大清帝国

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1愛新覚羅○○
 五族協和の世界帝国として中国に君臨した最後の王朝、清。
 その国家理念は、「五族協和」。
 五族とは、支配者である@満州族、圧倒的多数を占めるA漢民族、
それに同じ(支配者である満州族と)少数民族であるBモンゴル族、
Cウイグル族、Dチベット族の事です。
 アメリカが他の民族の伝統・文化を無視し、自国の価値観を押し付けようと
する限り、イラク情勢は一向によくならないでしょう。
 また、世界中の国々が頭を抱える民族問題。
 如何にして、異なった伝統や文化、宗教、価値観を持った民族同士が
共存共栄できるかは、21世紀の課題と言えるだろう。
 そんな時代だからこそ、異民族王朝でありながら300年もの長きに渡って
中国の支配者として君臨し続けた大清帝国が、歩んだ歴史を紐解く事が重要
なのではないだろうか?
 後世に伝えたい大清帝国の偉業や足跡を、書き込んでもらえる事を
祈る。
2世界@名無史さん:2006/06/10(土) 18:06:28 0
@戦乱などで荒れ果てていた大明帝国皇帝陛下の居城であった紫禁城を
修築し、自ら(大清帝国皇帝陛下)の居城とするなど、漢文化の保護に
努め、後世にそれを残した事。
※日本は、明治維新以降、前政権、つまり徳川幕府の幕藩体制の象徴
でもあった各地の城を次々と取り潰し、後世に残ったのは、ごく僅かの
城のみ(第二次大戦で焼け落ちた名古屋城などの城もあるが)。
A『康煕字典』、『四庫全書』の編纂などの文化事業。
※『康煕字典』は、支配階級であった満州族が話す満州語の辞書ではなく、
被支配階級であった漢民族が話す漢語の辞書で、最も権威ある辞典とされた。
 『四庫全書』は、漢語で著された中国最大の叢書。
B満漢併用の官制を定め、漢民族も官吏に登用するなど、支配階級である
満州族と被支配階級である漢民族とを差別する事無く同等に扱った事。
※清朝末期の有名な政治家である林則除や李鴻章も漢民族の出身。
C満州族の風習であった辮髪と、民族衣装を漢民族に強制(漢民族の
伝統文化でもある京劇を演じる場合に限って、漢民族の伝統衣装を
着用する事を許可)した以外は、満州語の強制や満州文字の使用の強制、
満州人名語への創始改名などを行わなかった事。
※支配階級であった満州族が逆に、被支配階級であった漢民族の
伝統文化を吸収するなど、漢民族化していった。
例)大清帝国帝室の姓である愛新覚羅とは漢語の姓であり、満州語での
姓は、アイシン・ギョロ。
 戦前の日本が、朝鮮半島の植民地支配で行った事とは大違い。
D大清帝国皇帝は、満州族の母国語である満州語と被母国語である漢語
とを話し、満州語を文字で表す満州文字と漢語を文字で表すの漢字とを
教養として身に着けなければならなかった。
3世界@名無史さん:2006/06/10(土) 18:45:29 0
驱逐鞑虏,恢复中华,大汉万岁.
4世界@名無史さん:2006/06/10(土) 19:01:27 0
 中国革命の父、孫文曰く『我々、漢民族は、異民族である満州族に支配
されているという民族的な屈辱よりも、辮髪を強制されていた事が嫌だった』
 事実、大清帝国の打倒に向け、革命運動を展開した孫文も、最初から大清帝国
の打倒に向けた革命運動を展開した訳ではない。
 国を憂い、大清帝国の建て直しを官吏の中で最高実力者でもあった李鴻章に
訴えたものの、聞き入れられず、さらに、第11代皇帝の光緒帝が康有偽らを中心に
推し進めた維新運動(百日維新)が保守派で大清帝国の実権を握っていた西太后
によって弾圧された事が切欠で、大清帝国に見切りをつけ、その打倒に向けた
革命運動を展開し、革命家へと転身を遂げたのである。
 世界の市民革命、清教徒革命では、国王チャールズ1世が処刑され、
フランス革命では、国王ルイ16世と、その王妃マリー=アントワネットが処刑され、
ロシア革命では、皇帝ニコライ2世と、その家族もろとも処刑されているが、
辛亥革命では、皇帝・宣統帝溥儀ら大清帝国の皇族の誰一人として処刑
されていない。
 後の満州国崩壊後も含めて。
5世界@名無史さん:2006/06/10(土) 19:10:24 0
 あえていうなれば、“男装の麗人”として有名な川島芳子だけが戦後、
蒋介石の国民党によって処刑されている。
 川島芳子の国籍は、大日本帝国ではなく中華民国(当時)で、
その戸籍上の名は、愛新覚羅芳子。
 すなわち、幼少の頃、日本人の養女となったものの戸籍には入れて
もらえなかった大清帝国の皇族、つまり清朝一族の○○親王(親王の名前、
忘れたけど、醇親王と恭親王ではないのは確か)の王女様。
 けど、川島芳子が処刑された罪状は、 辛亥革命とは全く関係のない
戦時中のスパイ容疑。
 因みに、大清帝国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀は、晩年、政治協商委員
として毛沢東・周恩来らの国家建設の仕事に協力し、その実弟である
愛新覚羅溥傑もまた、全国人民代表大会(中華人民共和国の国会)の
常務委員を勤めるなど、最後の最後まで新政府によって処刑される事は
なかった。
 それどころか、文化大革命で紅衛兵らの手によって自宅を襲撃された
事を知った周恩来首相の命令で、劉少奇やケ小平らのように“反革命分子”
として、三角帽を被せられ市中を引き回される事無く保護され、難を逃れた。
 その周恩来は、毛沢東ともに共産革命を展開した革命家でもあったが、
大清帝国の地方官吏(役人)の子であった。
 ある意味、革命家となった元家来が、元主君の命を救ったといえよう。
 日本の明治維新の立役者で、大政奉還をした江戸幕府最後の将軍、
徳川慶喜を新政府に加えようとしたが為に、それに反対する倒幕運動を
推し進めた薩摩・長州の藩士によって暗殺された(一説によると)
坂本龍馬と同じかも?
6世界@名無史さん:2006/06/10(土) 19:48:51 0
>1
満州族が圧倒的多数??(゚Д゚)ハァ?
7世界@名無史さん:2006/06/11(日) 00:52:02 0
>>6
どうすればその様に読めるのか?

>>4>>5
でも溥儀、癌になった時に病院行けなかったんだろ?
文化大革命の影響でさ。
8世界@名無史さん:2006/06/11(日) 01:14:22 0
重複ですよ

【康煕】清王朝について【乾隆】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1126475110/
9 :2006/06/11(日) 11:35:24 0
>>2
>戦前の日本が、朝鮮半島の植民地支配で行った事とは大違い。


日本もハングルの撤廃や創氏改名の強制は行ってないはずだが?
10世界@名無史さん:2006/06/12(月) 23:05:52 0
文化程度
漢>韓>倭>満
11世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:48:07 0
Cで
>漢民族の伝統文化でもある京劇

と書いている時点で、

>>2が全くシナの歴史を知らないのは明白。
12世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:50:29 0
>>4
まあとりあえず訂正。

×康有偽
○康有為
13世界@名無史さん:2006/08/14(月) 18:30:06 0
あげ
14世界@名無史さん:2006/08/28(月) 14:16:28 0
>>1

……
15世界@名無史さん:2006/08/28(月) 15:22:44 0
>※日本は、明治維新以降、前政権、つまり徳川幕府の幕藩体制の象徴
>でもあった各地の城を次々と取り潰し、
城を壊したのは明治政府ではなく、莫大な維持費用を負担できなくなった
旧大名なのだが。
中国史ばかりではなく、日本史も知らないようだ。
16世界@名無史さん:2006/08/31(木) 19:35:46 0
清は前半の6人は名君ぞろいだが、後半の6人は微妙な面子ばっかりだな。
17世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:01:27 0
なぜ清帝国は、漢字を廃止して満州文字に統一しなかったのですか?
18世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:03:29 0
国民の90%が漢民族なのに、そんな反感買う政策出来る訳が無い。
それに乾隆期では満州族でさえ満州語読めない階層が大半だったんだぞ。
19世界@名無史さん:2006/09/06(水) 19:52:30 0
辛亥革命直後の中国で弁髪を切った人は、どんなヘアスタイルにしたんだろう。
いったん全部剃って坊主にしたのかな。

中華民国発足直後の記念写真なんかで、みんな洋髪洋服で写ってるのがあるが、
ずっと海外にいた孫文はともかく、国内にいた連中は頭をどうしたんだろう。
20世界@名無史さん:2006/09/06(水) 21:39:22 0
「末代皇帝」というドラマの中での辛亥革命直後の民国の軍人の髪型だが、
ほどいた弁髪を肩の上あたりで切って、オカッパみたいな髪型にしていた。
21世界@名無史さん:2006/09/06(水) 21:41:05 0
補足すると、オカッパというより「落ち武者」みたいな頭の上に軍帽をかぶってた。
22世界@名無史さん:2006/09/10(日) 14:19:23 0
ウィキにこんな記載があった。

墓は北京郊外の八宝山墓地に埋葬されたが、後年、溥儀は生前「皇帝で
あったことを誇りに思っていた」と李淑賢夫人の証言が明らかになると
改革開放の時代の空気と相俟って、1995年皇帝として改葬することになった。
現在の墓所は北京郊外の易県にある、清朝の歴代皇帝の陵墓のある、
清西陵の近くの「華龍皇園」に新たに「献陵」という陵墓が作られた。

それに関連して2004年に「愍皇帝」の謚号と「恭宗」の廟号が贈られた。
ただし、これらは公式に認められたものではなく愛新覚羅家の遺族などの
関係者から承認されているものではない。
改葬に関しても愛新覚羅家の遺族からの反対も受けている。
また、これらの事は中国の一般市民にはほとんど知られていない。
23世界@名無史さん:2006/09/10(日) 16:39:55 0
>>22
溥儀の改葬については、80年代後半以降の清朝ブームに目をつけた霊園業者が
墓地販売の客寄せパンダとして利用したという話を聞いた。
おそらく「恭宗」とかいう廟号も、その霊園業者が勝手に命名したのではないか?
24世界@名無史さん:2006/09/11(月) 00:19:33 0
溥儀の弟妹たちはせっかく公民墓に入っているのに、よけいなことするなと
反対したらしいね。
嫁さんの李淑賢が霊園業者とやったのか。
25世界@名無史さん:2006/09/11(月) 09:48:17 0
結局、清王朝の宗家継承者ってもういないの?
北京在住の溥儀の異母弟とか、戦後溥儀自身が後継者に指名した一族の青年とか?
26世界@名無史さん:2006/09/11(月) 16:01:37 0
今でも一族の世代ごとに字を統一する習慣を守っているかな。
たくさん決めてあったはずだけど、それも使い切っちゃったら
誰が統一名前字を決めるんだ?
27世界@名無史さん:2006/09/11(月) 19:57:30 0
永・綿・エキ・載・溥・イク・恒・啓だったかな。

もう「恒」や「啓」の世代になってるだろう。
28世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:02:12 0
将来、現中国が内乱状態になった時に備えて
愛新覚羅家を確保しておこうと画策しているロシアとアメリカ。
帝政復古か、或いは東北部の分離独立の際の駒に使うのかは知らんが。
29世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:08:20 0
>>28
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 マジで?
30世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:18:56 0
嘘つきで姑息なチャンコロを支配しなきゃならんから大変だよね
31世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:34:52 0
仮に帝政復古しても大多数の漢民族が支持しないでしょ。
32世界@名無史さん:2006/09/12(火) 05:18:28 0
甘い ↑
33世界@名無史さん:2006/09/14(木) 19:23:29 0
実際、支持されなかったから張勲の復辟は失敗に終わった。
軍閥の権力闘争に嫌気がさしてても、今さら清王朝に復活してほしいなどと思う者は
少数の頑迷な遺臣くらいで、現実的な政治家や軍人はほとんどが支持しなかった。
34世界@名無史さん:2006/09/16(土) 16:25:20 0
タイとかビルマって、いつ頃まで清の朝貢国だったんだろうか。
あと、タイやビルマが朝貢するときは、やはり漢文で上表していたのかな。
35世界@名無史さん:2006/09/24(日) 13:27:19 0
科挙で選抜された官僚は復辟支持だったのでは?
36世界@名無史さん:2006/09/24(日) 17:55:02 0
溥儀の父、摂政王が親貴内閣を組織し、満州貴族で政権を独占しようとした時点で、
科挙官僚やその母体である漢人地主の大多数は清朝を見限った。
37世界@名無史さん:2006/09/24(日) 19:30:41 0
1860年代以降、曾国藩とか李鴻章といった漢人官僚が勢力を伸ばし、
清朝の実権を握るようになった。
こうした官僚は漢人地主である読書人階層の出身で、科挙は漢人地主が
官僚となり政治権力を握るための手段だったが、1905年に廃止された。

科挙廃止後は、これら漢人地主は地方議会の前身となる諮議局の議員などに
なることで政治的影響力を維持し、立憲制移行や国会開設を要求していたが、
溥儀の父摂政王は皇族や満州貴族で内閣メンバーを固め、かえって漢人地主の
政治参加の途を閉ざすような政策をとった。

これでは科挙官僚や読書人からの支持は期待できない。
38世界@名無史さん:2006/09/24(日) 20:15:59 0
満人貴族は、中華システムへの背信行為を行ったことで自らの首を〆たのだな
39世界@名無史さん:2006/09/24(日) 22:32:49 0
清の政治が安定したのは、漢民族に対する懐柔策と弾圧策を上手に使い分けたからで、
懐柔策の基本が科挙による人材登用や伝統文化の尊重だったからなあ。

科挙の廃止と近代教育への移行は時代の要請だからやむをえないにせよ、それに乗じて
漢民族の政治参加の機会を狭めるようなことをしたら、ただでさえガタガタだった体制も
ひっくり返ってもしょうがない。
40世界@名無史さん:2006/09/24(日) 23:35:41 0
漢人から見れば満州王朝も西洋列強の侵略も異民族による支配に変わりはない。
41世界@名無史さん:2006/09/25(月) 01:38:25 0
もう弁髪してる中国人は一人も存在しませんかー?
42世界@名無史さん:2006/09/26(火) 18:25:38 0
著名人で、もっとも遅くまで弁髪してたのは王国維あたりか。
清の廷臣でも、溥儀自身が弁髪を切ったあとはほとんど断髪してるはず。
43世界@名無史さん:2006/09/27(水) 13:21:30 0
ってことはもう一人もいないってことかw
44世界@名無史さん:2006/09/27(水) 14:36:50 0
ラーメンマンってのは清が滅亡して久しいあの頃にあの頭をしていたということは


リアル女真族?!
45世界@名無史さん:2006/09/28(木) 19:43:58 0
ラーメンマンが脇役だった「キン肉マン」は1980年代当時の現代が舞台だったが、
ラーメンマンが主役の「闘将拉麺男」は皇帝がいる過去の(架空の)中国が舞台。
46世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:09:56 0
しかも皇太子様は満州族の衣装を着てました
47世界@名無史さん:2006/09/29(金) 20:50:57 0
そういえば、ドラゴンボールの連中も満州族の衣装だな。
胴着の連中は別としても、亀仙人、鶴仙人、チャオズ、悟空の息子とか。
48世界@名無史さん:2006/09/29(金) 20:55:44 0
>>47
明代の服装なんて動きにくそうな事この上ないからな。アクション漫画にゃ向かないだろ。
49世界@名無史さん:2006/10/01(日) 17:16:13 0
ネルチンスク条約当時、清の軍事力はロシアを凌駕してたのか?
50世界@名無史さん:2006/10/02(月) 05:40:37 0
あのロシア軍が満州人ごときになんで負けたんだろう。
51世界@名無史さん:2006/10/02(月) 06:49:02 0
当時はスペインやイギリスがオスマントルコに戦々恐々としていた。
52世界@名無史さん:2006/10/02(月) 10:09:23 0
>>49
極東で戦ってたのはシベリアを荒らしまわっていたコサックです。
ピョートル大帝が大北方戦争に投入したような軍隊とはわけが違う。
>>50
この頃までにロシアが強かった時期なんてありましたっけ。
53世界@名無史さん:2006/10/03(火) 00:57:26 0
すまん、正規軍じゃなかったな。
野党の群れとかわらんよな。
54世界@名無史さん:2006/10/03(火) 09:14:38 0
>>50
コピペだが、シベリアのロシア軍はこんな感じ

157 :世界@名無史さん :2006/03/11(土) 14:40:48 0
シベリア、ヴェルホレンスク要塞の官吏からミハイル帝へ宛てた嘆願書より:

「閣下、どうか閣下の僕(しもべ)をお許し下さい。要塞には守備兵が二百名必要です。
 さらに、彼らのためにカービン銃200挺、甲冑200領、そして歩兵用にマスケット銃300挺を
 モスクワの帝室武器庫から送ってください。
  と申しますのは、閣下、沢山のブリヤートたちが甲冑に身を固めて要塞を攻めてきます。
 対する閣下の僕である私どもは、装備に乏しく、鎧もありません。
 また、私どもの貧弱な銃では、彼らの鎧に弾がはじき返されます・・・」

クラスノヤルスク城砦建設が1628年。この前後頃に書かれたのでしょうか。
55世界@名無史さん:2006/10/05(木) 18:17:24 0
>沢山のブリヤートたちが甲冑に身を固めて要塞を攻めてきます。

ブリヤートって、そんなに強かったのか?
清の支配下にも入ってない、辺境のはぐれモンゴル人ってイメージなんだけど。
56世界@名無史さん:2006/10/05(木) 18:47:44 0
バイカル湖周辺のブリヤート・モンゴル人は国家を形成しなかったの?
また、外モンゴルのハルハや清王朝と全く交渉がなかったのだろうか?

キリスト教徒で白人のロシアより仏教徒で北方騎馬民族の清王朝に親近感を
感じなかったのだろうか?
57世界@名無史さん:2006/10/06(金) 00:29:37 0
ブリヤートもチベット仏教信じてるからダライラマには親近感をもっている。
たまにダライラマが中国通り過ぎてモンゴル、ロシア地域の信者に会いに行く。
58世界@名無史さん:2006/10/06(金) 01:53:43 0
>>56
↓こちらのスレに詳しいですよ。

【北元から】その後のモンゴルを語ろう【革命まで】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119756439/l50
59世界@名無史さん:2006/10/07(土) 06:57:56 0
そういう状況なのにブリヤートが清の支配下に入らず、ロシアの支配下に入ったのは不思議だ。
なんで清はキャフタ条約でブリヤート地域をロシア領と認めたのだろう?
60世界@名無史さん:2006/10/07(土) 07:39:22 0
あんなトナカイの肉食ってるような連中、まともなモンゴル人が仲間にするはずもない
61世界@名無史さん:2006/10/07(土) 09:01:41 0
羊の肉とトナカイの肉に差別はあったんですかね?
昔のトゥヴァの住民の写真とか見るとひどく貧しげですが・・・

女真族が豚を飼い魚を食べているのを
モンゴルが馬鹿にしていたというのは聞いたことがある。
62世界@名無史さん:2006/10/07(土) 18:36:32 0
その貧しいトゥヴァも清の領土だったのに、清から放置されてたブリヤートって・・・

ヤクート人も仏教徒らしいけど、この連中もなんで清の支配に服さなかったのかな。
63世界@名無史さん:2006/10/07(土) 19:04:45 0
ネルチンスクのとき、清軍が北上してブリヤートもヤクートも征服すればよかったのに。
もしかして征服にも値しない辺境の蛮族と思われてたの?

乾隆帝もジュンガル討伐のついでに、カザフもブリヤートも併合すればよかったのに。
64世界@名無史さん:2006/10/07(土) 20:00:22 0
元の時代はバイカル湖周辺のブリヤートや現在のサハ共和国の一部も支配してたようだな。
65世界@名無史さん:2006/10/07(土) 22:26:56 0
北方民族のくせにモンゴル草原より北には食指が動かなかったのか?>清
66世界@名無史さん:2006/10/08(日) 08:42:45 0
乾隆帝って「十全老人」とか言ってるわりに、カザフもブリヤートもロシアに取られて、
たいしたことないなw
67世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:01:10 O
>>62
ヤクート人はシャーマニズム+ロシア正教だが
68世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:01:46 0
昔読んだ人物往来社の「東洋の歴史」の清の巻には清の朝貢国として、
おなじみの朝鮮やヴェトナム、シャム、ビルマなどに加えて、
ブハラ、ヒヴァ、コーカンドの3ハン国、アフガニスタン、ネパール、
琉球などが列挙され、サハリン北部まで含まれていた。
ところが最近の世界史の教科書の地図では3ハン国やアフガニスタン、
ネパールはもちろん、琉球すら清の朝貢国に色分けされてない。

これはどういうこと?
69世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:15:02 0
近世琉球は「日中両属」とはいえ、清の朝貢国であることに変わりはないのに、
地図中の清の朝貢国から省かれているのは納得いかない。

しかも世界史Bの本文の記述にすら、琉球は清の朝貢国の中に入っていないが、
これは文部科学省の検定の結果なのか?
70世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:29:54 0
>>68>>69
明の時代は琉球が朝貢貿易やってたってことは、教科書にもちゃんと書いてある。
明清通じて琉球王朝が中国に朝貢して臣下の礼をとってたことは事実だし、
島津の琉球支配もそれを利用して貿易の利益を入手することが狙いだったのに、
あえて清の朝貢国に琉球を書いてないというのは、名目より実態を優先したのか、
明治初年の琉球処分における日本側の立場を正当化するための伏線なのか・・・
71世界@名無史さん:2006/10/08(日) 23:00:09 0
知っていても利口な国民はだまっているよ。
72世界@名無史さん:2006/10/09(月) 09:09:19 0
そういうことをやってると、また中国から
「やめなさい」
と「厳命」されますよ。
73世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:04:10 0
>>68
ウィキで清の最大領域地図を見たら、3ハン国はもちろん琉球も朝貢国ではなかった。
教科書といいウィキといい、いまはこれがデフォなんだろうか。

「東洋の歴史(現・中国文明の歴史)」では3ハン国やアフガンまで朝貢国だったのに。
74世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:37:02 0
上の方で、なんで清がヤクートやブリヤートを征服しなかったのかという疑問があったが、
寒冷で貧しい満州から肥沃で温暖な中国本土を征服した満州族が、わざわざ自分の故郷より
気候のきびしい酷寒の土地を征服する意味などない。

何を好きこのんで永久凍土のヤクートなど征服する必要があるのだ。
75世界@名無史さん:2006/10/09(月) 15:24:11 0
逆に考えると、極寒のタイガやツンドラのシベリアを延々東に進んだロシアって凄いなw
76世界@名無史さん:2006/10/09(月) 15:39:31 0
>>75
黒テンのおかげだなw
77世界@名無史さん:2006/10/09(月) 23:01:03 0
中公新書の宮崎市定の「科挙」と三田村泰助の「宦官」は面白かったな。
後者は清末の宦官生き残りの写真がキモかったw
78世界@名無史さん:2006/10/10(火) 16:20:01 0
中国映画やドラマに出てくる宦官は、普通の中国人のおっさんという感じだ
けど、写真のはキモイよね。
79世界@名無史さん:2006/10/10(火) 17:33:18 0
>>78
いかにも「去勢された」って感じがするよね、あれは。
男でも女でもない不思議な生物と言うか。
80世界@名無史さん:2006/10/11(水) 12:13:40 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/
81世界@名無史さん:2006/10/11(水) 15:51:02 0
支那の歴代皇朝の領土って曖昧だよね。すくなくとも今のような西洋的な国境区分では分からないよね。
実相としては支那から搾取されているようで実は儲けている植民地(朝貢国)といった感じじゃない?支那皇帝に
朝貢したら10倍返しでしょ?いいなあ。
82世界@名無史さん:2006/10/11(水) 18:09:17 0
朝貢国というのは、中国と正式の外交関係をもっている国という意味で、植民地ではない。
シャムやビルマは清の朝貢国だが、別に清から支配されてたわけではない。

カザフの遊牧民とかウズベク系の3ハン国やアフガニスタンなども清に朝貢してたはずだが、
こういった国々は最近の教科書では朝貢国にすら含まれていない。
83世界@名無史さん:2006/10/14(土) 09:09:22 0
琉球はもちろん、対馬藩も清を頂点する冊封体制に包摂されてるね。
84世界@名無史さん:2006/10/14(土) 10:06:44 0
対馬の宗氏は清からみたら陪臣だな。

【天朝】大清皇帝
【直臣】朝鮮国王(清から冊封された朝貢国)
【陪臣】対馬宗氏(朝鮮から官職を与えられ臣従)
85世界@名無史さん:2006/10/14(土) 12:01:00 0
マカオのポルトガル人やイギリス東インド会社との交易も朝貢扱いだった。
長崎なんかも清から見れば属国の一海港だったんだろうな。
86世界@名無史さん:2006/10/15(日) 23:50:55 0
徳川将軍が明や清と国交を持たなかったのは、臣下扱いが恐かったからだろうな。
大明からの救援要請を蹴ったのも、受諾したら臣属国であることを認めることになる。
87世界@名無史さん:2006/10/16(月) 20:34:00 0
秀吉だって、朝鮮南部割譲と勘合貿易再開の要求が実現してたら、
嬉々として明帝の冊封を受けたものと思われる。

所詮、当時の日本はアジアの辺境の小国にすぎない。
88世界@名無史さん:2006/10/21(土) 08:04:06 0
江戸時代、日本にとって清は憧れの先進国。
89世界@名無史さん:2006/10/21(土) 08:51:57 0
>>88
しかし実態は以下の通り。

第11次朝鮮通信使節(1763〜1764)の一員だった金仁謙の日本紀行文、
「日東壮遊歌」金仁謙著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 より。

大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば 寂しい限りである」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
90世界@名無史さん:2006/10/21(土) 11:00:27 0
清朝復辟運動の一つ「明光帝国」に詳しい人いますか?
91世界@名無史さん:2006/10/21(土) 13:18:27 0
>>90
恭親王を擁立しようとした運動?

>>86-87
江戸時代になると冊封体制下にあった琉球を介して、明と貿易をするようになる。
満州族に制圧され掛かった明は徳川家光に援軍を求めたが、家光は断った。

江戸幕府及び天皇の日本の冊封体制における立場は曖昧なものであり続けたが、
名実共に冊封体制から離脱したのは明治維新以降と考えられる。
92世界@名無史さん:2006/10/21(土) 14:26:54 0
>>90
満洲事変の勃発後に大陸浪人と中国人の一部が
四民維持会という団体を立ち上げて恭親王を会長に担いで独立運動をやった。
恭親王もその気になって清朝の陵墓を祭ったりしたが、
軍は溥儀の擁立に決していたため、恭親王の活動は中止させられた。
これを聞いた溥儀は、恭親王が自分を差し置いて皇帝になろうとしているのでは
ないかとの懸念を抱き、結果的に溥儀の満洲行きを後押ししたともいえる。
恭親王は、野心はなかったと溥儀のもとに弁明しに行っている。
93世界@名無史さん:2006/10/21(土) 21:55:04 0
>>89日本の豪華な時代って秀吉の頃とバブルって感じだな。江戸時代ってなんども奢侈禁止令が出て
豪華さからいってつまらないイメージがある。でも負け組みで商業によって藩を盛り返そうとした
大阪なんかはやっぱり豪華絢爛だったのだろうか?
94世界@名無史さん:2006/10/22(日) 03:12:41 0
>>93
秀吉の時代は支配者が豪華だっただけ。徳川政権はその初期を除いて終始金のない
政権だったが、その分民間に資本が蓄積された。
秀吉は自分の欲望を具現化するばかりだったが、
徳川幕府は支配者としての節度を守り通した政権だと言っていい。

江戸期に既に全国的に高度な市場が形成されていた事、維新後、あんなにすばやく
日本資本主義が離陸した事の理由はそこにあるよ。

そりゃあ朝廷とその周辺のみにしか金の集まらない、清や朝鮮の体制カらきた人間が
江戸期日本を見れば驚くだろ。
95世界@名無史さん:2006/10/22(日) 08:53:04 0
日本ヲタの自画自賛か・・・
96世界@名無史さん:2006/10/22(日) 08:56:52 0
中国人朝鮮人の大げさな表現なうち
他のあらゆるものを蔑みあざ笑うくせに
日本に都合のいい部分だけは素直に額面通り受け取る
ピュアハート
97世界@名無史さん:2006/10/22(日) 09:34:03 0
>徳川政権はその初期を除いて終始金のない政権だったが、
文章に矛盾が・・・・
98世界@名無史さん:2006/10/22(日) 13:25:49 0
>>96
京都を見ての妄想
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり帝だ皇だと称し子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって礼節の国いものだ」

こんなこと書いてる人物の論評だから逆に信用できると思うのだが。
99世界@名無史さん:2006/10/22(日) 13:44:42 0
日本オタ、必死だな。
100世界@名無史さん:2006/10/22(日) 13:47:12 0
>>96
ウリナラマンセーにはかなわんよw
101世界@名無史さん:2006/10/22(日) 15:53:05 O
くん、くん、キムチ臭がするな
102世界@名無史さん:2006/10/22(日) 18:48:12 0
とりあえず、大清が康煕帝や乾隆帝のもと、アジアの先進国で経済大国だった頃、
日本はアジアの辺境の小国にすぎなかった。
103世界@名無史さん:2006/10/22(日) 18:59:02 0
当時には江戸城を作る国力があったんだろ?
当時の日本の人口が三千万程度で国土も狭い小国だった事を考えると、
紫禁城・タージマハル並の豪華な城を作れる日本は相当、国力があったと思うぞ。
清が大国である事は否定しないが国土が狭くまた人口も少ない小国が
江戸城を作れた事を考えると、相当、大きな国力を持っていたと思う。
104\____________/:2006/10/22(日) 18:59:54 0
      ∨
   |/-@-@-ヽ| ブツブツ・・・
   | . : )'e'( : . |
   ` ‐-=-‐
   /    \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
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||. .\\          \    ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
.    \\          \ /    ヽ.
.      \\         / .|   | |
.        \∧_∧   (⌒\|__./ ./
         ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
.         _/   ヽ          \  (     ) うわー、こっち見てるよ
105世界@名無史さん:2006/10/22(日) 19:16:57 0
このスレを荒らしたい人がいるようですね。
106世界@名無史さん:2006/10/24(火) 21:59:46 0
日本オタの仕業か。
107世界@名無史さん:2006/10/24(火) 22:03:37 0
なんかキムチ臭くてたまらん
108世界@名無史さん:2006/10/24(火) 22:20:34 0
>>96
チョンコロもチャンコロも基本的に自分を誇り他者を蔑むからな。
そのチョンコロが他者である日本を褒めているんだから信用していい。
まあ褒めたと言っても、それでも10倍くらい薄めてるんだろうけどなwww
109世界@名無史さん:2006/10/24(火) 23:09:57 0
朱子学の魔力だよ。
110世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:03:57 0
日本オタがどんなに威張ってみたところで、日清戦争直前でさえ、清の経済力が
日本を上回っていたのは周知の事実。
111世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:42:55 0
確かに江戸幕府の滅亡前後には徳川海軍が東洋一の海軍と言われていたのに、
洋務運動の結果、あっという間に清国海軍が日本を追い抜いてしまった。
112世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:49:28 0
清って外国に負けまくりじゃん。
英国、フランス、最後には日本に敗北するし。
秦、漢、晋、隋、唐なら未だしも、
清と日本を比較したら圧倒的に日本の方が強国だよ。
113世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:50:55 0
国土、人口共に下回っていた日本に敗北するなんて
清は強国では無いよ。
114世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:53:04 0
超大国は秦、漢、隋、唐だけであって、清は違うと思うな。
中華民国なんて日本軍相手に敗北しまくりだしな。
内戦と言うハンデが付いていたにせよ、
清/中国と日本とでは圧倒的に日本の方が上だと思う。
115世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:54:22 0
戦争が下手なフランス人相手に負ける清が大国だとは思えない。
116世界@名無史さん:2006/10/25(水) 19:05:05 0
徳川将軍って、清を目上の国として認めていたんだろ?
117世界@名無史さん:2006/10/25(水) 20:29:23 0
もちろん
118世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:32:28 0
>>114
漢と隋がいつ超大国になったんだ。
119世界@名無史さん:2006/10/26(木) 11:40:26 0
つうか唐だって驚くほど小さいぞ。面積的には。支那が大国だったのは秦と宋と元くらいじゃないの?
120世界@名無史さん:2006/10/26(木) 12:07:53 0
>>119
面積を問題にするなら元・清がトップだろう
121世界@名無史さん:2006/10/27(金) 02:49:44 0
>>115
世を愚弄する気か! by ナポレオン
122世界@名無史さん:2006/10/27(金) 02:53:15 0
>>121
お前コルシカ人だろうが。
123世界@名無史さん:2006/10/27(金) 07:21:58 0
ナポレオンは戦争に勝ったヒトラーに過ぎない
124世界@名無史さん:2006/10/27(金) 10:11:50 0
それは言いすぎだろう。

ナポレオンには会戦が終わったあと敵味方問わず負傷者は収容して
治療せよと命令するだけのヒューマニズムはあった。
125世界@名無史さん:2006/10/27(金) 10:15:24 0
勝った側はなんとでも「自分で」言えるが、負けた側はああだこうだと「他人に」言われるだけ。
126世界@名無史さん:2006/10/27(金) 19:22:19 0
アウシュヴィッツ収容所は結婚式が許され、医療施設を無料で利用出来、飛び込み台付き遊泳プールまであり看守の殆どがユダヤ人だった不思議
127世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:36:38 0
渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
明治維新のときのようです。

明治維新のときというと中国は女真族の「清」であり、また「明」は漢民族でありはしたものの
皇帝の出自から周辺国で中華としての正統性が疑問視されたようです。
それで、本当の中華を受け継いでいる国は我が国だと言いはじめたのが「小中華思想」ですが、
この小中華を唱えた国の中には当然朝鮮もいますが、日本もいます。
倭の王というのは朝貢冊封されてますし、遣唐使とかも朝貢です。
聖徳太子の手紙は有名ですが、決別したわけではない。
足利将軍義満も日本国王という権威付けをしてもらっている。
その前の南北朝時代は南朝が日本国王。
朝貢冊封というのは、属国になるというものではないのです。
皇帝から王として認められ権威づけする。貢物をしていますが、
それ以上に中国からもらって帰るということでもあり貿易関係という意味もあった。
128世界@名無史さん:2006/10/29(日) 21:36:35 0
長崎の孔子廟の祭りは清朝のときの礼装でやるからめちゃくちゃカッコ悪い
佐賀の多久にある孔子廟でやる祭礼は明?というかちゃんとした中国伝統の服装でやるから
地味だけど大変格調が高い
129世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:04:33 0
>>128

長崎は在日中国人も参加するからじゃないの?
130世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:09:19 0
湯島の孔子病は羊とか殺さないな。
ああいう、ブタ以外の家畜を生贄にする儀式こそ、支那の原風景だと考えている。
131世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:30:25 0
服装は朝鮮の方が明のものを忠実に受け継いでいるから支那よりもマシ
132世界@名無史さん:2006/10/30(月) 00:50:49 0
>>128
清朝の礼服を馬鹿にするな
133世界@名無史さん:2006/10/30(月) 19:56:40 0
>>127サイコパス支那共産党の宣伝か?歴史板でよくもまあそんなデタラメ歴史を語れるな。
134世界@名無史さん:2006/10/30(月) 20:21:20 0
渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
明治維新のときのようです。
135世界@名無史さん:2006/10/30(月) 20:30:24 0
朝貢問題の話題になると賑わうのが清朝スレ(中華王朝スレ全般)の
特徴だな。
136世界@名無史さん:2006/10/30(月) 22:54:07 0
レス先を間違えたので、コピペ。

17 :世界@名無史さん :2006/10/29(日) 23:40:09 0
>渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
>日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
>歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
>明治維新のときのようです。

江戸時代からだと思われ。


18 :世界@名無史さん :2006/10/29(日) 23:45:05 0
明確に抜けたのは明治。実質は江戸か。


19 :世界@名無史さん :2006/10/30(月) 20:25:48 0
>聖徳太子の手紙は有名ですが、決別したわけではない。
>足利将軍義満も日本国王という権威付けをしてもらっている。
>その前の南北朝時代は南朝が日本国王。
> 朝貢冊封というのは、属国になるというものではないのです。

決別してるとおもうが。
以後、歴代の天皇で中国から「冊封」うけたの居ない。
中国年号つかって国書を中国に送った天皇いない。

歴代の室町将軍も、正規の国使おくると、差出人とか元号とか国書とか
問題になるから、坊さんをおくる。
137世界@名無史さん:2006/10/30(月) 23:47:48 0
中国人の画家が江戸時代の大阪を見て「ここは楽園だ」とか言ってた。
この話には続きがあって「日本人のくせに楽園を築くとは生意気だ」
みたいなことも言ってた。

例えそのうち中国が崩壊しても天皇は謙虚な姿勢で中国に接するよ。
反日しててもODAもあげちゃう。ODA貰っても反日をする。
それが日本人の性格であり、中国人の性格。そしてそれが国力のイメージである。
だから眠れる獅子なんて呼ばれてた。

彼らの優越にツッコミを入れたら
近年みたいに暴れだすからそれでも別にかまわないけど。
138世界@名無史さん:2006/10/31(火) 00:21:05 0
>中国人の画家が江戸時代の大阪を見て「ここは楽園だ」とか言ってた。
>この話には続きがあって「日本人のくせに楽園を築くとは生意気だ」
>みたいなことも言ってた。

ソースきぼん
139世界@名無史さん:2006/11/01(水) 19:54:26 0
全盛期の清が今のアメリカ並みの超大国だったのは事実
清全盛期の北京はどんな都市だっんだ?
潜ってもなかなか良いサイトを見つけられない。

140世界@名無史さん:2006/11/05(日) 10:33:02 0
対馬藩は朝鮮の臣下だったから、琉球以外にも日本の一部が冊封体制に入ってるんだよな。
141世界@名無史さん:2006/11/05(日) 10:44:12 0
朕の臣下の臣下は朕の臣下ではない。
142世界@名無史さん:2006/11/05(日) 16:15:04 0
143世界@名無史さん:2006/11/12(日) 09:25:44 0
昨日、NHKの番組で、麗江の豪族の「木府」というのが紹介されたいた。
13世紀から18世紀にかけて、木氏は麗江の支配者として君臨していたそうだが、
18世紀までということは改土帰流で土司の世襲的地位を奪われたということか?
144世界@名無史さん:2006/11/14(火) 10:43:29 0
改土帰流の対象になったのは西南部の異民族の豪族だけ?
145世界@名無史さん:2006/11/14(火) 15:38:42 0
麗江の領主は、チベットの史書には「ジャン王」として登場。
最盛期にはチベットの東南部(カム地方の南部)まで掌握したが、
17世紀半ば、広大な属領をグシ・ハン王朝に没収され、さらに
自分自身もグシハン王朝に隷属。
雍正年間(18世紀)に、清朝がグシ・ハン一族のチベット諸侯へ
の支配権を召し上げたとき、麗江の領主はカム地方南部への支配
権を主張したが、取り合ってもらえず、麗江だけの小領主のまま
清に服属した。
146世界@名無史さん:2006/11/14(火) 15:50:30 0
それ、朝鮮人じゃない?
エンコリに出てたよね。
147世界@名無史さん:2006/11/14(火) 22:36:43 0
土司制度って面白いよね。
148世界@名無史さん:2006/11/15(水) 17:10:26 0
結局、土司というのは18世紀に消滅?
それとも地元の名士みたいな形で清の流官とは別に、民国期まで存続したのだろうか?
149世界@名無史さん:2006/11/15(水) 18:46:21 0
有名なシーサンパンナでぐぐってみた。

内政は従前のまま、歴代の王が清朝、中華民国より土司の称号を受けて
名目上中国に属するという状態が継続した。1956年、中国人民政府の
もとで行われた社会改造により、従来の国家組織が解体され、王国は滅亡、
タイ族の自治州が設定されることとなる。
150あぼーん:あぼーん
あぼーん
151世界@名無史さん:2006/11/16(木) 14:50:33 0
>>140
倭館に出入りする商人は形式的に李朝から位を貰っていたけれど、
対馬藩主は朝鮮の位階を得ていないよ。
152世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:00:23 0
倭館で対馬の役人たちが朝鮮国王の肖像画に土下座して拝礼していたのは有名。
153世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:05:08 0
歴代朝鮮国王の肖像画って全員揃ってる?

端宗とか燕山君のは全部回収、焼却されていそうだな・・・。
154世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:19:12 0
2006年にもなってまだあぼーんされるようなレスをつける池沼がこのスレにいるのかw
155世界@名無史さん:2006/11/19(日) 19:39:43 0
清国というか中華皇帝にきた外交使節はすべて朝貢扱いなんだよ。

そういう建前で成り立っているのが中華文明なんだからそっとしておいてやれよ。
実態は弱いんだから

156世界@名無史さん:2006/11/19(日) 21:02:21 0
キモイ
157世界@名無史さん:2006/11/20(月) 18:01:21 0
アヘン戦争で負けるまでは別に弱くなかったのでは?
158世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:23:11 0
いや、弱いよ、なに言ってんの?漢代からすでに異民族の武力に脅かされてきたし、宋代のときは
騎馬民族に「親子」の礼をとって服従している。もちろん、子は中原の国家。蛮族(異民族)ってのは
文化がないから戦争に強いんだよ。慣習や習俗にとらわれない、ある種合理的な考えができるから。
イギリスなんて文化砂漠だけど、戦争にはめっぽう強いだろ?それと同じ。中つ国の勢力はその逆に
戦争に弱い。
159世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:30:10 0
中華王朝は異民族のメドレーーリレーだから。
160世界@名無史さん:2006/11/21(火) 02:23:00 0
>>158
157はその騎馬民族王朝の話をしてるんじゃないのか
161世界@名無史さん:2006/11/21(火) 15:28:58 0
ああ、そうか。飢えた異民族は一度中原に居をすえると瞬く間にブタになってしまうらしいな。
最初は気合の入った武断皇朝なのに、中原を手にしたとたん、ふにゃチンになる。これは欧州の
バイキングなんかも同じだよね。定住したとたん、武力的にはダメになる。
162世界@名無史さん:2006/11/25(土) 18:28:31 0
清の支配領域を同心円状に描いたり、東南の弦月と西北の弦月に分ける説があるが、
あれって正しいの?
163世界@名無史さん:2006/11/26(日) 11:47:41 0
>清の支配領域を同心円状に描いたり

中央→土司・土官→藩部→朝貢→互市 と広がっていく図式だが、
日本の長崎貿易は「互市」に相当するのか?
164世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:16:57 0
長崎貿易の中国商人向け法令を「海舶互市新例」というくらいだから、互市なのかな。
165世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:22:22 0
>>161
漢人曰く、武力で征服されても文化では常に征服してきたと…
日本でも武士が都に上ると、公家化してしまったりするからね

166世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:54:27 0
漢人は弱いな
167世界@名無史さん:2006/11/27(月) 17:49:02 0
満州八旗も役立たずの腰抜けになったわけだが
168世界@名無史さん:2006/12/02(土) 02:23:21 O
後半の説が今は主流のようだよ。前半のものを手直しする感じで後半の説がでてきたはず。
169世界@名無史さん:2006/12/24(日) 18:51:09 0
あげ
170世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:20:13 0
清の冊封体制下の順位では琉球国王が朝鮮国王より上位であった、つーことは
天皇>徳川将軍>薩摩藩主>琉球国王>朝鮮国王
というヒエラルキーでいいのかな?
171世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:55:09 0
そもそも徳川幕府って清の冊封体制下に入ってないし
172世界@名無史さん:2006/12/27(水) 00:54:14 0
いや、其の前に琉球も朝鮮も実質的には天皇の冊封なんざ受けてないので
こっちがどうおもってようが、あちらさんは全く正反対のことを考えてる可能性すらあんべ
更にいうなら薩摩藩の立場から言えば、形式上は幕府に従ってるわけだが、実質的には
天皇が上位者であって幕府と同等だと思ってるやもしれんわな
173世界@名無史さん:2007/01/12(金) 20:21:01 0
李舜臣忠武公>>>倭奴>>>北洋水師
174世界@名無史さん:2007/01/18(木) 20:17:01 0
1757年に乾隆帝が貿易港を広州一港に限定したという話は高校の世界史で必ず出てくるが、
不思議なことに限定以前に開かれていた、その他の港はどこを探しても書いていない。

清は明ほど厳格な海禁策を取っていなかったということは、いちいち特定できなほど、
中国沿岸のどの港でも外国貿易が行われていたと考えてよいのだろうか?
それとも、南京条約で開港された上海、寧波、福州、廈門が開かれていたのだろうか?
175世界@名無史さん:2007/01/19(金) 19:58:47 0
確かに広州以外の貿易港ってマカオくらいしか思いつかない。
176世界@名無史さん:2007/01/20(土) 12:46:24 0
>限定以前に開かれていた、その他の港はどこを探しても書いていない。
なぜか世界史関係の本やネットで検索しても、どこにも書いてないんだよな。

>いちいち特定できなほど、
>中国沿岸のどの港でも外国貿易が行われていたと考えてよいのだろうか?
本当にそうなのか?
177世界@名無史さん:2007/01/20(土) 22:55:28 0
清代の福州が琉球船の窓口で琉球館の所在地だったことは知ってるが、
西洋船が広州やマカオ以外に来てたという話は聞いたことないな。
178世界@名無史さん:2007/02/21(水) 18:29:13 0
朝鮮を植民地にしなかったのはさすがだな
奴隷として生かさず殺さず
沖縄より低い官位とは
179世界@名無史さん:2007/02/21(水) 20:10:56 0
実は、もともと広州やマカオ以外の港は外国船など来てなかった。
広州1港に限定なんていっても、それ以前の他の港の名がどこにも出てこないのが証拠。
180世界@名無史さん:2007/02/25(日) 16:32:20 0
18世紀に広州以外の貿易港ってホントになかったの?(マカオ除く)
181世界@名無史さん:2007/02/25(日) 17:02:54 0
>漢人曰く、文化では常に征服してきたと

清朝は言語は漢語を採用したが、
辮髪や服や風俗習慣など漢人が
むこうの習俗に同化されたのであって、その逆ではない。

英国支配地ではイギリス式の名前、洋服、言語など
イギリスの文化習慣が普及。
182世界@名無史さん:2007/03/01(木) 21:25:48 0
広州一港に限定なんて言っても、本当はもともと広州にしか外国船は来てなかったんだろ。
183世界@名無史さん:2007/03/04(日) 11:34:36 0
なかなか広州限定以前の貿易港について明快な回答のできる識者が現れないな。
所詮、世界史板住人もこの程度か・・・
184世界@名無史さん:2007/03/05(月) 18:17:47 0
呉三桂て軍事面に関してはすごくないですか? 
185世界@名無史さん:2007/03/05(月) 20:42:33 0
しかし、北京が李自成に取られたくらいで、簡単に満州族を引き込むなよ。
186世界@名無史さん:2007/03/10(土) 19:48:51 0
呉三桂は漢民族を見限ったのか、それとも女真人をうまく利用できると思ってたのか?
187世界@名無史さん:2007/03/11(日) 00:35:06 0
自分さえよければいいと思ってたんじゃない?
188世界@名無史さん:2007/03/11(日) 16:36:38 0
呉三桂は、死ぬタイミングがすばらしい
こういう人いるよね。
189世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:49:07 0
呉三桂がいなければ清が発展することもなかっただろう
190!疑問に答えます!:2007/03/12(月) 15:02:34 0
>1757年に乾隆帝が貿易港を広州一港に限定したという話は高校の世界史で必ず出てくるが、
>不思議なことに限定以前に開かれていた、その他の港はどこを探しても書いていない。

広州・漳州・ニンポー・雲台山(江蘇の連雲港)プラスにマカオの5つです。
191!疑問に答えます!:2007/03/12(月) 15:03:48 0
↑出典は
『図説中国文明史 第十巻』 創元社でした
192世界@名無史さん:2007/03/12(月) 18:05:53 0
ありがたや!

でも、ニンポーとかマカオとか有名な港なのに、なんで広州限定以前の外国貿易の港として
ちゃんと整理して世界史教科書に書かないんだろう。
唐突に「広州一港に限定」なんて書かれても、その前はどこが開港してたのか書いてないと、
初心者や高校生には全然わからないんだが・・・(ニンポーとかマカオとか想像はつくけど)
193世界@名無史さん:2007/03/12(月) 20:33:11 0
>>192
それはきっと、大学の先生も真面目に調べてないから教科書に載せないんだよ☆
194世界@名無史さん:2007/03/13(火) 19:13:25 0
列強が中国の植民地化を諦めたのは義和団の乱以降?
195世界@名無しさん:2007/03/13(火) 20:19:50 0
ばーか。「ミッチェル報告書」ってものをよく読みな。アロー戦争の頃からとっくにあきらめていたよ。
196世界@名無史さん:2007/03/13(火) 20:54:29 0
1997年に正式に返還されるまで。
197世界@名無史さん:2007/03/13(火) 21:53:23 0
乾隆帝がビルマに侵攻したのは
ヒスイを手に入れるためというのは本当?
198世界@名無史さん:2007/03/13(火) 22:08:35 0
愛新覚羅まお とかってAVに使えそう
199世界@名無史さん:2007/03/13(火) 22:28:19 0
中国の植民地化を諦めた時期

フランス→アロー号事件
イギリス→義和団事件
ロシア→日露戦争
日本→太平洋戦争
200世界@名無史さん:2007/03/13(火) 22:34:51 0
>>192
多すぎて書けないから
201世界@名無史さん:2007/03/14(水) 05:09:13 0
ロシア→日露戦争
諦めたっていうより日本に阻止された
奪われたってのが正しいな
202世界@名無史さん:2007/03/18(日) 16:54:16 0
>>197
ビルマで採れる翡翠は硬玉で、天山一帯からもたらされる翡翠は軟玉
だった気がする。
203世界@名無史さん:2007/03/22(木) 20:41:54 0
>>197
十全老人と号したわりに、十全の武功の内実はショボイものばかり。
勝ち戦ではなく、明らかに失敗した遠征まで「十全」の一つに数えてるのは負け惜しみなのか、
それとも天然なのか・・・
204世界@名無史さん:2007/03/23(金) 15:34:49 0
女真ってカスなの?
205世界@名無史さん:2007/03/23(金) 19:18:07 0
カスでは300年近く数億の民に君臨はできんだろ。
206世界@名無史さん:2007/03/23(金) 20:54:03 0
>1
関係ないアメリカなんか持ち出すより、
チベットやウイグル弾圧しまくりで
テロと暴動招いてる中国こそ、清国を見習うべきだって修正しろよ。
207世界@名無史さん:2007/03/23(金) 23:57:40 0

中国・清王朝の祖先は我が民族だった、すべて我が民族の歴史だった
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1174653579/
208世界@名無史さん:2007/03/24(土) 00:12:13 0
清国の文学が知りたい。
209世界@名無史さん:2007/03/24(土) 00:26:51 0
金の勃興の功労者
秦檜
趙佶
童貫

清建国の功労者
李自成
朱由検
呉三桂
尚可喜
210バカチンポ:2007/03/24(土) 10:21:41 O
金玉勃起のソーロー射
多田野数人 アッー!
211世界@名無史さん:2007/03/24(土) 17:01:57 0
呉三桂ぐらい自力で殺せ
212世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:13:13 0
「夷をもって夷を制す」
これってどこの国でもやっていることだよな
213世界@名無史さん:2007/03/25(日) 00:02:16 0
大日本帝国はしなかったよ
214世界@名無史さん:2007/03/28(水) 16:58:14 0
霧社事件のとき、挙兵した高砂族を討伐するため、味方する高砂族に同士討ちさせてるがな。
215世界@名無史さん:2007/03/28(水) 17:02:54 0
>>「夷をもって夷を制す」
政治の基本戦略だよね
216世界@名無史さん:2007/03/28(水) 20:11:12 0
驅逐韃奴,恢復中華----孫文
217世界@名無史さん:2007/03/28(水) 23:17:04 0
>>214
同士討ちというか、対立部族を使ったって奴だな。
部族単位の社会であり、村々で争っていたんだから、高砂族といっても一枚岩じゃあなかったよ。
対立部族は嬉々として日本に従ったんだからさ。
218世界@名無史さん:2007/03/28(水) 23:43:56 0
日清日露から併合まで
韓国の一進会の連中を良く使ったな。

つーか嬉々として日本に従う連中のほうが多数派だった。
219世界@名無史さん:2007/03/29(木) 11:27:31 0
いまも嬉々としてアメリカに従うウヨ・保守が多い、どこぞの国のようだな。
220世界@名無史さん:2007/04/06(金) 19:18:05 0
冊封体制華やかなりし時代も、アジアの国の多くは嬉々として清朝に従っていた。
最後まで冊封体制の枠に入らなかったトクガワジャパンは異端児。
221世界@名無史さん:2007/04/06(金) 19:42:23 0
>>201
モンゴルの後継者だと俺が見ているロシアなら中華征服という偉業をやってくれたかもな。
222世界@名無史さん:2007/04/08(日) 07:14:02 0
江戸時代の日本の周縁部である琉球、対馬、サハリンは冊封体制に包摂されていた。
223世界@名無史さん:2007/04/08(日) 07:27:08 0
琉球=清の朝貢国

対馬=清の朝貢国である朝鮮に臣礼を取る

サハリン=北部の先住民が満州の清朝官吏に朝貢
224世界@名無史さん:2007/04/14(土) 16:49:27 0
>>221
むしろロシアはモンゴル系の国々を滅ぼしながら
発展していったんだが
225世界@名無史さん:2007/05/01(火) 19:47:39 0
雍正帝には、西洋風(ルイ14世風)のカツラをかぶった肖像画もある。
226世界@名無史さん:2007/05/01(火) 20:10:19 0
>>224
でもロシア自体白いモンゴルといって問題ないような
発祥だったと思うがな
モンゴルの系譜の貴族もいたしロシアのツァーリにしてから
モンゴルの汗から引き継いだ側面があるし
227世界@名無史さん:2007/05/01(火) 20:24:11 0
中野美代子『乾隆帝』(文春新書)読んだ人いる?

一通り読んだけど、乾隆帝の伝記ではなくて
乾隆帝の宮廷芸術を通じた政治思想について語った書物だった。
好き嫌いが分かれると思う。
228世界@名無史さん:2007/05/01(火) 20:26:43 0
モスクワ大公国のイワン4世が
ツァーリ(皇帝)を名乗ったのは
東ローマの継承者を意識したのでは
229世界@名無史さん:2007/05/01(火) 21:01:06 0
>>227
政治的イコノグラフィー、トポス、ウィルダネス、ジョホール、ザナドゥー、ボルヘス。
相変わらずの中野節満開で面白かった。唯我独尊です。中華帝国(セレスシャル・エンパイア)
姜舜源が「二十五意不在中野」とか反論しても、意に介さないだろうなwwwww
230世界@名無史さん:2007/05/02(水) 11:15:39 0
>>228
その同じイワン4世は、ジュチ家末裔のサイン・ブラトから帝位を譲り受けている。
詳しくは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
ウィキペディア「シメオン・ベクブラトヴィチ」
231世界@名無史さん:2007/05/02(水) 13:20:30 0
>>230
その禅譲された「帝位」というのは「全ルーシのツァーリ」の地位か
それとも「カシモフのツァーリ」の地位か?

それによってまったく話は異なってくるんだが
232世界@名無史さん:2007/05/02(水) 23:41:10 0
第一のローマは異教によって滅び、
第二のローマであるコンスタンティノープルは
異教を受けれいれたため天罰が下った。
第三のローマはモスクワが担う。
第四はあり得ない
233世界@名無史さん:2007/06/04(月) 20:15:50 O
其ノ四 【誰だ!?】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176597949/       
↑ここに清に詳しい方の援護求む。
234世界@名無史さん:2007/06/10(日) 10:41:36 0
蒙古八旗の旗人ってハルハやチャハルのモンゴル王侯と同じ?
満州人って全員旗人になって中国本土に移住したの?
235世界@名無史さん:2007/06/11(月) 08:13:06 0
徳王とかも蒙古旗人?
236世界@名無史さん:2007/06/11(月) 18:12:46 0
中華民国は、清が滅んだあとも清朝時代の爵位封号を蒙古王侯に与えているが、
これは共和制国家としてはおかしいんじゃないのか?
237世界@名無史さん:2007/06/21(木) 19:34:53 0
満州人は全員旗人になるの?
満州人はすべて、日本で言えば旗本・御家人のような存在になったの?

蒙古旗人は、さすがに内外蒙古に住む全てのモンゴル人ではないと思うけど、
清から爵位をもらってた王侯たちは全員旗人だったの?
238世界@名無史さん:2007/06/21(木) 21:28:39 0
旗人の末裔って、いまはみんな「満族」に登録されてるのか?
漢軍八旗の子孫でも「満族」?
239世界@名無史さん:2007/06/22(金) 21:14:42 0
ホントに清に興味あるヤツっていないんだねw
240世界@名無史さん:2007/06/23(土) 10:32:08 0
レスを重複スレに張り間違えてるぞ。そもそも、こっちでの質問だろ、ゴラァ!

68 名前:. :2007/06/22(金) 22:58:06 0
旗人は「満族」に登録するのが多いな。



69 名前:世界@名無史さん :2007/06/23(土) 05:35:42 0
出世の為に金玉差し出す奴がいるくらいだもの。
蒙古風に名前を変えたり、満族風に名前変えたり、英国風に名前変えたりするのなんてどうということは無い。


70 名前:. :2007/06/23(土) 07:45:52 0
>蒙古旗人は、さすがに内外蒙古に住む全てのモンゴル人ではないと思うけど、
>清から爵位をもらってた王侯たちは全員旗人だったの?

「蒙古旗人」は、モンゴル人のうち、清の入関前に清に服属していた連中限定。
爵位もらっていたのは、トップクラスの若干名。
241世界@名無史さん:2007/06/23(土) 10:37:38 0
近代中国好きは質問するばかりで自分では本読まないんだよ。
242世界@名無史さん:2007/06/24(日) 12:36:11 0
清の爵位って「一等侯爵」とかわけのわからんのが多いな。
「軽車都尉」なんてのも、爵位というけど下級士官みたいだし。
243世界@名無史さん:2007/06/24(日) 17:01:22 0
溥儀の奥さんのエン容って、仲間由紀絵か遠藤久美子みたいな顔してるね。
244世界@名無史さん:2007/06/24(日) 19:17:34 0
>>223
倭館に出入りする日本人は朝鮮の役位を貰っていてその役位に相応の儀礼を以って応じた
けれども、別に、対馬藩が朝鮮に属していたり臣従したりはしていない。
対馬が朝鮮に臣従して清国の冊封体制に組み込まれていたというなら、同じく、長崎奉行から
役位を貰っていた出島の商人の存在を以って、オランダが幕藩体制下にあったということに
なるでよ?

日本からの視点では、幕府の要求に従って遣使を出す朝鮮は朝貢国であり、朝鮮国まるごと
対馬藩の支藩だよ。
245世界@名無史さん:2007/06/24(日) 19:25:36 0
対馬藩が朝鮮王朝から官職をもらって、相応の礼をはらっていたというのは、
対馬側が朝鮮王を対馬藩主の上位者と認めた上でのことだが、
通信使の派遣に関しては、朝鮮王朝側は日本への朝貢なんて意識は毛頭なく、
幕府からの国書も対等の礼でもって書かれている。
246世界@名無史さん:2007/06/24(日) 21:14:17 0
朝鮮の官位を貰っていたのは、対馬藩主ではなく、倭館に出入りする商人だよ。
247世界@名無史さん:2007/06/24(日) 22:51:42 0
住友か
248世界@名無史さん:2007/06/27(水) 18:56:55 0
草梁倭館には対馬藩の役人が滞在してたし、彼らは朝鮮王の画像に平伏する儀礼を
強要されていた。

建物の正面に掲げられた王の画像の左右に朝鮮側の役人が居並び、庭から拝礼のため
土下座している和装の対馬藩士たちの姿が当時の絵に描かれている。

対馬と朝鮮の間には「清朝皇帝→朝鮮国王→対馬島主」という君臣関係が存在しており、
対馬も清朝皇帝を中心とする冊封体制の中に包摂されていたことは間違いない。
249世界@名無史さん:2007/06/27(水) 22:00:06 0
「四つの口」というのは、日本にとって中華世界との接点でもあるんだな。

長崎 清国商人が来航
琉球 琉球王国が清に朝貢
対馬 対馬藩が朝鮮に臣下の礼をとる
蝦夷 アイヌがサハリンと交易
   (サハリン北部の先住民が清の出先役人に朝貢)
250世界@名無史さん:2007/06/28(木) 05:13:46 0
徳川幕府そのものは冊封体制の枠外だが、
対馬・琉球・蝦夷(カラフト)は冊封体制の周縁部。
251世界@名無しさん:2007/06/28(木) 12:47:52 0
 清朝は、末期以降の出鱈目な時代になってからが面白い。
252世界@名無史さん:2007/06/28(木) 18:45:28 0
宣教師ブーヴェの『康熙帝伝』は康熙帝をヨイショし過ぎだと思う。
253世界@名無史さん:2007/06/28(木) 19:04:39 0
日本では康熙・乾隆は名前だけ先行してて、その実態がよく知られていない。
西太后や溥儀とはえらい違いだ。
254世界@名無史さん:2007/06/28(木) 19:46:27 0
康煕・乾隆の間の雍正は地味すぎて
その存在すらたまに忘れられる。
255世界@名無史さん:2007/06/28(木) 20:01:44 0
>>253 貴殿が知らないだけ
256世界@名無史さん:2007/06/29(金) 18:51:11 0
いや、平均的な普通の日本人は康熙・乾隆の業績なんか知らないよ。
せいぜい「清の皇帝にそんなのがいたなあ」くらいの知識しかない。

そもそも平均的日本人の中国史の知識は古代と近現代に偏ってるから、
清の歴史なんてアヘン戦争以前はほとんど知られていない。
257世界@名無史さん:2007/06/29(金) 19:18:43 0
>>254へのレスを、わざわざ他のスレ(後発の重複スレ)に書いてる奴はどういうつもりなんだ?
   ↓ 
75 :院生B:2007/06/29(金) 00:21:23 0
雍正帝の事績については、宮崎市定御大が新書で伝記書いていて、
日本人にとっては、歴代清朝皇帝のなかでも、よく知られているほうだ。
258世界@名無史さん:2007/06/30(土) 12:07:01 0
宮崎市定自体、業界人と中国史ファンの間では大家であり有名人だが、
一般世間ではほとんど無名に近い・・・

まして雍正帝なんて・・・
259世界@名無史さん:2007/06/30(土) 13:31:51 0
世界史の授業で聞いたことがあるかないかって程度だな。
260世界@名無史さん:2007/06/30(土) 13:42:41 0
世界史Bじゃ軍機処の設置、世界史Aじゃ康熙・乾隆とならべて名前だけ。
まあ、テストで覚えてもすぐ忘れるな。
261世界@名無史さん:2007/06/30(土) 14:28:19 0
結局朝鮮人ってのは、頼るとなったら志那が絶対の存在だということはよくわかった
262世界@名無史さん:2007/06/30(土) 14:39:31 0
康煕帝 くそ真面目、ええかっこしい
雍正帝 くそ真面目、独裁者
乾隆帝 万能の天才のお坊ちゃま
263世界@名無史さん:2007/07/01(日) 10:32:46 0
むこうのスレで、宮崎が有名人みたいに言ってる馬鹿がいるけど、
中国史を専門にやってる人間や中国史にかなり関心のある人間ならともかく、
高校世界史ていどの知識しかない一般人や劇画三国志レベルの知識の人間が
イチサダの本なんか読むかよ。

さすが、院生を自称するだけあって狭い学者ムラ世界の価値観だなw
264世界@名無史さん:2007/07/01(日) 10:41:27 0
学者や中国史マニアの中では有名

一般人(そこいらの主婦やOL、ギャルなど含む)には無名
265世界@名無しさん:2007/07/01(日) 11:38:00 0
っていうか、中国の歴史を王朝、皇帝の名前で区切って理解する発想は、もう古いんじゃないでしょうか。
266世界@名無史さん:2007/07/01(日) 14:28:37 0
ではどのように区切ればよろしーか御提案をどんぞ、↓
267世界@名無史さん:2007/07/01(日) 16:42:51 0
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/103347681

これ、誰か興味ある香具師落札してみなよ。 
竜の刺繍の時点でおそらく舞台衣装の類だろうけど。
スタートが二千五百円だったのに、昨晩からいきなり上がったから、
やってらんね。
268世界@名無史さん:2007/07/02(月) 07:13:08 0
そういえば、清の役人の装束は、デレンの満州仮府から北サハリンの先住民を経て、
アイヌの手に渡って「蝦夷錦」と呼ばれていたな。
269世界@名無史さん:2007/07/02(月) 07:51:31 0
67 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 20:50 ID:2eND/MiJ
稚内とサハリンの距離ってどのくらいですか?
アイヌが頻繁に往来や交流できる距離ですか

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 22:50 ID:S5jJ3LJA
およそ40kmです。冬季はアイヌのカヌーでは厳しかったけど、
頻繁に往来してました。清朝の官服であった蝦夷錦は満州〜
山丹人〜樺太アイヌ〜北海道アイヌを経て遠く京都まで運ばれた。
270世界@名無史さん:2007/07/03(火) 21:28:58 0
ということは、サハリンはやはり清の領土か。
271世界@名無史さん:2007/07/04(水) 05:04:15 0
>>270
ペルシア瑠璃は中国を通って正倉院に運ばれたけど、中国はペルシアの領土かよ?
272世界@名無史さん:2007/07/05(木) 18:36:37 0
サハリン北部の山丹人はアムール河口のデレンの満州仮府に入貢してるから、
ネベリスコイ海峡あたりのサハリンは清朝の版図と言えなくもない。
273世界@名無史さん:2007/07/06(金) 01:42:24 0
御歳暮やら御中元もってくる奴は、皆身内なのか?
274世界@名無史さん:2007/07/06(金) 07:04:51 0
入貢ってお中元なの?
275世界@名無史さん:2007/07/06(金) 20:34:22 0
間宮林蔵が北サハリンのナニオーとかノテトとかラッカを探検したとき、
そのあたりの連中は清と直接接触はしてたが、日本とは何の関係もなかった。

やはり、北サハリンは清の縄張りだな。
276世界@名無史さん:2007/07/06(金) 21:26:38 0
李王家…準皇族扱い
偽満皇帝…完全な傀儡で、日王をはじめ日本からバカにされまくっていた
277世界@名無史さん:2007/07/07(土) 09:00:50 0
釣りはいいから。
278世界@名無史さん:2007/07/07(土) 18:41:07 0
街中にある「満州帝国」の標語、撤収されない映画のセットに住民怒る―遼寧省大連市
2007年7月6日付の報道によると、遼寧省大連市の西崗区西崗街では今も「満州帝国」が存在しているという。
大連市の西崗街は1920年代から1930年代に建てられた住居が並ぶ古くからの通り。そこの入り口には大きなアーチがあり、アーチの頂上には日本と旧満州帝国の国旗が掲げられていて、その下には「日満親善」の大きな文字が書かれている。
通りに入ると、あちこちに「大日本帝国天皇陛下万歳」や「大東亜共栄圏」と書かれたポスターや標語が貼ってあり、まるで過去にタイムスリップしたようだ。
西崗街は最近ある映画のロケ地として使用されたが、これらの標語やポスター、看板などはすべて映画のセットだそうで、撮影が終わって10日以上たつのに映画会社は片づけようとしない。
「まるで満州帝国に住んでいるみたいだ」と住民たち、特に高齢者は不快感を示しているが、肝心の映画会社は「映画を取り直す場合に必要」だという理由でセットの撤収を拒んでいる。(翻訳・編集/本郷智子)

レコードチャイナ
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g9505.html
279世界@名無史さん:2007/07/07(土) 20:30:44 0
李王垠殿下…日本陸士卒、中将まで昇進された
偽満皇帝…馬にも乗れず、昭和日王からバカにされていた
280世界@名無史さん:2007/07/07(土) 20:59:22 0
李王家が皇族とほぼ同待遇だったことを知らない日本人は多いな。
しかし、満洲国皇帝だって軽んじられてはいないだろ。
実権は無いが、位の高い貴族とはそんなものだろ。
281世界@名無史さん:2007/07/08(日) 05:20:42 0
そりゃ元皇帝だからな
282世界@名無史さん:2007/07/08(日) 05:58:06 0
>>280
メリケンと中共が知ってりゃ充分だろ。
連中の戦略はそれで動いてるw
283世界@名無史さん:2007/07/08(日) 06:10:05 0
>>280
 五族共和(無論、ニッポンver.)が建て前に在るシナ
284世界@名無史さん:2007/07/08(日) 21:48:51 0
802:世界@名無史さん:2006/08/17(木) 13:59:51
ん?後年のフリスコの平和条約なんて関係ないよ。
そんな事言うなら現在はベトナムだろうが、タイだろうが、
朝鮮だろうが、正式に国交結んで別国と認めてんだから
勢力圏とは関係なくなるだろうが。

現在の国境はともかく、清朝時代の朝貢だなんだを基準での領有権の話だろ?
その議論に合わせて言ってるわけだよ。
清朝時代の勢力圏を基準に領土では、って話なんだから、
同じく清朝時代に清国政府の正統な代理人が公文書によって
公的に領有権放棄を認めたのが台湾だ。要するに清朝時代を基準にするなら
完全に日本領土であり 中国領土ではなくなるよ、っていう歴史的な事実を指摘してるだけ。
つまり右翼の主張でもなんでもなく「客観的な事実」。

当たり前だが「朝貢」=服属、領有化でもない。
それに対して下関条約の条文は領土の永久譲渡という事に関しては
一点の曖昧さもない。
武力が間にあった事、力関係の優位などは
チベットその他だって同じだから否定する理由にはならない。

貿易の方便や親善目的の進物をむりやり「朝貢」にしたり、
勢力圏や領有権に結びつける適当でデンパな論と異なり、
台湾の帰属に関してはこれ以上にないくらい明快だ。
285世界@名無史さん:2007/07/10(火) 00:20:05 0
 西太后という中国映画で同女性が身重の嫁を折檻した上で天井につるして転落死させる場面がありましたが、本当にあんな鬼のような真似を行っていたのでしょうか?
286世界@名無史さん:2007/07/14(土) 02:17:28 0
確か香港映画だったっけか、それ。
タイトルも「西太后」だった記憶が。
287世界@名無史さん:2007/07/14(土) 02:53:29 0
>>285
中公新書で「西太后」って出ていますから読んで見られればどうでしょうか。
娯楽映画は誇張や虚構がありますから。
288世界@名無史さん:2007/07/15(日) 19:40:09 0
溥儀や溥傑は、新中国になって真人間に戻ることができて最後は幸せだったろうな。
289世界@名無史さん:2007/07/15(日) 19:58:05 0
>真人間

中国共産党による「改造」が果たして当人にとってよかったのかどうか・・・。
290世界@名無史さん:2007/07/15(日) 21:38:37 0
日本の陸士に留学経験もあり、満州国の職業軍人だった溥傑はともかく、
溥儀なんて実生活では幼児並みに何にもできない人だったから、
収容所で普通の人間として生きる能力を身につけさせてもらえて感謝すべきだよ。
291世界@名無史さん:2007/07/15(日) 21:53:58 0
台湾の日本領復帰はまだか。
292世界@名無史さん:2007/07/15(日) 22:19:52 0
いや、だから「普通の人間として生きる能力」ってのは
俺らの感覚であって、溥儀当人にしてみれば生涯帝王のまま生きた方が
よかったとは考えられないか?

皇帝だった人物に己の臣下であった囚人たちの尿をバケツで棄てさせたり
既に「改造」を終えた元臣下に衆人環視の中罵倒させたりしての
「皇帝から真人間への改造」なんだから。
293世界@名無史さん:2007/07/15(日) 22:27:39 0
中国の帝王は、日本の天皇や欧州の君主に比べて、あまりにもアレだからw
初代のヌルハチは、もっと何でも自分でできたはずなんだけどね。
294世界@名無史さん:2007/07/16(月) 09:06:51 0
欧州の旧王族に比べて、愛新覚羅一族の没落ぶりは凄まじいな。
溥儀の兄弟姉妹なんか見てても、皇族や貴族から一気に労働者に転落だからな。

溥儀は紫禁城から追い出されたあとも、北京政府の実権を握った奉天派と交渉して
優待条件を復活させることもできたし、イギリスに頼るという手もあったのに・・・

日本に頼ったのが間違いだが、その結果、新中国で真っ当な人間にしてもらえたから、
結果的には溥儀個人にとってはよかったのかもな。
295世界@名無史さん:2007/07/16(月) 10:02:54 0
溥儀個人には帝王生活の方がよかったって意見には反対。
イギリスの王族みたいに、普通の大金持ちと変わらない生活ならともかく、
宦官に囲まれた異常な世界で、暴君としてふるまうようなキティな生活なら、
労働者の境遇に落として、地べたの庶民生活を体験させて正解だった。
296世界@名無史さん:2007/07/16(月) 12:12:01 0
クリスチャン・ゼネラル馮玉祥に紫禁城追い出されたあとも、
すぐにもとの軍閥が政権を奪還したんだから、醇親王や旧臣たちの言うとおり、
醇王府にじっとしていて優待条件復活を交渉してればよかったのに。
とくに張作霖大元帥が相手なら、尊号復活、紫禁城復帰など十分可能だったろう。
最悪、ジョンストンのルートで英国亡命、欧州で貴族生活って途もあった。

まあ、野望に目がくらんだバカとしか言いようがない。
297世界@名無史さん:2007/07/16(月) 21:03:52 0
終戦後、北京に留まってた愛新覚羅一族だが、
醇親王は邸宅を政府に売却してまもなく没、
異母弟の溥任は小学校の先生、
妹連中は託児所の保母、町内会長、故宮博物院の整理係、
食堂のオバちゃん、画家、小学校の先生・・・

元皇族にしては・・・
298世界@名無史さん:2007/07/16(月) 21:41:43 0
中国人も馬鹿だよな。
満州国作られてからギャアギャア言うぐらいなら、
最初から溥儀を利用されないように遇する手立てあったろうに。
日本の満州方面への進出意図はあれほど明らかで、
溥儀は厄介な存在になってしまうの予想できた。
299世界@名無史さん:2007/07/17(火) 20:07:53 0
1月に中国で刊行された、「ラストエンペラー」溥儀の自伝の完全版は、
極東国際軍事裁判(東京裁判)での自らの偽証を明確に謝罪し、日本軍と
満州国との連絡役を務めた関東軍将校の吉岡安直に罪をなすりつけたと
後に反省したことなど、これまでの1964年版では削除・修正されていた
部分が盛り込まれ、自己批判色の強い内容となっているという。

これは、満州国=傀儡政権、大日本帝国=犯罪国家という東京裁判史観を
完全に否定する重大な内容である。『出版元である北京の群衆出版社は
資料整理をしていた04年、64年版の削除・修正前の原稿を発見。

「(削除や修正は)過去の様々な理由によるものだが、今、その内容は
溥儀の真実の生活を理解し、歴史を認識するうえで研究価値が高い」と判断し、
出版に踏み切ったとしている』とのことだが、このような重大な内容の出版が
許容されるのは中国政府の意向と見て間違いない。

国際金融資本に支配されたスターリン時代の恐怖政治をロシア人の多くが
本心では嫌っているように、中国人の多くも国際金融資本に支配された
毛沢東時代の恐怖政治を嫌っているのだろう。
300世界@名無史さん:2007/07/17(火) 20:38:29 0
>>297
>醇親王は邸宅を政府に売却してまもなく没、

醇親王(溥儀パパ)は長生きしすぎたのか、それとも絶妙のタイミングで死んだのか・・・
共産党の北京入城を見たのは不幸だが、これ以上、長生きすると文革にも遭遇していたし。
301世界@名無史さん:2007/07/18(水) 20:06:27 0
しかし、醇親王(1951年2月没)はなんで共産軍の北京入城(1949年)の後も
北京に留まったんだろう。

逃げようと思えば、台湾でも香港でも逃げられたはずなのに。
302世界@名無史さん:2007/07/22(日) 18:12:40 0
この出品者嘘もいいとこだ。
何着出品しとるんだ。 緑営に通報するぞ。

http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/99355102
303世界@名無史さん:2007/07/27(金) 22:39:03 0
1886年、大清帝国は日本を威圧するために、北洋艦隊の四艘の
新鋭戦艦を、予告も無く修理の為と称して長崎港に乗り入れました。

上陸した数百名の清国水兵は、暴挙、強奪などさんざん暴れ狂い、
この長崎事件は当時の日本全土に一大ショックを与えました。

この結果、日本人の中に、清に対する敵愾心が烈火の如く
燃え上がりました。
304世界@名無史さん:2007/07/28(土) 13:18:36 0
>>303
シナじゃ弱くなった清を一方的に日本が叩いたことになってますぜw
305世界@名無史さん:2007/07/28(土) 17:13:43 0
>>266
上代 ……夏、商、西周
封建 ……… 戦国
前期古代 …… 秦〜金 (遼・金を正統王朝とみなし、宋を地方離反地帯とする)
中世 …… 蒙古・元(モンケハーン〜トク・テムル・ハーン)
後期古代 …… 元(トゴン・テムル・ハーン以降)〜清(嘉慶帝まで)
近世 …… 清(道光帝)〜中華帝国
現代 …… 南北和議以降
306世界@名無史さん:2007/08/01(水) 20:07:05 0
中国の軍隊は地域との関係が深く、一種の軍閥的要素があるとされる。
中国東北地方を管轄する瀋陽軍管区は満州族が大きな影響力を有している。

また、高句麗や渤海が中国の地方政権か朝鮮民族国家かを巡って韓国と
激しく対立する「東北工程」と呼ばれる中国の歴史認識運動、更には今年2月に
吉林省長春で開催された中国で初の冬季アジア大会で長白山が中国のシンボル
として取り上げられ、韓国人選手団が「白頭山は韓国のものだ」と抗議したことで
話題となったことも、中国と韓国の対立というよりも満州族と朝鮮民族の対立
という色合いがある。

清と李氏朝鮮は17世紀前半に軍事衝突を経験し、その結果、李氏朝鮮が清に
服属しているが、朝鮮半島の南北分裂という違いはあるものの、四世紀前の
対立が繰り返されているようにも思われる。

あるいは韓国をシーパワーによる半島南部の占領地域と捉えるならば、
豊臣秀吉の朝鮮出兵による占領地域が現在の韓国に相当するのかもしれない。
307世界@名無史さん:2007/08/08(水) 18:20:58 0
清朝最後の皇后婉容の実弟の郭布羅潤麒さんが
6月6日にお亡くなりになったみたいです

http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.bj.xinhuanet.com/bjpd_sdwm/2007-06/07/content_10239304.htm
308世界@名無史さん:2007/08/10(金) 10:36:18 0
591 :天之御名無主:2006/04/11(火) 18:00:04
満州で少年時代を過ごした人に聞いたんだけれど、息子が遊郭なんぞで病気
を貰ったり、変な女と恋愛沙汰を起こさないように、旧制中学に合格した日から
母親が小間使いに命じてフェラチォさせたそうだ、以後、普通の日は手を使って
テストで高得点だった日には御褒美として、母親が小間使いに口を使うように
命じたらしい、これは満州旗人(清朝の旗本)の家庭の習慣を取り入れたものだ
そうです。
309世界@名無史さん:2007/08/10(金) 10:56:30 0
小間使いにもフェラチォどまりにさせたのねw
310世界@名無史さん:2007/08/10(金) 10:58:30 0
小間使いにもフェラチォまでと
命じたのね。
外地に渡った日本人が混血をつくったという話聞かないわけだ。
311世界@名無史さん:2007/08/10(金) 13:05:35 0
>>297
中共の洗脳に屈して、今では一族の過ちを悔いているそうだよ。
312世界@名無史さん:2007/08/21(火) 18:17:09 0
「清史」はまだ編纂されてないの?
313世界@名無史さん:2007/08/21(火) 21:38:38 0
>>312
されている。

袁世凱が企画し、蒋介石政府によって一時は出版停止命令が出されたものの、
満洲国や日本軍占領地域、および中華人民共和国で出版された『清史稿』と、
台湾で国民党政府によって編纂された『清史』の両方がある。
314世界@名無史さん:2007/08/22(水) 18:58:26 0
やはり漢文の紀伝体なのか?
315世界@名無史さん:2007/08/22(水) 19:13:29 0
中華王朝の正史をそれ以外何で書けと?
316世界@名無史さん:2007/08/22(水) 19:27:50 0
現代中国語で。
革命で王朝も皇帝もなくなってるのに、歴史だけは旧制度の体裁で編纂するの?
皇帝をたてまつるような文章で書くの?
317世界@名無史さん:2007/08/22(水) 19:33:48 0
それまでの正史って、そんなたてまつるような文だっけ?
318世界@名無史さん:2007/08/25(土) 17:38:20 0
共和制のもとで作られた「正史」で、皇帝をどう評価してるのか気になるな。
319世界@名無史さん:2007/08/25(土) 19:04:34 0
現代語で書かれたら多分読めねえw
320世界@名無史さん:2007/08/26(日) 12:00:00 O

愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした
321世界@名無史さん:2007/09/02(日) 23:51:42 0
熱河の避暑山荘とか瀋陽の故宮とか、満州国の領域内にあった清朝ゆかりの宮殿を
なんで満州国の皇宮として利用しなかったんだろう?
322世界@名無史さん:2007/09/05(水) 19:36:34 0
相変わらず、他スレの進行を妨害するコテハンの嫌らしさw
こっちの質問をわざわざ、よそで答える陰険さ、ひねくれぶりw
 ↓  ↓  ↓
105 :院生B:2007/09/04(火) 01:38:02 0
重複スレの投稿へのコメント

>321 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/09/02(日) 23:51:42 0
>熱河の避暑山荘とか瀋陽の故宮とか、満州国の領域内にあった清朝ゆかりの宮殿を
>なんで満州国の皇宮として利用しなかったんだろう?

日本が溥義に建てた宮殿がしょぼかったものだから、
中国人にバカにされることされること。


323  ↑ ↑ ↑:2007/09/08(土) 02:44:26 0
べつにこっちを荒らしてるわけでなし、自意識過剰。
324世界@名無史さん:2007/09/12(水) 06:04:56 0
いちいち、嫌がらせみたいなことするなボケ。
こういうのが子供じみた嫌がらせだろ。

106 :院生B:2007/09/08(土) 02:51:14 0
重複スレの投稿へのレスww
 >318 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/25(土) 17:38:20 0
 >共和制のもとで作られた「正史」で、皇帝をどう評価してるのか気になるな。
 
【清史稿】は、清朝遺臣の北洋政権のもと、清朝の遺臣によって編纂されたから、
ほんとに王朝時代そのままの体裁でできあがっている♪
325  ↑ ↑ ↑:2007/09/12(水) 06:26:08 0
べつにこっちを荒らしてるわけでなし、自意識過剰。
326世界@名無史さん:2007/10/01(月) 03:31:18 0
>>321
瀋陽は張作霖の根拠地で熱河は抗日派の拠点だから治安が悪すぎる。
327世界@名無史さん:2007/10/01(月) 07:27:06 0
だが、瀋陽=奉天には関東軍司令部が置かれたわけだから、
わざわざ長春=新京の普通の邸宅を仮皇宮にしなくても、
瀋陽故宮を皇宮に活用すればよかったような。
328世界@名無史さん:2007/10/01(月) 13:10:46 0
軍事司令部をおくのと宮殿をおくのでは意味が違うだろう。
特に建国当初の奉天の治安はとても首都機能を果たせるものではなかった。
奉天に都を置かずに新京が建設されたのも同じ理由。
329世界@名無史さん:2007/10/06(土) 20:30:52 0
そんな治安状態で、よく瀋陽故宮は放火されなかったな。
満州皇帝の先祖の宮殿なのに。
330世界@名無史さん:2007/10/07(日) 07:52:44 0
宮殿に使ったら放火されてただろうな
331世界@名無史さん:2007/10/17(水) 17:46:45 0
最後に弁髪をしてたのは、張勲だろうね
清滅亡して中華民国成立後も死ぬまで弁髪をして洋装を嫌ってたそうだ
332世界@名無史さん:2007/10/17(水) 19:15:14 0
考証学者の王国維も死ぬまで弁髪だった。
蒋介石の国民革命軍が北京に迫ったとき、清朝復興の望みが絶たれたと思い、
池に身を投げて自殺した。
333世界@名無史さん:2007/10/18(木) 12:55:55 0
蒋中正が日本にいた頃の写真。軍服のイメージが強いが、まだ頃は弁髪姿で珍しいね
http://vista.undo.jp/img/vi9267969205.jpg
334世界@名無史さん:2007/10/21(日) 01:32:42 O
初歩的な質問ですが清の初代皇帝はやっぱりヌルハチなんでしょうか?
専門的な本は読んだことないですが本とかテレビではそう紹介されていることがあります
ヌルハチ本人は皇帝に即位してないと思うのですが
実際のところどうなんでしょう
魏の初代皇帝は曹操、晋の初代皇帝は司馬懿とは言わないと思うし
元の初代はフビライでチンギスだと間違いですよね
この辺の事情に詳しい方教えてください
335世界@名無史さん:2007/10/21(日) 16:29:41 0
>>334
1616年ヌルハチはハーンとなり金を建国しましたが、自らは皇帝に即位していないよ。
それにヌルハチは明からの独立を目指していて自らは部族長の立場と考えていただけ。
ところがその後を継いだ息子のホンタイジ(第8子)はモンゴル族を破ってチンギス・ハーンの末裔から1643年に玉璽を受け取り、翌年皇帝に即位した。
ホンタイジは父のヌルハチと違って自らが支那の帝王を目指していたから国号を金から清に改めた
だから実質的にはホンタイジが初代皇帝なんだけど、今の支那では順治帝が清の初代皇帝とされている
336世界@名無史さん:2007/10/21(日) 19:39:29 0
女真族(満州族)の部族連合の長(ハーン)となり金の復興を宣言し、満州の地に独立したのがヌルハチ。
漢族・蒙古族・満州族の王として支那全土の皇帝になる目的を持ったのがホンタイジ。
明を滅ぼした反乱軍・李自成を蹴散らして、北京に入り事実上、支那の皇帝に君臨したのは順治帝。
337334:2007/10/21(日) 22:00:03 O
いろいろありがとうございます
考え方によって誰を初代とするか意見割れそうですね
後金→清を単なる名称変更、ハーン=皇帝とすればヌルハチが初代だと考えられなくもないと言ったところでしょうか
しかしこじつけっぽいんで個人的にはホンタイジが初代とするのが一番しっくりきます
338世界@名無史さん:2007/12/02(日) 07:11:56 0
 
339世界@名無史さん:2007/12/07(金) 01:52:44 0
中国:清朝第11代皇帝・光緒帝、死因はヒ素で毒殺か

 【上海・大谷麻由美】中国清朝の第11代皇帝・光緒帝(1871〜1908年)の遺骨などを中国政府が最近、調べた結果、
頭髪から大量のヒ素が検出された。華僑向け通信社「中国新聞社」が4日、香港誌「紫荊」を転電して報じた。
清朝末期の絶対的権力者だった西太后(1835〜1908年)が死去する1日前に「病死」した光緒帝の死因は謎に包まれてきたが、
ヒ素による毒殺の可能性が高まった。

 光緒帝は1898年に政治改革を断行したが、西太后らによって失敗に追い込まれ、死ぬまで監禁された。

 調査を実施したところ、頭髪に集中して通常の1000〜2000倍のヒ素が検出された。一度に大量のヒ素を投与された毒殺の
可能性が高い証拠だという。今後、胃周辺の遺骨検査を実施し、毒殺かどうかを最終判断するという。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20071207k0000m040030000c.html
340世界@名無史さん:2007/12/07(金) 04:10:57 0
>>335
満清十三皇朝という連続テレビ番組があったよ
ヌルハチから宣統帝まで12代と大同帝で13になる

清の皇帝って道光帝あたりから目に見えてひ弱な感じになっていくね
皇帝の劣化が王朝の衰亡にスライドしていくみたいだ
341世界@名無史さん:2007/12/24(月) 01:02:18 0
>>340
乾隆さまが龍玉をお匿しになられたからです…
342世界@名無史さん:2007/12/28(金) 20:23:37 0
満州国時代の溥儀は大同帝ではなく「康徳帝」ではないのか?
「大同」って執政時代の年号だろ。
343世界@名無史さん:2008/01/02(水) 19:07:31 0
清末民初
「走向共和」
http://tw.youtube.com/watch?v=rGkTnznHh04
344世界@名無史さん:2008/02/07(木) 18:15:14 0
共和に向かって走ったからこそ、現在の繁栄がある。
345世界@名無史さん:2008/02/08(金) 13:42:44 O
教えてください!
溥儀が紫禁城を退去した際、光緒・同治帝の側室も存命だったとか。彼女たちの詳しい晩年をしりたいのです。詳しい方、お教え願います。
346世界@名無史さん:2008/02/08(金) 20:32:39 0
>>340
最後の偽満執政なんて馬にも乗れずに裕仁王からバカにされていたとか
347世界@名無史さん:2008/02/09(土) 01:56:12 0
>>346
くせえ。
348世界@名無史さん:2008/02/09(土) 23:30:10 O
あげ
349世界@名無史さん:2008/02/11(月) 03:23:25 O
あげ
350世界@名無史さん:2008/02/11(月) 13:13:04 0
何で国号が金のままじゃいかんかったんじゃろか
351世界@名無史さん:2008/02/11(月) 17:27:43 0
>>350
南宋の時の厭な思い出があるので、漢人支配に支障がある。
352世界@名無史さん:2008/02/11(月) 17:33:24 0
>>351
それってどうも、後付の理由にしか思えないのだが。
だいたい金の支配を覚えている漢人なんていない時代なわけだし。
353世界@名無史さん:2008/02/11(月) 17:46:16 0
チャハル部を従えた時点で、女真人とモンゴル人の双方に君臨するためには、
女真人の国である金のままでは不都合だったんだろう。
354世界@名無史さん:2008/02/11(月) 17:51:50 0
熱河バナナワニ園
355世界@名無史さん:2008/02/11(月) 17:58:16 0
>>353
それはハーン位に推戴された時点で問題なくなってないかい?
356世界@名無史さん:2008/02/19(火) 02:50:35 0
ヌルハチは三国志で言えば
曹操みたいなやつ。

正式には皇帝にはなっていないが
その国の祖として語らなきゃ始まらない御方


それはそうと、北清事変で義和団に清政府がついて列強に宣戦したのはなんでなのかな
勝算があったのか。やけくそだったのか
357世界@名無史さん:2008/02/21(木) 20:11:52 0
                〇_,,....,,...、__,,....、...、__,,....、_,,...、_
               //  旗国麗高 属国清大 ,.-‐‐'''"`'''"
              //  /// ̄ ̄\\\~"'-‐-、__
              // -=ニニ二二ニニ==-| '''-‐-、ニ''"~"''''
             //     |\_/-==/゙''''"~"''-==ニ''''"⌒゙、__
             //-==-\\\__///ー==ニ二''''"⌒
              //        -==- ~"'''-‐-;;;二'"~"''''"
              //''''"⌒゙''''"~"''''"⌒゙''''"~"''''"⌒゙''''"~"
358世界@名無史さん:2008/02/23(土) 12:56:53 0
>>352
今の中国なんか見ても、人間が9割入れ替わっても、南京虐殺だの戦争責任だの
言ってるじゃん。
歴史の本にちょこっとかかれていることでもあげつらうんではないの?
359世界@名無史さん:2008/02/24(日) 11:51:01 0
>>322>>324
院生たちの巣窟・「清朝スレ」を見ようとしたら、なくなっていた。
いつなくなったんだろう?過去ログで見られるかなあ?
360世界@名無史さん:2008/02/24(日) 23:14:48 0
361世界@名無史さん:2008/02/25(月) 01:30:21 0
ヌルハチというと高見山を思い出す
362世界@名無史さん:2008/03/04(火) 14:15:10 0
実は俺もなんだ
363世界@名無史さん:2008/03/16(日) 02:43:48 O
中共が『日帝による南京侵略』をプロパガンダする時に
日本兵が市民を後ろ手に縛り目隠しして、断頭した写真を出しているのは義和団事変の時の写真が混じってるみたいだね
364世界@名無史さん:2008/03/16(日) 02:48:49 0
【有給の】薔薇乙女寿司チェーン102店目【旅人】
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/bobby/1204826189/
365世界@名無史さん:2008/03/16(日) 02:50:51 O
浅田次郎の蒼穹の昴や中原の虹を読んだ。
張作霖ってあんなに大衆人気があったのだろうか?
366世界@名無史さん:2008/03/31(月) 01:48:50 0
中国ドラマの日清戦争
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2829553
367世界@名無史さん:2008/04/19(土) 16:37:02 0
皇帝は本当に、満漢全席を食べていたのだろうか?
368世界@名無史さん:2008/04/22(火) 17:59:58 0
後の満州国である。
369世界@名無史さん:2008/04/23(水) 19:48:26 0
初歩的な質問ですが、
ヌルハチやホンタイジは中国語(漢語)を話せたんですか?
逆に西太后や溥儀は満州語できたの?
370世界@名無史さん:2008/04/23(水) 19:59:59 0
>>367
清代には満席(満洲料理)と漢席(漢族の料理)は
同時に出されることはなかったとなにかで読んだ記憶がある。

>>369
ヌルハチやホンタイジは、配下にも漢族がいたというから漢語を話せたらしいが、
溥儀は満洲語をほとんど知らなかったとか。西太后はどうか知らない。
371世界@名無史さん:2008/04/23(水) 22:14:27 0
満洲料理なんかある(あった)のか?
チャーシュー
372世界@名無史さん:2008/04/23(水) 23:42:06 0
満洲料理=豚肉をゆでたもの、餃子くらい。
373世界@名無史さん:2008/04/24(木) 16:59:21 0
<清>
・1757年、広州のみに貿易港を限定、制限貿易(品目・数量などを制限)、公行(特許商人)が貿易独占 
374世界@名無史さん:2008/04/24(木) 17:00:51 0
<明>
・広州、泉州、寧波に市舶司をおいて朝貢貿易を管轄させる
375世界@名無史さん:2008/04/24(木) 17:13:18 0
1616年に成立した清朝は、台湾に拠り抵抗した鄭氏や対南明対策のために海禁を強化する。だが、海外からの銀の流入が停止された事で清国内は一種のデフレ状態に陥って、経済が一時破綻寸前にまで追い込まれた。
このため、1684年に鄭氏が降伏すると緩和されるが、1711年からは南方交易の制限が取られ(外国船は対象外)、1757年からは再び広州(粤海関)に限定した一種の保護貿易を行う。
アヘン戦争に敗北した後の1842年に締結された南京条約により撤廃され、開国する。
376世界@名無史さん:2008/04/25(金) 14:51:41 0
マカオはポルトガルに植民地として割譲されたのではなく居住を黙認されていただけ。
377世界@名無史さん:2008/04/29(火) 02:31:32 0
歴代中華王朝で皇帝の質は1・2を争うだろうな
前王朝の明が可哀想で可哀想で
378世界@名無史さん:2008/04/29(火) 10:45:09 0
宋がいちばん良かった。
自由があって。

元が、南宋を一部でも属国として残しておくべきだった。
379世界@名無史さん:2008/04/29(火) 11:22:02 0

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
380世界@名無史さん:2008/04/29(火) 12:34:45 0
>>378
> 宋がいちばん良かった。
> 自由があって。

不思議な歴史を学んでいる人だな
381世界@名無史さん:2008/04/29(火) 20:20:45 0
南宋、西夏が元と共存していればよかった
382世界@名無史さん:2008/04/29(火) 22:48:40 0

RM1-b遺伝子の稲は、稲作が中国から直接日本に伝来した事を示す証拠である。

九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
北陸や東北にもRM1-b遺伝子の稲が存在している。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在は、
稲作が「中国から直接日本に伝来した」事の証明となっている。

稲作の伝来ルートは
中国南方 → 日本 → 朝鮮
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
383世界@名無史さん:2008/04/30(水) 16:10:46 0
だれかサルフの戦い詳しく教えて
384世界@名無史さん:2008/05/07(水) 18:12:28 0
清初期はモンゴルとの連携でチベット仏教が
出てきますが、清後期になって漢人官僚が
西洋の侵略に抵抗しようとするときは儒教に
頼ってますよね?この頃のチベット仏教は
どうなってたんでしょうか?
385世界@名無史さん:2008/05/09(金) 10:50:13 0
サンゴリンチンとかいうチベット仏教を信奉する猛者が大活躍。
386世界@名無史さん:2008/05/10(土) 17:02:53 0
>>385
この人はすごいですね
387世界@名無史さん:2008/05/14(水) 00:00:19 0
明末清初のころ、四川省ではキチガイ統治者、張献忠によるとんでもない大殺戮が行われたんだってな。
そのためにそれまで蜀の国にいた人々はほぼ絶えてしまった。

現在の四川省の言葉が北京語とほとんど変らないのは、それまでの住民が絶えて、よそから殖民が行われたからだとか。
388とびどぐもたないでください:2008/05/14(水) 01:19:18 O
張献忠による虐殺はそこまでひどくはなかったんじゃないの?
張献忠伝説にふかし入れたのは、張献忠から100年も経って書かれて『蜀碧』という野史。
389世界@名無史さん:2008/05/14(水) 12:42:10 0
根津が清朝の宮廷で使われた時計を売っ払うよー
http://www.christies.com/LotFinder/searchresults.aspx?intSaleID=22032#intSaleID=22032
390世界@名無史さん:2008/05/20(火) 00:08:11 O
>>383

明軍は四路よりヌルハチのヘト・アラ城に向けて進撃していたが、明軍の左翼中路軍の杜松が抜け駆けをしてサルフを急襲。

そこでヌルハチは総兵力をひきいてヘト・アラより50キロの道のりを5時間で進撃し、明軍が占領した直後のサルフを急襲。これにより明軍の左翼中路軍を撃滅。さらにヌルハチは、サルフでの左翼中路軍の敗北を知らない明の左翼北路軍や右翼南路軍を急襲し、撃滅。

結局ヌルハチの後金軍の圧勝に終わり、明軍は総兵力10万に対し、戦死者4万5千人、馬匹の損失2万8千の大損害を受けた。
391世界@名無史さん:2008/05/20(火) 14:21:35 O
梅毒で死んだ皇帝ってだれですか?
392世界@名無史さん:2008/05/21(水) 20:55:19 0
清末には皇族が10万人くらいいたらしいですが
この人たちはどこに行っちゃったんでしょうかねぇ?
393世界@名無史さん:2008/05/22(木) 23:23:21 0
サルフの戦いの時のヌルハチ軍の兵数てどれぐらい
394世界@名無史さん:2008/05/22(木) 23:40:16 O
↑後金の総兵力は推定2万弱だったと思う。
395世界@名無史さん:2008/05/27(火) 21:25:47 0
>>387
張の部下だった孫可望も残忍で有名だったんだっけ?
この辺のチンピラよりは満州人に支配される方がマシだったんだろうな。
396世界@名無史さん:2008/05/27(火) 22:26:12 0
アヘン戦争の舞台裏

日本が支那人や台湾人から阿片を取り上げたらどえらい仕返しをされたよ。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe100.html
397世界@名無史さん:2008/06/06(金) 23:35:00 O
あげ
398世界@名無史さん:2008/06/26(木) 02:12:57 0
207 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2008/06/26(木) 02:06:21 0
勤務先の中国人(女性)が、実は満州族とポツリとカミングアウトしたよ。
朝鮮族じゃないのに姓が金だからくさいと思っていたけど、親が溥儀の
又従兄弟だそうだ。一応多羅郡王の爵位を持っていたそうだけど、文化
大革命の時に財産没収されて、反革命分子として広場で晒し者にされた
のに耐え切れなくて台湾経由で日本に亡命したとのこと。今は、日本に
帰化して日本名を名乗っているよ。
399世界@名無史さん:2008/06/29(日) 12:12:28 0
惇郡王さんのとこ?
400世界@名無史さん:2008/08/01(金) 19:48:14 0
大清帝国 歴史群像シリーズ
“東洋の獅子”の栄光と落日
http://www.bk1.jp/product/03016109
401世界@名無史さん:2008/08/14(木) 16:24:29 0
結局、辛亥革命って失敗してるわけでただの反乱だったんじゃね?
孫文やら宋教仁や黄興や章炳麟は天下を取れなかったわけで、反乱を鎮圧した袁世凱が天下を取った。

日本でいうなら長州の反乱は幕府軍に完全に鎮圧されて、その鎮圧した陸軍大臣の勝海舟か海軍大臣の榎本武揚か大鳥圭介が徳川慶喜を退位させて天下を取るようなもの。
402世界@名無史さん:2008/08/16(土) 13:30:57 0
>>401
言いたい気持ち判るけど、袁ちゃんは官軍の力で状勢を鎮圧した訳じゃないからね。
一時的に天下を掌握したのも、クーデターというより、どっちかと言えば革命ベースでしょう。
袁ちゃんは斜陽側の代表なのに、勢いのある革命側の代表と交渉で優勢に立ち回った点など、
勝海舟と同じと言えるかも。

しかし、清末のぐちゃぐちゃは正直苦手。生々しくて世界史として楽しめない。 
403世界@名無史さん:2008/08/16(土) 13:59:19 0
袁世凱や段祺瑞や張作霖は、李鴻章の流れを受け継いでる。
漢族ではあるが清朝の軍人だから、革命家達とは一線を画すんじゃないか?
清朝は滅亡しても北京政府のままに変わりが無いし、蒋中正による北伐まではずっとこの流れは続いている。
そういえば袁世凱死後に張勲によって一時的に溥儀は復位したんだっけ。
結局、清朝の家臣に天下を任せていてもこんな状態なんだったら、天下を皇帝に戻してしまえというもんなんだろう。
404世界@名無史さん:2008/08/16(土) 14:23:52 P
>>400にある歴史群像の奴、読んだ人いる?
いたら感想を聞いてみたい
405世界@名無史さん:2008/08/16(土) 14:57:53 0
>>401
>反乱を鎮圧した袁世凱が天下を取った。

嘘こけ。袁世凱は反乱を鎮圧などしとらん。
袁世凱は反乱を鎮圧しろと命を受けた清朝の総理大臣で北洋軍閥の実力者であったが、
清朝の旗色悪しとみて寝返って孫文ら革命派に内応した。
孫文も袁世凱を味方につけた方が良いと判断して宣統帝を退位させてくれたらという条件つきで
臨時大総統の職を袁世凱に譲った。
袁世凱は、その通り宣統帝を騙して退位させ臨時大総統に就任したが、約束を違え南京でなく北京に
政府を開いた。
そうして権力奪取に成功した袁世凱は革命派を裏切り、反革命独裁路線に突き進む。
革命派は袁世凱打倒に動く。
つまり袁世凱は清朝も革命派も裏切り、騙し政権を簒奪したのである。
辛亥革命が成功か失敗かは、その立場による。
敵と結託し、味方を裏切り、権力を簒奪し、権力を簒奪され、寝返り、裏切り、何でもありが中国史だ。
406世界@名無史さん:2008/08/16(土) 16:07:07 0
>>405
論破できないけどさW. それは、いかにも受け売りでステレオタイプな清末史観だと思うぞ。
当時の中国状勢は、言葉に出来ない程に捻れまくっていた訳だ。
袁ちゃんは、当時としては内向きでも“比較的ベター”な行動を取ったと思う。(ちゃうかも知れん)

ただ、個人や一国を悪者にするのは中共や朝鮮人でも出来る事。 
内外色んな要因が折り混ざるから世界史だ。
俺ら日本人はもっと品格を持って歴史に向かい合うべきだ。 
少しくらい胴衣してくれたら嬉しいぞ。
407世界@名無史さん:2008/08/16(土) 16:47:02 0
だけど清朝皇室全員と家臣(宦官を含む)の命は助けられたばかりか、紫禁城に住むことまで許されてさらに溥儀は皇帝としてこれまでどおり生活が出来るという好条件だったんだったから、逆に清朝は袁世凱には感謝しなきゃいけないんだろ。
あのまま退位させずにいたら革命軍の怒りの収まりがつかん。
鉄道国有化問題以降、清皇室一族を刑に処せとか言い出しかねない空気だったんだろ。
袁世凱はかつて醇親王・載灃に殺されそうになった経緯を考えれば、溥儀及び皇室に対して寛大な処置をしたといえる。
408世界@名無史さん:2008/08/16(土) 16:49:52 P
いわゆる革命派に中国全土を制する能力はあったんだろうかね
まぁいわゆる革命派は、実際には軍閥の寄り合いだしなぁ・・・・・
その象徴に、孫文を担ぎ上げただけだし
409世界@名無史さん:2008/08/16(土) 17:03:54 0
>>408
無いよ。袁率いる北洋軍に反乱軍が勝てるわけが無いじゃん。
孫文を頭に立てた中華民国臨時政府は最初は有利だったが、散々打ち破られて戦局が不利になってるわけだし、あのままいってたら北洋軍に完全に鎮圧されてただろ。
講和を結んで北洋軍は引きかえし、袁は宣統帝に退位を迫った。
410405:2008/08/16(土) 19:40:41 0
>>406
おいおい、俺の書き込みを勝手に歪曲するな。
>>405のどこで誰を悪者にしたというのか。
俺は袁世凱は革命軍を鎮圧などしていないと書いただけだ。
他人の書き込みを捏造するのが品格か?
ふざけるのもいいかげんにしろ。
騙したからどうだとか騙されたからどうだとか正とか悪とか、そういうナイーブな価値観で
歴史を見るのは時代劇だけにしておけ。
お前の歴史の見方は品格でもなんでもない。
お前には何一つ同意できる要素がない。
411世界@名無史さん:2008/08/16(土) 19:54:37 0
清も濁も正も邪も丸ごと飲み込んで吐き出して、再びそれを飲み込めるくらいじゃないと支那の歴史を学ぶことは難しい
412406:2008/08/16(土) 22:15:11 0
うわちゃちゃちゃ
わたしゃそんな展開望んでないので、謝りまつよ。 すまんかった。
413世界@名無史さん:2008/08/25(月) 22:45:21 O
最近この時代にハマリ始めたんだけど、資料が少な過ぎる。
大学生じゃないから専門書借りれないし、かといえユルイのは満州国しかないし…。
最近出た紫禁城って新書は読みやすくて適度に深く、なかなかよかった
414世界@名無史さん:2008/08/27(水) 12:54:02 0
>>410
君、戦国板に出てこない?
415世界@名無史さん:2008/08/31(日) 18:48:17 0
>>413
そうかな?
既に読まれていれば失礼ぶっこきだが、宮崎市定氏の本は基本だと思う。
音楽で例えるならベートーヴェン。これ以上もこれ以下も無い感じ。
(もちろん、これ以上もこれ以下もある訳だが)
他にも石橋崇雄氏とか、研究者の良い新書かなーりあると思うよ。
416世界@名無史さん:2008/09/05(金) 21:13:34 0
西太后と明治天皇の治世はほぼ同時代なんだねぇ・・・
トップの差はでかいね

これが「なぜ差が付いたのか慢心環境の違い」か・・・
417世界@名無史さん:2008/09/05(金) 22:34:29 0
>>416
なんか勘違いしてないか。
中国は明治時代まで他民族に支配されてたんだぞ。
日本で言えば明治末までモンゴル人に支配されていたようなもんだ。
418世界@名無史さん:2008/09/06(土) 22:50:22 0
>戦前の日本が、朝鮮半島の植民地支配で行った事とは大違い。

え???中国に飼われてた時の朝鮮と日本に飼われてた時の朝鮮を比較してみろよ

↓日本統治前の未開な朝鮮
http://www.geocities.jp/furen1002/KoreaHistory.html
419世界@名無史さん:2008/09/07(日) 00:27:26 0
>>94
参勤交代で搾取し続けた吾妻の寝言。
420世界@名無史さん:2008/09/12(金) 19:37:39 0
琉球が清の朝貢してたのは事実だが支配してたのは薩摩藩
対馬の宗氏が形の上で日朝両属だがれっきとした武家で対朝鮮外交を円滑にするため
のもので朝鮮に支配されてたことはないw

世界史板の工作員は低レベルだな
421世界@名無史さん:2008/10/11(土) 09:52:00 0
こんなのありますたよ。 
近代東洋史研究の方々、論文発表時にどうぞ。

http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/109754932
422世界@名無史さん:2008/10/16(木) 21:49:37 0
 光緒帝がやろうとした改革(百日維新)は、
日本の明治維新に習った清朝の近代化運動で、
その改革は、叔母の西太后によって潰されたが、
義和団事件の後、西太后自身も清朝の近代化をしなければ
欧米列強・及び日本によって植民地化されてしまう事を自覚し、
隋朝以来の伝統的な官吏登用試験である科挙の廃止など、
政治改革を推し進めていったが、時既に遅し。
 光緒帝の改革が西太后によって潰されたのを機に
孫文ら革命運動家らは清朝打倒に動き始めていた。
奇しくも、科挙が廃止された1905年は、中国革命同盟会が結成された年で、
辛亥革命へと突き進むんでいった年。
 もし、西太后ももっと早く清朝の近代化の必要性を認識し、
光緒帝が推し進めようとする改革に賛同していれば、中国の歴史は
大きく変わっていたかも知れない。
423世界@名無史さん:2008/10/18(土) 00:45:18 0
清第三帝国を建国すべき。
424世界@名無史さん:2008/10/18(土) 21:46:08 0
>>422
宮崎市定氏が、後に康有為と会ったときにぺらぺらとしゃべる軽薄な奴で、
こんなんだから改革のできないんだとか、人物評価を書いてましたね。
実際、当時はそんな、受け売り知識の口は達者で保守的なものを見下し、実際改革
となると気概に欠けた文弱な連中の集まりではなかったんじゃないかな?
仕方ないとは思うけど。
425世界@名無史さん:2008/11/02(日) 20:14:15 0
清末の光緒帝、死因はヒ素中毒=毒殺説を裏付け−中国政府調査

 【香港2日時事】2日付の香港紙・文匯報などによると、中国政府の国家清史プロジェクト
編さん委員会はこのほど、清朝末期の光緒帝(1871−1908年)は病死ではなく、
ヒ素中毒で死亡したとする報告書をまとめた。この結論は公式の史書として編さん作業が進んでいる
「清史」に記載されるという。

 中国原子力研究院や北京市公安局(警察本部)法医学鑑定センターが光緒帝の頭髪を調べたところ、
大量のヒ素を検出。遺骨や衣服もヒ素で汚染されていたことが分かった。体内に吸収されたヒ素の総量は
致死量を大きく上回っていたとされ、根強く言い伝えられてきた毒殺説が裏付けられた形だ。

 ただ、同委員会は今のところ、誰が光緒帝を殺したのかには言及していない。(2008/11/02-19:19)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008110200138
426世界@名無史さん:2008/11/02(日) 20:17:36 0
>誰が光緒帝を殺したのか

西太后しかないだろ。

やはりクズババアだったな。
427世界@名無史さん:2008/11/02(日) 20:18:02 0
単に長く続いただけのダメな代。江戸時代と同じく、後の欧州の
侵略戦争に打ち勝つことができなくなったバカな惰眠帝国の双璧
428世界@名無史さん:2008/11/02(日) 20:40:17 0
>>422「近代化運動」なんて名誉白人的な呼称用いるなよ。
お前らと違って白人の肉便器じゃねーんだぞ、世界は。
429世界@名無史さん:2008/11/03(月) 03:19:28 0
>>426

西太后のような皇帝を超越する人物が現れたというのは、
清の政治制度に重大な欠陥があったということなのかね。

明にはそういう人物はいなかったんでしょ?
430世界@名無史さん:2008/11/03(月) 05:32:44 0
どんな王朝でも王朝末期には外戚だの宦官だのが同じように皇帝以上の力持ってたんじゃないか?
趙高の馬鹿の逸話を思い出す
光緒帝の即位が決まったとき父親の醇親王はショックでぶっ倒れたらしいが
あの時代に皇帝になるってことはそれ程の貧乏くじだったのかね?
それとも西太后に息子を利用されることを恐れたのだろうか
431世界@名無史さん:2008/11/03(月) 05:38:25 0
>>429則天武后みたいな傑物が生まれることもある。この人は
現在世界中にある国家公務員試験の生みの親
432世界@名無史さん:2008/11/11(火) 01:00:29 0
>>431
科挙作った理由に簒奪した後で周りに前皇帝派しかいないので
自分の味方を作ろうと始めたってのもあるんだっけ?
よく考えたもんだ。西太后も科挙をそのように利用したの?
433世界@名無史さん:2008/11/22(土) 09:17:12 0
一般旗人は貴族のように優雅な生活をしていたわけではない。
武術ができて兵士になるか、勉強ができて科挙に合格して文官になるかして就職できればよいが、
就職できず嫁も取れずに家族のやっかいになっている未婚男性も多かった。
434世界@名無史さん:2008/11/23(日) 10:11:42 0
>>432
西太后は政治面で特にこれといったことを自らの主導で行っていない。
家政では思うままに振舞ったけど。
あらゆる面で則天武后とは比べるべくもないと思うよ。
435世界@名無史さん:2008/11/23(日) 12:11:42 0
>>434
確かに曽国藩、李鴻章といった政治家の方が実務を取り仕切ってるよな。
436世界@名無史さん:2008/12/04(木) 09:53:58 0

Daicing gurun

大清國
437世界@名無史さん:2008/12/24(水) 13:55:30 0

マンジュ文字を保守せよ!
438世界@名無史さん:2008/12/27(土) 20:56:01 0
李氏朝鮮 ── 1392年の成立から1910年の日韓併合まで、実に
27代500年余の間、朝鮮半島に君臨したコリア史上最後の王朝です。

李朝の創業者である李成桂 ── 太祖は、高麗王朝に仕える有力な
武将として、自身の出身地である半島東北部の咸鏡道の守備軍を
統率する「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」と言う官職にありました。

李成桂は半島東北部・咸鏡道の出身であるのですが、問題はこの
地域が、南から移住した高麗人(朝鮮_人)と、北から移住した
女真人(満州人)の混雑地域だったと言う事です。つまり、高麗人と
女真人の混血がいたとしても何ら不思議では無い地域、それが
半島東北部であった訳です。それでは、李成桂の家系はどうで
あったのか?と言う事になります。

李成桂の父は名を「子春」と言い、子の成桂と同じ「咸鏡道万戸
兼東北面兵馬使」の官職を高麗王朝から授かっていました。
然し、問題は「子春」のもう一つの名前です。彼には「吾魯思不花」
(ウルス-ブハ Ulus Buqa)と言う蒙古(モンゴル)名があったのです。

そればかりか、李成桂の伯父達、詰まり、李子春の兄弟も、
完者不花(オルジェイ-ブハ Ol?ei Buqa)、那海(ノカイ Noqai)、
塔思不花(タシ-ブハ Tasi Buqa)と言った蒙古名を皆持っており、
これらのの事実から、李成桂の家系が純粋な高麗人では
無かった事は明白です。

高麗人と女真人が混雑していた出身地・咸鏡道の地域性と、
父親兄弟が皆、蒙古名を持っていた事実から、李成桂の家系が、
高麗人に女真の血が混じった混血だった可能性が高い訳です。
そして李成桂の家系が、むしろ、女真人に高麗の血が混じった混血、
あるいは、女真人そのものだったのでは無いかと推察できます。
439世界@名無史さん:2008/12/29(月) 11:20:54 0
>>433
江戸時代の旗本みたいだな。
440世界@名無史さん:2008/12/29(月) 16:13:56 0
勝手な想像だがドルゴンって
いつ俺皇帝になろうかなって
毎日悩んでいて、悩んでる間に
結局誰かに殺されちゃった(史実じゃないけど)
ような気がするw
441世界@名無史さん:2008/12/29(月) 20:01:27 0
蒼穹の昴〜珍妃の井戸〜中原の虹 
とっても面白くて止まらないのですが…
442世界@名無史さん:2008/12/31(水) 16:57:57 0
>>440
史実じゃないと分っていて「気がする」というのはどういうこと?
443世界@名無史さん:2009/01/01(木) 18:15:24 0
【中韓】 間島支配狙った中国、「土門江」を「図們江」に捏造〜ポステック教授が主張[12/31]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1230719071/
ソース:東亜日報<間島支配狙った中国、「土門江」を「図們江」に捏造 ポステック教授が主張>
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2008123128638
444世界@名無史さん:2009/01/01(木) 18:49:07 0
アイシンギョロの遺伝子は高く売れそう
445世界@名無史さん:2009/01/31(土) 18:18:53 0
Daicing gurun
大チン國
446世界@名無史さん:2009/04/15(水) 12:33:58 0
Aisin-Gioro
447世界@名無史さん:2009/07/10(金) 13:37:30 0
今回のウイグル暴動で思い出したのは…
左宗棠の塞防論だな

つまり
新彊が保たれなければ蒙古が保てない
蒙古が保てなければ京師が危うい
448世界@名無史さん:2009/07/18(土) 13:49:07 0
お話の流れを乱してすみません。はじめまして。初心者です。
以下のような話を、かつて本で読んだ記憶があるのですが、
書名等がいっさい思い出せません。
(説話集・筆記のようなものかもしれません。)

●八旗が没落して貧しくなり、
邸宅の中で賭場を開いている者まであった
●官僚同士の妨害・いやがらせとして、相手の官印を盗む
(この話は、清代だったかどうか確信ありません。すみません。)

なにか思い当たることでもありましたらお教えください。
449世界@名無史さん:2009/07/18(土) 21:23:14 0
The Last Emperor - Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=PtFrcVjVJBI

ジョンローンって今なにしてんの?
450世界@名無史さん:2009/07/18(土) 21:42:41 P
>>447
まあ北京の意識はそうだろうな。
451世界@名無史さん:2009/07/20(月) 20:05:33 0
光緒帝は西太后に虐待されてたの?
452世界@名無史さん:2009/07/20(月) 20:38:45 0
>>450
首都を南京にすればいいのです。
453世界@名無史さん:2009/08/09(日) 19:30:36 0
今の中国の知識人は、辛亥革命を否定的に捉えている人間が多いらしい。
「清朝の体制を残しておけばそれなりに安定したのに、アレのせいでその後
長い混乱の時代を迎えることになった」とか。
454世界@名無史さん:2009/08/27(木) 19:45:56 0
漢民族の王朝なら残ってたかも。
いや同じか。
455名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:28:00 0
晩唐みたいな状態になるのが関の山。
旧体制が残っていれば安定すると言うものでは無い。
456世界@名無史さん:2009/09/08(火) 12:23:10 0
韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」

中国共産党系の環球時報は7日、「韓国テレビ局と中国が、満州史で論争」と題する記事を発表した。
実質的には、韓国KBSが番組で「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」などと主張したことに対する反論だ。
環球時報が問題視したのは、KBSの番組『満州大探査』(中国語名)。8月29日と9月5日に放送した。環球時報は「韓国の国家テレビ局KBSがゴールデンタイムに放送」、
「もともと韓国人の土地だった満州を取り戻せとの世論のもとで、韓国の主要媒体が改めて、中国との歴史論争の行動を起こした」と紹介した。
29日放送の番組では、「遼河一帯の第五の文明に迫る」として、「満州遼河地域には紀元前6000年ごろ、黄河文明より1000年も早く文明の花が開いた」、
「紀元前3500年前の紅山文化では、初歩的な国家の形態も存在した」、
「遼河文明と黄河文明は明らかに異なる。遼河文明の出土品には、韓国で発掘されたものとそっくりの耳飾りなどがある」と主張した。
9月5日に放送された同番組第2部では、「金太祖の完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)の祖先は韓国人」、「阿骨打は新羅人の子孫で、本来の姓は『金』」、
「金王朝を樹立したのは女真族。女真族はその後、愛新覚羅氏のもとに、中国最後の王朝である清を樹立した。『愛新』は『金』、『覚羅』は『族』で、愛新覚羅は『金一族』の意」、「
満州の歴史は中国の歴史ではない。古朝?、扶余、高句麗、渤海、金王朝、清朝などと連綿と続く、韓民族と関係が深い地域だ」などと主張した。

同番組について、遼寧社会科学院辺境研究所の呂超所長は「韓国の一部の人間が、勝手に歴史をでっちあげている。
現在までの考古学の結果にもとづけば遼河は長江文明と黄河文明を継承した、中国文明の重要な源のひとつ」と主張。
民族の問題では、「過去には民族の融合が発生した。朝鮮半島南部にもともと住んでいた人々と、朝鮮半島北部の人々、中国の北方少数民族が溶け合った」と述べ、
KBSの「祖先は全部韓国人説」を否定した。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0908&f=national_0908_012.shtml
>9月5日に放送された同番組第2部では、「金太祖の完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)の祖先は韓国人」
どうしたいんだ、あの連中は
457世界@名無史さん:2009/09/08(火) 13:31:57 0
>>456
【韓国】教育現場に日本植民地時代の痕跡多数、清算めぐり見解差も 中学校校長「満州と朝鮮半島は単一圏とみなすのが正しい」[08/13]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1250143141/

中学校校長「満州と朝鮮半島は単一圏とみなすのが正しい」
中学校校長「満州と朝鮮半島は単一圏とみなすのが正しい」
中学校校長「満州と朝鮮半島は単一圏とみなすのが正しい」
458世界@名無史さん:2009/09/22(火) 18:23:49 0
エシンガックラ(愛新覚羅) アイスィンズィロ金同胞新羅を愛して新羅を思う.

言葉とおりだ. オリンバックショングドルよ~
反対のための反対としてそのまま音叉と主張する らして
いろいろ切れになった情況たちを総合して有效適切した解釈を下す人とどこがもっと妥当なのか?
ザゴで歴史と言う(のは)ひとりひとりたちが集まって成す多様な行為の組合なので
単純に一つはい根拠した判断よりは
さまざまな例たちを有機的に連結して判断するのがもっと妥当だというものが
私の優越な立場(入場)だそうだ.高炉
エシンガックラ, 金同胞, 新羅を愛して新羅を思う. アイスィンズィロ, 金, 後琴, ヌルハチ, 匈奴新羅 等々...
再び閣を通じて判断するのが正しいのだ.
分かるのか? ヨックゲルの幼いツツバックショングドルよ~ 補乳瓶をもっと譲ると頭が大きくなるかな~
本当に心配これに所....
http://gall.dcinside.com/list.php?id=history&no=384298&page=1&bbs=

愛新覚羅韓国起源説、いまだ健在
459世界@名無史さん:2009/09/30(水) 08:49:09 0
                〇_,,....,,...、__,,....、...、__,,....、_,,...、_
               //  旗国麗高 属国清大 ,.-‐‐'''"`'''"
              //  /// ̄ ̄\\\~"'-‐-、__
              // -=ニニ二二ニニ==-| '''-‐-、ニ''"~"''''
             //     |\_/-==/゙''''"~"''-==ニ''''"⌒゙、
             //-==-\\\__///ー==ニ二''''"⌒
              //        -==- ~"'''-‐-;;;二'"~"''''"
              //''''"⌒゙''''"~"''''"⌒゙''''"~"''''"⌒゙''''"~"
          //
          //
   ∧_∧  //   アイゴー!
  <ヽ`Д´>/()
  ( ニつ//
  |  l |`
  (__フ_フ
460世界@名無史さん:2009/11/03(火) 23:06:28 0
朝鮮スレで質問したことなんですが、回答がなかったのでこちらでお聞きします。
袁世凱が朝鮮宮中で高宗に謁見するとき、
馬に乗ったまま馬の上から会っていたと黄文雄氏が書いていますが、
これのソースはなんでしょうか?
461世界@名無史さん:2009/11/04(水) 00:39:31 0
清朝の皇帝って線が細いのばっかだよな
全盛期の康熙帝や乾隆帝でさえ優男だし
末期の咸豊同治光緒なんてフニャフニャ
 
よくあんな皇帝に忠誠が誓えたもんだよ
462世界@名無史さん:2009/11/04(水) 06:25:44 0
寝ぼけた目でPC開いたら一瞬「大貧帝国」に見えたw
463世界@名無史さん:2009/11/09(月) 23:59:35 0
清王朝の編纂による『古今図書集成』一万巻中に『図書輯勘』一三○巻がある。
清国皇帝は自身で序文を記し、『朕は源義経の末裔である。義経が清和源氏の
流れをくむため、清和天皇の名をとって国号を≪清≫とした』と述べている。
私は或る儒者の書物を見てこのことを知った。

                            ――森長見編、『国学忘貝』より
464世界@名無史さん:2009/12/05(土) 12:20:31 0
このあいだ愛国的中国人と話していたら「清は中華王朝じゃない」と言う。
まあ征服王朝だし、そう考える理由もわからなくはないかな、と思っていたんだが、
話しているとどうも理屈がおかしい。

よくよく聞いてみると、清を中華王朝と認めない理由は
「清が征服過程で漢人の7〜9割を虐殺したから」なんだと。
どこにそんな証拠があるのかねえ。
465世界@名無史さん:2009/12/05(土) 19:52:36 0
>>464
漢人同士で殺し合ってただろ、と言ってやれば?
466世界@名無史さん:2009/12/06(日) 05:01:56 0
>465
洪武帝とかどうなんだよ、って聞いてみたけど「清ほどには殺してない」、
明史は清が編纂したから信用できない、の一点張り。

でも7〜9割も殺されてたら中国人いなくなっちゃったはずじゃん、人口統計との整合性は
どうなの、って聞いたら「中国人は人口増加が早いから回復したんだ」だって。

酷使様はどこの国でもどうしようもねえな。
467世界@名無史さん:2009/12/06(日) 20:43:57 0
じゃあ世界一の優秀血族である愛新覚羅は日本人ということでいいね
468世界@名無史さん:2010/02/23(火) 21:22:23 0
女真人が中原を征服して漢民族を支配したというのは、
日本におきかえたら、アイヌが本土を征服して和人を支配したようなものなのだろうか?
469世界@名無史さん:2010/05/19(水) 02:35:17 0
全盛期はほぼ世界全体の4分の1を占めるほどの経済力持っていたそうだが
470世界@名無史さん:2010/05/19(水) 18:18:57 0
明は暗君ばかりの酷い王朝だったからねぇ・・
広大な領土を有していた世界帝国の元と清は征服王朝だし。

漢民族ってDNAレベルで駄目な民族じゃん?
471世界@名無史さん:2010/05/19(水) 18:50:11 0
>>470
元だって散々だろ、永遠と権力闘争続けて国を疲弊させ完全に失敗王朝だろ
だけど清は確かに最強だな名君ぞろいで完璧な国家システム
今までの歴代王朝がカスに思えてくるwww
472世界@名無史さん:2010/05/19(水) 19:39:06 0
明で中華の皇帝システムは完成していたが、その皇帝がおざなりだった
清は明のシステムを引き継ぎ、なお且つ皇帝も凄い人ばかり

中華王朝の集大成と言われる由縁である
473世界@名無史さん:2010/05/20(木) 11:03:37 0
その清よりも豊かだった江戸幕府の治世。

将軍も中華皇帝を見下していた。
474世界@名無史さん:2010/05/20(木) 11:34:05 0
今流に言うと、一人当たりのGNPでは江戸中期、元禄の頃に清を抜いていたんだってナw
475世界@名無史さん:2010/05/21(金) 00:49:20 0
そりゃ金銀銅を輸出していたからだろ。後半にはなくなってたやん。
476世界@名無史さん:2010/08/14(土) 23:28:21 0
江戸近辺はそりゃ豊かだったろう

飢饉が多い地方は地獄の時代だよ(うちの地方)
477世界@名無史さん:2010/09/04(土) 20:09:54 0
>>280
後継者は天皇の叡慮によって定められるって時点で
そこらの貴族にも劣る操り人形そのものだろ。
溥儀が死んだ後は天皇が満州皇帝を兼任して英領インド帝国のような
形態で支配しようって腹だったんだろうが。
478世界@名無史さん:2010/09/04(土) 20:14:19 0
江戸時代の日本がいくら豊かだとしても
乾隆の盛時に比べられるか?

乾隆帝からしたら徳川将軍なんて小諸侯でしかないだろうに。
479世界@名無史さん:2010/09/04(土) 20:24:00 0
>>478
スーパー貿易黒字国家だった乾隆の盛時の清の一人当たりGDPを
日本が上回ってたってほんとかね? なんかいまいち信用できんのだが。
480世界@名無史さん:2010/09/05(日) 17:54:02 0
1820年の一人当たりGDP
日本=704
中国=521
インド=531
英国=1756
米国=1287
ロシア=751
フランス=1218
http://www.oc.jful.jp/~oc429s/newpage2.htm
481世界@名無史さん:2010/09/05(日) 18:29:08 0
>>480
それは清が既に停滞の時代に入り、それなのに救荒作物のおかげで人口は増え続け、
更にアヘンの大量流入が絶賛進行中だった時代じゃん。
482世界@名無史さん:2010/09/05(日) 21:47:44 O
>>479
日本並に豊かなのは江蘇山東河南ぐらいで、そこでさえ各藩が大開発をやる江戸中期からは相当な差があるだろ。
>>480はデータが取れる豊かな一部地方と日本全体で比較だとすれば、そう違ってはいないだろうが
それ以外の大多数を占める貧しい地方を含めると、相当な差が付くだろう。

中国は日中戦争の時代になってさえ、ちょっと内陸に行けば江戸時代でも貧しい水準の暮らしをしていたし、時代が新しいから記録も残ってる。
483世界@名無史さん
中国の一人当たりGDPなんて10年くらい前まで北朝鮮以下だったのよ。
そんな国が18世紀、19世紀の時点で日本より豊かだったなんて有り得ないわ