1 :
世界@名無史さん:
漢に敗れた項羽は長江を渡る決心をし、楚人と共に西方に向かい、カルタゴの傭兵となった。
ハンニバルの頃に現れた項羽の脅威はローマ軍を恐怖に陥れようとしていたという設定でよろしく
2 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 18:46:22 0
三戦板に帰れ
3 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 18:48:34 0
三国時代の武将じゃないよ
4 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 18:54:26 0
逃亡の果てチベット辺りで野垂れ死にするだけ。
空想は自分のノートにでも書け
またもifスレかよ
いいかげんにしろ!
6 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 18:57:49 0
戦闘中、流れ矢が当たって死亡。その後、象に踏みつぶされた。
7 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 19:55:27 O
8 :
世界@名無史:2006/01/19(木) 20:18:28 O
ゆえにこのスレは滅ぼさなければならない
虞や虞や、糞スレを如何にせん
地中海くんだりまで逃げないで
素直に長江以南で捲土重来しろよ
どう見ても放置できない阿呆のおかげで、即死判定超えました。
本当にありがとうございました。
クソスレおめでとうございまーす
13 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 02:48:18 0
項羽の武力+ハンニバルの知略で、ローマを滅ぼし、匈奴、漢を滅ぼすためにどうしたらよいか
かんがえようではないか。
象に踏み潰されて即死
15 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 04:37:57 0
この板はアンチ項羽多いな。
16 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 04:45:34 0
捕まってコロッセウムの良い見世物になるだろう
17 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 18:47:09 0
項羽と劉邦ってなんで「劉邦と項羽」じゃないの?
なんで項籍じゃないのとか、劉備は変換出来るのに、劉邦は「留保う」にな
るのかという疑問も。と、>11の事態になったので書いてみます。
19 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 19:02:56 0
半壊は肛門の貝で体を張って、劉邦をお守りした
そもそもこの板に即死判定なんてあったのか。
5レスしか書かれていないスレがもう建てられてから3週間も生き残っているが?
項羽とハンニバル、どちらが先にローマに入城するかくじ引き。
南イタリアから進軍した項羽はカンナエで大勝しローマ兵を生き埋めに。
一方アルプス越えの奇襲により、ハンニバルは無血でローマ入城。
法三章を約して、煩瑣なローマ法に悩むローマ人民の人気を取る。
これを見て取った項羽はオスティアに大軍を終結しハンニバルを威圧。
謝罪に出向いたハンニバルはハスドルバルの剣舞と軍師スキピオの機転により虎口を逃れる。
ローマに入城した項羽は論功行賞。
ハンニバルをガリア・トランサルピナ王に封じると、
(「アルプスの向こうもガリアだしな」(項羽談))
自らはカルタゴに戻り、地中海の覇者を称す。
以下つづく。
22 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 19:25:31 0
消化と関心もわすれるなよ
ハンニバルは新しい戦術を生み出して適用して大勝利した。
項羽は何をした?
ラテン語やポエニ語もわからん漢人ごときがカルタゴやローマに着いたところで
捉えられて奴隷化するかタニット神への供儀として解体され捧げられるのがオチでない
>>24 カルタゴの人見供養って儀式以上のものは無いよ。
犠牲者の入ったつぼだってそんなに数ないし、あっても幼児の割合が多い。
26 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 20:38:22 O
幼児の割合が高いのは単に大人たちが意図的に集めて集団埋葬してたからだとも言うね
そういやT波卒でトフェト研究してる人がいたっけな…
27 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:06:56 0
>>24 楚人を漢人とするなんて癇癪おこる!!!!111!!!
28 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:10:40 0
>>23 東洋史関係のスレで、永遠の青が項羽を高く評価していたと思う、
理由もあげていたはずだが、詳細忘れた。
そのうち彼もくるだろうし、本人が語りだすまでまて。
>>27 はいはい。つまりは文明化以前の野蛮人だったってことね。
つか、項羽の事跡で後代に残ってるものって何よ。
猪突猛進系じゃないの?
30 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:15:27 0
(35)「項羽対白起はどっちが勝利するかなぁ!?」(35)
(36)「(永遠の青 ◆V9k1yZSe4M )
>>35 条件によります。大規模な正規軍を運用することに長じた白起と、小部隊での強襲に長じた項羽では、
戦場の質によって勝敗が分かれるでしょう。」(36)
(66)「意地になって調べてみた。項羽に比せられますた人たち
1:東観記で「威執項羽」と、韓信は項羽以上の軍事的成果を挙げたとしている。
2:三国志魯粛伝で魯粛が「今之曹操、猶昔項羽」と、曹操は項羽以上の害物だと罵る。
3:吐谷渾の2代目、吐延は羌族から「号曰項羽」と、その偉丈夫ぶりを称された。(晋書吐谷渾伝)
4:北斉の祖[王廷]が武成帝を諫めた際、武成帝が「俺を(范増に耳を貸さなかった)項羽に なぞらえるつもりか(爾自作范増、以我為項羽邪)
」と言い返すと、 「お前なんか項羽以下だ(臣以項羽未易可軽)」とやり返す。(北斉書祖[王廷]伝)
その後、土を食わされますた。
5:隋末の楊玄感の叛乱時の奮戦ぶりについて「論者方之項羽(人は項羽に匹敵すると言った)」とある(隋書楊玄感伝)
まぁ、この時すでに負けモードでしたが。
6:旧唐書の李密(隋末の群雄)の評、「或以項羽擬之、文武器度即有余、壮勇断果則不及」
(項羽になぞらえる者もいるが、文武の才は項羽以上だけど、威厳やカリスマや決断力なんかは劣るだろ)
7:新唐書の李密の評、「或称密似項羽、非也。羽興五年霸天下、密連兵数十百戦不能取東都」
(李密を項羽に喩える奴いるけど、何言ってんだか。項羽は5年で天下取ったけど、李密は洛陽も取れなかったじゃん)
8:金の海陵王は南征がクーデターで頓挫すると、項羽の祠に詣でて、 「如此英雄不得天下、誠可惜也(あんたみたいにゃなれなかったよ)」
と言いましたが、項羽に失礼だと思います。 (金史李通伝の記述)とりあえず、正史一通り。見落とし間違いあると思うが、確かに少ないね。
項羽に勝った漢の高祖と建国の功臣等は偉いとか、あんなに強かった項羽が負けた理由は〜とか、そういうことで引き合いに出される例が多かった。
基本的に負け犬扱いなんでつね。」(66)
31 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:18:43 0
(67)「「如此英雄不得天下、誠可惜也(あんたみたいにゃなれなかったよ)」→
残念だよ。あんたと俺は似たもの同士だったようだ。に訳修正」(67)
(68)「ついで 関羽、張飛に比せられた人たち。
晋:劉暇。晋末に塢主となり、各地の叛乱鎮圧の功績で偉い人に出世する。
南朝宋:薛[丹彡]、高進之−檀道済の腹心。檀道済一派の粛正で誅殺された。薛安都−南朝宋の名将。
南郡王劉義宣の叛乱の際、叛将魯爽を斬ったのを関羽が顔良を斬ったのに喩えられる。
晋安王劉子員の叛乱に与し、乱後に北魏に降る。南朝斉:垣歴生、蔡道貴−南朝斉の将軍。
北魏の侵攻軍と度々、戦闘を交える。西魏:長孫子彦−西魏の名族。手術を受けつつ談笑したさまを、関羽に比せられる。
東魏と戦う。宋:張恵−宋の将軍。金人で宋に降る。金に仕えていた頃の花帽軍以来の精鋭を率い、
金軍を撃退する。以外と正史に記載されているのは少ない。この人らの場合、野史や小説類ではいろんな人が
比べられてるかもしれないね。なお呂布に比せられたのは、李克用の将、李罕之タンだけでした。」(68)
32 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:21:14 0
(81)「ひととうりスレ読んで、「あっ、俺近現代史ぜんぜんだめだぁ〜。」って思ったよ。スレの趣旨とは関係ないが・・・項
羽と冒頓単于の戦い、みたかったなぁ。圧倒的な機動力と攻撃力を誇る匈奴軍にたいして、項羽はどう対処したんだろう?
あぁ、攻撃力なら項羽だって負けてないねwまさか、劉邦みたいな・・・いやそれはないだろうなw
>>75いや、彼は世界史上最強の将軍ですw」(81)
33 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:24:03 0
世界史の人物を数値化してみないか?スレより
このスレにもよく名前が出てくる永遠の青はどちらかというと韓信より項羽の武力
が優れているという立場だったかな。彼は劉邦の数値化もしたような気がする。
捕まってコロッセウムの良い見世物になるだろう
35 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 04:10:34 0
セレウコス朝辺りでパルティアの蛮族と意気投合するに一ペソ
36 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 04:25:17 0
一方は神と父の前で永遠の反ローマを誓い
一方は自分の名前しか書けないほどに、人生の全てを武の習得に費やした
まさに生粋の武人対決!熱い熱い男の戦い!
37 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 05:26:49 0
>>31 『廿二史箚記』にこう書いてあるそうな。
96.関張の勇
漢より後に勇者を称するには、必ず関羽・張飛を引き合いに出す。
晋の劉遐は賊を討つたびに堅陣を陥し、鋭鋒をくじいたので、関羽・張飛にたとえられた。
苻堅が閻負・梁殊を張玄?のもとに使者として派遣したとき、本国の誇る将帥として
王飛・ケ羌を挙げて、「関・張の流、万人の敵」と称した。
禿髪ジョク檀が人材の推薦を宋敞に求めたとき、宋敞は「梁ッ・趙昌は、
武が飛・羽に匹敵する」といった。
李庠は膂力にすぐれていたので、趙?がかれを評して「李玄序はいっときの関・張である」といった。
南朝宋の薛?・高進之はともに勇気と力をそなえていたので、ときの人は関羽・張飛にたとえた。
魯爽がそむいたとき、沈慶之は薛安都にこれを攻めさせ、薛安都は魯爽を見つけるやいなや
馬を躍らせて呼ばわり、あっという間に刺し殺したので、ときの人は「関羽が顔良を斬ったのも
これほどではあるまい」といった。
南朝斉の垣歴生は拳勇突出していたので、ときの人は関羽・張飛にたとえた。
北魏の楊大眼について、世間の人々は関・張もかれを超えることはないと評していた。
崔延伯が莫折念生を討って勝利すると、蕭宝寅は「崔公はいにしえの関・張である」といった。
南朝陳の呉明徹が北斉を討ったとき、尉破胡ら十万の兵にはばまれた。
呉明徹は「もしあの胡人を倒せば、敵軍の士気を奪えるだろう。君は関・張の勇名をもっている。
顔良を斬ってこい!」そこで蕭摩訶が出陣すると、尉破胡を打ち殺した。
ttp://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column16.html
38 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 14:37:46 0
ああ!?
囲んで縮めて殺すなんて事で天才だなんて評されるような低レベルの文明に
項羽が来たらあっという間に地中海統一しちゃうおよwww
一方は自分の名前しか書けないほどに、人生の全てを武の習得に費やした
>
史記の記述に阿房宮を燃やしたことが挙げられているけど、実際は虚構だった。
項羽の教養も儒子と貶められるほど厨房だったのか疑問に思う
40 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 16:41:51 O
項羽が焼いたのは「阿房宮」でなく「宮室」
史記の記録では阿房宮は焼いてないから記述は正しいよ
あと漢書によると項羽が記したとされる兵書があったという
41 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 18:04:41 0
項羽の強さは 項羽乃悉引兵渡河、皆沈船、破釜甑、焼廬舎、持三日糧、以示士卒必死、無一還心
と自ら退路をたって突撃かますことだな。
42 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 18:07:02 0
43 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 18:09:16 0
45 :
世界@名無史さん:2006/02/08(水) 07:30:56 0
項羽さん格好いい!
46 :
世界@名無史さん:2006/02/10(金) 17:05:09 0
横山さんじゃなくて久保田某さん(名前忘れた)が書き下ろした
漫画「項羽と劉邦」(3巻ぐらい)の項羽って雰囲気が
シティーハンターの冴羽療にわずかではあるが似ている。
ピレネーを越えローマを目指すハンニバル・項羽連合軍にパンノニアから進軍してきた
冒頓単于率いる騎馬軍団に背後を突かれ象兵部隊は騎馬軍の機動力の前に翻弄され疲弊したところを攻撃され潰滅、
項羽は虞美人を包囲から脱出させ自刎、ハンニバルは降り酷寒の僻地へ連れ去られその後の行方は知れない。
48 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 19:40:31 0
>>40 えっでも項羽って昔は字は自分の
名前が書けさえすればいいって
項羽なら最強の剣闘奴隷としてみんなの人気者になれるな。
50 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 11:31:40 0
虞や虞や日清のグータは旨いです。
>>49 本人もそっちの方が幸福な人生なんじゃないかと。
52 :
世界@名無史さん:2006/02/16(木) 12:15:05 0
>49
反乱起こしそうだ。もちろん1人でw
53 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 19:26:59 0
い
や
55 :
世界@名無史さん:2006/02/27(月) 00:27:54 0
>>55 言えてるw
スパルタクスとかと気が合いそう
57 :
世界@名無史さん:
age