外国人の見た日本およびアジアの歴史

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932世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:11:24 0
Thomas Conlan "In Little Need of Divine Intervention"
ttp://www.deremilitari.org/resources/pdfs/conlan.pdf
933世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:24:00 0
ttp://blog.kajika.net/?day=20061202
ロンドンでロイター通信社の幹部を招待して会食したことがあったが
「イギリス人の知的エリートは、ボーア戦争と第二次世界大戦で日本に
敗れた二つの教訓を忘れていない」と言われて奇異に思ったことがある。
「第二次世界大戦で日本は敗戦国となり、イギリスは戦勝国だったでは
ないか?」と疑問をぶつけたのだが、イギリス人の受け止め方は違っていた。
アジアにおいてはイギリスは香港、シンガポールを失い、プリンス・オブ・
ウエールズとレパルスという英太平洋艦隊の主力戦艦を一挙に撃沈された
・・・イギリスはアジアの戦争で日本に敗北したというのである。それは
またアジアにおけるイギリスの権益を失う象徴的な出来事だったという。
934世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:31:55 0
>>930
西欧の中では特殊、というのが社会通念。
人類という母集団で見れば、英国の方がグローバルスタンダードに近くて、
原理主義に傾きがちな独仏の方が特殊だと思うけど。

思いつきだが、英国の場合、英国教会がテキトーな宗教だったことが、
宗教の習俗化・近代への移行を容易にしたんじゃないかな。
カトリックもルター派も、それなりに御大層な教義があり、
原理主義的信仰に行っても不自然じゃない真剣な教派≠セ。
ところが英国教会というのは、
[浮気した国王が離婚するため、離婚を認めないカトリックと絶縁した]
というくだらない事情で成立した教派だから、真剣な信仰を持ちにくい。
それで、信仰心がいつのまにか薄れ、宗教は単なる習俗になってしまった。
英国における近代思想は、そんな形式的宗教を相手にするだけで良かった。
イデオロギー戦争で脱宗教化するよりはずっと平和な展開だと思う。

他方で、独仏における近代思想は、
もっと本気で原理主義的な信仰と闘う必要があったから、
近代のイデオロギーも、攻撃的に理論武装する必要があったんだろう。
935世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:46:15 0
>>934
審査法とかも取り方によっては
「真面目な香具師は駄目、テケトーな香具師はおk」
だしなぁw
936世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:49:29 0
>>934
同じアングロサクソンでもアメリカは原理主義に傾きがちのような。
ピューリタニズムの影響なのか、多民族をまとめていくのに何かの
原理を必要としたからか・・・

国際関係論でも、アメリカ人は「システム」や「モデル」という考え方が
好きなのだそうで。
逆に英国学派は社会的な面から考えようとすると。
937世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:57:09 0
古代ギリシャと古代ユダヤ(ヘブライ)って人類学的に見るとすごく
特殊に思える。
一神教とか科学とか哲学とか民主政とか、こんなのはどこの社会でも
生まれるようなものではないだろうね。

あとはイタリア・ルネサンスかな?ピエロ・デラ・フランチェスカの
思想などがその典型。
938世界@名無史さん:2006/12/31(日) 22:56:39 0
<マクファーレン・マルサス・英日(その5)>
ttp://www.ohtan.net/column/200612/20061226.html#0
英国の人々は、世界で他に例を見ないことだが、貴族を除いては、子孫を残す
ことに、何の関心も持たなかった。というのは、英国では大昔から市場経済が
発達しており、労働力は市場で調達できたし、病や老いに対する備えは家族外
のメカニズムによって充足されていたので、子供がいなくても精神的にも経済的
にも全く困らなかったからだ。だから、子供の性別による選好も全く見られなかった。
同じ理由で、養子縁組が法的に認められるようになったのは20世紀になってからだ。
この英国と対蹠的な社会がインドだとすれば、日本の人々はこの両極端の社会の
属性をないまぜにした、独特の子孫の残し方をした。
というのは、日本でも少なくとも14世紀までには市場経済が発達し、労働力は
市場で調達できるようになっていた反面、日本は英国よりははるかに家族労働
に依存していたからだ。だから、日本では養子縁組が盛んに行われた。
(以上、PP360〜361による。)
しかも、その養子縁組は血縁にとらわれることなく行われた。日本では家族は
法人のようなものだったのだ。養子縁組を通じて階層間移動が行われることも
珍しくなかった。こんな血のつながっていない養子縁組は、支那の儒教の教え
に反することだったというのに・・。(PP363)
939世界@名無史さん:2006/12/31(日) 22:58:18 0
このように家族は法人のようなものだったから、使用人達も家族の一員として
扱われた(PP364)。
日本では、農村で土地が限られていたこともあって、跡継ぎたる男子は一人いれば
十分だった(PP367)。
このような法人たる家族における子孫は少数精鋭でなければならなかった。
だから、農村地帯では足入れ婚が通常であって、子供ができない女性は実家に
戻されたし、奇形児が生まれると嬰児殺しの対象になった。このため、江戸時代
から明治期にかけての日本は、世界で最も奇形の人が少ない社会だった。(PP352〜353)
さりとて、日本で男児が選好された、というわけでもない。最初の何名かは
男児が好まれるが、それ以上子供が増えた場合はむしろ女児が好まれた。男児
が多くなりすぎると家族内の不和の原因になるし、女児だって、男児が全員
死んだ場合は家督を継がすことができたし、婿養子を迎えることもできたからだ。
だから、家族が大きくなればなるほど、女児の数が増えたものだ。(PP355〜356)
要するに、英国と日本は、そうなった原因こそ異なるけれど、子供は多ければ
多いほどよい、というわけではなく、その効用と費用を慎重に計算してつくる
べきものと考えられていた、という点で、世界の中で極めてめずらしい存在
だったのだ(PP368)。
940世界@名無史さん:2006/12/31(日) 23:03:17 0
水子供養とか恐山の風車とか、マルサスさんどう見たのかな
941世界@名無史さん:2006/12/31(日) 23:50:49 0
ttp://www.ohtan.net/column/200609/20060909.html#0
マクファーレンの2冊目の本、The Savage Wars of Peace---England, Japan
and the Malthusian Trap, Palgrave Macmillan, 2003 の内容をご紹介しましょう。
(中略)
イギリスで起こった最後の飢饉は、長雨による1315〜16年の飢饉であり、当時
500万人であったイギリスの人口の約10%の50万人の死亡者が出たのではないか
という説もある(PP65〜66)。
日本に関しては、江戸時代に至るまで、飢饉に関する記録はほとんど見出す
ことができない。
しかも、江戸時代の累次の飢饉については、それぞれ特定の地方におけるもので
あって、江戸・大阪・京都等の大都会に地方から飢えた庶民が押しかけたことも、
これらの大都会で餓死者が出たこともないし、また、地方における飢饉死亡者
の数字は各藩によって意図的に大幅に誇張されたものだ、ということが最近の
研究によって明らかになりつつある(PP70〜73)。
これは、日本が、可耕地当たりの人口において、江戸時代、アジア一であった
ことを考えると驚くべきことだ(PP74)。
イギリスと日本に飢饉による死亡者が少なかった理由としては、どちらも島国
であって海産物を摂れたこと、気候が多様で変わりやすく、日照りや長雨に
よって全国が一律に被害を受けることがなかったこと(PP75)、前述したように
戦争や内乱が少なかったこと、海や河川を利用した水運が発達しており、食糧
の運搬が容易にできたこと(PP76)、農業生産性が高く、大きな都市人口を
養ったり原始蓄積をすることができるような余剰があったこと(PP77〜80)、
イギリスでは16世紀末から、日本では江戸時代に入ってから、飢饉の際に政府が
価格統制や食糧の放出等の飢饉対策を講じたこと(PP81)、地主が小作人を
助けたり小作人が低金利でカネを借りられたりする社会制度が確立していたこと
(PP82)、総じて言えば、イギリスも日本も周辺諸国に比べて豊かな国であり、
そのことともあいまって、どちらも少なくとも14世紀以降、高度な市場経済が
成立していたこと(PP82〜83)が挙げられる。
942世界@名無史さん:2007/01/01(月) 02:52:08 0
イギリスといえばジャガイモ飢饉が印象深いんだけど、愛蘭は別勘定なの?
943世界@名無史さん:2007/01/01(月) 02:52:38 0
イギリスといえばジャガイモ飢饉が印象深いんだけど、愛蘭は別勘定なの?
944世界@名無史さん:2007/01/01(月) 02:53:56 0
イギリスといえばジャガイモ飢饉が印象深いんだけど、愛蘭は別勘定なの?
945世界@名無史さん:2007/01/01(月) 04:50:15 0
ジャガイモ飢饉ってアイルランドじゃなかったか?
946世界@名無史さん:2007/01/01(月) 10:04:48 0
愛蘭と出ているじゃまいか
947世界@名無史さん:2007/01/01(月) 10:32:09 0
<マクファーレン・マルサス・英日(その3)>
ttp://www.ohtan.net/column/200612/20061225.html#0
江戸時代から明治期にかけての日本には、煙突の不在と暖房用の炭の使用に
より、都市の空気はきれいだった。また、農耕や交通手段に馬がほとんど
使われていなかったために、馬の糞もほとんど落ちていなかった。江戸も巨大
な農村といった趣があり、スラムも欧米のそれと比べるとはるかに居心地の
良いところだった。(PP206〜207)
都市の街路は、両脇の家によって一日一回、水を打った上で掃き清められ、
それでも残った物はカラスが片付けてくれた。日本人は欧米人のようにカラス
を目の敵にはしない。(PP209)
当時の日本には、そもそもリサイクル文化とでも言うべきものがあり、ゴミを
余り出さなかったことも、公共的環境の清潔さにつながった(PP208)。
だから、当時の日本には家蠅がほとんどいなかった。これは当時の支那等とは
大違いだった。(PP216)
948福田徳三:2007/01/01(月) 11:16:32 0
江戸期の農業生産力が高かった理由の一つに、漁業資源を肥料に用いた事だろう。
いわゆる魚肥だ。魚肥の利用は、歴史的には世界で江戸日本のみである。
九十九里浜沖の鰯地引網業や蝦夷の鰊業などが有名だが、これら魚肥は大坂市場に集められ、
肥料商人が全国に売りさばいた。
注目すべきは、肥料専門の漁師がいて、それら漁師と肥料商人、農民のトライアングルが
出来ていた事だろう。
もちろんそのトライアングルの形成には、高度な流通システムと社会の安定が欠かせないのは
言うまでもない。
949世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:13:16 0
>>948
江戸時代には、農民の中にも“勝ち組”と“負け組”ができていた
というのは本当ですか?
950福田徳三:2007/01/01(月) 12:20:21 0
勝ち組は地主や富農に、負け組は小作人ということなのでしょうか。
農民は先行投資して肥料を買い求め、収穫を売ってそれを返済に充てる。
豊作などで上手くいけばいいんでしょうが、失敗すれば借金を背負い貧農に転落する
恐れがありました。
951世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:36:02 0
>>948
昔からの疑問なんだが、魚を地面に埋めるなんて勿体ないこと、何でしたんだろう?
その魚を人が食べ、糞として出したものでも、肥料としての効能は同じはず。
植物が必要とするのは、タンパク質じゃなく、リンや窒素なわけで。
952世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:39:22 0
>>947
>リサイクル文化

江戸では「使い捨て」も行われていたらしいよ。
東京で考古学者が発掘すると、まだ使える食器やらオモチャやらが
出てきたという話をどこかで読んだ。
953福田徳三:2007/01/01(月) 12:59:33 0
何がきっかけで魚肥など使ったのでしょうね。
ただ従来の肥料と違い、魚肥は買ったその日から手軽に使えるので、利便性の点では
糞尿由来の肥料よりはるかに勝っていたでしょう。
954福田徳三:2007/01/01(月) 13:00:48 0
何がきっかけで魚肥など使ったのでしょうね。
ただ従来の肥料と違い、魚肥は買ったその日から手軽に使えるので、利便性の点では
糞尿由来の肥料よりはるかに勝っていたでしょう。
955世界@名無史さん:2007/01/01(月) 14:12:01 0
<マクファーレン・マルサス・英日(その3)>
ttp://www.ohtan.net/column/200612/20061225.html#0
石炭を調理や熱源としてふんだんに使ったことは、英国の家の中には
清潔さをもたらした。冬でも家の中が暖かく、また、換気をせざるを
えないことから、家の中の空気は比較的きれいに保たれたからだ。(PP224)
他方、日本の家は19世紀末に至るまで、きわめて小さく華奢であり、
地震や台風には柔構造で対応した。また、床下にも空間があり、また、
壁はなきに等しく、外のきれいな空気が自由に屋内に入り込んだ。このため
家の中は、冬は非常に寒かったが、それでもおつりがくるほど健康的だった。(PP226〜228)
家の中は、一日二回掃除され、年一二回は大掃除が行われた。しかも、
時々大火事が起こって、家は灰燼に帰すものの、ただち立て替えられる
ことで、有毒な黴菌や虫が一掃されて日本の都市は古びて汚くなること
を免れた。(PP233〜234)
蚊帳がどの家にも普及していて、蚊が部屋の中から完全に閉め出されて
いたところは、20世紀にに至るまでは、世界中で日本だけだった(PP235)。
956世界@名無史さん:2007/01/01(月) 14:13:04 0
英国とオランダは、何世紀にも渡って、欧州地域において、最も住民が
最上で高価な衣類を纏っている国だった。近代初期の欧州諸国では、
大部分の人は裸足だったが、英国では、貧乏人も靴を履いていた(PP240)。
日本には、英国よりも2世紀も前に木綿の衣類が普及した(PP250)。
ただ、英国の水準に照らせば、江戸時代の日本の衣類は粗末だった。
しかし、衣類は水でよく洗われたし、その際、石鹸はなかったけれど、
灰からつくられたアルカリが用いられたし、衣類はバラされて再生された。
その衣類はゆったりしており、換気が申し分なかった。そもそも、夏期
には人々はほとんど裸だった。(PP246〜247)
日本人が粗末で簡単な衣類で十分としていたことが、自動織機(power
loom)を必要としなかった理由の一つであると考えられる(PP250)。
ハンカチ代わりの懐紙がふんだんに用いられたのも日本の特徴だ(PP248)。
しかし、日本の履き物は粗末さは衛生上問題なしとしなかった(PP248)。
957福田徳三:2007/01/01(月) 17:52:15 0
江戸時代は農民が小家族で独立して暮らしていたが、これを支えたのが魚肥だった。
糞尿ベースの肥料は江戸期にも使われたが、これは作るのに時間と労力がかなりいる。
室町時代までは農場主(名主)は従属的労働者(下人や所従)を多分に抱え、多人数で農業を
展開したのでそれでも良かったが、江戸期のような小家族農業だと魚肥の方が遥かに使いやすい。
というか、魚肥や油粕のような肥料があればこそ、独立家族農業が展開できたと言える。
958世界@名無史さん:2007/01/01(月) 17:56:12 0
江戸近辺の農民は、米と交換で屎尿を得てたんだよね。 これも世界的には珍しい?
959福田徳三:2007/01/01(月) 18:26:32 0
糞尿利用は日本以外にもあったと思う。交換は他にあったか知らないが。
ただ、屎尿だけでは江戸の驚異的な生産能力(単位面積当りの)達成は難しいだろう。
江戸期で面白いのは、小家族農業が展開されて農業生産が増えたこと。
普通、農業は大人数で行う方が効率が良い。
だけど、江戸時代は逆の現象が起きた。実にユニークなことだろう。
960世界@名無史さん:2007/01/01(月) 18:46:08 0
屎尿をそのまま肥料として使うのではない。
堆肥の原料の一部なのだ。

新開墾地や長年休耕していた農地に直接屎尿を撒くことがあるが、(下肥という)
それは雑草を枯らし、枯らした草と屎尿とを鋤き込んで地中で堆肥ができるように
するためのあまりやらない方法。
961世界@名無史さん:2007/01/01(月) 19:24:28 0
>>958
南宋の主要な貨物輸送が、都市・農村間の肥料・農産物輸送でした。
これを支えていたのが、当時非常に発達していた運河輸送網のようです。

ですから、人糞尿を肥料として用いていた東アジア型農業においては、
標準的なことだったのではないでしょうか。ただ、この取引にはやはり
非常に高度な輸送力が必要とされたでしょうね。
962世界@名無史さん:2007/01/01(月) 19:43:39 0
<マクファーレン・マルサス・英日(その2)>
ttp://www.ohtan.net/column/200612/20061224.html#0
(6)糞尿の処理
16世紀の日本ににやってきた宣教師が、トイレがきれいで小便器と大便器が
分けられ、尻を拭くのに紙が使われており、手水場が設けられていることに
驚いている(PP160)。
江戸時代には、糞尿はすべて肥料として用いられ、大阪では、より価値の高い
糞の処分は大家の権利であり、尿の処分は店子の権利だった(PP158)。
このことも、日本での疾病の発症の少なさに貢献している(PP154)。
他方、中世のイギリスや欧州諸国では、主として動物の糞(manure)を肥料と
して用いていた(PP155)。
中世のイギリスでは、欧州諸国の一部とは違って糞尿を肥料には一切用いなかった
ため、糞尿を処分するにはカネをとられたことから、大部分の糞尿は街路に
垂れ流され、川が糞尿で汚染されていて、状況は日本よりはるかに劣悪だった(PP173)。
しかし、1666年の大火を契機にロンドンで下水道が整備され、状況は徐々に改善に
向かったが、都市の個々の家にまで下水道管がつながれたのは、19世紀半ばに
なってからだった。ちなみに、水でトイレの糞尿を下水道管に流すシステム
(water-closet)は15世紀末にイギリス人が発明したものだ。(PP177〜178)。
今では、イギリスで開発されたシステムが日本のそれに代わって世界を席巻
している(PP180)。
963世界@名無史さん:2007/01/01(月) 19:53:04 0
たしか西武鉄道の前身は、屎尿を都心から郊外へ運ぶ糞尿列車だったんだよね
964世界@名無史さん:2007/01/01(月) 20:55:16 0
糞尿のせいで寄生虫の発症率はダントツだったが。
965世界@名無史さん:2007/01/01(月) 23:35:24 0
ttp://www.bk1.co.jp/product/1952557/review/17736
日本人だけが知らない日本のカラクリ
パトリック・スミス〔著〕

ここに描かれているのは,「途方もなく腐敗しており,市場支配に取り憑かれて
おり,個人を押し殺しており,政治が正常に機能せず,リーダーは不在で,
決断力はまったくない」日本人だ。この本では,それがいったいなぜなのかを,
多岐にわたる取材や法律,文献の再検討などによって浮彫りにする。とりわけ
特徴的なのは,日本の「政治」と「歴史」の側面をとくに掘り下げている点だろう。
966世界@名無史さん:2007/01/01(月) 23:35:29 0
(中略)
日本人は古くから伝統的に「イエ社会」のなかに生きてきた。国家というイエ
のなかで仮面を被り,個性を主張せず,差別を隠蔽して,「みな同じ」という
タテマエのなかに生きてきた。それは現在もたいして変わらない。人々はかつて
のサムライから企業戦士に装いを変えただけで,相も変わらず国家というイエ
を集団でせっせと支え続けている。国際社会のなかでも,教育現場でも,それは
同じだ。日本人はいまも伝統と革新の折り合いをどうつけていいかわからない
分裂状態にある。
967世界@名無史さん:2007/01/02(火) 00:34:04 0
こういう日本人が知らない〜〜みたいなのって
わざわざおまえらに言われなくてもわかってるよんなこととかおまえらもそうじゃん
とかそういう感じのが多い。自分の見聞が狭いだけだとは考えないのだろうか。
もしくは売るためにセンセーショナルな題をつけてるだけか。
968世界@名無史さん:2007/01/02(火) 03:09:47 0
一つ気付いた。
外人の
「日本には〜と言うモノがある」という分析は納得の出来るモノが多い。
「日本人は〜と考える」と言う分析は何言ってるのか意味不明なモノが多い。
969世界@名無史さん:2007/01/02(火) 13:58:14 0
このスレで質問させてもらうけどさ、ユダヤ人って日本人に対して偏見や
反感を持ってるの?
最近では中国系アメリカ人の団体と組んで反日活動やってる。
970世界@名無史さん:2007/01/02(火) 22:53:01 0
(自称)日本専門家よりも、日本と全く関係ない分野の研究者が書いたもののほうが
まともであることが多い。

たとえば英国の政治学者のバーナード・クリックなどは、『デモクラシー』
(岩波書店)のなかで、自由主義から忠と孝を除外したことが、日本のデモクラシーと
自由な政治科学にとって致命的なものになったという丸山真男の説を紹介したあとに、

「つい最近になるまで、イングランドでも、君主と王室全体は道徳的価値を体現
するものであり、さらにそれを強固なものにすべきであるという世論があった
くらいである」

と謙虚なことを書いているんだが。
971世界@名無史さん:2007/01/02(火) 22:59:44 0
>>969
支那人から格安で臓器提供受けてるから、その見返りだろ
972世界@名無史さん:2007/01/02(火) 23:14:37 0
>>951
魚肥はその外形に効用があり、いわゆるペレット状の肥料として
価値があった。多くの養分を必要とする作物の根元付近に
埋め込んだりして使う。
973世界@名無史さん:2007/01/02(火) 23:42:09 0
>>948
肥料には油粕も使われていたっけ。干鰯や〆粕とともに上方などに送り出されていった。

>>959
農業生産の増加は、新しい農具の考案(備中鍬・千歯扱・唐箕・千石どおし・
踏車など)にもよるのかな。

974世界@名無史さん:2007/01/03(水) 00:38:56 0
靖国参拝のギャップ 米国人歴史家はこう見る
ttp://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1808120/detail
「今日の我が国の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上にあり、その気持ちを
表すことは当然であって、二度と戦争を起こしてはならないという気持ちから、
靖国神社に参拝する」という信念を固持する小泉首相。その小泉首相は靖国
参拝を控えることが好ましいという意見を呈するのは、歴史家で作家である
アイヴァン・ホールさん。日中両国の大学で「現代日本史」を教え、著書
「Cartels of the Mind: Japan's Intellectual Closed Shop」(日本語翻訳:
「知の鎖国:外国人を排除する日本の知識人産業:毎日新聞社 )では、ビジネス
ウィーク誌「97年度ビジネス書ベスト10」に選ばれた。その親日派でもあるホール
さんに、靖国問題について聞いてみた。
975世界@名無史さん:2007/01/03(水) 00:39:52 0
ホールさんはハーバード大学で博士号を取得し、61年に初めて来日する。73年に
米国で「Mori Arinori」を出版、77─84年には米国大使館の文化外交官を務め、
84─93年には「日本現代史」の講義で、慶応、早稲田、筑波大学などで教鞭に立つ。
97年に出版した著書「Cartels of the Mind: Japan's Intellectual Closed Shop」
(日本語翻訳:「知の鎖国:外国人を排除する日本の知識人産業:毎日新聞社 )
では、日本の弁護士制度の外国人弁護士参入権をめぐる不公正さ、記者クラブや
日本新聞協会にみられる外国人特派員排除や差別問題など、日本社会における
様々な分野の知的障壁を取り上げている。04年には、中国の北京にある人民大学で
「現代日本史」を中国人学生などに講義するほかに、中国本土を旅している。
976世界@名無史さん:2007/01/03(水) 00:41:09 0
「中国人学生らは建国に失敗した母国中国と比べて、明治維新から大正時代
までの日本の独立、民主化、経済の発展をたいへん評価しています」とホール
さんは言う。満州事変のころから日本に対する評価は一変する。数多くの犠牲者
を払った中国・韓国にとっては、ナチスのヒットラーと同様、第二次世界大戦後の
極東国際軍事裁判で処刑されたA級戦犯が合祀される靖国神社に、日本の首相が
公然と参拝することが理解できなし、受け入れられない。
977世界@名無史さん:2007/01/03(水) 04:55:04 0
鰯とかすぐ痛むから肥料に使ってたってのは前から知ってたけど、使ってて塩害とかはなかったのかね
978世界@名無史さん:2007/01/03(水) 07:05:28 0
津波なんかの場合はともかく、水田だと大した問題じゃないでしょ。畑でも一般に、日本は雨が多いし。
979世界@名無史さん:2007/01/04(木) 04:28:14 0
海水魚の体内の塩分濃度は淡水魚とたいして変わらない。
980世界@名無史さん:2007/01/04(木) 10:59:30 0
っていうか。刺身は塩辛くないだろ。
ttp://www.suntory.co.jp/company/mizu/jiten/drink/dr_02_01.html
981福田徳三
>973
犂から鍬の変化もあるよね。深耕には向いている。西欧は逆に大型犂で発達。
>966
西欧人は、キリスト教は昔から個を重んじたと言うが、かつてルイス・フロイスは
日本女性を「西欧女性に比べて非常に開放的だ」と述べていたらしい。
与謝野晶子もフランス滞在中、「フランス上流階級の女性教育はあまりに保守的で、
もっと個性を尊重する教育をした方がいい」と言った。
要するに、社会のありようなど時代とともに変化するのであり、西欧人は勝手に優越感に
浸るべきではない。