FhHfkEfQSeI
105 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:59:02 0
iMabuTaRmeKepo!
106 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 11:31:46 0
釈迦「こと」って被疑者じゃねーんだぞ
1は仏罰を覚悟せよ
お釈迦様はそんな些細な間違いでお怒りにはならないでしょう。
勝手に仏罰を主張する106の方こそ覚悟した方がよいのでは?
罰に関していえば、どちらも無問題です。業に相応の報があるだけの事。
三悪道に落とすのは、他ならぬ自分自身です。
中国や日本の仏教であれば、仏は怒りを示さない代わりに眷属の鬼神が罰を
下すと言って、仏法への不遜を戒めていましたが。
つまり汚い嫌われ仕事は鬼にやらせ、自分は好かれる美味しい仕事ばかりをやっているのが仏。
真に尊いのは嫌われ、毎年豆を投げつけられ、あるいは一日何度も鉛を口に注ぎ込まれる
鬼や閻王こそ本物の存在。
仏は氏ね。
110 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 20:37:42 0
氏んだから仏になったわけで・・・・・・
つ即身成仏
112 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 11:25:51 0
hosyuage
113 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 17:05:20 0
人に見られた時点で仏でなくなるんじゃないの
115 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 06:18:57 0
釈迦って「善人」として認識されてるか?
なんかそう言うのとは違うと思うんだが……。
116 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 06:48:08 0
いやみが目立つ山野は仏にはなれないとまで読んだ
117 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 15:08:25 0
釈迦は悟ったから普通の人とは違う崇高な人格を常にキープしていた、人間離れしていた
というのは後世の誤解みたいだね。
仏典読むと、けっこう人間臭い。
腰痛持ちで腹痛持ちで、それをぐちぐち弟子にぐちってるし、
50歳になると「体力的にきつくなってきたので、そろそろ、わしにも秘書をつけてくれんか?」
と教団にねだってるし、
母親と元妻が教団に押しかけてきた時には、困り果てて
「王宮の楽な暮らしに慣れている年老いた母上が修行生活に苦しまれるのを
見るのは息子としては見てられません。私の煩悩になるから帰ってください!」と
アレ。。。もう解脱したんじゃなかったの??の解脱者らしからぬ発言するし、
腹痛で横になっていた時、弟子の一人が前を遮ると
不機嫌に「どけ!」と八つ当たりしてたという話もあるし。
後世の創作じゃねえか馬鹿じゃねえの
>>118 かなり初期の仏典パーリ語のニカーヤに載ってるから信憑性あり。
120 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:42:09 0
>「王宮の楽な暮らしに慣れている年老いた母上が修行生活に苦しまれるのを
>見るのは息子としては見てられません。私の煩悩になるから帰ってください!」と
>アレ。。。もう解脱したんじゃなかったの??の解脱者らしからぬ発言するし、
根本的に解脱というものを理解していないんだな。
世界史板に書き込むのをやめたらどうだ?
121 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:04:09 0
ゴータマに「善人」のイメージはないなぁ。
悟りって、究極の無関心じゃないかな。
少なくとも「人情」とか「浪花節」が似合う人じゃなかったと思う。
数劫の転生の話とかは、後世の創作なんでしょ?
123 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 20:19:25 0
>>122 転生が今の地動説みたいに常識だった時代に「転生はあるかどうかわからん」と答えたのが
釈迦であって。
124 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 20:47:20 0
輪廻転生の苦しみから解放されるのが、解脱なんじゃなにの??
125 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 23:17:34 0
哲学者、思想家、向けの答え
神の存在の有無、前世、後世の存在の有無についてそんな人智で確かめようもない事に
議論し執着するのは苦しみの解決には無意味。有害。だから
転生はあるのかという問いに対する釈迦の答えは不記(判らん)
在野信徒向けの答え
なんせ転生が今の地動説みたいに常識だった時代だから
布教のための解かり易い「方便」として輪廻転生話を活用することもあった。
来世については無記。生命は五蘊の集合体であり、自律する「霊魂」は認めない。
在俗の信徒に対して、善行が天界に生まれる要因であると説いた例あり。
また、霊魂は認めないが輪廻転生は認めていたともいう。
これではよく分かりませんが、要するに輪廻は霊魂が主体となって果たされる
のではなく、「業」が影響を与えて一刹那の間に中有に転生し、更に来世に
転生するので、前世・現世の行いが新たな生における境遇を決定するのだと
もいう。
霊魂を認めない考えと輪廻説の両立は、『ミリンダ王の問い』でも一応説明され
てはいるものの、やはりよく分からない難問。
上に述べた霊魂は輪廻せず業が輪廻するという事については、戦前に木村泰賢
によって解説されていますが、近年になって、原始仏典を解析してみるとやは
り当初は輪廻説は認められていなかったという意見が出されています。
これで話が収まるとは言えませんが。
127 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 01:27:11 0
輪廻思想が当時の(今でもか)インド人の道徳観念を支えていたから、
お釈迦さんとしては無下に否定はできなかったんじゃないかなと思う。
カントの所謂「実践理性の要請」みたいなもんで、
輪廻転生を実証することはできないが、人が道徳的に生きるためには
輪廻や業があると信じることが要請されるという話。
六師外道の中には輪廻などないとはっきり否定するものもあったようだが。
>六師外道の中には輪廻などないとはっきり否定するものもあったようだが。
六師外道は、マハーヴィーラ以外は基本的に道徳否定論者でしたからね。
しかしブッダもそうでしたが、誰も彼も思想が革新的過ぎる。
『法句経』の生まれの尊さよりも行いの尊さを重んじた思想は凄い。
今でこそ当たり前ですが、基本的に前近代を舞台にした小説に出てきたら場
違いだと言われる考え方ですよ。
若い頃の仏陀は武術の達人で、腕に任せて略奪婚したらしい。
>>128 >ブッダもそうでしたが、誰も彼も思想が革新的過ぎる。
紀元前5世紀頃のインド、ギリシャ、中国の都市国家に興った思想は、
そろいもそろって革新的ですよね。
なのに、古代、中世と社会の権力構造が定まってくると、思想も宗教臭く
慎ましいものが主流になっちゃいますね。
紀元前5世紀頃の都市国家社会って、かなり特殊な社会だったんでしょうか?
ヤスパース言うところの「軸の時代」ですね。
>紀元前5世紀頃の都市国家社会って
インドに限って言えば、商工業の発達する中で、ヴァルナ制の下位に置かれ
ていた商工業者の勢力が増し、それに伴って身分関係無く救済される新思想
が模索されていた事が、仏教興隆を支えたと言いますね。
まあ、紋切り型の大雑把な説明ですが(身も蓋も無い)。
『維摩経』は在家の商業者の立場を肯定したものですし、釈迦十大弟子の一
人であったプールナは元はインド洋を利用していた交易商。
祇園精舎の説話は有名ですし、最後に供養したスダッタも貴金属を扱うかな
り裕福な人物であった様です。他にも、キャラバンが出てくる説話が多い。
サンガ(教団)では、在俗時の身分は問題とされず、法揩ニ呼ばれる出家し
た後の年数で順が定められていました。
やはり十大弟子の一人であったウパーリは元は身分の低い理髪師でしたが、
ほんの一瞬先に出家した事から、出家した釈迦族の元公子達に拝まれていま
す。なお、出家した順というのは今の日本でも同様で、中高年で出家した場
合は、子供の僧侶を兄弟子として敬わねばなりません。
今は子供で出家する様な事もまずありませんが。少なくとも、半世紀ほど前
までは、そういう事もありましたよ。
社会が変化していく中で、新たな思想が百花繚乱。中国もそうだったと思い
ますが、やはり固まる前の粘土の様な社会状況だったのでしょう。
ブッダの存命中にはまだ未発達であった貨幣経済も、その後どんどん発展し
ていった為、遂には禁止されていた貨幣の布施を受けるか受けないかなどの
十の問題が、大乗部と上座部の分裂を招きました。
改革の中心にいたのがヴァッジ族の出身者でしたが、ヴァッジの国はとりわ
け商業が盛んであったらしい。その事とも関係するのかもしれません。
132 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 15:07:22 0
大乗部と上座部の分裂を招いた会議の論争の一つ。
「アラハンは夢精をするやいなや」
しない♪→上座部(アラハン認定の長老達)
する!→大乗部
もうちょっと、ましな事でケンカ別れしてもらいたいねw
所謂「十事」の中にはありませんね。
内容は、先に述べた金銭を布施として用いるという事の他、午後になってか
らも日時計の影が指二本分移動するまでは食事が出来るという事、塩を後日
の分までとっておいてもよいという事(蓄財は禁止されていた)、人数が足
りなくてもありあわせで儀式を行ってもよいという事など。
これらはかなり重要です。川口慧海がチベット旅行記に書いていた通り、困
難な旅の最中に時間を定めて食事をとる事は容易ではなく、塩も何時手に入
るか分からないという事があった。
それでもあくまでも戒律を重視して堕落に予防線を張るか、柔軟な姿勢をと
るかというのは、双方に言い分があった大問題でした。
十事の他の問題も、主に食と布施してくれる信者に関わるものが多い。
132氏は笑っておいでですが、性と救済というのも難問で、戒律を記憶し
ていたウパーリが、夢精をしてしまってサンガを出て行こうとした者を許し
たなど、一大関心事だったのは間違いありません。これは他の宗教も同じ。
食物と性関連の商品が氾濫している時代には、分かり難いでしょうが。
なお、戒律の内、戒は悟りに至る為に個人が行うものであり、律はサンガで
守るべき規律の事ですが、『遊行経』には、入滅前のブッダによるわずらわ
しい事項は削除してもよいという言葉が見えています。
上の儀式云々にも関わって来る話ですが、本来は出家に際して十人の僧侶の
立会いが必要とされていたのを、辺境では五人で良いと言われるなど、ブッ
ダは融通無碍(仏教用語)な方でしたね。
仏教と平等についてですが、記録に遺されている佛弟子の割合から言うと、
バラモン5割、クシャトリア4割、シュードラ1割といったところです。
シュードラ出身で長老として尊敬された人も出ていましたが、佛陀御自身の
出身階層の事もあり、差別したという訳ではなくても、やはり庇護者兼信者
の階層には偏りが見られ、それが後代まで続いた様です。
それでも階層を越えるというのは大きな魅力であり、『ミリンダ王の問い』
について言われる様に、民族宗教でないという理由で外国人の信仰も集めて
はいましたが、後代に衰退した理由はこの辺りにあるのかもしれません。
要するに、支持していた階層の衰退に合わせたのではないかと。
>94氏の示された説も考え直してみると、政治的に優位な立場を利用して、
イスラームが新たな平等思想を大々的に宣伝し、それに乗りかかって佛教が
消えるまでに至ったと考えてもよいのかもしれません。
佛教→イスラームに乗り換えるにあたっても、教義を気にする信者というの
は実はそういませんし、寺院の破壊というイスラーム側の行動もあって、知
識階級の間でも教義が考えられる機会は失われたか。
改宗しなければ命をとられるという訳でなくとも、階級が高ければムスリム
でないと生き難いという面もあったでしょうし。
135 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 20:17:19 0
age
136 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 19:14:36 0
age
無意味にageんなアホ
138 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 17:28:38 0
age
139 :
世界@名無史さん:2006/12/18(月) 19:08:31 0
上げて悪いか
140 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 17:20:34 0
湯田 豊「ブッダvs.ニーチェ」は必ず読みましょう。
141 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 02:36:23 0
ぶつじょー
142 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 22:40:14 0
釈尊が出家し息子で王子のラーフラも出家したのちこの王国の跡を継いだのは誰なんですか?
それは釈尊からみてどういう関係に当たる人なのでしょうか?
143 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 22:57:17 O
史料がほとんどないから分からん。
ほぼ同時代の孔子と比べても釈尊関係の史的資料が少ない。
インドと中国の歴史に対する姿勢の違いがここら辺によく出てて学者泣かせなんよ。
145 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:39:24 0
mano pubbaGgamA dhammA manoseTtA manomayA
あげ
一応、ラーフラ出家の時点では、釈迦の従兄弟のバッディヤが王でしたね。
元々貴族による共和制で、王制になってからまだ間もなかったようです。
大きな混乱もなかったのでは。「分からん」とは言い切れないと思いますが。
なお、釈迦族滅亡は、実際には釈尊入滅後のことではないかということです。
輪廻転生 カルマ 諸行無常
カピラパストウ
自分の息子にラーフラ障害と名づける
釈迦族って今もインドにいるの?
151 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 16:15:45 0
>>146 釈迦族の行く末がよくわかっていないということは、
釈迦の血族に対する関心が薄かったということなんでしょうか?
152 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 19:55:17 O
当時、仏教は釈迦派以外にもいくつかあり、釈迦派は自らを第一にする為に激しい弾圧?を行った。
更に、当時のインドのどこだかの国が国家統一の為に釈迦派と組み、結果釈迦派が広まった。
っていう説があるのをなんかで読んだか、見た希ガス
>釈迦族の行く末
いつ滅亡したのか分からないのは、インド人歴史というものに対する関心の
せいだと思います。
釈迦の生没年すら確定出来ていないくらいですから。
一応、釈迦入滅の100年後にアショーカ王が即位したとか、釈迦入滅後ま
もなくアレクサンドロスの軍がインドに侵入してマガダ国の手前まで迫った
ということはありましたが、インドの記録の年代がある程度分かるのがその
アレクサンドロス侵入の時代以降という話ですから。
マウリヤ朝の成立に至るまでの混乱もあったと思います。
だからといって、釈迦の血族に対して強い関心がもたれていたかといえば、
そうでもなかったと思いますが。