顔の無い巨人、不可解な牛の瞬間移動、自動車を追跡するUFO。これらは、リッパーストン農
場に住むクームズ一家が体験したと言われる数多くの現象のほんの一例である。しかし、報告
された事件のうち、どれだけが現実に起きたことなのだろうか?
1977年の秋の間、西ウェールズの商魂たくましいあるホテルの経営者が、UFO研究家の
ために週末サービスを提供していた。UFOマニアたちはホテルの施設を一晩中自由に利用でき、専
門家がUFOのよく見える場所へ彼等を案内した。もっとも、UFOを目撃できるかどう
かは保証の限りではなかったが。「ペンブロークシャーという土地は、この種のことにかけては目
先が聞きますのよ。まさかこれほどの申し込みが殺到するとは思ってみ見ませんでした」
とこのホテル経営者は言った。
イギリス国内のみならず海外のUFOマニアの住民まで集めたものは、新聞各紙がブロード・ヘイブン
三角地帯と名づけた地域から続々と伝えられる驚くべき報告であった。まじめなUFO研
究家たちは、フラップ(UFO目撃の集中発生)に対しては慎重になっていた正常な数を上回
る報告が入ってくる時期は、実際にUFOの活動が活発になっている場合もあるが、報道
記事に刺激されて、普通なら自分の体験を人に話さないで居るはずの目撃者まで名乗り出
てくる場合もあるからだ。必ずしも事件発生件数そのものが増えて居るわけではない。た
だ、公表される事件の数が増えただけなのだ。その上、目撃事件に関するニュースが、一
部の人々に想像上の体験をさせる可能性さえもある。
240 :
,:2008/07/16(水) 21:00:11 0
こうした可能性は、すべてのUFO目撃事件が物理的事実に基づくものだと確信し、こう
した体験への心理的作用の可能性を否定するUFO研究家にとっては、それこそ呪詛のこ
とばにも等しいだろう。しかし、1977年の春から夏の間、西ウェールズである種の思想的
感染が作用していたことは、多くの報告の中にうかがえる。そのおもたるものが、リパーストン
農場で起きたとされている、クムーズ一家を中心とした一連の驚異的事件である。この事件は
みごとなまでに完璧に人々の心をとらえ創造力をかき立てた。新聞やテレビの大々的な報道
に加えて、この事件を重点的に扱った本が3冊も出版されたほどだ。このため、残念なこ
とに、あまりにも多くの反論と混乱を引き起こし、果たして何が真実なのかを証明できな
いものが多い。以下に、最も事実に近いと思われる解説を選んであげるが、その多くは、
相反する報告の一つを選択しただけであって、その正確さについては必ずしも保証できない。
ビリー・クームズは、リッパーストン農場で乳牛の世話をする3人の牧夫の1人だった。農場主のリチャー
ド・ヒュイソンは近くのロウアー・ブロードムア農場に住み、この二つの農場を所有する会社を経営して
いた。クームズ氏と妻のポーリーンは5人の子供と共に、リッパーストン農場の側の家に住んでいた。そ
のすぐ隣には、同じリッパーストン農場で働くブライアン・クラスと妻のキャロラインが住んでいた。
241 :
,:2008/07/16(水) 21:01:15 0
ポーリーン・クームズは、それ以前にも何度かUFO体験を報告していたが、最初の大事件が起き
たのは4月16日のことだった。日が暮れたあと、彼女は3人の子供を車に乗せて帰宅す
る途中だった。後部座席に座っていた10歳になる息子のカイロンが、空に奇妙な光が見える
といった。その光は形も大きさもサッカーボールくらいで、黄色く輝き、低部はぼんやりと鈍い
光を放っていた。そして、懐中電灯のような光を下方へ投射していた。カイロンは、その光が
Uターンして自分たちの後を追ってくると母親に告げた。その物体は車に追いつくと、横を平
行して飛んだ。するとそのとたん、車のヘッドライトの明かりが弱まりだした。家の近くまでく
ると、車のエンジンは完全に停止してしまい、クームズ夫人は残った距離を車の惰性で進
まなければならなかった。彼女は家へ駆け込んで夫を呼んだ。夫と長男のクリントンが外へ出た
ときには、UFOが海のほうへ飛び去っていくところをかろうじて見ることができた。クーム
ズ氏が車のエンジンをかけなおしてみると、まったく異常は無かった。
それから数週間後、クームズ夫人は家のキッチンの窓から別のUFOを目撃したと報告した。
それは直径6mくらいの大きさで、地上から1mほどの位置に停止していた。色は銀色で、
アンテナが突き出し、三脚台の様な着陸ギアがついていた。そのUFOは海のほうへ向かって
飛び去り、そのあとに円形のこげ跡を残していった。これとは別に、下の子供2人が、ドー
ムのついた丸いUFOが3機空に浮いているのを見たといっている。そのうち一つは、地上
からわずか15mほどのところに浮かび、そこからはしごが下がっていた。子供たちは、
銀色の服を着た人影がはしごを下りて来るところを目撃した。さらにそのUFOは、蛍光
色の真っ赤な色をした箱のような物体を野原の草むらの中に落としていった。そのあと子
供たちは箱を探しに行ったが、その箱は何処にも見えなかった。
242 :
,:2008/07/16(水) 21:02:10 0
4月22日、クームズ夫妻はテレビの深夜映画を見ていた。電波障害で映りが悪かった。特にそ
の夜はひどかった。午後11時30分ころ、夫人はカーテンのない今の窓の外で何かが光って
居るのに気がついた。それから約一時間後、夫がその窓のところにへばりついている何者
かの顔を見た。「あれは人間だった。だけど、ばかでかかった」と、後に彼は言っている。
彼の推定では、背丈が2mくらいはあったようだ。そいつは白い服を着ていて、その顔は
黒いバイザー(覆面)のようなもので隠されていた。
びっくり仰天したクームズ氏は、まず農場主のリチャード・ヒュイソンに電話をし、それから英国UF
O研究協会に所属する地元の研究家ランドル・ジョーンズ・ピューに電話した。ピューは警察に通報
するように彼に進めた。すぐにヒュイソンが駆けつけ、つづいて警察もやってきた。が、侵略者
の形跡は何も発見できなかった。それから約3週間後、8歳になる双子が、これとよく似
た人影を目撃した。双子は、野原に出て「草むらの中で起き上がりこぼしで遊んでいた」
とき、その人影のようなものを見た。それは銀色の服を着ていて、顔のところが黒かった
と、2人は、両親とほとんど同じ言い回しで説明した。そいつは、彼から15mくらい離
れたところを歩いて通り過ぎ、そして姿を消した。まるで、有刺鉄線のフェンスをすり抜けて
いったかのようだった。
リッパーストーン農場から報告された報告された事件の中でも最も奇妙なものが、牛の超自然的移
動と思われるものである。ビリー・クームズは、牛が囲いの中から消えて居るのに何度も気づい
た。1頭か2頭が消えることもよくあったが、群れごとそっくり消えることもしばしばだ
った。少なくとも1度は、近所の農場の農夫から牛を集めに来るようにと、クームズに怒りの
電話があった。クームズ氏は、牛はちゃんと囲いの中に入れたと主張している。しかも、かん
ぬきをかけた上に、念を入れてかんぬきにロープを巻きつけてしばって置いた。かりに牛が
逃げ出したにしても、状況から考えて、牛の群れは彼の家の脇を通り抜けなければならな
かったはずだ。ところが、彼も彼の妻も何一つ物音は聞いていない。彼の報告によると、
あるときは、彼が馬を最後に見てから、別の農場に牛が居ると知らされるまで、ほとんど
時間差がなく、どうかんがえてもそれだけの時間で牛がその場所までたどりつけるはずが
ないのだ。どうやらこれは、牛がある場所から別の場所まで何らかの方法で神隠しのよう
に連れ去られたとしか考えるほかは無いようだ。牛はひどくおびえていて、乳の出が悪く
なってしまったそうだ。
牛の謎の瞬間移動は、どうにも信じがたい不可解この上ない問題である。UFOや謎の人
影を目撃したという事件は、それがいかに驚くべき出来事であっても、一般の範囲で受止
められる現象であるしかし、この牛の移動となると、まったくレベルの違う問題のようだ。
しかし、これにはまったく前例がないわけではない。ジョン・イングラムズはその著書「幽霊屋
敷」(1897)のなかで、ランカシャー州のオールダムの近くのバーチェン・バウアーであった不思議な報
告について記している。この家では、身の毛のよだつような習慣があった。この家の前の
主は生き埋めにされるのをひどく恐れて、自分の遺体を埋葬することを許さなかった。そ
の代わり彼女は自分の遺体に防腐処理を施して、21年ごとに遺体を家に運び込み一週間
穀物倉庫へ安置するようにという支持を言い残した。このことが家畜に異常な影響を及ぼ
すことになったのである。
244 :
,:2008/07/19(土) 10:58:19 0
、、、、ちなみに、ポーリーン・ク−ムズさんは、インディオです、、、。
245 :
,:2008/07/20(日) 15:57:52 0
>>244 間違えました、ポーリーン・ク−ムズさんがインディオであるかどうかはわかりません、、、m(。。)m、、。
246 :
,:2008/07/20(日) 16:15:36 0
朝、遺体を運んでいくと、馬や牛はいつも外へ逃げてしまっている。時には屋根裏の干草置き場で牛が見つかる事もある。
その牛がどうやってそこまであがったのかは、全くのなぞだ。牛のような大きな動物があがっていけるような広い通り道など
無いのだから、、、それから数年後、当時ここを借りていた農夫の牛が干草置き場で見つかった時は、
超自然の力が牛をそこまで運んだに違いないと、近所の人々は固く信じ込んだ。
247 :
,:2008/07/20(日) 16:20:01 0
1906年5月18日付の「デイリー・メール」が報じた、異変に見舞われた家の記事の中にも
こういうくだりがある。「馬が一頭消え、干草置きばで見つかった。この馬を外へ出すため
に仕切りをこわさなければならなかった」。イタリアの雑誌「アリ・デル・ペンシエロ」1936年4
月号にもこんな記事がある。
不可解な放火騒動が最近プリンヤーノ(サレルノ県)の農場で確認された。突然自然発火が起こり、
家財道具が燃え、人や動物が焼死した。窓が閉まっているのに、レンガや石が部屋の中に
降ってきた。ものの位置が勝手に変わっていた。だれも手を触れていないのに、家畜小屋
のしきりの中にいた牡牛が、別の仕切りへと移動し移動していた、、、、心霊研究家のある医
師が、無意識に顕著な現象を引き起こす霊媒能力を持った16歳の少女を見つけた。
これと同様の力がリッパーストンでも作用したのだろうか?もしそうだとしたら、きわめて強力
なものである牛の群れをそっくり移動させるというのは、これまでに報告されたいかなる
ポルターガイスト現象をもはるかに上回るものだからだ。しかしながら、リッパーストンから報告され
たそのほかの事実も、ポルターガイスト説を裏付けているようにも思われる。たとえば、1つ注
目に値する点は、この場所が機会類にきわめて悪い影響を及ぼすらしいということだ。恐
ろしいUFOの遺跡を受けたその最中、ポーリーンの運転する車は突然以上をきたしたが、そ
ればかりではない。ビリークームズの報告によると、1977年の1年間に彼は5回も車を買い
替えなければならなかったし、テレビの故障も目立って増えた。そのうえ、電気料金があまり
高いので、」電力公社にメーターの検査を頼んだが、メーターには何の故障も見つからなかった。
248 :
,:2008/07/20(日) 16:21:03 0
霊的な力が作用しているらしいという推測は、ポーリーン・クームズのそれ以前の経歴からも裏付
けられる。彼女は敬虔なカトリック教徒だった。リッパーストンに移り住む前、クームズ一家は近くのペン
ブローク・ドックでトレーラーハウスの生活を送っていた。そのころ、奇妙な物質化現象が起こり始めた。
トレーラーハウスの中から、夫人には毎晩白いドレスを着た等身大の聖母マリアの幽姿が見えるよ
うになった。聖母マリアは腰にロザリオを巻きつけ、幼いイエス・キリストを抱いていた。やがて、その
幽姿はキリストそのものの姿に変わった。そして、30分くらい消えずにそこにいた。うわさ
が広まり、たちまち、この現象を人目みたいという見物人が毎晩押し寄せるようになった。
このトレーラーハウスの持ち主は、次から次へとやってくる見物客に我慢できなくなって、とうと
うトレーラーハウスをこわしてしまった。報告のとおりだとすると、この事件には不明な点が多い。
たとえこうした理由があるにしても、ふつうはトレーラーハウスの持ち主が自分の所有物をわざわ
ざ壊したりしないはずだ。しかし、ここで肝心な点は、ポーリーン・クームズには、明らかにこの
当時から、奇妙な体験をしやすい何らかの特質が備わっていたということである
連続する事件によってリッパーストン農場は、1977年の春から夏の間、絶えず記者や研究科
の関心の的になった。そしていずれは、神出鬼没の例の不気味な黒服の男たち(MIB)が
農場に現れたと新聞報道されるものと、当然のごとく予想された。記事によると、ある日
奇妙な車が音も無くやってきた。だから、誰も車がやってきたことには気づかなかった。
車には、外見がそっくりな2人組の男が乗っていた。一人が車から降りた。おとこはこざ
っぱりとしたグレーのスーツを着、ぴかぴかの靴を履き、清潔そのものの服装だった。隣のキャロラ
イン・クラスが最初自宅の中から車を見たとき、彼は牛の囲いをなにやら念入りに調べていた。
ところが、君の悪いことに、男はいつのまにか彼女の横に立っていて、ポーリーン・クームズはど
こかと質問してきた。なぜか、おとこは彼女がポーリーンでないことを知っていたのだ。彼女
の説明によると、おとこは外国なまりの英語をしゃべり、異国風の雰囲気を漂わせていた
そうだ。「男の大きな射抜くような青い目は彼女をじっと観察し、まるで心の中を探ってい
るようだった」。
249 :
,ミジンコ:2008/07/20(日) 16:29:48 0
記事によるとクームズ家の長男クリントンはそのとき隣の自宅にいたが、この訪問者にすっかりお
びえ、ドアを開けて彼らを招き入れる気にはとてもなれなかった。彼はドアにかんぬきを掛
け、2階で隠れた。男はドアをノックしても返事が無いので、クラス夫人のところへ引き返し、さ
らに情報を聞き出そうと彼女を質問攻めにした。しかし、彼女が答えを口に出していう前
から、おとこにはその答えがわかっている様子だった。それから男は、次の目的地まで行
く道順を尋ねると、例の奇妙な車に乗って去っていった。クームズ夫人が車で帰宅したのは、
その数秒後だった。ここで研究家たちはひとつの事実を指摘している。クームズ夫人が帰って
きた道にはわき道は1本も無い。ところが、彼女はこの二人組みの車はすれ違っていない
のである。なぜ彼女は男たちと出くわさずにすんだのだろうか?
その記事にあるような出来事が現実に起きたのなら、その日リッパーストーンで本当に不可思議な
事件があったと信じるにたる十分な根拠となったはずだ。しかし、より客観的な調査の結
デッチ上げであることが証明されている。2人の男は外国人ではなかった。2人の外見は
気味が悪いほどよく似てはいなかった。彼らの質問はまったく自然だった。さらに、彼ら
は決してキャロライン・クラスがポーリーン・クームズでないことを知っていたわけではない。彼らの最初
の行動は、明らかに、「彼女が」ポーリーン・クームズかどうかを尋ねた質問だった。クリントンはこわ
がって家の中に隠れていたのではない。そしてクームズ夫人が帰ってきたとき、なぜ彼らの車
とすれ違わなかったかという疑問については、いたって簡単な説明で片付く。クラス夫人が彼
らに教えた道は、目的地により早く到着できる近道であり、クームズ夫人が帰ってきた道とは
別の道だったのである。一言で言えば、報道されていたような事件そのものが、単純でご
く自然な出来事をセンセーショナルな物語に仕立て上げようとした無責任な歪曲である。しかも、
西ウェールズの目撃事件の中で事実と報道の内容とが食い違っているのは、決してこの一
件だけにはとどまらないのである。
250 :
,ミジンコ:2008/07/20(日) 16:32:33 0
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