フランチェスコ・ダティーニはイタリアの都市プラートに貧しい旅館の息子として生まれた。
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1348年、ダティーニが13歳のときペストが大流行。
彼は両親を亡くしピエーラ・ボスケッティという女性に引き取られ養育される。
その翌年にはフィレンツェの商店に見習いに出て、そこで勤めているうちに
アヴィニョンの好況振りを耳にする。
「今に蹄も金製になるらしい」
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当時のアヴィニョンには教皇が臨在し教皇庁の関連施設と高官の邸宅が
立ち並んでイタリア人商人が彼らの需要を満たして莫大な利益を上げていた。
15歳になったダティーニは自分の財産を処分して資金を作るとフランスへ旅立った。
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 ̄ l/⌒ /⌒ヽヽ | | 「あつかうなら武器だね
| ・|・ ノ l/ヽ 治安を乱す側守る側双方に売りつけよう」
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┌`7_ノ  ̄ ̄ヽ、__ ノヽ.
「| ̄ ̄ ̄ ̄| >−、_ ノ、__,−ヽ
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\二)ノ
目論見どおりアヴィニョンでの商売は出だしから上手くいった。順調に店舗を増やし
バルセロナにも支店を置く。万事慎重な彼はほかのフィレンツェ商人たちの様に
教皇庁の徴税請負人になって金融業をやらず確実に利益の出せる商品で堅実に
稼ぐのを好んだが、その為にアヴィニョンの本社から手紙を出しまくりヨーロッパ中での
商活動を指示して倦まなかった。
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>_______ | 「取引の結果が気になって
 ̄ |/ −、 ─ 、ヽ| | 手紙を出さずにはいられないよ」
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|| ・ | ・ ノ ⌒ヽ
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(( (ヽ)(.ノ`ーく | |__|/⊃ |
1375年、教皇領の反乱をフィレンツェが支援し激怒したグレゴリウス11世が
フィレンツェ全市を破門する事件が起こった。
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/ | ノ i
. i __| (・| 「ジョン・ホークウッドを差し向けろ!」
| ( ○
ヽ/ /⌒ヽ__つ
_| |二⊃ (^ヽ、
| \ ヽ──、 (⊃`ヽ)
/ \ ̄j ̄\/\へ ノ
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グレゴリウス11世
英仏両国は早速自国領内のフィレンツェ商人の財産を没収。
「うまうま」
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「うまうま」 / \
___ |┬--<二二⊃
/____ヽ / ⌒ |_| ・ ・|
|__| / ヽ|/ /(d o | ヽ
(d ・ ・ | / └,\ └ 丿 ノ
j、 )⌒ ) / | | / |  ̄ ̄ /
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/|\\_ |⌒)⌒)  ̄ ̄|─| | ̄ ̄) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | cーU # ノ / っ
|  ̄ /⌒i ̄  ̄ ヽ /| ̄ ̄)  ̄ ̄ | フィレンツェ | | ⊂_/ ⌒ヽ\ヘ/ っ
\_|__ |─-| ─| /  ̄ ̄ | 在外資産 | | ⊂j ゙ .へ
/|─ | | ̄ ̄) |______|/(ヽ∩ヽ二二 // ヽ
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 ̄ ̄
アヴィニョンで幅を利かせていたフィレンツェ商人は急いで店を手放さなければならなくなったが
プラートに籍を置くダティーニは当然破門されておらずこの幸運な機会を捉えて急激に資本を増大させた。
教皇のローマ帰還が現実味を帯びてくるとダティーニはプラートへ帰郷した。
毛織物産業の盛んなプラートでは羊毛業組合に加入して毛織物の製造販売に手をつけたが
しばらくすると経営に都合のいいフィレンツェに移った。
彼の活動の基盤は会社組織にあり各地の共同経営者と設立した企業との連絡に
フィレンツェ商人の郵便制度を利用したほか独自の通信網をも整備していた。
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>  ̄ ̄ ̄ l
>_______ | 「陸には山賊
 ̄ |ノ−、w─ 、ヽ| | ノ) 海には海賊
∩ || | l | | /  ̄⊃ 教誨師は商品を孕ませるし
,‐| |-、 || ・ | ・ ノ ⌒ヽ /\_(丿 どうなってんのよ、もう」
(ヽ)(.ノ/\ /`ー o ー ´ _丿 )) /
| | /__ ノ ___
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,‐| |-、 /|/\/ ヽ. | |
(( (ヽ)(.ノ`ーく | |__|/⊃ |
両替商組合に加入して銀行業にも手を広げたがこれは友人たちから厳しい非難を招いた。
当時、貸付によって利子を得ることは教会によって禁止されており堕地獄の罪業と
みなされたが現実に商業上必須となっていた銀行と高利貸しの区別はまったく曖昧であった。
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/  ̄  ̄ ヽ. i
\\ /  ̄ ̄ ̄ ̄ \ \ | 「時間を売り買いするなんてとんでもない!」
/ へ /ヽ ヽ ヽノ
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\\| `− 6 `−′ |. |
! ! !
ヽ /  ̄ ̄ ̄ \ / /
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「 ̄ー| ー |─| | 「しかし罪は魂が犯すのであって
/ー 0 ー─ ´ ⌒ヽ 魂を持たない組織である銀行は
| (\ ヽ _丿 高利の罪を犯しえないのです」
l (_ | ノ、
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/7 | / |/ > l ヽ
l ヽ | / / \ l
| O ´ | ノ
ダティーニ自身も神を畏れ敬うことにかけて同時代の人々と異なることはなかった。
とくに晩年には熱心に宗教書を読み説教を聞きにいくようになる。
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/ vwww ヽ
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ゝ/____\ ( ⊂⊃ ヽ 「聖ベルナルディーノの説教は最高だったよ」
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( ー oー ! / ` ー── ´ \ > ____  ̄l
ヽ、 (⌒/ノ / ヽ  ̄ l⌒ヽヽ| |
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1399年、再びペストが流行の兆しを見せる。
死の病がプラートにまで迫ると家族を連れてボローニャへと避難した。
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| ┌-/⌒ヽ/⌒ヽ── 「1348年の再現じゃないか!」
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`┬_── ´___/ 二⊃
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疫病は瞬く間にイタリアを蹂躙。
どの都市でも夥しい死者を出し彼の共同経営者も何人かこのとき犠牲になった。
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ようやく疫病がおさまってプラートへ帰ってからはこの地を出ることはなかった。
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1410年8月16日、徒手空拳から一代で財を成したこの大商人は世を去った。
10万フィオリーニに上る巨額の遺産は救貧院に寄付され遺族には
年100フィオリーニの収入が残された。
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/ 神と利益の //|
/ ために ///
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三三三三三三三//
三三三三三三三/
だが彼の残したもので最も価値あるものは書簡15万通と帳簿500冊という
膨大な史料である。これによって彼は後世に14世紀の商人のありのままの
姿を伝えるという偉大な貢献をなしたのである。