1 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 15:28:28 0
歴史
カリシュ条約以前のダンチヒ=台湾、
第二次トルン和約以後のダンチヒ=香港
をイメージすれば良い。
日本の統治下の台湾では、元々は大陸出自の中国系住民も多数居たが、
ドイツ系ダンチヒ住民が多少血縁が近かろうが、ドイツ騎士団の支配を拒否し、
ポーランドについて戦ったように、彼らは親日本で、中国の支配など望まず、
日本側に立って中国やアメリカと戦争を行った。
戦後も新たに大陸の人間が侵入してきて、ドイツ騎士団ばりの虐殺、
迫害を繰り返したので反発買い、中国帰属を望まなくなったのものも良く似ている。
ただ嘗てのダンチヒと違い、戦後の東アジアは簡単に軍事行動起こせない状態なので
現在も侵略と占領が続けられている状態が続いている。
4 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 17:10:25 0
香港は南京条約以後、正式にイギリス領となって英国女王の庇護の下に入ってからは
香港は中国帰属など望まず、世界的なその経済的・文化的な黄金時代を謳歌することとなった。
しかし後年ナチスと呼応する形でダンチヒ内部で親ナチス勢力が力を持ってきたように、
大陸本土で共産党勢力が台頭するとすると親共産的団体が力を持つようになり、
暴動を起こしたり、本土統合を要求したりした。
武力を背景としてナチスに統合を詰め寄られた様に、
ケ小平ら中共勢力に武力を背景とする恫喝で再統合を要求され、
戦争にはならなかったものの、不幸にして強制的再統合が実現してしまった。
資本家ユダヤ人がダンチヒを脱出したように、資本家英国人、香港人は大量に香港を脱出した。
5 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 17:14:56 0
んで?
6 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 17:56:13 0
ギュンター・グラスがナチ協力者だと告白して大騒ぎに
なってますね。ドイツはナチスに戦争責任を全部押し付けて
攻撃して、国民は関係ないでやってきてる。
日本人の戦犯も自分達も同じだというほうが、正直だね。
>>2-4 結構わかってんじゃん。
このスレは歴史的にダンチヒ住民がドイツ志向だったと妄言吐くようなナチヲタばっかだと思ったよ。
この都市はドイツ語が広く使われたが、第二次大戦直前まで一貫してドイツ嫌いだったのが真相。
8 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 21:28:07 0
我さー
>>6 これは当事者達よりメディアの方が騒ぎすぎの感がある。
特にドイツメディア。特に進展がなくても毎日のように関連記事書いてる。
もうほっといてやればいいじゃん。
10 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 05:56:04 0
造船所の電気工が10ゲットフスキー
「大理石の男」でのレーニン造船所のクレーンのシーンと
「未来少年コナン」でのサルベージ船のクレーンのシーンがよく似てるわ
12 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 20:25:54 0
あげ
14 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 19:56:12 0
あげ
15 :
世界@名無史さん:2006/12/21(木) 17:38:03 0
あげ
16 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 14:41:41 0
あげ
ダンチヒって男性的な名前
楽市楽座みたいなもん
〜スクってスラブ系の地名だよね
20 :
世界@名無史さん:2007/04/25(水) 00:46:04 0
>>7 結構わかってんじゃん
わかってねーのはおまえだけだよ。
ドイツ騎士団とドイツ東方植民者の区別も出来んのか。
双方は、その歴史のなかで利害が相反する時期もあった。
そのとき、一時的に後者がポーランド王の庇護を求めた時期はあった。
それがなぜ、第二次大戦直前まで一貫してドイツ嫌いだったのが真相。・・・・????
になるのだ。
あほか、第二次大戦直前のダンチヒはその住民がドイツ系住民というより、96%がドイツ人だった。
住民投票で帰属を決めようとしようものなら明らかにドイツ領になっていた。
当時、ダンチヒ住民はドイツ領に復帰することを熱烈に歓迎していた。
ドイツの練習艦シュレスビヒホルシュタインがダンチヒを訪れたときもダンチヒ住民は熱烈に歓迎し
その状況をダンチヒ港湾でみていたポーランド兵が頭にきてその練習艦に砲撃を浴びせたほどだ。
車だんちひ
22 :
世界@名無史さん:2007/05/16(水) 22:39:16 0
ダンチヒはもともとドイツ人の都市であり、もちろん住民投票などしようものなら
結果は目に見えていた。
しかし、海への出口を求めるポーランドをなだめるため、旧連合国(主にフランス、イギリス)は
ダンチヒを国際連盟の管理下としてポーランドにはそこに郵便局や通信施設の設置を認める
一部特権を与えてなだめた。
実質、ポーランドは、そういった施設の職員に屈強な予備役兵を配置し、武器弾薬をそこに
蓄積していた。
そればかりか、公共であるべきその施設は周囲を厚い鋼鉄の防壁でかためた要塞を呈していた。
彼らは、ポーランド本国から指示のあり次第、ダンチヒ市を我が物にしようと進撃してくるポーランド軍の
尖兵になるはずだった。
第一次大戦後の凶暴第二共和国ポーランドはリトワニア、チェコ、内戦で疲弊したソ連と周囲の国家を
侵略してまわった。
海への出口をもとめ、マダカスカルのような植民地を要求して海外に覇権を伸ばそうとしていた
ポーランドにとってダンチヒ市は奪うべきものでヒトラーの和平提案も通じる相手ではなかった。
ポーランドはやがて第一次大戦後に奪った旧ドイツ領に残されたドイツ系住民に弾圧をくわえはじめ
もともとポーランドに寛容的だったヒトラーをしてポーランド打つべしの考えを芽生えさせていった。
23 :
世界@名無史さん:
あげ