136 :
世界@名無史さん :
2006/12/08(金) 21:58:50 0 >>133 つまり、
>>126 さんの
>共産側に殺された民間人より
>旧政府側に殺された南の民間人のがはるかに多い
という指摘に対して、
>>129 さんの
>誤爆、誤砲撃、誤射撃は、どちらにもあり、米軍はそれを比較的正直に公表する。
はどういう関係があるのだろうか。
と、言うことでしょうね。
137 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 22:09:57 0
138 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 22:12:02 0
◆「共産主義黒書」 平成9年(1997)にフランスで刊行された「共産主義黒書」は、 共産主義の犯罪を厳しく検証しています。編者ステファン・クルトワによると、 共産主義による犠牲者は、8,000万人から1億人にのぼるとされます。 この数字は、ヒトラー・ナチズムによる犠牲者数とされる2,500万人を 軽く上回ります。クルトワは同書において、共産主義体制により殺害された 犠牲者数の国・地域別の一覧を提示しています。 それによると、 ソ連 2,000万人 中国 6,500万人 ベトナム 100万人 北朝鮮 200万人 カンボジア 200万人 東欧 100万人 ラテンアメリカ 15万人 アフリカ 170万人 アフガニスタン 150万人 コミンテルンと権力を握っていない共産党 約1万人 ---------------------------------- 総計 約1億人 となっています。
>>137 そんな考え方じゃ、一生誇りは持てないままだ。
140 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 22:28:06 0
>>133 戦後の粛清に関する数字だけど
NYタイムス記者Neil Sheehan の「After The War was over」に
米側が南側協力者の収容者数と犠牲者の見積もりをしているのが
載っていて(それらは旧政府協力者=米政府の受け入れリストに入る人々など)
それによると数年以上の長期収容者10万人のうち6400人が施設から未帰還という事で
処刑・粛清の疑惑がかかってるのこの数字だそうです。
少数民族のモン族は米軍と関係が深く特殊部隊に多くいたので
上の数字に軍関係者としてかなり含まれていると思われる。
しかし戦後モン族何十万という数字が死んだという話の根拠はなく
それは「フセイン政権下で100万人が死んだ」式の誇大プロパガンタと同じでしょう。
>>131 の「米推計でも戦中の共産側による民間人死者の累計が3万七千人を超えない」
という話とあわせても、戦中戦後何十万もの虐殺が起こった、というのは考えにくい。
戦後南部でも警察・治安部隊・軍などは地元部隊からなってるわけで
本当にアシャウ氏のいうような何十万も殺されてるならば、
南部人に武器を渡して治安維持させるなどという事は絶対不可能です。
それこそ50年代後半のベトミン蜂起のようになってしますはず。
141 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 22:50:26 O
ベトナム戦争でどちらかにに正義を求めるなら、「モンの悲劇」を読んでからにするコトを勧めます。
>>141 正義を求めるつもりは無いが、どちらかって言うのは
どことどこを指しているんだろうか、、、
143 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 23:01:00 O
>142 ベトナムorアメリカ 中国やソ連、ラオス・カンボジアを含めてもいい。最大の悪は、いみじくも共産主義が嫌う「国家」を共産側が掲げた事実でしょう。
何を指摘しようが、どんなプロパガンダを掲げようが、 枯葉剤を大量散布する様な連中が正義には見えんだろうな。
145 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 23:14:47 0
モン族はベトナムにもいたがベトナムよりむしろラオスでしょ。 米軍撤退前にタイ領に部族ごと移動。 戦後ラオス政府はモン族の帰還を拒否。 その後大量に米国に移住。 イラクのクルド人みたいなもん。 インドシナ戦争では仏軍に組織されベトナム戦争では米軍に組織された。 ベトミン・ベトコンに入る者も一部いた。 モン族20万強制移住ってのはラオスの話と混同してると思う。
146 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 00:22:56 O
でも戦後にはベトナムで強制移住みたいなのがあったらしいじゃないですか。スターリンの朝鮮人強制移住みたいに。 モンだけじゃなく、タイ・ラーデ・カー・ヤオ・クォミンタンも巻き込まれてますし。 そもそも少数民族にとってはもちろん、ラオスとベトナムに明確な境界って無い気がするんですが....
日本も含め、わざわざ少数民族に配慮して国境線引く国はあまし無い。
148 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 01:06:04 0
133はラオス中心とするインドシナ全域のモンの話を戦後南ベトナムの話と混同してない?
モン族ってラオス北部、北ベトナム北部、タイビルマ北部に居住する
雲南から南下した中国系の少数民族で一番多いのはラオス。
(だから
>>145 のレスをベトコン→パテトラオに訂正)
インドシナ戦争では仏軍に組織されたがそれ以前にもキン族とは長い事対立してたし
ベトナム戦争以前から根深い対立がある。
ラオスのモン族は戦後追放みたいになって流浪したし
中越戦争の頃には中越国境あたりに住むモン族はかなり迫害受けてたようだが。
で、
>>131 と
>>140 のレスは南部ベトナムの話をしてるので間違ってはないよ。
>>139 200万のボートピープル(鮫や魚や蟹のえさになった奴を除いてナ)を犠牲にして
その上ソ連の援助が無いとやっていけない「誇り」って奴かWww
シーレーンを第7艦隊に守ってもらってる国の人間が言うか。
UNHCRの数字によるとインドシナ三国から海路陸路で出国しそのまま海外で定住したものは130万。 また上記の親族が移民枠で空路出国したのが約60万 行き先は米が最も多く75〜2000年の間までの移住者インドシナ三国合計で159.8万人 海外で生まれた二世を含んでたり 一部難民やタイにいたのは帰還がかなり進んでいるので各資料でゆれはあるけども。 ちなみにベトナムからは華僑、華人が80万は出国したといわれ かなり比率高い
>>149 ボートピープルも犠牲者
南北ベトナム人も犠牲者
大国のエゴに翻弄されながらも、自分らの生活を守りぬいた誇り高き民族だな。
自分も「インドシナ〜ベトナム戦争」を戦い抜いた(北)ベトナムには脱帽する。 でも、手放しで犠牲者扱いするのはどうか? ペとナムって東南アジアでは(少なくとも軍事的には)大国だぞ。 シアヌーク殿下がえらく迷惑してた(笑)。
ボートピーポー=大半はチャンコロ 誇り高い民族ではありません。 ベトナム人より数が多いために西海岸には中国人難民施設がわざわざ作られベトナム人施設よりにぎわってた。 サイゴンに里帰りした中国人難民はいまや成功者でベトナムに投資再開したはいいが 商売上手すぎてベトナム人の分まで儲けてしまう。 また華僑でもベトナム国籍持つのと持たないのがいた。 ジェム時代、農村から徴兵が上手くいかなかった為華僑に国籍やって 徴兵を課そうという腹で華僑のベトナム国籍取得が急速に進められた。 中国籍の華人のみ華僑として扱ってる書物も多い。 ちなみに70年代中越戦争前後にピークだった海路出国は 80年に空路出国の道が開けて以降下火となった。
155 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 13:08:31 0
南が勝ったら経済成長と言うよりも、南は勝つためには経済成長させるしかなかった。 北は持っている人たち(地主、華僑、フランス人など)から、奪う事を目標に掲げ、味方集めしていたからな。 南は同じ事が出来ない以上、パイを大きくする事が求められた。
でもそれって、アメリカがドルばらまいてただけじゃん。 それもでも経済成長って言うのかね。
157 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 13:33:00 0
モン族ってラオスが主戦場だよね。 ラオスは人口が少なくトップ間でも血縁関係が強いことから左右両派の対立もあまり深くなく 早くから連立政権が出来るくらいだった。 米国としてはもっと先鋭的な反共の尖兵が欲しく 主要民族のラオ族と歴史的に対立していた山岳民族のモン族に目をつけた。 米CIAと結んで平地ラオス人やベトナム革命勢力と戦ったが 戦中から反共戦略上の理由で米にタイやカンボジア山岳部に移住させられた。 その間平地ラオス人の住むジャール平原や東北部諸都市には米軍の絨毯爆撃で 200万トンの爆弾が落とされて30万が死んだ。 戦後ラオ族との遺恨は残り辛酸を舐めタイで難民してたがモン族みなまとめて米国移住、てなとこでしょ。
158 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 13:34:13 0
アメリカは2次産業を発展させる意識が乏しかったからな 自国や協力国(韓国など)から物資を調達していたし 工場で働いて、給料を得る形をとって、不満分子になる恐れのある層を拘束していたら、 ゲリラ側は戦力の補充に苦しんでいたのでは サービス業だけでは、吸収できなかったのでしょう。
ハノイでのAPECでブッシュも何やら言っていたが、 このスレを見ても、ベトナムが後世に与えた影響って大きい。 割りに、当事者=ベトナム人の言葉はあまり参照されず、 周りが騒いでいる感じがして、それが好きだ。
160 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 16:41:11 O
クォミンタン=Kuomintang=中國國民黨残留兵のベトナム戦争時の働きについて、詳しい方はいませんか? パテトラオと中国人民軍にラオス北部で対抗していたというくらいしか知らないんですが.....
162 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 12:00:36 0
>>135 さん
「腐敗が将来にわたって大きな犠牲を生む」
確かにその通りだと思う。
ホーチミンで交通違反(駐車禁止、スピード、ヘルメット未着)などをしても、
10万ドンだせば、たいてい片が付くだろう。
党幹部子弟の特権は昔からだが、ドイモイ以降は、経済的な腐敗も加わった。
しかし、それでもおれは、庶民がバイクにのり、テレビを楽しみ、
努力次第では、会社を作ったり、私立学校に入れたり出来る今の方が良いと思う。
163 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 12:01:12 0
>>136 さん
「誤射、誤爆」との関係について。
共産側は、民間人殺害があっても、基本的発表しないということ。
仮に糾合地区の村人で、「南側協力者」「地主」を大量に処刑し、
その中にグレーゾーンがいても、「間違って一部無実の民間人を処刑した」とは発表しない。
もちろん、ベトナムのような戦場では、戦闘時に誤射で民間人を殺傷することは良くあるが、
米軍はある程度公表しても、共産側は公表することは少ない。
こういった事情も、「殺された数」にかなり関係してくる。
……という意味です。
164 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 12:01:49 0
165 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 12:07:36 0
>>158 さん
これは大事な指摘だと思う。
二次産業の労働者は、基本的に民主国家支持者になると思う。
それと、農民に土地を持たせて自作農にするのも効果があったろう。
アメリカは、そういう地道な作戦が苦手で、かつ、白黒分けたがるので
中間層を取りこぼすことになる(今のイラクが典型だ)。
現在でも、ベトナムは工業が弱い。
まともな工場は、外資系の会社ばかりだ。
手先が器用で、機械の扱いは見事なものだが、簡単なバイクの部品も、
なかなか国産化できず、外国から輸入している。
今のベトナムの二次産業は、基本的にアッセンブリーではないか。
>>157 モン族は一枚岩じゃなく
リ氏族とロ氏族の両氏族が長い間反目・抗争しててそれに目をつけた形で
前者は仏・米に組織され、後者はモン・リヤ(共産モン)としてベトミン・パテトラオに組織された。
ベトナム北部にもモンがいてそれらは北ベトナム軍に入って戦った。
モンの被害が大きいのは米CIAの前線部隊だった事と
左右両陣営に分れて同族同士でも前線で戦った事から。
そして平野ラオ族のみならず左派モンも米の大量爆撃を受けた。
ホーチミンルート含めラオス全土への爆撃は史上最大級で30万人は死んだ。
5百キロ爆弾、クラスター爆弾、ナパームが数百トン、枯葉剤、サリン爆弾なども使用された。
投下爆弾の10〜30%が不発弾でジャール平原は今も復興せず土地利用の妨げになってる。
167 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 13:25:44 0
>>166 さん
モン族に限らず、ベトナムの少数民族は、外部勢力に利用されてきた。
フランス植民地時代は、モンタニという(山岳民族ということか)で、
内部に対立要因のある部族は、分裂させ、敵対部族のある場合は、対立させて、つかった。
モン族は大きい方だが、クメール系などは、ホーチミンルート建設で利用し、
解放後は、ポルポト内通を疑われて(まあ口実)住居を追われたりした。
少数民族にとって、キャンプに入れられたり、強制移住は、即座に疾病や飢餓とむすびつく。
こういった部族は、正確な人口統計などないので、解放後の死傷者は、正確には分からない。
モン族が比較的分かっているのは、米軍の軍属としてIDカードがあったからだ。
、
168 :
世界@名無史さん :2006/12/11(月) 13:43:09 0
北ベトナムが勝てたのは国の中に引っ込みジャングルや川などの自然を 利用出来るうえ、負けそうと分かればすぐ逃げることが出来るからだ。 その上、後ろから直接に支那、ソ連から支援されてたからいくらでも戦えた。 ベトナム兵でもこれが島での戦場だったら超雑魚だろ。 南ベトナムを支援していたアメリカは遠い所から兵を送らなければならず ハンデが大きい。 だいたいこんな感じでしょうか?
ん〜間違ってはいないと思うけど NVAはゲリラ戦に強いだけでなく、正規戦でも欧米の軍隊とタメで戦える能力を持ってだぞ(例えばケサン攻防戦)。 こんな軍隊はそうざらにはないだろう。 それに南ベトナムへの補給は陸路。猛烈な空爆にもかかわらずこれを維持し続けた。 また米→南べは確かに遠いが、間は海。しかもじゃまする潜水艦とかもいない。 フネで物を運ぶのが一番楽。 却って地続きのソ連・アフガンの方が補給しんどかった(トラックでしか運べないから)。
171 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 18:09:10 0
>>169 さん
>>170 さん
おれは
>>170 さんの方が正しいと思う。
北ベトナム軍(NLFの軍事部門も含む)は、与えられた状況のなかで、
ゲリラ戦から、機甲部隊を使った正規軍同士の戦いまで、さまざまな戦闘に能力を発揮した。
>170さんがあげているケサンもそうだし、広範なテト攻勢、1975年の「電撃戦」といい、
開発途上国の軍隊としては、高度な作戦能力を示している。
また、一貫してホーチミンルート建設に戦争資源を投入し、補給を重視したのも、
近代戦を良く理解していたといえる。
ベトナム軍の戦闘能力は、中越戦争でも発揮され、戦力に勝る中国正規軍を、
二線級の部隊で釘付けにし、戦力集中後、簡単に追い返していることにもあらわれている。
補給の面では、陸路の多かったソ連、中国からよりも、アメリカの方が有利だった。
共産側は、アメリカの制海権があるトンキン湾、ハイフォン港の爆撃などを
かいくぐって輸送しなくてはならない。
それに対し、アメリカは、兵力は安価な海上輸送で、軍需物資は日本から豊富に調達できた。
総合的に見て(北)ベトナム軍は、世界でも屈指の優れた軍隊といえるのではないか。
しかもあまり言わない奥ゆかしい国だな。 米国とも国交を回復して、懸案の中国への抑止迄考えているし。
173 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 18:53:03 0
>>172 さん
その通りですね。
ベトナムは伝統的に中国とは仲が悪い。
韓国が中国の支配を喜んで受け入れたのと比較すると、
ベトナムは、あくまで政治的支配に抵抗している。
元と戦って、一応追い返したのは、東アジアでは
日本とベトナムくらいではないか。
アメリカが中国のカウンターとして利用したくなるのもよく分かる。
174 :
世界@名無史さん :2006/12/11(月) 20:24:36 O
>161 有難う御坐います。 >166 たしか右派モンの村も、アメリカの爆撃を受けたんですよね? それもモン族パイロットによって。ファイダン将軍も左派政権では冷遇されたと聞きます。大国の論理に振り回された民族は確かにモンだけではないですが.... >167 自分はフランス語わからないんですが、モンタニ、とはモンタニャードのコトでしょうか?
>米軍の軍属としてIDカードがあったからだ ちょっと教えてほしいのだが、 アメリカは南ベトナム人には基本的に全てIDカード発行した。 ラオスとかカンボジアもそうなの? ラオスのモンは人口六十万人くらいいたらしいが「軍属」IDカード持ってたのは どのくらい?南ベトナムは? あなたは戦中戦後の移住で20万のうち過半数が死んだ、と書いたが IDカードでどう調べるの?
176 :
アシャウ937 :2006/12/11(月) 20:36:04 0
>>174 さん
モン族も悲劇的な運命をたどりましたね。
チュン・ニュー・ダンの「裏切られたベトナム革命」を読むと、素朴な愛国者だった、
チュンが、解放戦線に身を投じ、結局解放後に北政府に裏切られていく過程が、
まさに理想主義の崩壊と、権力闘争を生々しく描いていて、ベトナムの重さを感じます。
なるほど、モンタニは、フランス語のモンタニャードのことでしたか。
現地のベトナム人が「モンタニ」というので、何語かと思いました。
177 :
>174 :2006/12/11(月) 21:16:15 O
>175 モン族その他の山岳民族によって組織された特殊攻撃部隊は、秘密戦争を戦うために軍とは切り離されてCIAによって組織されてますよね。それも軍事顧問という形で。 撃墜されても直ぐに回収されたパイロットがいたことから、フライングタイガースの服に中国語で連合国印がついていたように、しっかりと管理されていたものと思われます (フライングタイガース自体が、CIAの前身によって組織されてます。また、特殊攻撃部隊の回収や補給を行った飛行機運輸会社エア=アメリカは闇スポンサーがCIAで、経営も全てCIAの会社であり、フライングタイガースの後身とアメリカ政府も認めています) >176 ベトナム共産党とラオス共産党は結構えげつないですよね。 まずフランスからの独立とベトナム戦争にあたり、親欧米派を粛清。 そして1972年の米中接近で、中国の裏切りに対して華僑虐殺。 ベトナム戦争終了で南ベトナムの資産階級虐殺。 クメールルージュの文革中国化で親カンボジア派を粛清。 中越戦争で親中派を粛清。 一連の過程で行き過ぎに警告をしてきた南ベトナムの共産主義者を粛清....
>>アシャウさん 治安部隊というか警察と軍の事ね。 上層クラスは解放戦線や北出身者だが実務は現地人から採用している。 サイゴンの運動場でサイゴン警察対ハノイ警察で サッカー大会やって現地家族らが観戦してたりします。 軍もそうで ベトナム軍は中越戦争は北部人部隊が、78年カンボジア侵攻は南部人部隊が戦った。 帰還式典ではサイゴンで現地の家族らが国旗持って帰還兵歓迎していたし カンボジア戦線帰還兵はサイゴンに沢山います。 将校クラスは北出身や解放戦線の関係だが兵隊は南部現地採用です。
>>173 「東アジア」と「元」で括ったらそもそも日朝(+越)しかないわけで…。
180 :
世界@名無史さん :2006/12/12(火) 04:05:50 O
最近ラオスに行ったが、モンのやつらはアメリカ亡命した親類からの送金でみんないい生活しているって言ってたよ。
181 :
アシャウ937 :2006/12/12(火) 11:15:14 0
>>178 さん
ベトナムの警察や軍で南部人を採用していても、それは旧NLFの親族や関係者、
または、労働党関係者ではないだろうか?
1975年以降、南部、特に都市部には、北部から労働党員とその家族が、
大量に移住し、軍関係者を含めると相当な数に上る。
ホーチミンの行政や治安組織を握るのは、こういった「革命の人」たちだ。
ベトナムは、今不動産価格が高騰して、それでも受けている連中がかなりいる。
目抜き通りなどの物件の所有者を調べてみると、多くの場合が北部出身者で、
解放後に移住してきた人たちだ。
中国でもそうだが、社会主義国の開放政策は、国家財産、特に国営企業と不動産を、
党幹部所有にすることで、資本主義経済への呼び水にして成功した。
これらは、市場化への道だが、一方で特権的な階層を生むことにもつながる。
労働党幹部は、ドイモイで従来の政治的な特権に加え、経済的な力もつけている。
182 :
世界@名無史さん :2006/12/12(火) 20:57:54 0
北と南では方言は勿論の事、単語の綴りまで違っていたな。 理髪店という単語も北と南で綴りが違っていて、移住した人は、結構戸惑っているかもな。
>ベトナムの警察や軍で南部人を採用していても、それは旧NLFの親族や関係者、 >または、労働党関係者ではないだろうか? カンボジア侵攻の兵力は期間を通じて数十万の若者がいたわけですが それらは南部で徴兵されていました。 同時期の中越戦争は北部人部隊、カンボジア戦争は南部人部隊といわれて 期間式典の家族らも南部訛りの現地人でした。 当時も今も南部基地では地元師団が形成されてますよ。 まあ将校クラスがNLFや移住してきた北部人関係というのは否定しません。 行政組織もね。 アシャウさん登場以来スレの流れがやたら速いのでサゲます。
184 :
世界@名無史さん :2006/12/15(金) 14:35:00 0
アメリカがベトナムとの国交回復する段になって、 米国内の国交回復反対派のデモがニュースとして取り上げられていて、 それが中年暴走族の格好なので、ちょっと引いた この戦争に関わった人たちは、死ぬまで苦しみ続ける人も多いのだろう
ベトナムから国に帰ってみれば空港にウジ虫共がうじゃうじゃ居てオレに抗議するんだ! 女や赤ん坊殺したの何のって言いたい放題だ!あいつ等に何が分かる! あいつ等も、俺達と同じナムに居て、同じ思いをしてあそこで立って喚いていんのか! 「皆、絶望して苦しんでいたんだ、もう済んだことだ」 ナムじゃ戦車にも乗れたし、百万もする武器も自由に使えた、 お互い助け合い支え合っていた、だがここには何もねぇーーー! でも国に帰って見りゃ駐車場の係り員にもなれねぇんだ! 「おまえは私が育てた最後の隊員だ無駄に死んでくれるな」 ランボー 1 FastBlood
>>163 >米軍はある程度公表しても、共産側は公表することは少ない。
ベトナムでは確信犯で民間人を殺していたケースも少なくないが
これらも「誤」射にカウントするのかね?
イラクを見ても思うんだが、公表したからって誤爆が許されるわけじゃないよな。。
ましてや米軍はわざわざ、外国まで戦争に行ってるんだから
民間人を殺したことについては当事国の誤射より、真摯に受け止めるべきだろうな。
公表するのもいいが、もう少し良い責任の取り方は無いものだろうか。
名札や看板があるわけじゃないし 名札や看板があってもそれが正しいわけでもないし
そして招待状があるわけでもない。
ならドロボーだな
>>175 モン族はタイ、ラオス北部、北ベトナム北部に住んでるメオザオ語系
中国から南下した少数民族で
ベトナム共和国(南の)にはいない
南部にいるのはマレー語系とかモンクメール語系の南方起源人種の雑多な山岳諸民族で全く別もの
ラオスのCIA傭兵部隊はリ氏族系のモンおおよそ3万5千人程度
右派のリ族モンと古くから抗争してたのはロ族系の左派モン(モン・リヤ)で
戦前白スカートはいてた部族は米戦闘機から見つからないようにとの理由で
戦後黒スカートになった
>>140 それは誤り。
・戦後再教育キャンプ収容になってた旧政府・軍協力者10万人うち9.4万人釈放
・9.4万の被収容者とそのベトナムに残ってた家族 合計して約50万人
・米は特別難民計画で3年以上の被収容者と、その扶養家族受け入れに同意=3年ルール
(扶養家族と3年以上の被収容者本人あわせて14.5万)
・92春までに14.5万のうち渡米希望したもの家族4.5万被収容者4.5万計9万人渡米
・失業率緩和の為ベトナム側は9.4万人の被収容者とその扶養家族ら、あわせて50万全員の受け入れを米に要請
(当時ベトナムの失業率25%以上、米は3年以下の被収容者に関しては受け入れ断る=1992時点)
・米が問題視してるのは10万人のうち未釈放6000人分(1992年)
Neil Sheehan / After The War Was Over/1992 当時の米紙参照の事
今ひとつ、どこを指して誤りと言ってるのか解からない
>>186 マスコミに漏れた分のみ「誤爆」「誤射」として少なめに公表されてただけです
194 :
アシャウ937 :2006/12/18(月) 17:54:11 0
>>183 さん
ベトナム戦争時、戦後の犠牲者、軍隊・役人の登用は、
おれがベトナムの知り合いから直接聞いた話なので、立場や経験による、
バイアスがかかっている可能性がある。
範囲南部人出身者の「地元師団」は、なるほどと思う。
ある意味、カンボジアなどの前線に南部人兵士をかり出すのは、
朝鮮戦争時に旧国民党投降者を、「義勇軍」に仕立てて、朝鮮戦争にかり出した、
中国共産党のやり方に似ているような気がする。
軍、公安に関しては、今も旧MACV関係者は、将校、幹部には、登用されないという。共産党入党、士官学校入学などは、「親子親族3代」に渡って調査するという。
195 :
アシャウ937 :2006/12/18(月) 17:55:42 0
>>185 さん
ランボーは、アメリカにとってのベトナム戦争の重さを象徴する映画でしたね。
これは、ベトナム人にとっても、あるいはより以上に
「ランボー的な重さ」を引きずっていると思う。
旧NLFの活動家などは、民族独立を信じて闘い、気づいてみれば、共産党に利用され、
戦後は「北」の支配下に置かれ、悪ければ粛正の対象になったのだから、
ロイヤリティーから見ると、ランボー以上の絶望と混乱を味わっていると思う。
そういった問題を全て含んだ上で、ベトナム政府は、複雑な国際環境と、時代の中で、
うまく政策の舵取りと、国家運営をやっていると思う。
対中関係、対米関係の正常化には、おそらく党内で激論(場合によっては粛正)が
必要だったのではないか。
>>195 ですね、ランボーも2までは娯楽としても、
政府に踊らされて苦悩する兵隊を描いた点でも良かったですが、
三は大失敗でしたね。
>ロイヤリティー
これは両者将兵一致でしょう
下の会話って、おそらく米兵もベトコンも同じとみた一兵士の代弁だと思う。
「また勲章もらえるな」
もらう権利があるのはあいつ等ですよ
「今回も悪かったな、だが国を恨んじゃいかんぞ」
恨む? 死んでもいい
「何が望みだ?」
望みっ!オレの望み!このベトナムに来て、腹ぶち抜かれて
泥水の中、のたうち回って死んだ兵隊の望みは、
オレ達が国を愛するように、国も!オレ達を愛して欲しい!それだけです。
「これからどうやって生きる……?」
その日その日を…。 END ランボー2
197 :
世界@名無史さん :2006/12/19(火) 00:10:46 0
スタローンが徴兵猶予者ってのがなぁ 平気な顔して、こういった作品に出てきたら、 生き残ったベテランは、死んでいった戦友たちにどう語りかけているんだろうか
198 :
アシャウ937 :2006/12/19(火) 12:08:05 0
>>196 さん
しかし、よくランボーの台詞を憶えて?いますねww
おれが好きなのは、やはり「1」ですね。
個人の愛国心を利用しつつ、冷徹に切り捨てる国家の存在。
社会の底辺で、国家から遠いゆえに、逆に国への愛憎が強いランボー的プアホワイト。
国から見捨てられたにもかかわらず、ロイヤリティーを人格の底に引きずっている男。
こういう連中は、戦争の後にはどこでも出てきたんだろうな。
時々シクロの運転手で、片言の英語で戦争時代のことを話すおじさんがいるが、
戦後をどう生きてきたかを想像すると、胸が痛くなる。
199 :
アシャウ937 :2006/12/19(火) 12:08:38 0
>>197 さん
おれの勝手な思い入れだと、スタローンは、兵役拒否者であるがゆえに、
映画を作り続けるのではないか?
裏切りや、自分の弱さを実感すればするほど、
そこから逃れるために、強い男、死んでいった仲間を追悼する作品をつくる。
もし、スタローンが戦争に行ったら、映画を作るエネルギーは出てこなかったかも知れない。
200 :
世界@名無史さん :2006/12/19(火) 14:44:22 0
明確に宣言した徴兵拒否者ではなく、逃げ切った徴兵忌避者なんだよな。 またこの映画が受けた層、ターゲットとした層は、帰還兵ではなく、アメリカに残った人たち。 だから2で描かれている、ベトナム兵の描写も、極めていい加減でも問題なし。
>>140 訂正ありがとう。原文確認したら「数年以上の長期収容者」でなく「3年以上と以下あわせて」
92までの未釈放「6400人」でなく「6000人」ですね。
記憶だよりの部分があったようです。
>>190 そういやモンはベトナムでは北ベトナムでも北部の山岳地域居住で17度線以南にゃいなかったですね。
80年までモン自治区があったのも北ベトナムでしたし。
戦後焼畑農業から低地農業に転換して移住があったようです。
戦後ベトナムの20万モン移住話に関して
>ベトナム戦争時、戦後の犠牲者、軍隊・役人の登用は、
>おれがベトナムの知り合いから直接聞いた話なので、立場や経験による、
>バイアスがかかっている可能性がある
とあるが、多分そう思います。
ラオスのモンにしても革命前50万(多くて60万説)
左右両陣営あわせ戦死20万〜23万
うち出国十数
なんか切れてしまいました。
ラオスのモンにしても革命前50万(多くて60万説)
左右両陣営あわせ戦死20万〜23万
うち出国十数万(タイや海外で出生した分など現在30万人に増)
のこり十数万(〜20万)が現在40万人に増
というところなようです。
ちなみにラオス難民の大部分はやはりモン族だそうです。
>>116 1968年を機に、農村だけだった無差別爆撃地域が都市にまで拡大されました。
空軍は拡大しても地上軍は縮小したので、一見戦線は拡大してなかった
ように見えたが。
203 :
アシャウ937 :2006/12/19(火) 17:29:36 0
ラムズフェルド国防長官が更迭され、 アメリカのイラク政策の失敗が明らかになりつつある。 イラクは、よくベトナム戦争と対比されることが多いが、 今後の進展は、どうなるのだろうか。 ベトナム戦争が、アメリカの外交や国内を変えたように、 イラクも同様な影響力を持つのだろうか。 何か ? ばかりですがww、おれの手に余る問題なので、ベトナム戦に詳しい 諸賢のご意見を拝聴したいと思います。
アシャウさんの書き込みをざっと読みますと 推薦しておられるチュン氏の著書の内容のままですね。 おそらくはかなり、影響を受けたのでしょう。
205 :
世界@名無史さん :2006/12/19(火) 19:49:26 O
ベトナム戦争時代のアメリカは選抜徴兵制じゃなかったか プアホワイトやアフリカ系はまさに貧乏くじ引いて戦地に送られた 戦争当初は戦争が労働者層に支持されていた なぜなら当初の反戦運動は徴兵されて戦地に行く可能性のない裕福な家庭の大学生によって行われていたからだ しかしながら茶の間のTVで戦争の実相が編集のできないリアルタイムで放送されはじめた ベトナム戦争時代は軍当局による規制がなく、自由取材が許され、またメディアやジャーナリストの中には敵国北ベトナムで取材に行く者もあった これら生の情報の流入と長期の戦争で厭戦機運の高まりもあいまって反戦運動は階層を問わず広まった
206 :
世界@名無史さん :2006/12/19(火) 20:11:29 0
出征した黒人の比率は、本土の黒人比率と変わらなかったが、 死傷率は突出していた。 高学歴で事務処理能力も高い白人は後方勤務に、 そのような能力を持ち合わせていない黒人は前線へと送られた為。 しかし映画では、白人が主役。
207 :
世界@名無史さん :2006/12/19(火) 20:54:50 0
>>206 黒人は足が速いから最前線へ送られたのさ。
陸上オリンピックのアメリカ代表に黒人が多いのと同じ。
208 :
世界@名無史さん :2006/12/19(火) 21:22:01 O
ベトナム戦争で初めて白人、アフリカ系の混成で部隊編成し実戦投入された 朝鮮戦争では白人とアフリカ系は別々の部隊編成 アフリカ系で構成された第25歩兵師団第24歩兵連隊はちょっとした敵の攻撃にも混乱をきたし散々だった。また規律もひどく、日本駐留時代には暴動を起こしたこともあった 僚友部隊で白人兵で構成された第27歩兵連隊が海兵隊並の活躍で師団から抽出され軍予備として重用されたのとは大違いであった ベトナム戦争時代は前線部隊と後方部隊の比率が3:2となり、前線部隊の比率が小さくなった 一般前線部隊の比率は3分の1がアフリカ系となった しかしながら空軍、スペシャルフォース、海兵隊Reconは白人の比率が高かった これらの部隊では身体能力以外の能力も必要とされたからだ
>>204 そうでもない。本に書いてない事もかなり混ざってるし
しかしこの人ほとんどのレスに毎回全レスしてるけど
自分のスレみたいになってるね
ペンタゴンの米軍資料によると サイゴン政府軍はテト以前から毎年平均10万人あたりの脱走者出していた。 テト以後徴兵年齢が大幅に拡大され人員が増えたが、脱走率もまた倍増していたらしい。
211 :
アシャウ937 :2006/12/20(水) 11:15:08 0
>>204 さん
そのとおりですね。
あとは、ハルバースタム「ベスト・アンド・ブライテスト」の影響が大きいな。
また、東京のメコンセンター関係の、海外ベトナム人組織の出版物もよく見ています。
>>209 さん
いやいや、関心のあるものだけですよww
おれは商売でベトナム人と付き合いがあるので、つい真剣になってしまいます。
>>203 >イラクも同様な影響力を持つのだろうか。
簡単に書けば
1.1990年から16年に渡って維持してきたペルシャ湾、紅海での米勢力圏の崩壊
2.スンニー派総本山のサウド家がイラクスンニ派を支援し、イランシーア派がイラクシーア派と連携
3.ソ連…じゃないロシア南下政策が伸張
4.クルド労働党VS愛国同盟がどう動くか、クルド解放同盟だって一枚岩じゃない
5.周辺アラブ世界のシーア派VSスンニ派への構図
6.イスラエル防衛の困難化
7.ベイルート方面へのフランス勢力の伸張
8.シリアのイラク方面への伸張
9.NATO東南部のトルコの政情不安定化
10.イラクシンドロームによる今後10年にわたるイラク帰還兵の問題
ベトナムよりタチが悪い。
>アシャウ937 >198 >よくランボーの台詞を憶えて?いますねw 邦訳による声優のやりとりが真に迫っていた時代のをVTRに録ってましたから。 現在も良く覚えているんです。後はハンバーガーヒルぐらいですか真に迫った映画は 今のは全部政治プロパな腐敗臭があってダメです。それと、リバイバルDVDの字幕。 担当翻訳者は、いくら字数制限があるにせよ訳がヘタクソです。明らかに専門用語を知りません。 >203 ラムズフェルドは90年の湾岸危機でも主導的役目を負いましたが あの頃は、サウジに派遣された第一陣の軍の最高指揮官シュワルツコフを筆頭に 戦争反対、目的を果たしたいなら、欧州展開の第七軍団をよこせだったかな。 途中でやめちゃったパウエルもやはり戦争突入には反対、 とにかくホワイトハウスの首脳部どころか軍部まで反対でしたから。 二世は何を血迷ったんでしょうね。 スレとは関係ありませんので後は略 >211 ベトナムで商売ですかw 最近は観光も軌道に乗っていると聞きましたが、さてさてw
214 :
アシャウ937 :2006/12/20(水) 20:50:17 0
>>213 さん
実は、アシャウというのは、「ハンバーガーヒル」の舞台ですね。
ラムズフェルドは、現地の司令部が、もっと兵力が必要だ、
というのを値切りに値切って、「少数精鋭」の特殊部隊&ハイテクで
乗り切ろうとしたような気がするな。
しかし、結局陸戦というのは、地べたをはい回るような、泥臭い戦。
頭数がないと、どうしようもないでしょう。
観光ではなりませんww
ベトナムは、今中国リスク回避のためか、日系企業の進出が盛んなんですよ。
215 :
アシャウ937 :2006/12/20(水) 20:57:44 0
>>212 さん
良く整理され、かつ問題点が摘出されていて、参考になります。
5で、イラクで両派の内紛が拡大していますが、今後国同士の戦闘まで行きますかね?
6は、今イスラエルがやっている「壁」の建設は、効果があるのか?
アラブ人口の増加で、ユダヤ人の方が少なくなったら、どうするんだろう?
8 シリアのアサド大統領の息子は、意外と有能みたいですね。
9 おれがトルコ人なら、校までバカにするEUなんかには、絶対入らないと思うが。
仮に、アメリカが中途半端な形でイラクから撤退した場合、
アメリカ協力者は、当然イラク国内にいると危ない。
また、1975年のホーチミンのような、脱出劇が再現するかも知れない。
今ベトナムは帰国ラッシュ 子供の頃出国した人や、二世が続々と訪越してる
>アシャウ937氏 ども、いつか近いウチ、世界史板に 【バグダート発】イラク戦争とその時代【最終便】 ってのが出来るかもね。 笑い事じゃなく。 >「ハンバーガーヒル」の舞台ですね。 制作秘話で、出演した役者を全員比島の某所に監禁して徹底的に訓練したとかw >、「少数精鋭」の特殊部隊&ハイテクで乗り切ろうとしたような気がするな わたしの情報筋では、第101/82空挺師団、第五軍団(隷下には歩兵と機甲三個師団)だけだったらしい<米軍 英軍は、第一機甲師団隷下・第七機甲旅団(砂漠のネズミ)だけらしい。 そして肝心の補給兵站が四日目で破綻したそうです。策源地がクゥエートだけじゃねw そういえば随行した従軍記者のフィルムはついにドキュメンタリーとして 編集もされず放映もされませんでしたね(出来無かったんでしょうね) >日系企業の進出が盛んなんですよ。 なるほど、参考になりました。 answer 5、ちょっと分かりませんね 6 効果云々つうよりゲットーと同じでしょうね、悪い癖ですよ。 8 ちなみにシリア大統領とサウド家、ヨルダンの王家、と日本は仲良しですね。 9 むしろEUというよりNATOとして欧州圏にいたいのが本音でしょう。
218 :
世界@名無史さん :2006/12/20(水) 23:49:31 0
アメリカ人の理想主義者が夢想していたような国際橋が、
彼らの意思とはあまり関係なく完成。
「東西回廊」ほぼ貫通、第2メコン国際橋で開通式
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061220-00000313-yom-int 【サバナケット(ラオス南部)=太田誠】タイ東北部ムクダハンとラオス南部サバナケットを結ぶ第2メコン
国際橋が20日完成し、メコン川流域諸国や日本から関係者が出席し開通式が行われた。
橋の完成で、インドシナ半島を横断し、ベトナム中部ダナンからミャンマーのモーラミャインまでを結ぶ
全長約1450キロの「東西回廊」がほぼ貫通し、物流の活性化による経済発展に期待が高まっている。
2004年3月に起工したこの橋は、全長約1600メートル。国際協力銀行が約81億円の円借款を供与
し支援した。開通式には、タイのシリントン王女のほか、同国のスラユット、ラオスのブアソン、ベトナムの
グエン・タン・ズンの3首相が参加した。ラオス第3の都市サバナケットの市場で野菜を売っていた
ジョイさん(22)は、「橋の開通で、私の商売も良くなるはず」と笑顔を見せていた。
219 :
アシャウ937 :2006/12/21(木) 11:15:44 0
>>217 さん
ご教示、サンクスです。
「比島の某所に監禁して徹底的に訓練」
「地獄の黙示録」もフィリピン撮影ですね。
比軍は、兵器などをレンタルしてもうけているのかな。
イラク戦でも、攻撃の主軸は第三歩兵師団(機械化師団?)でしたね。
トルコ方面からの挟撃ができなくなって、戦闘が超過すると思ったけど、
陸上戦自体は簡単に終わってしまい、それでラムズフェルドは、
こういうスタイルの戦争で、今後もやっていけると慢心したのではないか。
イラク戦の報道は隠されている部分が多いですね。
空爆や砲撃の悲惨な現場映像が、そのうち漏洩してくるかも知れない。
ベトナム人は、歴史的に中国嫌いなので、日本政府としても、抑えにいいから、
援助額もかなり増えています。
ベトナム戦争時代の残虐行為と、現在の威張りで、韓国人も嫌われています。
近い将来、中国の深釧特区並みの生産拠点になる可能性があります。
>>218 さんが紹介していますが、この「アジアハイウェイ」は、発展に起爆剤になるでしょう。
ハンバーガーヒルで有名なアプビア山のふもと、山岳民族パコ族が住んでいた 戦争中、「無差別爆撃地帯」に指定されたそこには、爆撃とともに枯葉剤が降り注ぎ、 パコ族たちは洞穴を掘って生活していた 戦争が終った時、枯葉剤と爆撃によってパコの人口は三分の一にまで減少していた かつて豊かなバナナ林は枯葉剤で失われ、今は大きな木はもう育たない 「枯葉剤の村の子供たち」 アーニ出版 パコ族と村のカラー写真多数 ご覧ください
221 :
アシャウ937 :2006/12/22(金) 17:11:46 0
>>220 さん
この本は知りませんでした。ご教示多謝。
ベトナムで商売関係で会っていて、やや親しくなって
政府の役人のいないところにいくと、戦争の話も聞くことができます。
(「革命の人」がいる場では、まず1975年以前の話はタブーですww)
枯れ葉剤の話は微妙ですが、おれの実感では、「奇形・異常出産」などは、
ある程度、政治的な誇張があるかも知れません。
少数民族については、フランス時代の方が弾圧が酷かったという人もいます。
日本も二次大戦中、食料の徴発で、農村部で大量の餓死者を招いた、
といったことをしているのですが、ベトナム人は(ある程度本音だとして)、
フランス人、アメリカ人、日本人に好意を持っています。
反対に嫌いなのが韓国人、中国人、ラオス、カンボジア人など。
この辺の対外感情は、ちょっと不思議です。
共産主義者の仕事は権力闘争ですから
>>221 韓国人はベトナム戦争で汚れ仕事を一手に引き受けたからじゃない?
他のは周辺諸国の人間は嫌うという一般的な法則でそ。
>>221 >この辺の対外感情は
近親憎悪みたいなもんでしょう。また階層に置いてもその感情はかなり違うかと。
後、ご存じと思いますが地政学的、経済学的な観点からベトナム・インドシナ戦争をみると、
ベトナムが一手に米国を引き込んだおかげで、周辺国は物資調達等で経済的に潤ったとあります。
この場合でも地政学的解釈は悪意と取っていいと思います。
具体例は朝鮮動乱での日本の特需ですね、単純に比較は出来ませんがね
アメリカのベトナム帰還兵の証言集なんか読むと ソンミ村みたいな事件て実は 大して珍しくもなかったみたいですね。 そういう証言を反戦系帰還兵団体が公聴会なんかで後押ししていた。 団体の規模はだいたい三万人だそうです。
226 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 00:02:38 O
ハンバーガー・ヒルの戦い 何かとこのスレで話題になっていますね 自分はこのDVDは見た事ないけど多少この戦いを調べたことあります この戦いの影響はこれより軍事的には規模が大きかったケサンの戦いとは比べものにならないくらい大きいものでした 知ってる人はウザいかもしれませんが、北ベトナム軍(NVA)の戦略・戦術を知るためにもいいと思うので書き込ませてください 投入部隊 ・米軍 第101空挺師団 3/187大隊“ラッカサンズ”(“ラッカサンズ”の由来は日本駐留時代に日本人と交流するなかで職種を問われた時 当時の日本ではパラシュートという単語が理解してもらえなかった やがて落下傘が同じ意味であることがわかり それ以来、部隊ニックネームになった) 4個中隊編成 重火器は軽装備の空挺部隊のため、迫撃砲と90ミリ無反動砲 (後者は対狙撃兵に威力を発揮する) 大隊長はウェルドン“タイガー”ハニーカット中佐 同大隊の任務は 第1軍団戦区北側にある ラオス国境付近アシャウ渓谷にあるドン・アプ・ビア(937高地)と周囲の高地群の制圧 俗にハンバーガーヒルの戦いといわれるが公式にはドン・アプ・ビアの戦いである
227 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 00:35:20 O
・北ベトナム軍(NVA) 第29歩兵連隊“ホーチミンの誇り” 珍しい名称受賞部隊である精鋭部隊 4個大隊(第6〜9大隊)編成 ドン・アプ・ビアには第7、8大隊 第6、9大隊はすぐ近くのラオス国内 1個分隊の編成は分隊長指揮下に AK47(自動小銃) 6人 SKS(軽機関銃) 2人 RPG7(ロケットランチャー) 1人 で構成されだいたい3つのバンカー(蛸壺)に分散していた 分隊毎にRPGを配布しているため火力的には強力であり 陣地はよく射撃統制され偽装も巧みであった さらに高地上のため、手榴弾は転がすだけでも損害を与えることができた 他に特徴的には ・機動予備部隊(敵が突出したとき、敵の側背に回り込み攻撃する) ・狙撃兵(砲爆撃の影響を受けにくい30m以上の木に潜んだ) ・高射機関砲(中隊は解体され、歩兵中隊に分散、非武装・軽装備の“救難”ヘリのみ狙い撃ちにした) ・122ミリ重迫撃砲(国境付近の洞窟に潜み、夜間のみ射撃) ・濃密で巧みなクレイモア(指向性)地雷原 ・突撃工兵隊〔サッパーズ〕(長距離挺進し破壊活動を行う) NVAの戦略目的は 米軍部隊を捕捉し、多大な損害を与え、“政治的影響”を米国内外に与えることである
228 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 00:52:12 O
アシャウ渓谷はNVAの南ベトナム侵入のための安全な基地で 1968年のテト攻勢におけるフエ攻撃の拠点になった 在ベトナム米軍総司令官ウエストモーランド将軍はアシャウ渓谷に対する大規模な作戦を立案 1968年4月デラウェア作戦 第1空中騎兵師団基幹 限定的な戦果しかあげられず 1969年1月デューイ・キャニオン作戦 第3海兵連隊 1700名を殺害し、数tの軍事物資を捕獲・破壊し成功するが 海兵隊撤収後、再びNVAが占拠 そして今回アパッチ・スノー作戦のため 第101空挺師団が選ばれた 3/187大隊“ラッカサンズ” 1/506大隊“クラヒーズ” 2/501大隊 2/3大隊 が作戦に参加 ドン・アプ・ビア(937高地)を担当戦区にされたのが 3/187大隊である
>>227 なんだいなんだい、恐ろしく近代的な軍編成じゃないか。
戦略予備軍…この場合は戦術予備までいるのかい。
戦車があればと言う感じだな、
コンバットにある「丘は血に染まった(前後編)邦訳)」と同じ気分になったんだろな<米海兵隊
230 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 02:35:38 O
5月10日 0800 3/187大隊A、C、D中隊LZ(降着地点)にヘリで降着 A、C中隊は偵察地域へ移動するが、密林と切り立った渓谷で難渋 D中隊は大隊指揮所(CP)を設置 大隊長ハニーカット中佐は予備のB中隊を誘致し、CP南東にあるアシャウ地区の制高地である937高地への前進を命じる 5月11日 ハニーカット中佐はCPを937高地に移動させることを決定 A中隊をラオス国境へ B中隊を937高地へ D中隊を渓谷地帯へ それぞれ威力偵察(RIF)を命ずる B中隊はたちまち大規模な敵陣地群に遭遇し、激戦に巻き込まれる 戦死した敵兵のIDより敵が第29歩兵連隊所属と判明 攻撃は結局、頓挫 その間にCPが味方の武装ヘリにより誤射され 2名戦死、ハニーカット中佐を含む35名負傷 5月12日 ハニーカット中佐は敵情を正確に掴まぬうちに937高地に対し、今度は3個中隊を投入し、RIFを強行 A中隊は国境地帯より引き揚げCPに予備として残置 B中隊は1000ポンド遅発爆弾による航空支援後、攻撃するが、頑強に抵抗される C中隊は伏撃と狙撃により停滞 D中隊は25〜30度の急勾配と激しい抵抗により進めなかった 夜間、敵突撃工兵隊(サッパーズ)は10キロ東方にあった砲兵陣地を攻撃覆滅した
231 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 02:58:14 O
5月13日 ハニーカット中佐は再度RIF発起 しかしわずかな地歩しか得られず 敵は高射機関砲で負傷者を後送する救難ヘリのみに狙いを定め狙撃 ハニーカット中佐は南方で作戦中の1/506大隊“クラヒーズ”に国境線の敵補給路を遮断してくれるよう要請 5月14日 ハニーカット中佐は作戦を変更 計画された“突撃”を命じる D中隊は急勾配の渓谷で阻止された B中隊は濃密なクレイモア地雷に入り込み立ち往生 C中隊のみ937高地南1500mの900高地の山頂まであと40mのところまで突破 しかし孤立したC中隊に対しNVAは機動予備部隊を中隊側背に迂回移動させ、攻撃し大損害を与えた B中隊はC中隊の危機を知り、損害をかえりみずに友軍救援のため地雷原を強行突破 しかし突破したところで味方の武装ヘリにまたもや誤射され損害をうける 当時のヘリに搭載された視認装備はまだ初歩的であり、かつ背の高い密林では敵味方の識別は困難だった どうにかB中隊はC中隊のところまで達し、救出離脱したが C中隊の戦闘可能要員は31名に激減していた
232 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 03:26:37 O
5月15日 ハニーカット中佐はまだ諦めず、A、B中隊に攻撃を命ずる 損害にも関わらす米空挺隊員の士気は高かった 両中隊の側背に回り込もうとしたNVAの機動予備1個中隊を捕捉、殲滅した B中隊は山頂のすぐ近くまで突破した B中隊は山頂に対する最終攻撃のため、攻撃ヘリ“コブラ”に支援要請 しかしここでみたび誤射を受けた しかも今度は“コブラ”の攻撃であり、多数のロケット弾を放ち機関砲で射撃してきた 固定航空機ではピンポイント攻撃であるが、攻撃・武装ヘリでは一定地点で停止しながら継続的攻撃ができるため損害は続出した B中隊長リットナン大尉は負傷、中隊戦力は50%に低下 A中隊も濃密な陣地群と狙撃兵により攻撃は頓挫した 夜間、敵1個中隊がCPを奇襲するが、撃退 現時点で937高地の南の800高地と南西の916高地は奪取したが、肝心の937高地と900高地はまだ敵の手にあった 5月16〜17日 大隊各中隊の戦力は50%以下になっていた ここに至り、ようやくツァイス師団長は1/506大隊に増援を命ずる この頃からドン・アプ・ビア(937高地)は“ハンバーガー・ヒル”と呼ばれるようになった
233 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 03:52:02 O
5月18日 3/187大隊はA、D中隊を前衛に、B、C中隊を後衛にし攻撃再開 1/506大隊は南方より攻撃 NVAは前衛部隊をやりすごした その時、後衛のB中隊は四たび味方の武装ヘリの攻撃を受けた 武装ヘリの攻撃が終ると今度は前衛をやりすごしたNVAによる猛射撃が始まった 米武装ヘリの攻撃はNVAにとって効果的な航空支援となった しかしながら敵“味方”の攻撃にも関わらず山頂から75m地点まで突破に成功 最終攻撃を準備 そして攻撃を発起しようとした時、猛烈なスコールが降り、土砂崩れが起きた 米軍は歯ぎしりしながら攻撃開始線まで撤退した これまでの損害で C、D中隊の戦力は20%となった 甚大なのは将校の死傷であった 中隊長4人のうち2人 小隊長12人のうち8人 が死傷 空挺部隊ということもあり、将校が陣頭指揮をとっていたためと思われる 5月19日 ツァイス師団長は“ラッカサンズ”を“クラヒーズ”に交代させようとしたが、ハニーカット中佐が断固反対した 師団長はやむなく1/506大隊A中隊をハニーカット中佐に配属させた 師団長は2/501大隊と南ベトナム(ARVN)第1歩兵師団2/3大隊も誘致した
234 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 04:10:39 O
5月20日 敵の圧倒的兵力を見てとったNVAは犠牲のため2個小隊を残し撤退した(NVAがよく使う撤退戦法) 残置された2個小隊は文字通り殲滅された 戦いは終わった 11日間の戦いでの損害 NVA側 遺棄死体633 米軍 戦死70 負傷372 しかし米にとって甚大なのは軍事的損害ではなかった 戦闘中は衰えなかった士気も銃後、無謀な攻撃を繰り返したハニーカット中佐に非難が集中し、将校に対する不審感を兵に抱かせた もっと深刻なのは米国内での反応だった エドワード・ケネディ上院議員をはじめ軍に対する非難が高まった かつてケサンでは戦死者155名を出したが、こんな非難は起らなかった 結論的にハンバーガー・ヒルの戦いはNVAの戦略目的である“政治的影響”を及ぼすことができたため、NVA側も甚大な損害を受けたものの米軍に対し、戦略的勝利を納めたことになる
乙彼 しかし、陸戦には法則があって、 敵兵の10パーセントを戦死傷させれば撃退したと報告でき 敵兵の20パーセントを戦死傷させれば全滅させたと報告でき 敵兵の30パーセントを戦傷させれば壊滅させたと報告できる 一名の負傷者は三名の手を拘束するし、一個の兵団に所属する 各種兵員が負傷すれば軍組織が崩れ、弾力性を喪失するからだ。
236 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 22:28:37 O
>>229 シルバーバヨネット作戦は海兵じゃなくて陸軍だべさ。
詳しくはハル・ムーアの手記で