形は論破された状態だけど、勝利宣言キテル
>>458 だから、「市民(都市市民)が何らかの利益に釣られて徴発される」のと
「市民がギリシア・ローマ的な市民軍を構成する」
ってのは別物だ、と何度言えばわかるのかねえw
論破というか議論のすり替えだよ。
西周のころの士族に参政権だの固有財産だのといった「市民権」があったとしても、
それをもって「市民」とはいえない。
そんな事を言ったら同様にそのような権利を持ってい中世の騎士等も「市民」だということになる。
全く無茶苦茶な話だよ。
そもそも西周時代が古代ローマと似ていたとしても、
ローマはそういう段階から王制を排し、十二表法、市民集会の承認、
護民官の設置と一般市民の権利の拡大があって、共和制市民社会になった。
中国では逆に王権の強化、人民の臣民化が進んだ。
この両者を持って同じようなものだというのは、
時代をさかのぼれば祖先は同じだからという理由で、
その他の差異を全て無視して哺乳類は全て同じようなものだと主張するようなもの。
>>465 >>463 徴発じゃなくて自発的なものだったって何回も書いてるのに全く都合の悪いことは耳に入らないようだ
>>427>>430のやりとりからでもわかるけど別にこっちはローマ的市民軍とまで主張する気ないし
そもそも戦争ってものは普通利益を得るためか損害を防ぐためにやるもんだろ
古代中国だと威信とかメンツのためというのも多々あるが
>>464 「市民権」があっても「市民」じゃないとは論理破綻もいいとこ
古代ローマと全く同じ形態の市民ではないのはこっちも初めからわかってるし
>>465 無茶苦茶杉w哺乳類に例えるところをも笑えるが
こっちは春秋戦国と共和政ローマは同じようなものとは言ってないのに
春秋戦国ではローマとは反対に強力な王権と合理的な法制(法家思想)をとった国家が強力になった
ローマの共和政じゃあ秦のような巧みな外交戦略は難しいだろうねえ
まぁそれはそうとローマも時代が下ると帝政になって徐々に中国の王朝形態と似てくるわけだけどね
もはや
>>466が何を言いたいのかすらよくわからん。
中国とローマは別の体制の別の国家で体制も違う。兵士のなり手の意識も異なるし
ましてローマ的市民軍を構成するほどの市民としての強烈な意識は中国の古代には存在しなかった。
>>431で馬鹿がほざいてる「篭城中の城」は自発的に中の民が兵士に加わることもあったが
それは国家に対する忠誠心でもないし全員に参加義務があったわけでもない。
単に、「敵兵が乱入したら殺されたり家族が暴行されたりする」ことがあったためだし
反秦軍は「秦を滅ぼす」というためだけに集まった軍。
彼らに統一された目的意識は存在しなかったし、また自分たちが大きなひとつの階級であると兵士が理解することもなかった。
墨家に至っては市民ですらない、彼らは職業的傭兵と宗教家のごちゃ混ぜ。
まして、
>>449で間違ったことをさらに強弁するような阿呆に、知ったかぶる資格はないよ。
468 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 21:39:42 0
まあまあ、
>>466の主張をまとめると、
1:中国にも士気の高い軍隊はあった。
2:西周〜春秋期の政体は、秦漢専制帝国以降の政体とは違う。
と、いうことでいいんじゃないかな。
それなら、だれも反対じゃないでしょ。
469 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 21:40:20 0
んで、ギリシャ・ローマ的市民軍は、
中国にはなかった、と。それでいいでしょ。
反論が困難になると無理やり古いレスを腐して精神安定を図ってるようだ
まぁ一応突っ込んでおくと
>それは国家に対する忠誠心でもないし全員に参加義務があったわけでもない。
あるでしょ、秦に対する趙の抵抗ぶりや、燕に対する斉の抵抗振りを見れば
忠誠心がなかったとは思えん、と言っても知らないだろうな
参加義務がないのに参加するなんてまるで市民軍のようじゃないかw
普通に考えれば民に忠誠心がなければ春秋戦国に700年近くやそれ以上長く続いた
世界史全体を見ても長寿と言える国家がゴロゴロ存在するといった状況にはならないよ
>反秦軍は「秦を滅ぼす」というためだけに集まった軍。
>彼らに統一された目的意識は存在しなかったし
自分で言ってるじゃんwwwwww「秦を滅ぼす」って統一された目的意識が
こういうことを言うヤツが池沼って呼ばれるのかな・・
>墨家に至っては市民ですらない、彼らは職業的傭兵と宗教家のごちゃ混ぜ。
墨家に至ってはこっちが市民だと言ったためしもない、君の脳内がごちゃ混ぜ
471 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 22:59:40 0
>>470 まだ延々と続けるのかね??
だから、中国で、ムリヤリ徴兵された臣民軍以外の軍隊があったことなら、
誰でも認めるっていうの。
中華帝国時代になっても、徴兵だけじゃなく、募兵制度だった時もあるしね。
>>470のマズイところは、田単の対燕戦争や、秦末の民衆叛乱など、
特殊なケースを自説の補強材料に挙げてるところ。
民衆叛乱軍が徴兵軍でないなんて、誰でも、わかってるからさ。
>普通に考えれば民に忠誠心がなければ春秋戦国に700年近くやそれ以上長く続いた
>世界史全体を見ても長寿と言える国家がゴロゴロ存在するといった状況にはならないよ
あのー、島津家が鎌倉以来続いているのも、民に忠誠心があったからですか??
472 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 23:20:54 O
どっちも見苦しいよ
島津の兵が命知らずで強かったのは有名じゃないか
そりゃ忠誠心はあったのだろう
>自分で言ってるじゃんwwwwww「秦を滅ぼす」って統一された目的意識が
>こういうことを言うヤツが池沼って呼ばれるのかな・・
たとえばローマは、子孫代々「市民としての義務としてローマへの軍役を果たす」
ことを名誉ある義務と考えていたわけだが。
反秦に加担した民衆は、子孫代々「市民への義務として秦に反抗し続ける」
ことを名誉ある義務とでも考えていたんだろうかなあ。
すごいなあ。
ちょっと考えれば非常措置だってわかるのに。
406だが、議論が混乱しているなあ。
だから原始的な首長制だってキーワードまで言ったのに。
王制・帝政に至らない原始的な首長制は本来Aの卵なんだがBや時にはCに
類似するものに「見えることもある」と既に書いたのになあ。
原始的首長制のもとで「海行かば水浸く屍」と自発的に戦う
帰属意識と戦闘意欲の高い臣従氏族はしばしば存在するが、
彼らを以って「市民軍」だとはとても言えないだろうよ。
古代大和朝廷における大伴氏は「一級市民」かね??
476 :
狡猾で卑劣な鬼畜 ◆w7Q5ywREpw :2006/07/21(金) 16:39:15 0
この時代は装備で勝敗が8割がたつく
装備とは鉄の加工技術
鉄の加工技術ではローマのほうが進んでいたのでローマに一票
鉄を装備すると機動力が落ちるし、移動に際しての体力の消耗も激しくなる。
478 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 22:31:42 0
>鉄を装備すると機動力が落ちるし、移動に際しての体力の消耗も激しくなる。
そういう浅はかな発言すると叩かれるぞ。もっと勉強してから出直して来い。
重装備のロシア諸侯軍は経装備のモンゴル軍に大敗しているが。
あぁもう執拗い!!
1.マリウスの改革意向で市民兵の意識は弱くなって職業軍人化していったのは周知のこと。
2.後漢に市民兵っていうのはあったのか?中国史は世界史の授業だけだからよく知らん。
スレタイに従って後漢について議論してくれ。ちなみに中国史に関して無知だが叩かれている方が
客観的に見て無茶苦茶。途中から反対意見の小さな穴や言い回しの問題を見つけて突付いてるだけ。
3.叩かれてる方の定義だと後漢に市民兵がいたかどうか書いてくれ。
で、後漢にいなければ市民兵の定義の議論はこれ以上続けても意味なし。
続けたいなら新しくスレ立てるかそれらしきスレに移動命令!!
それと重装備だろうと軽装備だろうと一長一短。相手の戦術がヒットアンドアウェイ的なら軽装。
だからモンゴル勝利。ただし相手が逃げずに戦うなら重装のほうが有利。
で、帝政ローマは基本的に重装備戦うほうを選んでた。後漢はしらん。
>>475 その「市民軍」も結局のところ長く維持できるような体制じゃないから
結局首長制のそれと結果的には大して変わりはしないよ、規模は大きいけど
482 :
世界@名無史さん:2006/07/25(火) 21:39:45 0
日本の雑兵物語では、一日に兵士に支給するのは、
水一升(約1.8キロ)米六号(約1キロ)塩一勺味噌二勺(50グラム以内)
まぁ、3キロってとこだな。
5万の軍だと、1日150トン。騎馬部隊は一騎あたりどのくらいの消費なんだろうか。
まぁ、馬は無視しよう。
で、輸送力だが、馬車を考えようか。馬車の馬の消費も無視しよう。
そこで、クグってみた
茨城県の道路交通法施行細則
第 11条 法第57条第2項の規定により公安委員会が定める軽車両の乗車人員又は積載重量等の制限は、次の各号に定めるところによる。
(2) 積載物の重量の制限は、次のとおりとする。
イ 四輪の牛馬車にあつては2,000キログラムを、二輪の牛馬車にあつては1,500キログラムをそれぞれ超えないこと。
という規定があった。2トンはいけるのかな。馬車八十台ぐらいで5万歩兵の一日の食料を輸送できるわけだ。
まぁ、水が現地調達できれば、輸送力は三分の一ぐらいに減らせる。しかし、砂漠地帯ではむずかしいな。
で、輸送力は、輸送しなければいけない距離に比例して増強しなきゃいけない。
馬車を牽引する馬は一日10時間で時速4キロと考えても40キロ。補給基地から40キロ離れた地点に陣をつくると、
往復で考えないとダメだから、百六十台の馬車がいる。80キロだと三百二十台の馬車が、200キロだと八百台の馬車がいる。
長距離遠征は大変だな。
蒙古馬は小さいが耐久力が強く、2〜3日食べなくても使役に耐えられた。
消費する草も少なくて済む為、大規模な遠征を難なくこなしたと言われる。
軽自動車が流行ってる今の時勢を考えると妙に説得力あるな>蒙古馬
米一キロって凄い量だな、米ばっか食うとしても1日で食いきれないような
486 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 23:02:42 0
日本であれば、味噌で蛋白質を補える。
1日米6合なのは米だけで必要な栄養素を補おうとするからそうなってしまうんだね。
たしか似たような話で、近代ヨーロッパの下層階級の人たちは1日にパンを1キロ消費していたという話だから、まぁそんなものかと。
軍馬の飼料の方は、今で言う濃縮飼料(穀物)を与えていたようで
軍馬で3升(5.4リットル)駄馬で2升(3.6リットル)を与えていた模様。
よく言われる納豆伝説は馬の飼料が元らしい
ttp://www.shufu2.jp/dic/natto/03.html
蒙古馬が長期遠征に耐えられたのは、予備の馬が大量にあったおかげなんだよ。
ローテーションを組んで長期間休ませられるので、質素な飼料でも耐えられたんだね。
何せ人の数より馬の数の方が多いから。
489 :
世界@名無史さん:2006/07/28(金) 15:45:57 0
ここでの補給論議はローマと漢の中間までの補給を念頭においての議論か?
全軍を補給部隊にまわしても両者とも不可能だと思うが。
攻略した地域に負担させるしかないだろうな。
本国から輸送なんて無理すぎる。
基本的に隣り合ってると仮定しての話じゃないの
>489
ほんの数百年前前で兵糧は現地調達が基本だったからね。
古代の戦争は食料もしくは食糧生産地を求めて行なわれたから。
と、なると遠征軍の規模は遠征時に通過する土地の生産力に左右されることに。
あと、大規模な部隊を集結、移動させるとそれだけで損耗すると言う事も考慮に入れないと。
戦地についたときには行軍による損耗で部隊が壊滅なんてこともありえる。
492 :
世界@名無史さん:2006/08/02(水) 23:00:41 0
ローマは
補給が近くても同盟国を作ってから戦争やるやり方好きだから
どこかしら補給目的に同盟国つくるんでーねの
493 :
世界@名無史さん:2006/08/03(木) 00:28:37 0
羅馬側の攻城戦・・・・羅馬の勝利。彼らはつつかれたサザエのように守戦に強い
野戦・・・・・支那の勝利。騎馬民族は当時世界最強の武力
支那側の攻城戦・・・・羅馬の勝利。支那人は敵に攻められると勝手に内部分裂して滅びるから
よって羅馬>漢
>>492 まずはローマの歴史を知ってから物を言え。
支那には古くから弩があるから篭城戦では侮れない
>>489 トータルの軍事力でどちらが上かというところでしょう。
兵站も重要なその要素だからその優劣は考えるが、
何が何でも中間地点なり相手の領域なりまで軍を派遣しろという話ではないでしょう。
497 :
世界@名無史さん:2006/08/03(木) 22:28:41 0
黄河流域での攻城戦とローマが経験した攻城戦というのも質が違うしな。
中国では、簡易の野戦陣地というのは簡単にできる。
版築という工法で、簡単に重厚な野戦陣地を構築することができる。
第二次大戦でも国民党軍はコレを用いた。
日本軍はかなりコレに苦しめられた。
野砲で崩せるが、二重三重に版築で陣地を構築されるから。
まず、地形を設定してもらわんと。
では、平坦な平原での正面からの会戦という条件ではいかがか。
兵力についてはその議論だけで長くなるだろうから、とりあえず同数として。
騎兵戦力では匈奴相手に「鍛えられた」漢が上回るが各種兵器の精密さではローマが上回る。
機動力の勝負では漢、近接戦闘ではローマに分がある。
しかし現代のローマや漢の末裔ってどれも戦争に激弱いよな
古代は漢人も結構勇猛な感じを受けるんだけどねえ・・
あんまり触れていないようだが、
人材的要因も結構左右されるだろ。
同時代の人材なら誰が挙げられるんだ?
光栄のゲームじゃないんだから、将軍個々の能力なんてそれほど問題にならん。
せいぜいがところ、どちらがどれだけそこの地形を熟知しているかくらいのもの。
>>503 軍隊が組織であり、
人間に指導者として組織を運営・運用する点で優れた者と劣った者がいる以上、
指導者の資質というのは極めて重要な要素だよ。
>>504 503の言っていることは間違い。特に戦う理由をはっきりと提示できれば
士気は上がりやすい。例えばアレクサンダー大王はインドまで攻め込んだとき
その理由を兵たちに納得させることができなかった。結果インド攻略を諦める。
逆にカエサルの例だとカエサル個人に心酔していた兵たちによってカエサルは
あそこまで登りつめた。(もちろん政治的知略・戦術も優れていたが)
ルビコン川渡るときとかは勝てばなんとか負ければなんとか(忘れた)と言って
兵達にカエサルと一蓮托生的な意識を持たせ士気をあげた。
こんな感じに組織というものを運営する上でカリスマ性という数値に
できないものは大きな要素となる。
が、しかし数値にできないだけに比較が難しい上に両大国が戦った場合
複数の将軍・武将が活躍するんだろうからはっきり言って人的要因を考慮すると
客観的判断が難しい(個人の趣向が出る=事実自分はカエサル大好き)
ことに加えて複雑になりすぎるので無視したほうが無難。
それにしてもいたい子がいなくなってスレが落ち着いたと思ったら今度は
議論が盛り上がらないな。お盆だからか?
要するに将軍の優劣は非常に重要な要素だが、
客観的に比較するのが非常に難しいので、
とりあえず、無視したほうが無難だと。
507 :
世界@名無史さん:2006/08/15(火) 19:06:37 0
常備軍になった帝政ローマは給料などの関係で30万の軍勢に抑えられたが、
市民軍時代のローマはイタリア半島で75万の動員能力を持っていた。
ハンニバル戦争での無尽蔵の兵力供給が印象深いな。
中国の史書などに記される「100万の兵」に誇張なしとしても、十分に張り合える規模だと思う。
誇張と言えば、確か史書では秦を攻め滅ぼしたときに
項羽は40万を100万と号し、劉邦は10万を25万と号したとあったな
勿論40万、10万もどこまで当てになるかはまるでわからんけど
509 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 03:19:01 0
古代ローマと後漢とオスマントルコと戦国日本とモンゴル帝国と強い順に並べるとどうなるの?
やっぱモンゴル最強かな?
510 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 03:26:10 0
烈海王みたいなのがいっぱいいた
漢に決まっているッッッッッ!!!!!!
>>509 兵器の違いがあるのでその中ではオスマントルコが最も強い。
というか、スレ違い。