1 :
黒澤敏晃:
さぁ大いに語れ
なんでいちいちスレたてるかね。モンゴル帝国スレでいいじゃない。
3 :
黒澤敏晃:2006/10/15(日) 03:47:27 0
>>1がテーマ提起して進行しないスレはレポート
作成のためだとみなされます。
内紛続きで、ドゥワの後は東西に分かれて、
西はティムールに併合、東は新たにモグーリスターン汗国に
なって、さらに東遷してトルファン汗国〜カシュガル汗国と
どんどん小さくなっていって、最後は細々分裂して
諸オアシス国家まで落ちぶれた。
末期はホージャ家に乗っ取られるわ、ジュンガールに
好きなようにかき回されるわで、最後は清朝に取られて
終わり。
杉山先生が解明したチュベイ・ウルスの系譜あたりまで
触れるとおもしろくなるかな?
7 :
黒澤敏晃:2006/10/15(日) 04:55:41 0
age
8 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 05:48:25 0
20世紀に至るまでモンゴル本土で領主層だったトルイ家や
同じくカザフで領主層、ロシアで貴族層だったジュチ家に比してなんか地味。
オゴタイ家よりは存在感あるが、ティムール帝国で傀儡の汗にたてられたのも
チャガタイ家一統ではなくなぜかオゴタイ家だったりはするが。
9 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 05:53:56 0
ダイナミックさから言えば、ジュチ家の一門とロシア貴族の通婚、
ロシア貴族と西欧貴族の通婚を通じてエリザベス2世やブッシュ大統領にも
チンギス・カンの血を導入したジュチ一門には敵わない。
相手にしない方がいいぞぉ。
皆に、黒澤敏晃でググルことをお奨めする。
11 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 08:11:39 0
>9
ジュチ一門の血の広がりのダイナミックさは確かにすごいが、
始祖のジュチ自身の血が疑わしい。
12 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 08:35:30 0
>エリザベス2世やブッシュ大統領
この辺は確かなソースが提示されない限り、2chの与太話としておいた方がいいな。
サマルカンド辺りも結局ウズベクに乗っ取られるし
14 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 10:56:14 0
チャガタイのせいで中央アジアのムスリムは沐浴もできず
家畜の屠殺もできない状態がしばらく続いた。
イスラム受容の頃にはモンゴルも風呂ぐらい入るようになってたんだろーか?
>>1が頑張っている様子がないので
〜 糸冬 了 〜
16 :
黒澤敏晃:2006/10/15(日) 18:49:26 0
あげ
17 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 20:22:58 0
>14
モンゴル人は貴重な水を神聖視して
水を汚す入浴を嫌っていたから
入浴禁止は理解できるが
家畜のトサク禁止した理由は理解できんな
遊牧民は家畜をトサクしないと生きていけんだろうが
18 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 20:28:42 0
>11
ジュチの子孫が始祖の異父兄弟の子孫と結婚していれば
ジュチの系統もチンギス・ハンの末裔になるんじゃないの?
ジュチの出生疑惑は知っているが、ジュチの人柄や能力
子孫にどんな香具師がいたかまったくわからん
日本ではジュチとその子孫について詳しく記した著作は
ほとんどないからな
>>17 モンゴル人の宗教観や慣習に根ざした屠殺方法と
クルアーンその他で定められたムスリムのそれとでは大きな違いがあるから。
>>18 赤坂恒明先生の書かれた『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房)がある。
トサク=屠殺?
モンゴル・・・家畜の動脈を指でつまんで、血を流さずに殺す
ムスリム・・・刃物で首筋をスパッと切り、血を碗で受ける
ニダー・・・棒で殴打し、血中ノルアドレナリンを全身に循環させて旨味を引き出す
23 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 22:02:51 0
>18
北アジア遊牧民は男系を同じくする者どうしの通婚はタブーとされています。
したがってジュチ家とジュチの弟達の家門の直接の通婚は無いはずです。
まぁ、例えばトルイ家の姫が他氏族に嫁ぐ、そこで生まれた娘がジュチ家に嫁ぐ
というようなことでワンクッションおいて弟達の家門の血がジュチ家に導入される
ことはあったかもしれません。
24 :
世界@名無史さん:2006/10/16(月) 00:08:24 0
もう終了か。早かったな。
26 :
黒澤敏晃:2006/10/22(日) 16:48:55 0
age
27 :
世界@名無史さん:2006/10/22(日) 19:26:53 0
>23
ジュチ家もコンギラト氏から妃を迎えているので
コンギラト氏が皇女たちの降嫁先だったら
ジュチ家とジュチ弟家は間接的に通婚しているな
>>23 > トルイ家の姫が他氏族に嫁ぐ、そこで生まれた娘がジュチ家に嫁ぐ
> というようなことでワンクッションおいて
まさにそのままの例がひとつあったり。
クビライの異母兄で、トルイの三男だったクトクトという人物には、息子はいなかったが、
ケルミシュ・アガという一人娘がいた。(トルイとリングム・ハトンとの息子。クビライは四男)
彼女はジョチ家の部将筆頭となるコンギラト部族のサルジタイ・キュレゲンに降嫁して、オルジェイ
という娘とヤイラクという息子がいた。このオルジェイはモンケ・テムルの第一正妃になって、長男
アルグイと後にハン位を継いだトクタ・ハンを産んでいる。
つまりこのケルミシュ・アガ・ハトンはモンケ、クビライ、フレグらの姪で、モンケ・テムルの義母、
トクタの母方の祖母だったわけだが、彼女はトクタ・ハンの治世にあたり、『集史』が編纂された
1310年代まで存命していた。彼女はモンゴル皇帝ふたりの姪という高貴な血筋で、しかも愛情深い
人柄ゆえジョチ家内外で大変尊敬された人物で、シリギの乱でモンケ・テムルのもとに連行されて来た
従兄弟にあたるクビライの第四皇子ノムガンらを歓待し、ジョチ・ウルスとクビライの大元朝や
フレグ家のイルハン朝との友好関係を堅持できるよう奔走したことで知られている。
トクタ・ハンは母であるコンゴラト部族のオルジェイ・ハトンを通じてトルイ→クトクト→ケルミシュ・
アガの系統のトルイ家の血筋も受継いでいたことになる。
29 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 01:09:11 0
30 :
世界@名無史さん:
トルクメンバシ死亡!!