古代ギリシャとかは民主制の政治を敷いたり、ローマ帝国でも共和制の
時代があり、ヨーロッパでは王制から議会制の政治体系に代わったり
したけれど、中国や日本、東南アジアとかでは民主制の国は
なかったよね。なんで中国や日本で議会制や立憲君主制が生まれなかったのだろう?
つ 山代一揆
つ 堺
比較的大きな国だったらね。中国とかの大きな国でそういう制度が生まれなかった
のかを知りたいな。
ギリシャや共和制ローマって大きいか?
6 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 19:51:15 0
都市レベルじゃね
王侯権力からも共同体からも独立性の高い「個人」が存在しないと
議会なんて始まらない。独立自営農民とか市民とか。
王侯はワンマンしたがるし、共同体に埋没した管理された奴隷には
政治や経営など集団を切盛りしてゆく負担に耐え抜く必要性がない。
生活の基本は食。
アジアの食の基本は米。
稲作は労働集約度が高い。それは個人を生まない方向に作用する。
共同体が第一となれば、自前で切り回す才覚は育たない。
8 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 20:36:11 0
ヨーロッパはローマの影響を受けていて、
そのローマはギリシャの影響を受けている。
ヨーロッパ全体でギリシャローマ系の政治形態がみられるのは
影響下にあるのだから当然だ。
東アジアを限定して述べれば東アジアは秦漢帝国の影響下にある訳だ。
東アジア全体が秦漢帝国の影響下にある訳だから、
民主性が東アジアに生まれるというのは極めて変な事でもあるんだよ。
神聖ローマ帝国やローマの皇帝は選挙で選出されると言う特異なシステムをもっていたが、
日本の将軍や中国の皇帝、モンゴルのカーンが選挙で選ばれると言う事は基本的にありえなかった。
と言うのもモンゴルを抜きにして語れば東アジアの文化や文明や思想は
古代中国に源流を持っているからだ。
9 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 20:41:16 0
東アジアは古代に存在した王国である夏商周の影響下にあり、
秦漢帝国の政治形態や思想を源流としている。
漢字や元号に見られるように古代中国の影響下にあるのは一目瞭然であり、
政治形態においても古代中国の影響下にあった事は否定できん。
建武の親政の際において後醍醐天皇が中国風の政治を目指そうとしたり、
初期の日本が唐を参考にして国づくりの基礎を固めていたのだから
日本が古代中国のやり方の影響下にあるのは十二分に考えられる事だ
10 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 20:52:16 0
>>1 儒教文化だからだろ。儒教は「上位尊重」の教えですから、
封建制度を維持して下克上を防ぐために広く利用された。
ヨーロッパのほうはヴァイキングからアルシングのような
民主議会が誕生している。
なんでヨーロッパとかの西洋の国って儒教みたいな教えを広めなかったのかな?
下克上が怖くないんか?中国の王朝から民主制の王朝が生まれるということは
やっぱりありえんかったのか・・・。
12 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 21:13:21 0
だから日本でも近代的じゃないがある種の民主主義小国家はあったろうが。
14 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 00:04:56 O
ペストや戦争(欧州)や性行為の自粛(日本)など、人口を適正レベルに保つシステムがあった国は
国民のカロリーが不足せず、知能が有効に作用し、民主化できた。
中国や北朝鮮みたいに国民が飢えてる国で民主化は無理。
民主制の王朝?
古代ギリシャにも、民主制の王朝というものはなかったし、
古代ローマは王政ではなかったろう。
アジアにもあったろう?
というレスとそれを無視して自分の理論を述べるレスが交互につ続いていくスレになると見た。
18 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 02:30:24 O
>>16 ギリシアには立憲君主国はなかったけど初期ポリスの王政国家は専制ってわけでもなかったよ。
あとローマは最初は王政だったし初代の王の時代から市民集会も元老院もあったよ
アジアというくくりは広がりがありすぎて議論しづらい。
また
>>1はアジアというスレタイに反し、中国や日本など北東アジア圏だけ
に注目しているようだが?
とりあえず
>>1は議論の提起のしかたがなってないとだけ書いておく。
以上。
20 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 11:40:56 0
アジア人って根本的に民主主義が好きじゃないんじゃない?
天皇陛下万歳とか金日成マンセーとかやってるのが好きなんだと思うよ
21 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 11:48:05 0
このスレはGHQの洗脳が戦後60年たっても消えていないという良い例ですな
22 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 12:07:38 0
>>21 GHQの統治はたった6年だけだよ。そんなもので洗脳されるなら、
なお民主主義が根付いてなかった証拠だ。
さあ? 知らんな。
>>14 明治以前の日本はやりまっくりワールドじゃない?
25 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 01:31:19 0
アジア人種は変化を嫌うから、外圧が無ければ変われないのだよ。
日本だって、ペリーの黒船が来なかったら近代化できなかった。
あまり知られていない話だけど、アメリカが日本に開国を要求したのはペリーが最初ではない。
ペリー以前にも「モリソン号事件」みたいにアメリカは非武装の商船で通商を求めに来ているのに、
日本は砲撃して追い返している。ペリーの砲艦外交じゃなかったら日本は開国しなかっただろう。
もっとも、その日本がアジアで最初に近代化したのだから、他のアジア人がいかに石頭かってことだ。
ドグマチックな思考停止が多いな。
>>10 なぜ欧州には儒教のような思想が生まれ・浸透し・根付くということが
なかったのか?なぜアジアではそれが生じたのか?
>>14 なぜ国民のカロリーが不足せず、知能が有効に作用していた帝政ローマは
民主化されなかったのか?
>>20 なぜアジア人って根本的に民主主義が好きじゃないといえるのか?
>>20の中の人がアジアの人で民主主義が好きなら自己矛盾してないか?
またもし命題が真ならその原因はなにか?
>>25 なぜアジア人種は変化を嫌うといえるのか?
>>20同様自己矛盾してはいないのか?
また
>>20同様もし命題が真ならその原因はなにか?
>>8-9 フランスのブルボン王朝は選挙じゃなく世襲じゃなかったか?
なぜ民主政治へ変化したのか?それとも今も民主政治じゃないというのか?
一体フランスで王政から民主制へ変化したといえるなら中国でそうじゃない
のはなぜか?
物事は底を見なきゃならん。
>>7はその点ではいい線いっているが、限定的すぎて微妙。
結局、そもそも
>>1の命題が偽だというレス以外は説得力に欠ける。
27 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 21:05:07 0
>>10 >ヨーロッパのほうはヴァイキングからアルシングのような
>民主議会が誕生している。
アルシングみたいなものは未開の部族社会でよく見られるのでは。アラビア半島の
ベドウィンの間にもよく似た部族集会がある。
現代のデモクラシーの直接の起源はギリシア・ローマでそ。
28 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 23:08:11 O
国民は民主を必要としなかった
国王の統治が優れていたので、満足していた
特に近代における清皇朝、徳川幕府、タイのバンコク王朝のクオリティはスゴイな
そしてその先人達が均(なら)した土壌のお陰で今じゃあ3国ともアジア有数の国なわけだが
中国は科挙があるから階層が固定化せず、庶民の内情を政治に反映できたので
民主主義が必要なかった。
一方、日本は万世一系の天皇による独裁的な体制だったので、黒船という
民主化の圧力であっさり崩壊した。
儒教の影響が強かったから。
>>30 世界史板で久々に俺以下の頭脳の持ち主がいたw
素直に嬉しいぜ。
どう考えても釣りだろ、でなきゃ....
34 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 04:52:21 0
ヴァイキングは徹底した集団主義で平等主義だったらしいですね。
今の北欧人は個人主義だけど、これはなんで?
渡海遠征や交易をするために徒党を組んだのがいわゆるヴァイキングだから。
企業的軍隊とでもいうか。
スカンディナヴィアでは農民は村単位ではなくもっと小さな農場単位で
割と孤立して生活していたのが関係しているとか何かで読んだような。
36 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 16:48:21 0
盧政権、今度は「言論統制」 記者クラブ統廃合で反発
政権スタート以来、主要新聞との対立などマスコミ政策が問題になってきた韓国の盧武鉉
(ノ・ムヒョン)政権が22日、今度は政府や行政機関にある記者クラブを大幅に縮小、
統廃合する方針を発表し、あらためてマスコミ界など各界の反発を買っている。
政府は「取材支援システム先進化計画」とし、政府業務に支障を与えないブリーフィング
・ルーム(記者会見室)中心の効率的な取材を保証するとしているが、記者たちが省庁内の
記者クラブを拠点に、関係部署に自由に出入りする取材を規制するもので、とくにマスコミ
関連団体は「情報源への自由な接近を妨害し、国民の知る権利を制限しようとする新たな
言論統制」などと一斉に批判している。
発表によると、これまで各政府機関にあった記者室(記者クラブ)37を3つに統廃合し、
政府機関の各種ブリーフィング(説明会見)は3カ所の合同ブリーフィングセンターで行う。
これにあわせ関連部署への記者の“無断出入り”は禁止され、担当者への取材はすべて
広報官室を通じて行うことになる。
盧政権は、大手紙などの反政府的報道に対してはそのつど誤報訂正要求や告訴、取材拒否など
で対応してきたが、今回の記者クラブ統廃合はマスコミ全体の政府取材の自由を制限しようと
するものとみられ、これまで親政府的だった左派系のハンギョレ新聞や記者労組、記者団体
なども批判の声を上げている。
新政策には韓国新聞協会などが「取材封鎖計画を即刻撤回せよ」と強く抗議。
新聞、テレビは、こぞって反対を表明した。
(産経iza)
ttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/53137/
37 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 16:54:53 O
支那朝鮮は農奴制の匂いがムンムンするな。
38 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 18:12:13 O
匂いがムンムン
39 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 18:17:02 0
>>22 だから彼がいいたいのは民主主義そのものが洗脳という事でしょ
おまえ自身が洗脳されててどうすんだ?
40 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 19:05:44 O
そもそも、王制だった古代ギリシャのポリスに何故民主制が誕生したのかが分かれば、答えはある程度見えてくんじゃないの?
都市国家って帝国みたいな領域国家に比べて権力の集中が起こりにくいよね。
そんで、交易主体の都市国家は専制を嫌う傾向があるよね。
ギリシャの王はオリエントと違って貴族より特別大きな力を持っているわけではなかった
民主制は大河がある広大で豊かな土地より、やせた石ころだらけの土地のほうが
むいているのか?
やせた土地で地形が険しく、人々が政治的に一体化しにくいが、
経済的に自給が出来ないため経済・文化的には交流が盛んにならざるを得ない
土地で民主主義は機能した。
44 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 23:39:49 0
ミケーネ時代は強大な王権があった。
暗黒時代を経ると、王と言ってもそういう「王」になっていた。
立憲君主制≧象徴君主制>共和制≧専制君主制>独裁政治>共和制(衆愚)
独裁はトップが優秀で周囲に聞く耳を持ってさえいれば
政治がスムーズに行われるし、一番いいんじゃないの
民主共和制は緊急時には最も貧弱で、脆い政体。
現代人が嫌っている君主制は、イコール独裁政治、イコール寡占社会ではない。
ここの所が理解できないと、共和制崇拝の楔からはなかなか脱却できない。
民主主義が一番マシだと説いたチャーチルも、ドイツが立憲君主制ならば戦争はなかったと言ったように、
共和制の網の目を潜ってドイツを支配したのがヒトラーであり、
共和制によってヒトラーは常に守られていたと言える。選んだのは他ならぬ国民だから誰も責めれない。
もし日本で天皇制を廃止したらどうなるかね。
皇室が京都にお帰りになられて江戸以前の状態に戻るだけ。
お祈りや五穀奉納とかを司る祭祀長として日本の安寧を願う地位に戻るだけ。
まあ廃止のしかたにもよるな。
皇族皆殺し、天皇陵、伊勢神宮をはじめとする神社、
東大寺を始めとする天皇により建立された寺院そのほかの建造物は、
全て完全に破壊して更地にして塩を撒き、
全ての記録文書から天皇および皇族の記述を削除する、ぐらいまで徹底してやれば・・・
・・・数年を経ずして日本社会は虚無主義に陥るだろう。
>>50 ご落胤や旧皇族のどなたかが第二第三の継体天皇として混乱を終結するだけ。
また、「皇族」と一概に言っても平氏や源氏も皇族の一員なわけで。
親皇を宣言した平将門も、皇位収奪を目論んだ足利義満ですら皇室の分家だしな。
彼らのしたことは単なるお家騒動にすぎず、易姓革命ではない。
結局のところ日本は天皇を戴かないと正当性がなくなる社会。
古代の天皇は天皇なしで日本が成り立たないように日本を作った。
官位や肩書き、大義名分を権力者に譲渡するこのシステムは本当に凄い。
強かと言うか気の遠くなる作業と言うか…。
極論言えば、皇室がいなくなるときは、即ち日本人が地球上から抹消される事に等しい。
ご落胤や旧皇族なんてそれこそ一般の市民生活に溶け込んでて判別不可能だし。
それに自覚の無い人間も含めると相当な数に上る。
>>51 >ご落胤や旧皇族のどなたかが第二第三の継体天皇として混乱を終結するだけ。
まあ、歴史の世界ではそれが定石だけど、リアリティが無いなあ。
そういうのが出てくるのは、その地位自体に魅力がある場合だけでしょ。
いまの天皇の地位にどういう魅力があるの。
>>27 ギリシャ・ローマの議会制の影響はあるが
イギリスの議会やドイツの領邦議会の直接の起源はゲルマンのシング(thing)だよ
もともと議会の起源は部族集会だし
それとイタリアやスペインでもゲルマンの侵入で
ギリシャ・ローマ的体制が一度崩壊してゲルマン的制度も導入されてるから
古典古代からそのままというわけでもない
ただギリシャ・ローマが模範になったのは常識だけど
起源となるともっと複雑だよね
ヨーロッパの場合分権的傾向が強いから議会が残ったんじゃないの
日本も中国やアラブ社会に比べれば分権的傾向が強いから
実質的には寡頭制みたいなもんだったけど
54 :
世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:42:19 0
Freedomの概念の違い
ttp://geopoli.exblog.jp/6640979/ さて、昨日のことですが、イギリス人の元クラスメートたちと一緒に映画
「300」を観てきました。
(中略)
で、この映画を見た後に元クラスメートたちと話になったのが、やはりこれは
「freedom」という概念の捉え方によって、見る人の受け取り方が違うんじゃないか、
ということ。
これについては一昨日のコースのミーティングにおいても話題になったのですが、
とにかくアメリカ人にとっては「freedom」というのは絶対的に追求しなければ
ならない概念。
ところがわれわれのようなアジア人やヨーロッパ、そしてイギリス人でも、
「ちょっとそこまでは絶対的ではないよなー」という感覚があります。
ひとつの説明としてできるのは、アメリカ人は政府が悪で、そのパワーからの
脱却したい、という感覚がこの言葉にこめられているのに対し、我々は「自由は
いいけど、それよりも政府は我々の生活向上の役割を果たしている」という
感覚を持っているからではないでしょうか。映画の後の議論でもそういう話に
なりました。
56 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 01:32:34 0
>>34 北欧といっても個人主義なのはデンマークの影響が強い地域で
フィンランドなんかは集団主義。
バイキングが集団主義でバイキングに襲われてた連中が個人主義ということは・・・?
フィンランドじゃないけどフィン系のエストニア人はヴァイキングに襲われることもあったが
逆にスヴェア王国(後のスウェーデン)の中枢まで船団を組んで襲撃したりしている。
あとスラヴ系の海賊なんかもいたりしたらしいね。
首長の座を決めるのが世襲制か実力主義か、この点は見逃せない。
つまり比較的穏やかな状況で王の血筋という権威に対して民が無条件に
ひれ伏すのか、それとも血筋だけじゃ他民族の侵略に遭ったら滅びてしまう
から実力を重視するか。
実力主義なら多数の候補が競合し腕を磨き頭角をあらわす場として議会は
不可欠。
世襲制なら基本的に議会は不要で顧問とか補佐とかが不可欠。
ヴィーキングは実力主義、アジアの王朝は世襲。
どう?
>>29 戦国時代の最後の勝者が徳川だったので、日本の近代が訪れるのが200年遅れた。
「民主制の王朝」ってところがどうにも据わりの悪いものだな
63 :
世界@名無史さん:2007/06/02(土) 17:35:31 0
スレ主は民主政と共和政を混同しているが、それを気にせずレスをつけているみなさまって一体・・・
64 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 06:29:44 0
民主制と民主政治を混同しているが、それを気にせずレスをつけている1様っていったい・・・
65 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 06:30:26 0
1様じゃなくて63様
66 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 09:55:44 0
屁理屈はよし子さん
人間誰しも間違いを冒します。
周囲の者はそれを温かい眼差しで見て、意味不明の言葉は心の目でその意味する
ところを汲んであげましょう。
「民主制の王朝」が意味するものはなんなのか?
皆さんならきっと理解できるはずです。私はそう信じています。
68 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 13:28:17 O
「民主制の王朝」=「朝鮮民主主義人民共和国」=「金王朝」
という図式なのかと想像しちゃった。
この図式が正解なら、このスレの意味って・・・
ビザンツ帝国の官職で皇帝の即位の際に歓呼する「デーモス(民衆)」のようなものを作ればいいんじゃないか?
民主制の王朝っていうのは立憲君主政体の民主主義国のことか?
71 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 15:47:38 0
「民主制の王朝」って何だ?
72 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 15:48:17 0
「独裁制の民主主義国家」って言ってるのと同じ
>>2-3 堺や国一揆の場合、支配権力の承認や指示と無関係ではありませんでしたからね。
所詮は国内での一自治体(という表現も問題がありますが)レベルの自治。
武力行動すら、管領や守護の意向と無縁ではなかった。
ただ、中国や朝鮮半島と比べると、封建制ゆえに地域や階層ごとの独立性が強く、
「中韓以上欧州未満」の自治の意識はあった(説明割愛)ために、各階層の近代化
に際しての対応が迅速に行われたという説はあります。
>>49 >お祈りや五穀奉納とかを司る祭祀長として
前近代からの天皇家の祭祀的権威としての存在については、「根拠のない俗説」
とする説明があります。寧ろ近世の国学者の主張が近代に実現されている。
>>50 >東大寺を始めとする天皇により建立された寺院
目のつけどころがいいですが、官寺の祭祀を中世の武家のように氏神の神前
での読経等の祭祀に結び付けて行えばよいのでは。
もっとも、現代の『延喜式』所載の神社や旧官寺にそこまでの権威=破壊さ
れるだけの価値が認められているのかは疑問ですが。
>>51 >新皇を宣言した平将門も、
これも関東のみを既成のシステムの下に支配しようとしていたのであり、朝
廷そのものを倒す構想はありませんでしたね。
>皇位収奪を目論んだ足利義満ですら
今谷明先生と小和田哲夫先生の御本は、参照されない方がよろしいですよ。
簒奪云々は、今谷先生の説ですが、肯定意見はほとんどありません。
てか歴史上や思想云々よりも機能的な考察の方が面白い訳だが。
組織から受けるメリット>組織を運営するコスト、で集団内の個人の最大利益に適えば成立するんでしょ。
中央集権的組織ってのは主に外敵から身を守る為に必要な訳で、村毎の枠内で見れば共同体的な権力の分散はあり得る。
そもそも、民主制自体は個々人が政治に対して一定の能力を要求する、コストの高い政治形態だから、一般的な手法ではない。
本来は分業した方が能率的なんだから。
また、アテネや欧州の例では個人を基本とした選挙制度で、これを現在の国家も引き継いでるけど、別にこれが唯一正しいという訳ではない。
家を基盤として家ごとの選挙制度にしたって一向に構わない訳だし。
>>74 政治に参加する意欲は自発的に学ぶ意欲をもたらしますから、一概に
コストが上がるとは断言できません。むしろ意欲を否定された個人の精神的な
負の衝動が社会的なコストを高める方向へ働くことも多々あります。
あと、民主制だって貴族政や王政と同様、分業ですよね?
政治に参加する意欲がある人が参加すればいいという分業体制。
それが不必要な社会的摩擦を生じさせない能率的なあり方とする結論に、
歴史的な経験を踏まえて、各国の人々は到達したのでは?
どうして?
78 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 17:50:47 0
>>64 「民主制」と「民主政治」って、何か違いがあるの?
専制的とされるモンゴル帝国だが、形式的には従属していたロシア諸侯も
モンゴルの総会であるクリルタイへの参加が認められていた。
一方で西欧の民主的とされるイギリスの議会には有色人種や非キリスト教徒は全く参加できなかった。
>>78 79のレスが、民主制と民主政治を混同したレスの一例です。
81 :
世界@名無史さん:2007/06/05(火) 20:46:14 0
>>53 >イギリスの議会やドイツの領邦議会の直接の起源はゲルマンのシング(thing)だよ
ポーランドやハンガリーの身分制議会の起源は?
スラヴ人やマジャール人の部族集会?
民主主義は人種的宗教的連帯感を元にした集団であり、
基本的に他宗教に不寛容であり、他民族を排斥したり人種戦争を引き起こす傾向がある。
>>82 だから、国内においては、民主主義に歯止めをかけるための自由主義が必要。
民主主義だけでは、全体主義に陥りがち。
国外に対しては・・・
そもそも民主主義は、相容れない他者との住み分けが前提の、
中規模の国家に適した形態なのかもね。
帝国と民主主義の相性は、あまりよくないのかも。
84 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 18:32:19 0
なぜエコエコアザラクで民主制の王朝ができなかったのか?
86 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 22:04:36 0
極東では、儒家が諸子百家のチャンピンになったのが痛いな
戦国中期まで墨家の方が優勢だったのに。
墨家が漢の国教になっていたら極東史は全然変わっていただろ。
88 :
世界@名無史さん:2007/06/13(水) 07:03:50 0
89 :
世界@名無史さん:2007/06/13(水) 07:41:14 0
90 :
世界@名無史さん:2007/06/13(水) 09:13:41 0
そのかわり中華人民共和国が二千年前にできていたかも。
中国人の、宗族というか血縁の者しか信用しないという考え方をなんとか
するほうが先かも。
中国人を地上から消し去ってから考えることにしよう
ひとり10人以上殺さないと無理だな
94 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 05:33:48 O
ギリシャの民主制は奴隷制を抜きにしては考えられないんじゃね
95 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 07:47:26 0
>>92 >>93 少なくとも彼らは核ミサイルを持っていて、少なからぬ数が
日本国土を標的としているわけだが、そこを何とかする事から
考えないとな
96 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 12:06:55 0
欧州の文明の源流はオリエント、
既に優れた政治制度、法律、経済制度、学校制度、建築技術等を有していた。
対して中華文明の源流は殷。
彼らは遊牧民、山賊の集団、常食肉に人肉も含まれていた。
文明国ではなくて、野蛮人の大国。 差は歴然
>>1 なぜ民主制の王朝が出来なかったかだって?
牛から落馬するのが難しかったからだよ。
中国王朝って何で封建制にならなかったの?
不思議。普通広いほうが統率が難しいから絶対王政ではなく封建制になると思う。
日本は何でせまいのに絶対王制ではなく封建制になったの?
歴史のプロなら分かるだろ?
教えて。
99 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 15:32:12 0
シナの東半分は平坦な平野部、境界線が河ぐらいしかない。
日本の平野部は、山と海に囲まれた小さな島みたいなもん。境界ばかりだ
あんだけ広い土地をまとめるのと
異民族の侵入が頻繁だから
強力な中央政府ができたんだろうな
アッシリアが強権的な軍事国家になったのは北方のイラン系遊牧民勢力の台頭への対抗という兼ね合いがあるように、
秦の専制的な軍事力による強権国家の成立も北方に遊牧民勢力が台頭してきたことへの対抗の意味が大きい。
102 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 21:12:36 0
封建制の成立要件
税や法などを独立して制定し執行できる地方組織の存在と、それを束ねる上位組織
の存在、そしてその両者の力関係のバランスが重要
上位組織の力が強すぎれば、古典的な王朝制に戻ってしまうという
ただし、地方の冨の蓄積や経済の隆盛が充分な域にあれば、上位組織の優位が近世西欧の
絶対王政や国民国家のようなものを形成可能にする
>>98 >中国王朝って何で封建制にならなかったの?
寝言は寝てから、な?
「封建制」って言葉、もう一度よく調べてから、な?
そういう意味じゃないだろ
封建制の語源は中国からきてるけど
西洋や日本の中世の封建制とは全く違うものだ
西洋や日本の封建制は底辺からトップまで数珠繋ぎになってる親分子分の契約関係だけど
中国の封建制は宗族社会いわゆる血縁社会で
単に地方政権が乱立してたってだけで
社会システムはイスラムや古代ローマつい最近までの中国と同じ
>>103 封建領主とかがいる体制でしょ。
封土を与え諸侯を建てる。
中国は封建制か?
日本の封建時代だって、源朝臣ナニガシだの藤原朝臣ナニガシだの言っていて、
足川将軍家が絶えれば古河公方家だの三河吉良家だのが継ぐだとか、
徳川将軍家が絶えれば御三家なり御三卿なり甲州松平なりが継ぐだとか、
いう血縁氏族社会じゃんよ。
日本と西洋の封建社会の特徴はね
血縁社会が存在しながらそれと異なる主従関係のヒエラルキーが両立したということなんだ
必ずしも血縁関係が最優先されたわけではない
そこが氏族とか部族とか宗族とかいろいろな言い方があるが
それらを中心とした血縁社会との大きな違い
イスラムや中国などは血縁中心の社会
ローマもゲンス(氏族)中心の社会
つまりゲンスが一つの組織としてそれが無数に集まって一つの社会を形成してたわけ
ところが日本は、血縁でなく土地を媒介とした主従関係からなる家臣団という組織が
無数に集まってヒエラルキー(階層社会)を形成した
だから主従関係によって親兄弟、親族が敵味方になるのはよくあること
もちろん血縁は封建社会の時代でも重要だったけど
とにかく基本は土地を媒介とした主従関係というのがミソ
そしてそれが農民から将軍に至るまで何十段もの主従関係があり
そういったことに血縁関係も作用はするが
血縁単位で動く氏族社会とは違うというのが封建社会
これでもわからなかったら専門書読んでくれ
>>109 > イスラムや中国などは血縁中心の社会
> ローマもゲンス(氏族)中心の社会
> つまりゲンスが一つの組織としてそれが無数に集まって一つの社会を形成してたわけ
> ところが日本は、血縁でなく土地を媒介とした主従関係からなる家臣団という組織が
> 無数に集まってヒエラルキー(階層社会)を形成した
> だから主従関係によって親兄弟、親族が敵味方になるのはよくあること
で、考よりも忠になって、契約社会になって、
家族より会社でエコノミックアニマルですかね。
>>110 鋭いね
西洋の封建社会だと主君を複数持てるから
それこそ契約関係が錯綜してとてもビジネスライク
どの主君にどの程度奉仕するかとか
主君同士が戦った場合の取り決めなど細かに規定されてた
君臣関係が流動的だから
今でいう転職やヘッドハンティングみたいなのもあって
かなりドライな人間関係
ほんとに現代の西洋の会社によく似てるよ
日本の場合は基本的に一人一主君で忠を重んじて
会社に一生捧げる人が多かったけど
最近は転職も普通になり忠も随分薄まってきた
西洋化、グローバル化の進行ってところかな
>>111 日本の封建制で「忠臣は二君にまみえず」みたいなことが強調されるように
なったのは江戸時代に入ってからで、中世はけっこう二人の主君を持った例がある。
それと西洋でもオマージュを二人の主君に捧げることを禁止する法令が出ているが
あまり守られなかった。
西洋化・グローバル化の進行+近世以前の状態への逆戻りといったほうが
いいかもしれない。
西洋の場合、主君を30数人も持ってるような例もあって
だいたい5,6人のの主君を持つのが普通だった
二人というレベルではないな
やはり日本の方が鎌倉時代からしてより忠を重んじる傾向はあると思う
けど江戸時代以前に主君を複数もてたってのは
日本史うといんで知らなかったな
確かに南北朝時代なんてかなり実利的だしね
5,6人は言い過ぎで2〜4人が普通だったみたい
記録によるとあるドイツ貴族は43人の主君をもっていた
ここまでくるとマニアだな
戦争になったらどうすんねん。
法制史関連の本を読むと、「決闘裁判に代表される自力救済の西洋、大岡裁きの日本」
なんて書いてあったりするけど、実は戦国時代には日本でも自力救済が一般的だったらしい。
>>116 自力救済ではたまらんからなんとかしろっていう、領民や家臣のニーズに答えて、
幕府を見切って独立した司法権を備えたのが、戦国大名じゃないの?
>>117 喧嘩両成敗法もこの時期にできた法律だな。
東洋人は農耕民族で血縁主義、集団主義だから