【Democracy】政治の歴史【Aristocracy】
151 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 19:36:24 0
世界の大勢は共和です。
共和にまさるものはなし。
152 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 19:45:12 0
若槻泰雄氏は、
「“先進国”イギリスにも皇帝がいる」という反論もよく聞くが、英国と
日本とでは民主主義の年季がちがうことを思い起こさねばならない。
民主主義の発生の地ギリシャ文明の流れをくむ西欧文明圏に属し、近代の
権利思想の誕生の地であるイギリスと、日本とを同日に論ずることはできない。
イギリスは13世紀のマグナ・カルタまでさかのぼらなくても、彼らが
清教徒革命によりチャールズ1世を処刑して、民主主義の第一歩を踏み出して
から350年もたっている。これに対し、日本の現行の民主主義憲法は、
アメリカ占領軍におしつけられてやむなく採用したものにすぎないことは、
すべての『憲法成立史』が明示しているところだ。英国やその他ヨーロッパに
わずかに残る王室と日本を比べるのは、ヨーロッパが自由と人権を獲得
するために、どれだけの血を流してきたか、という西洋史に対する無知を
自ら暴露するものにすぎない」
と書いているが、なんだか天皇制を憎むあまり、西洋崇拝に走ったって
感じ。
153 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 20:53:47 0
ただまあ、
> ヨーロッパが自由と人権を獲得するために、どれだけの血を流してきたか
これは真実だよ。
日本は王朝の交代がなくずっと長い間天皇家という最高権威が存続して
きた。「お上」という意識が骨絡みになって意識の根底にある。
権威にへつらう、寄らば大樹の蔭、長いものには巻かれろ。
維新後は自由民権を求めてそれなりに血塗られた闘争もあったけど、
小規模な蜂起に留まり、鎮圧されてしまって続かなかった。
島国であること、稲作であることなど、ヨーロッパとは異なる基本条件が
本気で自由を求める人々を少数派にもし、持続的活動を困難にもしたのかと思う。
島国だから他民族との日常的な競争を感じないできたし、稲作だと小麦以上に
共同作業が必要になるので和を乱すことを嫌う。結果、自立した個人を重んじない
ようになった、と。
>>153 北欧各国の歴史を勉強しようw
「大革命神話」というのはフランスローカルの話に近いんだがな。
>>150>>152 昭和初頭生まれというのは、
「天皇陛下の御為に赤子臣民は撃ちてし止まん」「現人神にして大元帥の天皇陛下」
という、実は明治以来多分に(特に初等教育上の)建前論に過ぎなかったものが、
教育で有史以来最強に叩きこまれた挙句、それが掛け値なく本当に「実現」してしまい
その最前線に若年にして放り込まれたという特殊な世代だからね。
しかもこの世代は終戦時にまだ選挙権を持っていない。
上の世代のように、大正デモクラシーを経験して、プロパガンダの重層性と
建前と本音を理解出来ている年齢に達した上に、選挙権を行使していたので
戦争開始に対して当事者意識があるわけでもない。
昭和初期の特殊な教育しか受けていない上に
それを現実のものとして生死の境をさまよう体験をしてしまった以上、
「ことごとく全否定する」以外の思想態度はあり得ないんだろうね。
だが、最も極端に「軍隊の例え」でしか物事を理解実践できないのも
この世代の特徴だったりする。
155 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 21:27:52 0
やっぱり、全体主義的な空気を頭脳の形成期間に吸ってしまった人は、
一生自らの頭で自由に判断する能力を持てなくなってしまうのかね。
そして、全体主義から解放されて自由になっても、それを活用することが
できず、結局別の絶対的な権威(若槻泰雄氏の場合、ヨーロッパ)に縋る
しかなくなってしまうと。
156 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 21:40:31 0
カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』
(毎日新聞社)
日本の社会・政治的現象をじっくり見、欧米の先進工業国のそれと比べたとき、
はたと気づかされる異常な事実がある―日本には政治勢力としての中間階級が
ほぼ完全に欠落しているのである。
(中略)
歴史を少し振り返ってみればわかる。貴族階級の一員ではないが、無力なほど
貧しいというわけではもない人たち(すなわち、経済階層上の中間の人たち)が、
先進国に民主主義が実現する過程で、大きな役割を果たした。日本以外のアジアの
国々でも、中間階級の出現が、政治の姿をすっかり変えるほどの影響を与えた。
たとえば韓国だ。朴正熙・全斗煥・盧泰愚各大統領のかなり強権的な政治を
通じてもたらされた経済成長は、都市部に、そして農村部にさえ、不穏な中間
階級を生み出した。その結果、国の政治的変化を多少なりとも促した活発な
政治行動が起こったのだ。
繰り返しになるが―歴史上、中間階級の生成は、近代民主主義を生んだ政治的
姿勢の発達のために不可欠の要因だった。しかし、日本はこの発達を経てこなかった。
>>156 これが上にレスにある「386世代革命の旗手マンセー論」の原型ですな。
まぁ、その「韓国の『偉大なる386近代民主主義』」のなれの果てこそ
今の「事後法の禁止」も「言論の自由」も全く理解できないノムヒョン政権なんだけどね。
まあ要するにウォルフレンは戦前日本史を知らないだけなんだよ。
日本における中産階級勃興は20世紀初頭であって、
これが帝国議会発展から政党政治、大正デモクラシーを経て
1925年の男子普通選挙実現を支える有力な政治支持層となっている。
ウォルフレンのバカな無知珍説は放っておいて、
日本人が考えるべきは、その後1930年代〜45年にかけて
なぜ日本の民主政が「退行してしまった」のかの研究だろうね。
これは未だに深く議論されていない希ガス。
>清教徒革命によりチャールズ1世を処刑して、民主主義の第一歩を踏み出して
日本で「ピューリタン革命」として知られているこの事件を「革命」と呼ぶ
イギリス人は一部の歴史家だけ。イギリス人はブリテン諸島における17世紀
中葉の“諸内戦”と呼ぶ。ヨーロッパでは18世紀まで、Revolutionという言葉は、
「回転」を意味する天文学用語だった。政治用語として使われる場合は、
「社会変革」ではなく「世の中の秩序が転覆し、一巡りしてもとにもどる」
という原理主義的な復古の思想をはらんでいた。
あと、イギリスは伝統的に自由主義的な国だが、
>>9で指摘されているように
1867年の第二次選挙法改正までは貴族政といったほうが正しい。
どうも日本ではデモクラシーとリベラリズムが混同されているような・・・
カレル・ヴァン・ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』
(毎日新聞社)
なぜ日本国民は、自国の窮状についてなんらかの行動をとることに、
たとえば韓国やフィリピンやインドなどの各国民にくらべ、こうも
熱心さが足りないのだろうか。これらのどの国でも、私は大きく盛り上がる
大衆の政治行動が見るべき成果を上げてきたのを目撃している。
>>159 大正デモクラシーを知らないのだなあこの人。哀れですらある。
カレル・ヴァン・ウォルフレン『世界が日本を認める日』(PHP研究所)
中国が受けてしかるべき敬意には、台湾に関する中国の特殊な主張に対する
配慮も含まれる。全体主義権力の支配から逃れようとしている民主的政府を
持つ国がここにある、という見方は、滑稽なほど単純で間違っている。
「一つの中国」論とその関連諸政策を固守することは、約30年にわたって
誰にとっても―中国、台湾、アメリカ、日本にとって―利益になってきた。
それを虚構であると宣言して、台湾の独立に向けて動くべき理由は誰に
とってもないはずだ。
この独立はアメリカのネオコンと他の右派勢力の一部が唱えていることだ。
しかし、中国はもう全体主義国家ではない。四半世紀近く前からそうでは
なくなっている。たしかにまだ政治犯がいるし、反体制派の人々は過酷な
扱われ方をしている。しかしそれは、きわめて望ましくないことではあるが、
世界にかなり広く見られる独裁支配の伝統に沿ったことだ。
162 :
161:2006/10/04(水) 23:31:17 0
(中略)
中国がこれまでどおりの方向で経済を発展させていけば、やがて大きな中産階級が
徐々に生まれてくるはずだ。
そうなったとき、つまり工業化によって独裁的な政治体制の中に中産階級が
生まれたとき何が起きるかという実例が、中国のすぐそばに二つある。韓国と
当の台湾である。
どちらもある種の民主主義社会になった。中産階級が成長して政治的に重要な
勢力になったときには、これは避けられないことのようだ。この現象については、
アリストテレスがすでにあの時代に記している。
(中略)
中国の中産階級は、韓国のそれと同じく、ある程度の民主主義を誕生させるだろう。
また、台湾と中国は、ほぼ20年にわたって経済的な結びつきを深めてきており、
この流れが反転することは考えられない。
すべての点から考えて、他国が介入せずに当事者に解決を任せておいたら、台湾と
中国はいずれは人と制度を融合させて、多様性が十分に尊重される「一つの中国」
を構成するようになると思われる。
とりあえずウォルフレンがアジア音痴だということはわかったw
というか反米(もしくは反共和党)思想から、
そこに繋がるならなんでもありだと思っているか。
>>157 >日本人が考えるべきは、その後1930年代〜45年にかけて
>なぜ日本の民主政が「退行してしまった」のかの研究だろうね。
・大正時代に入って選挙にかかる金が膨らみ、汚職が蔓延し、政友会と憲政会とが
お互いのスキャンダルを暴いて足の引っ張り合いをし、国民に政党は党利党略に
走って腐敗しているという印象を植え付けた。
・野党は与党を攻撃するためなら、原理原則をかなぐり捨てて、国益に反する
ようなこともあえてした。(政友会が幣原喜重郎の国際協調外交を“軟弱外交”
として攻撃したり、浜口雄幸内閣がロンドン軍縮条約を締結して批准を求めると、
“統帥権干犯”としてこれを攻撃したことなど)
・恐慌が起こるとそれまでのような利益誘導型の政治が続けられなくなった。
政治の健全化をさまたげた原因が、与党だけではなく野党にもあることや、
利益誘導型の政治(これは国民自身にも原因があるのだが)は、戦後の日本政治
にも共通しているように思える。
165 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 16:00:05 0
>>164 現在の日本人に当時と同じ時代状況や思想潮流に中に放り込んで
歴史を追体験させたら、やっぱり同じ道を辿りそうな悪寒・・・
>>165 同じ時代状況や思想潮流に放り込んだら同じになるのは当然じゃね?
結果どうなったかを知った上で放り込むって事?そうでなければ何の意味も無い
設問だな。
>>154 >「ことごとく全否定する」以外の思想態度はあり得ないんだろうね
アメリカの、いわゆる「ベトナム戦争世代」にも似たようなところがあるような。
>>144 >絶対的な権力や権威の元で暮らしていた人間が、いざそれを失うと、
>代わりの権威を探そうとするからね
ドイツの作家ギュンター・グラスが、武装親衛隊に所属していた過去を告白して
話題になったが、この人物は戦後はずっとドイツ批判、アメリカ批判を続けてきた人物。
家永三郎も同じタイプの人間だな。戦前は皇国史観を鼓吹して、戦後は反体制派
になった。
ドイツ・イタリア・日本で、戦後にバーダー・マインホフ、赤い旅団、日本赤軍
などの極左テロ組織が活躍(?)したのは偶然だろうか?
極左テロ組織の経歴調べたら、元極右だったりしてなw
>>157 大正デモクラシーの時代、二大政党は政策の差異を強調しすぎた。とくに
外交政策でそれが顕著だった。
民主党の最適戦略(上)
ttp://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_d143.html こう考えると、「対立軸を明確に」というのは、自ら支持者を切り捨てる盛大な
自爆戦略だということがお分かりいただけると思う。そもそも、自民党の政策を
見て、それに対抗する政策を考えるという受け身なやり方自体がまるで間違って
いる。上の図を見れば分かるとおり、重要なのは「国民の大多数は何を望んで
いるか」ということであり、「自民党からどれだけ距離をとるか」ではない。
上の図で言うなら、中道ど真ん中に陣取っておけば、自民党がどのような
ポジションを取ろうが、最低でも5割の支持を得ることが出来るのだから。
>>164 幣原外交批判と統帥権干犯問題は性質が全く異なると思うけど。
幣原外交はしばしば大正デモクラシーの精華のように語られているが、
実は19世紀的な貴族政的手打ち外交なので、大正デモクラシーには決定的に反する。
「俺様エリートが腹芸で妥協するのに、愚民め、騒ぐな。」だからね。
民主的基盤を持つ政党政治家から厳しく批判されても仕方ないところがある。
陸奥宗光の時代とは違うのだ。しかも大正期には
中国に日本人の民間資本が重要な経済権益を持っている。無視はできない。
それに、厳しい議論が生まれることは民主政治にとっては基本的に良いことだ。
だが、
統帥権干犯問題への言及はこれとは違って、よちよち歩きの民主政に対して
ほとんど自爆に近い致命的な政治論争を仕掛けてしまったことになる。
ここは明治憲法の事実上の解釈改憲としての大正デモクラシーに対する
致命的な急所だからね。
>>170 >統帥権干犯問題への言及
それを行ったのが“憲政の神様”こと犬養毅・・・
173 :
171:2006/10/06(金) 01:00:47 0
>>172 スマソ、うっかりミスだ。
それまで、兵力の決定は統帥権に入らず内閣の輔弼事項であるというのが
常識的な解釈だったから、政友会のこの主張は政党内閣制を破壊する自殺行為
だったな。
戦後日本の自民党は、政策論争となると“金持ちケンカせず”で、体系的な
理論をはっきりと打ち出さず、野党の主張の矛盾をつくということもせず、
根拠はあいまいなまま結果だけを達成してしまうという傾向が強かったが、
これも日本の政治の成熟を妨げたのでは?
野党もビシビシ厳しい批判を浴びることがないから、“万年野党”という居心地の
いい安息所に逃げ込んだ。政治も文化と同じで、批判精神がないと優れたものは
生まれてこないのかもしれない。政権をとれない野党なんて、誰にも見てもらえない
作品をつくって自己満足している芸術家のようなもの。
>>174 まあ、今の民主党は良い意味でも悪い意味でも、旧自民党田中派として収斂されてきてるから
そのうち政権取ることもあるかもね。今はあれでもそのうちばら撒き形が必要になる時代も
来るだろうから。
まぁ、結局のところ二大政党制の最適戦略に早く気づいて
それについてこれない旧社会党系を斬り捨てられるかなんだろうけど。
>>175 >今はあれでもそのうちばら撒き形が必要になる時代も来るだろうから。
マルクス主義者の主張は、人間の自由な行為の価値を軽く見ており、社会的
現実を形づくるうえで非経済的要素の持つ力能を軽視していると批判されて
きたが、現在のグローバリゼーションマンセー派の主張も同じ間違いを犯している
ような。
まぁ、グローバリゼーション自由競争主義って
全ての人間をエコノミックゲームに強制参加させるわけで、
そこにある人間観は金を稼ぐために生きるというもの。
ここでは、生きるために必要なだけ金を稼ぐという発想は切り捨てられる。
>>176 イギリス労働党も、キノック党首の時代は「資本主義断固打倒!」を叫ぶ左派を
コントロールできずに低迷していたな。
ジャーナリストの間では、このままでは日本のように政権交代のない国になって
しまうのではないかという観測さえ流れていた。
結局、ブレアがマルクス以前の倫理社会主義に“復古”することで選挙に勝利した。
保守党政権があまりにも長い間続いて、有権者に飽きられていたということも
あったが。
保守党も、サッチャー以前は福祉国家の理念を守っていた。そもそもジェントルマン
の伝統では金儲けや成り上がりを軽蔑するから。
現代社会では、人々は経済的には大規模な経済構造の奴隷的状態にあるが、
そのうちローマ帝国におけるキリスト教のような運動が出現するかもしれない。
>>180 あと既存の左右両派が、あまりにも体制化した、って事もあるかと。
社会体制全体を見るのではなく、自分たちとその支持者の既得権の擁護に
汲々としている集団に堕した。
>>163 >反米(もしくは反共和党)思想
ウォルフレンは、
「経済事象を市場中心にしかとらえられず、強力な産業システムが国家主導で
築かれる場合もあることを認めることができないアメリカ」「EU―日本の
権力者が発見していない巨大勢力」「ヨーロッパこそ日本の自然な同盟相手」
「EUと日本と中国の協力、さらにはロシアとインドも加えた協力」「ユーラシア
大陸をまたいだ新しい外交」
なんて主張しているから、その通りだと思われ。ユーラシア主義なんて、
松岡洋右の外交を思い出させるが。
184 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 19:55:40 0
>>181 エアバスのCEOのクリスチャン・ストレイフ氏が就任後わずか3ヶ月で辞任する
ことになった。後任はEADSのルイ・ガロワ共同CEO。
抜本的なリストラに向けて裁量が確保できなければ辞任もやむを得ないとする
同氏と、エアバス支配を強めたいEADSが対立していたとか。
ストレフ氏は仏フィガロ紙に対し、(私のCEO辞任が)エアバスがどのように
管理されているかを見直すための良い機会になることを望む、と述べている。
英国の政治学者バーナード・クリックは、デモクラシーとpolitical ruleの発明、
ついで市民の間での政治的討論を通じて統治するという伝統の起源は、ギリシアの
ポリスおよび古代ローマの共和政がもっていた思想と実践の中に求められると
書いている。彼は「政治」とは統治の一形態であり、ある一定の支配領域内の
相異なる利害を、それらが共同体全体の福祉と存続にとって有する重要性の
度合いに応じて、権力に与らせながら、調停するところの活動と定義している。
この定義では、全体主義のようにそもそも利害の多様性を認めないような統治
形態は、「政治的支配」ではないことになる。
一方中世アラブの歴史家アル・アッティクタカーの著書『アルファフリー』では、
臣民の統治者に対する義務は「服従すること」であり、代わりに統治者は「国都を
防衛し、国境を守り、辺境の固め、道路の安全を保持し、悪徳者を抑える」義務を
負う。臣民の種類に応じて適切な統治の手法を選ぶことが肝要で、「上流階級は
高貴な人格とやさしい指導で」「中流階級は飴と鞭で」「大衆は恐怖と正道への
義務づけ、明白に正当なものへの強制によって」治めるとよいと論じている。
こんなことを書くとオリエンタリズムだといわれそうだけど、西洋と東洋の
政治に対する考え方の違いがここにあらわれているように思える。
ばかばかしい。ホッブズでググれ
187 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 22:49:34 0
・・・無数の群衆の上に、その後見となる巨大な権力がそびえ立っている。
唯一この権力だけが彼らの幸福を確保することと彼らの境遇に目を配ること
を任務としている。この権力は絶対的で、細かいことに立ち入るようになり、
整然としており、先見の明があり、穏やかなものである。それは父権に似て
いると言えるかもしれない。もっとも父権のように人間が成年に達するため
の準備を整えることを目標にしている場合には、の話である。ところが、
実際にはこの権力は人間を幼年期に縛りつけて、二度と抜け出せないように
する。この権力の楽しみは、市民が喜んでさえいれば、それで良いのである。
それは市民の幸福のために、進んで働いている。しかし、それは唯一の行動
主体であり、唯一の調停者であることを望んでいる。それは市民の安全に留意
し、その欲望を予測充足し、快楽を促し、彼らの主要関心事を指導し、その
営為を監督し、相続を規制し、遺産を分割する。
彼らから思考の煩わしさと生活の苦労を完全に取り除くことがこの権力には、
どうして出来ないと言えるだろうか?
アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカにおける民主主義』
188 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 22:52:07 0
主権者は社会の表面を複数の綿密な一律的な小規則の網で蔽ってしまうので、
どんな独創的な精神も、どんな強力な魂も群衆を超えて頭角を現すことは
出来なくされてしまう・・・
主権者は破壊しないが、生まれてくるのを妨害する。主権者は圧制しないが、
窮屈にし、圧縮し、無気力にし、消滅させ、麻痺させる。
そして主権者は、ついには各国民を臆病なよく働く動物の一群のようなもの
にしてしまって、政府によってこれを指導させるのである。
アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカにおける民主主義』
>>185 >臣民の種類に応じて適切な統治の手法を選ぶことが肝要で、「上流階級は
>高貴な人格とやさしい指導で」「中流階級は飴と鞭で」「大衆は恐怖と正道への
>義務づけ、明白に正当なものへの強制によって」治めるとよいと論じている。
マキアヴェッリの『君主論』みたいだな。
そもそも一人ずつの政治学者に西洋と東洋を代表させるのが無茶な論法だろう。
191 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 22:40:57 0
『近代日本の誕生』(イアン・ブルマ、ランダムハウス講談社、原著2003年発行)に、
吉野作造が朝鮮の三・一独立運動を鎮圧しなければならないが、同時に対朝鮮人
政策ももっと公平でなくてはならないと主張したことを取り上げて、
「この意見を見る限り、吉野は思いやりはあっても基本的には筋金入りの帝国
主義者だったように思う。そしてこの点に、大正デモクラシーの栄光と限界が
よく表れている。吉野ほどの自由主義者ですら、なぜ日本が近隣諸国を支配しては
いけないのか、その根拠がわからなかったのだ」
と書いてあるが、こういう二重性は欧米諸国でもよくあることなのでは?
『アメリカの民主主義』の著者のアレクシス・ド・トクヴィルがアルジェリア
征服を主張したり、フランス本国で教育改革を行ったジュール・フェリーが、
「優れた民族には、劣った民族を文明化する義務がある」と発言して植民地
政策を推し進めたことなど。
倫理観に照らして正しいか、国益を考えてどうなのか、
板ばさみになるのは古今東西でありきたりな事象だと思うが
なんていうか、その本の主張は(一事例を広範に捉えるという意味で)嘘科学の部類だなぁ
>>191の続き
その他にも1905年の日比谷焼打ち事件を取り上げて、
「実のところ、この暴動を起こした日本人たちの行動は、1919年に五・四
運動を起こした中国人の行動とよく似ている。中国人も、ドイツ権益を
日本に引き渡したとして自国の政府に抗議している。代議制を取り入れて
いない政府や、民意を得ていない政府のもとでは、為政者よりも強い愛国心
を示すことが抗議活動の一形態となる。為政者が国を売ったら追放されて
当然だ。東アジアでは、これが政権交代のパターンとして何度も繰り返されて
きたが、ここから自由民主主義が生まれる可能性はゼロに近い。それに
この場合、国内で政治的権利を求める動きと対外的に植民地拡大政策を
求める動きとが何の問題もなく両立する。しかも、これは両刃の剣で、
政府が愛国心を利用して自由主義者を弾圧することも考えられる。現に、
そうした弾圧はたびたび行われている」
と書いたり、
「近衛が理想とした日本の姿とは、国内抗争の消滅した全体主義的統一
国家であった。ちなみに東アジアの政治では、一つの例外もなく、激しい
派閥争いを繰り広げたあとは大同団結が高らかに叫ばれる。この二つは
常に表裏一体であり、悪循環を形成して専制政治を進展させていくのである」
などと述べたりしている。
ちなみにこの本の著者のイアン・ブルマは、
「ニューヨークのバード・カレッジ教授。オランダ・ハーグ生まれ。ライデン大学
で中国文学と中国史を学んだのち、日本への関心を高め、日本大学芸術学部で日
本映画を専攻。その後は日本と香港を拠点として写真家、映画評論家、ジャーナ
リストなどさまざまな分野で活動しながら、世界各国の大学で教鞭をとる」
という経歴の持ち主。
195 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 23:49:15 0
>>191 19世紀から20世紀前半のリベラル派は洋の東西を問わず、
みんな帝国主義者だったと思うけど。ただその本の文脈の
全体がよく分からない。なぜ日本のリベラルだけが帝国主義と
いうことで批判されなければならないのだろう?
当時のリベラルに傲慢さがあったことは認めてもそれは
日本だけではないはず。日本帝国主義に倫理的問題を感じたのは
社会主義者や小日本主義者だけだよ。その本の論拠は何?
>>195 大正デモクラシーが衰退した原因について考察した章で、天皇・軍部・
政治的抗議活動などについて取り上げて、
「この意見を見る限り、吉野は思いやりはあっても基本的には筋金入りの帝国
主義者だったように思う。そしてこの点に、大正デモクラシーの栄光と限界が
よく表れている。吉野ほどの自由主義者ですら、なぜ日本が近隣諸国を支配しては
いけないのか、その根拠がわからなかったのだ。だとすれば、日本が後に
まったく無謀な侵略行為に敢えて乗り出すことができた理由も、よくわかる
のではないだろうか」
と書いている。はっきり言って意味不明。
>>186 一度きちんとホッブスを勉強してみることを勧める。
文学部系ではダメだよ。法学部系の、それも質の高いものに限る。
>>193 こりゃ酷いな。五四運動時の中華民国の軍閥政府と、
日露戦争時の大日本帝国を同等に比較するとは
上のレスに出てきたウォルフレン並のイカレポンチだな。
すでにこの時期、帝国議会は確実に機能していて、
制限選挙とは言え、民意を一定程度反映する帝国議会では
戦争について政府と政党政治家との間で厳しい議論が戦わされていた。
「人民代表」を集めたところが他地方のヤシが何を言っているか全く分からず
(方言の差がありすぎるから)
皆下を向いて習字の練習をしていたというw中国の状況とは全く違う。
本当に欧米人は明治日本の近代化の成果を
心底認めたくないということが良く分かるね。
>>191>>193>>196の続き
国民は、小泉が日本のゴルバチョフとなり、旧体制の改革を進めてくれるのでは
ないかと期待した。しかし、今回も掛け声倒れに終わった。そして国民は、政治や
政治家に対して日に日に醒めた見方をするようになってきている。民主主義の
伝統が浅い社会にとって、これは間違いなく危険な兆候だ。鬱積したナショナリズムと
先の見えない経済情勢が結びつけば、日本は再び反自由主義的な方向へ進みかねない。
いま国民に最も注目されているのが、現東京都知事の石原慎太郎だ。その評価は
人によってさまざまで、石原こそ最後の頼みの綱だと言って大いに期待する者も
いれば、その言動に不安や嫌悪感を抱く者もいる。
199 :
世界@名無史さん:2006/10/16(月) 14:33:42 0
(中略)
石原のケースも、ひょっとしたら掛け声だけが大きく、単に現状への不満や、
なかなか消えない敗戦の屈辱感が、こういう発言となっているだけなのかも
しれない。ただ注目すべきなのは、石原の感情的ナショナリズムを好意的に
見ているのが石原と同世代の人々だけでなく、若者にも賛同者が多い点だ。
これは、私が思うに、左派・右派ともにイデオロギーに固執するあまり、自分の
頭で考えるという知的風土が日本に育たなかった結果であろう。また、政府が
もっぱら経済発展にのみ集中して取り組む道を選び、公の場での政治討論をわざと
封じてきたことも、原因の一つと考えられる。さらに、ただひたすらアメリカに
頼るだけの日米関係が招いた結果とも言える。いすれにせよ、こうした問題を
解決しない限り、真の意味で戦後は終わったとは言えない。
(中略)
いま私は、2002年の春まだ浅い東京で原稿を書いている。この半月ほどの間に、
日本人が「黒船がもう一度やってきて、今の政治システムを大掃除してくれれば
ありがたい」と真顔で話すのを、何度も何度も耳にした。役に立たなくなった
古い制度から島国日本を解き放つには、外圧に頼る以外に道はない。誰もがそう
口にする。その言い分にも一理あるだろう。だが、それでも私は、いつか日本人が
自らの手で古い体質から脱け出し、不要となった黒船に別れを告げる日が来る
はずだと信じてやまない。
↑この著者の目には2002年の時点で日本がこう映っていたらすぃが、
本当に日本社会の表面しか見ていないという感じだな。あるいは、
自分が見たいと思うものしか見ていないのか。
>>197 中世アラブ・イスラーム世界にはおおまかにいって、
(1)イスラームの規範にもとづき、宗教的観点から政治はどうあるべきかを
論じたもの。
(2)プラトンなどギリシア哲学の政治学・国家論をアラビア語に翻訳し
注釈したもの。 理性による「政治とは何か」の探求といえる。
(3)「君主の鑑」と呼ばれる文藝ジャンルで、史話や寓話を引きながら
「政治はどうすればうまくいくか」を統治者に向けて説く。
マキアヴェッリの『君主論』のようなもの。
の3種類の系統があったとされる。
ルネサンス以後のヨーロッパでは(2)と(3)が発達したのに対し、
イスラーム世界では(2)が衰えて(1)と(3)が残ったのでは?
202 :
世界@名無史さん:2006/10/16(月) 18:34:26 0
脈絡はないけど引用しときます
政府の臣民が、政府を排斥して解体し<自然>状態に戻り、そして慎重な計画に基づいて、
政府を新たに作り、新しい公職や機関を創設し、その権限を成文化して定める。これらは、
革命の少なくとも法的な意味における本質であり、社会契約の実践であり、人民主権の
主張であった by R・R・パーマー
ロバート・ダール『ポリアーキー』より
人類を惑わす三つの悪徳である狂暴、強欲、野心から〔社会は〕国防、商業、そして政治
を形作り、それによって共和国の力と富と英知が生まれる。すなわち地上の人間を確実に
破滅させる三大悪徳から、社会は市民の幸福を生み出す。この原則は神の摂理を証明する
ものである。私的な実利に完全に没頭している人間の情念は、その英知ある法によって、
人間の社会生活を可能にする市民的秩序に変貌する by ジャンバティスタ・ヴィーコ
アルバート・ハーシュマン『情念の政治経済学』より
人間は政治においては、常に欺瞞と自己欺瞞との愚かな犠牲者である。そしてありと
あらゆる道徳的、宗教的、政治的、社会的な常套語句、言明、約束の背後に、それぞれの
階級の「利益」をさぐることを学ばぬ限り、常に犠牲者であるであろう by レーニン
ミハイル・ヴォスレンスキー『ノーメンクラツーラ――ソヴィエトの支配階級』より
比較的リベラルな政体を取る国家が
政権を維持するために国民に富を与えることに腐心するあまり
その富を属国・植民地などにも止めてそこでは圧制に走ることはよくある。
大英帝国もまさにそれだし、古くはアテネもそうであった
イアン・ブルマとやらはそれほど珍しくもない現象を
オリエンタリズムないし日本特殊論と勝手に結びつけてるだけではないか。
まず自国の歴史を学ぶことから始めた方がいい。
>>201 うーん、何ともコメントのしようがない。
中世イスラム圏の『学者』がヨーロッパの文献群を分析したら
こんな感じになるのかね。だが近代に繋がる学問とは全く無縁だ。
まぁ、ポストモダン的な社会学者の中にはこんな『分析』をするヤシがいる鴨w
ともかく、
マキャベリとホッブズほどひどく誤解されているヤシもいない。
ただの韓非子ではないからね。
マキャベリの最重要著作は「君主論(Il Principe)」ではなく
「リヴィウス『ローマ史』の最初の10章に関する論考」
(Discorsi sulla prima deca di Tito Livio)
だよ。マキャベリ理解は本来ならまずここから入るべき。
この2冊を読み比べた上で、ホッブズを読んでみると、
ホッブズが何を意図していたのかが良く分かる。
『近代日本の誕生』(イアン・ブルマ、ランダムハウス講談社)
洋学は身の破滅を招くこともあった。しかし、ほとんどの蘭学者には幕府に
反抗する気持ちなどさらさらなかった。ペリー来航で決断を迫られたときに
条約締結を主張した者たちでさえ、そうだったのだ。大半の蘭学者は政治に
関与しないよう気をつけていたし、そもそも政治への関心もなかった。ほぼ
全員が心の底から幕府への忠誠を誓っており、攘夷的な中華思想こそ批判して
いたものの、絶対服従を求める朱子学は正しいと考えていた。シーボルトと
贈り物を交換し、そのため謀反の嫌疑をかけられて獄死した高橋景保ですら、
1825年には日本の海岸に近づく外国船をすべて追い払うべきだと幕府に具申している。
206 :
205:2006/10/16(月) 22:37:48 0
ある意味で明治前期の日本は、1980〜90年代の中国とよく似ている。経済改革は
進んでいたが、政治改革が遅れていたのである。それどころか伊藤博文などは、
政治改革を進めすぎると、経済発展政策が狂うと確信していた。
日本はすでに1870年代に近代的市場経済へ向けて動き始めていた・・・しかし、
経済活動の自由には「政府の介入からの自由」は含まれていなかった。政府は、
スローガンにも謳った「富国強兵」を目指しており、強い軍隊を作るのに
欠かせない戦略的に重要な産業を積極的に後押しした。すでに幕末に、日本人は
西欧の専門家に助言を仰ぎながら蒸気船や大砲の製造を開始していた。最初の
製鉄所が建てられたのは1857年のことだ。
207 :
205:2006/10/16(月) 22:38:49 0
しかし1880年代になると、財政難にあえぐ明治政府は製糸場や鉄道、セメント
工場など官営工場を民間に払い下げた。これをきっかけに日本でも産業革命が
始まった。時期的にはイギリスより遅いが、ドイツにわずか数年遅れた程度だ。
当初、近代的な企業経営に挑戦しようという覇気のある者は、ほんのわずかしか
いなかった。そのため経済的な富は一握りの企業に集中し、そうした企業が後に
財閥へと成長していった・・・こうした財閥の成長には一定のパターンがあり、
それは現代日本にも色濃く残っている。自由放任市場で大企業間の競争を促す
のではなく、政・官・財が癒着し、重点政策を決定して政府の補助金を与え、
密室談合を行うことで経済を発展させていったのである。
208 :
205:2006/10/16(月) 22:50:36 0
一般に日本人は長いものには巻かれる性質で、和をもって貴しとし、権威には
おとなしく従うので、政治には関心がないとされている。こうした主張は昔も
いまも日本内外でよく耳にする。それを考えると、自由民権運動の盛り上がりは
実に興味深い。農村部でも独自に政党が結成されたほか、明治時代には一揆が
頻発している(ただしその矛先は、中央政府ではなく地元の有力者や地主に
向けられることが多かった)・・・一揆の中でも特に有名なのは、1884年に
埼玉県西部の秩父地方で起きた秩父事件だ・・・一連の事件に、「自由」を
標榜する両政党の指導者はショックを受け、これを暴徒と見なして即座に関係を
断った。この行動は両党の性格を如実に表しているが、事態を好転させることは
できなかった。政府からの絶え間ない攻撃に両党とも弱体化して運動への熱意も
失い、1884年に自由党は解党、改進党も活動を停止してしまう。両党とも後に
再興するが、すでに往時の活力はなく、自由党は三井財閥の、立憲改進党は
三菱財閥の御用政党に堕したと評されるようになる。
209 :
205:2006/10/16(月) 23:11:28 0
彼〔マッカーサー〕は日本人を子供っぽい民族と見なし、天皇が導かなければ
手をつけられなくなると考えていた。しかし、本当にそうなのだろうか?
皇族たちは当時、天皇は退位して戦争の道義的責任を取るだろうと考えていた。
当時の世論調査から推察すれば、過半数の日本人は大意に賛成したと思うし、
ひょっとしたら退位を喜んだかもしれない。
↑イアン・ブルマは日本人や日本社会の後進性についてさんざん書き立てて
おきながら、天皇が退位しても何も起こらなかっただろうと主張する。矛盾
しているね。イギリス外相のアーネスト・ベヴィンは、第一次世界大戦後、
ドイツから皇帝をなくしたのがヒトラーに道を開くことになったのかもしれない
と語っていたが、ブルマにはこういう視点がまったく見られない。
>>204 マキアヴェッリは「危機に際して独裁政をしくことができない共和国は、
一般的に滅亡することになるだろう」と主張しているが、
中韓の情報・宣伝戦に日本がやられっぱなしであることをふと連想してしまった。
日本の外務省が民主的手続きとやらにこだわって、中国が流すプロパガンダに
有効に反論できなかった例がある。
私たちは、アルモニア〔注:調和〕やシュンメトリアの理念によってギリシャを
理解する習慣にあまりにも染まりすぎている。そのため、アルモニアに達する
までの葛藤の大きさを忘れがちである。のみならず、ギリシャ的世界には、最初から
なんの矛盾もなかったかのように錯覚してしまう。擬古典主義、堕落したアカデミズム
は、つねにそうした錯覚のなかにあったようだ。・・・多理念的な行為が、彼らの
創造を、ひとつの調和に到達させるのであって、一見、唯一の理念のみにかりたて
られたかのように思われるが、それは、結果としてみちびきだされた理念なのである。
ところが、私たちは、あまりにもしばしば、古典の本質を「単純」と誤解しがち
である・・・
それにしても、ギリシアの栄光、その銀色の幸福は、なんと私たちから遠いこと
だろうか。それは、ヨーロッパからでさえ遠いのだ・・・まして、ホメロスも
アイスキュロスも生きようのない日本は、もっとギリシャから遠い。かつて私は、
ある雑誌で、沢柳大五郎氏が、日本人にとってバロック的世界は親しみにくいが、
ギリシャは容易に入ってゆけるのではないかという発言をされているのを読んだ
記憶がある。しかし、おそらくこれは、長くギリシャに親しまれた沢柳氏自身の
印象であって、一般論としては受けとりがたいもののようである。・・・けれども、
あえていうなら、これは膨大な錯覚である。似て非なるもののパラフレーズは
慎まねばならない。・・・ところで、私たちは、これらのギリシャ精神を、一言に
して理想主義と名づけている。しかし、私たちのヴォキャブラリーの中でのこの
言葉は、実現不可能なロマンティスムという言葉とほとんど同義である。時には、
そこにわいざつな滑稽感さえふくませるのである。たしかに、この国では、理想と
現実はあまりにも遠い。その距離感は、絶望の淵に人をつきおとすより前に、
諦めを指示する。だがしかし、ギリシャでは、悲劇的な絶望感を媒介としてでは
あったが、理想と現実、神性と人間性とが、信じがたいほど密接な距離に近づき
あっているのである。とすれば、むしろ私たちは、理想と現実の距離の遠さを
嘆くよりは、その嘆きの弱さを嘆くべきなのかもしれないのだ。
中山公男『西洋の誘惑』 遠い古典世界
《イスラーム世界はなぜ後進地域になったのか?》スレの416−423で、
「部族社会というか家産制というか、少数が一族全体の面倒を見るような社会
だと その人間が外圧に屈することは一族の将来が危ないとも見られかねない。
でもって社会がそういう風だと、国家運営自体がその延長上にあるので、
国家指導者が批判の対象になりやすい」
と書かれていましたが、
外交もまた政治であり、その国の体制に影響されずにはすまないものなんでしょうか?
細谷雄一氏は、英国の外交理論家であるアーネスト・サトウの「外交とは、
独立国家の政府間の公式関係における、知性と機転の応用」であり、「軍事力
のみにより国際関係が支配されることを防ぐための、文明により考案された
最善の方法」という言葉を引用しています。
215 :
世界@名無史さん:2006/10/18(水) 20:28:21 0
「人間的善・最高善」を目的とする全活動は政治的なものである
あらゆる技術、あらゆる研究も同じくまた、あらゆる実践や選択も、結局は何らかの「善」
を希求していると考えられる。「善」をもって「万物の希求するところ」となした解明の
見事だといえる所以である・・・およそ我々の行うところの全てを蔽うような目的が存在
するならば、明らかにこれが「善」であり「最高善」でなくてはならない・・・はたして
そうだとすれば我々はせめて・・・このような「善」が何であるか、また、それがどんな
学問や能力に属するものなのかを把握することを試みなくてはならない。
このことは、しかし、最も有力な最も棟梁的な位置にあるところのものに属すると考えら
れるであろう。ところで、このような性質をもつと見られるものに「政治」なるものが
ある。というのは国(ポリス)においていかなる学問が行われるべきか、各人はいかなる
学問をいかなる程度まで学ぶべきであるかを規律するのは「政治」であり、最も尊敬される
能力、例えば統帥、家政、弁論などもやはりその下に従属しているのを我々は見るのである。
それは他の諸々の学問を役立てるものであり、さらにまた何をなし、何をなさざるべきかを
立法するものなるが故に、それの目的は他の諸々の学問の目的を包括しており、従って
「人間というものの善」こそが政治の究極目的でなくてはならない。
まことに、善は個人にとっても国にとっても同じものであるにしても、国(ポリス)の善に
到達し、これを保全することの方がまさしくより大きく、より究極的であると見られる。
けだし、もとより善は単なる個人にとっても好ましいものであるが、諸々の種族や諸々の
国にとってはそれ以上にうるわしく神的なものだからである。我々の研究はこうした事柄を
希求するものであり、この意味でそれは一種の政治学的な研究であるといえよう。
アリストテレス『二コマコス倫理学』第一巻より
216 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 01:16:29 0
>>215 アリストテレスが見落としてるのは「善」の反対、つまり「悪」の存在。
政治を倫理学から切り離したマキャベリの洞察はアリストテレスを補完
する思想だと言える。カール・シュミットの「敵・友」理論も過去の
大思想家たちが見逃した政治的側面に光を当てた点で意義深いね。
217 :
世界@名無史さん:2006/10/23(月) 17:18:29 0
age
218 :
世界@名無史さん:2006/10/25(水) 00:21:52 0
age
219 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 00:41:50 0
ttp://www.diplo.jp/articles06/0610-3.html 西洋思想によって照射された中国思想
例えば、自由の観念を例にとってみよう。西洋において、政治的要請としての
自由の観念の起源はどこに求められるのか。周知のとおり、ギリシャ時代である。
ペルシャの大王という侵略者との戦いに敗れた場合に、ギリシャの都市国家が
失うおそれがあるもの、自由はまずそのようなものとして考えられた。自由
(エレウテリア)の観念は、この戦いの中で、つまり外敵に直面して作り上げられた。
それに対して、諸侯が立ち並ぶ時代の中国は、都市国家時代のギリシャと同様の
状況におかれたことはない。中国の場合は、独立を守るために団結して戦う必要が
なかった。都市国家の崩壊が決定的となった時代のギリシャの哲学者、とりわけ
ストア派の哲学者は、束縛からの解放にこそ人生の目的があると述べ、この要請が
西洋では後世にわたって内面化されていく。同様の内面化の動きが、中国の思想家
に見られることはなかった。
220 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 00:45:41 0
(中略)
しかし、こうした「融通無碍」の下で、自由が展開するいかなる余地が
あるだろうか。自由はヨーロッパにおいて、束縛からの解放を理念として
掲げ、隷属や人間性喪失を拒否することを通じて勝ち取られたものである。
それは政治の「諸形態」の構築によってのみ、成しえることができた。
中国に欠けていたのは、この理念性という背景である。ヨーロッパを
築き上げた理念性は、私たちにはあまりに馴染み深く、疑問に思うこと
すらない。とりわけ私たちは政治的な自由について、プラトンから
モンテスキューにいたるまで(すでにヘロドトスの時代から)、「諸々」
の政体の比較を通じて、それに好意的な政治形態とそれを脅かす政治形態
とを対比させつつ、絶えず考えてきた。中国においてはどうだろうか。
考えられてきたのは君主政、それだけである。天子の善し悪し、秩序の
有無、それ以外にはない。貴族政や民主政といった他の形態を探した
ところで見つかるはずもない。
221 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 04:33:54 0
ガエターノ・モスカ『支配する階級』(1939年)より
小さな社会でも大きな社会でも、外国との争いや戦争にはけ口を見つけると、闘争本能はある程度まで
満足させられ、それだけ市民内部の不和や内紛にそのはけ口を求めることは少なくなる。文明社会の
至る所で発展している政党や哲学的宗派や宗教分派などの性格を詳しく見てみると、最も原始的でいわば
最も「動物的」本能である群棲と闘争の好戦的本能が、別のもっと複雑でもっと人間的な知的・心理的
要因と混じり合っているのが判る。文明のもっと進んだ大きな社会の場合、その社会を結合させているの
はただ道徳的・知的類似性ばかりでなく、複雑で強力な政治組織であり、ここでは、組織の弱い小さな
社会よりもはるかに多くの思索と感情の自由がある。そこで大民族の場合、政治闘争と宗教上の争いは、
首尾よく自己を主張できる観念や信条や愛情の多くの流れによっても決定される。つまり各個人の信条や
感情が色々な形で溶かされ鍛え上げられる様々な知的・道徳的坩堝の形成によっても決定されるのである。
例えば仏教はバラモン社会で発展した。預言者やのちになってはサドカイ教徒、エッセネ派、熱狂派の
様々な宗派はイスラエルの生活を沸騰させた。ストア学派、マニ教、キリスト教、ミスラ神崇拝はギリシャ
=ローマ世界の指導権を争った。マニ教を修正し、富と女性の共有を説く共産主義に著しく傾斜している
ゾロアスター教はササン朝ペルシャを圧倒した。回教はアラビアに端を発し、アジア、アフリカ、ヨーロ
ッパへと急速に発展した。これよりはもっと合理的な近代ヨーロッパ文明の性格に合わせて作られている
ものの、これと全くよく似た現象は、19世紀の自由主義と急進主義、そしてそれ以上に社会民主主義である。
社会民主主義は自由主義とほとんど時を同じくして出発したが、人々を改宗させる影響力は自由主義よりも
長く持続している。そこでそれは19世紀の場合と同じく、20世紀においても依然として一つの最も重要な
歴史的要因であろう。今名を挙げた運動の他に、文明民族の歴史の中にその他多くの群小の思潮を追い求め
ることもできよう。これらの教義は多かれ少なかれ幸運にも広く普及したが、いずれにせよ人間の心の中に
深く根ざしている闘争、自己犠牲や迫害の本能を養い育てるのに役立ったのである。
222 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 04:36:01 0
(続)
このような教義、このような観念や感情や信条の流れは、全てなぜか同じような仕方で生起しているように
思われる。そしてそれらは当初ある一定の特徴を示しているように思われる。人間は自分の情熱や他人の
情熱を取り扱うのにあまりに弱い被造物であり、しばしば必要以上に利己的となり、一般にねたみやすく、
とるに足りないものである。しかし同時に人間が二つの大きな熱望を抱かないということはほとんどない。
この二つの熱望は人間を高貴にし、高め、純粋にする。すなわち人間は第一に真理を求め、第二に正義を
愛するのである。そして時として人間は、そうでなければ自分の情熱や物質的利益を満足させることができ
たはずなのに、あえてこの二つの理想のためにその満足の一部を犠牲にすることができる。文明人は未開人
や野蛮人に比べるとはるかに複雑で感受性が強く、ある場合には、真理を求め正義を愛するというこの二つ
の感情の非常に繊細な観念のために立ち上がる。
ある社会のある一定の歴史的時期に、ある個人が真理の探求に関して新しいことを発見したとか、正義を
もっとよく実現するためにもっと崇高な説を唱えることができると確信して立ち上がるということがある。
このような人が性格的に恵まれている場合、しかも周囲の条件が整い、その他多くの条件が偶然にも幸い
した時、この人は広く世界中に枝を広げる木を育てる種子のようなものである。
223 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 04:38:44 0
(続)
・・・古代からの教義や信仰はずっと以前から確立されており、従って伝統をもち、その活動分野は周りが
しっかりと守られ固定されている。その場合には一般的に、個人がこれらの教義を受け入れ、自分の周りに
作られている組織に入るのは生まれた環境が決定する。例えばドイツやアメリカ合衆国では自分が生まれた
家族の宗派に従って、大抵はカトリックかプロテスタントかユダヤ教である。スペインやイタリアでは宗教心
のある人は必ずと言っていいほどカトリックである。しかし一国で多くの異なった教義がまだ形成の途中に
あり、活発なプロパガンダが行われており、信者獲得競争が一進一退を続けている所では、普通の知性をもつ
個人の選択は、一部分は偶然で一部分はプロパガンダを実行する能力の結果生まれる環境全体に依存する。
例えばフランスでは、思想形成の時期にある若い人たちは、自分の父親や学校の教師や級友の観念がたまたま
与える大きな影響力に応じて、保守主義者になったり急進主義者になったりする。若者の一般的な思想がまだ
可塑的で、主に感情に駆り立てられたり、あるものやある人を愛したり憎んだりする必要だけを知っている時、
手にした書物とか毎日接している新聞とかが彼のその後の生活の傾向全体を決定する場合がある。多くの人々
にとって、政治上、宗教上、哲学上の意見などは、本当はどうでもいいことなのである。青春の最初の輝きが
過ぎ、実際的な職業に携わる「ビジネス」の年齢に達すると特にそうなる。だから、ある程度まで怠惰から、
ある程度まで習慣から、そして一部分間違った誇りといわゆる性格の一貫性によって、人間はしばしば、自分
の利害と大して衝突しなければ、自分が青春の衝動の瞬間に抱いた教義を一生涯もち続けて果てるのである。
そしてそれにはあまり精力も費やさず活動もせず、実際的人間なら大抵それを「理想」と呼んで別にしまって
おくのである。
224 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 13:35:43 0
age
225 :
世界@名無史さん:2006/10/28(土) 01:28:19 0
古代ギリシアの僭主は、現代でいえば開発独裁国家の為政者みたいなもの?
ペイシストラトス時代のアテネや、ぺリアンドロスの時代のコリントスは、
経済・産業が発展した時代でもあった。
226 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:39:55 0
あげ
227 :
世界@名無史さん:2006/10/31(火) 20:44:04 0
age
228 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 14:22:33 0
age
229 :
世界@名無史さん:2006/12/11(月) 10:03:03 0
ttp://d.hatena.ne.jp/kagami/20061013 トム・ホランド「ルビコン 共和政ローマ崩壊への物語」
欧米諸国が民主主義の伝統を誇る時は、決まってアテネのことしか口に
しない。でも私達は、善かれ悪しかれ共和政ローマの伝統も受け継いでいるのだ。
実をいうと、私は本書のタイトルを「市民達(citizens)」にするつもりだった。
残念ながら別の人がもう使っていたのであきらめたけど。このタイトルにしたかった
のは、本書の主人公が市民で、共和政崩壊の悲劇は市民の悲劇にほかならない
からである。ローマ人も、結局は古くからの徳目(個々の自由と独立)を守る
のに嫌気がさし、自分の頭で考えるよりも人の言うことを聞いてのんびりする方
が気楽でいいと思うようになった。いつ決着がつくかわからない内紛よりも、
パンとサーカスの方がいいというわけだ。ローマ人も気づいていたが、
彼らの自由には自滅の種(人心の荒廃)がやどっていた。
230 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 18:22:00 0
age
sage
232 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:30:10 0
月例簒奪に上がりました。
メディアを制したものが民主主義を制する
234 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 16:43:33 0
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20070429ddm007030097000c.html 「我々は世界一の監視社会に住んでいる」
英王立工学アカデミーは3月、監視カメラの急増で市民のプライバシーが
侵される現実に懸念を表明した。「監視社会が忍び寄っている」と指摘した
独立組織・英国情報監査機構の報告書(昨年9月)に続く、2度目の警告だ。
英国は、この10年で急速に監視社会化した。ブレア政権発足の97年に
10万台だった監視カメラは現在420万台。40倍以上に増えた。国民は
外出すると1日平均300回撮影されている計算になるという。
かつての労働党は保守党に比べ「犯罪に寛容な党」とのレッテルを張られ、
長く政権から遠ざかった。ブレア政権は逆に「犯罪に厳しい党」を旗印に掲げ、
05年のロンドン・テロ後には、裁判なしで容疑者を長期間拘束できる反テロ法を
制定。不法移民やテロ対策では指紋や虹彩など生体情報を記録するIDカードを
16歳以上の国民に発行する方針を打ち出した。
235 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 16:44:53 0
05年の前回総選挙時に世論調査で「犯罪対策で信頼できる党」を聞いた
ところ、労働党が32%で保守党(30%)を上回った。「犯罪に厳しい
労働党」は保守党の支持層を引きつけ、保守党内からも「労働党を変革した
最大のスローガン」(レトウィン下院議員)と認める声が出るほどだ。
だが97年から04年までに警察に届け出のあった犯罪は450万件から
600万件に増加。強盗は19%減ったが、殺人は15%、性犯罪も
57%増えた。テロの危機も深刻化している。保守党のシンクタンク
「ボウ・グループ」のアズネリー・アバコーン氏は「ブレア首相はイメージ
チェンジには成功したが、監視カメラ増設は犯罪減少につながっていない」
と話す。
それでも英国民は監視カメラの効果を信じ、世論の80%が増設を支持
している。ブレア政権は新たに50万ポンド(約1億2000万円)を
投入して、不審な行動には拡声機で注意を呼びかける「話す監視カメラ」
を英国内20カ所に設置する計画だ。
英国の作家ジョージ・オーウェルが半世紀以上も前に書いた近未来小説
「1984年」には、ビッグブラザーと呼ばれる監視社会の独裁的指導者が
登場する。虚像の「安全」と引き換えに英国が手にしつつある超監視社会。
英王立工学アカデミーは「このままだと我々の『ビッグブラザー』社会は、
オーウェルが思い描いた以上の強力なものになってしまう」と警鐘を
鳴らしている。
日本でも電柱ごとに一台
監視カメラを所望
237 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 21:44:24 0
保守派に比べて左派・リベラル派には異なる意見に非寛容な人間が多いけど、
これはなぜなんだろうね。
あと、心の余裕がない人間も多い。
頭の中に一旦「理想世界」をつくっちゃうと、それ以外の「非理想世界」が我慢ならなくなる。
239 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 17:12:40 0
240 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 17:22:17 0
>>238 馬の国を訪れたせいで人間嫌いになったガリバーみたいなもんだね
241 :
世界@名無史さん:2007/07/23(月) 20:26:55 0
国際情勢板の「◆国際関係論・国際政治学 総合スレ2◆」を読んでいたら、
例えば、「グローバリゼーションが紛争を少なくする」というテーゼがあるとしよう。人・モノ
の行き来が多くなるにつれて、国境を越えた結びつきが強まるので戦争をしにくくなる、と
いう考え方だね。でも、それが正しいということをどうやって証明する?
一番簡単なやり方は、グローバリゼーションを2国間の貿易高で表して、それを紛争の数
で回帰させる。まあ、OLSが一番単純だが。それで、検定統計量から判断するわけだね。
それを文章で証明しようとすると、妙なイデオロギーが入ってくる可能性がある。ケース
スタディを使う方法もあるが、計量経済学が最も客観的だと思う。つまり、ヘンなイデオロ
ギーから自由になるためには、統計学・計量経済学を使って実証するのが良いということ。
という書き込みがあった。
そのほかにも、
宗教学、心理学、教育学でも統計的なアプローチが用いられる。教育学
では、教育予算と学習成績との関係を見るときに使ったりする。教育
改 革の一環として、先生を増員したり、科目数を増やしたりするわけ
だが、それが生徒の学習 成績、つまり、テストの点数にどの程度跳ね
返っているかを、計量経済学で実証するという方法だね。教育に金を
つぎ込んで、本当に成果が出たのかを検証するということだ。
宗教学でも、「教会に行く回数が多い地域ほど、犯罪者数が少ない」とかいうのを計量経済
学で実証したりするんだね。
などと書かれていた。アメリカ式の政治学ってスゴイなあ…
>>237 保守は叩かれることに馴れているため、自分の意見が通らなくてもそれほど騒がない。
確信は叩くことにばかり馴れているため、自分の意見が通らないことを容認出来ない。
イデオロギー的要素を除いた次元における保守と革新の対立は、理念や具体的な政策の
対立ではなく、政治の手法をめぐる対立であると言われる。
そうだね
右翼は意見を通すよりも暴力で通すほうが性に合ってるからな
頑迷な原理主義者に右も左もない
245 :
世界@名無史さん:2007/09/01(土) 01:43:39 0
21世紀には直接の軍事衝突に代わって情報・宣伝戦で国際世論を奪い合うことに
なると思うけど、これってデモクラシーにとっては試練のときなのでは?
ポピュリズムの問題をどう乗り越えていくか…
246 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 12:25:19 0
age
>>245 独裁国家でも大衆を情報操作するのは必須だろ
民主主義では情報公開が必須
249 :
世界@名無史さん:2007/12/06(木) 22:26:28 0
age
インドじゃ選挙のたびにヒンズー政党が、ナチスばりにイスラムや他宗教への恐怖と憎悪を煽っているな。
それが今じゃ最大野党だし。