1920年 イギリスに留学中のボースは当時最難関のインド高等文官試験に合格するも
これを拒否、インド独立運動に身を投じる。
, -──- 、
ゝ/_______\
/ | ノ ─ 、 ─ヽ| 「イギリスの手先になんてなるもんか!
i | | (|∠ |
| __|─| | | 僕はインドの大衆のために
V ` ー─ ´`っ‐´L この身を捧げるんだ!」
ヽ_ ____ノ
\ /___/ / ) )、
/` ー─┬─ ´ / )/ //
/\/ \/| ̄ ̄ ̄| ` ノ
/ ヽ |─── `ー ´ ←スバス・チャンドラ・ボース
そして、インドへ帰国し国民会議派へ加入し、マハトマ・ガンジーの指導する
非暴力不服従運動のもと、活動を開始する。
____ , ── 、
/´ −、− \ /___ ヽ
/ , -| ・|< |、ヽ l ⌒ヽ\| ヽ
/ / `ー ●-′ ヽ |) |─r-、 |
l / 二 | 二 | c 、_ノ U ノ /
l l \ ─ | ─ l ノ \/`<
l l \___|__/ / ` ー、── //\
ヽ ヽ / ○  ̄ ̄ ̄ |/ ヽ ヽ
l━━━━━O━━ / | |__| |
| / ヽ |/ ←ガンジー | | | |
「非暴力不服従運動を貫けば 「ほんとかなぁ…」
必ずや独立のチャンスは来るよ」
その後、何度もの逮捕・投獄を経験しつつも、1930年の選挙でカルカッタ市の市長に当選するなど
国民会議派の若手急進派として頭角を現す。
1931年の塩の行進運動の結果結ばれたデリー協定やその後のロンドン円卓会議における
ガンジーの妥協に対し、ボースは痛烈な批判を行う。
, -──- 、
ゝ/ ______\ , ────- 、
/ | / − 、 − ヽ! / /⌒ヽ⌒ヽ \
. | | / | | //| ・|・ |ヽ ヽ
ヽ |─| ‘|‘ | / `ー● ー ′ \ ヽ
/⌒` ` ー ヘ ー l l ─ | 二 ヽ i
( \ ヽ_ /⌒ー──つ | 二 | ─ | |
(ヽ ヽ/ ) \ ヽ __// | | l !
( )' ノ /` ──く ヽ / ̄\ / /
` ー、 ` ┬´ \/ \/ヽ ヽ / \ / /
\._|_ノ |_| >━━O━━━━━┥
| | | // \ |
「そんな悠長なことをしていては 「1歩後退、2歩前進だよ
いつまでたってもも独立できないよ」 いつかチャンスは来るさ」
この頃から、穏健派のガンジーと急進派のボースの路線対立は明確になっていく。
ロンドン円卓会議の後、イギリスは国民会議派の排除に動き、ボースも逮捕される。
その後、獄中にて結核を発症、1933年転地療養のためウィーンへ向かった。
そして、ウィーンでの秘書としてエミリー シェンクルと出会う。
「なんて 素敵なかた…。」
, ───── 、
_____ / \
/´ `\ / ヽ
ゝ/ ________ヽ / ヽ
/ | / _ _ヽ | l_||__| |__||__ |
/ | / ヽ / ヽl |/− 、 ─ 、 ヽ| !
l | l | l || |ヽ | |ヽ ! | |ヽノ- 、
| |─| / | ヽ lヽ // l゚ノ | l゚ノ | l l l /
/Y⌒ヽ ヽ ___ ノ ヘ _ ノ、ノ / l ーノ ー ′/ /ノ /
/ | ) /⌒ヽ l \ヽ ____ く / l
l ヽ__ \ ノ つ \ \ノ /lヽ/_/
ヽ .> 、 ` ー─ ⌒ー─ ´ ( `、_ー─、─ ´ ,- ⌒ヽ
\/ ヽ>ー───< \ \ ヽ ̄(/⌒ヽ)
\ \ / \ /l ヽ / ノ | / /ノ
| | | / / | !/ / l
| | ̄l l / l l / |
このエミリーは後にボースの伴侶となり、女の子を出産する。
ただし、当時のドイツ純血主義の影響もあり、結婚はしなかった。
伴侶を得たボースは、ムッソリーニら要人と会談を持つなど、積極的に行動する。
一方インドでは1933年の新インド統治法の制定に伴い、37年に選挙が行われることになっていた。
そのためボースは36年に投獄覚悟で帰国することを決心した。
「チャンドラ・ボース、逮捕する!」
, ──- 、 /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`\
ゝ/ ______\ っ (/─()────-、)
/ |/ / ⌒ヽ⌒ヽ| (二二二ノ ̄ヽ ̄| ̄|
l |─| ・|・ | っ || ミ| |・ | ⌒ヽ
V⌒ U` ー ヘー つ _.lヽ._ノ ヽ__.ノ _丿
ヽ_ /⌒ー── ´ ( 0 __/⌒ヽ ! ヽ ̄ヽ
| |⌒ヽ / _  ̄ ̄) ̄ / ノ| | \
ヽ二二二⊃_/)///) ⊂二二二 / / く ヽ ヽ
/ \/\|ー///) ヽ / (`\ ) ) / L\/▽ヽ/ /二l\ ノ
|  ̄ ̄ ̄ | ノー. ′ (( \ \ / l_l\i^//| | | |/
| ──┬┴ ′ ノノ \/⌒ヽ / | /  ̄ |
しかし帰国途中、エジプトにてイギリスの警官に発見され、ボンベイに到着後軟禁状態におかれる。
ボースの軟禁中に選挙は行われ、国民会議派は大勝を収める。
そして、1938年の国民会議派の年次大会議長に、ガンジーはボースを推薦する。
_____
/´ −、 −、\ ヽ l /
/ , -| ・|・ |-ヽ , ──- 、
/ / `ー ●ー´ ヽ /_____ ヽ=@
l / 二 | 二 、 | l/⌒ヽ ⌒ヽヽ| ヽ
| l |\_ ─ | ─_ノ l | 0|0 |_| |
l l ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ / / (/ーo ー ′ ´⌒Y
ヽ ヽ ヽ、___ / / | ⊂__,−、 _ノ
l━━━━O━━ ー◯ ヽ ヽ__ノ /
l \´___ ヽ / ` ー,──´>、
| _◯ _ノ | | / |/\/ ヽ
O-| `ー/⌒ヽ−´ヽ l_| l___| l
ヽ、 | |___ノ | | | | |
 ̄ ̄`ー ′ __| |___| |___|
( _ノ─(__ ノ | 「ええ!
「実は君に議長をやってもらいたいんだ」 ( ( _|__ ノヽ 僕が?」
 ̄ `ー─┴── ′
国民会議派の議長はガンジーの推薦した人物を承認するのが常であった。
ガンジーはボースを議長職に就けることで、自らの影響下におこうとしたのである。
, ─── 、
ゝ/ ________\ 「マハトマもようやく僕の実力を認めてくれたのか
/ | / ─ 、 ─ 、l
/ | / l l 一刻も早くインド独立を成し遂げるぞ!」
| |─| (・|< | (⌒ヽ
Y⌒` ヽ_ ノっ_ ノ 三 )
ヽ_ 、____つ l (、_ ノ
\ \−、-、_/ノ _ _
/` ー | l |‐ ´ l l//)、
/´ \/ `ー´ \ l ) ヽ´ノ
| ヽ |/\/ __ /
├─┤ | 、 /
ボースが打ち出した、農業・工業の社会主義化などの提案は広く支持され、
ボースの政治家としての評価は飛躍的に高まったのである。
しかし、このことはガンジーに強い警戒心を起こさせるのである。
_____
/ − 、-、\
/ , -|ノ ・|・ |-ヽ 「ボースを取り込むつもりが
i / `− ●- | かえって増長させてしまった
. | / /\_三 | 三__> 議長にしたのは失敗だったな」
| | |  ̄ ̄ / /
ヽヽ ヽ__(二二)_/ /
━━━o━━━
/ /┌─┐/ |
そして迎えた1939年の議長選挙。ガンジーはシタマラヤを推薦したのに対し、
ボースは慣例を破り、再選を目指して立候補したのである。
, ─── 、
ゝ/ _____\ っ , ──── 、 「もう一回やったからいいだろ
/ |ノ/ ⌒ ヽ ⌒ヽl っ //⌒ヽ⌒ヽ \ 立候補を取り下げてくれないか」
l |─| ・|∠ | //|/ ・|・ \|ヽ、 ヽ
(( Y⌒ ` ー ヘー ヽ / `ー●ー ′ \ ヽ
ヽ_ /⌒ヽ___つ | 二 | 二 ヽ l
/⌒)、 ヽ | / l ─ | ─ | l
| 、_,(_ノ >、二二二) ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | l \
ヽ__ノ / .l/ \/ ヽ、 ヽ\ __( 二二 ノ | / \
| l | \ /⌒ヽ-`━━O━━━━━く
ヽ_ / | |\ lヽ__ ノ_\ / ヽ/ ヽ
「いやだ!
絶対に立候補するぞ!」
選挙の結果、ボースはシタマラヤを破り、見事議長に当選する。
これに対しガンジーは、ボースへの非協力姿勢を明確にし、国民会議派脱会すらちらつかせる。
これに慌てたネルーら国民会議派幹部は、ガンジー路線の継続を決議する。
___
_/___ヽ , − 、
/_____ `\ l
/ ´ ヽ\ ヽ ! 「ガンジーなくして国民会議は存在し得ない
. / ゙へ ゙へ ヽ ∨ ガンジーに協力を要請すべきだ」
l |) | |) | | |
, ── 、 l ( o l !
/____ \=@ ヽ `⊃ / /
|ノ \ | ヽ >━o━━━━く
l ⌒ヽ ⌒ヽ | | // ____ ヽ ヽ _ヽ
(| ‘|< ├l/ ^Y ( _| ヽ、__ノ ノ ( __)
l `ーc ー‐ ′ _ノ ヽ` ー─ ´ ノ-@
ヽ⊂_,−、 ノ==ヽ ( ̄ ̄(  ̄ ̄ ) ←ジャワハルラール・ネルー
>┬__─ ´/`ヽ | |  ̄ ̄  ̄ ̄
/ l/ \/l | ! |
__./−、/´| ノ ノ ノノ
l 、ll_ノ ̄ ̄⊂`ヽ/ ̄ ̄ ̄/l
ヽソ!.  ̄ 7(彡_ノ //
/____/
「わかったよ」
ボースはガンジーに面会し協力を依頼するも、
「君が議長なんだから
君の好きなようにやればいいだろ!」
, ───- 、
/ −、−\
/ , ─|/ ・|・ヽ|ヽ / \ | /
/ / `ー ●ー | , -── 、
| / 三 | 三 |_ ─ /____ ヽ=@
| | /⌒\__|___/ |ノ^#⌒\ | ヽ 「こんなにたのんでも?」
ヽ | | | \ | ミ|・) |─|__ ノ
ヽ ヽ `ー──┴─, lーヘ ー# u )- 、 「どうしてもだめなの?」
(( /━━━━O━∠_ (( ⊂〜〜⌒ヽ ノ/ \
l __◯_ |_◯ ⊂二二..// // )
| | ヽ__/ | ノノ (/ _/__//__/ \/-、
ヽ ヽ、__ ノ ) ∈_∈_ノ、_|__)
( ヽ___ ノ── ´
結局ガンジーの協力は得られず、ボースは議長の辞職に追い込まれる。
, -─- 、
ゝ/ _____\
/ | ノ −、 −、|
l |_/ | l 「マハトマの力がこれほどとは…」
∨^ l v|v |
ヽ_. ` ー ヘー 1
/| \ 〜〜、_つ
/ \/`r┬─ ´
/ / / |
/⌒ヽ / |
uuU^ ー─/|─ヽ
国民会議派ではガンジーの主流派とボースの急進派との対立が高まる中、
ヨーロッパではナチスドイツがポーランドへ侵攻、第二次世界大戦が勃発した。
/ ⌒ ゙ ⌒ \
/ ∠ \_ ヽ
i / -、 -\j 「我がドイツは無敵だ
| _/ | (| |(| | フランスも既に降伏した
|(t ゝ l _ まもなくイギリスも降伏するだろう」
└\ ノ|||| ノ ∩//
/\─_-、´ l (、 )
/ ^\ /^ヽ!^\/\/
| |==D=| / ←ヒトラー
この事態にボースは敵の敵ドイツと組んでイギリスを倒そうと決意する。
\
お そ .い ヽ
か の や |
し り ` ,. -──- 、
い .く / /⌒ i'⌒iヽ、
つ / ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ
は i ‐'''ナ''ー-- ● =''''''リ _,....:-‐‐‐-.、
l -‐i''''~ニ-‐,....!....、ー`ナ `r'=、-、、:::::::ヽr_
 ̄ \ヽー' !. t´ r''"´、_,::、::::} ノ` ,.i'・ ,!_`,!::::::::::::ヽ
ヾ、 ゝゝ、,,ニ=====ニ/r'⌒; rー`ー' ,! リ::::::::::::ノ
i`''''y--- (,iテ‐,'i~´,ゝ'´  ̄ ̄ヽ` :::::::::::ノ 「これは大チャンスだと思うんだ
.| !、,............, i }'´ _ 、ー_',,...`::::ィ'
●、_!,ヽ-r⌒i-、ノ-''‐、 ゝ`ーt---''ヽ'''''''|`ーt-'つ マハトマ、全インドに決起の号令を!」
( `ーイ ゙i 丿 ;'-,' ,ノー''''{`' !゙ヽノ ,ヽ,
`ー--' --'` ̄ `ー't,´`ヽ;;;、,,,,,,___,) ヽ'-゙'"
(`ー':;;;;;;;;;;;;;;;ノ
``''''''``'''''´
, -── 、 _____
ゝ/ ____\ /−、 −、 ヽ `\ 「この大戦の結果がどうあれ
/ | ノ / ⌒ヽ! / | ・|・ |- 、 ヽ 戦後にイギリスは疲弊する
l |__| ・| // `ー●ー ′ \ ヽ その時こそが真の独立のチャンスさ!
| /⌒ U ヽ_.ノっ / ─ | ── ヽ i それに背後から刺すようなマネは
ヽ ヽ _ つ | ─ | ── | | 道徳的にも賛成できない」
\/ / ̄ ̄ l ─ | ── l !
)__ 二二ノ ヽ / ̄\ / / _
/───ヽ _ ヽ/ \ / /(__)
| ⌒ヽ | (__)ー━━O━━━━━ ´ /
| | | | ヽ | / \ /
しかし、ガンジーら国民会議派主流派の支持を得ることはできなかった。
___
/ ____\
ゝ/ | ノ/⌒ !
/ |_| .| 「マハトマの言う通りにしてたらいつまでたっても独立なんか無理だ!
| /^` ヽ_ ノo 今こそが千載一遇のチャンスなんだ!
ヽ ヽ /⌒\_つ 今度ばかりは僕一人でも行動する!」
\/ | _
ヽ `──, ( )二l
j二二ヽ ̄ / `-ノ
─── / ⌒ | ̄| ̄ /
/\/ |-┴−´
__ / / | |.
── ( ) |───┤
─── ̄ | /ヽ、
>─┬ヽ、 \ __
/ ノ \ \/ )
───(⌒ / \ /
) | `−′ ───
─── ヽ、__ ) ───────────
こうしてボースはガンジーらと決別、ヒトラーと直談判すべくドイツ行を決意する。
_____
////l | l ヽ \
//// | | | | | \ ヽ
/ / /-┴┴┴┴┴┴┴┴-|
| | | //  ̄ ̄ ヽ/  ̄ ̄ヽ 「これだけ変装すれば、i
| | | i | | 見つかることなくドイツまで行けるはず」
| | |─| ・ | ・ |、
| /⌒ ヽ | ノi |
| | ) ` ── ´ > ─ ′!
| |ヽ__ ノ
| | | \ / ̄\/ ̄ヽ/
| | | | ヽ、 ____ /|
| | | | |/、`--、─'ヽ | | |
| | | | /\\/\// \ |
| | | /  ̄___` i
| | | 二 | | | |二|
| | | | /∋ ∈ヽ| |
ある時は保険外交員、またあるときは外交官と変装を駆使して厳しい監視の目をくぐり抜けて
インドを出国し、当時イギリス領だったアフガニスタンを通過して、ソ連に入国。
そしてついに1941年4月陸路にてドイツ・ベルリンに到着した。
. / ⌒ ⌒ \
/ ∠ \ ヽ , ──- 、=@ 「ぜひインドの独立に
. | / -、 -\j /__ ヽ 力を貸してほしい」
|__/ | ・| |・| | |−、ヽ | i
( r ゝ l |ヽ |─| |
. \ ノ |||| ノ d−′ ||) /
┌──┐ ヽ ̄) \ヘ/
/ヽ ̄ ̄ ̄ ヽ ` ┬──┐
| |==D=| | _∩ _/ ̄j ̄ ̄|
| | | | ∈ | / |
 ̄  ̄ ̄
「今、バルバロッサで忙しいんだ
それにインドの独立にはあと150年はかかるよ」
ボースの要請に対してヒトラーはこう答え、冷淡な反応しか示さなかった。
自由インド放送による反英の呼びかけ、インド人捕虜で編成された自由インド軍団の結成など
ドイツでもボースは積極的に活動したが、なかなか成果は表れなかった。
, -─- 、
ゝ/ ___ヽ
/ | //⌒|
. | (||─| ・| 「これじゃ何のためにドイツまで来たのか…」
ヽへ/ #ー b
ノ─、 〜⌒\_つ
/ ̄ ̄ヽ── ´
l | |
そんな中、日本が真珠湾攻撃を行い米英に宣戦を布告。
たちまちマレー半島、シンガポール、ビルマなどを占領した。
, -─── 、 /
ゝ/ _______\ /
/ | / ヽ|
/ | / ⌒ ヽ/⌒ヽ|  ̄
| |─| (・|・) |
V⌒` ヽ | ノ 「これはチャンスだ!
/  ̄ ̄) |\`ー─ ヘー つ 日本と組めばイギリスの打倒も可能だ!」
| 二 | | `ー─┬─ ´
| ノ、 \⌒ヽ⌒)_ ( ⌒\
/` ー/ヽ ヽ、 二二二ノ ( _)、 ヽ
/ / \/\/\ l ー ノ
ヽ_ / \/ \ _/
この知らせにボースは日本行きを熱望する。
しかし、既に独ソは戦争状態にあり、陸路、空路で日本へ行くルートは閉ざされていた。
, − 、 ─ 、
/ / \ ヽ
!/-、 -\ ! 「Uボートでマダガスカル沖まで運んであげよう
| |) | |)| |__| そこで日本海軍の潜水艦に引き渡す」
| ι r)
ヽ、 |||||ヽ ノ
_∩ _l 二二 l−、
∈ | ̄ ̄ i ヽ
 ̄  ̄ ̄ |===D=| |
| |ノ
|_______|
| |
ボースの強硬姿勢を煙たがっていたヒトラーも日本行きを容認した。
___
ゝ/____\
/ |丿/⌒ヽ⌒ヽ!
| __|─| ・|・ | 「鮫のウヨウヨする荒波のインド洋を渡り
( ∪` ー ヘー l 果たして無事に日本にたどり着けるだろうか…」
ヽ ___つ
>──┬ ´ 人人人 人人人 人人人
/ \/ヽ|\ 人人人人 ≡▲ 人人 人人
| \ \ |、 \ 人人人 ▲≡
┬─┴─ヽ⌒ヽ─、⌒ヽ-┐ ▲≡ 人人人
│  ̄  ̄
ドイツのUボートU180号から日本のイ26潜へゴムボートで渡る決死の航海を経て
1943年5月、ついにボースは東京へと到着。
, ─── 、
/ \
/ ヽ
/ ヽ
| , |
,
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /iヽ ̄ ̄ //  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(゙゙)ノ | | / / 「ついに日本に着いたぞ!」
, ─ /|_|-!_jノ─< /
∠__ ̄ ̄ __ヽ ←イ26潜
:::::::::::: ̄ ̄ ̄::::::::::::::
::::::::: ::::::::::::: :::::::::::
東京でボースは東条首相をはじめ、政府陸海軍首脳と相次いで会談し、インド独立への協力を依頼。支援の確約を得る。
「おお、インドの英雄ボースよ。」
,−、__ /
____ \ ( ─── 、 ヽ /
ゝ/ ____ヽ // \ | i ←東条英機
/ | / −、| | / ヽ |__|
| |─| (・| / ⊂⊃ )(ヽ/)、
ヽ (|| `− b /ヽ∩⊂───┐ ノ^\ / ))
ヽヘ/ ──┘ ヽ、 / ^\\ _ ノ ィ \
j二二ヽ ̄ (( / ` T_ / ヽ ────
/ l | / | | / |  ̄ ̄ ̄
| | | ! | / /
|__ l⌒⊃ `─ ヽ \__/ ─────
\_uuノ、 ,-v-、>━━━━━━ヽ^ヽ  ̄ ̄ ̄
ヽ ヽ ヽ | | | | ドタ ドタ
|─|─|_ (( ヽ__ 人 /\_ ノヽ__ノ _ - 、 ,⌒ヽ
(__( __ )  ̄ ̄ ( ) ( ) ( )
,−、 __
(────、ヽ
ゝ ─── 、 // \ | |
/ ______ヽ | / ヽ l_ | 「インドの独立のためにできるだけのことをしよう
| | / −、− 、| / ⊂⊃ ) とりあえずシンガポールへ行ってくれないか?」
| _|─| .|. | !⊂___ ノ\
( `ー o ー | \ヽ__ノ / \
\ ___⊃ / `───/ ヽ ))
/^| ヽ_─┬、′ / \/ i
/ \/\/ \ / / !
/ /| |ヽ \⌒\/⌒\ ノ
そして10月、シンガポールでボースを出迎えたのは、英印軍捕虜らで構成されたインド国民軍であった。
ボースはインド国民軍最高司令官兼自由インド仮政府首班に就任、
ヒンドゥー語で指導者を意味する“ネタジ”と呼ばれる様になるのである。
, ─── 、 /
ゝ/_____\ _ 「他国によって与えられた独立は簡単に奪われる!
/ | / ⌒\/⌒ l 我々が血を流して勝ち取らねば真の独立は得られない!
l |─| ・|∠ | 我々の任務は最後にデリーで勝利の行進をするまで終わらない!
Y⌒ ` ー ヘー ヽ チャロー!デリー! 進め!デリーへ!」
ヽ_ /⌒ヽ___つ
l | / _
>、 二二二) | )
(( / \/\|──/ 二)
/ l |__|、 (_ノ
/⌒ヽ/| |  ̄
11月、東京で開かれた大東亜会議にボースはオブザーバーとして出席。
これは、日本がインドを大東亜共栄圏に組み込むことなく、あくまで対等な相手として扱っていたためであった。
この席で、日本軍が占領していたアンダマン、ニコバル諸島を獲得した。
, -─- 、
ゝ/____\
/ | ノ⌒ヽ ⌒ヽ! 「日本こそアジアへの侵略を食い止めようとした
| __|-| ・|< | アジアにおける最初の強国です。
( ー-- ヘーっ アジアの自立のためには強力な日本が必要なのです!」
| /⌒ー┬−´
ヽ `──┴,
/ ▽▽「、 0`ヽ
l_| |  ̄|__l丿
(_)____| ̄
1944年3月、日印共同で援蒋ルートの遮断・ビルマの攻勢防御・インドへの侵攻を目指し、インパール作戦が開始された。
作戦序盤、不意をついた日本軍はコヒマを占領、インパールに迫る勢いを見せる。
-──- 、 _________
/_____ \ > |
|/⌒ヽ ⌒ヽヽ | ヽ > _______ | 「我が軍の快進撃を見ろ!
| / | ヽ |─| l  ̄ |/⌒ヽ ⌒ヽ\| | ジンギスカン作戦は大成功じゃないか!」
/ ー ヘ ー ′ ´^V _ | ^| ^ V⌒i
l \ / _丿 \ ̄ー ○ ー ′ _丿
. \ ` ー ´ / \ /
>ー── く / ____ く
/ |/\/ \  ̄/ |/\/ \
l l | l l l | l
ヽ、| | ノ ヽ、| | ノ ← 牟田口廉也
「このまま一気にインパール攻略だね」
インド国民軍も同盟軍としてこの作戦に参加し、一時はインド本国を占領するに至った。
, ──- 、
ゝ/______\ 「祖国インドの地だ!
/ | / , − 、 − 、l ついに我々は自由への第一歩を踏み出したのだ!」
l | / l l
l |─| ^|^ |
Y⌒ ` ─ ヘー ヽ
ヽ_ |`───┘ノ
∩ ヽ、_ヽ__// ∩
┘`ー┬─´\/\/ー┬─´ └-、
_ __|_ ノ |_|___三
| |
しかし、補給を無視した作戦はたちまち行き詰まり、イギリス軍の猛烈な反撃に遭う。
, ─ 、
「 反撃開始だ!」 (_(_(_, ヽ
, ─── 、 (⊃_ ノヽ
┃ ┃┃ /WWW \ \ l l
┣━ | | l \ll/ ヽ/^ヽノ |
┃ | | (| (。) ∠ ノ ! ←イギリス軍
┃┃ | | / (二) / ⌒ヽ | | /
━╋┓ /| l _ /\ \| l l く
\\ ┃┃ |\/ |/| (__/ \ ヽ ノ // \
\\ _| _└ ヽー`ー`─ ´ /´
☆ \ (ヽ \ |  ̄ ̄ ̄ / ⌒ヽ
/⌒ヽ ∠ \\/ヽ l  ̄ ̄| 二|
/ /\ |/ヽ/\ ヽ_ノ ヽ、_ ヽ_,_ノ
l_/\/\ /\/  ̄ \  ̄ ̄ ̄
また、例年より早く雨期が到来し、食糧不足で衰弱した兵士たちに追い打ちをかけた。
結果、戦死・病死・餓死を含め、作戦参加者の8割以上が死亡するという壊滅的な敗北を喫した。
, ──- 、
ゝ/ _____\ ___
/ | / \| ゝ/_____\
| | / ⌒ヽ ⌒ヽl 「もう食べるものがない… | | / −、−、| 「うう、マラリアに赤痢に…
| |─| /|ヽ | ひもじい」 |__|-| +|+ | とても戦争どころじゃない」
Y⌒ ヽ _ ヘ__ ノ ( ` −o-´|
ヽ_ /⌒\___つ (ヽ、──┘ノ
/⌒ヽヽ、−、/ /⌒ヽ ヽ ( ̄><ソ´|
|___| ` ーl_ ノ\ / ⊃ ̄ ̄| ∫| \`^ 人__ノ
| |/ _ノ/ /| | )) j__  ̄ |∫
| / |`ー´ | | !  ̄ ̄ ̄|∫
|`ー ´ _| ⊂ 二 ⊃ `┬-┬-┤
| ̄ ̄ ̄ ̄ |
さらに空陸一体となったイギリス軍の攻撃の前になすすべ無く敗退を繰り返した。
\ |∨∨ ノ , ──‐ 、
/ /、 ) ) /wwwv ヽ ヽ 「おらおら、制空権握って夜襲に気をつければ
─ / /l⌒ヽ∧ | ・ ・ |__ | おまえらなんか敵じゃねえんだよ!」
/ /l ゚\゚o' ノ /(二) _)
\ \\_ノ /( | ノ、
`( ♯(_/─ヽ /ノヽ ))
`^(`ー^ l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
/ (( /ヽ_ ノ______ l
| | | l |. |
「ぐは!食い物や弾が無くても戦うのが皇軍だ…」
その後も、アウンサン率いるビルマ国民軍の離反などにより、インド国民軍と日本軍は撤退を続け、
ボースも不本意ながらバンコク、そしてサイゴンへと撤退した。
、ー───────┐
> ______ |
 ̄ l/⌒ /⌒ヽヽ | | 「ちょっと北部撤退路の視察に行ってくる
| ・|・ ノ l/ヽ そのまま東京に行くかもしれんからよろしく」
/ーo ー ´ _ノ
'──−、 ノ___
. ∠___ / l l /`ヽ
/⌒ヽ ̄ l/\/ \ ̄Uヽ)
┌`7_ノ  ̄ ̄ヽ、__ ノヽ.
「| ̄ ̄ ̄ ̄| >−、_ ノ、__,−ヽ
| | /⌒ヽ /\/ヽ _|__ | |
|_|_____ヽ \\/ l.__ ノ
\二)ノ
/7 /7/7
イラワジ川会戦 _ ⌒ /7 /ニ ニ7  ̄
__/ | ( ) | / /ニ _ ̄//7 / / /7
| 、 )ヽ/ ( \ ☆ || // /_//_/  ̄  ̄  ̄
| | ̄ | |/ / ___
| ̄ ̄l /⌒)  ̄ -――  ̄
/ ̄ ヽ、  ̄`、 ̄ ̄ ̄| ̄) / /^ヽ , -―――-、
/_ _ ヽ_|―――┴--´ (ヽ´⊂) ∨∨∨∨| | , - 、
____∠」/ | / ☆ / /| |\ / \ | >_(・) |_ | (⊃ _)
ξ⌒( // ̄ ̄/ `l / ☆ / / | | \ \ | ,`T` _ 6) \ \
 ̄∪  ̄ ̄ l´二,二 | \ 〃 〃 | | \. ( |王王土/ノ――´ ノ
|| >| < |―9) \ ( ) ./ || \ヽ二7| ̄7 /
l 二 二_/~ } \ \ _, | \ | o ̄ ~| ̄
` ―--― ´ \/^ \ ( ) | o |
し、 、_ゝ ゝ ノ | o |
「このまま一気にラングーン占領だ!」
-──- 、
ゝ/ ______\ 「さあ、早く行きなさい
/ | / \| 私は最後に行くから」
l | / ⌒ヽ/⌒ヽ|_
! |─| ・|・ | )/) __
/⌒ ヽ_ ノ ヘ__ ノヽ /) /⌒´ \ 「ネタジ、気をつけて」
ヽ_ __っ ノ ( _) ( ( ( (\ ヽ
\ (__/ />ー ´ |ノヽ ^\ヽ i
/` ー_─┬ ´/ | |ノ l |ノ | l-、ノ
/ \/\| / _l ー 、 ー _丿
| 、 \ | ∠ ヽ、 、-、 / ヽ
ノ、 \ ヽ/ )_ //  ̄ >ー─イ、 \,ノ
|  ̄ ̄\/ 、-′ (/ \/ヽ|. i
ヽ__ヘ._\ ヽ).′ / 、 \ノ ノ, -、
| | \ `ヽ < /\  ̄|_ノ
,−/ヽ__ノ |ー─| /\/── ̄ヽ
| | / | .|__ /ー ′ `ーく
ヽ ヽ</ヽ / ー┴ ′) \_____ ノ
\.._ ノ `ー── ´ | ノ \ ヽ
ボースは撤退の際にも、必ず全部隊が徹底したのを確認してからしか、撤退しなかったという。
そして1945年8月11日、サイゴンでボースは日本の降伏を知らされる。
これを知ったボースは、イギリスの次なる敵と考えられるソ連へ向かうことを決意する。
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ゝ/ _______\
/ | ─\ /−、!
/ |_| ・ | ・ | 「日本の戦いは終わった、必ずや復興する日が来るだろう
| | | | ! しかし私の戦いはインドに自由が来る
/⌒` ` ー− っー ヽ その日まで終わらないのだ!
ヽ__ ノ ぜひソ連まで連れて行ってほしい」
// , -\ -─┘ /
/ / | ` ー─┬ ´
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/__/ /、 (_) ̄)
( ヽ\___ / ヽ、 | |二 ノ
( _ _ノ / `ー ´
しかし、8月18日。中継地の台湾、松山飛行場でボースの乗った飛行機が離陸に失敗し炎上。
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\ / 「こんなところで死ぬわけにはいかない!
_____ インドはまだ、インドはまだっ…!!」
/ ヽ /^ \
_ /________ ヽ (_/ ヽ
|ノ─ 、/─ 、ヽ | ヽ (_\/ !
,| \ |・ | | j ヽ `−ノ
. || 二 | | ̄ ⌒ヽ′ / /
/ /ー C ` ─ \) _ノ / /
! ⊂──´⌒ヽ ノ/( / ノノ
\ \_(⌒⌒_) /! ヽ、/
` ,┬─_− ´/ ヽ /
/ |/ \/ く
(( /\ \ ヽ
/, ─ 、/ \ /\
. ( l l j \ ___ / ヽ
ボースも負傷し、病院に運ばれるも死亡する。享年48歳。
政治状況から、ボースの遺骨がインドへ帰ることはできず、東京杉並区の蓮光寺に安置されている。
戦後、イギリスはボースに従って戦ったインド国民軍の将校らを戦犯として裁こうとした。
,┐ ___
∩ ̄ ̄l /wwwwヽ ヽ
. ∪__l / ミ_ ・) | | 「インド国民軍の奴等は反逆者だ
|_l / ⊂⊃ l/ヽ 戦犯として裁判にかけるべきだ!」
(二⊂ヽ ⊂____ /| _ノ
ヽ_) \ \\ _._ノ ノ
☆ // \ ノ\ヽ、` ー─´ /)、
_ //☆// ヽ/ ./ `  ̄ ̄ ̄ ´ ヽ
┌‐┐ _ / \ / / l
__[| |二(_ノ、 /l ()()()()/ ̄`ヽノ |
l( └‐┘ )l( ノ).ノ | _/ / |
/ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(l_l_l_ ノ ̄ ̄ ̄ ̄/l
/ ヽ、____ ノ / /
しかし、インド国内で反対運動が起き、イギリスもうやむやにせざるを得なくなる。
______
. / /⌒\/⌒ヽ
/ , −| ・|・ |、\ 「彼らはインドのために戦ったのだ!
/ / ` ー ●ー ′ヽヽ 戦犯だなんてとんでもない!」
/ / 二二 | 二  ̄ノ
l / /⌒\ ── | ─ /
| | /  ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄
l | | / /⌒ヽ
l | ヽ /⌒ヽ⌒ヽ |/ヽ__ ノ
ヽヽ `ー───┴─7 /
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/二二二ヽ
「そうだ!そうだ!」 |∧,,∧ | |
__ | ・ ・ |_| 「インド国民軍を助けろ!」
/ /  ̄ ̄ \ ⊂二 __)
⊂二>_ヽ__(_ ̄_ ヽ i / ̄ ̄└─┐ ノ|\l>
| ・) ・) | |) | |) | | ⊂二二>-┬// |∠lヽ
( ^ | 丶 _) | (・ )( ・ ) |_ ̄/▽▽^゙\
` -─ ヽ._⌒ ィ−' | ⊂⊃ _)| | |\ヽ
/ / || ̄||^ヽ ヽ、(「「「「).ノ | | |//
| | | || ⊂ ̄) ̄/ ̄ ̄ ヽ| | (_)′
この運動が1948年のインド独立につながっていくのである。
人々は言う「ボースは死してなお、インドを独立に導いた」と。
現在、インドの国会議事堂には3人の肖像画が掛けられている。
左にインドの初代首相、ネルー
右にインド独立の父、偉大なる魂・ガンジー
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ヽ/ / / 、,, ,,ヽ / 三ノ) l. |-| ・|・ | //| /|ヽ |ヽ ヽ
/ / /^ヽ /ヽ i ヽ._ \Y^ ヽ._ ノヘ __ノ / `ー● ー ′ \ ヽ
i i | (゚| | (゚| | \ \_ /⌒\ ___つ l ─ | 二 ヽ i
|. | ー ′ oー′l \ノ \ヽ__( | 二 | ─ | |
ヽ ! ,−、 ノ \ \/ヽ/ヽ | | l !
ヽ ヽ (__ ノ / | 「ヽ ヽ(__|___/ / /
>━━━o━━━く ヽ / /
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そして中央にネタジ=指導者と呼ばれた男、スバス・チャンドラ・ボース
インドのためにその身を捧げた男である。
ドラえもんのび太とネタジと呼ばれた男 完