933 :
世界@名無史さん :2006/08/08(火) 00:56:29 0
>>932 >ウィーン一等地に宮殿を持っている
リンクシュトラッセに近い一軒(都市宮殿)はオーストリア政府が借りて、政府庁舎の一つにしているが、最上階に侯爵が別邸を置いている。
やや郊外にあるもう一軒(庭園宮殿)は、最近修復され美術館として公開されている。
934 :
世界@名無史さん :2006/08/08(火) 01:00:46 0
>>929 ナポレオン1世の時代ならともかく
現在では名家の一員ではないでしょうか?
>>934 んまぁ、部下は立派にスウェーデン王家として認められているわけだしね。
>>932 リヒテンシュタイン家が帝国諸侯に昇格したのは三十年戦争中に
フェルディナント2世が自家臣下懐柔の為に乱発した勅書による。
本来ならば他の帝国諸侯の承認が必要で、皇帝にそんな権限は無かったんだけれど
戦後処理のドサクサで認められてしまった。
だから領土の獲得とは直接関係が無い。
その後に購入した封土を領邦として認められたのは事実。
937 :
世界@名無史さん :2006/08/08(火) 02:06:10 0
リヒテンシュタイン侯家はすごい美術品持ってたけど 公開してたかな? 古い本ではめんどくさいからってみたいな感じで宮殿奥深くしまわれたままみたいな ことが書いてあった(汗)
938 :
>>911 どのの書き込みに関連して :2006/08/08(火) 15:53:53 0
いまチャールズが持っている爵位は * コーンウォール公爵(Duke of Cornwall) * ロスシー公爵(Duke of Rothesay) * チェスター伯爵(Earl of Chester) * キャリック伯爵(Earl of Carrick) イギリスでは、長子(あととり)が、親の爵位のうち、二番目のものを儀礼上名乗る。 孫や三番目のを名乗るといいますが。上の四爵位は 「イギリス王(女王)の爵位を、子が儀礼上名乗っている」わけじゃないんですね。 きちっとそれぞれ公爵領、伯爵猟があるのですか。 また、タイトル自体、どうしてマージしないのでしょう。 (いったん瞬間的にマージして分知するのでしょうか。)
>>937 >>933 のとおりに最近美術館つくったんだよ。その時にNHKハイビジョンでリヒテンシュタインの歴史と
所蔵美術品の特別番組をやった。
940 :
世界@名無史さん :2006/08/09(水) 06:40:01 0
昭和天皇ってオランダで卵ぶつけれられたんだっけ そんな国に静養に行く皇太子夫妻って・・
爵位と称号ってややこしいよね。 Prince of Walesはウェールズ語でTywysog Cymru(タウィソグ・カムリ)で、サウェリン・アプ・グリフィズが殺されるまでは独立国としてのウェールズ(それでも既にイングランドに服従してるような立場になってたけど)の首長って意味だったわけすよね。 で、Edward Iが息子にやることにしてから今のアレだけど。TywysogはPrinceって訳される事が多いけど、リーダーて意味もあるんすよね。 一応今もウェールズの君主って事になってるんでしたっけ?(ウェールズ大の名誉学長だし)。 と、そんな事があって、ずーっと爵位だと思い込んでたわけですが、そういうんじゃなくやっぱただの称号だよっつーことでFAでええんすかね?
942 :
世界@名無史さん :2006/08/09(水) 12:25:33 O
>940 人種差別を公に表明する 退役軍人団体なそいつら。 今回はオランダ王室からの招待だ 断るほうが無礼になる
>>938 大前提として「イギリス王」ってのは爵位じゃないだろ…。
あと、イギリスの爵位で公爵領があるのは現在コーンウォール公とランカスター公だけ。
(ちなみに前者は王太子の、後者は国王の私的な収入になるらしい)
コーンウォール公とロスシー公は
「イギリス王位継承者である現国王の息子」に自動的に与えられるという規定だから、
即位したと同時に新王の息子に公位が継承されるのではないかと思われ(息子がいないと空位)。
キャリック伯はロスシー公の付属爵位なので、上に同じはず。
チェスター伯は慣習的にウェールズ公叙任と同時に与えられるようなので、
毎度毎度創設、なのかな。
>>941 ウェールズにおいても君主はイギリス王だと思うけど、どうなんだろ?
>>941 > で、Edward Iが息子にやることにしてから今のアレだけど。TywysogはPrinceって訳される事が多いけど、リーダーて意味もあるんすよね。
Prince は古代ローマの princeps の流れをくむ称号だから、
英語でも「リーダー」的な意味合いがあると思う。
945 :
941 :2006/08/09(水) 22:46:42 0
なるほど。ありがと。 そうだよね。うん。腑に落ちた。
946 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 01:22:32 0
メロヴィング家みたいにその一族には体に十字架やその他の模様があらわれる云々という伝承がある一族は洋の東西問わずどのような一族がいるでしょうか?
産経でエリゼ宮物語という連載をやってる。 それによると、1873年にオルレアン家パリ伯が、シャルル10世の孫シャンボール伯に仏王位継承権の 返還を提案し、このときの情勢では王政復古の目もまったく無かったわけじゃないが、シャンボール伯が 革命の象徴でもある三色旗を廃止して王家の白百合の白色旗を掲げることを強硬に主張して、結局話は 流れた上に王家正統の地位もそのままオルレアン家に残ったそうな。
>>947 王政復古の目が全くなかったわけではない、どころか王政復古は確実視されていた。
議会の三分の二が王党派だったんだから。
それが、20世紀になると王党派は多数いても王政復古はありえない状況に なっているんだから不思議。
950 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 13:12:14 O
シャンボール伯(ブルボン)は子供がいなかったから 王位の正統がオルレアン家になったんだけどな パリ伯はブルボン家の称号だからオルレアンが名乗るのはシャンボール伯没後だね
既にルイ・フィリップ王の時代から、嫡孫がパリ伯を称している。 第二帝政〜第三共和政初期はシャンボール伯とパリ伯が同時に存在した。 むしろ疑問なのは、ブルボン家のシャンボール伯がボルドー公の称号も持ってるのに、 伯爵の方を名乗っていたということ、
952 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 14:46:48 0
年表では「マクマオン大統領の陰謀」とか書かれているが 第3共和制では王政復古を大統領自らやろうとした事もあったんだよな。 具体的にはどんな風にして王政復古やろうとしたんだろう? 失敗したから「陰謀」とか書かれているが成功したら大統領は大功臣だったはず。
953 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 15:06:32 0
ド・ゴールは王党派よりと見られていて 本人はそれを打ち消す為に演説の締めくくりを 「共和政治万歳!」で結んでいたそうな。
>>952 ブルボン・オルレアン両派が妥協して、まず年長で子供のいないシャンボール伯が即位し、
そのあとをパリ伯が継ぐことで決着するはずだったが、国旗問題で提携が不成立。
そうこうしてるうちに、選挙のたびに共和派の議席が増加してしまった。
マクマオンは、憲法上、元首を「マクマオン大統領」と規定して、時間稼ぎするつもりが、
僅差で「7年制大統領」が可決され、王政復古の試みは失敗した。
>>953 ド・ゴールの父は王党派で、カトリック系の私立学校の教師をつとめる教育者だった。
ド・ゴールの評伝を読んだことがあるが、その本には王党派の家庭で育ったド・ゴールが
共和国の軍隊で士官となるため、共和制と「折り合いをつけた」と表現されていた。
956 :
952、953 :2006/08/10(木) 15:34:30 0
>>954 >>955 ありがとう。
フランス共和制下での王党派やボナパルティストの存在は
政治史上も社会史上も無視できない存在だと思うけど
誰か第二、第三共和制期での彼らの存在に焦点を当てた本出してくれないだろうか。
958 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 17:44:10 0
>>957 概説的に過ぎて人物の逸話とかがない。
流れを知るには便利だけど。
960 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 18:43:36 0
アメリカ人ジャーナリストのシャイラーが 『第三共和制の崩壊』という本を出しているが 毎朝アクション・フランセーズの機関紙を読むのが楽しみだったとか書いてたな。 当人にとっては時代錯誤に過ぎてギャグとして楽しんでいたらしい。
961 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 19:40:28 0
アクシオン・フランセーズの首領モーラス自身が、1940年の第三共和制崩壊で 右翼の天下が来ても、王政復古どころかペタン元帥崇拝のお先棒をかついだ。
962 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 21:57:32 0
>>943 公爵領という場所は、単なる私有地ではなく
中世の貴族が持ってたような領主権が、名目上はチャールズ等に
あるんですか
こういう話を聞くと、日本は古い君主国というが、千年以上続いた 養老令の公家制度も江戸時代以降としても300年近く続いた 武士制度も、何もかもラディカルに廃止して、本当に皇室が 残ってるだけなんだな。 総理大臣になると源氏長者の称号をもらえるとか、そういう 古き良き伝統を残そうとは思わないのかね。
源氏じゃない奴が総理大臣になっても源氏長者にはできんだろう。
965 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 23:11:35 0
>>962 中世の貴族が持ってたような領主権って、初夜権はともかく領主裁判権とか?
あるわけねえだろ。
>>962 コーンウォール州の長官はコーンウォール公が任命するらしいよ。
(他の州は国王が任命)
ランカスター公は空位だから領主権も何もないと思うが。
967 :
王室マニア :2006/08/11(金) 17:24:00 0
>>941 眉唾話だけどウェールズを征服したイングランド王が
英語の話せないウェールズ生まれの人間をプリンス オブ ウェールズに
任命するって言って息子に称号与えちゃったとか
968 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 23:42:03 0
元々のウエールズの王は処刑されたのか?
>>968 戦闘で敗死、その後継を名乗った弟を捕らえて処刑
王の霊威hage
>>968 もともとのウェールズの君主の称号(の英語表記)も"Price of Wales"
で
>>969 のいうように、エドワード1世に一族皆殺しにされる。
>>971 プライス・オブ・ウェールズじゃないだろw
973 :
972 :2006/08/12(土) 13:43:25 0
うほほ。Princeね。 motherからmをとったらotherみたいなもんなさー。
971だよ、俺は。何をやってるんだ。 これじゃまるで埋めじゃないか。次スレどうするんだ。
975 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 15:19:07 0
ウエールズ全体の世襲王家とかあったの? イングランドに征服される前は豪族が割拠してるだけの状態と思ってた。
976 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 16:00:07 0
豪族(Prince)が割拠してて 豪族のなかからPrince of Walesを互選してた。 エドワード1世がウェールズを征服するとき 彼に協力したウェールズの豪族(Prince)たちに 制服のあかつきにはウェールズ生まれの英語を喋れないPrinceを Prince of Walesとする、と約束してた。 で、ウェールズ征服後、エドワード1世と共にウェールズ入りした 妃が産気づいて王子(後のエドワード2世)を出産。 エドワードは「ウェールズ生まれの英語を喋れないPrinceだ」と宣言したと。
>>976 エドワード1世はわざわざ身重の王妃をウェールズに連れてってたから、
最初からそのつもりだったんじゃないかと思う
978 :
世界史 :2006/08/12(土) 22:24:43 0
>>977 それって都市伝説みたいな逸話だったんじゃ?
>>978 てっきり史実だと思ってたのだが、どうやら初出は16世紀で胡散臭いらしいね。
980 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 23:47:49 0
>>976 イングランド王に協力した豪族はどうなった、
貴族として生き残ったのか?
981 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 04:23:07 0
>>962 私有地にはすぎないんだろうけど、
戦前のわが国の華族世襲財産制度みたいに、法律上勝手に処分できないんだろう。
982 :
世界@名無史さん :
2006/08/13(日) 06:59:46 0 >962 コーンウォール公爵領については名目的な領主権が残ってるとか。 (一般にイギリス人は国王の臣民だけどコーンウォールの住民は コーンウォール公の臣民だったり) それはそうと、コーンウォール州=コーンウォール公爵領というわけではなく、 コーンウォール州≒コーンウォール公爵領で、州域のごく一部で公爵領から外れている 地域があるとか(その地域の住民は国王の臣民)。