世界史に記されている超常現象

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277消え行く星




メアリー・ジョーンズの周辺で、不思議な光がきらめき空を漂っていた時期、エグリン地方ではほか
にも奇妙な出来事が報告されている。これは単なる偶然の一致なのか?それとも、こうし
た現象もすべて、ジョーンズ女史がもたらしたものなのだろうか?

1905年にメアリー・ジョーンズの周辺に現れたこの種の光は、ウェールズの北西部ではそれ以前にも目
撃されていた。「バーマス・アドバタイザー」は、1800年ごろ発行されたウェールズ雑誌に、次のよう
な記述があるのを見つけた。

1962年に海を越えてやってきた怪火が、ハーレフ一帯の干草の山や小麦や納屋に火を、か
け牧草を汚染した。ところが、その怪火に包まれても、人間には害がなかった。この現象
は、何ヶ月もの間、夜間同じ場所で、主に土曜日と日曜日に起きた。この怪火を消滅させ
る、または追い払う唯一の手段は、角笛やラッパを吹き鳴らしたり銃弾を浴びせかけること
だった。

英国心霊研究協会(SPR)のために調査を行っていたフライヤー師は、これと同じような報告
を発見している。それによると、1869年および1875年、1877年に、青い光や
白い光がカンブリアン海岸沿いの各地にあれ割れたというのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%8D%94%E4%BC%9A
278:2008/07/22(火) 17:42:00 0


もしこうした光に関する当時の調査がもっと徹底していたなら、1905年に現実に何が
起きたのかを、今なら解明できたのかもしれない。現実にわれわれにできることは、ただ、
目撃者がどれほど信頼できるかを吟味し、それらの報告に共通する特徴を探り出すことだ
けなのだ。

デイリー・メール」は、高名な科学者の息子であるレッドウッド氏を調査に派遣した。彼は、大気中
の異常な電気的状態を検出できるある種の装置を、エグリン礼拝所から約2kmの場所に設置
した。彼は激しい雨の中で何時間も待ち続けたが、これといった結果は何も記録できなか
った。ただ、二人の別の観測者から突然の来週を受けただけだった。この2人は、彼のラ
ンプの明かりを例の奇跡の光だと思い込み、写真に取ろうと駆け寄ってきたのである。

全国紙の中では、唯一「マンチェスター・ガーディアン」だけが、記者を派遣して目撃者からじかに話
を聞き、現実に起きている事件の真相を探ろうとしたらしい。この現地視察員の働きによ
り、1905年2月14日付の「神秘の光は現実か幻か」と題した記事が載った。この記
事は、当時の復興運動における光の役割について考察した後、こう結論づけている。

だれも尊厳をこめてジョーンズ女史について語り、光のことを聞くと、彼女の多くの隣人が笑
顔で答えた。彼はいつも空を見渡しているが、光を二つ見かけた、という男がいた。その
光は星でもランプの光でもなかったが、彼の考えでは、月の光が屈折してそんな風に見えた
のだろうということだった。さらにこの男はこう付け加えた。「おれは、ジョーンズさんが復
興の祈祷会に出かけていくところをしょっちゅうみかけるけどねぇ。でも、光がいっしょ
についていくとこなんか見たことないよ、、、、、、」

光の存在をすっかり信じきっているある婦人は、ある夜礼拝所に入っていくとき大きな星
を見た、と語った。「月ぐらいもある大きな星でしたよ。そう、本当にそれくらいだったわ。
青みがかった色をしてましたよ」2時間後、彼女が礼拝所から出てきたときには、その星
は消えていたそうだ。
279:2008/07/22(火) 17:45:26 0
この光の実在を立証するには、その原因に関する十分な調査の実地が望まれよう。同じ現
場にいても、光が見える人と見えない人がいるらしい。

たしかに、この光に対する地元の受け止め方はまちまちだったようだ。最初はこの減少に
熱狂していた人の中にも、後になって世間体を気にするものも出始め、その引け目から地
元の人々をやゆするような態度を示すものもいた。アベリストゥウィスで発行されている「カンビリア
ン・ニュース」に、そうした変節が見られる。同紙は、トレルドールに現れた光について報じた後、
1905年2月24日付きの紙面で次のように論評している。

驚く星を見た人は、自分が慢性アルコール中毒にかかっていると考えたほうがよさそうだ。
アルコール中毒が実際には危険である。もしノックの音まで聞こえるようになったら、いよいよ危
ない。もうじき、壁にクッションを張った、外から鍵のかかる個室に閉じ込められるだろ
う、、、、。

1905年1月10日付の「タイムズ」の記事は、率直には、宗教妄想を伴う患者がすでに1
0人入院している。1人ないし2人には回復の兆候が見られるが、そのほかの患者は、全
体的に見てかなりの重症だといわれている」
      /.:.:.:.:.:.:;.:.:.;.:.:.:i.:,へ:.:.、:.、:.:.:.:゙,
     /.:.:.:.:.;.:.:.!:.:.|:.:l.:|.:{ l:ト;⊥_!:.i:.:.:i
.    l.:.:!.:.:.:l.:.:|!:,ィチ厂i| |l | 」_「ハ:.:.l
     !.:|.:/.:.{:l.:lヘ |!- ミヽ  1::d〉ヽ:.ト   <<あらまっ!、、、。
     l.:!/:.:.;;}:l:.:lYち::::!   ,`´,, レ⌒ヽ  , - 、 
    >'ヌヽf ハ:.lヽ `゙´  _.. -    i   ! /   i    
    Yl::|Yヽ、キi:l  '''  l  |   イ:! |l/ /  ノ
     ノ|::| !N:.:.:.:.:>-_ ._ゝ-_ イl|::」 | |! レ/
    `l:::´j:.|z<リ〈rー―tコ' ̄ 〉‐y´    `ヽ
     'yVノ_゙ゞッ.ヽ, /Fiヽ、人l  ’    ・ }
       }  `ヽキ Y゙イ |~i,_..ィ゙ ヽ、 x _ _.ノ
       〉   ゝメーイ卅 }  , '7` ー 'ェ ヽ
       l   _\ `゙ッ゙´  /./    |三〉
280:2008/07/22(火) 17:46:28 0

超常的事件は、進行復興運動や伝道師の存在、ジャーナリストの調査とかかわりなく、常に報告
されている。一般に、こうした体験をしても、それを公表するのはごく一部の人である。
1905年に通常よりも高い率の目撃者が名乗り出たのは、マスコミの関心や復興運動の熱狂
が彼らをそう仕向けたと考えるべきだろう。ほかにも異常な事件に関する報告は、数多く
研究家のもとに届いている。SPRの調査によると、ある牧師は、荒れ果てた丘の中腹で
賛美歌を合唱する歌声を聞いている。モントゴメリーシャーでは、協会で礼拝の最中に鐘が鳴ったり、
だれもいない道で歌声がしたり、不可解な雷鳴がとどろいたりするのを、いろいろな人が
耳にした。マイステグの聖職者の話では、若い教区民が協会で祈りをあげている最中に、その
場にいない父親の死を突然知ったのだそうだ。1905年はじめころだと思われるが、こ
ういううわさが流れた。ある婦人が、火柱のもとにエグリン礼拝所が現れるのを見たというの
である。やがて、それは目に変わり、2つに分裂して、落下した。そして、今度は人間の
姿らしいものに形を変えたのだそうだ。

ウェールズでは少しばかりなの知れたある老齢の吟遊詩人が、これに似た体験をした。彼は、
酒の誘惑にはどうしても勝てない人物だった。彼がふと気づくと、いつの間にか見知らぬ
土地にいて、飢えた野獣たちがいまにもかれに食いかかろうとしていた。彼は、不思議な
人物の手でこの窮地から救い出された。彼はこういった。「わしは自分の神の姿を見たんじ
ゃ」彼は酒を断ち、復興運動の間、伝道活動の従事した。そして、かつての楽しき仲間た
ちを何人も教え諭したのである。
281、歳月の壁:2008/07/22(火) 17:48:01 0

改宗者たちがこうした幻視を見た地域と時期は、光が現れたのと同じ土地で、同じ進行復
興の熱狂の最中だったが(こうした出来事を報じたのも同じ新聞雑誌だった)、おそらくこ
れらはまったく別の現象だったのだろう。






歳月の壁

メアリー・ジョーンズにまつわる光を評価するには、乗り越えなければならない数多くの問題があ
る。この現象がおきてから、もう何十年の歳月がたってしまった。事例の数は多いが、そ
の大部分は日時が不明で、SPRへ持ちこまれた報告も匿名のものが多い。したがって、情
報としての価値を評価するのが難しい。光が目撃されたときの天候の状態やそのほか必要
不可欠な要素については、ほとんど知ることができない。目撃された光に関してはさまざ
まな仮説が考えられる。セント・エルモの火(地表の突出部に現れるコロナ放電現象)や、沼のガス
の自然発火、球電、燐光、蛍の光と、実にさまざまな説が考えられる。あるいは、金星か
セント・タッドウォールの灯台の明かりを見間違えたのかもしれない。仮説は立てられるのだが、こ
れ以上は調査を進めることはできない。この中のどれをとっても、ある特定の事件の原因
になったりならなかったりする。筆者がタリボント(エグリン近くの村)で休日で1日費やして分
かったことは、地元には、ジョーンズ女史や彼女にまつわる現象について覚えている人はほと
んどいないということだ。地元の人々は、「誰かが野原でランプをかざしていたのだろう」と
か「割れたガラスに月の光が反射したのだろう」というだけだった。
282:2008/07/22(火) 17:50:02 0

この現象を客観的に評価するための鍵は、ジャーナリストや聖職者たちが語った例の独自の戒律
に隠されている。これは、正真正銘の超常的事件が起きたことを裏付ける十分な根拠にな
りそうだ。事件の大部分は、輝く白い光やそのほかの色とりどりの光がさまざまな形状で
現れ、まったく不可解な行動をするというものだった。光が目撃されたこと、そして一見
意図的な動きをしたことは、どうやら確かなようだ。これについて「ガーディアン」は「証拠
は腐るほどありそうだ」とのべている。

すると、もし超常的活動をするこの光が現実の存在した、あるいはその存在を目撃したと
するなら、光はなぜ、どうやって、こんな行動をとったのだろうか?光はどこからやって
きたのか?何者が光の行動を指図していたのか?そして光はどこへ消えたのか?

こうした疑問に対する明確な答えはないが、おそらく、この光がその出現と行動によって
成し遂げた成果が、最大の手がかりになるだろう。それは、ジョーンズ女史本人の野心に他な
らない。彼女の野心とはメリオネスシャーの信仰復興運動を広めるための巫女として認められるこ
と、そして、自分の地元の礼拝所で伝道活動を成功させること、であった。光は彼女の名
声を高めるための手段であり、彼女の伝道活動の驚異的拡大の土台となった。彼女は、自
分の信仰が光を生み出し、人々を改宗させる力を自分に与えたのだと信じていた。

しかし、超常現象ではあっても、この光の実態について論じるとすれば、考えられる解釈
はたった2つである。罪人を改宗させるために、神が自らの力を誇示したのか。それとも、
異常なことに変わりないが、もっと物質的な要素が原因だったのか。要するに、実際に人
の目に見える制御可能な現象を引き起こしたのは、意図的または無意識的意志の力によっ
て生じた何らかの電気エネルギーだったのではないだろうか。そうなると、もはやこれは、
ポルターガイスト(情緒面に問題を抱えている人の周辺で発生するらしい)、すなわち心霊主義の
物質的現象と考えるほかなさそうだ。
283:2008/07/22(火) 17:51:03 0

この現象を客観的に評価するための鍵は、ジャーナリストや聖職者たちが語った例の独自の戒律
に隠されている。これは、正真正銘の超常的事件が起きたことを裏付ける十分な根拠にな
りそうだ。事件の大部分は、輝く白い光やそのほかの色とりどりの光がさまざまな形状で
現れ、まったく不可解な行動をするというものだった。光が目撃されたこと、そして一見
意図的な動きをしたことは、どうやら確かなようだ。これについて「ガーディアン」は「証拠
は腐るほどありそうだ」とのべている。

すると、もし超常的活動をするこの光が現実の存在した、あるいはその存在を目撃したと
するなら、光はなぜ、どうやって、こんな行動をとったのだろうか?光はどこからやって
きたのか?何者が光の行動を指図していたのか?そして光はどこへ消えたのか?

こうした疑問に対する明確な答えはないが、おそらく、この光がその出現と行動によって
成し遂げた成果が、最大の手がかりになるだろう。それは、ジョーンズ女史本人の野心に他な
らない。彼女の野心とはメリオネスシャーの信仰復興運動を広めるための巫女として認められるこ
と、そして、自分の地元の礼拝所で伝道活動を成功させること、であった。光は彼女の名
声を高めるための手段であり、彼女の伝道活動の驚異的拡大の土台となった。彼女は、自
分の信仰が光を生み出し、人々を改宗させる力を自分に与えたのだと信じていた。

しかし、超常現象ではあっても、この光の実態について論じるとすれば、考えられる解釈
はたった2つである。罪人を改宗させるために、神が自らの力を誇示したのか。それとも、
異常なことに変わりないが、もっと物質的な要素が原因だったのか。要するに、実際に人
の目に見える制御可能な現象を引き起こしたのは、意図的または無意識的意志の力によっ
て生じた何らかの電気エネルギーだったのではないだろうか。そうなると、もはやこれは、
ポルターガイスト(情緒面に問題を抱えている人の周辺で発生するらしい)、すなわち心霊主義の
物質的現象と考えるほかなさそうだ。

精神の病いと奇怪な現象との関係 [メンタルヘルス]
284、タイガードラゴン:2008/07/22(火) 17:57:22 0


メアリー・ジョーンズの命令に従う光を、彼女が自分の意志で呼び出すことができたかどうかは、
永遠のなぞになりそうだ。1906年に復興運動がついにその勢いを失うまで、彼女は伝
道活動を続けたが、1905年7月を最後に、この光に関する報告は途絶えてしまう。

メアリー・ジョーンズのその後の人生についてはあまりよく分からないが、家庭的にはまったく恵
まれなかったようだ。彼女の夫は1909年に死亡し、彼女の娘と息子も早世している。
その後も彼女はエグリン礼拝所の日曜学校で教え続け、時折祈祷会にも出席していた。彼女は
礼拝所の近くで孤独な半生を送り、1936年、ついにこの世を去った。彼女のなきがら
はディフリンのホレブ墓地に埋葬され、その墓は現在でも残っている。つかの間のはなばなしい
栄光に満ちたエピソードとともに、彼女が薄幸の生涯を閉じた後、その業績がわずかでも人々
の記憶にとどめられることは、せめてもの慰めといえよう。




  、、、、ちなみに、メアリー・ジョーンズ女史は見てみると触手系の人なんだよな、、、。

まさか、懐疑論者とつるむようなことはしては居ないと思いたいが、、、。

科学的には不思議極まる話にしても人生の運命の営みでは大切な物は身近にもあるし、

光といっても些細な話なんです、、。ジョーンズ女史は評価しがたいが、称えるだけの価値はある人かもしれません。