1 :
(ノ∀`) :
ローマ→【アルメニア】←パルティア とか オスマン→【ハンガリー】←ハプスブルク
他、大なり小なり多数ありますが、この会話の無い夫婦に飼われている犬のような
地域をテーマで盛り上がって頂けたなら。 幸いです。
2 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 13:41:01 0
高校世界史でもよく取り上げられる緩衝地と言えば
アルザス・ロレーヌですがフランス統治下に入ったのは
いつですか?
ファルツ継承戦争とライスワイク条約後?
3 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 13:58:38 0
クウェートの西と南にあった中立地帯。
緩衝地域は会話の無い夫婦に飼われている犬のような地域ではないよ。
狭義の言語的会話が不可能な二人でも、キャッチボールやセックスのような肉体的言語会話は可能じゃん?
そのための工具、ボールや避妊具のような役目を緩衝地帯が果たしていたと考えればよい。
>>2 ウェストファリアあたりからちょびっとづつ削り取られてるよ。
最終的に全域がフランス領になるのは1766のロレーヌ公国断絶かな?
ひょっとすると革命戦争の時かも。
6 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 13:58:20 0
アジアでは19世紀ごろタイがイギリスとフランスの緩衝地域になったね。
7 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 14:57:05 0
アフガニスタンもロシアとイギリスの緩衝地帯。
日英同盟は(締結時)イギリスから見たら日本をロシアとの緩衝地帯にするもの
…なわけはない。
>>8 だめもとでいいから、ロシアの中国進出を日本が遅らせてくれればいいな、という程度の期待で結んだものと思われ。
あわよくば、日本軍が全滅したときに口を出し、ロシアには小さな餌だけ与えて自分たちが中国権益の防衛線として利用したかったんだと思う。
まさか大勝した挙句、明石が革命起こさせてロシアアポーンとは夢にも思わなかったろうw
緩衝地帯は朝鮮半島から満洲にかけてだな。
特に半島は歴史上大国同士の戦いの緩衝地帯や
中継地点に使われてきた。
11 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 18:44:46 0
成る程、中国の歴代王朝が朝鮮半島を結局自国領として完全に併合した
事がないのもそう云う理由だろうな…。
12 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 19:29:49 0
>>7-9 イギリスの老獪なところはアフガンでは戦争して日本では戦争してないところかな。
アフガンも結局追い出されてるけど。
タイ王国もイギリス(ビルマ・マレー半島)と
フランス(ベトナム)の緩衝地帯として扱われたんじゃない?
14 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 20:06:41 0
ベルギーも緩衝地帯だよ。
イギリスのパーマストン外相が、苦労して列強にベルギーを
中立国と認めさせた。
15 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 20:12:14 0
16 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 20:15:22 0
中世ポーランドも緩衝地帯かな?
「緩衝地帯」という政治的要地を生かせず、逆に草刈場になっちまったけどw
「緩衝地帯」という政治的要地を生かした緩衝地帯ってあるのかな?
軍部は朝鮮半島から満洲ラインにかけては
明確に緩衝地帯にする意識があったろう。
対ロシア用として。
実際1945年までは効果あったし、
ソ連が満洲や朝鮮北部侵入してる間に時間稼げた点もあった。
樺太にも言えるが。
これが本土だけで、終戦までの時間差で
九州あたりまで雪崩れ込まれてたら
居座られて権利でも主張されたら大変だった。
ムッソリーニ以前のエチオピアは緩衝地帯と言えるかな?
ただ単に列強に相手にされてなかっただけに思えるが。
19 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 20:20:25 0
イタリア領ソマリアとイギリス領スーダンの緩衝地帯じゃない?>エチオピア
22 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 09:25:36 0
緩衝地を完全征服にかかる権力者が出ると国が下り坂に向かうね。
そりゃ時代の流れでせざるおえないのもあるんだろうけど。
近年ではソ連が衛生諸国をソ連化してたら20年と保たなかったろう、ってな具合で。
23 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 11:45:25 0
ヨルダンだろ
25 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 13:10:03 0
あげておこう
アルザスが緩衝地帯じゃないんですか?神聖ローマ帝国(ドイツ)とフランスの草刈り場として。
フランス革命時にはフランス領だったんだけど、熱心に革命を支持したもののドイツ語を話すものだからジャコバンクラブから追い出されたりして。
>>26 中世初期にはアルザスは神聖ローマの中心地。
29 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 02:43:17 0
東欧ならやはりガリツィア?
大陸は大変だな
31 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 11:29:43 0
32 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 14:24:06 O
ガリツィアは緩衝地帯ではなくキエフ・ルーシ分裂後、1939年にソ連に併合されるまでモスクワ主体の帝制ロシア〜ソ連支配下になったことがない地域
モンゴル襲来後、宗教・文化に寛容なリトアニア大公国の支配下にありルーシ貴族の権限も認められ、中央にも抜擢されるなど平穏な時代であったが
ポーランドに支配権が移ると一転し、カトリックへの改宗を強制され、ウクライナ人農民はポーランドの中小貴族(シュラフタ)により農奴化され、重い賦役に苦しんだ
ウクライナ人の強い反ポーランドの抵抗は1846年に頂点となる
クラクフで起きたポーランド独立蜂起はポーランド貴族の過酷な隷属下で苦しんでいたガリツィアのウクライナ人を刺激し、タルヌフ郡を中心に反ポーランド暴動に発展し、独立蜂起は失敗した
第2次大戦中には反ソ反ポーランドのUPAが激しくソ連軍やポーランド国内軍と戦い、戦後も抵抗を続けた
ソ連軍の将軍バトゥーチンも狙撃され重傷を負い、後に死亡している
ソ連のMVDやポーランド共産政権の治安部隊による掃討作戦にもめけずに1954年、後にソ連内相となるフェルドチュク率いるMVD部隊に鎮圧されるまで抵抗、その後、生存者は地下活動に入った
彼らはリトアニアの反ソ反ポーランドパルチザンとともに“森の人々”とよばれた
33 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 22:41:44 0
34 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 00:53:15 0
アフガン、カフカス、バルカン
36 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 15:37:31 0
37 :
世界@名無史さん:2006/07/05(水) 01:45:03 0
西インド諸島
そういえばフェーブルの学位論文が「フランシュコンテとフェリペ二世」だった。
フランシュコンテというのはブルグントのこと。ヌーシャテルとかの近く。
あ この人もやっぱりわかってたんだとオモタ
>>32 >ウクライナ人農民はポーランドの中小貴族(シュラフタ)により農奴化され、重い賦役に苦しんだ
ガリツィアなどポーランド東部を支配したのは中小シュラフタじゃなくて大貴族(マグナート)だよ。
その地方の中小シュラフタは独立自営の農家ばかりだった。
>>16 >中世ポーランド
中世のあの辺だとポーランドじゃなくて、後のブランデンブルクなどのスラブ人異教徒地域が緩衝地帯。
ポーランド王国と神聖ローマ帝国の間の緩衝地帯だな。
エルベ・オーデル間で、旧東ドイツと大体一致。
中世っていっても長いですからねぇ
バルバロッサの頃にはポーランド自体が「神聖帝国」の属国みたいになるし
当時は王権が衰退して各地方のピャスト家諸侯によって分割統治されていたからね
43 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 14:00:35 0
燕雲十六州
間島
44 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 17:42:49 0
保守あげしときます
45 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 06:41:15 0
トカラ列島から奄美あたり
琉球(米軍政含む)だったり日本だったり
近世以降のカンボジアも悲惨だよね
なにげにハンガリーとか
48 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 22:00:29 0
49 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 22:46:06 0
樺太・北海道もそんなところだろうか。
緩衝地帯を直接統治に乗り出すと、敵とも直接相対することになるわけで、
国が強勢の時はいいが、徐々に統治のコストが重くのしかかる。
そして一度弱ると一気に本土にまで突破されるおそれがある。
つまりローマ滅亡の原因はハドリアヌス帝。
51 :
世界@名無史さん:2006/10/16(月) 13:05:19 0
中ソ対立時代から現代までもモンゴルは中ロの緩衝地域になるのかな
>>49 北海道はその解釈ありえん。「最前線」ではあったろうが。
樺太は時代によるんじゃ。千島樺太交換条約以前は立派な緩衝地帯。