652 :
世界@名無史さん:2007/09/02(日) 10:23:29 0
650の例で上げられてるソウル南大門周辺の写真だが、
あの辺は李朝の頃はスラム街だったところのはずだ。
653 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2007/09/09(日) 00:35:17 0 BE:407390099-2BP(210)
、
) | ■■■■■■■■日本政府に告ぐ。■■■■■■■■
( ノノ 我々の要求は沖縄県における皇室放送コードの廃止だ。
, --" - 、 米軍基地の風評被害は沖縄の我慢の限界を超えたもので
スチャ / 〃.,、 ヽ あるから、国家に対して革命を執行しなければならない。
∧、 l ノ ノハヽ、 i
/⌒ヽ\ i | l'┃ ┃〈リ ▽琉球の伝統文化を尊重して皇民化政策を廃止する事。
|( ● )| i\从|l、 _ヮ/从 ▽大東亜戦争を誘因したことに対してお詫びする事。
\_ノ ^i |ハ ∀ \ ▽沖縄県を昇格して琉球府と名称を変更する事。
|_|,-''iつl/ †/ ̄ ̄ ̄ ̄/ ▽共栄圏を尊重して国立大図書館を建設する事。
[__|_|/〉 .__/ 魔 法 /__
[ニニ〉\/____/
我々は歴史の歪曲工作という退廃的イデオロギーに対しても断固糾弾する!
654 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2007/09/09(日) 00:36:00 0 BE:20118522-2BP(210)
__,,,,_
/´  ̄`ヽ,
/ 〃 _,ァ---‐一ヘヽ
i /´ リ}
| 〉. -‐ '''ー {!
| | ‐ー くー |
ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'}
ヽ_」 ト‐=‐ァ' !
ゝ i、 ` `二´' 丿 < 沖縄皇族沖縄皇族沖縄・・・ブツブツ
r|、` '' ー--‐f´
_/ | \ /|\_
/ ̄/ | /`又´\| |  ̄\
↑琉球王家を殺した皇族ども
655 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 02:18:15 0
結果論だなあ、確かに
欧米植民地への侵略戦争でしょどう考えても
エネルギー資源確保はもちろんのこと
頼まれもしないで独立させるとかチャイナのやってる人民解放と言う
独善的侵略となんら変わりない
ただし日中戦争についてはチャイナによる日本植民地侵略戦争なので
そこは混同しちゃいかんね
日米戦争とひとくくりにミスリードする人が多すぎる
656 :
我が議会演説より\(^■^ ラ 【卍】:2007/09/09(日) 08:46:15 O
ここから日本と我々の関係が生ずる。
余は、日本を傷つけることによってヨーロッパの世界に奉仕していると
信ずる政治家たちに同意することはできない。
余は、東亞において日本人が敗北すれば、
それは決してヨーロッパまたはアメリカに何ら有益ではなく、
ひとりボルシェヴィキ・ソヴィエト・ロシアに
利するに過ぎぬであろうと信じている。
余は、支那をボルシェヴィキの攻撃に抵抗し得るほど
精神的または物質的に強力だとは考えない。
しかし余は、日本の最大の勝利ですらも、ボルシェヴィキの勝利に比すると、
世界の文化と一般的平和にとって、危険は無限に小さいものと信じている。
【卍】 ≦予 ̄>
G\(^■^ ラ 現状打破あるのみ♪
\ <!>+\
∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^
G\(^∀^ ク
我々は一般的政治状態から生ずべきいかなる和解も、これを歓迎する。
何となれば我が国民の達成がいかに大であるとしても、
国際協力上の改善によって、すべてのものが利益を享くべきは疑いないからである。
ドイツ国民は好戦国民ではない。
ドイツ国民は軍人らしい国民であり、それは戦争を欲しないが、
戦争を怖れない国民という意味である。
ドイツ国民は平和を愛するが、またその名誉と自由も愛するのである。
【1938年2月20日、議会演説結語】
だいたいなんでフランスの植民地支配には手を貸してんだ
658 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 19:16:55 0
>>657 >だいたいなんでフランスの植民地支配には手を貸してんだ
659 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 19:18:22 0
↑間違い
>>658 >だいたいなんでフランスの植民地支配には手を貸してんだ
低脳なネトウヨ連中は、大東亜共栄圏が仏印をフランス領のままにしておいた
ことさえも知らないし、そのことの意味も理解できないで、解放戦争論唱えるだけだ
さすがに友好国の領土に手は出せないのでは……
661 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 23:06:08 0
友好国だと、欧米の植民地支配も公認するのが日本の聖戦なんですねw
独立させるならまだしもちゃっかり日本領にしたりなw
本気で解放戦争なんだったら友好国だろうと粘り強く説得交渉して独立させなきゃな。
>>659 仏印処理も越南帝国も知らんことはよくわかった。
664 :
世界@名無史さん:2007/09/20(木) 10:22:48 0
>>663 そんな敗戦直前のアリバイ工作みたいなのを掲げられても・・・
1945年3月までの状況はどう説明するのさ? 解放戦争論者は
マレーでは既に100年以上も英国統治が続いており、
我々は永遠に英国統治が続くと思っていた。
マレー人にとっては、統監府で英国人と共に働く事が最高のステータスで、
私もそれを目指して英語の勉強に励んだ。戦争が始まり、マレーに侵攻した
日本兵が、統監府の英国人を銃剣でつき刺して殺した、という知らせを聞いた時、
みなが恐怖と価値観の変転でショック状態に陥った。(中略)しかし、結果的に
その事が、独立への闘争へとつながる事になった。 by マハティール
666 :
世界@名無史さん:2007/09/20(木) 14:57:55 0
>>665 >しかし、結果的にその事が、独立への闘争へとつながる事になった。
そうなんだよね
日本は植民地解放の聖戦を行って、英領マラヤを直轄領にしたもんね
667 :
世界@名無史さん:2007/09/23(日) 23:55:58 0
いちばん肝心な部分を(中略)てのがたまらなくネトウヨぽいw
668 :
世界@名無史さん:2007/09/23(日) 23:58:14 0
国民の歴史
十七条憲法
大化の改新
(中略)
ハルノート
>>664 そのアリバイ工作すらせず、越南帝国やフイリピン、インドネシアを
再び植民地に戻した連合国はなんなのよ?
戦前の評価は横に置いておくとしても、アジア諸国は戦後の日本の貢献には
とても感謝している。仮に日本の支援がなかったすれば、アジアの様相は
まったく違ったものになっていただろう。
他のアジア諸国とは違い、一番恩恵を受けてきた韓国北朝鮮中国だけが反日で
凝り固まっているという事実が、この三カ国のその異常性を物語っていよう。
付け加えれば、東南アジアにおいても、華僑だけは反日を続けている。
671 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 11:07:33 O
>>670 そうかね(笑)
フィリピンの反日感情なんて戦時中から凄かったぜ。
知らないのかい?
フィリピンの反日ゲリラにかなりの日本兵がめちゃくちゃ殺されている。
ベトナムなんて日本のせいで餓死者まで出ている。昔のベトナムの知識人政治家は日本なんてまるきり信用してない。
スーチー女史の親父はビルマの独立闘士で日本の協力を仰いでいたけど、日本を根本的には信用してない。何故か分かるかな?
ちなみにスーチー女史も現日本政府にはまったく期待をしてない。親父を見て日本なんてアテにできないって学習しちゃってるんだな。
他にも事例があるがまあいい。
いいかげん田舎者のお国自慢的な主張はやめたら。
どうでもいいが、頼まれてもいないのに人様の国に押し掛けていくんだから恨まれるのも当然だろう。
ただ支配者のごーまんクソ白人を侵略者ジャップを使って追い出す、
という戦略はありだな。
ま、勉強してちょうだい。
小林よしのりとか渡部昇一みたいなのばっか読んでないでさ。
ああいうのは君みたいなオバカさんにも読みやすく書かれてるから売れセンではあるんだけどね(大笑)
ははははははははは
>>671 どの様な行動にも党派、闘争があり、利害関係があり、長所、短所があり、毀誉褒貶が付きまとう。そんな事は当たり前。日本の国益を優先した行為だが、結果的に東南アジア諸国が独立出来た事も事実だ。
親父がイギリスに殺されたスーチー。
狡猾なイギリス人はスーチーを引き取り「教育」を受けさせ、自らの傀儡に
することに成功した。欧米(イギリス)の手先だからこそ軍事政権はスーチーを
拒否する。欧米が制裁をすればするほどミャンマーは中国へ接近し、
より東南アジアが危険になっていく。
674 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 13:04:33 0
>>672 カンボジアやベトナムが赤化して大惨事になったのも日本のおかげか?w
結果的に東南アジア諸国では大混乱の時代に入ったのも事実だ。
>>674 君は東南アジア諸国がずっと西欧の植民地であり続ければ良かったと言う意見なのかな?自立、独立は痛みを伴うものだ。混乱も含めてね。赤化も日本のせい?風が吹けば桶屋が儲かる理論だな。
「風が吹けば桶屋が儲かる理論」はお前らだろw
677 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 14:51:30 0
ワロタ
いや、現実に日本はアジア解放を標榜して戦い、負けたとはいえ結果はそうなった。
風が吹けば式の話とは全然違うだろう。
当事者がどう思ってるかが問題なんじゃないか?
アフリカだと「植民地のままのほうがよかった」的な意見はよくあるらしいが。
住民投票で植民地に留まることを選んだ地域もあるしな。
680 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 16:21:23 0
琉球が住民投票で日本植民地から脱して、独立を達成する可能性?
★インドネシア アリ・ムルトポ准将
「日本はアジアの光である。
大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので
アジア人の誇りである。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が一番困ると思う。
もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は
容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。
経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と
考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、
アジア・アフリカにつくしていると考えている。
だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている」
ttp://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea3.html
682 :
↓↓↓多くの人に知らせてくれっ!:2007/09/24(月) 17:39:47 0
683 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 22:22:19 O
独立なんて東南アジアの劣等民族には百年早かった。先進諸国の善導をより長く受けるべきだった。
685 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 11:11:44 0
>>678 >いや、現実に日本はアジア解放を標榜して戦い、
仏印をフランス領のままにしたのは解放に反するんじゃないの?
686 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 12:03:14 0
>>681 >★インドネシア アリ・ムルトポ准将
>「日本はアジアの光である。
こいつも日本人の本音を知ったら愕然としただろうな。
ほとんどの日本人は欧米人以上にアジアを見下している。
687 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 12:07:45 0
小林よしのりの「戦争論」で、
アジアの民は表情が描かれていないのは人格を認めていない心理の現れだ。
小林よしのり自体がアジアの人たちを見下しているのだ。
残念ながら、戦前のアジア諸国では
永遠に白人統治が続くと思ってた人が非常に多いからね。
日本人が欧米人を追い出さなかったら、独立闘争なんか起きなかったよ。
英国人やオランダ人は、日本人のせいでインドやインドネシアを失い、
国が衰退したと今でも固く信じていて、日本人をひどく恨んでいる。
真珠湾を見た男 世界はみんな腹黒い
一九四一年秋、英自治領ビルマの首相ウ・ソーはロンドンにチャーチルを訪ねた。
その当時のビルマには防衛、外交、財政の権限は一切認められておらず、名ばかりの
「自治」だった。
彼はチャーチルに言った。「英国のためにビルマ兵を戦場に送ります。その代わりに
戦後にビルマの独立を認めてほしい」と。
しかし人種差別意識の強いチャーチルはそんな論議をする気にもならず、そっけない
返事で彼を追い返した。
ウ・ソーは、それで大西洋を渡った。民族自決をうたう「大西洋憲章」を書いたルーズ
ベルト米大統領に会うためだった。
しかし、この大統領もチャーチルに輪をかけたアジア人蔑視思想の持ち主で、ウ・ソー
はお目見えの機会も与えられないまま三週間も待って、しおしおと帰途についた。
米西海岸からハワイへ。さらにパンアメリカン航空の飛行艇「チャイナ・クリッパー」で
マニラに飛ぶつもりだった。
ホノルルに着き、搭乗便をホテルで待っていた彼は十二月のある朝、異様な轟音に
驚いて窓の外を見た。そこには日の丸をつけた無数の戦闘機が舞い、黒煙の立ち上る
真珠湾に、そして遠くヒッカム基地に襲いかかっていた。
その年の大晦日、ポルトガルの首都リスボンにある日本大使館に一人の訪問者があった。
「ビルマ首相ウ・ソーが密かに来訪せり。ハワイより引き返し大西洋を経て当地着。
「シンガポールの命運旦夕(たんせき)に迫りビルマ独立のための挙兵には絶好の機会
と認められる。日本がビルマの独立尊重を確約せらるるにおいてはビルマは満州国の如く
日本の指導下に立つ国として日本とともに英国勢の駆逐に当たり、また日本の必要とする
資源は悉(ことごと)く提供の用意あり」
ウ・ソーは自分が真珠湾で目撃したものがしばらくは信じられなかったという。同じ肌の
色をした日本人が、少なくともアジアでは白人の力と英知の象徴とされた飛行機を操り、
傲慢な白人どもを叩きのめしていた。おびえて逃げ惑う白人の表情も彼は初めて見るものだった。
http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/2000/1202.html http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/
690 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 12:15:32 0
本気で日本がビルマ解放したとかいうなら責任感じろよ
どうでもいいレス
692 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 13:25:42 0
独立闘争はたびたび起こってるよ、鎮圧されたりしてとても小さなもの
だったけどさ。だから日本が戦争を起こしてそれがきっかけになって独立の
意思が出てきたなんてのは大嘘だよ。日本が勝手にそう思ってるだけでしょ。
693 :
徳冨蘇峯《興亜の大義》より:2007/10/01(月) 17:41:26 O
戦争は何時まで継続する乎と、屡々訊ふ人がある。
予は毎度先づ今後一百年と見当を附くれば大なる間違ひあるまいと答へた。
これは決して空言ではない。全く根拠ありての返答だ。
予は正しく斯く信じてゐる。それには確乎たる理由がある。
…我等は遺産として子孫にまで此の大戦争を残すを心外千万とする。
然も国運発展の為めには、我等の子孫も、我等の祖先、及び我等と共に、
与に斉しく其の責に任ずるが当然の順序である。
借金を残すではない。大事業を残すのだ。
何は兎もあれ大東亞戦争は、極めて永続性のものだ。
その一段階の完遂は、必ずしも遼遠ならざるも、
歴史的意義に於ける完遂には、少なくとも百年を期さねばならぬ。
前進又前進、確保又確保。我等は此に於ていよいよ屯田持久の長策たるを知る。
|│ /
|●\
|^∀^)― 百年戦争は終らないのだお。
|_/
| \
[●] ⊥朝 ̄]
G\(@∀@-ア <ヘイタイサンヨ、アリガタウ!
\ <!>報\
∠☆ ̄\ ∠☆ ̄\ ∠☆ ̄\
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ハ
\‖~:~‖\‖~:~‖\‖~:~‖\
694 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 18:01:10 0
>>1 それマジで言ったん?ソースあんならすぐ出せ
マジなら2ちゃんねら総力を上げて潰すが
695 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 19:52:16 O
【韓国日報】「日韓併合当日、喜んだ朝鮮人が多かったという記録がある。教科書に書いてあるのと違うが…」[08/28]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1188399525/ 1:犇@犇φ ★ :2007/08/29(水) 23:58:45 ID:???
1910年8月 22日、大韓帝国純宗皇帝が臨席した形式的な御前会議で、総理大臣李完用
(イ・ワニョン)は朝鮮と日本の強制併合案を可決させた。日帝はこの事実を1週間も極秘にして
おき、8月29日に純宗皇帝の玉璽を捺印させて併合条約を布告した。
庚戌の年に起きた恥辱ということで「庚戌国恥」と呼ばれる。97年前のことだ。この呆れた
知らせを聞いて、錦山郡守の洪範植(ホン・ボムシク)は山に登って首を吊って自決し、梅泉黄
ヒョン(訳注:「ヒョン」は王へんに玄)は「絶命詩」を残して毒を仰ぎ殉国した。その後も幾多
の憂国志士が自決の道を選んだ。
今まで、教科書でそう学んだ。このため、当時の全朝鮮人が当然に悲痛な思いで嘆いたと
思っていた。ところが、必ずしもそうではなかったようだ。
3・1万歳義挙の際に民族代表33人中の1人として活動し、後に主張を変えた崔麟(チェ・リン)
は、韓日併合が公布されたその日の鐘路通り(訳注:京城の中心街)の朝鮮人らはまるで
「何事も無かったかのように」賑やかに商売をしたり飲食する「日常」を失わなかった、と述べている。
これを信じがたいと思ったある歴史研究者は、「俄かには理解できない。もしかしたらこの
日は29日ではなく、李完用と寺内正毅との間で秘密裡に条約が締結された22日の風景
なのかもしれない」と述べた。
しかし、崔麟の記録を裏付ける主張がいくつも出ている。中国の知識人である梁啓超は、
1910年9月に書いた文章の中で、合併条約発表をめぐって周辺国の人々は彼らのために
涙を堪えられないのに、当の朝鮮人たちは楽しそうにしており、高位の官吏らは毎日、新
時代での栄爵を得ようと嬉々として奔走するだけだった、と主張している。
(略)
(康俊晩(カン・ジュンマン)・全北大学新聞放送学部教授)
▽ソース:韓国日報(韓国語)(2007/08/28 18:00)
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200708/h2007082818000124390.htm
697 :
世界@名無史さん:2007/10/08(月) 04:03:41 0
ビルマ独立は南機関とデパートの松坂屋のおかげ。
これ豆知識な。
698 :
世界@名無史さん:2007/10/08(月) 15:16:08 0
アメリカは日本の勇猛さを恐れていたのではなく、思考がcrazyであるを恐れた
んだよ
通常の人間の思考でないからだ
それは現代の自爆テロを行うイスラム・テロ・グループに対するアメリカ人の感
覚と同様で
戦意を失うどころか、神風ごときを生み出すものを滅ぼさなければならないとい
う使命観をアメリカ人に植え付けただけ
700 :
世界@名無史さん:2007/10/10(水) 13:20:58 0
むしろ今まで日本がアジアの植民地を解放したと思ってた
>>1に驚きだ。
701 :
世界@名無史さん:
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」