399 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 02:20:04 0
>>396 ジュウケイはスターウォーズのオビワンそっくりだから白人だろ。
どうでもいいが北斗の拳はラオウが倒される時点で終了する予定だった。がジャンプのダメな経営姿勢によって
ストーリーが混乱していく・・
でラオウってどうみてもドイツかオーストリア人だよなあ。ターミネーターみたいじゃん。
401 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 22:23:51 0
やっぱり、黄人や黒人より白人顔のほうが迫力がある。
402 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 06:57:45 0
おまえゴツイ黒人って超こわいぞ。ファイトは弱いけど、ボブ・サップってゴリラが体毛剃って直立不動になったみたいで、
とっても恐ろしいんですけど。失礼だが。
403 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 07:15:28 0
>>402 黒人は間が抜けた感じがするので悪役には不向きだ。
現代の悪役は凛々しい顔をしていなければならない。
404 :
世界@名無史さん:2006/09/20(水) 08:45:18 0
>>403ヨハネスブルグやナイロビで強盗に逢った事の無い人や
キングストンでマリファナを売りつけられたり、ギャングの抗争に
巻き込まれたりしない人はみんなそう言います。
405 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:02:26 0
言わずとしれた主人公・劉備、声は井上和彦。
原作を完全無視した豪快な死にっぷりを見せる関羽。
建物探訪・渡辺篤史が声をやっている張飛。最後は曹操にトドメを刺され死ぬ!
ケツアゴ&金髪で完全にラオウ化した曹操。声は中山仁。やたら劉備と一騎打ち
しまくたり、孫権妹の唇を奪うなど漢気爆発キャラに。
なぜか女キャラになっている于禁(有名)。声は山田栄子。原作ではチョビ髭なのに…。
「敵方に女キャラがいねえから適当につくっちまえ」という、
ある意味OVAジャイアントロボ的なアレンジである。
なぜかアイシャドウ入りの諸葛亮。声はなんと富山敬。いきなり入浴シーンを披露。
ヒロインの麗花姫(孫夫人)。
1巻では入浴中の孔明にハダカでせまったり&グライダーに
乗ってパンチラしまくったり、曹操にキスされたりと、サービスシーン全開。
声は平野文。
横山ファンにとってパンチラ三国志といえば「一騎当千」ではなくこのアニメ
のことである。
いきなり「野盗の頭」として劉備一行を襲う趙雲。ドカベン顔の名残すらねえ。
声はGIブルース佐々木功!ちなみに長坂の戦いには出てきません。
ほかにも周瑜の声がシャア・アズナブルだったり、張松の声が八奈見乗児だったり、
ホウトウの存在が消されてたり、司馬懿の声がラコックこと仁内達之だったりで、
三国志ファンなら見所&つっこみどころ満載でかなり楽しめる作品じゃないかと
思います。
406 :
405:2006/09/29(金) 19:04:02 0
407 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:10:38 0
ケツアゴ&金髪で完全にラオウ化した曹操。
なぜか女キャラになっている于禁(有名)。
なぜかアイシャドウ入りの諸葛亮。
ヒロインの麗花姫(孫夫人)。1巻では入浴中の孔明にハダカでせまったり
いきなり「野盗の頭」として劉備一行を襲う趙雲。
どうしたらいいんだべ。
408 :
世界@名無史さん:2006/09/30(土) 02:21:51 0
黒人や黄色人種にケツアゴがいないのはなぜ?
409 :
世界@名無史さん:2006/09/30(土) 03:56:44 0
ケツアゴといえばドイツ人
410 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 07:41:14 0
なんでそんな話になっちゃったのかよくわからんが
中国の土着は黄色人種、そこにアラブ・インド系の連中が入ってきて
住民を支配、やがて国になった、夏とか兎とか舜とかがこれだ
現在の漢民族はこの土着被支配民族
兵馬ようの模型は奴隷兵士だから漢民族なのでモンゴロイドで埋葬されてる始皇帝はアラブ系
中国の「なんだこりゃ?」っていう城下町丸焼きとか、わけわからん残虐処刑方法とかあるじゃん
あれって支配層のアラブ・インド系からみて漢人は異民族なので良心の呵責とかないからできたの
その後におとずれる元時代までアラブ・インド系支配は続いてたのですよ
411 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 07:51:40 0
>>410 ということは、隋の煬帝とかも、インド・アラブ系?
信じるなよ
てか奴隷兵士って・・
413 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 21:47:25 0
>>1のソースによると、斉の最初の人々は現在の欧米人に近いDNAの人、次は中央アジア、次は現在の中国人というように
時代によって入れ替わってるらしいけど。
当時の中国の国家は、城塞都市同士を線で結んで、その影響範囲を
領域としていた。塞外には、空白地帯が存在し、その隣接地域に塞
外の集団(遊牧民)が生息していた。
また中国の国民と見なされるには農耕民族であることが重要で、人
種自体は、大きなウェイトを占めていなかった。ただし、人種のる
つぼであったと言うのは容易に想像できる。
斉の領域内でも中国に属さない塞外の集団(遊牧民)が、斉国に属
することなく、移動を繰り返しながらも国内を移動していたものと
思われる。
今回、発見されたのも、西域に起源を持つ人種のそれでありましょう。
415 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 22:40:30 0
>>413 >斉の最初の人々は現在の欧米人に近いDNAの人、
見た目は弥生人にそっくりなんだが、DNAだけが西洋人というのが出ているというのは
たぶん広く知られた事実。しかしそれは、古代中国が白人だらけであったことではないようだ。
大部分はモンゴロイドだが、他民族が入り乱れ、混血を繰り返す大陸国家ゆえに、そういう香具師も
少しはいた、という事。
416 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 22:43:08 0
>>414 斉のすぐ北の燕国は、北狄遊牧民主体の国じゃなかった?確か。
だから色々混じってるという気はする。
417 :
414:2006/10/09(月) 23:08:39 0
>>416 すいません。燕国の成り立ちは知らないのですが、北辺であると
いう地理関係から、熟狄が人種構成に占めるウェートは、南方
の諸国よりは多かったと思われますよね。
そうすっと燕人張飛ってのは、燕の出身ってことっすか。
(スレ違いスマリ)
418 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 10:07:31 0
>>413そりゃどこの地域も最初は「プロトタイプ・コーカソイド」だったんでしょ。メソもエジプトも支那も印度も。
それが支那の場合北方モンゴロイドが徐々に中原に南下、モンゴル帝国辺りで極まり、今に至るという感じなんじゃないの?
419 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 10:08:54 0
古代中国は今のアメリカみたいな感じだったのかね?
420 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 10:15:34 0
最も高位だったのがペルシア人みたいな風貌で、
兵隊がモンゴロイドだったんだろ。
ローマ帝国も、ラテン白人が支配人種でゲルマン人種は傭兵だった。
それが後にゲルマン人に侵入されてローマはホロン部。
支那帝国もモンゴロイドに幾度も幾度も侵入されて、モンゴル帝国でホロン部。
まあ支那の人種の推移って五胡十六国やその前からも徐々に進んでいたらしいけどね。
「純血種支那人」っていたら面白いよな。
根拠がいい加減過ぎる
甲骨文字の文章や古代中国の文がペルシャ語に近いわけでもない限り
そんなもん認められるか
422 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 21:27:22 0
風貌がコーカソイドだ、とは言ったが「支那はペルシア帝国の亜種」なんて誰も言ってないだろ
語尾が「〜だろ」の香具師は十中八九ソース提示できない件について。
424 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 11:43:28 0
まあなんだ、揚げとくよ
まあ、だろのやつは中華がむかつくから否定したいがために書き込んでる人だろうからな。
426 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 15:45:31 0
おおおおおお
427 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 16:07:55 0
そういや、中国人は蒙古斑ないらしいね。なんだ、いまでも白人じゃん。
428 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 16:39:12 0
429 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 17:15:41 0
wwwwww
430 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 19:16:45 0
>>427 シニーデ(シナ人種、中央モンゴロイド)は蒙古班じゃなくて、
蒙古襞が弱く、アイヌのように目に蒙古襞が無い人が多いの。
よーく間違えられるので注意。
431 :
世界@名無史さん:2006/10/26(木) 19:50:47 0
蒙古襞ってなんですか?
432 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 19:00:43 0
433 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 19:25:03 0
>>431 確か目頭のところを覆っている皮膚のこと。
白人には目頭が丸出しで切れたみたいになっている人が多いけど、アジア人は目頭がチラッとしか見えないの。
なんやよう分からんな。モンゴロイドは目頭が厚く、コーカソイドは上まぶたが薄い(すぐ下に眼球)ということなの?
違う
指の間のヒレみたいなもん
大きいヒレのカッパ→アジア人
ほとんどヒレがない人間→白人
上瞼の皮膚は目頭に被さるようになってるだろ。それを蒙古襞といって
大抵の日本人はそんな感じだな。目頭がはっきり見えるように出ている
やつは少数派、それか整形したかだな。
アーリア人の祖先が中国東北部に出現したのが1万年ぐらい前ですか?
ここで秦の話ばかりで、楚の話をする人がいないのが面白いな。
楚は人口が多く、住民は背が低かったとされる。
周王朝のなかで完全な異民族をとなえており、「われは蛮夷なり。中国の法にしたがわず」
といって、戦国7雄のうちでさいしょに王号をとなえた。
南方は水が多く、稲作もさかんだから人口が多かった。タイ系民族といってもいいだろう。
かれら楚人の子孫がいまの中国人ではないだろうか?
現在でも北中国は背が高く、南中国は背が低く(言語も異なる)ほとんど別民族だが
長い時間をかけて混血した場合、やはり稲作で人口の多い南方のほうが血として優勢となる。
周王朝は、さきの殷朝においても西伯(西方の支配者)の家である。
本拠地はいまの長安よりもっと西にあった。
その故地にたてた国が秦、やはり蛮族とされたが、いちおう周の官爵を拝命していて
楚のように完全独立の気分ではない。
周王は天下を取り都は洛陽などはるか東方にうつっていったが、血筋としては西方の遊牧民だろう。
だから貴族階級がインド・アラブの特徴を持っていてもおかしくない。
かれら周の貴族は羊の毛皮をまとい肉しか食わなかったといわれる。(おそらく羊の肉だろう)
先祖が羊飼いだったのだ。この点でも現代中国人と大きく異なる。
典型的な楚人である項羽が、稲作さかんな南方でないと王者になる意味がない
といったのは有名だが、食文化ベースで大きく違う。
漢民族といっても、この周王朝がすべての中国文化の原点となってる
孔子は周の古い礼法や道徳をまとめた人だ。
さて、漢帝国は北方の周をもとにしていたわけだが、
三国志のあと普が成立し、遊牧民に普が滅ぼされたあとはめちゃくちゃだ。
その意味で当時の漢民族は北方の戦乱でほぼ滅んだと見ていいだろう。
この戦いに勝利したのは鮮卑族の貴族であったらしい。トルコ系民族だ。
隋唐などは鮮卑族の貴族の建てた国だ。
だから血筋としては漢民族は北方においてほぼ断絶してるわけだ。
といっても遊牧民は人口が少ないので
北方の虐殺→新王朝成立→南方の独立温存→政治的統合の後人を増やすために殖民
がくりかえされたあげく、インド・アラブの特徴を持っていた古代中国人がほろんだのだろう。
つまりトルコ民族と南方人にサンドイッチになり、真の中国人はすりつぶされたのだ。
そしてのこったのはタイ系民族とトルコ系民族のみ
現時点では9割がタイ系とみてよい
歴史では北の王朝が南を併呑するパターンが多いが、血の侵略としては逆だった。
おもしろいことに中国共産党支配者も湖南出身(楚の故地)が多い。
440 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 18:20:56 0
「中国人」とは誰か
2.中国語
以前にも書いたが、漢民族が西方から渡来したとする説がある。体型、埋葬法、文法、
発語法、古代文字の比較、考古学的発掘調査などによる、漢族の西来説である。
中国語と英語の文法が、その語順の類似など、少なくとも日本語と中国語より遙かに
似通っていると感じる人は多いと思う。もちろんこの二つの言葉は互いに異なる「語族」に
属す別系統の言語とされているのであるが、アンダーソン(1874〜1960)は、漢民族は
人種的にもメソポタミアの古代民族に起源すると説いた。
6.臨シLinziの住民の遺伝学的研究
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝
研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の
臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、
及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表した。
それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかに
なった。約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、
約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に
近く、現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に
近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。また、2500年前から2000年前の
500年間に臨シ集団に大きな遺伝的変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な
移動があったことを示唆している。
(続く)
441 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 18:22:29 0
(続き)
7.結論
一方、ミトコンドリアDNAの研究が示しているのはユーラシア西部に起源を持つ人々が
黄河文明の南端付近にいたがその後現代のような「黄色人種」である漢民族に徐々に
置き換わっていったという事実である。これらの諸事実を統一的に説明する仮説は以下の
ようになろう。
「長江流域にモンゴロイドが稲作を基礎とする文明を築いていた。一方、西から移動してきた
麦作と牧畜を基礎とした文化を携えたコーカソイドが黄河流域に定住した。武力に勝る
北方黄河文明の支配者は、人口においては優勢な長江文明の人々と戦い勝利した。
人口に勝るモンゴロイドは政治的軍事的文化的には敗者であったが、遺伝子的には
黄河文明の人々をしのいで現代漢民族は『黄色』になった。」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-61.htm
442 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 20:26:44 0
>>34 シナ人にも白人崇拝はあるようだが。アジア人には横柄で欧米人には弱腰と
いう定評がある。
443 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 20:50:42 0
シニーデ(シナ人種、中央蒙古人種、中央モンゴロイド)、
つまり華北人は形質的は日本の弥生人骨に近いのだが、
眼裂があまり細くない上、蒙古襞が弱くて一重まぶたが少なく、
鼻が突出しているなどの点で、日本の弥生系とは顔面的には
かなり相違がある。
華北人は土着の中央モンゴロイドに北方モンゴロイドが混成して
生じた人種だと思われるが、日本人よりも北方モンゴロイドの影響は
はるかに弱い。
そこから考えてみても、シニーデが弥生人ではありえないのである。
444 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 21:13:35 0
>>439 国民党軍、朱元璋軍以外に南から北への人口移動があったのか?
445 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 14:01:28 0
現在のイギリス人と類似の遺伝因子を持った約3,000年前の人骨が国内青銅器時代のドルメ
ンから発掘されて考古学界の注目を集めている。
江原(カンウォン)文化財研究所は4日「江原旌善(チョンソン)郡北面アウラジ遺跡で去
年出土した人骨を1次分析した結果、イギリス人の遺伝子とよく似ているという結果を得た」
と明らかにした。
江原文化財研究所側は「ソウル大解剖学教室シン・ドンフン教授チームがDNA塩基配列
を分析した結果、ヨーロッパ系統の白人、特に現在のイギリス人の遺伝子とよく似ている
という1次分析結果が出た」「国際的に具体的な確認のために、イギリスと日本にこの人骨
の分析を依頼した」と言った。
この人骨は去年10月アウラジ遺跡内四基のドルメンの一カ所から土器片と出土した。チ・
ヒョンビョン発掘調査団長は「当時の頭蓋骨、骨盤、顎骨、大腿骨、肋骨などの一部が発
掘された」「人骨とともに出土した副葬品の量が少なくて人骨出土遺跡の正確な年代確認
は難しい」と報じた。
チ団長は「近隣の遺跡・遺物と比べる時、調査団の立場は約紀元前970年位の遺跡と見る」
「国内ではまだ先史時代ヨーロッパ系人骨に対する具体的な研究成果がなく、今後の考古
学界の研究が期待される」と付け加えた。
キム・ビョンモ文化財委員(漢陽大名誉教授)は「アウラジ人骨は韓半島の青銅器時代研究
に画期的な資料」と言い「個人的に見る時、ヨーロッパ系遺伝因子を持ったこの人骨の主
人公は稲作伝来経路に沿って東南アジアを経て韓半島に入って来たと推測する」と明らか
にした。
国内青銅器時代遺跡で西洋人と見える人骨が出土したのは1965年忠北提川黄石里遺跡以後
二番目だ。‘黄石里人骨’は解剖学的には西洋人と推定されるが、DNA塩基配列分析な
どのもっと正確な科学的研究結果がいまだになくて、学界では西洋人可否をめぐって論争
が続いている。
http://img.khan.co.kr/news/2006/12/05/6l0501b.jpg 京郷新聞(韓国語)旌善青銅器遺跡地‘西洋人遺骨’出た より
高度の文化は都市においてうまれる。
ギリシャ文化もポリス(城塞都市)の住民が数千年かけて築き上げたものである。
死者を墓にほうむりそれを守ることは定住民、つまり農耕を主とした者にしかできない。
「文化」の文という漢字は、死者の胸にいれずみした絵がもとになってる。
遊牧民は、墓をつくってもそれを定住して守ることはできない。
したがって遊牧民は墓の場所をかくす風習がある。
ジンギス汗はもちろん、モンゴル帝国の歴代支配者の墓はすべて秘密とされ、いまだ不明である。
もちろんモンゴルにかぎらず西のフン族、ゴート族の王も墓所は秘密とされてる。
「ジンギス汗を葬るとき、出会った者をすべて殺した」というのは、墓所の秘密を守るためだ。
さて、遊牧民は死者の墓を祭れない。つまり古代風にいえば「文」がない。
農耕の結果として、食料の備蓄、富の増大、城塞都市ができた。
これにより支配者階級、余暇のある人間をうんだ。これから絵や文字などに専従する余裕が
うまれてきた。
もし高度の文明を誇る都市があっても、戦闘力の高い異民族が押し寄せてくれば
すべて破壊されてしまう。
中国はもとより、ヨーロッパでもそんな例は多い。
その意味で日本やイギリスのような島国は、いわば国全体が城壁のようなもので
古い文化を守っていきやすい。
大陸ですべて破棄された古文書が日本にだけ残っていたり
イギリスで犬の品種改良が継続されたのも島国の利点であろう。
448 :
世界@名無史さん:
いや、イギリスは蹂躙されまくりだろ