中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。
中世ヨーロッパと言っても、時期や地域によって随分違うようです。時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもまぁOK。
地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアとか、ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。
時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。
中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)
初期中世:大まかに5〜10世紀
盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。
末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
【前スレ】中世ヨーロッパの暮らし(3)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091594814/
2?
梅完了3
1000 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/07/05(水) 22:41:58 0
1000ならオイレンシュピーゲル
シュピーゲル♪シュピーゲル♪シュピーゲル♪
キケロのジョーは、なかなか世界史的なネーミングだったな
>>1乙
の 服 に そ
で を っ う
ご 脱 こ 言 /\
ざ ぎ り っ ./ ヽ
い 始 笑 て |=_ == : |
ま め っ ∠_ 丿 : |
す た て ゝ--- ソヽ
/:(_ノ:: / )
みんな、ラテン語使ってる?
10 :
世界@名無史さん:2006/07/07(金) 20:21:00 0
「タイムライン」で14世紀のフランス人と話が通じないので現代で習ったラテン語で話したら
「まるでキケロの時代のような修辞的なラテン語だな」とかいわれるのが面白かった。
森の中に転送したら通りかかった騎士と従者の一団に「ゴッディン! ゴッディン!」
といわれて首はねられるしな。
イングランド人に現代英語でしゃべったら「きみアイルランド人?」といわれたり。
ラテン語が共通語だったのはいつまでなんだろう?
佐藤賢一とか読んでるとフランスとイギリスでは共通言語が
無くて会話が出来ないみたいな描写があって気になった。
やっぱり腐ってもローマ公用語なのかな
大学辺りでは、18世紀までラテン語で通じたという話も聞くけどね。
ただ、世俗の方ではその頃はフランス語が共通語。
そうなったのはリシュリューの「アカデミー・フランセーズ」創立がきっかけだったことを
考えると、16世紀くらいまでかなという気がする。
そういや神学はラテン語だしなあ。
学問の世界では残ったけど、一般社会では国毎に固有言語が
分かれていったと。
17 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 11:29:56 0
正教圏ではラテン語ってほとんど使う人いなかったんですかね。
17世紀のデカルト、ホッブズ、グロティウス、スピノザ辺りは
ラテン語で(&自国語でも)著作を出しているけど、
18世紀にはそういう人はほとんどいなくなる感じ。
あとトマジウスが17世紀末にドイツで初めて母国語(=ドイツ語)で講義したのが
えらくエポックメイキングだったとかいう逸話があるよね。
14世紀ごろだっけ。
イギリスで聖書が英訳されて、聖職者以外の人も読めるようになって、
宗教改革のきっかけになったのは。
そういえばTheophrastus Philippus Aureolus Bombastus von Hohenheimつまりパラケルススが
16世紀にドイツ語で授業して顰蹙買ってましたね。ま、それが結局医学での標準語になりましたが。
それでも今はカルテは英語か日本語が多いですね。私が子供頃はまだドイツ語でしたけども。
彼の場合は著作はラテン語だっけか?
日本でも幕末までなら識者が漢文で普通に文章を認めていたようなものか。
幕末と言わずとも素養のある人なら最近でも漢文で著作の跋くらいは書くだろうが。
漢文資料に常にあたらなければならないのは、国文、言語関係か、
やはり仏教系の学者学生となるのも同じようなものだな。
お前らこんなところでくだらんカキコしてないで
Jacques Le GOFFの本でも読め。
断る
24 :
世界@名無史さん:2006/07/10(月) 21:14:18 0
著作を暗号で書く人もいましたね。
ロジャー・ベーコンとか。
傍迷惑な奴だな・・・ ('A`)
26 :
世界@名無史さん:2006/07/11(火) 02:44:47 O
だけどラテン語の発音は不明なんだろ?ラテン語の
ネイティブスピーカーはいつ絶滅したんだろ?
アクセントも不明らしい
28 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 00:18:55 0
>>26-27 そうなのか。
映画「パッション」でローマ人が喋ってたラテン語は
発音をどうやって考証したんだろう?
考証というか、それらしく…って事では無かろうか。
日本語でも100年さかのぼればアクセントが違うし、
200年さかのぼれば発音もあやしい。
発音といえば、最近の専門書だと、結構伸びる音が
入ってたりするね>ラテン語
キケロ→キケロー
ガイウス→ガーイウス
ピソ→ピーソー
みたいに。
長音にも法則があるが、
字面で見ると長ったらしいのがちょっと…。
このスレで扱う範囲だと、もはやラテン語は各国語読みってやつに変容した後の事だよね。
そういう時代に中心部ではなくブリテンとかゲルマニアとかかつての辺境の学者を呼んできて発音問題をなんとか古典時代に戻そうなんて事もやったみたいだけど。
フランク王国時代だっけ?で、その時の教師役で呼ばれた人が書いた本に発音がどう変わってきたか?なんてのが残っててそういうのの積み重ねで発音を復元って事ではあると思うけどね。
つーかもっと前のローマ時代にもそういう動きはあってそういうのからってことだっけか?(詳しい事は専門家よろ)。
音引は確かに間違えると間抜けだし恥ずかしいから漏れは極力省略する方向で(w
頼んでた「薔薇の名前」のDVDが今日届いたので今夜観る予定。
見所とかあったらネタバレ上等で教えてください。
ラテン語の発音って考えてみれば2700年くらいの壮大な伝言ゲームだよな。
現代ではバチカンが一番正確に残ってそうだけど、あくまで比較的、だしな。
>33
教皇特使の派手な衣装と村人の貧しげな様子かな
>33
ついでに修道士カドフェルシリーズも取り寄せて時代と地域の差異を楽しむとか(w
>34
でも中心地だけに一番伝言ゲームが激しかったともいえるんだけどね(w
37 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 22:01:50 0
中世イギリスっていつ?
38 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 22:05:54 0
ノルマン・コンクエストから薔薇戦争終結までとか。
39 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 22:22:18 0
中世イギリスの時代背景をレポートで書こうと思うんだけど、使えるサイトとか本ない?
中世といっても時代を限定しないと難しいんじゃないのか・・・?
隠れキリシタンの間には古いラテン語が伝わって…ないか
42 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 22:55:17 0
どの時代が書きやすいかな?
山川の世界歴史体系
パストン家
ロビン・フット
カンタベリ物語
マグナ・カルタ
45 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 23:27:38 0
どういう時代にわけられるんですか?
悪い事は言わんから、概説書嫁。
ネットに頼るな。な?
>>33 最後に出てくる「薔薇の名前は誰も知らない」という文章の意味は・・・・
答えはネットに転がっている検索せよ。
ネットは便利だが万能じゃない。
素直に専門書調べるのが吉。
49 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 02:26:31 O
おすすめの専門書ある? 図書館にあるよーなやつ
口語体で質問してくる奴はろくなもんじゃない
中世イギリスの専門家は俺も知りたいトコだ
今リューベックのレポート書いてるんだけど
ハンザは高村象平とかいう人が有名らしいんでソレ読んでる
洋書は読めないから速攻でパスさせてもらった
52 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 17:45:39 O
中世イギリスについて書かれている本で、図書館にありそうなやつを教えてください。
とりあえず図書館に行ってイギリス史の棚でも見てみたら?
司書さんに尋ねてもいいしさ。
図書館にありそうな本は図書館で探せばいいじゃない。
今はどこだってPC検索ができるんだから。そのくらい自力でやれっての。
>>33です。レスどもです。
>>35 あの房の付いた赤い帽子が好きなんです。
>>36 >修道士カドフェルシリーズ
これも楽しそうですね。
>>47 DVDではそのセリフはカットされてるそうです。
あんな質素な部屋で寝起きして、信仰と写本三昧で一生を送りたいものです。
今夜はブラザーサン、シスタームーンを観ます。
フランチェスコ派が好きなんです。
↑あぁ、ブラザーサンシスタームーンな方がお好みなのねん。
んじゃベネディクト会のカドフェルはつまらんかな?
英国史かじろうって人が洋書スルーってのはコーヒー豆のないコーヒーみたいな気がするんだが(汗
英国史どころかローマ史をはじめとする西洋史はイギリス(とドイツ)が本場だから、
その英国史が一般教養じゃ無いなら英書は読めるようにしておいたほうがエエヨ
俺も辞書引き引きだけどな!( ゚Д゚)
>>55 >DVDではそのセリフはカットされてるそうです。
まじか!あれなきゃ真の意味がわからんだろうに。。。
>>58 真の意味とか言い出すと余計判らんと思う。
60 :
世界@名無史さん:2006/07/25(火) 22:06:39 0
>>52 『西洋中世史研究入門』を読め。すべてはそれからだ。
世俗的に一番通用したのは何語でしょうね。
フランス語かドイツ語あたりでしょうか。
同じ言語でも低地だの高地だのでかなり違ったでしょうけど。
フランス語と言っても、中世じゃ南フランスはまるで別言語圏だし、
人口だけでみればやっぱりドイツ語系の言語じゃない? もちろん、
かなりの地方差はあるだろうけど。
人数だけでいえばラテン語じゃないの?
学問の世界ではまだまだ現役だったようだし。
地中海貿易なんかだと、各国にはその国の言葉を使える人間が
派遣されていたようだから共通語というのはなかったかもね。
ラテン語のバリエイションになるのかな。
Ryuju ◆RlujhF6VrA 氏が
>>15で挙げてたように統一フランス語の一般化
とかはちょっと遅いはず。
話していた人数だけで言えばドイツ語>>フランス語>>ラテン語あたりだと
思うけど「1つの言語を自国民以外の人間が解していた割合」で言えば、当時でも
大学等や古い書物で沢山残っていたラテン語だと思う。
ソースとかはないんだけれども('A`)
今でいう英語みたいな共通言語はなかったんじゃないかなー
イタリア半島よか東側の世界ではギリシャ語かな。
67 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 12:39:02 0
>66
バルカン半島はどこまでギリシャ語圏でどこまでスラヴ語圏なのかよく分からん。
ロマンス語系のヴラフ人なんかはラテン人とある程度話が通じたんだろうか?
ビザンツで民衆の言語がラテン語からギリシャ語に移行したのはいつくらいだろ。
公用語がギリシャ語になったのはヘラクレイオス帝あたりだろうけど、民衆はいつ頃から
ラテン語よりギリシャ語をしゃべるようになったのかな?
盛期中世だと西欧のある階級以上の世俗の人士間ではフランス語(北仏のオイル語)が
準共通語だったらしいけどね。マルク・ブロックは次のように言っている。
(11世紀以後の2世紀間にフランス流の礼儀作法や騎士文化が伊や独にも広まったが)
「実を言えばこのように四隣に広まっていた貴族文明の一形式は当時フランス文化全体が
ヨーロッパ全体ーー勿論ここでも主として上流階級だけが問題であったことは言うまでも
ないがーーに対して及ぼしていた影響、すなわちフランス文化は美術、文学上の様式、
シャルトル学派、ついでパリ学校の威光、<<フランス語の半ば国際語的な使用>>
の一面でしかなかった」封建社会2:p.27:みすず書房、(<<>>部分の強調は筆者)
またジャック・ショーランは「フランス語史」で次のように言っている。
(12世紀には学僧達の広大な層にラテン語教育が普及し始め)「そしてフランス語は、
たとえ学校における教材としてはなお地位を獲得していなかったとしても、フランス北部
において話され、イギリスの王たちあるいはノルマンディー出身のシチリアの王たちの
宮廷で用いられて、その威光を増し続けるのである(中略)(年代記作者ギベール・ド・
ノジャンの語るところによれば)ラン司教区バリジの一修道僧は、チュートン語しか
話せない二人の若者を導いてフランス語を教えた、という」クセジュ文庫p.25:白水社
要するに当時の西欧ではフランス語は俗語とはいえ既に修得に値する言語だったわけだ。
ブロックによればこの時代のドイツ語圏にも、かなりフランス語の宮廷文化や
騎士文化関係の語彙が入り込んでいるし、少なからぬドイツ貴族の子弟がフランス語と
良き行為規範をフランスの君侯の所へ学びに行くということもあったらしい。(ibid)
貴族の共通語という位置はこの頃からあったわけか。
フランス人がフランス語について語っているというのがどうも
聖フランチェスコが若い頃に戦争で捕虜になった時、南仏語喋るからって理
由で貴族として(もちろん身代金目当てで)丁重に扱われたっていうのを本
で読んだ事がある。
単純に強い国の言語を周辺諸国も使えるようにしてたって感じだな。
ドイツなんかは隣だから普通に使えてもおかしくはないね。
フランス以南のイタリア・スペイン辺りはどうだったんだろうなあ。
独仏のような全く違う言葉じゃなくロマンス語同士の場合は問題が別かもしれない。
例えば16世紀になってもモンテーニュは次のような脳天気なことを言ってるわけだ。
「私はイタリアにいたとき、イタリア語を話すのに苦労しているある人に向かって
こう勧めた「べつにうまくしゃべろうと思うのでなくて、相手に自分の思うことを
通じさせるだけならラテン語でも、フランス語でも、スペイン語でも、ガスコーニュ
語でもかまわずに、いちばん先に口に出てくる言語にイタリア語の語尾をつけて
お使いなさい。そうしたらきっとイタリアのどこかの方言に、トスカナかローマか、
ヴェネツイアか、ピエモンテか、ナポリの方言にぶつかるでしょうし、あれだけ
たくさんある語形のどれかに一致するでしょう」と」エセー:岩波文庫:三巻p196
ラテン語の書き言葉と話し言葉の母音体系は4世紀頃から既に異なり始め7世紀頃には
今のロマンス語圏の人が母語しか知らない場合、古典期のラテン語を聞いてもますます
わからなくなっていただろう、即ち話し言葉としてのラテン語の臨終時期は7〜8世紀
だろうと言語学者は言うけれど(ジョゼフ・ヘルマン「俗ラテン語」:クセジュ文庫
pp.119-125)、意思疎通だけなら16世紀になってもこれで済んだのかもしれないね(笑)
>ラテン語でも、フランス語でも、スペイン語でも、ガスコーニュ 語でもかまわずに、
>いちばん先に口に出てくる言語にイタリア語の語尾をつけてお使いなさい。
>そうしたらきっとイタリアのどこかの方言に、トスカナかローマか、ヴェネツイアか、
>ピエモンテか、ナポリの方言にぶつかるでしょうし、あれだけたくさんある語形の
>どれかに一致するでしょう
大雑把というか適当杉で夕飯噴いたwww
ウンベルト・エーコの小説にそういうネタがあったような
78 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 12:14:00 0
13世紀の教皇宛の手紙には、イタリア商人が「ギリシャ人やスラブ人のキリスト教徒を
サラセン人の捕虜と称して西欧に連れ去っている」と告発する内容のがあるらしい。
よく分からん言葉を話してればサラセン人で通ったのか?
見た目は大差ないしなぁ
日本人と中国人の区別がつかないのと同じじゃないか
80 :
世界@名無史さん:2006/08/10(木) 16:07:58 0
言語・外見の区別ではなく、宗教での区別だよ。
中世当時のキリスト教が禁止していたのは「キリスト教徒(カトリック)の奴隷売買」。
逆に言えば「何人であろうとローマン・カトリック以外の者なら奴隷にしていい」
ということ。
・ギリシャ正教(東方正教会)信者のギリシャ人
・黒海沿岸に住むスラブ民族(11c以降)
これらの人々は教皇庁から「異端」とされた、もしくは未だキリスト教化されて
いない「未開人」だったから、キリスト教的には奴隷売買してもOK。
当時のイタリア商人が取り扱ったメインの商品が香辛料ではなく奴隷と木材であり、
その最大の取引相手がアフリカのサラセン人、トルコのイスラム教徒ということから
>>78の言う手紙というのは
・東方正教会信者のギリシャ人を奴隷商人に売っている。
・同じく東方正教会信者のスラブ人を(東欧からみて)西欧方面に連れ去っている。
ということではないか?と勝手に推理。
13cといえば1204年の第四回十字軍のお陰で東西教会がまっぷたつに分かれた時期
だからおかしくはないんじゃないかな・・・
言語云々の話からはずれるが、キリスト教は奴隷売買を認めるためだけに
「身体の拘束は精神の救済に繋がる」というワケワカメなトンデモ理論を
作り出したんだよな。
だから異端だの未キリスト教化だのは奴隷の産地確保の為の言い訳。
82 :
世界@名無史さん:2006/08/14(月) 23:27:50 0
中世なのに、フランス語、スペイン語・・・・。
83 :
世界@名無史さん:2006/08/15(火) 22:35:16 0
農村には庄屋みたいな階層はいたの?
中世ではベットに半身起こした状態で寝ていた。
マジ?
基本的に素っ裸だってのは聞いた事あるが
86 :
世界@名無史さん:2006/08/17(木) 01:16:11 0
王侯貴族は、旅の時は、ベットも一緒に運んだ。
グルジアとか(少なくとも戦前の)満州なんかでは素っ裸で寝るって聞いた。
グルジア人の嫁を貰った日本人男が、そのことをあちこちで言いふらすもんだから、
初対面の人から、裸で寝るって本当かと聞かれる、と奥さん嘆いていたそうで。
俺も裸で寝てる……
裸で寝ると寒くない?
寒くない。むしろ暑い。
>>90 布団の中は寒くなかったが、起きた後が寒いようで
枕もとに服を置いておいて、ベッドの中でもぞもぞと着ていたらしいin中世ヨーロッパ
そういや裸だと寒いから服着たまま寝たら風邪を引いて寒がってると
勘違いされたっていうドイツの話があったな。
94 :
世界@名無史さん:2006/08/18(金) 18:36:55 0
H.P.デュル「裸体と恥じらいの文化史」(文明化の過程の神話T)(法政大学出版局)
で、裸で寝ているといっているにもかかわらず、衣服を脱ぐ場面があったりすること
から「裸」=「全裸」とは限らないと指摘している。
つまり、大き目のシャツ一枚ということだな。ハァハァ
96 :
世界@名無史さん:2006/08/18(金) 22:04:27 0
お前ら日本テレビ見れ!
97 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 03:04:08 0
ドイツのSM雑誌とか投稿系の雑誌なんかにはマジで書いてあるよ。
99 :
世界@名無史さん:2006/09/04(月) 23:08:39 0
歴史人口学は、史料の不足から中世末期からしか
取り扱えないのが現状であるが、一般的に、
女性の比率が多いことで知られている。
S.ダツィンスカのチューリヒの研究では、
1357年1612対1962
1467年1187対1649
1637年2185対2974(男対女)
である。
100 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 03:30:45 O
なんでだろう。
日本や唐なんかでは脱税を目的に、帳簿上では女性が多かったということはよく知られているけど。
欧州では
ペストや天然痘が猛威をふるっていたことと関係しているのかな
つ戦争
そして社会の底辺の下支えとして、寡婦が非常に多かった。
寡婦(;´Д`)ハァハァ
チューリヒって農村か?
106 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 23:11:53 0
107 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 23:18:15 0
Sophie Daczynskaが分析し、のちにWerner Schnyderによって
研究されたもので、1357年に財産税を徴収できた人々の男女比
1467年は人頭税も徴収されたため、15才以上の男女比
1637年は16才以上の男女比
であり、全体の人口はもっと多い。
チューリヒは都市部ですね、当時既に。
農村部はどうなんだろ?
>>103 オレの嫁さんも早く後家さんにしたい!
とかね
修行僧とか放浪学生とか
流動する人口はもっぱら男だったのも影響してるのでは?
女は基本的に生まれた土地にずっと住んでいるものなので
戦国時代に日本に渡来した宣教師が、間引きに驚いていた。
欧州では嬰児殺しは死刑だったからな。
間引きに驚いたというより、間引きを隠さないことに驚いたんじゃね
ヨーロッパにだって隠れた間引きはザラにあっただろ
森に放置とかね
そしてエルフに育てられる。
中世じゃないけど、16世紀頃のロンドンでも汚物溜めによく赤ん坊が浮いてたとか・・・
中国では現代でも似たようなことが多い
欧州の間引きは、「修道院に預ける」という形。
各修道院には子捨て専用の出入り口(母親の)と赤子を預ける窓口(基本的に無人)があった。
形式としては、「遺児は修道院側で育てる」というものだったが、そもそも母乳が出る女性は(建前上)いないわけで、どうにもならずに死亡というパターンは多かったようだ。
それでも運良く生き延びて育つ子供もいたようだ。
しかし、元々医学の発達していない時代、王族といえど子供の半数が15歳まで生きられるかどうかというような時代ではなんとも・・・。
かつて修道院に子供を捨てたであろう女性が、時々自分の子供が育っているのかどうか気になって何度も覗きに来る・・・といった記録も。
当の子供がとっくの昔に死んでたりしたらと思うと泣ける(ノД`)
産んで困るならヤるなよ、と思うが、女性側に拒否権ねぇか
ヘタに拒否すりゃ背信者だし
捨子養育院の存在を知らないとは
中世ヨーロッパは基本的に間引きはしないという情報のおかげで、
森の奥に捨て子を集めたロリショタ天国を作ってウハウハという妄想が頭に広がった。
残念ながら、狼さんや山犬さんや野豚さんのえさになっただろうね。
>>120 それは近世フランスの話では?
門の所にカゴ付きどんでん返しがあるやつでしょ。
下宿先の娘とねんごろになって出来た子供を放り込んだ哲学者がいたはずだけど、
デカルトで合ってたっけ?
修道院はそんなに子供を預かって、
世話をしたり食べさせたりする余裕はあったのだろうか?
結局は体裁だけで遺棄と同じ?
修道院のことはわからんが
上で出てる養育院の場合はかなり遺棄っぽい。
栄養状態も衛生状態も劣悪で、具体的な数字はもう忘れたが、
成長してそこを出るのはけっこう確率低かった希ガス
まあ、中世、近世問わず子供の死亡率はかなり高かった
わけだから、修道院内で普通に育てても順調に減って
結果オーライだったの鴨ね。
アメリカ大陸から芋やカボチャ、トウモロコシ等が渡来するまでは栄養食材が乏しかったからね。
一冬ごとに人口が減ってくって感じ
ジャガイモのないアイルランドで、昔の人はよく生きられたって感動するよ
何故頑なに魚を食わないのか謎
「捨て子養育院」
聖霊修道会のギ・ド・モンプリエにより1170年に設立。
12〜13世紀以降、フランスやイタリアを中心にヨーロッパ中に続々と設立された。
捨てられた子供達は、乳幼児であれば里親に預けられ、少し大きければ労働させられたという。
関係者は努力したが、養育院の状態が良くなる事は殆ど無かった。
捨て子の生存率(成人率?)は一割程度だったとされる。
13世紀には、前世紀と比較すると修道院や養育院に預けられる子供の数が減ったとされるが、捨て子の数自体は増加したとされている。
(捨て子に関する法令や教令の増加から、このように推測されている。)
129 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 01:16:21 0
中世の捨子院で史料が最も整っているのは、言わずもがな
「インノチェンティ捨子養育院」だ。1445-85年まで6346人
の子どもが入所、うち男子は2728人、女子は3618人である。
院内ないし捨子先での死亡者数は4413人であり、全体の1/3
ほどがここから育った。親や親族がひきとったのは約8%である。
1483年で住み込みの乳母やスタッフが26名、172名の子どもが
一緒に生活し、186名が里子に出されていた。貧しい家や安定
していない親のものでの子どもが多いことを考慮すれば、
死亡率は異常に高いとは言えない。雇われた乳母の給料は、
高く、平均労働者に匹敵したこともあって、子どもたちを
大切に育て、授乳期間をあえて引き延ばすケースが多かった。
スタッフがきちんと養育しているか確かめ、情報を集めたり
していた。
130 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 01:31:56 0
江戸時代では貧困家庭の娘を養子としてもらい受け、成長後、
妾奉公や遊女奉公に差し出し身代金を取って渡世させている
者がいたりする。
131 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 01:49:31 0
中世で最もすぐれた農業経営体ともいわれ、富の貯えを制度化し、
気前よくそれを使った。9世紀のアン・リケールでは日に、300人
の貧者、150ニンの未亡人、60人の聖職者の世話をした。1312年
モントブール修道院のための賦役に参加した男子は、食事として
パン1個、ポタージュ用の豆、卵3つ、チーズが与えられ。
飲み物は飲み放題。
中世は暗黒時代だった。そういったイマジネールがいまだに
根強いのは興味深い。
>>132 質問スレでさんざもめてたけど、あそこで書かれてたみたいに
時代区分が適当すぎるのが根本原因だと思うな。
最大限とると本当に1000年くらいの期間になるからな。
>>132 欧米(特にアメリカ)でも“Dark Ages”とか言ってるからねぇ。
アメリカで製作の海外観光スポット紹介番組にて
米「今日はイングランドのお城にやってきました。
まるで中世にタイムスリップしたような・・・」
俺(どう見てもヴィクトリア朝時代の建物だろ・・・)
米「部屋の中は、まさに中世といった雰囲気が・・・」
俺(いや、だからそれはヴィクトリア朝・・・)
ワロタ サスガメリケン
アメリカ人にとって、100年も1000年も区別が無いのかもしれない。
よくあること。>素人の時代区分いいかげん
以前、ルネサンス美術展か何かのCMで
「中世ヨーロッパの息吹を感じる……」みたいなナレーションがあった。
ドラえもん映画の、西遊記の奴にも、古代中国がどうの、とか書いてあったような。
いや、共産中国史観だと阿片戦争以前は古代だから、あながち間違いとも言い切れないんだけど。
>>135 アメリカに住んだことがあるけど、連中、すごい歴史コンプレックスが
ある割にテキトーなんだよね、そういうところ。
ところで中世の始まりって最近はどこからとするのが一般的なんでしょ?
自分が学生の頃はだいたいカール戴冠を目安にするように習ったんだけど。
あと、西ローマ崩壊からそこまでの期間って特に呼び名ってついてますか?
取りあえず
>>1くらいは見るべし。
ただカール戴冠を画期とするなら、
>>1よりもう少し細かい区分が必要かもという気はする。
阿部謹也先生がお亡くなりに・・・
まじですか・・・合掌
元一橋大学長・阿部謹也氏、4日死去していた
西洋社会史研究の第一人者で、元一橋大学長の阿部謹也(あべ・きんや)氏が4日、急性心不全のため東京都新宿区の病院で死去していたことが9日、分かった。71歳。東京都出身。
葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主は妻、晨子(あさこ)さん。
東京経済大教授、一橋大教授などを経て平成4〜10年、一橋大学長。同学長時代に国立大学協会会長に就き、退任後は共立女子大学長を務めた。一橋大名誉教授。
ヨーロッパ中世の社会や民話を生活史などの面から研究し、東西の中世民衆の比較研究で知られた。
著書に、グリム童話で有名なハーメルンの笛吹き男の伝承の研究を通じ、西洋市民社会に迫った『ハーメルンの笛吹き男』など。
(09/09 17:31)
マジだったのか・・・・。
ご冥福をお祈りします。
>>134 日本でも、パリの町並みは中世扱いで、
アントワネットも中世のお姫様。
147 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 21:59:23 0
バイキングへのキリスト教化も、
馬肉
飢饉なの際の嬰児遺棄
も段階的に廃止されていった。
148 :
138:2006/09/09(土) 23:27:08 0
>>139 スマン、一応読んではいた(
>>1)
そのうえでどーなのかなと思って書きました。
実際のところ、自分には西ローマの崩壊をもっていきなり中世開始というのは
あんまり納得いかないんですよね。
149 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 00:10:23 0
慈善施設に他の人々と一緒に収容されていたが、14ー15世紀になると、
子どもだけを専門的に収容する捨子院・孤児院が北イタリアやフランドル
地方に創設されるようになる。その他の地域はやや遅れて登場。
150 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 01:05:48 0
中世は暗黒時代。そのイメージは、近代ヨーロッパの発展の犠牲でもある
労働者や低層階級の現状を見て、近代ですらこのレベルだから、中世は
もっとひどかったに違いないという先入観と、修道士や聖職者や作者の
主観による史料に頼りすぎた結果だろう。しかし、今日では捨子養育院の
経営史料などからそれらが払拭し始めている。
151 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 02:12:39 0
国別の時代区分
イギリスなら薔薇戦争終結まで
王朝の変わり目から
ヨーロッパ全体
コンスタンティノープル陥落まで
宗教改革前まで
制度の違い
絶対王政から
152 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 08:33:17 0
アントニー・ローリーの『美食の歴史』によれば、
中世の修道院は、豊かで食事は3500-4000カロリーに匹敵した
とされる。
修道院はね
中世は豊かではなかったが、そもそも働かない時代だったからなあ。
そうか? 城主でさえ農業に従事しなければならかったとかいうよ。
ところで、「騎士物語」(日本公開題名ロック・ユー)って映画、結構面白いね。
156 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 10:29:03 0
ソースは映画かよ。
>>117 牛乳やスープを浸してガーゼや布にしみこませてのませるんだが。
見回りとか指導なら結構やってたみたいだな
領主様といっても規模はピンからキリまでいるけどね
159 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 10:51:36 0
>>151 社会史・文化史・音楽史などのテーマでも違う。
160 :
155:2006/09/10(日) 11:07:15 0
>>156 いや、下段の映画の話は別の話題だよ。
城主云々のソースは、阿部謹也氏の著作から。
161 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 11:16:42 0
>>126 ジャガイモで救われたという説はあやしい。
そもそも、ジャガイモが普及したのはかなり後。
人口増加と一致しない。しかもジャガイモが普及した
地域はともかく、それ以外の地域の説明にならない。
じゃあ何で救われたんかな。
163 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 11:40:51 0
堀米・世良論争は結局どうなったの?
164 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 12:59:27 0
食糧が不足しているなら、単純な話、輸入していただろうし、あまった人間を
移住させて植民地化した方がはやい。しかし、中世ヨーロッパのもとめていた
ものは香辛料だけ。
そんな単純な話で隅々まで食料が行き渡るのかあ?
166 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 16:56:09 0
>>160 阿部さん、亡くなられたね。71歳というのは早い気もする・・・・・
すくなくとも、アイルランドは助けられた>ジャガイモ
あと、戦時中の日本も
>>152 修道院によっては、並みの貴族より生活環境がいいわけだが
168 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 17:37:43 0
まぁ、ほとんど領主制支配と同じだからな。しかも広域的な修道院のネットワークも
あるし、学もある僧もいるし。
169 :
138:2006/09/10(日) 17:40:29 0
>>167 そのアイルランドでまさにジャガイモが原因で19世紀中頃に
100万の死者を出す大飢饉が
170 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 17:42:01 0
ソバでも植えるしかないんじゃね?
>>169 んなこた知ってる
だが、それまでずっと助けられてきたわけで
つか、魚食えよ、魚。
172 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 18:17:10 0
魚は高級品。
18世紀ジュネーヴでは、食料生産より消費量のが多いため、
小麦などを輸入し、倉庫に半年分ほど常に確保していた。
確保分が少なくなって、小麦が入手しづらい時には、ソバや
米で代用したが、人気が非常になかった。
174 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 21:02:35 0
魚と言えば、
パリへ鮮魚が、毎日送られていた。
イタリアの都市では、役人が売れ残りをきちんと捨てているかをチェック。
捨てた魚は、貧民が集めた。
175 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 21:49:54 0
>>124 捨子院が所領を持っていてそこの地代があったり、もちろん寄付金がある。
インノチェンティの場合は、これの上に、絹織物商ギルドが音頭を
とっていたので、絹織物の売上げの10%、紡績の5%を資金とした。
市政府は税の免除で援助している。教会からは、都市全体の聖務停止令
などが出た場合でも同施設は除外対象となるように特権をもらっている。
市政府は後、脱税目的のため慈善施設への寄進でないかと疑惑を持ち始めた
ため、同施設は、教区教会の組織に編入した。さらに収入が不足すると関税
の一部を回してもらうようになる。さらに刑事罰の罰金の一部を、資金と
したりしている。
鮮魚市塲と淡水魚市塲に別れていた。
『プラートの商人』
178 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 23:59:01 0
1560年フランスの国内穀物総生産高65億kg(6500万キンタール、1キンタール
=100kg換算)で、当時の推定人口1850万とすると一人当たり(子ども含む)
351kgしかない。食糧不足だよな。貧しいよな。
ヨーロッパの穀物生産量が飛躍的に上昇するのは19世紀後半以降。
当時の清や日本の農業先進地域の農業技術を取り入れてから。
(面積単位の収穫量大幅増。)
そして、20世紀半ばにアメリカの大規模農場型の農業技術を採用してから。
(面積単位の収穫量は減るが、全体の収穫量は増えた。)
中世の話じゃないじゃん、という流れ
181 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 14:30:10 O
なんで水田稲作中心の日本の農耕技術取り入れるんだ?
日本なんか他の世界に例を見ないほど飢饉が頻発していたのだが
欧州、特に西欧の農業生産量が飛躍的に延びたのは11世紀の農業革命であるのが一般的
14世紀に黒死病の流行、穀物価格の暴落などで一時停滞するが、別に東洋からめぼしい技術は取り入れてないはずだ
東洋とはその気候、植性、生産農産物に決定的違いがあるからだ
182 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 18:53:08 O
クラーク先生失業
江戸時代=暗黒期論者でつか。
17〜19世紀頃はミニ氷河期だったと言われており、
日本は勿論ヨーロッパでも飢饉が頻発している。
フランス革命だって飢饉が原因の一つだしな。
185 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 22:11:18 O
日本の場合は天災だけじゃないだろ
欧州でも凶作はあったのは確かだが、多数の餓死者が出たのは19世紀半のアイルランドのジャガイモ飢饉と1920年代の社会主義集団化を強制したウクライナぐらいだ
186 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 22:19:54 0
日本や東南アジアなどでは、台風で壊滅的な被害を受ける確率が高かった。
ヨーロッパの場合、比較的被害は少なかったのではないだろうか。
187 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 23:00:41 0
ホプキンスは、最盛期とされる1−2世紀の古代ローマで
総人口6000万人
1人の年間消費小麦量250kg(+種麦83.3kg)
小麦1粒で4粒収穫できた
と計算している。
>>180の言うように中世の話から逸脱するので簡潔に。
19世紀半ば以降、南仏やイタリア等比較的温暖な地域で水田稲作が急速に普及している。
清からの農業技術導入は、オランダとイングランド、スウェーデンが18世紀半ば頃に導入。
以下は、オランダの植民地を経由して導入され、19世紀にヨーロッパ全土に広まったとされる。
深耕と畝作、鉄製犂、唐箕。
(ソースはJ.ニーダム。)
鉄製犂→撥土板付き鉄製犂 に訂正。
190 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 23:15:21 O
鉄製有輪犂は農業革命前から存在した
一般普及したのは農業革命以降
トンデモ本をソースにあげる前に欧米経済史勉強しなおせば
191 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 23:17:57 0
中世ヨーロッパは、2.5粒だが、ペスト以降は5粒に上昇。
古代シュメールは10粒でした……
193 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 23:33:28 0
偉大なるシュメール様>>中世末>>古代ローマ最盛期>古代ローマ>中世初期・中期
194 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 23:36:17 0
ジョルジュ・デュピィによれば、
1200-49年イングランド3.7粒
1250-1499年イングランド4.7粒
1500-1699年イングランド7.0粒
日本は飢饉の時で10粒・・・
通常が50粒以上だからなぁ
「ヨーロッパの奇蹟」では、欧州が各種革命に成功した理由について、気候面から
・寒冷で播種量が少なく、森が深い割に土地が痩せていたため
小粒の都市文化が分散して発展した
・大陸型の大きな飢饉があまり起こらず、文化が継続的に発展した
とある意味相反する二つが挙げられているね。
日本でも飢饉はあったけど、島嶼ゆえに大陸のような大規模な災害とは
無縁だったのではないかと思う。この点で欧州(半島型)と似ている。
また、飢饉は経済と権力の問題ともいう。農村が飢えても、そこから米を
巻き上げている都市は飢えない。
勿論、日本は温暖なモンスーン地域だから、播種量は欧州と桁が違う。
これらの理由で江戸のような大都市を早くから養うことに成功した。
これが江戸期の長期安定(と停滞)の一因になったように思う。
197 :
世界@名無史さん:2006/09/12(火) 00:34:55 0
日本の場合、投入労働力が違いすぎるから実際はそんなに差はない。
198 :
世界@名無史さん:2006/09/12(火) 00:38:20 0
近世日本と、中世ヨーロッパを比較してみました。
>>197 そもそも、その労働力を確保できたのは播種量の故
>>198 それもそうか。
実際のデータが不足しているね
200 :
世界@名無史さん:2006/09/12(火) 00:59:46 0
10粒で飢饉の日本は、やり過ぎ。
まあそれを言ったら、実質的な交流がない時代の日本と欧州を比較して
どうこうと言える正当な理由はなくなってしまうが。
そもそもの議題は……特にないんだな。だべってただけか
202 :
世界@名無史さん:2006/09/12(火) 01:06:55 0
日本は瑞穂の国。100%水田です。間違いありません。
203 :
世界@名無史さん:2006/09/12(火) 01:10:51 0
こんなにとれたはず何に、麦・ひえ・あわなどの雑穀を混ぜないと食えない
農民って一体・・・・
205 :
世界@名無史さん:2006/09/12(火) 01:17:16 0
ていうか、半分を税で取られたとはいえ、
アレだけの耕地面積を誇る米に対し、稗や粟が主食になるほど作られていたわけあるまい
えー、農民は白米なんて食うことできなかったんじゃないの?
カムイ伝
貧農史観も流行らないし、中世暗黒時代も今時流行らない。
東北の農村では餓死者が続出だが、
江戸では一人の餓死者もでないのが日本の飢饉。
雑穀混ぜていて米が多くても白くはないというのが正解なのでは?
>>209 アイルランドのジャガイモ飢饉もそんな感じだな。
213 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 00:01:44 0
214 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 00:51:49 0
ジュネーヴ郊外のジャントーの
1779-90年までの農作物の収穫の構成比
小麦 64.9%
メテイル 16.2%(小麦とライ麦の混合)
ライ麦 6.7%
ソバ麦 6.4$
ライ麦と連理草 1.2%
硬質小麦 0.4%
トウモロコシ 0.3%
大麦 0.2%
アメリカからの作物の影響は0.3%
そこの例だけで欧州全体を推量するんか?
中世の話しようぜ
217 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 02:18:50 0
カロリング期で2.5粒に対して、13世紀には4粒とする推定もあるが、
1300年ごろで、地域により収穫量が10粒、15粒に達した事例もみられ、
フランスでは一般に14世紀前半で12粒の水準に達したという見方もある
(『世界歴史体系 フランス史』)。
そりゃあ豊作大豊作の年もあるさね。
不作凶作の年もあっただろうし。
豊作の年ではなくて平均の話ね
221 :
世界@名無史さん:2006/09/14(木) 00:07:17 0
H.P.R.Finbarg, Tavistock Abbey; A Study in the Social and
Economic History of Devon,1951
1342年のRye 播種量1.4 収穫量13.6
1343年のRye 播種量1.5 収穫量10.3
とかも収穫量が多い。
222 :
世界@名無史さん:2006/09/14(木) 00:47:24 0
豊作だからといっても3倍や4倍もなることはないんじゃないか。
日本以外の米の収穫量や、メソポタミア以外の小麦の収穫量は?
224 :
世界@名無史さん:2006/09/14(木) 02:07:16 0
日本の水田比率は?
稲作以外の収穫量は?
印象操作かw
227 :
世界@名無史さん:2006/09/15(金) 12:57:44 O
イタリアとかは小麦生産中心だと思うが
北中欧は大麦生産が中心だと思うね
なんせビールの原料だし
それに各種根菜の生産も北中欧は行っていた
日本は豊かなのになぜ、あわやひえを育てて、
農民どもはそれを食えと言われたのだろうか。
封建時代だったからに決まってるじゃん
豊かってのがおかしい。生産性が高い、収量が多いというべきでは。
生産性が高ければその高さに見合った数の人口になって、一人当たりの食料はたいして変わらない、ということでは?
冷害やかんばつに強い雑穀も作っとかないと、不作の年に飢饉になる
>>228 >>231に加え、作ってる量、出回ってる量もそれほど多くない
たぶん228の歴史観は古くて俗的なもの
>>166 阿部謹也氏といえば、
中世「女性過剰説」を述べていたすな。
234 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 21:45:05 0
救荒用ならある程度の量は作らないと意味がない。
>>190 亀ですまんが、それとは似て非なるもの。
それにしても、自分が気に入らなけりゃケンブリッジ大の歴史研究所もトンデモ扱いか・・・。
236 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 10:29:39 0
米の生産性は高いとはいえ、
FAOによれば、世界平均の小麦生産量は1haあたり2.45トン、
米は3.69トン。両方をあるい程度栽培している国で、例えば、中国では、
コムギ3.54トン、米6.02トンで、1.6−1.7倍。投入労働力
や地理的制限があるから、凄い差があるわけでもない。
現在のアメリカ式農場経営は歴史的に見ても最悪の方法
なにせ栽培に投入したエネルギーの回収すら出来ない
人的労力を減らしただけで、生産性は糞だ
日本のトラクターや脱穀機を用いた農業もエネルギーロスが発生するが、
それでもまだ投入した分以上のエネルギーが回収できる=自然を豊かにしている
アメリカ式では小型機で農薬まいて雑草の除去もせず、
実らせれば実らせるだけ、自然は破壊されていく
しかも農業用水を地下湖から吸いだしてるのだが
ものすごい勢いで水位が下がってるそうな
投入したエネルギーっちゃあなんなん?
農地は永久機関ではないしロスが必ず生ずるんだから、
投入したエネルギー>回収できるエネルギー
となめのは必然じゃんよ。
「となめのは」??
241 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 18:45:14 0
イメージ
農薬使用率
アメリカ>日本
実際
単位面積当たりの農薬使用率
日本>>>>>>>アメリカ
○ , ○>
/ ̄'☆ )
/ > /
とーなーめーのーはーっ!
243 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 19:46:59 0
機械化はアメリカの方が進んでいるが、単位面積当たり
では
日本>>>>>>>アメリカ
単位面積当たりの生産性(米も、小麦も)
アメリカ>>>>>>>日本
不等号連発は厨臭ぇ。ageだし。
アメ叩きしたきゃ該当スレでやってね半島民さん
小麦の生産性
アメリカ10アールあたり0.7時間
日本 同22.6時間
米の生産性
アメリカ 10アールあたり2.25時間
日本 同72時間
米の生産性は、日本では機械化に伴って
2001年には32.6時間に達しているが・・・・
>>239 光合成ってご存知?
太陽光のエネルギーを100%近い変換率で化学エネルギーに変換するという自然の神秘
太陽光はただ放出されるだけでは地面に吸収され、
熱エネルギーとなって地面、大気に溜まり、最終的に宇宙に放出される
人間が畑で働くと当然エネルギーを消費する(熱に変換する)が、それを繰り返して作物を実らせた場合、
太陽光から作物の化学エネルギーに変換される量は消費した量より多い
つまり、農業は本来宇宙に放出されるエネルギーを地上に留めておくことができる
ところが、近代の機械化された農法では、機械を動かすために消費されるエネルギーが、
作物から得られるエネルギーを上回っているため、すればするほど地上のエネルギーが消費される
消費したエネルギーに対する獲得するエネルギーの割足は、
古代オリエントや東アジアで10倍、中世欧州や現代日本で数倍、現代アメリカで0.1倍
ちなみに焼畑農業ですら数倍の利率があるので、焼畑農業が自然破壊のというのは嘘
農家総合スレはここですか?
アルファルファ
251 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 20:57:17 0
ジャガイモもトマトも唐辛子もない時代
中世ヨーロッパは穀物の収穫率が低かった。
古代メソポタミアでは小麦はこんなにとれていた。
江戸時代の日本の稲作ではこんなに収穫率が高かった。
ゆえに、中世ヨーロッパは貧しかった。
貧しかったことは、人口が少ないことからもあきらかである。
という主張がネット上では多いが、そもそも、古代メソポタミアと
比べても意味がないし。近世の江戸と較べてもしょうがない。
やけに亀レスだな
正常な流れに戻っただけ
中世ヨーロッパは、ブドウ畑と畜産がある。
今より暖かかったんだよね。
257 :
世界@名無史さん:2006/09/22(金) 15:05:37 0
領主が何かをする場合に徴税権を商人に与えて代金としていたと思うんですが
そういう商人ってユダヤ系だったりしたんですか?
そういう場合もあるし、ドイツ系の場合もある
商売上手なチャイナ系とかっていなかったのかな。
あとイスラム系とか。
ローマ教皇へは、領主を通じて支払っていたが、のちはロンバルディア商人
を中心となった。
>252
つかさ、
中世ヨーロッパで収穫量が少ないとして挙げられてる例って、
飢饉の時の収穫量なんじゃないのかなあ。
飢饉の時で言うなら、日本だって、米の収穫量が半減以下にまで落ち込んだりするしなあ。
だいたい、戦国時代やら江戸初期ぐらいは、ほとんど毎年が飢饉みたいな感じだったわけで。
ということを、そのレス先の人に向けて付け足したい。
そうそう。
収量が低い飢饉型の時期には、農民が兵士として戦争に行って
出先で略奪することで食いつなぐってのが日常化するんだってね
で、収量が安定してくると、戦争に行くより農業に専念する方が楽になるから、兵農分離が進むんだって
って、このスレの住人のかなり多くが知ってそうだな。
262 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 13:07:58 0
>>261 陰謀説って世界史的に一番馬鹿げた解釈だよねぇ
誤爆?
直接の生産性だけじゃなく
米飯は蒸す煮るで食べれるけど
麦は風車で小麦粉にしてパン屋でパンにするという
加工が必要になるというのも考慮に入れなくちゃいけないのでは
風車や竈が無くても、鍋で煎って手臼で挽いて水で捏ねて喰うことも出来る。
中世ヨーロッパで、手臼あったっけ? 村の共同水車小屋で挽いてたんじゃないの
268 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 01:17:09 0
有料の、な。
農民が反乱を起こして、領主に取り上げられた手臼を取り戻した
という話はあったけど。詳細は忘れた。
陰謀説はある意味無敵無敗。
なぜなら、証拠がない、史料がないと指摘すれば、
そんなもの残すわけがないと主張されてしまう。
271 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 10:14:33 0
>>267 水車小屋は有料ということで家庭内で臼使ったほうが安くて早い
領主的にはそれでは水車小屋からの上がりが少なくなるので家庭内手臼を禁止しようとした
そんでもって
>>269のような衝突が起こったりした
ロンドンなど都市民では、自宅で手臼や挽き臼を使用することが
特権とされていたりする。
じゃあ麦飯の炊き方とか麦粥の作り方とか逸ごろ廃れちゃったんだろ?
それともヨーロッパは硬水が多いから炊くとか煮るが不適切なのかな?
オートミールとかあるじゃん。
製粉代は1/16ぐらい。
ここにいる人って中世史かなりくわしいけど、大学で専攻してたりするの?
それとも独学? 独学の人、なにを参考にしてるか教えてくれ。
佐藤賢一の小説とかはやっぱぜんぶ読んでたりするの?
最後の一行がバカ丸出しです
大学では全く別分野。
好きな分野の本を買い集めたりしてるだけだから、どれを参考にってのはないな。
>>276が興味を持ってる分野に本を立ち読みなりすればいいんじゃね?
日本の昔の米の生産量は単位面積あたりの収穫量は欧州より多いけど、
投入労働力人口を比較したら、それほど、効率で勝ってるわけじゃないん
だよね。
>>269 ワット・タイラーの乱で修道院から取り戻したりしている。
281 :
世界@名無史さん:2006/09/25(月) 10:29:00 0
ドイツ系って何とか騎士団みたいなヤツ?
>>279 だからこそ、狭い面積で大人口が養え、しかもその人口の多くが農民だったわけで。
ヨーロッパは、農業の生産率が上がらないため、畜産が盛んだった。
>>258 勉強したほうが良いと思われ。
元々、マリア信仰はゲルマン人を取り込む為に譲歩・妥協して原則をねじ曲げたもの。
更に西ローマ定刻が滅びた後、ゲルマン人達は文化レベルが低すぎた為に
その価値を判定出来る程の教養が無くギリシャ古典は失われていったとさ。
当時の識字率は2%で僧侶でも文字の読めない奴はごろごろいたから
原則原則を定めないグダグダな宗教だったのは常識。
聖書の文字もギリシャ語かラテン語で標準的に使っている言語とは違うものだったから
わざわざ、イスラム圏(識字率100%!!)まで留学して勉強しないと聖書は読めなかった
それに対してサラセン等のイスラム諸国は世界の富と文物と知識が集中した
ユーラシア大陸で最も豊かで知識にあふれた地域だった。
当然ギリシャ古典の収集、研究も進んでいた訳で
ギリシャやラテンの文化遺産を守っていた。
現在のイラクやイラン方面に向かったネストリウス派キリスト教徒の事績が全てムスリムの事績に書き換えられてしまっているのは嘆かわしい。
ギリシアやローマの古典を彼の地に持ち込んだのが誰なのか?
そして、それらをアラビア語に翻訳したのが誰なのか?
これらが全て消し去られてしまってる。
中世ヨーロッパはもちろんだが、今のヨーロッパの人間ともほぼ無関係だけどねw
いや、一般的にはそのムスリムの業績とやらも認知されてない
逆に知ってる奴は全部ちゃんと知っている
杞憂のたぐいと思われ
ところで
>>285ってアンカーミスor誤爆?
遊牧民族に文化レベルが低いって批判は、若干酷いように思えるが。まぁ事実か
そんなことはない、むしろ、中世ヨーロッパの全ての技術、文化は
すべてムスリム起源だと一括され、それに異を唱えればそれは欧米
中心史観だとなじられる。
>>279 だからこそ、狭い面積ながら、労働力が集中できた。このため生産性が
上がったが、人口が多くても、多くは農民でなければならなかった。
ゆえに、識字率が高くても、産業革命に結びつかなかった。
よって長い平和の割に発展しなかった。
発展した欧州は戦争ばかりだな
中東・インド・東南アジアも戦争ばかりだが・・・
まぁ発展の度合いと関わりなく
圧倒的大国の支配があるところは平和で、乱立しているところは戦乱が頻発するというのは
当たり前のことではなかろうか
日本も何度か攻められて入るが、日本海渡ってはるばる来るのも面倒だろうしね
来るとしても中国かその北方騎馬民族に限られるし
内部分裂が起こらなければ到って平和だ
>>285 >イスラム圏(識字率100%!!)
ソースは?
あるわけないだろうなあ。
識字率10%ならわかる気もするが。
字が読めない人間をカウントしていないんじゃないのか、それ?
298 :
世界@名無史さん:2006/09/28(木) 02:28:16 0
>>109 ラッセルは、従来のイメージとは異なり、修道士・女は少ないとし、
イングランドでは修道士は5%以下、修道女は1%ぐらいとしている。
地域的には1割程度が修道士・女の地域もあるし。学生が多い都市もある。
近世の江戸を除けば日本より不均等かも知れない。
フランスで初等教育が始まって識字率がいっきに上がったのはいつ頃?
しょーとーまえ
少なくともこのスレの範囲ではない
一気にと言っても日本ほどではあるまい。
イギリスの初等教育普及は19世紀末。庶民にとっては20世紀近くになるまで、近代も中世も
変わらなかったのかもしれない。
>>303 17世紀後半のフランス都市部でやっと55%程度だしな
>>305 江戸時代を平和と呼べるなら、各幕府の安定期も平和だ
それに現代の基準で言えば、つい最近まであらゆる国が平和じゃなかった
>>306 同時代の日本の都市部でそんなに識字率が高かったとも思えんが。
日本の場合、識字率が向上したのはもっと後で、18世紀後半以後じゃないの?
流れを読むに、向上率の話だろう
>>308 寺子屋教育が爆発的に広まったのは江戸末期だしな。
関係ないが、明治15年の官報には識字率(基準は自分の名を書けるかどうか)男性90%女性50%総合70%って載ってた。
婚姻届に自筆で署名できたかどうかで、
1851年のイギリスでは、男子69.3%、女子54.8%。
幕末・明治に日本を訪れた外国人が、識字率の高さに驚いているが、
多くは都市部しかしらないし、日本政府の監視下のもと、都合のいい
地域しかしらないので、実態はもっと低いのだろう。
幕末は寺子屋教育の成果が超タイミング良く現れ始めてた頃だから、
実際高いのは高かったろう。
その頃になると、下級農民でも4人に1人は読み書きできたらしいな
幕末を待たなくても出版などを見れば識字率はかなり高いかと。
・・・・・・・なんでこうやって日本史の話になるんだろうね。
嫌いじゃないけどさw
ここだけでなく、世界史板ってほんとそうなっちゃうね・・・
中世イングランドだと、1ハイド(120エーカー)あれば、
一家が暮らせたとされるけど。稲作の場合は、どのくらいの
土地があれば良かったの?
昔はそうでもなかった
ネタが尽きたのか
比較という意味では解りやすくていいんじゃないかと。
>>318 一家って何人か、税率はどれだけで、来年の種はどんだけだ、
ふらふらで死にかけていても暮らしているといって良いのか、
を考えないと比較にならん
>>323 それは現在の話では?
昔は一石とれるのが一反という目安だったはず
そんな勝手な予想じゃなくて、日本史板にでも行って聞いてきたほうが……
日本史は世界史の一部というのを錦の御旗に日本史の話題を意地でも世界史板でやりたい人のようなんで無理です
穀物生産が劣っている分、畜産が盛んだったから、単純に穀物の生産性
だけを比較してもしょうがないんだが。
まさに「人はパンのみに生きるにあらず」だな
肉や乳製品も勘定せんといかん。
その言葉の使い方は間違ってるぞ
間違ってはいない。「これぞホントの」と同じ意味で「まさに○○」という言い回しは普通にあるし。
ネタが無かったり知らないんだったら無理やりレスつける事は無いよ。
ここ早々スレが落ちないから安心して「中世ヨーロッパの暮らし」の話題を思いつくまで放置しとけ。
中世ヨーロッパの人達は麦畑で隠れてセックスしていたとなにかで読んだのですが、
麦の生えていない時はどこでしていたのでしょう。
52 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/08/23(水) 19:44:35 0
ハンガリーには、かつて豊作を祈って種をまき終った畑で夫婦が交接する習慣があったそうです。
今は夫婦で着衣のまま転げまわって済ませるそうですが。
別に隠れてしていたわけでもなさそうだねw
>>334 それは儀礼的なもんで日常のセックスとはまた別だろう
セックス→妊娠→出産、と豊穣や狩の成功を結びつける風習は、
ラスコーの壁画を含めて古くから、世界中にあるからねぇ
>334
転げまわってかあ、
案外転げているうちに興が乗って致しちゃうってこともあるだろうなあ
納屋とか厩とか水車小屋とかあるじゃん
339 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 11:38:28 0
森の中とか?
ロシアだとサウナ小屋で密会ってお話がけっこうあるよ。
大体森の中で湖とか泉の近くにある。
プチ・アジールというか、ここでの事は日常には持ち込まない、
みたいな感じだったんだろうか。
当時の庶民の結婚ってどんな感じだったんだろう?
届けを出すのは教会? ご領主? お役所?
夜這いみたいな婚前に相性チェックするような機会は若い衆にはあったのかな?
341 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 16:43:04 0
結婚は基本的に教会だろ
夜這いというか婚前交渉は地域差が大きかった記憶があるんだが
教会の扉に、結婚する前に一定期間の告知を行い、
問題(近親、重婚)がないかチェックする。
問題がある場合、教会に知らせるように勧告している。
都市部はともかく、農村部は色々なしきたりとか慣習に縛られているのは、どこの国でもどこの地域でも同じかと。
無論、その慣習だとかは国や地域によって大きく違うんだろうけれど。
中世欧州の農村部のような未開地域では、教会などの教義による縛りと言うものは、現代人が思っているよりも大きかったのではないかと思う。
快楽は罪ということで、教会はセックスに苦痛を伴うように工夫をしてたようだけど…
それが後にSMになったんだな?
346 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 16:34:34 0
そもそも土着宗教があってキリスト教に上書きされても習慣として残っていることもあるから
一概に欧州全域では とは言えないね
>>345 関係ないが平安時代の日本にもSMクラブがあったらしいな。
>>346 その辺が難しいと言うか面白いと言うか…。
同じ国でも地方によって祭に色々と特色があったり、同じ聖人の祭でも日にち
が違っていたりするんだよね。
ただ、一国の一地方のもの一つだけを取り出して、欧州全域に当てはめる事だ
けは避けたいよね。
349 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 17:47:10 0
キリスト教徒の場合は古代末期以来、子供を作ることは
ローマ帝国を存続させるからセックスは悪という発想もあったし。
>ローマ帝国を存続させるからセックスは悪という発想もあったし。
ソースキボンヌ
>>348 でも史料がないから、断片から推測するしかないのが現状なんだよね。
産めよ増やせよ とあるではないか。
中世ヨーロッパの農村部では、教会の影響力が及びきれずに、
ごちゃまぜの状態だっただろう。
354 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:33:54 0
日本は食糧事情が良かったはずなのに、なんで身長が低かったんだろう。
肉食しないからじゃね?
鎌倉時代あたりはけっこう高かったんじゃなかったかな?
中世ヨーロッパというと、男のズボンの股間の飛び出したやつ。
初めて絵画で見たときは冗談かと思った。
>>356 いや逆に日本人の体格が一番小柄だった時代って聞いたlことがある
他スレでの山野のレス拾ってきた
415 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2006/08/28(月) 21:14:38 0
前近代で一番体格がよかったのは鎌倉時代。身長が150〜170cm台。
平均して160cm台でしょうが、170cmも珍しくなかった。
一番小さかったのが、江戸末期から明治にかけてです。
うーむ
おれは鎌倉が小柄で、室町戦国にかけて大きくなりまた江戸末期から小さくなって聞いたことあるが
まちがいか?
残ってる鎧などからの推定では、結構高かったらしい
日本人の背が低い理由として、
正座の習慣があったため脚の血流が良くなく、発達しなかった
米を食うため長い腸、つまり胴が必要だった
戦前の日本がひもじかっただけで、しっかり食えば現在のようになる
などが考えられるそうな
オマイラいいかげんスレ違いだ!
363 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 04:09:57 0
スペイン・バルセロナの『ムセオ・デ・エロティカ』は日本で言う珍宝館的な場所。
世界各国のエロイ絵画や道具が有り、中世ヨーロッパで貴族が使っていたと言う
木彫りのあそこ形は両サイドに紐がついて左右にぐいぐいと引っ張れる様になっていた。
ていうかでか過ぎだ。
>>351 鎌倉時代は、正座をしなかったのか?
鎧は、身分が高い人間のが残りやすい。故に平均身長より
高い傾向がある。
秀吉とねねの慶長年間(?)当時の木像が残っている寺のソレを見た限りでは、片膝立てて座るのが当時の主流だったようだがな。
まあ君の求める答えでは無いかも知れんが、そこから推考する知恵はあろう。
13世紀頃は、ヨーロッパ人よりも侵入してきたモンゴル人の方が
体格がよかったとか世界史板のレスで読んだ記憶があるけど、どうなんでしょ?
ID出ないから自演し放題だな。
ああ、わざと日本の話題出してるってわけか。
そういえば、正座ってどこから伝わってきたんだ。
ヨーロッパには無かったのか?
ヨーロッパは基本的に椅子じゃないのかな
茶道が広まり狭い茶室内での坐法から正座が普及したというのが一般的な説。
つまり日本において近世になってから。
それ以前は
>>365にあるように胡座や立て膝が行われていたことは絵画資料などから知れている。
朝鮮半島で今も女性の立て膝が残るのは共通する文化があったからだと言われる。
まあ日本以外でも地べたに座るのなら、自然と胡座か立て膝になるんじゃない?
あと蹲踞も広く観られる坐法と思われる。
税は小麦で納めたの、粉にしてから領主に納めたの。
あぐらは「胡坐」ってくらいだから外国から来たような気がする
>>374 座り方まで外国から学ぶかよw
元々あった座り方にあとから名前をつけた、と考えるほうが常識的。
「あ」は足、「くら」は座の意味。
しかし「胡坐」って書くくらいだから、日本では一般的な坐法じゃなかったのかもね。
外国で正座が一般的じゃないように、全くしてなかった可能性もある。
胡坐に似た坐法では足を組まずに足の裏を合わせるような形もある。
チビなのは明らかに動物性たんぱく質の不足が原因だろ。
肉食え、牛乳飲め。
当時の日本食じゃあ、どうにもならんな。
379 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 11:28:22 0
といっても
中世欧州でそれほど食糧事情がよかったとも思えないんだが
日本と違って宗教的な肉食禁止はなかっただろうがかといって食えるモノが
豊富にあったわけでもなかろうに
381 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 12:31:54 0
東ゴート族がローマ帝国にされた屈辱ってなに?ケツの穴をゆわされたのかな?
>>377 もともと日本で使っていた「あくら」に、胡座を当て字しただけ。
すると少なくとも漢民族についていえばあぐらは輸入されたものなわけだ
ペスト以降だと食糧事情は、急に良くなり、農民も白パン(小麦のパン)
しか食べなくなる。さらに肉の消費量は、近代より多い。
江戸時代だと、農民の食べるもの、着るもの、家の大きさや造りなど
いたるところで制限されているが、
中世ヨーロッパだと余りないな。着るものぐらいか。
386 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 10:15:14 0
宗教的に食事が(肉食っちゃいけない時期とか)が決められてはいたね
守られていたかどうかはわからんが
「暖炉」がヨーロッパで出来たのって、中世に入ってからって
文章をどっかの書物で読んだことがあるが、それって本当なの?
暖炉がなかったら、サンタクロースが煙突からはいれないだろ
389 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 13:16:28 0
サンタクロースが煙突から入ってくるようになったのは近代アメリカじゃまいか
>>382 なぜ「胡座」の字を当てたのか考えてみよう
「体育すわり」という言葉ができる前はあのすわり方する人間がいなかったとでもイウノカー!
>>390 胡服じゃないと股間がえらいことになったから?
煙突が生まれたのはいつごろだろう
中世末期に暖炉が整備されるまでは、特に煙突というものはなく、
室内での火の使用によって発生する煙は天井に開けられた単なる穴から出されていたらしい。
>>386 肉屋が販売できないので、大方守られていた。もっとも、魚は食えたけど。
396 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 23:29:51 0
中世の税金は、十分の一税のような定率のみなの?
397 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 01:15:15 0
水車小屋の使用税とか結婚税とか、いろいろな名目の雑税があったそうですよ。
現代における公共施設の使用料や印紙代みたいなもんかも知れませんが。
水車小屋の使用税=定率
ギリシャ、ローマの文芸は中世においてはロストテクノロジーだったのでしょうか?
>>390 漢語で「胡座」と書くのはこの単語以外に「あぐら」に相当する
座り方が中華世界には無かったせいなのだろう。
ちなみに「胡座」をしていた胡人ことソグド人など中央アジアや突厥の人々には
「正座」も「胡座」も両方あった。この地域の君主は椅子やソファーに座ったり
していたが、家臣やそれ以外の人々は君主の前では基本的に「正座」しなければ
ならなかった。
欧州は中央アジアや日本のような床に座る習慣はないのであれだが。
でも朱然の墓から床几みたいなの出てきてるじゃん。
あれはあぐらかおかま座りしないと
必要性から生まれてこないもんだと思うけどどうだろう?
>>
ロストテクノロジーかどうかはわかんないけど
分裂直前のローマ帝国で
「ギリシア悲劇は異教の神に奉げられたものなので
敬虔なキリスト教徒は観劇を控えるべし」
みたいなお触れが出てたりするんで、
逆説的にいえばキリスト教が伸びてきてもしばらくは残ってたみたい。
東の方ではコンスタンティノス7世とかが
古典収集研究したりしてたんで知識のある人は
そういうものがあるらしいぐらいは
知ってたんじゃないかと思う。
402 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 09:44:20 0
全然関係ない話で申し訳ないが
アメリカ人の作ったトロイは本当にひどい作品だよな
そもそも神の関与が希薄だしキリスト教の概念だしまくりだから
一夫多妻制もまともに描けないし勝手に純愛ドラマに仕立てちゃうし
古典に現代の宗教観やら価値観を当てはめるなといいたよな
まあ日本でも西遊記がひどいことにされてしまっていたからアメリカ人ばかりを笑っていられないが
403 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 10:05:20 0
>>394 単なる穴ってことは雨がふったらどうするん?
天蓋をつけるとか?
405 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 11:54:53 0
>>402一夫一妻、愛の尊重ってのはまんまキリスト教じゃん。
406 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 13:06:55 0
>>405は
>>402のギリシャ神話にキリスト教の概念を押し付けて作品にするなという
意見は果たして伝わっているのだろうか
407 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 16:14:18 0
中世ヨーロッパって幻想的で憧れるなぁ
408 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 16:26:03 0
中世ヨーロッパのイメージはボッシュの絵のイメージ。
日本のはパロディだからいいんじゃね?
トロイはマジメに描いてる分タチが悪い。
411 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 18:51:47 0
そういえば偉大なアレクサンドロスを題材にした映画の、彼の少年愛のシーンも問題になったんだってね。
それよりも問題なのはアレクサンドロスの風貌だと思うのだが。あれじゃ白人じゃん。モザイクなんかのアレクサンドロスを
見る限りは現在のアラブ人のような外見だよね。
>>411 モザイクなのにそんなことまで分かるのか
413 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:23:47 O
目を細めて見ると
形がわからないでもない
414 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:21:28 O
中世ヨーロッパいいなあ
寒々しくて汚ならしい感じで
大広間に敷居して寝室にしてたとか
しかも寝室におつきのものもベッドや藁布団敷いて寝てたとか
だからプライバシーが守られるのが天蓋つきのベッドの幕を下ろしたときだけとか
天蓋つきのベッドってのは、とにかく寒さ対策だったらしいね。
中世だか近世ヨーロッパでは、農民ですら、豪華なベットを利用して
眠っているとしている本があったな。
日本語にはプライバシーに相当する概念がいないし。
中世ヨーロッパでは、半身をおこした状態で眠っていたという説が
あったな。
それはもともと敵に備えたもんだったんじゃないのかな
「なるほどザワールド」でオランダにそんな村が残ってるっての紹介してた気がする
422 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 02:48:19 0
>>399 古代ローマの古典に関しては、中世を通じて(特にカロリングルネサンス以降)、
ラテン語のお勉強のテクストとして使われ続けたよ。
そんなわけで、キリスト教にそぐわない内容にもかかわらず、意外と読み続けられてたはず。
>>378 魚が獲れる地域の人は、背が高かったりしたの?
ヴァイキングですね。
426 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 21:12:29 0
>>423ちょっと色黒のイタリア人、と言った感じですね。イランからきた「マッスル」とかいうタレントに似てなくもない
半身をおこして寝ていたというのは俗説で。
実際はそうではない。当時の立体表現がうまくできないため
に半身起こしていたように描かれているだけという説もある。
いや、別に半身起こして寝ていた説の根拠は絵じゃねぇぞ
敵に備えるために半身起こして寝ていた。
その一方で、裸で寝ていた。
>>415 近世江戸時代ですら、
農村は、畳もなく、板間か、土間にござや藁をひいていただけ。
あんまり腰の曲がった年寄りがいなかったようなのは、椅子文化のおかげ?
そもそも年寄りがあんまりいなかったのかも
平均寿命が30〜40歳と言われてますから。
それでも、長生きな人は長生きなんだろうけど、庶民では少ないんだろうな…。
434 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 09:40:52 0
平均寿命が低いのは乳児死亡率が高かったからでは?
でもまあ人間五十年ぐらいだろうけど。
乳幼児の死亡率が高いが故に子供を大量に生む必要があり、
結果乳幼児の死亡数が極端に増える。
また病気や戦死なんかも多いから平均寿命は短め。
勿論、普通に天寿を真っ当すれば80歳にだってなるだろう。
ヨーロッパじゃないが紀元前の人物で、50歳過ぎてから各地を放浪した孔子は73歳で死んでる。
致命的な病気を拾わなければ長生きする。
でも大抵は何らかの病気で死ぬってことだな。
疫病だけではなく怪我をしても敗血症になれば助からない。
当時の40歳くらいの人の平均余命が20年くらいだっけ?
ちょっとした皮膚病で指や耳がぽろぽろ落ちちゃったみたいだし
産褥熱とか、産後の肥立ちが悪くて母親が死んじゃうってのも、洋の東西問わずよく聞くね
928 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/10/13(金) 23:17:59 0
故・阿部謹也先生によると、個人武装やリンチの習慣がまだ残ってる米国は、
社会史的にはまだ中世のままなのだそうだ。
929 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/10/13(金) 23:24:37 0
>928
阿部先生って中世ヨーロッパ史だっけ?
身体ばっかり成熟している国に支配される世界…悲惨だな
失礼、質問したいことがあるのですが
中世のころの家とか建造物の素材ってなんだったのかな?
やっぱりレンガ?
石・小石・煉瓦・藁・木・他
>>443 ありがとう
切り出した石材とか木と藁か
石や煉瓦で建物を造っていても屋根は木や藁の場合が多い。
ゆえに、火事は避けられない。スレートが入手可能な地域では、
屋根もスレートでおおえる。
突然ですみませんが中世ヨーロッパの王族の服装を教えて下さい。
ググッてはみたのですがあまり詳しい記載のあるサイトを見付けられず…
ベルバラの様なもの、とかゴスロリの様な感じ、との記載は見掛けたのですがベルバラもゴスロリにも詳しくなく
よく分かりません。
ご享受宜しくお願いします。
ヒエロニムス=ボッシュの絵を見たら?
>>446 ベルバラもゴスロリも中世とは関係ない。
映画を見た方が早い。
つかベルばらの時代の王族は中世からずっと変わらない服装だったのか?
>>448 新紀元社のやつだと『コスチューム 中世衣装カタログ』てのが出てる
王の服装は
11〜12世紀イギリス、15〜16世紀イギリス、17〜18世紀フランス
の三種、女王は
11〜12世紀イギリス、16〜17世紀イギリス、18〜19世紀フランス
がそれぞれ2ページずつ紹介されてるな
>>441 それ書いたの俺だけど、故・阿部先生はこうも言ってるよ。
「一家の大黒柱が亡くなれば、家族が路頭に迷うのが中世社会。
その点で、今の日本も中世と変わりはあまりない」
453 :
世界@名無史さん:2006/10/17(火) 00:29:54 0
阿部キンヤは現代社会問題に口を出してはみるものの、その内容は陳腐だったような気が。
そもそもあの人の社会史って、すでにヨーロッパの学会で流行ってたのを、
ただ日本に知らせただけっていう功績じゃないの?悪く言えば劣化コピーの先駆。
誰か詳しい人教えて。
>一家の大黒柱が亡くなれば、家族が路頭に迷うのが中世社会。
これに関しては、現代のどこの国でも同じだと思うな。
阿部先生はヨーロッバ史学だからね。向こうの福祉はそうでもないって比較だよ
>>453 確かにアナールの輸入ではあるのだけど、
変な曲解とかをせずに
真摯にその方法論を紹介したという点で
やっぱり功績が大きいと思うよ。
>>453 >すでにヨーロッパの学会で流行ってたのを、
>ただ日本に知らせただけっていう功績じゃないの?
これ自体「陳腐」で、ありがちな決めつけだな。
>>456 別にアナール学派の紹介者ではないと思うよ。(≠福井憲彦)
本人の証言を信じるなら、学問形成の上でもあまり関係ないと思う。
もっとも20世紀後半のヨーロッパ史家で
アナールの影響皆無なものはほとんどいないだろうけど。
459 :
世界@名無史さん:2006/10/18(水) 00:57:12 0
ttp://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006101701000904 木村尚三郎氏が死去 文明論やエッセーなど
日欧の比較文明論やエッセーなどで知られる歴史学者で東大名誉教授の木村尚三郎氏が
17日午後9時25分、肝細胞がんのため東京都新宿区の東京厚生年金病院で死去した。76歳。
東京都出身。自宅は横浜市磯子区森6ノ25ノ20。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
1953年東大文学部西洋史学科卒。76年東大教養学部教授。
2000年に静岡県浜松市に設立された静岡文化芸術大学長に就任した。
専門は中世ヨーロッパ史でフランスの荘園を研究。中世を暗黒時代ととらえる近代の歴史観を批判し、
農業を重視した独自の文明論を展開。現代文明を論じた数多くの評論やエッセーも著した。
96年国民生活審議会会長、04年「国際コメ年」日本委員会会長、05年の愛知万博総合プロデューサーなどの要職を歴任。
「ヨーロッパとの対話」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。ほかに「歴史の発見」「西欧文明の原像」「和魂和才のすすめ」「『耕す文化』の時代」など。
あらら、阿部先生に続いて木村先生まで・・・。
チラシの裏に書けとか言われるかも知れんが、阿部先生と木村先生の著書は結構持っていたよ。
ご冥福をお祈りします。
461 :
世界@名無史さん:2006/10/18(水) 09:51:48 0
中世と現代の大きな違いは
病気になったときに死ぬ確立が高いのが中世、治る確率が高いのが現代
治療費や技術的な問題含めてね
まあ先進国でもアメリカなどの一部の国ではまだ中世的な層がいますけどね
そりゃまあ生まれるそばから死んでくところもありますからねえ…
463 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 13:14:59 0
政治体制は、、、まあ内乱みたいのがないだけマシになったか
庶民の声が政策に反映されないってのは中世も現代も似通ってますね
464 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 16:32:05 0
中世の処刑風景を表現した絵ってなんで刑吏の顔が半笑いなの?
大笑いだと不謹慎だから
不可触賤民である刑吏に対する蔑視だよ
467 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 15:25:48 0
蔑視するのなら半笑いでなくて凶悪な面にしたほうが効果的だと思うが。
マジレスすると「写実主義」。
下手な絵だけど。
その辺にもいるだろ、他人が痛み苦しむのを見て喜ぶ奴。
469 :
世界@名無史さん:2006/10/22(日) 01:57:22 O
性癖としてなら
俺は二次ならグロで抜くのが好きだし解るけど
異性同性拘らない純粋なコロシで快感味わえるやつは平静の世にゴロゴロしてるわけないだろ
反社会性人格障害のやつとかでそういう趣向もっててぐっと堪えてるるやつなんて率的には殆ど居ない
勿論、一見普通の人間が、処刑人だとか戦場だとかのいわば異常事態にそういう性質を開花させることは考えられるが
それは勿論お前様も含んでの話だ
コロシがしたいと自覚してたら先の反社会性人格障害だとかそれに類するものとして分類されるわけだからね
中世は死が溢れている
「私は君だった。君は私になるだろう」だな。
ダンス・マカブル
>>469 狭視野だな。
もちっと広い目を持った方が良いかも。
絶対に良いとは言い切れんが。
つーか、ツッコミどころが違うだろw
475 :
世界@名無史さん:2006/10/23(月) 10:07:13 0
欧州の中世は後にカトリックを否定してきた人達に不当に貶められる
日本では明治維新により江戸時代を暗黒時代にしたように
中国の歴代王朝が前王朝の史書を必ず悪帝で終わらせるようにだ
自分達の正当性を主張するために歴史がつむがれるわけで
カトリックの禁欲主義を否定したい人達がいきなり
聖書には禁欲は書かれていない!と聖書原理主義を持ち出して禁欲から解放されていく
で、自分達は悪くないんだと中世あたりのカトリック支配全盛期を暗黒時代にしてしまうんだな
カトリックよりも、プロテスタントのピューリタンなんかの方がより禁欲的なイメージがあるけどな
個人的なイメージかも知れんが
>476
正しいよ。475は勘違いしてるのか、何か恣意的な見方をしてるのか・・・
初期プロテスタントは、カトリックの腐敗に対する批判から始まってるんで、当然カトリックよりも禁欲的な面が多いです。
と言うか、適当なのからガチ信者までひっくるめてカトリックなわけで、
プロテスタントの中で最右翼のピューリタンと比べてもしょがないんだけどさ。
478 :
世界@名無史さん:2006/10/23(月) 17:22:13 0
反ローマであったわけで、それ以外の共通点などプロテスタント各派の間にはないような
ルター派とカルヴァン派でもかなり違うもんな。
アンチ・ローマカトリックをひっくるめてプロテスタントと呼ぶと思えばいいんじゃないかねぇ
ギリシャ正教はどうなんの?
482 :
世界@名無史さん:2006/10/24(火) 03:42:46 0
>>478 「聖書のみを拠り所とする」という共通点あり。
カトリックでは教会の伝承とか、聖人のとりなしとか様ざまな不純物あり。
483 :
世界@名無史さん:2006/10/24(火) 09:49:25 0
禁欲的なモノに対する反発は宗教改革も影響を与えたとは思うけど
それよりもルネサンスの影響の方が大きいんでないか?
中世カトリックの発明は「煉獄」かな
「煉獄の発明」によって西欧では吸血鬼がいなくなったそうですね。
486 :
世界@名無史さん:2006/10/24(火) 13:19:02 0
その「煉獄」が無くなっていくのだから不思議
そして煉獄と合わせて「免罪符」だな
日本にも免罪符のようなものがあったよな。
489 :
世界@名無史さん:2006/10/25(水) 09:31:08 0
古典懐古→人間らしく生きよう→カトリックの禁欲に対する反発 ってこと?
高校時代の教科書でも読んでろ
「世界史講義録」でぐぐって出てくるサイトにでも目を通しとけ。
とんでもない。
東大を受験する僕にとっては無駄極まりない。
かんべんしてもらいたい。
493 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 05:25:02 0
プロテスタントは本来イスラム原理復古主義の欧州版。
でも豊かになってから俗化。
原理主義(ファンダメンタリズム)って言葉は元々アメリカのプロテスタントに使われた言葉
495 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 09:31:29 0
欧州が豊かになるのにあわせて俗化したのか
それとも宗教が俗化したから豊かになる原動力になったのか
宗教の力が弱まった時期に思想や哲学が強くなるのか
それとも思想や哲学が強くなってきたから宗教が弱まってきたのか
ただ、多くのプロテスタント系宗派では、聖書で否定されている金儲けを肯定している
これも豊かになるひとつの原動力かね
逆にそれで商人が新教を選んだりしたから、鶏と卵だけれども
講談社の中世ヨーロッパの歴史って
予備知識ほとんどない理系出身でも読めますか?
読めます。理解はできなくとも。
>>497 ま、定番の話題だがw、やはりこういう時は昔の中公文庫の世界の歴史は
よかったな。もう内容的には時代遅れだけど、その中の「中世ヨーロッパ」
の巻なんて本当におもしろかったし、予備知識がない人でも読めるような
語り口で書かれていたと思う。
講談社の本って、学術文庫の堀越孝一のかな?俺は読んだこと無いけど
一般論としてあの先生の本は初心者は避けた方が無難では?
ものすごく記述に癖がある人だから。ものによっては予備知識のかなりある
文系の人間でもあたまがグルグルしてくるぐらいなんでw
500 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:45:08 0
中世の終わりの話は興味深いですね
ここでも最初中世の定義についていろいろと議論がありましたが
実際にナニがキッカケで中世を終わりとするのかというのは心躍る話題ではあります
実質同じ。
定義からはずれたら中世でなくなるのだから。
>>453 日本史で、一流の外国人史家がいないように
外国人それも日本人がヨーロッパ史をいかに研究しても、
欧米人に勝てるわけもない。ただ、比較史であれば、それ
なりの成果を上げることは可能である。
勝った負けたに何の意味があるの・・・!?
いや、まずそれ以前の問題としてなにをもって勝ちとするか、まったくわからないことが・・・
505 :
世界@名無史さん:2006/10/28(土) 21:04:38 0
いつからこんな殺伐としたスレになってしまったんだか
そもそもここはファンタジーRPGやファンタジー小説に胸躍らせて来た人に
中世ヨーロッパなんてウンコまみれだよって教えてあげるスレじゃないのか?
中世ヨーロッパは劣っていて、日本は優れていたことを証明
するためのスレでつ。
>>493 イスラームはいつまでも豊かにならないから原理主義が
はびこっていると?
>>495 哲学や思想、科学や各種の技術も全て宗教の枠組みの中で生まれ、そして発展していったもの。
宗教から切り離された、或いは解き放たれた純粋な哲学や科学技術といったものは、全て近代以降のもの。
哲学は神学のはしためってやつだな
510 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 00:48:08 0
>>508 その宗教根幹が新教の誕生により変質したのでその他も変質したの?
それとも旧教時代からすでにいろいろ変質していったものがさらに花開いたの?
そこらへんは学会でも定かでないでないの
だが、宗教改革によって(宗教とそれに付随するものの)価値観が多様化したとは言えるだろうかね?
>>505 3スレ目以降の流れは、中世はそれほど暗黒時代じゃない、って流れでは。
普通の人では
中世欧州・・・おとぎの国、メルヘン、ファンタジー
という認識の一方、
ちょっと世界史を齧ってる人だと
中世欧州・・・阿鼻叫喚救いようの無い世界
となり、近年のトレンドは「中世はかつて考えられていたほど酷くは無い」だから、
3種類の認識が存在していて、ややこしいことになってるな。
中世は、
内憂=教会
外患=ムスリム
515 :
世界@名無史さん:2006/10/31(火) 09:22:07 0
ちょいと上の方に出てるけど
結局新教勃興の中で旧教社会を否定したときの史観が多分に混じっているから
中世=暗黒時代となりがち
日本が江戸時代=暗黒時代と思っていたのと同じ
研究が進めば当時生きていた人達はそれほど住みにくい世界に住んでいたわけではないことがわかる
>>515 ヨーロッパ中世は、戦乱が多いからなあ。
ムスリム、アングロサクソン、ムスリム、ノルマン、モンゴル、
十字軍、魔女狩り、宗教戦争・・・
かてて加えて、ペスト、コレラなど伝染病による大量死。
ぶっちゃけ、江戸時代のほうが100倍マシかと。
>>516 後世の人の捉え方が似ているというだけで
別に江戸日本と中世ヨーロッパが内実まで似てる
と言ってるわけじゃないでしょうよ
直接比較しても意味はない
魔女狩り、宗教戦争は近世。
コレラは中世か?
ヨーロッパでは19世紀後半か20世紀初頭まで、かな?>コレラ
520 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 10:00:27 0
中世欧州でもワビサビ文化が開花してもおかしくない環境だよな
色とりどりのステンドグラスが美だったりするんだろ?無理じゃね?
いやあれもあれで美しいとは思うけどな。
522 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 12:01:47 0
強いて言えばシトー派なんかが侘び寂びに通ずるかもしれないな
「Ora et Labora」とはいうものの
白い僧服は汚しちゃだめだし、白い壁に最低限の飾りというシンプルな美意識、
んでなんやかんや言っても美味しいワインを静かに作ってるし
523 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 18:31:26 0
1200年頃から大航海に乗り出す前の欧州は「豊かじゃないけど平和でそれなりに幸せな生活の送れる時代」だと思ってるけど。
しかしそのうちに段々印度のスパイスやら支那の茶やら陶器やらに魅惑され、それらをより安く得る為に大海へ出て残酷な大侵略をし出す。
524 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 18:38:46 O
え、ウヨ?
中世は戦乱が多いかもしれないが、戦争といっても、短期決戦が続くことが多く。
近代戦でもないので総力戦になることもない。
騎士達の従軍義務期間も長くは無いし、傭兵雇う金もあんまり無いし・・・>短期決戦に。
527 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 00:59:51 0
でもちょっとでもその地の領主が不安定になったりすると、リアル北斗の拳状態勃発だろ。
貴族やら山賊やらが略奪暴行陵辱猟奇殺人のかぎりをつくし村全滅とかなるんだろ。
まぁそういうことも時々あるけどね
初期中世はかなりヤバかったんじゃないか
で13〜4世紀にかけて中世としてのシステムが組みあがる
というところでペスト襲来、システムボロボロになって新しい時代へ
というイメージがあるのだが
>>520 ワサビ文化に見えた…。
ワサビがコレラに効くのかと思ってしまった…。
532 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 09:09:41 0
総力戦に突入する時期なんて第一次世界大戦までないんじゃね?
第一次世界大戦のときもまさか総力戦になると想定してなくて泥沼化しただけだし
それまでそういう概念もなかったろうし
5〜7世紀前半:
古代の続き。西欧では徐々に文明水準が低下していったが東帝国は健在で
基本的にまだローマ時代の延長。
7世紀後半〜10世紀:
暗黒時代。イスラム、ハンガリー、ノルマンの侵入で社会秩序崩壊→封建制へ
11〜13世紀半ば:
中世文明の隆盛期→完成期。それ自身特色のある文明だっただけではなく
近世以後のヨーロッパ文明の基礎もこの時代に出来る。
13世紀末−15世紀:
気候寒冷化と耕地開拓の限界から生じた人口過剰と低栄養化を遠因とする
ペストの流行→人口激減による封建制の崩壊と百数十年にわたる連続的な
経済の縮小という大ピンチ。が、新大陸の発見とその富の収奪で救われる。
この時代、東方との貿易のおかげで経済縮小が軽く、一人あたりGNPは
かえって上昇していたイタリアではルネッサンスが起こった。→近世へ
こんな感じかな?だから「暗黒の中世」というのも半分は本当だと思うぞ。
今はかつての反動で中世の明るい面が強調されすぎてる希ガス。
534 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 14:22:34 0
現代支那と中世ヨーロッパはどっちが悲惨ですか?
535 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 14:25:57 0
難しい質問だ。
中世ヨーロッパに、大気汚染や公害病は無いからなぁ・・・
536 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 14:57:22 0
現代支那といっても地域差がありすぎるw
537 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 15:10:06 0
要するに、現代支那を中世ヨーロッパとたとえると、次には飛躍の時代がくるということだ。
その要素が現代支那にあるのかどうか?
現代支那の上海などの臨海地域=中世ヨーロッパのトレドやパレルモ
こんな感じで捉えると宜し。
そんなわけない。
どの時代でもシナは常に悲惨だよ。
特に漢民族が支配すると筆舌に尽くしがたい事になる。
>>534 中世ヨーロッパでは、各身分ごとに保障された権利があった。
現代中国では、各人が勝手に権利主張しているが、保障された権利はない。
土地もお金も企業も、権力者の都合で一方的に奪われる。
こんなとこまで、嫌中厨。
まるで全ての板を監視してるかのようだ。
中世の範囲はキリスト国教化からアメリカ到達まで、
それ以降から三十年戦争までを近世への移行期としたい。
テオドシウスからコロンブスまで?
流石にそれは長過ぎでは?
>>530 初期 混乱
中期 成長
ペスト直前 限界ぎりぎり
ペスト後 飛躍
中世ヨーロッパといえば、キリスト教。
国教にした時点でローマ帝国は古代のそれとは異質な存在。
中世への移行が始まったとするべきか。
今日本屋に行ってはじめてブロックが復刊されているのを知った
ってか品切れとかにするなよ・・・
江戸時代まで中世としたい。
なら欧州は産業革命までが中世だな。
一応
>>1では
中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
って事になってるが、
生活の変化って観点からだと大きく変化が起きたのはいつかな?
経済的(生活なのでミクロ経済で)には農業革命で中世が始まって、価格革命で終わった。
文化的にはキリスト教化で始まって、ルネサンスで終わった。
こんな感じかな?
552 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 17:17:47 0
>>549 江戸は中世的な要素が最後まで残っているからな。
風俗くらいだろう?
555 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 00:10:47 0
バックボーンが違いすぎるから日本史を西洋学で解明するのは難しいだろ
556 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 05:39:31 0
>>540自称漢民族が支配すると悲惨なんだろ。どうしてもそういう輩は中華思想とペアで政権を担う場合が
多く、いつも非常識的で現実を省みない空虚な自尊心のみを大切にする。メンツなんてその最たるものだろ。
現実を見ている政権は支那で繁栄し、中華思想に陥る政権は没落するんだよ、支那って地域は。まあどこの国でも
いえる事かもしれないけど。
またずいぶんな悪文だなおい。
日本や支那の話しはこのスレではどうでもいいから・・・・。
参考として、この時代の日本はこうだったとか、そういうのは構わんと思うけど。
中世のヨーロッパにとっては、チャイナもニッポンも、顔がお腹にある人間や
頭が動物になってる半獣人が住んでる国のひとつ
中世ヨーロッパって、同時期の日本に認識されてたの?
中世ヨーロッパにとって当時の支那はあこがれの先進国なんじゃねーの?これからどんどん差がついていくけど、
当時は紛れもない先進国だろ
もう日が変わるけど、今日はガイ・フォークスの日。
563 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 10:06:13 0
日本でもローマ帝国の存在は確認されてなかったっけか
正倉院の宝物辺りにローマから来たなんとかとかがありそうだけどな
564 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 21:32:09 0
正倉院にローマ製のガラス器がある。
厩戸の名前はイエス誕生の伝説によるってほんとかな?
566 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 21:05:48 0
祝詞だよ、怨霊鎮魂のための
中世ヨーロッパに箒ってあったのかな?
服飾や武器や農機具は研究してる人がいるみたいだけど
家庭で使う道具の研究ってあるんだろうか。
イギリスだったか、城の食堂の床に敷き詰めた灯心草を
箒で掃きだすとか何かで読んだような。
↓のどっちかで箒を使った年中行事に触れていた覚えが。
うろ覚えなのではずしているかもしれん。
植田重雄『ヨーロッパ歳時記』岩波新書、1983年
遠藤紀勝『仮面―ヨーロッパの祭りと年中行事』現代教養文庫、1990年
570 :
567:2006/11/15(水) 00:59:28 0
>>568,569
ありがとう。
どっちの本も図書館で借りられるようなんで読んでみます。
生活史とか風俗史とかでぐぐるのも参考になるかもしれない。
572 :
世界@名無史さん:2006/11/29(水) 13:20:16 0
正倉院にあるガラス器はシルクロードを通ってきたのか?
とかいう議題を興味持ったことがあって
実は船で運ばれたものじゃないのか?とか当時の海運技術はすごかったなどなど
妄想を飛躍させたもんだった
正倉院に納められている宝物(など、収納物)の90%は、
聖武天皇時代のものではなく、もっと後のものだって知ってるか。
聖武天皇時代のは、約1割、〜1000点ぐらいだそうだ。
ローマから来たものもあるかも知れんけど、時代的に厳しいかも知れん。
ササン朝とか中東あたりから来た文物もあるだろうな。
ピザンチン帝国由来とか、ルネサンス期のイタリア由来の文物があったりするかも?
(って、オレの方が無知だよな、スマン)
575 :
世界@名無史さん:2006/12/04(月) 10:44:24 0
正倉院にはいっているもので一番重要なモノは
夢
だ
中身なんて飾りですよ
577 :
世界@名無史さん:2006/12/04(月) 15:10:45 0
あの……落としものですよ?
.∧__,,∧
(´・ω・`)
(つ夢と)
`u―u´
正倉院に落ちていましたよ?
正倉院にはなあ、正倉院には
光明皇后の、夫聖武天皇への
愛
が詰まってるんだよ
大仏殿焼いた時に、よく一緒に焼かなかったもんだよな
甲冑とかくすねて使ってたとか言う話も聞くな
581 :
世界@名無史さん:2006/12/13(水) 13:08:38 0
百年戦争辺りはこのスレでOK?
582 :
世界@名無史さん:2006/12/13(水) 14:14:52 0
モンゴルが攻めてきますよ
>>581 百年戦争そのものは基本NGでしょ
当時の生活模様とかならOK
>>581 「百年戦争期の人々の暮らし」ならこのスレでOK。
百年戦争そのもの(戦争の流れなど)は別のスレで。
586 :
世界@名無史さん:2006/12/14(木) 11:23:22 0
百年戦争の辺りってあれか
東はモンゴル帝国の崩壊
オスマントルコにビサンツ帝国が滅ぼされ
ハプスブルク家が神聖ローマ帝国皇帝を独占しはじめて
ポルトガルとスペインが必死にイスラム教徒を追い出していた時代か
まさに庶民文化を語る上では民族と宗教がどうなっていたのかってのは気になるな
もうちょっと時代が下るとキリスト教も宗教改革だし
庶民史の上では楽しいかもしれん
そのあたりの事について、雑学本からの聞きかじり以上のことを書ける人がそういるだろうか。
588 :
世界@名無史さん:2006/12/15(金) 15:21:31 0
あまり難しい話題を振らないでくださいw
雑学本のネタでも、話の叩き台になってくれればいいわさ。
雑学本でも、どーせ孫引きだから、
ソースが良ければバカに出来ないぞ。
話が盛り上がるのはトンデモ本かもね。
雑学本同士でお互いに孫引きし合ってて、ソースは幾ら探しても無い。というのが典型的パターンだと思うが。
ソースを追跡してついに2chにたどり着いた!
2chで語られるくらい有名な事なら事実に違いない。
孫引きされるうちに情報が変質しているとかもありがちだな。
「ローマ帝国はキリスト教によって滅んだ」とかしたり顔で語る奴らの
脳内ではどんな歴史が流れているのやら(テオデリックが
キリスト教徒だからという意味ではもちろん無い)。
>>593 まあ、そうやって大々的に宣伝して、まるで歴史家面してトンデモ本書き散らしている
塩婆のようなヤシがいるのも問題だと思う。
>>593 たしか神学者が神の恩寵をうけるはずのキリスト教が国教化したのに
なぜローマ帝国は滅んでしまったのか、でちょっと困るんだっけ?
キリスト教が無くても西も東も史実と同じ頃に滅亡しただろうよ。
そういう御託を聞く度に「うんそうだね。無けりゃ今でも奴隷制度がメインのローマ帝国があったのにねw」と言ってやっているよ。
中世ではないが広く中世の話題と勘違いして語られるものに、ハイヒールは糞尿を踏んでしまうのを
避けるためのものとか、女性を道路の端に歩かせるっていうのは男性が上から降ってくる糞尿を避ける
ためとか色々言われる衛生ネタがあるが、あれって大元の一次ソースがあるものなんだろうか?
>>591が言うようなお互いに孫引きし合ってる雑学本とか、そういうのを引用したネットのサイトとかでしか
見た事が無くてソースを辿れんのだが。
>>596 ローマの奴隷は社会的地位が高い云々とご託が続くよw
ルイ9世が頭からかぶったが、学生が深夜勉強していたから
怒らなかったということから、ジャン・ド・ジョアンビルの
「聖王ルイ伝」とかだろうな。
都市によっては汚水を川に捨てるのを禁止する条例が何度も出されてるからその条例とか。
ただ1次資料に拘らなければ中世から近世の衛生に関する論文とかは沢山あるし、
ネットでも見つかるぞ。
それって、「信長の三段撃ちの大元の一次ソースってあるの?」と聞いてる人間に対して
「信長軍が鉄砲を持っていた事については信長公記に書いてある」って言うようなものでは。
鉄砲が無きゃ三段撃ちはそもそも出来ないが、「鉄砲があった事が三段撃ちはあった証拠」とは
全然言えないわけで、衛生状態と>597の言ってる衛生ネタも同じ関係かと。
衛生状態に関する史料は幾らでもあるし、サイトなんかにも一応ソースが(読んでない孫引き
だろうけど)書いてあるが、ハイヒールやらレディファーストネタなんかは憶測やソース無き大前提
以上のもの見た事ないなあ。
中世ではないけど、集合住宅の住人が窓からおまるの中身を「ほら水だ」と外に投げ捨てる銅版画を見たことはある。
衛生問題全般じゃなくてハイヒールや道の外側を譲る理由のことだけというなら
1次資料は知らんというか、どういう資料が1次資料になるんだ。
そんなにむきにならずに、水に流してやれよ
誰がうまいことを言えと(ry
このレスでいいですか?
ハイヒールが流行したのって、厚底靴が流行したちょっと後だっけ?
ハイヒール以外のも、マントもあったな。
松本零士が昔、漫画で「男がハイヒールを履くような軟弱な時代が(ry って批判してたが、
だいたいハイヒールって男が履いてたもんじゃなかったっけ
確か屠殺人夫が血と臓物で足が汚れないように履いたんだっけ?
At Saxon weddings, father of the bride customarily presents the groom with one of the bride's shoes,
symbolizing transfer of his authority over her.
The bride's shoe is thrown to the bridesmaids; the one who catches it will be next to marry.
近所に屠殺場があったからよく見てたけど、
屠殺人夫なんて返り血で全身血まみれで仕事してるのに、
足元の汚れを気にするかなあ。
力仕事だしそれこそ危なそう。
ぬかるみでも歩けるように作られたのなら、日本の下駄もハイヒールじゃないかな
614 :
世界@名無史さん:2006/12/18(月) 13:11:44 0
>>613 下駄の場合はヒールだけ高いわけじゃないからハイヒールってわけじゃないと思うがw
616 :
世界@名無史さん:2006/12/18(月) 23:11:17 0
>>609 見事な脚線美、とくにふくらはぎが魅力だったらしい。
ルイ14世は素晴らしかったという。
アッー!
バレエで男が白タイツはいてるのも貴族の目を楽しませるためだからなあ
バレリーナは売春婦だったよね。
620 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 09:45:04 0
>>620 バレーが芸術扱いされてセレブなお子様達の習い事の一つになったのは最近の話。
「ドガ 踊り子 鼠」で検索汁
しかし「中世に生きる人々」は名著だな
623 :
・・・:2006/12/23(土) 19:47:18 0
・・・
624 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 14:00:43 0
道にうんこ垂れ流しだったから、それに触れないようにする為に
ハイヒールってできたんだろ?
でも庶民は裸足も多かろう
626 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 15:43:30 0
>>624-625 ((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
恐ろしい衛生状態だ
田舎のほうが街中よりマシだったろう
627 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 15:50:19 O
「日本の家の中は清潔なので痰唾を吐く場所がない」
ルイス・フロイス
16世紀末になってもこの有様((((;゚Д゚))))ガクブル
ネトウヨは放置
平安時代の京都は道中ウンコだったというが何故日本ではハイヒールのようなものが発明されなかったんだろう
下駄があるからか?
川の水を引き込んで下水道として使ってたらしいが。
藤原京はその下水道が上手く機能できずに悪臭が酷かったので短期間で遷都したとかなんとか。
印度も道中がウンコだらけだったが、向こうの人は宗教上菜食なので、全然臭くない。
草食動物のウンコと一緒で、正直、あんまり気にならなかった。平安時代も肉食が禁じられてたって言うし、
気にしてなかったんじゃないの
632 :
世界@名無史さん:2007/01/09(火) 15:47:32 0
エゲレスは都会はウンコだらけ、田舎は泥だらけ
日本は江戸しかしらんが肥料にするための人糞収拾をるすために公衆便所だらけ
しかし当然ドボン便所なんで商店街の臭いはすごいと記述があったはず
道と町並みは綺麗だったとさ
>>596 と言うか西よりもキリスト教化されてた東が生き残ったのが全く説明されてない罠。
CrusaderKingsってゲームどうすか
暮らし向きのスレできかれても・・・
糞小路というのがあったな。
江戸が肥の臭いがしたといっても、同時期のヨーロッパの街はゴミと糞の臭いに満ちてそうだ。
肉食文化の街だから、その臭さはすごかったろうな。夏とかどんなだったろ・・・・ オエ。
便所は水洗だったが、宴席の横に、食ったものを吐き戻す壷があった。
これはこれでその臭さはすごかったろうな。夏とかどんなだったろ・・・・ オエ。
昔のエライ人は便所で会議してたんだってさ。
だから昔の城の便所には2人以上並んで座れるように穴があるらしい。
中世ヨーロッパ人って、どんな耳かき使ってたんだろう?
誰か知ってまつか?
642 :
世界@名無史さん:2007/01/10(水) 12:54:31 0
やっぱりこのスレはウンコネタだと伸びる
日本人は糞が好きだからね
嘗糞ネタも大好きだしね。
645 :
世界@名無史さん:2007/01/11(木) 20:55:11 0
タイムライン(原作)の中世の描写ってどうなの?
クライトンだからしっかり下調べしてると思いたいが
>>645 「北人伝説」も中央アジアの生活の描写とかよく描けるな・・・と思ってたら
イブン・ファドランの旅行記そのまま引き写しだったorz
(でもスカンジナビアの様子はクライトンのオリジナルです)
「タイムライン」はさすがにどこまで創作なのかよく分からない。
647 :
世界@名無史さん:2007/01/12(金) 09:29:15 0
タイムラインは映画で見たが面白くない映画だったなあ
原作のほうがよっぽど映画的w
649 :
世界@名無史さん:2007/01/12(金) 22:25:27 0
>>647 あれはクズだったなぁ
原作に釣られてDVD買ったんだがorz
650 :
世界@名無史さん:2007/01/12(金) 23:41:24 0
古代ローマ帝国はゲルマン国家に占領されてゆったりとした服が体にぴったりと張り付くスーツに変わったけど、
モンゴル帝国に飲み込まれた支那が胡服(スーツ様衣服)に変わらなかったのはなぜだろ?
651 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 02:53:49 0
ローマ人はゲルマニア式のズボンを「男らしくない」と見なしていた、というがどうして?
ズボンのほうが活動的だし、第一布が体にピッタリ張り付いて、股間がモッコリしている姿は実に男らしいじゃないか。
「ジーンズで上半身裸」は、男の美しさを最大限に発揮できる姿だと思う。
(そのかわり瘠せマッチョのイケメン限定!)
価値観なんて人それぞれですし時と場所次第でいくらでも変わります。
それが理解できたらまた来てください。
>それが理解できたらまた来てください
それまで2チャンがあるかどうか・・・
どんなに寒くてもトーガとサンダルで押し通すのが男らしいローマ人だそうな
>>650 ゲルマンは民族単位で移動してきているが、
モンゴル人は支配者として一部が来ているだけだし、
場所的にもそれまでの中華帝国の中心である洛陽、長安や開封から離れた
上都、大都が中心になっている。
普及させるには接触が少なすぎるだろう。
清の時に強制された辮髪は全土に普及したように、
法律で死かズボンかと迫れば普及したかもしれないが。
ところでズボン=ゲルマンとなっているが、
カエサル以前からローマの属州であるガリア・トランサルピナ(今のプロバンス地方)は、
別名ガリア・ブラカタ(ズボンを履いたガリア)と呼ばれている。
フランク族がガリア化した事を考えると、ガリア人の服だったんじゃないか?
657 :
世界@名無史さん:2007/01/14(日) 23:29:45 0
支那の胡服(ズボン)も相当歴史が古いよ。胡服もスーツも結局騎馬民族の服装なんだよね。
エスキモーもズボンだよ
659 :
世界@名無史さん:2007/01/18(木) 16:11:57 0
若いバレリーナを買いたいんですがどこに行けば買えますか?
東欧
661 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 11:50:53 0
中世欧州って読めば読むほど暗黒時代なんだなあ
知ったかを真に受けるとそういう結論になるな。
663 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 18:19:10 0
半島というのは東西暗黒
欧州半島=侵略・略奪・奴隷支配・分断国家・キリスト教悪用
朝鮮半島=侵略・略奪・奴隷被支配・分断国家・儒教悪用
664 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 19:18:49 0
欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島
欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島
欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島
欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島
欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島
欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島欧州半島
今の生活レベルを基準にすればヨーロッパじゃなくても中世の生活レベルなんて知れてるけどな。
今の生活レベルを基準にすればヨーロッパじゃなくてもローマ時代の生活レベルなんて知れてるけどな。
今の生活レベルを基準にすれば日本じゃなくても江戸時代の生活レベルなんて知れてるけどな。
だが縄文時代なら今より良かった!
アニメもパソコンもないのに?
アニメ・・・どんな厨房だ
世界史板や軍板はアニヲタ多いよ
671 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 13:43:51 0
欧州旅行に行ってきました
このスレを読んでから見る街並みは
この狭い石畳の道の上にう○こがたまってブタが掃除してたのかと思うと
とってもうん○臭い街並みに見えました
ってか実際何か臭うw
彼女はとっても喜んでました
スペイン→フランス→イタリア サッカーはとても楽しかったです
672 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 20:37:08 0
現在は高層住宅の上階ほど値段が高いが、これはエレベータがあってのこと。
古代ローマ時代より、上り下りが辛い上階は一階よりも値段が安かった。
現在、首都圏大震災が発生した際、エレベーターが故障して脚を奪われた上階の住民は、
「高層難民」となる恐れが指摘されている。
J・G・バラードの「ハイ・ライズ」が確かそんな話だったな。
674 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 23:28:59 0
>>672 上階は一階より値段が安いのは当然。一階は店舗になるから。
二階はその店舗の店主が住み。それより上階が下の階ほど値段が
安い。
昔の小説でも、屋根裏部屋は家女中とか、貧乏人が住むことになってるね
676 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 23:39:48 0
オランダやベルギーだと、上階は倉庫だったりするけどな。
677 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 00:54:22 0
今のパリはナポレオン3世時代に出来た
それ以前は中世も近世も基本的に同じ
678 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 08:04:21 0
ヨーロッパでペスト流行が収まって衛生状態が改善されるにしたがって
「スカトロ」って変態的エロスが流行だしたってマジ?
679 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 09:36:09 0
うんこ臭さが恋しくなったんだろう
南フランスの街並みは見た目は美しいがうんこ臭い
>ヨーロッパでペスト流行が収まって衛生状態が改善されるにしたがって
この時点でおかしい。
欧州は未だし…
衛生状態は中世より近世の方が酷かったんだが。
18世紀のパリなんて目も当てられない。
中世の人間はまだ風呂入ってたからよかった
近世は……
バーデンバーデンでババンがバンバンバン
(ハービバノノン)
風呂屋が梅毒やペストの媒体と考えられたからな。
あと燃料の薪不足
687 :
世界@名無史さん:2007/02/09(金) 01:08:31 O
>>683 近世の公衆浴場の版画図とかあるんすけど
そりゃありますわな
>>687 江戸時代の日本には蛸とセクロスする習慣があった、とでも言うつもりか、おまいは。
あほくさい
>>691 日本は集めて売っていた
フランスは窓から道路に投げていた
>フランスは窓から道路に投げていた
釣られんぞ。
いや事実だし
でも中世よりもだいぶ後の話だがな
>>693 まずは過去スレ、過去ログ、な。
夢が壊れること請け合い。
ていうか、最初のスレの1は今どうしてるんだろうか。
696 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 09:16:00 0
ウンコ臭さなら江戸時代の江戸の町も匹敵するが
公衆ぼっとん便所の臭いと道路がウンコだらけなのとどちらが清潔なのか
考えてみればわかるはず
ドイツの被差別職業に「糞尿清掃人」というのがあった気がしますが
英仏には無かったのかい?
基本的に菜食の江戸と、肉食の欧州じゃ、臭さのレベルが違うと思う
欧州では下肥は使わなかったんだろうか。
日本なら都市は貴重な肥料の供給源として徹底的に回収されていたわけだが。
環境にもよるだろうが、棄てたり流したりする物ではなかったはず。
欧州じゃ、糞尿は皮剥ぎ人によって川に流されてたらしいよ。 水質汚染がすごかったらしい
701 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 11:25:30 0
うんうん
702 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 11:28:59 0
うんこの話になるとなぜかこのスレは伸びるw
703 :
世界@名無史さん:2007/02/14(水) 11:30:23 0
この前テレビで見ただけだが
スコットランドでは肥料として海草を使っているそうだ
>>700 じゃ皮剥ぎ人が清掃人を兼ねてたのかな。
「ドイツのアウトサイダー」みたいな本(何冊かあった)では両方出てたような。
中世のロンドンでは窓からゴミを捨てる事が厳しく禁じられており多量の罰金が本人だけでなく「近所の住人にも」連帯責任として課せられた。
そのせいで窓からゴミを捨てた男が近所の住人にリンチされ殺される事件が記録に残ってる。
>>699 日本のように大々的ではないけど使っていたケースはある。夜間に運び出している。
樽にためてまとまって搬出していた。
日本でも肥汲みは早朝とかじゃないかな。
少し前なら(今でも?)農家じゃなくても多少の畑でもある家なら、
納屋に肥タゴがあったものだけどね。
708 :
世界@名無史さん:2007/02/15(木) 05:05:44 0
尿は発酵させて毛織物工業で使われていたよね
>>704 糞で皮を洗うのに使った。
皮革業者が糞を買っていた。
ただし人糞ではなく家畜、特に犬の糞が良いらしい。
あれ?
少年のオシッコが最良って何だったっけ?
>>709 皮なめしに犬の糞ってどこかで聴いたな。
日本でもそうじゃなかったかと思う。
羊毛の脱脂に小便使ってたというのは聞いたことある
714 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 11:34:51 0
しかしこいつらいっつも戦争ばっかししてやがるな
兵力とかみると日本の戦国時代よりもかなり小規模な戦闘ばっかりだが
やはり貧しかったのかね?
>>714 ヽ|/
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/ ヽ
/ \,, ,,/ |
| (●) (●)||| |
| / ̄⌒ ̄ヽ U.| ・・・・・・・・ゴクリ。
| | .l~ ̄~ヽ | |
|U ヽ  ̄~ ̄ ノ |
|  ̄ ̄ ̄ |
716 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 19:12:07 0
ローマでは、腐った小便を洗剤に使っていたという。
洗い上がりの洗濯物は臭かったろうな。
さらに、キャベツを多食した人の小便は、筋肉の揉み解しや、幼児の入浴剤として
効果絶大だとされていた。
人糞は十字路で、神への捧げ物にお供えされてた
ある意味地球に優しいエコロジーな生活ですね(棒読み
719 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 11:48:20 0
ソーセージとかってある意味汚い食い物だよね
720 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 12:51:57 O
じゃあ 食うな
直接手で握ったおにぎりはどうなんだよ
かえって免疫がつく。
こんな諺も有る
People who love sausage and respect the law should never watch either of them being made
723 :
世界@名無史さん:2007/02/23(金) 09:01:16 0
英語は不得意だが
ソーセージと法律は作るところをみちゃいけない
っていう意味かな?
ソーセージと法律を愛する人間はそれらが作られる所を見ない方がいい。
725 :
世界@名無史さん:2007/02/23(金) 12:36:27 0
法律を愛するってなんか変だな
respect the lawだろ
古代ローマだったか古代ギリシャだったか忘れたが、
歯磨きの代わりに少女の小便で口ゆすぐ習慣があったそうだ。
それなんてエロゲ?
以前TVで現在のドイツの農家で自家製腸詰め作ってるところをやってて、
その家の子供なんかはそばでその工程を観てるんだけど、
できたてというか詰めたてのものを横からつまみ食いとかしてた。
729 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 02:38:29 0
2 :世界@名無史さん :2005/06/10(金) 00:07:00 0
古代ローマ人や、シベリア先住民は小便で洗濯したり、顔を洗っていました。
>>699 人糞は動物に食わせて、畜糞を肥料にしていた。
基本的に現代の安い外食もつくっているところは見てはいけない
>>714 それが正しいとすると。中国が世界一素晴らしかったと言うことになるな。
近世まではそうでしょ
735 :
世界@名無史さん:2007/03/05(月) 11:28:51 0
中国を甘くみてはいかんよ
736 :
世界@名無史さん:2007/03/05(月) 13:00:46 O
>>730 日本では人糞をそのまま肥料にしたりや直接、作物にかける
そのため、世界でも類がない寄生虫大国になった
作物に直接かけなければ、回虫やぎょう虫の卵つかないしな
日本の農法は異常だな
さなだむし〜ってか
737 :
世界@名無史さん:2007/03/05(月) 13:03:18 0
こらこら、人糞はそのままでは肥料どころか毒になるのだよ
肥溜めで発酵させてからじゃないとな
醗酵させると改善するとはいえ、寄生虫の問題はやっぱり残ることも確か。
とはいえ、当時の衛生環境を考えれば、
井戸水、塵埃、人体、衣服、住居など寄生虫はどこにでもいたと言える。
日本の場合、刺身が好きだから特にすごかったのだろう。
現代が過剰に清潔なのかもな。
とはいえ昔に戻れと言われても戻れないが。
742 :
世界@名無史さん:2007/03/06(火) 01:23:33 O
日本人のヘリコバクターピロリ菌の保菌率は世界一
同じく日本人成人女性の毛髪の水銀含有量は
欧米人成人女性の数倍の含有量数値
いずれも日本食が原因
寄生虫を体内で飼えば、花粉症がなおるんだっけ?
サナダムシで体質改善する療法はあるけど万人にはお勧めできない
日本人が世界一不潔なのは間違いない事実
日本人ほど醜い人種はほかにいない
サヨクの煽りかネットウヨの自演か知らんが乙
>>714 16世紀の欧州と日本の戦闘
1509年 アニャデッロの戦い フランス軍3万 vs ヴェネチア軍1万5千
1512年 ラヴェンナの戦い フランス軍2万6千 vs スペイン軍1万2千
1513年 フロッデンの戦い イングランド軍3万以下 vs スコットランド軍3〜6万
1514年 オルシャの戦い ポーランド軍3万 vs モスクワ大公国軍8万
1525年 パヴィアの戦い フランス軍2万3千 vs スペイン・神聖ローマ軍2万3千
1526年 モハーチの戦い ハンガリー軍2万6千 vs オスマン朝軍6万
1529年 第一回ウィーン攻囲 オーストリア軍2万5千 vs オスマン朝軍10万
1557年 サン・クェンティンの戦い スペイン・イングランド軍1万 vs フランス軍2万4千
1568年 ジェミンゲンの戦い オランダ軍1万2千 vs スペイン軍1万5千
1578年 アルカセル・キビールの戦い ポルトガル軍2万3千 vs サード朝軍10万
1561年 川中島の戦い 武田軍2万 vs 上杉軍1万8千
1570年 姉川の戦い 織田・徳川軍3万4千 vs 浅井・朝倉軍1万8千
1573年 三方ヶ原の戦い 徳川軍1万5千 vs 武田軍2万5千
1575年 長篠の戦い 織田・徳川軍3万8千 vs 武田軍1万5千
1582年 山崎の戦い 明智軍1万6千 vs 羽柴軍3万6千
1583年 賤ヶ岳の戦い 柴田軍3万 vs 羽柴軍5万
1590年 小田原征伐 豊臣軍20万 vs 北条軍5万
1600年 関が原の戦い 西軍8万2千 vs 東軍7万4千
748 :
世界@名無史さん:2007/03/06(火) 09:23:37 0
>>747 つまりフランスやイングランドやポーランドなどは一大名レベルということかな?
>>748 動員兵力で見ればそうなります。
ヴェネチアなどの都市国家ですら万単位の兵力を集めたりと著しくアンバランスですが。
16世紀のヨーロッパは軍の主力が傭兵だからねえ。
金さえあれば、という面もあるにはある。
>>748 いや、単に農民が数に入ってないからだと思われ。
貴族や騎士の殺し合いを見物して楽しむおもろい時代だったのだよ。
753 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 17:14:20 0
欧州の主力が傭兵なのは知っていたが
徴兵した農民っていなかったの?
そういうのもいたけど、実戦ではあまり役に立たなかったみたいだね。
訓練するのも時間=お金かかるし。
>>753 定期的に訓練を受け非常時に徴集される農民兵は中世の軍隊の主力。
イギリス明太子の長弓隊って農民主体じゃなかったっけ?
めんたいこはあんまり好きじゃないなぁ
イギリスの明太子なんて、どれほどまずいか想像も付かないな
あちらはタラ料理はよくあるけどタラコは食わないのかな
「イギリスは美味しい」というエッセイによると、タラコはあるけれど生では食わない。
グラタンのようにしたり、フライにしたりするらしい。
あとタラコの薫製というものがあるらしいが、これが結構美味とのこと。
イギリス料理は不味いってよく言われるけど、そんなに酷いの?
サッカー日本代表が欧州を歴戦する際、イギリスだけには行きたくなってよく言ってる。
とにかく食い物が不味くて、辟易するらしい
カップラーメンですら不味いんだってな
海外長期出張でイギリス行った人が日本に帰ったときカップ麺買い漁って帰っていったとか
ギネスがあればそれでいいよ
今でさえ不味いといわれてるんだから
第二次世界大戦でドイツに通商破壊されてたころは
ものすごい事になってたんだろうな
良い意味でも悪い意味でも素朴なのかな。味覚が。
イギリスの伝統料理ってカレーライスだおね
美味しいよねアレ
>>766 よそのスレにも出てたがプロテスタンティズムのせいらしい。
不味ければ不味いほど清貧っぽくて誇らしいんだと。
つまり味覚自体はまとも。
でも、アメリカ人は間違いなく味覚がどうかしてるね。
「イギリス人は自国の料理がまずいのが解った上で、
伝統を尊重してまずいレシピを変えないのだ」と、
どこかで読んだ気があるのだが本当だろうか?
>>768 う〜んイギリス人のみんながみんな食い物に関して同じ思想の持ち主なのかね?
もっと実質的な事情や背景がありそうだが。
食い物なんて土地や環境にかなり左右されるものだし。
そのわりにはワインには恐ろしいほどの情熱(執念)を燃やしてるよなイギリス人は
ヒュー・ジョンソンとか、ジャンシス・ロビンソンとか
やっぱり「ボルドーは俺たちのモノ」って今でも考えてるんだろうか……
シェークスピアのどれだか忘れたけど、農民の台詞でこんなのがあった。
牛も豚も生きてる時は英語でテーブルに並ぶ時はフランス語だ
ノルマンコンクエストによって上層階級の言葉がフランス語だった時代のお陰で、
農民が飼ってる時はpigやcow、ox、sheepなどだが、食肉になるとpork、beef、muttonに変る
しかしchickenだけは食肉になってもchicken
イギリスは階級分離が著しい。
その背景には他国より強烈な民族構造の差が有る。
ケルト・ブリトン人、イングランド人(アングロ・サクソン)、ノルマン人(フランス語)
この各グループは交流が乏しく、文化的交流も乏しかった。
その結果上流階級の料理が徐々に下層階級に広がるという流れもなかったし、
ある地域の料理が全国的に広がってその国の代表料理になるという事もほとんどなかった
例えばバレンシアの地方料理であったパエリアは、スペイン全土に広がって今ではスペイン料理となっている
しかしウェールズ料理が全国に広がり英国料理となったというようなケースはほとんど無い
イギリス料理がまずいのはそうした民族的特色の一つの側面だと思う
ノルマン人はわりかし早くからイングランド人化している。
というかノルマン征服と言う過程を経て「イングランド」と「イングランド人」が確立したようなもんだし。
民族が分離してても美味いもんは美味いぞ。
フランス料理だけが美食じゃない。
伝統を尊重ってのは国家の品格でも見たな
イギリスの大学生は暗い部屋でろうそく点けてひっそりと晩飯食うことに喜びを感じるとか
日本の武士道みたいなもんで、そういうのが理想とされているというだけなんじゃないの。
フランスも中世は貧相なもんだったんでしょ?
ところがどっこい12世紀のルネッサンスです…!
現実です…!これが現実…!
>>751 日本の戦国時代もそんなもんだったらしいぞ(当事者のぞく
本気で味蕾の数とかが畸形的に少なかったりしてな
>>772 スペインは風土の差がそのまま反映してイギリスよりもずっと食の地方差が激しいと思う。
スペインでのパエリヤの「広まり」は国民料理化したからというよりは、
わかりやすいスペイン料理としてヨソ様がパエリヤを選んだだけで、
それに観光的にアピールしたいスペイン人が乗っかった形でしかないんじゃないかな。
マドリーほかカスティーリャ中央部の奴らはほっときゃ肉しか食わねーし、
海鮮食い倒れ王国のバスクなんかではパエリアは邪道扱いだったよ。
(邪道は言い過ぎか)
北ヨーロッパ(北仏、ベネルクス、北独、スカンディナビア、英)の食素材はだいたい似ていて、
肉、鰊、鱈、ジャガイモ、乳製品、ハーブ、小麦粉といった感じじゃない?
その中のバリエーションのひとつにすぎないイギリス料理だけがなぜまずいと言われるんだろうか。
その理由は伝統重視か、「二つの国」である二つの階級の食が混じらなかったからか、
美食を嫌うプロテスタント倫理か、地中海世界やスラブ世界に直接接続できない環境か、
かつて世界を制覇したイギリスに対するそねみの声か、はたまた味蕾の数かw
正直わからない。
でもケジャリー(干し鱈のドライカレー風ピラフ)なんかは全ブリテンの国民料理と言えると思うな。
あとチャツネ(タマリンドのソース)をどんな料理にもよく使うよね。
コーヒーと茶と砂糖も火がついたのはイギリスだった。
これまでの北ヨーロッパのものとはまったく異なった食の文化に遭遇したとき、
地方差を超えた全ブリテンの食というものが誕生したと言えるんじゃないかな。
美味いか不味いかは別として。
個人的にはイギリス料理のなかではチキンのミントソースがけが好きだ。
イギリスの食べ物でも、素材にあまり手を加えてない料理は結構うまいらしい。
名物料理のフィッシュ&チップスは、揚げた鱈と芋にモルトビネガーをぶっかけた
だけの料理。
あと、バーナード・ショウの言葉にイギリスで旨い食事をしたければ昼も夜も朝食を
食べることだ、っていうのがある。
一つにはイギリス料理って単調で量が多いから飽きるって言うのもあるかと。
例えばフィッシュアンドチップス。
魚の揚げ物に付けあわせで芋の揚げ物をつける。
そしてどちらも同じソースで食べる。
冷静に味で言えば特別に不味い訳じゃなくても、同じ様な物を食べさせられ続けた外国人がどう感じるかと言えば、
「イギリス料理って飽きる。もう食べたくない。」
そして国に帰って周りにこう言う。
「イギリス料理はもう見たくない。」「イギリス行くなら何か食べ物持って行くほうが良いよ。」
かくてイギリス料理は不味いという噂が強化されていく。
アメリカなんかは料理の単調さを調味料でごまかそうとしてあんな化学調味料ぶっかけ料理になったんじゃないかな
アメリカは甘味嗜好が強すぎるんだよ
アメリカ人は日本人から見ると甘すぎるチョコとかを食べながら、一方であんことかを甘すぎると言う。
生来の物なのか、育ちの問題なのかは知らないが、感覚が日本人とは違っているようだ。
チョコは苦味があるけど、あんこは多少の塩味はするものの甘さの方が強いから、
それもあるのでは?
西洋中世の料理のレシピを何かで見たけど、とにかく薄味らしい
きつめの調味料は、コショウが入るまでは辛子か酢くらいかな
日本でも古くは調味料と言えば塩くらいだった。
醤油っていつだっけ?
>日本では701年の「大宝律令」に、醤を扱う「主醤」という官職名があり(wikipedia)
だそうだよ
そういえば、昔の塩は精製塩じゃなく藻塩だったんだよね
なんだか美味しそう……
792 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 07:48:51 0
Breakfast
Second breakfast
Elevenses
Brunch
Tiffin
Lunch
Tea (High or afternoon)
Dinner
Supper
Dessert
Snack
正式にはイギリスは一日十一食
793 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 08:17:35 0
>>792 で、悉くこの食生活習慣を採っているのはどんな椰子かだが‥。
まあ正確には「一日十一茶(ブレックファストもあるでよ)」って感じだが
796 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 09:26:44 0
イギリス料理は確かにまずい
2,3日ならそれほどでもないが1週間滞在すると見たくもなくなる
同じように韓国料理も感じる
味が単調なんだろうね、同系列の味しかないから飽きてしまう
とはいっても日本人のように朝和食だったから夜はイタリアンがいいなーという生活が
世界各国で行われているわけでもないがな
797 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 13:27:20 0
アメリカ料理というのかどうかはわからんが
チーズチリドックだけは秀逸だ
798 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 21:49:03 0
いきなり食い物スレと化した
食い物も暮らしの一部だから良いじゃん
>>796 日本料理だって、毎日スシやテンプラだったら…て、なんか違うよな
イギリスではイギリス料理より中華料理やらインド料理のほうが断然美味いらしい
無論イギリス人が料理していない店でな。
さすがは美味い食い物を手に入れるだけのために七つの海を制覇しただけのことはある。
>>800 それを言うなら、毎日、味噌汁・漬け物・ご飯という同系列の味・・・・
に、肉食わせろ〜。
803 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 08:26:41 0
>>802 このスレでいいのかどうかは知らんが
仏教熱心だった頃の日本人でもやはり肉食わせろーだったみたいで
キジやウサギは有名だがイノシシの肉も冷え性に効く漢方薬という扱いで食されておりましたとさ
804 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 10:23:34 O
イノシシ→ムササビの仲間?→ムササビは4つ足でない?→食べていい
やはり日本人も肉を食べかったのだろう
すき焼きも一説によると百姓が人の目を気にしながら鋤で肉を焼いて食った
というのが語源だという説があるし
「よく鍬なんかでもの焼いて食う気になるな」
とも思うが、鉄は高いから鉄板がわりに使えるのが鍬くらいしかなかったんだろうな。
熱がすぐ伝わるし、ソースがこぼれないし、実は鉄板って革命的な調理器具だ。
806 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 10:32:39 0
現代の話で申し訳ないが
某山奥の方の消防団などでは訓練終了後、ホルモンなどをどっさり買ってきて
スコップで焼くのを今でもやっている
これは多分昔からの鋤焼の延長線上の習慣なのではないかと勝手に推測してニヤニヤしておりました
駄文失礼
スコップは汚いだろw
それとも焼肉用スコップが備蓄されてるのか?
808 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 11:51:39 0
いや、スコップを川の水でじゃぶじゃぶと洗ってそのまま焼く
809 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 13:16:22 0
すき焼きは、「鋤」の刃で肉を焼いたのではない。
牛に曳かせる「犂」の刃で肉を焼いたのだ。
鍬でも鋤でも鉄製の刃物をそんな風に扱ったらすぐに傷むと思うのだが…。
道具類を野良に忘れてきて夜露に濡らすだけでも叱責されるのに。
鉄板代わりにして火を通しても焼きが入るどころかなまくらになるんじゃない?
811 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 14:49:00 0
その程度の温度では鉄はどうにもならんよ
812 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 14:55:05 0
とんでもない。
刃物板でそんなこと言ったらタタッ斬られるぞ。
火で刃物は充分ナマクラになる。
だから、使い古しの犂なり鍬なり使ったんだ。
813 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 14:58:26 0
ある意味切られたいw
いやなんでもないw
フライパンだって長時間空焚きすると怒られるしな
815 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 16:37:30 0
竹を燃やすと、ものすごい火力が得られる。
だから昔は「釜を傷める」といって、竹を焚き物に使うことを戒めた地方も多かった。
816 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 19:50:02 0
>>815 節を割ってから燃やさないと弾けてえらいことになるぞ。
なんか「じいちゃんに聞いた話」スレになってきたな
「竹槍最強」スレかと思ったw
亀だが、三ツ星のトップシェフがこんなこと言っちゃうぐらいイギリスの料理の貧しさはガチ
「下手なレストランより優秀」――元ミシュラン三ツ星シェフが「マクドナルド」を絶賛
ttp://www.japanjournals.com/dailynews/070301/news070301_2.html 不健康な食事の代名詞として非難されることの多いファストフード・チェーン「マクドナルド」だが、
英国きってのトップ・シェフとして知られるマルコ・ピエール・ホワイト氏(44)が、
「マクドナルド」は良質の食材を用いたメニューを手頃な価格で販売しているとして、
「多くの下手なレストランよりもはるかに優秀」と絶賛するコメントを発表したことが伝えられた。
>>819 マクドを絶賛するシェフがいるってことからも食の貧しさが判るな。
こうなるとイギリスのシェフの味覚も怪しいものだ。
>>819 海外のマックも味付けは違うだろうが、日本と大体同じようなもんだよな
イギリス行ったらマクドナルドが食の駆け込み寺になるのか?
823 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 05:27:18 O
俺が7年前にバックパッカー(貧乏旅行者)としてフランス、オーストリアとか
に旅行したとき、宿泊はユース(朝食は付くが)とかだったので安価なマックは
重宝もんだった
そのとき向こうのマックでは当時、日本では販売されていなかったグリーンサラ
ダがあったのには仰天した覚えがあるが
それにマックだとカウンターで“ラディシオーン、スィルブプレ”と言わないで
すむから気楽だった
もれは15年ほど昔にバックパッカーしたが、
当時すでにドイツのマクドナルドが簡易包装してたのには緑の党の力を感じた
あの頃の日本のマクドナルドではまだ発泡スチロール包装だったから
825 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 09:33:13 0
真面目な話に戻して申し訳ないが
大航海時代に芋が持ち込まれる前って何を食べてたの?
トウモロコシはあったのかな??
826 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 10:51:00 O
よく中世の欧州人は皆が肉食していたように思われるが
小麦で作られた白パンや肉を毎日のように食べられたのは貴族や上級聖職者
一般農民が肉を口にできるのは家畜が老齢で死んだ時ぐらいで
その肉は非常に固いため、一度ボイルしてから焼いた
家畜の内臓や乳製品は利用されていたらしいが、野菜類はドイツとか寒冷地域で
はカブとか根菜が中心
また女の子はある年齢に達すると親から食べることのできる野草の知識をもらい
実際、親と採集したようだ
たまにいるよな、「日本人は農耕民族で白人は狩猟民族云々」とかいうクソバカが。
中世のおにゃのこは皆薬師スキル(入門)持ってたのか
蛋白源としては、ゆで卵は良く食べられてたみたいだね。
あと、バター、チーズ、牛乳を固めた粥のようなものとか
830 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 12:22:48 O
一般農民の主食はライ麦原料の黒パンや大麦原料のオートミールだったらしい
831 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 12:57:05 0
今でもアメリカ合衆国の一般的な朝食がオートミールなのはそういうことか!
豆忘れんな豆
833 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 13:34:20 0
>>828 皆と云うことはあるまいが、専門の医師は貧困層までは
往き渡っているわけもなく、民間療法や家庭療法が発達していたろ。
そしてあの時期には、女性なら、魔女として、あぼーん
爺さんまた豆かい
835 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 14:13:31 0
そうか、小麦と豆か
そういえばアメリカ人が遊びに来てたとき近所の昔ながらの豆腐屋の豆腐はかなり気に入ったみたいで
なんにそんなに反応したのか気になって仕方なくていろいろ聞いてたんだが
豆の味がする ってのが理由だった
あいつらの豆好きは驚くべきレベルにあるよな
アメリカ人は豆腐に醤油やポン酢掛けても食えるのか?
837 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 14:56:33 0
>>836 うちに来てたアメリカ人は弁当作ってやるっていってんのに
わざわざ自分で弁当箱に豆腐一丁入れて持っていって職場で鰹節と醤油かけて食ってたよ
まあジャムかけて食ってるとこも見たことあるけどさw
>>833 魔女狩りで殺されたのはどう多く見積もっても400年の間に10万人。
そして魔女狩りが始まったのは15世紀。
日本人も豆はよく食ってるよな。
味噌も醤油も豆から。
味噌汁は豆の汁に豆の具が入ってる。
和菓子も豆菓子。
俺は豆腐には何もかけずに食べるよ。
やっぱり豆の味がして美味い。
840 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 16:36:29 0
日本は米と豆
欧州は小麦と豆
って感じでOK?
豆大福食いたくなってきた
俺の中では「豆食い=米英」のイメージが強いな。
欧州大陸でも昔は豆食ってたの? トルコ料理には豆がよく出てきてたけど。
確かに豆は貴重な蛋白源だったのかもしれないね。
843 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 17:09:15 0
イギリスの飯が不味いていってるのドイツも不味い
日本語でおk
>>842 ソラマメとかエンドウマメはかなり主要な食いもんだったはず
846 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 17:50:55 0
欧州は南米大陸から芋とトウモロコシが伝わってやっと人口が増えるんじゃなかったかな
うろ覚えで申し訳ない
豆類は、大麦燕麦とともに三圃制における春蒔きの作物として使われてきた。
>>846 18世紀の農業革命における四圃制などの導入のが大きな要因だと思う。
四圃制で確かにジャガイモは使われてるが。
手元の資料(経済発展の生態学)では、イングランド・ウェールズの人口は
18世紀半ばから急に跳ね上がっている。
イギリスは、エリザベス1世の時代に葉と茎でジャガイモパーティを開くという
とんでもないことをしたためジャガイモの導入がもっとも遅れた。
聖書にもレンズ豆のスープが出てくるしな。
849 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 23:59:05 0
イングランドの人口
1400年210万
1430年210万
1603年378万
1750年614万
1761年615万
1771年645万
1781年704万
1791年774万
1801年866万
ジャガイモやトウモロコシの普及よりも前に人口増加が始まる。
もうちょっと遡ると、だいたい9世紀以降に農業技術が向上して、
11〜12世紀にはそれ以前に比べるとかなり人口が増えたとされている。
中世後半になるとペストなんかで人口が減り、ちょっと停滞期に入る。
飢饉のとき、なんで鼠を食わなかったのかな? あんだけ大繁殖してたのに
>>849 1348年には380万くらいなので
ようやくペスト以前の水準に戻るのが1600年ごろと考えたほうがいいな
ルピナス食ってたんだろ
18世紀の人口増加は、食糧ではなくて医療技術の向上と結びつけられる
ことが多いけどな。
>>851 鼠の大発生は飢饉の引き金でしょう。飢饉の最中は流石に全滅してるのでは。
フランスだと、麦類が不足した時の代用は、米。
ジャガイモはフランス革命後。
トウモロコシは16世紀末に登場し17-18世紀からみられるが、
フランスの北部では冷涼すぎて、地中海沿岸地域は夏の降水量
が不足しているため、アキテーヌ地方ぐらいしか栽培できなかった。
アーサー・ヤングがフランスを訪れた時に、トウモロコシの
地域が豊かであることを述べているが、こうした地域は局所的。
中世ヨーロッパの農民でも豚は食ってた。
ただし今の豚よりもっとイノシシに近い生き物だったが。
街ではその豚の牙で怪我人が出て街中での放し飼いを禁止する条例とかが出されてる。
しかし豚は人間の排泄物を食べるのである意味必要な存在でもあったから、
追い出すこともできなかった。
鳥や兎も農村では食べた。
農民がそうした生き物を狩る武器はスリング、つまり石。
スリングは農民の武器と言われた。
あと虫を食べてた。
日本でもイナゴとか食ってたのと同じ。
魚は保存法が発達して内陸まで運べるようになってからは内陸にも広まった。
ハンザ同盟では魚肉で儲けた例も多い。
野菜ではチシャやキャベツ、かぼちゃ、ほうれん草、ビート(甜菜)、アーティチョークなどが
大航海以前から栽培されていた。
>>857 >アキテーヌ地方ぐらいしか栽培できなかった。
ペリゴール地方がフォアグラの名産地となったのはそのためと言われてるね。
野菜で重要だと思うのはカブ。ジャガイモを嫌う農民はこっちを栽培した。
861 :
世界@名無史さん:2007/03/15(木) 09:34:34 0
なぜにジャガイモは嫌われていたんですか?
悪魔の植物…だっけ?
新芽には毒があるしね
醜い感じと、種芋で増えるのがキリスト教的に好ましくないとか。
865 :
世界@名無史さん:2007/03/15(木) 12:33:54 0
キリスト教的にはあれか
種から芽がでないとまずかったんだっけか
866 :
世界@名無史さん:2007/03/15(木) 16:35:24 0
じゃが芋は土のなかに出来る作物だから泥まみれ。
デコデコした外見なので、「食えばライ病になる」というデマが広まった。
聖書に載っていない作物、というのも痛かった。
トマト、チョコレート、トウモロコシ、カボチャなど、新大陸原産の食物が広まる際は
常に誤解と偏見が付きまとった。
しかしインゲン豆は例外だった。豆は旧大陸でも古くから愛されていた食物だったから。
そういや向こうの話にはカブがよく出てくるな。
日本では千枚漬くらいか。ふろふきもあるけど。
意外と注目されないがクリもある。単位面積当たりのカロリー生産
は高い。コルシカ島での生産が有名で、ジェノヴァの影響で、16世紀
後半から17世紀に拡大、リムーザンでは農地の10%を超える。
糠漬けとか普通の塩漬けでも美味い。
あと赤カブを塩漬けにした後甘酢につけるのもおいしい。
かぶら蒸しを忘れんな
>>860 大きな声ではいえないが、「ゴキブリのペースト」でぐぐってみてくれ
>>853 この1ヶ月、食ったものといったらルピナスだけ。ルピナス・スープ、ロースト・ルピナス。
蒸かしルピナス、炒めルピナスのルピナス・ソースがけ。
ルピナス・スパッゲッティのルピナス・ソテー添え、ルピナス・メレンゲ・パイ、ルピナス・シャーベット。
オナラしたって、ルピナスの臭いばっかりだ。ネコの餌もルピナスだよ。
ルピナスを暖炉で燃やして、着てる服だってルピナスだよぉ、もう。
それってどんな茄子?
>>856ほか
ドイツの方がジャガイモの普及に関しては早いんだね。
どこまで本当か知らんが、プロイセンのフリードリヒ大王が熱心に普及させたと言われているし、
七年戦争でドイツからスウェーデンに流入したという話もある。
少なくともバイエルン継承戦争の頃にはかなり一般化していたっぽい。
カブだとカロリー源としてはいまいちだろうし、
もしフランスでドイツと同時期にジャガイモが普及していたら、
フランス革命もちょっとは状況が変わっていたかもなあ。
877 :
世界@名無史さん:2007/03/16(金) 14:47:39 0
イタリアの北部ではソバを作っていたらしいねえ
ソバパスタ
そこはやはり「さらせん蕎麦」といってほしかった
アルファルファも普通に食ってたの?
蕎麦は結構世界的に食われている食品。
881 :
世界@名無史さん:2007/03/16(金) 23:59:39 0
トウモロコシの普及が速いのは、バスク地方、17世紀に導入されて
伸びている。他の産業が落込んで食糧生産に集中した点も貢献している。
ソバといえばクレープ。まあ、ヨーロッパでソバが栽培されるようになったのは中世後期だった気がするが。
フランスだと中世後期に北部で導入された。当初は「黒い麦」と呼ばれた。
今日見た地方ローカル番組で、
そばの実を下揚げ→出汁で炊き込み→そば飯弁当
みたいな紹介を聞いた。
普通以上に美味しそうだった…
>882
で、それがブルターニュのアイデンティティーの一つになってたりすんだよね。
まぁただ昔はソバを栽培してるってのは
「米が作付けできない痩せた土地に住む貧しい人」
と見なされるから表ざたにできなかったんだけどね
887 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 01:04:41 0
それは日本のこと?
実際、山民への賤視とかあったからな
ヨーロッパでいうなら森番、水車小屋番への差別みたいな聖→賤の文脈で
>>887 全世界的にだな
徳川幕府下の江戸で蕎麦が粋だとされて
それ以降の日本だけは別だが
蕎麦は寒冷地で栽培できる優れものだからな
・収穫までの期間が短い
・痩せた土地でもOK
というリーズナブルな食物です
美味しいしね
蕎麦好きだがうどんと同時に食べ比べると蕎麦のほうが不味いと感じるよ
でもどちらか選ぶなら蕎麦なんだよな
これで収穫量が多かったらみんなソバ食いになってたかもな
収穫量は多いけど
こないだ蕎麦屋で置いてあった蕎麦の本見てたら
蕎麦は穀物と言うより草だって書いてあった。
897 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 23:18:42 0
蕎麦は日本固有の食品と勘違いしているやつが多いだろうな
「だったんって東北ですか?」とか
だったんって東北だったん?
蛍の墓AA↓
901 :
世界@名無史さん:2007/03/19(月) 18:15:55 0
なんで中世欧州人はすぐ死んでしまうん?(AA略
(重量鍬を使いながら)畑、びちびちやねん
904 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 10:12:47 0
狩猟民族っていうイメージはどこからくるん?
実際に狩猟によって生計を立てていた人とか民族はいたん?
農耕が普及してから狩猟だけで食ってたのはごく一部じゃないの?
中世だと狩りは貴族の遊びで、勝手に出来るものじゃなかっただろうし。
肉食ってる→狩猟民族 という短絡的なイメージなんじゃないのかな。
906 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 12:06:49 0
遊牧民と欧州人を混同しているのかもしれんねえ
ヨーロッパでは大豆は育たない
土に根粒菌がないかららしい
アメリカには根粒菌があるので、大豆の一大産地になった
>>904 日本人は仏教で肉食わない
↓
ガイジンは肉食うよね
↓
ガイジンは狩猟民族だ!
という日本と西欧しか見えてない諭吉ライクなしょうもない発想が元凶と思われ
>>904 だって彼らの先祖のクロマニョン人は狩猟民族だったし
縄文人を?
911 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 14:16:12 O
人類は肉食をしたから大きな脳を持ち得た
肉食をしなかった草食の化石人類は猿人の段階で全て滅んだ
なぜなら草食のままなら別に人類にわざわざ進化する必要がないからだ
それに動物性蛋白質の摂取は植物性蛋白質では摂取できない必摂アミノ酸を摂取
できる点からも重要だ
肉の嫌いな子供は殆んどまれである
第一、ベジタリアンで有名な奴にはろくな奴がいない
20世紀、最凶の独裁者になったオーストリア人とか
マジシャンより劣るスプーン曲げで有名になった自称超能力者のペテン師のユダ
ヤ人とか
欧州で有蓄農耕が始まった時、まだ日本では野山を駆け巡って狩猟していた
また弥生時代になったからといっても日本人が農耕民になったわけでもない
例をあげるなら登呂遺跡の稲作では収容人口消費量の1.5ケ月分しか生産できない
従って日本はまだ狩猟採集が主で農耕はあくまで従である世界でも最も遅れた地
域であると結論できる
釣りはいいから。
動物性蛋白質を豊富に摂取してた為に、
ゲルマン民族より弥生人の方が脳が発達してたって言いたいんでしょ。
世界一優れた民族は日本人というのが念頭にあるんだろうな
915 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 20:10:32 O
なんでゲルマン人特定なんだ???
916 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 10:10:19 0
民族の優劣をつける時点でどうかと思うけどな
昔からゲルマン民族は強くて優秀、って当の本人達も思ってるので、
そういうのが影響有るんじゃない?
なんだその珍説
まぁ紀元前くらいから外交は強気だよな
あの頃はまだ蛮族だけど
920 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 13:29:48 0
>>917 やはりプロイセンの第二帝国樹立と世界を相手にしての両大戦
からその印象が出来たんだろうね。ただ、いかにその歴史が形成された
を思えばな。尤も現在のドイツ軍が何処迄強いかは‥
921 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 13:31:52 0
>>919 尤も、古代ローマの頃、散々ローマを悩ませたにしても、
彼等とて、更に蛮族だった輩に悩まされた訳で
922 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 14:35:53 O
まだ古代ローマ時代には現れない未開で原始的なスラブは問題外としても
ゲルマン人だけでなく、ケルトやタイファール、ロクソラニ、アランなどのイラ
ン系サルマティア諸族やカプリなどダキア人、アフリカのムーア人、そしてフン
もローマを悩ませたと思うのだが
923 :
世界@名無史さん:2007/03/28(水) 09:11:32 0
中世欧州でうまそうな食い物ってなかったんかい?
フランスのウーブリなんかどう?
お菓子はどうだろ。
砂糖は流通してたのか。
926 :
世界@名無史さん:2007/03/28(水) 15:16:43 0
サトウキビは作れそうにない気候だよね
ビートから砂糖を取り出したのも確か18世紀くらいだったと思うんだけど
天然の甘味なら、蜂蜜、麦芽糖、ハーブや薬草の類くらいかな?
928 :
世界@名無史さん:2007/03/28(水) 15:45:47 0
メイプルシロップも18世紀くらいかな
中世のスイーツなんて甘かろう良かろうなんじゃないの?
930 :
世界@名無史さん:2007/03/28(水) 17:34:30 0
十字軍遠征で砂糖というモノの存在は知っているとは思うが
実際にサトウキビを栽培できないんじゃね?
甘味料の基本はハチミツだってば。
砂糖は高価な「スパイス」扱い。
砂糖は薬でもあった
葡萄酒は、蜂蜜を入れて飲むものだった
蜂蜜といえば蜂蜜酒。現代日本で最も手軽な密造酒だったりもするが。
935 :
世界@名無史さん:2007/03/28(水) 23:12:36 0
シチリア島など地中海ではサトウキビが栽培されていた
ざわわ ざわわ ざわわ
937 :
世界@名無史さん:2007/03/29(木) 09:17:54 0
ひょっとして中世欧州でうまいものというとここまで見た感じだと
パンに蜂蜜?
んなもん肉汁かけた肉に決まっとるだろうが
939 :
世界@名無史さん:2007/03/29(木) 10:16:22 0
肉もなあ
この時代、胡椒も高かった時代だよね?
塩水で洗って干した干し肉とかか?
それとも硬くて臭い肉だろ?
チーズにバターもあるぜよ。
食品の品質は、ツンフトによって厳しく管理されていた。
質の悪い肉やパンを売った親方は懲罰を受けた。
>>939 身分に寄るから何とも言えん。
貴族なんかは狩りをしたりして、割とその日殺した美味い肉食ってただろうし。
一口に美味い不味いっても現代人が食って美味いと思うかってのと、当時の人間がそれを美味いと思ってたかってのは別だしなぁ。
食材もさることながら調理法も現代に比べたらかなり未熟だし、現代人が食って満足するようなものは少ない気もするが。
ガルムを使った魚料理なんて、日本人にはいまでも美味そう。
もっとも、中世でガルムを使えていた地域は限られるけど。
あと、現代の西欧人にはガルムは臭くてダメっぽいけどね。
君達は、中世欧州の料理が食べたいのか?
よろしい。
ならば、イ ギ リ ス に 行 け !
イギリスから更に紅茶やフィッシュアンドチップスも引かなきゃな
スコーンは中世からあったのか?
漫画『大使閣下の料理人』の最終巻で、14世紀フランスのタイユヴァンの
料理を出していたが、あれは本当に旨いのかね。
実際に現代にも当時のレシピは残ってるから再現自体は可能なはずなんだが。
油は使ってたのかな。
揚げ物とか。