1 :
スレ長代理:
マンネリパターンを続けましょう。
北伐のクライマックスは長沙から武漢三鎮攻略戦だった。
総指揮は第八軍の唐生智、
第四軍
軍長:李濟深
副軍長:陳可ト
參謀長:ケ演達
政治部主任:麥朝樞
第十師
師長:陳銘樞
副師長:蔣光鼐
下轄二(十八團蔡廷鍇)、二十九團(孫繩)、三十團(戴戟)
第十一師
師長:陳濟棠
副師長:徐景唐
下轄三十一團(余漢謀)、三十二團(香翰屏)、三十三團(黄鎮球)
第十二師
師長:張發奎
副師長:朱暉日
下轄三十四團(許志銳)、三十五團(缪培南)、三十六團黃h翔
獨立團(二十四團)
團長:葉挺
第7軍
汀泗橋、賀勝橋の作戦が最激戦だったがここで鉄軍と呼ばれるようになった
第四軍が活躍した。唐生智はここは避け回り道で、漢陽、漢口を落とし、
結局、武昌は落ちず、兵糧攻めにした。
郭沫若はケ演達の部下で副政治委員だった。
郭沫若著「北伐途次」河出書房新社、1971、現代中国文学
著者は政治委員だから、作戦そのものには参加していないので
あまり参考にならない。
3 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 12:26:52 0
しかし、前スレのURLもないとわ。
モバク氏亡き後は、誰かの読書感想文スレと化してたから無理もないのか。
あれはあれで永山則夫チックで好きだったが。
5 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 09:06:24 0
>4
すいません。
新しいのを使い始めたらコピの仕方がまだ解らないのです。(A bone)
どなたか貼り付けてくださるとありがたいです。
6 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 10:51:47 0
ケ演達って第四軍参謀長だったのか
後で福建事変に関係するよね
ケ演達は1931年に銃殺されています。
福建事変は1933年ですから他の人たちですね。
「初期中国共産党群像、1,2」トロツキスト鄭超麟回想録、東洋文庫、2003年
じっくりよんだのは2巻だけ。1巻は流し読み。同じ話が何回も出てくる。
フランスにケ小平などと留学。選抜されてロシアに留学。陳独秀のグループに
入るが、第1次国共分裂後投獄され、改革開放後出獄。
理論派トロッキストだ。著者としては一生をかけた自分の主義がスターリン批判も
あり正しかったと主張したいのであろう。更に陳独秀が入獄後転向したとの説に
対し、一緒の入獄していた者として、最後までトロッキズムに共感していたと
証言している。左翼の常として少数派になったトロッキストが更に分裂し抗争
している。
9 :
世界@名無史さん:2007/02/09(金) 23:25:19 0
郭沫若著「抗日戦回想録」河出書房新社、現代中国文学、1971年
郭沫若自伝の最後に収められたものだ。1948年に香港で新聞に連載。
1937年上海陥から、38年末の武漢陥落、重慶移転直前くらいまで。
日中戦開始で日本人の妻子を放り出して帰国。じきに若い女と再婚。
国共合作時期で陳誠の部下として蒋介石にもかわいがられながら
反日の文章などを書き、後方で幹部たちに囲まれ贅沢に暮らしていた。
終戦になり、国共内戦。郭沫若も中共の立場をはっきりさせ、文中では
蒋介石を罵倒して自分の立場を弁解している。
あの日本人妻は終戦後渡中したが、郭沫若は会ってもくれなかった。
郭沫若は更に検討したい。
10 :
世界@名無史さん:2007/02/10(土) 01:27:26 0
>>7 連合通信に福建事変が起こることをリークした
胡鄂公がケ演達の信奉者だったんじゃないかな。
伊藤武雄は胡は黄興の影響を受けていたとか
李宗仁派だとか言ってるけど。
そのレベルになると知識が追いつきません。
郭沫若は鄭演達の部下でもどうもソリが合わないらしくゴタゴタしてるようでした。
鄭演達はマルキシジムに共感する部分と反対する部分があるらしく、郭沫若は
書いてました。
福建事変はそのうち勉強します。
というか、このスレ、ホンマもんの華僑の人とかいないのかな。
1966年文革時、郭沫若は
「今日の基準でいえば、私が以前書いてきたものはいささかの価値もない。
すべて焼き尽くすできだ」と発言。巴金や趙樹理などの誇り高く死んでいった
人たちと好対照。
堀田善衛全集12、p184、
ベトナム支援AA会議の席上、郭沫若はベトナム代表が反対するのにかかわらず
「むきだしのソ連非難決議案を主張」して嫌がられた。
北伐で活躍した第4軍はその後張発奎率いる第2方面軍(4,11,20軍)となる。
国共分裂で、共産党系が抜け、第4軍は半分以下になる。残留した蔡廷カイは
南昌蜂起鎮圧などに活躍、その功績で第19路軍長になる。
この第19路軍が第1次上海事変で活躍し日本軍を苦しめる。
この部隊が日本に対し好戦的なのを警戒した蒋介石はこの部隊を福建省に
移動させる。
ジェームズ・R・ハンズ著「チャイナ・ハンズ」元駐中米国大使の回想、1916−1991、
草思社、2006年3月、
天安門事件の大混乱をクライマックスにCIA勤務を経て大使になっていく。
私には若い時の話が興味深かった。名門高校からエール大学へレールが敷かれたように
進学していく。大学でブッシュ親子で有名なボーンなんとかクラブに所属する。
中国の研究はハーバードはフェアバンクなどのサヨが支配し、エールは保守系の学者の
ようだ。エール大学の中にCIAのスカウトがいて優秀な学生を勧誘していく。MI6と
オクスフォードの関係ダ。キシンジャーの米中若いで北京に赴任するパパブッシュの
部下になる。ブッシュがCIA長官から大統領になり、その引きで出世していく。
周偉嘉著「中国革命と第三党」慶応義塾大学出版会、1998年
1927年第1次国共分裂当時の武漢国民党政府で汪精衛は共産党を
切り離しに踏み切った。これを脱した人たちに内、譚平山は中共を
解体した上で共産主義の政党を作ろうと?中華革命党を作った。
登園達は国民党をマルクス主義をベースに改組しようと第三党を
作り人数を増やした蒋介石に殺される。
1930年汪精衛は馮玉祥等と北平国民政府をつくろうとして失敗。
1933年第三党は福建省に移動してきた第19路軍と結び
「中華共和国人民政府」を打ち立てたが路線が統一できず崩壊した。
もともと各々の人たちの思想もあいまいな所もあり、充分に理解
できたと思わないが非常に勉強になった。
慶応に来てる中国人はみんなすごい。
巴金「月夜」白水社、1992年
ネットで見つけて取り寄せたらなんと中国語の教材だった。
本文は23pで短い。初めて中文を終わりまで読んだ。
解ったのか解らないのか解らない。
舞台は広州の田舎。公共交通機関は舟。月夜の光景描写が美しいのは感じた。
なかなか来ない夫にしびれを切らした妻子が迎えに行くと、匪賊に通じたと
取調べを受けた夫の死体が池に浮いている。
悲惨な死体と美しい夜景の対比がポイントかとも思ったが自信ない。
匪賊は赤匪なのだろうか?巴金と赤の関係は知らない。
19 :
世界@名無史さん:2007/02/18(日) 17:46:36 0
郭沫若著「屈原」岩波文庫、1955年
古代の話なので取り上げなかったがどうも関係ありそうかと採用した。
合従連衡の戦国時代、楚の国、湖北省?。秦に対抗する国の中で
楚と斉が大きいようだ。秦は楚と斉の連合を切り崩そうとする。屈原は
楚斉連合論者の詩人でもある楚の宰相格。秦の策略にのった楚の王は
屈原を降格し楚は滅びる。
詩人でもある者(郭沫若)の日本をもっと攻めろという提言を退ける蒋介石。
という意味なのだろうか?中国人なら誰でも知っている話なのだろうから、
今さらの題材なのだろう。
20 :
世界@名無史さん:2007/02/18(日) 23:44:48 0
平野正著「中国革命と中間路線問題」研文出版、2000年
日本との戦いに終わりの気配が見えてくると、戦後の体制として
中共以外に、訓政を根拠とする蒋介石の独裁に反対する動きが
でてくる。知識人を主体とする上海の譚平山、陳銘枢、柳亜子
などの「三民主義同志連合会」。旧十九路軍を幹部とする
李済深、蔡廷?などの「国民党民主促進会」があった。
国共内戦においては中国国民党革命委員会内部に反蒋介石派が
でき、これが国府軍を内部崩壊させた。
反独裁、民主主義を主張して蒋介石に反対したが、中共が独裁的で
あるのか、民主主義的であるのかにはアイマイに妥協した。これらの
動きが政治協商会議に誘導されていく。
中共も最初は民族資本化に甘いエサで引き込んでいった。
以下私見。
孫文の国共合作、北伐による統一などは中国人の内発的な動き
ではなく、ロシア共産党の援助で行われた。ここに結局無理がある。
国府軍人も士官学校の内部から洗脳されている。
蒋介石批私利私欲によるものと、共産党の扇動によるものだ。
明治維新も起こせないし、福沢諭吉も現れない。
21 :
世界@名無史さん:2007/02/23(金) 17:39:01 0
松田康博著「台湾における一党独裁体制の成立」慶応義塾大学出版会、2006年12月
図書館のお姉さんの話ではこの本は現在とても人気があるそうだ。売れているかどうかは
知らない。本屋のお姉さんじゃないので。
台湾に渡った蒋介石は策略をこらして権力基盤を確立する。朝鮮戦争という幸運にも
恵まれる。
何はともあれ、蒋介石は孫文のいう、訓政期から自由選挙のある民主政治に持ち込む
ことに成功する。孫文を共に国父とする体制で、孫文主義からいえば三民主義の理想に
先行した。
慶応は時勢にあった研究書を出すのがうまい。
age
(李根源、りこんげん、Li Genyuan,1879-1965)
雲南省の生まれ
1909年、日本の士官学校卒業後、雲南に戻り、新軍に参加。
11年、辛亥革命では蔡鍔、唐継尭と活躍。
13年、国会議員に。
第2革命に参加し、完敗。日本に亡命。
早稲田大学に入学。
日本において熊克武、章士サと欧事研究会を組織。
これが「政学系」の起源になる。
15年、反帝政運動で帰国。
16年、復活した国会で「政学会」を組織。
17年、孫文の軍政府に参加。広西派と李根源は結び勢力を持つ。
20年、軍部の勢力争いから失脚。
22年、黎元洪の要請で北京政府に参加。
23年、黎元洪の失脚で引退。
日中戦争が始まると軍事委員会参議官。
新中国に参加。
政治協商委員。
色々新しい動きがあると参加している。復古派ではないが動きが活発ではある。
有能だから、いろいろ誘いがあるのだろう。
1965年死亡、というと死因は例の三角帽&ガルウィング?
86歳だから自然死かもしれないが。
(張群、ちょうぐん、Zhang Qun,1889-1990)
1908年、保定軍学校卒業後、東京で同盟会に入会。
11年、辛亥革命に蒋介石と一時帰国。
17年、日本の陸軍士官学校卒業。
26年、北伐に参加。
29年、上海市長。国民党中央執行委員。
33年、湖北省主席。
36年から37年まで外交部長。
37年から軍事委員会秘書長。
46年、マーシャル元帥の調停で周恩来と停戦協定。
50年、国民党中央評議会委員。
元来の名前の文字は羊の上に君が付く変な文字だ。
(楊永泰、ようえいたい、yang2yong3tai4,1880-1936)
広東省の生まれ、字は畼卿、
1897年、旧式の正統教育後秀才に合格。
1901年、正規の西洋式教育に転じ、北京法政専門学校卒業。
広東で「広東報」記者、編集、名文家として鳴らす。
1912年、中華民国成立後、臨時衆議院議員
国民党参加。
14年、黄興などと「欧事研究会」を組織、
これが後の「政学系」になる。
18年、広東省省長。
31年、蒋介石の国民政府軍委員会秘書長
35年、湖北省省長
36年、漢口で暗殺される。犯人はCC系と言われる。
楊永泰は重要人物であるが日本語の資料が見つからない。
政学系が北洋政府などで、親欧米派ということはわかるが、国民政府で
どのような方向を目指していたのか解らず更に検討したい。CC系との
方向の違いがポイントだろう。
(岑春煊、しんしゅんけん、Cen Chunxuan,1861-1932)
広西省の生まれ、挙人。
1900年、義和団事件で8ヶ国軍の北京侵入警護で西太后の信任。
これで袁世凱嫌われ策略せ失脚。
13年、第2革命で倒袁大元帥となり亡命。
15年、第三革命で帰国。
16年、梁啓超とはかり、日本において章士サなどと反袁世凱の
借款に成功。
17年、段祺瑞が臨時約法を廃止、旧国会の取り消しをしたのに
抗議。孫文は広州に非常国会をつくる。
18年、広西軍閥の陸栄廷は孫文を大元帥からおろし、7名の
合議制。岑春煊は総裁に。
馮国璋と結び章士サ、岑春煊などで南北和平会談を図るが失敗。
20年、陳炯明により軍政府は解散。
以後岑春煊は上海で楊永泰、李根源などの政学系と接触。
章士サ 欧事研究会拾遺 中国人民政治協商会議全国委員会文史資料研究委員会編
『文史資料選輯』第二十四輯・中国文史出版社
華覚明 進歩党和研究系
(附:関于進歩党史料的補充) 中国人民政治協商会議全国委員会文史資料研究委員会編
『文史資料選輯』第十三輯・中国文史出版社
李書源 研究系述略 『吉林大学社会科学学報』1991年第3期
大学の図書館にはこんな本があるのだろうか?
どなたか日本語の解説をだしてほしい。
スレの流れぶった切って申し訳ないが、
このスレ的には『闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」』はどうなの?
* 「進歩党」是一九一三年梁啓超、湯化竜等組織的政党,
当時它在政治上依附当権的袁世凱,曾経組織内閣。
一九一六年,進歩党演変為“研究系”,又依附当権的段祺瑞,
在一九一七年参加了段祺瑞組織的内閣。
* 「政学系」原是対一九一六年由一部分国民党右翼分子及進歩党分子組成的官僚政客集団ー政学会的通称。
在北洋軍閥統治時期,它勾結南北軍閥,反孫中山。
一九二七年南京国民党政府成立前后,該系一部分成員先后投靠蒋介石,
帮助蒋介石建立和維持反革命統治,
又成為国民党内的派系之一,其主要成員有黄郛、楊永泰、張群、熊式輝等。
>29
読んだわけじゃないんですが、大部分日本の話のようですね。
32 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 22:23:34 0
郭沫若著「創造十年、続創造十年」岩波文庫、1960年
1918−1923年と1924−1926年の著者の生活だが、
これが平凡社の自伝の一部かどうか知らない。
日本と行ったり来たりしながら九大の医学部を卒業し、上海で
仲間と創造社をつくり、魯迅などと論争する。詩人としては一定の
評価を受けていたようだ。魯迅との論争はこれが中国人の論争かと
思わせる、揚げ足の取り合いのくだらないものである。読んでいて
途中からこれがあの論争かと気付いたがあきれるような論争だ。
「屈原」などの戯曲はやはり登場人物の発言は自分の当時の主張
だったと自白でなくて、告白している。
郭沫若は後に自分の書いたものは価値がないと、言っているが
自分の実感として自覚があるのだろう。
ただし、自分の生活の記録、自伝などはとても面白い。
アジビラのようなものを書かせると独壇場の上手さがあったようだ。
耳が悪く聴診器が使えないので医者を辞めたといっているが、会話に
不自由はないようだし、内科以外の医者なら成れた。やはり魯迅などと
同じで文学に興味があったのだろう。
28殿。『文史資料選輯』は東京外語大の図書館にあったと思う。
ひと頃は東方書店や内山書店でまとめて売っていたが、今あるかどうか。
『吉林大学社会科学学報』はねえ……、東洋文庫になかったら日本では入手困難。
吉林大学に手紙出して、バックナンバーを売ってもらうしかないかも。改革開放下の現在、
全く無視されることはないと思うけど……。
東方書店の2階にそんな宝物があったとは知りませんでした。
中国人、あいかわらず頑張ってるなw
読んでもよく分からんがどのレスが中国人?
いや、いいんだよ、中国人だって・・・。
隠すのが良くないんだよ・・・。
長文貼り付け、毎回ご苦労さん。
ああなるほど、長文の人か。
自分にはその辺の見分け方がよく分からないが・・・
33は日本人です。書いた本人が言っているから間違いない。
私のささやかな経験をちょっと書いておく。
『八・一五前後的中国政局』(東北師範大学出版社)という本がどうしても見つからないので
思い余って同出版社に手紙を出した。すると驚いたことに一週間ほどで返事が来て、
「うん、この本は書店では売っていないし、在庫ももうないんだ。ごめんね」(意訳)
とのこと。すばやい対応に私は感心し、中国も変わったものだと実感した(私は1987年から1年半、
武漢大学に留学していたことがある。その頃はひどかった。何がひどいって? そりゃ何もかもさ。
中国の方ごめんなさい)。なお、その本は東洋文庫にあった。こんな今風の本が東洋文庫にあるとは
思ってもみなかった。灯台下暗しとはこのことだ。1996年のことである。
わたしはPC初心者なのでよく分からないが、吉林大学とメール交換できないのだろうか。
>>39 いや、いいんだよ、別に日本人でも。
前後と何の脈絡もない、人物年表や本の紹介を
延々と自慰行為の様に繰り返してるからさぁ。
まるで行動が中国人だろ・・・。
そんなことしなくったって、お前さんが立てた
この良スレは沈まないぜ・・・。
私は33,39とこの文章しかこのスレでは書き込んでいません。
>>41 なら、いいんじゃね?
別にあなたに言ったわけでもないのに、弁明してるからさあ。
43 :
1:2007/03/08(木) 10:10:25 0
>40
ご不満でしょうが、
「前後と何の脈絡もない、人物年表や本の紹介を繰り返してる」
その目的のためにこのスレを立てたものであしからず。
>33
サジェスチョンありがとうございます。
実はあの3つの文献を見つけた出所は武漢大学に留学している方の
サイトから拝借したものです。ご本人でしたら失礼しました。
だらだらと、のんびりやりましょう。
>>43 横からスマンが、
>その目的のためにこのスレを立てたものであしからず。
そんな訳ないだろ。スレ私物化乙。
軍閥スレは面白かったのになぁ
人稲杉
うんうん。傀儡と軍閥は良かった。
次スレからは、中華民国総合でいいんじゃね。
んで、日中戦争勃発時の蒋介石直属の領土ってどんくらい?
浙江省を中心に5〜6省だと思うんだけど、
なぜか重慶遷都後もすんなりと支配しているんだよな。
1は中国人というより「モスクワ・ペテルブルクの歴史」と同じ奴じゃないのか
誰が中国人か日本人かなんて、そんなことどーでもいいじゃん。
ところでモバク氏はどこへ行ってしまったのだろう。
49 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 23:30:04 0
>>46のようなガチな質問がくると途端に元気がなくなる、
それがこのスレのクオリティーw
ageとくか。
50 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 23:32:30 0
それじゃ、あなたが答えてみれば? 口(筆か)じゃ何とでも言えるもんね。
>前後と何の脈絡もない、人物年表や本の紹介を
>延々と自慰行為の様に繰り返してるからさぁ。
>まるで行動が中国人だろ・・・。
同意。
>>50はさすが中国人。言うことが一味違うな。
52 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 02:59:17 0
「前後と何の脈絡もない、人物年表や本の紹介を
延々と自慰行為の様に繰り返しているからさぁ
まるで行動が中国人だろ…」
こんなことやる奴は、日本人にもいるだろ。なぜこの行動が「中国人」と
特定されるのか意味不明。
こんなくだらないところで威張っているよりは、意義のある論文や著作でも
書いてみるがいい。無能な日本人よ。
53 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 07:45:25 0
「前後と何の脈絡もない、人物年表や本の紹介を
延々と自慰行為の様に繰り返しているからさぁ
まるで行動が中国人だろ…」
こんなことやる奴は、日本人にもいるだろ。なぜこの行動が「中国人」と
特定されるのか意味不明。
こんなくだらないところで威張っているよりは、意義のある論文や著作でも
書いてみるがいい。無能な日本人よ。
54 :
1:2007/03/12(月) 15:05:36 0
1、ご不満に思われている点はまったくおっしゃる通りです。
一般のスレのような自由なスレになさる希望は当然ですので
そのようにご使用ください。
2、蒋介石の勢力の強い地盤については知識がありません。
彼の権力基盤は軍学校の師弟関係ですが、軍学校の生徒の
出身省は非常に偏っていてそれと関係あるかもしれません。
3、私は読んでいただけば解るように、ただのオタクですから
論文がどうのという立場にありません。
55 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 16:44:38 0
ごめん、言い過ぎた。1さん頑張ってこのスレを維持してください。
>>46 この場合重要なのは、領土ではなく軍隊。
蒋直系の軍は精強であり、軍閥から派生した個々の傍系軍よりも
質量とも優位。持久戦を戦う腹積もりから、領土死守よりも
兵力温存策の方により重点が置かれていた。
また、言うまでも無く、中華民国の「正式」な頭領は蒋であり、
威令はある程度強固であったし、何より軍委委員長などの役職や声望などで
がっちりと軍隊を掌握。
非常事態に置いて、蒋という人物をパージできるほど各軍閥の支持基盤が
安定しているものでもなかった。
「頭領」と記したけど、林森とかはなしの方向でお願い(笑
>>56-57 うほTHX。言われてみればそうですた。
怪しい動きを見せた大物軍閥は馮玉祥くらいかな。
見ろ。中国人だの、日本人だの、言っている間に誰も書き込む人がいなくなったじゃねーか。
19日のNHK「ラストメッセージ」見た? 岡崎嘉平太が主人公なのだけど、語られていない歴史が多くて
あきれてしまった。岡崎が初めて周恩来に会った1962年に「日本と中国が手を携えてアジアの平和を守りましょう」
なんて言っておる。1962年なら、大躍進政策の失敗で中国人が2000万人ぐらい餓死しているんですけど。
そういうことは周恩来はちっとも言わないのね。自国の国民はアジア人に入らないらしい。岡崎は中国を理解することこそ大事だ
と言っているのだけど、岡崎が知っているのは中共の指導者とその通訳ぐらいじゃないの。反右派闘争の犠牲者を知っていましたか。
文革で失脚した中国人を知っていましたか。岡崎は1989年の9月に死去しているのだけれども、天安門事件に何か言っていましたか。
自己の感情を思い入れたっぷりで中国にのめり込む。こういう感傷的な日本人を排除しない限り、対等な日中友好はないだろうね。
60 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 20:06:48 0
「前後と何の脈絡もない、人物年表や本の紹介を
延々と自慰行為の様に繰り返しているからさぁ
まるで行動が中国人だろ…」
こんなことやる奴は、日本人にもいるだろ。なぜこの行動が「中国人」と
特定されるのか意味不明。
こんなくだらないところで威張っているよりは、意義のある論文や著作でも
書いてみるがいい。無能な日本人よ。
今更そんな事を書き込むってのは、荒らしたいのかい。
>>59-60 何に怒っているのか良く分からんが、文革派に肩入れしようが、
「実権派」に肩入れしようが好きにすれば
いいんじゃないの?
餓死者の数だって南京と一緒で怪しいしなw
第一、大量の餓死者だって大躍進政策の失敗だけの原因ではないしな。
1960年代という当時の雰囲気や時代的制約もあるだろ。
まあ、俺は文革マンセー、「司令部を砲撃せよ」派だから現在の反文革派の流れを組む
体制はどちらかといえば趣味じゃないがw
それはさておき、毛の公式評価「功七分、誤三分」が妥当なところじゃないの?
清末〜民国時代の民衆の悲惨さは文革以上だぞw
63 :
62:2007/03/23(金) 10:00:06 0
助詞の使い方が少しおかしい所があるが、気にせんでくれw
マターリ行こうぜ。
64 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 17:11:58 0
「蒋介石秘録」読書中だけど、蒋介石個人の話に止まらず、
蒋時代までの民国の歴史的見解に立った、新中国成立までの
流れが書いてあって面白い。
15巻もあるけど、サクサク読めるし、写真や図が豊富、
真偽はともかく、その辺の学術的概説書よりも詳しい。
オススメっす。
65 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 23:47:36 0
中国人が一言のあいさつもなしに自慰スレ立てた件。
ホンマ仁義がないやっちゃな〜。
66 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 15:57:23 0
67 :
世界@名無史さん:2007/04/08(日) 12:36:14 O
あげ
スレの流れぶった切って申し訳ないが、
このスレ的には『もし、日本が中国に勝っていたら』(文春新書)(原題”如果日本戰勝了中國”趙無眠)はどうなの?
>>68 スマンが与太本臭いのでパスした。文春だし。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
>>68 30分で読める軽い本だよ。それだけに、読後に何も残らないが。
文春でパスする御仁だと、田島栄一の朝日新書とか絶対に読みそうにないな。
こっちは前半妙に悲壮感が漂っていて、面白かったが。
73 :
世界@名無史さん:2007/05/26(土) 00:40:50 0
>>72-73 乙
最近、張学良が共産党員だった説を耳にしたんだが本当なのかなあ。
>>74 どうなのでしょうね。西安事件の一件で結果的に共産党が延命したのは
事実ですが…。しかし張が共産党と関係を持つようになったのは蒋に
共産討伐の指令を受けて以降ですね。
張学良が蒋介石を監禁したのは、張の勢力と共産軍を戦い合わせて
両者の衰退を狙った蒋の意図に反駁したとも見えますし、
また、蒋よりも日本に対して警戒心が高く、日本に対抗するためには中国の総力を
結集しなければならないという信念があったからかもしれません。
本心は何れかにしても、張は最後まで国民党と共にいたことは事実ですから、
共産党と通じていたという可能性は高くないのではないですかね。
76 :
世界@名無史さん:2007/06/21(木) 12:12:20 0
>>74-75 それ、反中共陣営が流している怪情報でしょ。
張作霖爆殺事件をソ連筋の仕業としようとしていることと同一で
信憑性が薄い。
孫文批判を台湾独立派が盛んに流しているのも似たようなものか。
しっかし、孫文て辛亥革命以前においても何度も蜂起してんだよな。
あれだけ負け続けてもへこたれないし、本当にタフガイだな。
>>1はどこかに逃げてしまったが、「銃後の中国社会 ― 日中戦争下の総動員と農村 ―」は読んだのだろうか?
どうせ版元が岩波というだけで先入観から手に取りもしなかったと思うが、国府の募兵の内実などは日本人にはなかなか知ることができないので、興味深かった。
支那人には常識なのだろうが。。。(四川出身で四川料理店を台湾で開いている元兵士って、多いんだろな)
78 :
世界@名無史さん:2007/08/04(土) 18:43:09 O
張学良長生きしすぎ
79 :
世界@名無史さん:2007/08/04(土) 19:05:03 0
張学良と溥儀って仲良かったの?
このスレのレベルがマオと一致した。
82 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 09:35:25 0
親父の張作霖は溥儀と親交があったようだが。
83 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 11:50:31 0
張作霖って北京の政争の傍ら、天津日本租界に亡命中の溥儀のもとに行って、
ご機嫌伺いしてたみたいだけど、溥儀を擁立して帝政復古するつもりはなかったの?
84 :
世界@名無史さん:2007/12/22(土) 07:28:26 0
張作霖にせよ、他の軍閥連中にせよ、共和主義でも民主主義でもないと思うのだが、
積極的に君主制を復活しようとしたのは張勲くらいだよな。
袁世凱の手下どもも、親分が皇帝宣言したとたんに離反したし。
張勲って皇帝退位要求に署名してるけど、あれだまされてたの?
86 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 17:29:56 0
当時は袁世凱の部下だったからだろう。
87 :
世界@名無史さん:2008/04/09(水) 19:25:25 0
この時期の軍閥は、自らの事を「革命勢力」と認識していたの?
88 :
民主派:2008/04/09(水) 20:31:45 0
宋教仁、同盟会の元老級の人物、最後の結末は暗殺されます。
89 :
世界@名無史さん:2008/04/10(木) 00:21:57 0
>>59 みすず書房の伊藤武雄・岡崎嘉平太・松本重治
『われらが生涯の中の中国』くらい読んでから書けば?
岡崎氏は日中戦争勃発期から戦後の引き揚げ期まで
駐支大使館の事実上のトップとして働いた人ですよ
ただ旧制高校流リベラル教養主義の系譜の人だから
共産党の超絶的な非人道ぶりを想像できなかったのは事実
90 :
世界@名無史さん:2008/05/16(金) 16:55:59 0
中国の知日派の代表である魯迅、インドの知日派の代表であるチャンドラ・
ボースは共に日本軍によって殺害されたのではないかという情報がある。
魯迅の弟の周作人が日本占領下の北京で対日協力者となり戦後政治犯
として迫害されたことを考えると、魯迅も日本占領体制への協力を要求
されたがそれを拒否して殺害された、と言う単純な仮説が成り立つ。
ただ、日本軍による1937年以降の中国攻撃が「戦力の逐次投入により
わざと泥沼化させて負ける」と言う極秘計画の一環であったならば、
魯迅の死にももっと複雑な経緯が存在するのかもしれない。
例えば、極秘計画を魯迅は知っており、日本の占領による中国の救済
という希望が断たれることに怒って極秘計画を漏らそうとしたため、
あるいは日本軍の撤退の後に残置諜者として活動して欲しいとの依頼を
断ったために口を封じられた、等の理由があるのかもしれない。
91 :
世界@名無史さん:2008/07/25(金) 12:49:27 0
スレ再起期待上げ
孫文は袁世凱みたいな清の家来に中華民国臨時大総統の地位を何で譲るんだよ。
宋教仁と手を組んで袁と対抗すればよかったのに
93 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 13:23:42 O
>>90ワロタ。どんな理屈だよ(^_^)
日本人どころか、どんな人間にだって、そこまでの予想能力や対応能力は無い
どんだけ日本人は深慮遠謀だったんだよ。
そこまで日本が狡かったら、今でもユーラシアの東側は旭日旗が翻っているだろうよ。
94 :
世界@名無史さん:2008/12/22(月) 18:38:26 0
95 :
世界@名無史さん:
捕手