世界史に記されている超常現象

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447、双生児の不思議な世界





一緒に育てられた一卵性双生児は、容姿がにているだけでなく、とる行動も同じだと見ら
れている。しかし、ポール・シープキンが紹介するように、誕生後すぐに別々に育てられた双生
児も、驚くほど似通った人生を送っているのだ。



世界の約1億人の双生児中、3分の一は一卵性である。一卵性双生児とは、一つの受精卵
から生まれた子供が子宮で2つに分離することを意味する。このような双生児は同一の遺
伝子の組み合わせを持ち、その指紋にいたるまであらゆる点で類似しており、両者の違い
は非遺伝的なものだけに違いないと見られている。

一緒に育てられた双生児は、当然、互いに影響し合い、そのため、どの程度、彼らの遺伝
の青写真が彼らの運命をつかさどることになったかを特定するのは難しい。しかし、ここ
に何らかの理由で別々に育てられ、お互いの存在もまったく知らなかった80組の双生児
の記録もある。この研究は、自然と養育、遺伝と環境の関連性についてすばらしい手がか
りを与えてくれる。これを研究することによって、われわれは人間の性格はどの程度生物
学的に決定され、また、どの程度養育や教育によるのかについて、ある理解を得ることが
できるだろうし、また、われわれ現在の理解を超えるものがどれくらいあるかを見つける
こともできる。
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たとえば、一卵性双生児ジャックリーンとシーラ・ルイスのケースがある。彼女らは、生まれるとすぎに別々
の家族の幼女となり、おたがいが存在していることも知らずに育った。26年後の197
6年6月、2人は同じ日に、イギリスのプリストルにあるサウスミード病院に、遺伝性の珍しい皮膚
病の治療のため入院することになった。彼女らは、まったくの偶然から、同じ治療室に入
れられた。2人はすぐにお互いを1卵生双生児だと分かった。左ひざのほくろ、首の母斑、
奇妙に曲がる小指といった些細な点まで、2人はそっくりだった。2人とも数年にわたっ
て左ひざに痛みがあり、腎臓を患っていた。シーラの夫は、ジャックリーンが離婚した日に亡くなっ
ていた。

1979年は何組もの一卵性双生児がそれぞれ再開した大いなる成果の年だった。それは
まず、ジムの兄弟で始まった。1939年8月、アメリカのオハイオ州ピクアで5週間たったばかりの
一卵性双生児が別々の家庭に引き取られた。片方の養父母はオハイオ州のリマに住むルイス夫妻であ
り、他方はそこから130km離れたオハイオ州のデートンに住むスプリンガー夫妻だった。両夫妻とも
双生児の他方は死んだと聞かされていたが、ルイス夫人は6年後、偶然に真実を知ってしまっ
た。養子縁組の手続きを完全にするため検認裁判所へ出かけた夫人は、自分たちは養子を
「ジェームズ・エドワード」と呼んでいると話した。すると、係官「それはできない。あのひと
たちが別の子をジェームズと呼んでるから」と言ったのだ。そこで、秘密が暴露してしまった。
しかし、ジェームズの名はそのまま認められた。
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ジェームズ・スプリンガーのほうは、彼の片割れは死んだと信じ込んできた。ジェームズ・ルイスのほう
は相棒がどこにいるのかまったく分からず、長い間ちゅうちょした後、裁判所へ出かけ、
お役所的な手続きに苦労させられた。彼らがやっと会えたのは1979年2月のことで、2人
は39歳になっていた。2人の共時性たるや驚くほどだった。2人は同じラリーという名の養子
の兄弟と一緒に成長してきた。学校では数学が好きで書き取りが嫌いだった。子供のとき、
ふたりともトロイという名の犬を飼っていた。また、2人ともリンダという女性と結婚し、離婚
するとベッツィという女性と再婚した。2人の最初の子供は一字違いのジェームズ・アランとジェームズ
アレンだった。両家とも、休暇は長い間フロリダ州セント・ピータースバーグの同じ小さな海岸で過ごし
てきており、そこをシボレーで走り回っていた。2人とも、ガソリンスタンドのサービスマン、同じハンバー
ガー・チェーン店、非常勤の複保安官の経験を持っていた。両方とも爪を噛まずにはいられず、
喫煙と飲酒の癖があり、睡眠に同じ問題を抱え込んでいた。同じスラングを使った。2人の
身長はともに1・8m、体重は80kgだった。彼らが出会った後、両方の家族は2人の話し方、
癖、態度の類似点をノートすることにした。

18歳のとき、2人は緊張性頭痛症になり、それはいつも午後に始まって偏頭痛に変わるの
だった(彼らはのちに傷みを述べるのに同じ言葉を使った)。2人とも同じ年にそれを間逃
れたが、完治するまでにもう一回患うことになった。このように、複雑な偏頭痛のパターンh
が遺伝的にプログラムされているとは考えられない。そのうえ、2人は慢性の心臓病の発作に
かかっているかその疑いがあった。痔を患い同じころに2人とも4〜5kg太り、またやせ
ていた。
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実際、疾患の共時性は、分離して育てられたか否かにかかわらず、多くの双生児に共通の
ように見える。ピーター・イロットとバリー・イロットという双生児は一緒に扁桃腺を取り、その後風邪
をひいた。「いつもと同じパターン」と彼らの母親は言う。「バリーが最初に兆候を示し、数時間
内にピーターが同じ悩みを抱える」ハロルドとジェラルドのワイツ兄弟も扁桃腺を一緒に除去した。中
年になってハロルドは心臓病の発作に悩まされたが、一年後ジェラルドもそれに悩んだ。彼らの
医者は、2人の状態は非常に似ているので、同じ人間を手術するのに変わらないに違いない
と言った。

分離して育てられた双生児についてはいくつかの研究があるが、最大のものはIQテスト界古
参シリル・バート卿のもので、彼は1966年に45年間にわたる研究成果を発表した。彼は分離し
て育てられた53組の一卵性双生児を調べたと主張したが、報告はあいまいな表現が多く、
必要なテストが行われた証拠は見当たらず、IQの相関関係は疑問に思えるほど一律だった。彼
の調査結果は作り物らしかった。

バートの双生児のデータは1913年と1939年の間に集められている。そして、大量の調査資料
がドイツがロンドンを爆撃した際、大学の地下記録保管所で焼けてしまった。彼は1955年と1964
年の間にさらに32のケースを研究したと主張するが、とても真実とは考えられない。彼の1966
年の研究とされているものの多くは戦前になされたものを戦後のそれとしているように見
える。彼のアシスタントだったというハワードやカーンウェーという女性はまったく存在しなかった。
要するに、イギリス教育心理学の父は不謹慎であり、彼の双生児の研究は大変疑わしいものだ
った。
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ほかの主な分離育成双生児の研究も重大な欠陥を持っていて、研究に加わったのもが遺伝
についての先入観を持っているという批判にさらされた。彼らは、IQ研究において、遺伝
的な影響を環境的なものより上におく偏見を持っていた。1937年のシカゴにおけるニューマン、フ
リーマン、ホルジンガーの19例の研究は最初から双方が大変似ているということで、明らかに全部
選択されたものだった。1962年、ロンドンのジェームズ・シールド博士による分離していたとされる
双生児研究の37例中、多くが明らかに同一家族のほかの成員によって後に面倒を見られて
おり、それが同じ室内であることも珍しくなかった。1965年、デンマークのN・ジュエル・ニールセン
の例は全部で12しかなく、科学的に価値のある結論を引き出すには少なすぎた。

双生児ジム兄弟のニュースは、アメリカのミネソタ大学の心理学者トーマス・プチャードを刺激し、従来試みら
れていたものよりはるかに精密な分離育成双生児の研究を促進させることになった。研究
プランの公表により、生後数ヶ月で分離され、成人するまで一緒になることが無かった30例
以上の一卵性双生児が日の目を見ることになった。双生児はミネソタで集中的に研究された
(1987年の半ばでは研究はまだ続行中である)。

この規模の研究は2度とあるまいと思われるほどの絶好の機会だった。それは出生時に分
離された双生児の類似性は、自分はもらいっ子だということに伴う恥辱が薄れるとともに
減少するからである。また養子に出される赤ん坊は減っているからである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E7%94%9F%E5%85%90一卵性双生児