927 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 23:20:13 0
押し麦が無かったころは「丸麦」を一度煮て火を通し、それを米に混ぜて
再度炊き、「麦飯」にした。
お江戸で白米飯が流行り、脚気が蔓延したのは「白米美味い。麦は不味い」と言う以外に
「麦飯は余計に薪がいる。田舎と違って薪もいちいち買わなければならないお江戸では、
燃料代がもったいない」という理由もあった。
>>925 池田勇人といいたいところだが、実は言っていない。
言ったのは当時の野党とマスコミだったりする。
じゃあ戦場で麦飯を炊くのにも余分に燃料がいるのか・・・
ってこのネタは危険だな
所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります
というのは本人が本当に言ったんでしょ?
つくりだされた発言「貧乏人は麦を食え」
労農党の木村禧八郎が、消費者米価の引き上げについて論戦を挑んだ折りに、池田は
「所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つた
方向が望ましい」という意味の国会答弁を行った。前述の伊藤書(池田勇人その生と死)にも
あったのだが、池田自身、日頃は麦飯を食べているわけだから、特別に貧乏人を差別すると
いうことでもない。池田にすれば当たり前の発言だった。
ところが木村は次の広川農相に質問する折りに、池田の答弁主旨を所得の多い者は米を、
所得の少ない者は麦をと説明したあとに、「お百姓さんは昔のように稗でも粟でも食え」と
いう語を口にし、あたかも池田がそのような言を吐いたかの様子で質問を続けた。
この言が「貧乏人は麦を食え」と転じていったのだが、その背景には池田に対するメディア側の
反発があったということにもなるだろう。実際には池田は一言も「貧乏には麦を食え」とは
いっていなかった。
これも木村の巧妙な質問テクニックによって池田は“血も涙もない非常な政治家”という
レッテルを貼られたことになる。
―保坂正康「戦後政治家暴言録」中央公論社ラクレP85〜P86
だってさ。
別にいいと思うけどね、貧乏人は麦を食え、金持ちは米を食え、という考え方は。
そもそもこれ、経済原則に則った考えでしょ?これを否定する人は資本主義を否定してるも同じ。
もちろん、それがなくてそう言ったとしても俺は非情な政治家などとは思わないが。
そう考える人こそ、まさに心が貧しく狭量な人でしょう。
933 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 11:25:25 0
仮に言ってる内容が正論だろうと何だろうと
揚げ足を取られるようなことを言っちゃいけないのが政治家という立場
某漫画にさ、刺身とかスシネタに関して
「日本人は天然物を信仰しすぎ。海洋汚染もあるのに管理され清潔で安全な養殖物をなぜ嫌うの?」
って感じのセリフがあって、一理あるかもって思った。
ちなみに俺の親父も刺身食べて、グルメじゃないのに「これ旨くないな、養殖だな」なんてよく言ってる。
養殖物を否定するわけではないが、それはちょっと違うというか少しおかしいと思うぞ。
養殖物は脂肪が多く感じるから年喰うとグルメじゃなくても判る
農産物のハウス物は変わらんけどね、むしろ旨い場合がある
ブリの照り焼きは養殖物の方がおいしいってテレビでやってたな
938 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 14:28:20 0
唐突だけどブルーベリーって新大陸原産なんだね
ジャガイモやトマトの話は有名だが、大航海時代の影響力って恐ろしいなあ
939 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 14:51:30 0
天然ものと一口にいっても色々ある
網の中で圧死した魚だとか、奇怪な病変が見られる魚だとか
こういうものも、安い回転寿司に行けば「天然もの」。
940 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 15:50:39 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
>京〜鎌倉間の移動は20日以上かかると仰っていた方
遅れて申し訳御座いません。流石に来週以降になるとスレが埋まってしまい
そうですので、おおざっぱではありますが、調べて参りました。
『海道記』と『十六夜日記』の所用日程が14日であったことは既述通り。
『東関紀行』も十余日としており、承久の乱当時の早馬が4日で到達したと
いうことも、すでに申し上げた通りです。
(本来の規定では早馬の到着すべき時間は7日以内。4日の例は他にもある
ものの、通常は見られません)
旅日記以外の例ですが、源頼朝が京〜鎌倉間の下向に費やした日数が、初回
が16日、2回目が12日、後の頼経が17日となっています。
藤原俊基が東下りを強いられた時には、16日を要しました。
土佐坊昌俊下向時には9日。
『延喜式』では、相模〜京間の行程を、上りが25日で下りが13日として
いますから、下りにほぼ一致します。
(上りは貢納物持参の旅であり、また一日ごとに必要な食料が計算されて割
り振られたので、帰りは必要最低限の日数で計算されたようです)
相模の国府と鎌倉の間の距離を考えれば、丁度14日程度になる。
また、所謂建武の親政の際には、訴訟で上洛する際にかける日数は、中国が
15日間まで、遠国が20日間まで認められました(それ以降は無効)。
伊豆・甲斐までが中国で、相模以東が遠国になりますが、隣接していること
を考えれば、京〜相模間の15日程度での移動は現実的な線でしょう。
少なくとも、貴方が言われる通り20日以上かかったとは思えません。
道が悪かったことと体力がもたないことを言われていますが、戦前を振り返
っても、重いものを持つにも、長距離を行くにも、今よりは遥かに頑健でし
たからね。当時の人間の体力が、移動を可能にしたと見るべきでしょう。
もういいじゃん
空気読めてないならただのアホ、読めてるならみっともない。
山野だもん。空気が読めるはずがない。
まあ、空気が読めなくても興味深い話が聞けるからな。
ただ絡まれやすいのが(ry
この手のタイコ持ちが一番タチが悪い。
タイコウチと近縁のタガメは東南アジアではポピュラーな食材ですが
948 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 23:01:49 0
そのタガメエキスは、シンナー臭いんだって?
パクチー、香草の香りは「カメムシ臭い」などと言うが、
なんでカメムシの臭いを知っているのだろうか。
カメムシを原料とする醤油は絶品とか
自転車なら、24時間で逢坂の関を越えられるちゅーねん。
>>942 そうは仰いますが、勝手に止めても先方に悪いではありませんか。
とりあえず出すものは出したので、この話はこれで最後にしたいと思っているのですが。
952 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 23:33:50 0
>>951 普通の利用者への迷惑よりスレ違いの話を続けるバカとの義理の方が大事ですか。
さすが良コテの考え方は常人には計りきれませんな。
その程度の皮肉でどうにかなるような人間なら
こんなに長年コテハン背負ってはいられないよ
その程度の皮肉でどうにかなるような人間なら
こんなに長年サヨク背負ってはいられないよ
>>951 さりげなく責任転嫁までしてやがる。ゲスだな。
957 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 03:37:53 0
>>941 建武の親政は、訴訟を推奨していたの?
大抵、為政者は、やりたくないことについては手続を難しくするものだ。
コトが起こって15日20日で来い、というのは、「訴訟をわざわざ京師まで持ち込むな」と
暗に言っているようなものだろう。
租税を持ってくるのに25日というのは、それこそ、25日かかって当然だという証左だ。
持ってきた後のことは面倒見たくないから、とっとと15日で帰れ(土台無理だからのたれ死ぬか
衛士・防人の補充にでもなれ)くらいのものだな。
ageてる人は憶測と決め付けばっかりだな
昔田舎から都会に移ったときに視力2.0で驚かれ、中学校のマラソン20kmで驚かれた(移った先では高校で男子6kmだった)
平坦な道を15分もチャリこげば学校に行ける生活と、山を2つほど越えないと学校がない生活の違いだ
現代日本ですら都会と田舎というだけでかくも違う
アフリカには視力が6もある人も居る。
>>957 公平な裁判をするってのが建武新政の謳い文句の一つでしょ?
そのために、天皇が土地争いの裁定をしたり、雑訴決断所という仕組みを整えたわけだから
訴訟を門前払いするような(受付期間をわざと短くする)ことはしないと思うけど
>租税を持ってくるのに25日というのは、それこそ、25日かかって当然だという証左だ。
>持ってきた後のことは面倒見たくないから、とっとと15日で帰れ(土台無理だからのたれ死ぬか
>衛士・防人の補充にでもなれ)くらいのものだな。
だから、荷物があるから日数かかってるんだろう。
租税納めるたびに、野垂れ死にだしてたら支配体制崩壊するだろうが。
道半ばで、食料が尽き、だが租税の米には手をつけられずに餓死とか言う話もあったような
スレ違いだから他所でやれ
963 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 14:13:38 0
>>960 日本国憲法も「法の下の平等」「裁判を受ける権利」を謳っているけれども、
実情はどうかね?
いいかげん食料とか酒の話しようぜ
965 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 20:43:33 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
アラブの嗜好品(ではないか…)のナツメヤシは日本ではあまり広まらないよね
栄養価とかすごいのに
これは代替の食べ物があるからなんだろうか
それとも単にアラブ起源だからかねぇ
967 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 22:05:25 0
カレーはもともとインド料理だが、英国を経由しなければここまで広まらなかっただろう。
968 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 22:17:08 0
>>966 石油時代以前のサウジでは輸出品の筆頭格だったそうな。 <デーツ
>>966 いや、かなり普及してる
大抵の人は口にしていると思うが
量的には、年間1000トンくらいを消費
971 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 22:58:40 0
たしかお好み焼きソースの原料に、デーツが使われているんだったか?
オタフクソースね。原材料名の欄に載ってるね。
他にはトンカツソースにも。
あのとろみを出すための材料なのかな。
カレー粉にも大抵入ってる
デーツは知らない間に国民食になってるんだな
湾岸戦争のときに製造不能になりかけたらしいね>オタフクソース
デーツは以前自然食の店で見た。
とにかく高かった。
食用デーツは始めてみたから買ったけど、
確かポケット・ティッシュの2/3位の袋が500円。