【秦から晋】統率力考察【項羽?韓信?】

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44世界@名無史さん
韓信を超える用兵
 耿弇の用兵の特徴は、情報操作により敵をミスリードして、こちらの思うように動かしてしまうことにある。
 そしてここ一番は、自ら精鋭の突騎を率いて急所を襲撃して力戦し、大破するのである。常に敵の半分以下で戦い、
 そして勝ち続けた。河北、南陽、斉、隴西を転戦、四十六郡を平定し、陥落させた城は三百、彼の行く手を阻むことが出来るものはいなかった。
 建武五年のこと。既に、彭寵、張豊、冨平と獲索は平定されていた。そして最後の張歩を討伐することになった。
 耿弇は、降伏させたばかりの冨平と獲索の兵士四万人を集めて軍を編成し、騎都尉劉音、泰山太守陳俊を率いて張歩攻略に向かったのである。
 張歩はこれを聞くと、その大将軍費邑を歴下に、また別に兵を分けて祝阿に屯させ、さらに鐘城に数十の陣を列ねて耿弇を待ち受けた。
 張歩は斉王を称する山東の大勢力であり、その総兵力は二十万前後である。それにたいして耿弇の勢力は、劉音と陳俊を合わせても五、六万程度。しかも新たに編成したばかりであるから、その兵力の劣勢は明白である。だが、この寡兵をもって斉を攻略する自信があった。