どんどん出版して
49世界@名無史さん:2007/07/22(日) 22:19:58 0
>>45

ちゃんと読んでいない連中が、せっせと施工しているみたいね。

日本語版の本書の書名は「驕れる白人と闘うための日本近代史」だが、
原著(ドイツ語版)の書名は、「宇宙船日本 ー真実と挑発ー」という。

その書名を以て、なぜ”レイシストの臭い”がするのか、
一席ぶって欲しいのだが。。。
50世界@名無史さん:2007/07/30(月) 22:21:40 0
ホシュ。。。。
51世界@名無史さん:2007/08/20(月) 18:22:21 0
ホシュ

     ∧_∧
     (´∀`* )
  ,,,,.,.,,,.⊂ ⊂  ヽ
 ミ・д・ミ(_(_ノ○
  """"
52世界@名無史さん:2007/09/02(日) 22:05:53 0
>>45
こいつは日本人じゃないな。
嫌がらせの終了コピーを書いた奴と同列第5列か。
53世界@名無史さん:2007/09/04(火) 22:51:13 0
>>52
レイシストの臭いという言葉は左翼の常套句だから、
奴は左翼だな。
54世界@名無史さん:2007/09/25(火) 22:30:12 0
ふーん、そうなんだ。
55世界@名無史さん:2007/11/01(木) 00:13:08 0
age
56世界@名無史さん:2007/11/01(木) 00:44:06 0
このスレ 白人至上主義者が 必死で荒らしてるな
松原久子の著書は持ってるけど このスレがあるのは
知らなかったな ageてくれた55ありがとう
57世界@名無史さん:2007/11/02(金) 21:18:57 0
55です。どーも。

まあ、必死に荒らすってことは、
そんだけ、まともに、まじめに、ヤバい目のことを
書いているってことの証明でもあるけどね。

勝手に本から転載している>>7-21はあまり感心しない。
この本は西洋だけでなく、日本国内のことも触れている。
私は江戸時代の侍、大名は土地を所有していないってことに度肝を抜かれたけどね。

この本、読むと学校で習った歴史ってなんだったんだ?と考えちゃうわけなんだけど。
本のタイトルがねぇ、あまりに煽り過ぎ。原著のままのほうがよかったと思う。
58世界@名無史さん:2007/11/21(水) 22:36:03 0
>>56
松原久子の本
「日本の知恵 ヨーロッパの知恵」三笠書房1985年2月25日
「和魂の時代」三笠書房1987年10月10日
「言挙げせよ日本」プレジデント社2000年6月8日
そしてこの本「...日本近代史」文藝春秋2005年8月25日
最初の「日本の知恵」もすばらしい本だ。
鎖国に至った過程の記述も眼からうろこだ。
、信長の比叡山延暦寺焼き討ちの先駆的世界史的意義の
解説には感銘する。徳富蘇峰すら「快挙ではあるが善行でも美談でもない」としているが
(「近世日本国民史」60巻、要約版10巻あり)

さて、
59世界@名無史さん:2007/11/24(土) 21:46:35 0
>>58
九州にやってきた秀吉は京都では想像もできないバテレンやキリシタンのことを
知った。かれはバテレンの代表者クエリヨに詰問状を書いた。
「大名がキリシタンになるとなぜその領民もキリシタンになるよう強制するのか。
なぜ日本の諸宗と融和せず、寺社を破壊し、焼却lするのか。なぜポルトガルの船
が日本の少年少女を奴隷として国外に連れ去るのを知らぬふりで見ているのか。」

6055:2007/12/10(月) 12:01:17 0
ホシュついでに日本近代史の方の目次を載せておきます。

序 章:西洋の技術と東洋の魅力
第一章:世界の端で
    「取るに足りない国」だった日本
第二章:劣等民族か超人か
    「五百年の遅れと奇跡の近代化」という思い込み
第三章:草の根民主主義
    江戸時代の農民は「農奴」ではなかった
第四章:税のかからない商売
    商人は独自の発展を遂げていた
第五章:金と権力の分離
    サムライは官僚だった
第六章:一人の紳士
    初代イギリス駐日公使・オールコックの見た日本
第七章:誰のものでもない農地
    欧米式の「農地改革」が日本に大地主を生んだ
第八章:大砲とコークス
    日本はなぜ「自発的に」近代化しなかったのか
第九章:高潔な動機
    「白人奴隷」を商品としたヨーロッパの海外進出
第十章:通商条約の恐ろしさ
    日本はなぜ欧米との「通商関係」を恐れたか
6155:2007/12/10(月) 12:06:13 0
>>60のつづき

第十一章:茶の値段
     アヘンは「中国古来の風習」だと信じている欧米人
第十二章:ゴールドラッシュの外交官
     不平等条約で日本は罠に陥った
第十三章:狙った値上げ
     関税自主権がなかったために
第十四章:頬ひげとブーツ
     欧米と対等となろうとした明治政府
第十五章:猿の踊り
     日本が欧米から学んだ「武力の政治」
第十六章:たて糸とよこ糸
     今なお生きる鎖国時代の心
著者あとがき
参考文献
62世界@名無史さん:2007/12/11(火) 15:01:51 0
原著がドイツで出版されたときにかなり反響を呼んだって聞いたんだけど、
アマゾンのドイツ版見たら、新刊ではもう出てないみたいなんだよな。
古本で何冊か出てるだけ。確かに、出版されて20年近く経ってるってことも
あるかもしれないが、レビューもゼロ。ホントにドイツで反響読んだのかな
と思ってしまう。
6355:2007/12/12(水) 00:08:17 0
>>62
>新刊ではもう出てないみたいなんだよな。
1989年出版だからねぇ〜
日本なんか、もっと酷いよ。98年ぐらいの本でも出版が終わっている。。。(; ;)

>ホントにドイツで反響読んだのかなと思ってしまう。
当時、ドイツに居たと言うのでなければ、
まあ、「勝手に推測」。。ということになるのでしょうか。

とりあえず、文句言ってないで一度読んでみたら?
君が日本人ならばという前提ではあるけど。
64世界@名無史さん:2007/12/18(火) 21:04:34 0
>>63
いま現在は松原久子氏はカリフォルニアに住んでいるらしいが、
この間の欧州議会の決議文といい、その前の米国の決議といい、
オーストラリアといい、極めて不愉快な事柄が進行中だ。
「慰安婦」問題にしても「南京事件」にしても、
白人は経済大国日本への内心の中の嫉妬と、へなへなとして、へらへらした
卑屈な日本人への侮蔑の気持ちとが渾然となった動機から、
日本への侮辱を加速させているように思う。
65世界@名無史さん:2007/12/18(火) 21:07:20 0
>>64
いまこそ、松原久子氏の提言どおり、
断固として言挙げしなければならない。
そのためにも、史実をもっと勉強しよう。
あまりにも無知すぎる日本人。
言挙げを避ける日本人。多すぎる。
6655:2007/12/19(水) 21:53:32 0
>>64
同感です。
が、しかし、「慰安婦」、「南京事件」のみならず、原爆投下についても、
米国に対して、その非人道性を問う毅然とした態度が必要となるかと思います。

>>65
私には、言挙げを避けているというより、どう言挙げすればよいか判らないように思えます。
例えば、65さんは、江戸時代を善とし、明治維新を悪として論じる事は出来ますか?
私には、明治維新、明治政府の全てが善であったとは思えないのです。
そういう点から、今は江戸時代の通説に対して、疑問を持ち、本を読みあさっています。
よく、歴史は流れる大河のごとく例えられますが、
戦後の日本人は、善悪のステレオタイプで、ぶつ切りに論じていないでしょうか?
また、根本的な事でありますが、我が国が建国された理想とは何なのでしょうか?

今こそ、この根本的なところを再認識すべき時かと思うのですが。。。。。


「江戸の遺伝子」 徳川恒孝著 PHP研究所
「百姓の江戸時代」田中圭一著 ちくま新書
の2冊、推薦します。松原さんの書籍と併読すると良いかと思います。
ご参考迄。
67世界@名無史さん:2007/12/23(日) 23:58:44 0
>>66
読んでみます。
68世界@名無史さん:2007/12/24(月) 00:00:28 0
>>66
松原久子さんは、日本の美質をその著書で書いています。
後で引用します。
69世界@名無史さん:2007/12/24(月) 00:02:39 0
>>66
日本の美質は松原さんの言うように
鎖国時代=徳川時代に培われたものです。
70世界@名無史さん:2007/12/24(月) 00:57:58 0
>>69
梅棹忠夫「文明の生態史観」中公文庫1974年で、梅棹氏は文明を自成的文明と
他成的文明とに分類し、前者を第一地域、後者を第二地域としました。第一地域
は西ヨーロッパと日本、第二地域はそのほかのユーラシアの地域としました。
第一地域の人々は、草原の悪魔(サバンナの遊牧民)からその自成的自律的
成長を刈り取られなかった幸運の地域としたのでした。
71世界@名無史さん:2007/12/24(月) 00:59:07 0
>>70
しかし、本当の自成的文明は世界では日本文明のみでしょう。西ヨーロッパは
草原の悪魔に征服されなかったにしても、たとえば、ブリテン島の住民の文明が
純粋に自成的とみるのはどう見ても無理です。(ケルト人→アングロサクソン人
→バイキングの侵略→ノルマン人の征服という具合に次々に悲惨な境遇に置かれ
たのですから。)
 もちろん、西ヨーロッパが日本より純粋でないにしても、自成的で自律的な文明
を築くことが可能であったのは、草原の悪魔(サバンナの遊牧民)にその精神の
奥の奥にまで「隷従と野蛮のこころ」(タタールのくびき=ロシア人とシナ人が
モンゴル人にかけられたもの=車の轅(ながえ)の前端に渡して、牛馬の頸の後ろ
にかける横木。転じて、 自由を束縛する制度。)を刻印されなかったからこそ、
そして、中世封建制の徹底的分権化社会の実現ができ、カトリック教権制によって、
権威と権力が分離し、社会の単一中心化を防止できたからこそでしょう。
72世界@名無史さん:2007/12/25(火) 22:32:13 0
>>70
草原の悪魔はステップ(乾燥地帯)の遊牧民のこと。サバンナではない。
73世界@名無史さん:2007/12/29(土) 23:16:40 0
>>72
すっかりさびれたなあ。
66さん、どうした?
年末休暇だ、はやく来てくれ。
7455:2008/01/01(火) 14:02:30 0
>>73
うーん。66番お呼びという事で、不肖55番が書き込みを。。。

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
まあ、まったり行きましょう。継続は力なりということで。


年末ばたばたしており、年賀状まだなの。。。
ただいま、年始突貫工事中。。。皆様のご協力をお願い致します。
工事終了後、復帰予定。

あ、みなさん、もし可能ならコテハンお願いします。
わたし、頭、悪いから誤爆しそうです、そのうち。
7555:2008/01/06(日) 21:37:00 0
こんばんわ。

突貫工事が終わったので、復帰しますた。
えー、>>70-71 さん、ちょっと難しく考えすぎているように思います。
難しい表現で、どれだけの人がビカッと頭の電球を光らせることができるでしょうか?
私は、学校ではマイナス査定で教えられている江戸という時代が、
実はそれまでの時代には達成できなかった太平と豊かさを実現したことを
世に示すことだけでも最初のとっかかりとしては十分ではないのでしょうか。

そういう観点から、個人的に、無高百姓(俗にいう水飲み百姓)について調べています。
先に推薦した「百姓の江戸時代」という書籍もその流れに沿っています。
今、疑問なのは、江戸時代のお百姓さんは、土地を”所有”していたのか、”占有”していたのかという点です。
松原さんの書籍には、たしか”お百姓さんの土地を耕す跡取りが居なくなった場合、村で合議の上で別のお百姓さんが耕す”という記述があったかと思います。
しかし、「百姓の江戸時代」著者の田中さんは、お百姓さんは土地を”所有”していたと述べています。

うーむ。。。???と言った状態です。どなたか参考となる文献をご存知であれば書き込みを。

>>70-71の書き込みについて、私個人の印象として「これはどうかな????」と思う点は、
>自成的文明は世界では日本文明のみ
とする点です。どの文明も文化も、隣接する文明や文化から影響を受けずには居れないと思います。
ローマ文明の位置づけはどうなるのでしょうか。興味あるところです。
風呂好きなところが日本人と似ているので、ローマ人には親近感を持っているのですが。。。

東洋が西洋を超越するとか、日本が他文明を超越するという考えはどうかと思います。
ヨーロッパ人の築いた科学技術は、公平に一目置かれるべきだろうと思います。
どちらが優れているかをあれこれ調べるというよりも、

我が国のご先祖さんの智慧で、西洋の科学技術を使いこなす気がまえが必要ではないのでしょうか。
    ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
民主主義1つとっても見ても、我が国は江戸時代に”真の”民主主義を実現済みと言えます。
もっと、江戸時代から”ご先祖さんの智慧”を学ぶ必要があるかと思います。いかがでしょうか?
76世界@名無史さん:2008/01/11(金) 09:31:02 0
こいつ「驕れる白人と闘うための日本近代史」の中で薩英戦争で
日本側に1万5千人の死者が出たとか書いてるんだがソースは、存在するのか?
7755:2008/01/11(金) 16:59:51 0
>>76
巻末に参考文献、書いてあるけど。。。。

ちなみに本書の何ページの記述なの?
78世界@名無史さん:2008/01/11(金) 18:27:08 0
ネット上だが

http://seishikaikan.jp/bel_bellino/nippon.htm



狙った値上げ(関税自主権がなかった為に)

のところ。
7955:2008/01/14(月) 22:03:03 0
>>78
レス、サンキュー

本書では、178ページの記述であることを確認しました。
ちょっと、潜水して確認してくる。。。


話は変わるが、、、そのサイト、著作権違反してない?
なんか、引用の域を越えているような気が。。。。。。。。(^ ^;
80世界@名無史さん:2008/01/28(月) 21:44:24 0
>>79
おやおや
過疎ってるよー。
なんとかつづけられないかな。
8155:2008/01/30(水) 17:41:39 0
>>80
まあ、まったり進行でいいんじゃない?



ちなみに、1万5千人の件、問い合わせ中です。
自分でも調べてみようと思い、この前、国会図書館まで出かけて、参考文献の和書で関係しそうな書籍を読んでみたが、撃沈しますた。

このスレROMっている鹿児島県人いないかな。。。県史あたりを確認してみてほしいんだが。。。


と、言う訳で再び潜水します。。。。バイちゃ。
82世界@名無史さん:2008/02/26(火) 22:12:55 0
>>81
もう2月も終わるのに。
過疎ってる。
おーい潜ってないで、書き込み頼むよ。
8355:2008/03/01(土) 13:46:54 0
>>82
ごめんなさい。。。。

現時点の進捗は、訳者にコンタクトが取れ、3日程で確認結果を教えてもらいました。
ただ、訳者に掲示板のことを知らせていないので、念のため伝えて(書面で)から書き込みたいと思っております。

ちなみに、当方、他の雑用で、てんてこ舞いで、まだ手紙書いてません。
そんな訳で遅れております。


ところで、このスレの板って、世界史板だったのね。。。
松原さんの著作を考えると日本近代史もしくは日本史板に引っ越しするほうがよいかと思うのですが。。。
どうでしょう。ROMっている皆さん?


では、更に潜水します。。。。倍茶。
8455
約束をとうの昔に過ぎて、ただ今、浮上しました。


178Pの件、ちゃんと調べて、次回の版には何かしらの修正が行なわれるだろうということです。
なお、次の版は、文庫本になるらしいです。