【種馬】◆◆ 歴史上の子沢山について ◆◆

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1世界@名無史さん:2007/01/09(火) 19:12:04 0
特に凄かったのは誰だ?
2世界@名無史さん:2007/01/09(火) 19:19:31 0
ラムセス2世
3世界@名無史さん:2007/01/09(火) 19:20:02 0
マシニッサ王
4世界@名無史さん:2007/01/09(火) 20:58:02 0
エカチェリーナ2世
5世界@名無史さん:2007/01/11(木) 00:20:30 0
チンギスハーンが最強
6世界@名無史さん:2007/01/11(木) 03:20:06 0
20世紀以降の人物。

ボカサさま 100人以上
イブン・サウド 男だけで36人
7世界@名無史さん:2007/01/11(木) 06:39:32 0
徳川家斉
8世界@名無史さん:2007/01/11(木) 10:54:03 0
一夫一婦制で一穴主義で子沢山だった人は?
9世界@名無史さん:2007/01/11(木) 19:02:50 0
>>8
フランツ1世とマリア・テレジア。
16人の子をつくった。
10世界@名無史さん:2007/01/11(木) 21:41:43 0
前にも似たスレが立ったことあったな。
ビンラディン家も40人くらいいるようだが。
11世界@名無史さん:2007/01/11(木) 22:27:20 0
>>9
マリアテレジアってどれだけ頑丈な子宮なんだよwwww
12世界@名無史さん:2007/01/11(木) 22:32:02 0
ザクセンのアウグスト強健公。

愛人たちと作った私生児の数300人以上とか。
13世界@名無史さん:2007/01/11(木) 22:42:09 0
>>12
360人らしいな
まさに種馬公爵
14世界@名無史さん:2007/01/12(金) 00:45:23 0
徳川家斉、17人の女から、55人。
15世界@名無史さん:2007/01/12(金) 00:59:25 0
>>11
マリアテレジアのもの凄いところは子宮でなくて、1955年末子マリーアントワネットが生まれるまで
妊娠出産を繰り返しながら王位につき外交し戦争して財政再建した、ど根性。

ちなみに旦那のフランツは一穴主義ではありませんですた。
16世界@名無史さん:2007/01/12(金) 12:02:13 0
>>15
皇帝の執務は別に肉体労働じゃないし。
でも、マリーアントワネットって生きてたらことし52歳か、若いな。
17世界@名無史さん:2007/01/12(金) 13:30:48 O
 マリア・テレジアだけでなく、ハプスブルク家はすごい
 妻一人との間の子に限定
・ルドルフ1世(1218-91)―妻ゲルトルート・アンナ
4男6女
・アルプレヒト1世(1255-1308)―妻エリザベート
7男5女
・フェルディナント1世(1503-64)―妻アンナ
4男11女
・マクシミリアン2世(1527-76)―妻マリア
10男6女
・カール2世(1540-90)―妻マリア・アンナ
6男8女
・レオポルト2世(1747-92)―妻マリア・ルドヴィーカ
12男4女

確かにハプスブルク家は戦争・革命以外の血縁断絶で滅びる可能性はなかっただろう
子作りはハプスブルク家のお家芸だな
18世界@名無史さん:2007/01/12(金) 13:39:53 0
>17
お家芸が子作りって・・・
でもハプスブルグ家で近親相姦を代々繰り返したせいで、
後の代になるとだんだん奇形や精薄・池沼の子が増えてったと聞いたけど
あまりにヤバい子供は早いうちに間引かれてたかもな
19世界@名無史さん:2007/01/12(金) 13:46:52 O
そりゃスペイン系の方でしょ
↑で出したハプスブルク家の妻はみんな他家から嫁いでいるよ
“世界帝王事典”見てみれば
20世界@名無史さん:2007/01/12(金) 13:53:43 0
>>18
ヨーロッパに限らず王室・皇室の最も重要な仕事は「子作り」だよ。
支配者の家系が断絶して滅んだ国家は枚挙に暇がない。
21世界@名無史さん:2007/01/12(金) 14:02:51 0
皇室はもっと姦りまくれよな。
22世界@名無史さん:2007/01/12(金) 15:15:16 O
相思相愛の秋篠宮家はともかく
人身御供的に強制的結婚させられた皇太子妃は好きでもない男のモノが入るだけでおぞましいと思っただろう
現代の考えを持つ女性には可哀想すぎるよ
特に彼女はキャリア目指して頑張っていたのに
最初の子は人工受精というもっぱらの評判だし
とにかく可哀想
23世界@名無史さん:2007/01/12(金) 15:28:01 0
>>5 東方見聞録じゃ2万人超の後宮を大カーンは所有していたとか・・・
24世界@名無史さん:2007/01/12(金) 18:21:35 0
『集史』ではチンギス・カンの宮廷には各部族から嫁に出された妻妾あわせて
五百人いたとかいっているが、実際に名前が残っている子供達は大皇后ボルテとの
間に儲けた四男五女を含めても、二十人に満たなかったりする。
『元史』に至っては世嗣は6名しか挙げていない。
実は、ジョチとかクビライとかの方が世嗣だけでも10人以上居たりするが。

子供や孫たちは10代から色々と婚姻を結んでいるから記録に残るほど子供達が多いけど
チンギスは40代に入った1200年代になるまであまり生活が安定していなかった。
1206年の即位の前後にオングートとかメルキトとかタタルとか周辺の有力部族の首長たち
を傘下に納めるようになって、急速に高原を制圧してから、やっと腰を落ち着けられるように
なった。実際、ボルテ以外の妻たちとの子供はこれ以降に生まれている。
(ウハズ=メルキト氏族のクラン皇后の息子コルゲンを含めても7人くらいしか記録にないが)
25世界@名無史さん:2007/01/15(月) 02:59:56 0
>>22
皇太子からする童貞臭はそこにあったのか
26世界@名無史さん:2007/01/18(木) 22:35:40 0
歴史上最高なのは、どうもサンデーサイレンスじゃないのか。
27世界@名無史さん:2007/01/20(土) 03:08:17 0
>>22
あれは子宮が種を拒絶したとしか考えられん。
28世界@名無史さん:2007/02/24(土) 19:20:33 0
川相昌弘
29世界@名無史さん:2007/03/16(金) 06:13:17 0
モロッコのアラウィー朝のムーラーイ・イスマーイールは1200人の子供をつくったそうだよ。
30世界@名無史さん:2007/03/16(金) 14:26:12 O
皇太子も後宮作って生意気な女に種付けしろよ
31世界@名無史さん:2007/03/23(金) 02:07:54 0
生意気な世継ぎが生まれたらどうするw
32世界@名無史さん:2007/03/26(月) 11:20:04 0
33世界@名無史さん
>>8
あと二回結婚しているがパルマ公国最後の公ロベルト。12歳で廃位された後に先妻との間に12人再婚後に12人。
後妻の子にはオーストリア最後の皇后ツィタやルクセンブルク女大公シャルロットの夫君フェリックスがいる。