1 :
世界@名無史さん :
2006/01/07(土) 15:25:05 0 時代的にも同じだし。 ややこしいんで地理的要素は無視で。
2 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 15:30:44 0
高句麗が勝つ
3 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 15:31:31 0
ローマ。
ローマに1票
6 :
世界@名無史さん :2006/01/09(月) 00:43:15 0
とりあえず時代別にはこんな感じか 秦・漢楚争乱(前219〜201)第二次ポエニ戦争 漢・武帝(前141〜87)マリウスとスッラ 漢・宣帝(前74〜44)ポンペイウス・カエサル 王莽(前27〜23)アウグストゥス・ティベリウス 光武帝(25〜57)ユリウス・クラウディウス朝 明帝・章帝・班超とか(70〜100)フラウィウス朝 宦官とか賄賂とか【すまん。この辺りの代表的な人物が全く思い浮かばなかった】(100〜180)五賢帝 後漢末期(183〜220)コモドゥスとかカラカラ 三国時代(220〜280)三世紀の危機(ディオクレティアヌスとかはまだ) スレ違いだが、勢いで調べてたら面白くなったんで漢楚から載せた。
任尚・班勇 102〜127 VS トラヤヌス・ハドリアヌス
8 :
世界@名無史さん :2006/01/09(月) 05:37:28 0
漢>>>>匈奴=フン>>>>>>ゲルマン>>>>>>>ローマ
9 :
世界@名無史さん :2006/01/09(月) 05:40:48 0
漢は大朝鮮帝国の属国
10 :
世界@名無史さん :2006/01/09(月) 17:22:05 O
平野での大規模な歩兵中心の会戦だとローマの圧勝 起伏のある土地で騎兵中心の戦闘だと漢の圧勝
11 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 21:42:36 0
たぶん戦場は・・・。パルチアの砂漠w
台湾で漢vs羅馬とかいうPCゲーム売ってるの見たことあるな。
13 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 18:41:23 0
>>11 それだと、どっちが勝っても途中で根をあげて終わりではないかと
三戦板から来たやつが多そうナスレ
ナチス・ドイツを味方に付けた方が勝利
16 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 21:58:48 0
ローマ。
17 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 22:04:36 0
ローマだろ なんとなく強そう
18 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 23:10:35 0
ローマが勝利するに決まってるよ。 その当時は世界史上最強のローマ軍といわれてたんじゃないの? (俺、ローマ帝国に憧れているからさ。関係ないけど・・・)
19 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 23:18:33 0
ローマだよ めっちゃ強そう それに、かっこいい感じもある 古代帝国にふさわしい
20 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 23:21:50 0
漢なんてパルティアなんかとかわらない気が
21 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 00:52:02 0
三国連合軍 VS ローマ共和国 でもいいな ローマの司令官は俺の好みでコルネリウス・スッラ
22 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 01:11:17 0
三国は駄目だろ。彼らが無能とは言わないが、仮にも分裂し、資源も統治状況も 微妙な状況では分が悪すぎる。 せめて光武帝にしようや
23 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 03:29:29 0
歴史学者が見れば、 激怒しそうなスレだな
24 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 04:14:18 O
とりあえず、ローマが勝つと思う。確かローマには砂漠にも適応したラクダ騎兵や各種投石機、ゲルマン・ケルト系部族もいる。会戦の場所にもよるけどな。パキスタン辺りでも兵站重視のローマが勝つと思う。
25 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 09:23:21 0
雨あられと降る漢の弩弓が、スクトゥムを紙のように貫いて終了 目に浮かぶようだ
26 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 12:24:02 0
後漢勝 因為在東漢時代 中國的人口 武器的製作 軍隊的訓練 都明顯的比羅馬{ローマ}帝國還強
>>8 待て、漢は匈奴に一度ボロ負けしてるだろ
前漢の劉邦の時代ではあるが
28 :
第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 13:07:49 0
>>25 軍団砲兵「弩キボンヌ」
屯営長「弩、ああ、アルクバリスタね。カロバリスタに比べて弾種の選択の幅も射程も速射性もいまいちだから却下ね」
...目に浮かぶようだ
29 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 19:06:55 O
そして歩兵の群れにバリスタや投石機から砲撃。バラけたところにゲルマン・ケルト・ペルシャ騎兵が襲い掛かる。
30 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 19:20:52 0
勿論その混乱は、ローマを油断させるための計略だった! 完全に虚をつかれた騎馬兵に、虎の群れが襲い掛かる!
31 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 20:18:43 0
猛獣をかわすのはローマの伝統芸。虎の群れは漢軍に襲いかかる。
32 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 20:48:36 0
>>27 ボロ負けというよりも、
今の歴史問題を見てもわかるように、
手前味噌の歴史書でそう書いているだけで、
本当は匈奴に臣従していたんじゃないのか。
33 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 22:50:23 0
>>27 你説的是{白登山之役}嗎?
那個時候的中國 因為楚漢相爭的關係 國力比較衰弱
所以之後對匈奴採取{和親政策} 採取{黄老治術}的休養政策
一直到{漢武帝}以後才對匈奴用兵
和親政策=將公主嫁給匈奴的君王
34 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 22:54:22 0
>33 なんだこりゃー!!!!????
35 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 22:56:54 0
古代ローマ軍は世界史上最強ですよ。
あなたの言っているのは、「白登山の役」の事か? その頃の中国は、楚・漢の争いにより、国力が衰弱していたので、この後 匈奴に対して「和親政策」を取り、「黄老治術」を取って、休養政策から、 「漢の武帝」以後、匈奴に対して兵を用いる様になったのだ。 和親政策=公主を匈奴の君主に嫁がせること
37 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:06:34 0
>36 よく読めますよね。 私には何がなんだか。
38 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:31:31 0
ハンニバルさえ打ち破ったローマが勝つだろう。 (組織力の意味で) だいたい、シナ人は一度崩れると総崩れになるのが歴史的に証明されている。
39 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:32:24 0
ハンニバル VS 曹操 では?
40 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:32:40 0
そうだ!そうだ! ローマに勝てるわけないだろう!
41 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:43:20 O
ハンニバルと漢でも面白いかもな…象さんにゴミのように潰されたりして…
42 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:52:37 0
請給我一點時間
43 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:59:09 0
請各位日本的朋友想一想 唐代以前的中國 在首都被攻破之後 有沒有立刻亡國? 答案是沒有 但是ローマ的首都被攻破一次就馬上滅亡 這是為什麼呢? 有學者提出這種看法 中國的國民在認同政府方面比較高 即使首都被攻破 也能立刻復興 但是ローマ則不一樣 首都被攻破就亡國了
44 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 00:12:18 0
Everyone in Japan would you thank about something. In China will a country over right now when emeries enter the capital? The answer is No.But in other side when emeries enter the capital Rome. It was over.Some people thank that citizen who live in China can obey the goverment. Even if emeries enter the capital. They also can revival. 對不起喔 我只會讀日文還沒辦法用寫的 It is sorry that I just can {read}Japanese but I can not [write] it
45 :
劉秀最高!! :2006/01/30(月) 14:16:29 0
勝つのは、東漢(後漢)です。まちがいありません。 何故なら、当時の戦い方は東漢は陣をつくり、弩弓で攻撃するやり方です。 そして敵がひるんだり、退却しはじめたら突騎(重装騎兵)で蹂躙する。 この戦い方に対する、ローマ帝国の対策はないんじゃないですか・・・
46 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 14:44:26 0
>>45 ヒント:ペルシア撃破したギリシア歩兵団。
重装騎兵が登場したのは三国時代〜五胡十六国かと思ってたが
帝政ローマ軍だったらカタフラクトとか出してくる可能性は?
49 :
劉秀最高!! :2006/01/30(月) 15:44:27 0
>>47 突騎は光武帝の頃からあります。
当時は「あぶみ」がまだ発明されてなかった頃ですが・・・
一度「突騎」で調べてみたらいかがですか・・・
50 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 17:24:22 0
だいたいローマ軍に立ち向かうこと自体アホなんです。
51 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 20:09:57 O
ローマも槍騎兵や弓騎兵がいたぞ。
>>49 検索したけど普通の突撃騎兵っぽいなあ。
漢の騎兵って主兵器は戟でしたっけ?
>>51 ビザンツの「クルソレス・イ・デフェソレス」?
53 :
か :2006/01/30(月) 20:26:17 O
54 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 20:37:10 0
支那の歴史を齧ってきた者から言わせると、 ローマの方が強いと思うw
>>54 ローマに詳しくないんで分からんけど、激突させたらどんな感じ?
56 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 20:57:04 O
槍騎兵はカエサルの時代にはあったようだよ。ローマやゲルマン・ケルトの使ってた鞍は今のと形が違う。弓騎兵は確か帝政末期になって出来た。パルティアやペルシャが影響を与えたのかな?
初期ビザンツ兵の使ってた「スキタイ弓」はフン族の型だったとか。
58 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 21:23:23 0
ハンニバルごときが戦術の天才扱いされてんじゃローマに勝ち目なし。 孫子のある漢の楽勝
孫子って曹操が註をつけるまで忘れられていたんじゃなかったっけ?
>>6 >すまん。この辺りの代表的な人物が全く思い浮かばなかった
班勇はどうでしょう。ついでに(?)梁商も。これ以降漢はさえませんね。
>59
1972年に、銀雀山の紀元前118年の墓から、『孫子兵法』、『孫臏兵法』、
『六韜』が出土しています。忘れられていたというのは、何時頃で。
(↑七十二篇の『孫子』とは異なり、偽作説は出ていなかった筈)
曹操は、付加部分を削除して注を加えたという事ですが。
61 :
世界@名無史さん :2006/02/02(木) 21:31:27 O
まず、ローマ側は総大将はスキピオ、支援軍大将はカエサルでどう?スキピオはハンニバル相手に勝ち、カルタゴを滅ぼしたしカエサルはライン川やドーバーを渡りゲルマニアやブリテン島を制圧しルビコンを渡った直後にはガリアやゲルマニアから10万単位の援軍が来てる。
時代を無視して良いなら、漢の総大将は韓信、支援軍対象は曹操がいいかなぁ。 いや、俺の趣味だけど。 っていうかすげぇ見てみたいな。韓信vsスキピオ……。
63 :
世界@名無史さん :2006/02/22(水) 23:52:35 O
曹操の解釈本と云うのは、「四川地方では子供でも知っている本に偉そうに講釈をつけて新書と称する馬鹿がいる」と酷評されて自分で捨てたというあれですか?
64 :
世界@名無史さん :2006/02/23(木) 00:27:53 O
共和制期→やる気のある自営農による市民軍が中心。 貧富の差が拡大し、自営農が没落して市民軍制度基盤が崩壊。 共和制末〜帝制初期→腕っ節の強いアウトローや没落市民からなる私兵が中心。 帝制盛期→ローマ市民権を餌に釣られた精強な属州の従属民が中心。 しかしローマ市民権を全属州民に与えたために軍人になる旨味がなくなったため、担い手を失い軍隊は弱体化した。ついには戦闘開始と同時に武器を投げつけると逃げるイタリアの伝統が産み出されたという解釈でOK?
総大将が劉邦だと負けそう
66 :
世界@名無史さん :2006/03/17(金) 16:40:22 0
ローマは負けてからが強そう。 なんか体系として支配されにくそう。 漢民族もすごいか。
68 :
世界@名無史さん :2006/04/17(月) 01:37:47 0
体系として?
>>63 いいえ現在に伝わる、いわゆる「孫氏の兵法書」のことです。
70 :
世界@名無史さん :2006/05/06(土) 21:58:32 0
先に言っておくとあまり漢について知らないのでおかしなところがあったら批判してね。
>>45 どうも漢は弩弓が主力だったって書き込みがあるのでそれを前提に進めていくと
ローマ軍団は重装歩兵が主力だったので単純に矢が鎧や縦を貫けないんじゃないかな?
この後にも書くけど弓兵が主力だと包囲殲滅に非常に弱いのじゃないかなーと思ってしまう。
戦力の問題については、兵数でいうと徴兵制の漢が有利だと思うんだけど、ローマはマリウスの改革以降、職業軍人となったから質で上かな。
実際ローマは数で劣ってても統制の取れた動きで勝利してたから。
それとハンニバルとローマの戦闘でハンニバルがとった包囲殲滅戦略は今でも
士官学校で教材となってるみたいだから非常に有用だったんだけど、
ローマはハンニバルが攻めてきてからその戦略を真似て強大になったという
歴史を持つのでたぶん陣をつくった弓兵なんてとくに包囲しやすい対象になる。
かなりローマよりな意見なんだけど後漢の戦略を詳しく書いてくれたらもうチョットまともになるかも。
それと後漢の陣形も書いてくれるとうれしい。
ローマの基本形は
∴∴∴∴
■ △△△△ ■
▲▲▲▲
■騎兵
∴散兵(投槍)
△重装歩兵
▲重装歩兵(経験豊か)
書くと面倒だから書いてないけど他にも弓兵とかもいる。
ちなみにこれはローマ軍団のみの陣容(共和制の頃の)。
ローマ領土拡大以降は属州とか同盟国とかいろいろな国からの補助兵もいたので兵種は様々だったのでこの陣形は間違いといえなくもない。
71 :
世界@名無史さん :2006/05/06(土) 22:02:36 O
弩を通さないとは、ローマの重装歩兵は全員フルプレートメイル装備ですか?
72 :
70 :2006/05/06(土) 22:25:30 0
弩弓ってつまりボウガンだよね?フルプレートじゃないけど盾は装備してたので 土木建築、インフラが優れてたローマならその威力を防ぐための盾くらいはつくれたんじゃないかな? もちろん異常に重たくなるだろうから弩弓対策のみの目的になるけど。 (ちなみにフルプレートって普通に考えて重すぎるから歩兵が装備すると機動力が・・・)
ローマの技術力は世界最強。 1回目の会戦で負けてもすぐに楯を改良して2回目からは負けない。
74 :
世界@名無史さん :2006/05/08(月) 02:10:52 O
65 劉邦より項羽は? 劉邦って何十回と戦に負け続けてなかったっけ?
75 :
世界@名無史さん :2006/05/08(月) 03:16:04 O
ローマが恐ろしいのは投石機やバリスタを会戦で使うとこじゃね?弩なんかよりはるかに強力で一発命中したら隊列に穴開くよ。 ちなみに最前列の歩兵は投げやり以外にも大盾と剣を持ってる。投げやり無くなったら後方や散兵から援護射撃受けながらウラーだよ。
76 :
世界@名無史さん :2006/05/08(月) 06:45:41 O
遊牧民騎兵を大量に雇った方が有利?
77 :
70 :2006/05/08(月) 11:23:21 0
ローマの戦い方はグラディエーターが多少参考になるかな?
>70 後漢の布陣の仕方は 対騎兵戦の場合は中央前方に障害物を並べその後ろに長兵、 左右に弩兵を配置し、後方に追撃用に騎兵を配置。 弩による十字砲火を浴びせて敵の突撃を粉砕、 崩れたところに味方騎兵が突入するというのが 遅くても後漢末期までに確立されている。
79 :
70 :2006/05/08(月) 20:52:03 0
>>78 ほほう、参考になります。どうやらこの場合待ちに徹すると考えていいのでしょうか。
ただこの布陣の仕方に根本的な疑問を持つのですが、攻め込む場合はどうなるのでしょうか?
『正面』からぶつかった場合圧倒的に防御側が有利になる気がします。
80 :
世界@名無史さん :2006/05/21(日) 01:23:16 0
後漢じゃローマに勝つのは荷が重い。秦や前漢なら接戦になるだろう。
支那の軍隊は将軍は時・人によりけりなんで考慮外として 昔の(実質的には今も)専制政治体制下の兵卒身分は士気が壊滅的にダメ。 将軍を度外視すれば相手が帝政末期のグダグダな状態ならイーブンかもしれないけど 共和制の軍隊が相手ではまず勝ち目はないだろうね。
まぁたしかに普通搾取されててその搾取してるもののために戦う気にわならんよなぁ
将軍にカリスマがあれば将軍のために戦うかも知んないけど。
>>80 意見書くのはいいけど根拠がなくて何の意見にもなってない。
反対しておいて代案を提案できない駄目っぷりとどうレベル。
>>80 前漢より秦の方が武闘派で強力なイメージがある。なぜか。
人口は秦は2000万程度だけどな
確かに秦はガチで強そう 春秋戦国時代はそれぞれの国民が国を守るために死力を尽くしてたような気がするし どの国、国民も秦の支配下に入るのを凄く嫌がってたような それを力で全部ねじ伏せたからなぁ 楚漢〜前漢は王候の頭がすげかわりまくりで兵の士気が低そう 楚人とか秦人とかそういう別民族の意識も薄れて行った時代だしな
85 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 10:18:10 0
もしローマが東方に、漢が西方にひたすら 領土の拡張を目指していたら、双方が激突して いたかもしれない。だれか、徹底的にドラマチックに この戦いを描ききってくれる人はいないだろうか? 読んでみたい。
なんで支那対羅馬はあっても支那対パルティアにならないんだろ?
だって三国ヲタはパルティア帝国なんて知らないから。 三国 戦国 大航海時代のみで世界史を語る光栄ヲタ
スルタンの野望〜メソポタミア戦乱史〜
89 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 14:54:55 0
そういえばファイアエンブレムというシミュレーソンゲームに「パルティアの弓」っていう 超強力な武器があったよ。どういう意味なんだろ?
戦争する場所はどこなの?ローマ軍が中国で戦うの?それともその逆なの?
ゲルマンとガリアのハーフの主人公が、アラビア産の馬に乗り、 シチリア産の麦粥を食べながら、ローマ軍の為にギリシャ語で話しながら 中国で縄文人と戦う
92 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 00:18:58 0
匈奴が漢族兵を湯水のように使いローマの城壁を攻撃。 漢族兵の死体の山の上から匈奴の騎兵が城壁を乗り越える。 ゲルマンの娘との婚儀の夜に腹上死を遂げる冒頓単于。
94 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 00:40:16 0
中華帝国で最強の王朝って何王朝でしょうか? 前漢? 元? 後金?
蒙古>金=清>唐>遼>匈奴=秦>>>超えられない壁>>漢=宋=明
96 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 00:55:09 O
北方遊牧民を百年にわたり完全に圧倒したのは漢だけ
97 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 01:17:02 0
中国共産党だろ?
98 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 01:30:47 0
こんな感じかと 蒙古>唐=清>漢=金>匈奴=秦>明>>超えられない壁>>晋=宋
漢の記録はかなり粉飾があるようだが。 少なくとも李陵など将軍クラスですら捕虜にされる状況で「圧倒していた」というのは無理がある。
>>99 匈奴単于が長安に入朝して印綬受けたのも全て粉飾?
101 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 13:41:25 0
核をもった中狂が最強だろ。現在最強のアメリカ帝国にすら対等に会話してるしな
夏を滅ぼした商が最強 商を滅ぼすた周が最強 …… …… 明を滅ぼした清が最強 清を滅ぼした中華民国最強 中華民国を滅ぼした中共最強
103 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 16:27:17 0
どちらかがユーラシア大陸を統一していたら、 人種や民族もいまの様相とかなり異なっていただろうな・・。 中世あたりで、オスマン帝国がユーラシア大陸を支配して イスラムが世界宗教になっていたかもしれない。
104 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 16:32:44 0
項羽とハンニバルがたたかったらどっちが勝の? 劉邦とスキピオがたたかったらどっちが勝の?
105 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 16:37:29 0
>>100 匈奴単于と李陵が生きてた時代の朴訥前宇とでは時代が全然ちがうだろ。
李陵の時代を
>>99 があげているのになんで王莽の頃の匈奴を引き合いにだすのか
意図が不明すぎる。
106 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 16:40:08 O
>>89 ジョルジュが持ってた弓でしょ?
名前の通り「パルティアから伝わった凄い弓」なんじゃない?
>>105 正直無茶苦茶すぎてツッコミどころもわからない
李陵って自分から討伐したいって申し出て寡兵で匈奴に乗り込み 戦果は出したけど結局捕まったって話だったような 結局のところ漢の武帝は匈奴を追い立てて秦や高祖の時代よりは領土を増やしてる
軍事的には李広利の遠征軍は一応勝利はしたものの 10人の内2〜3人しかかえって来れず、 漢の軍事行動で匈奴は分裂し弱体化させる事は出来たが 漢も又大規模な軍事行動が続いた為に経済の疲弊は深刻で 武帝の晩年はもはや大規模な遠征軍は送れず、一旦は占領した西域も 維持できなくなり放棄を余儀なくされている。
110 :
世界@名無史さん :2006/06/08(木) 02:03:06 O
匈奴は武帝の攻勢により大打撃を受け、 漢はその後西域に進出。 烏孫などを従え、匈奴に更なる圧力を加えて匈奴を服従させる。これが宣帝の末。 以降、元・成・哀・平帝四代に渡り北方・西域は漢による平和の時代を過ごした。
服従したのは分裂した一方の単于が漢に支援を求めた為で、 漢が軍事的に匈奴を撃破したわけではない。 宣帝の時代は匈奴が分裂していたために軍事より内政を優先させるゆとりがあった為 大規模な軍事行動は起こさずに済み国内の経済は安定した。 その後漢を倒した王莽は大規模な軍事行動で匈奴を倒そうとしたが返り討ちに遭い 返って自ら開いた新王朝をも滅ぼしてしまう遠因をつくってしまっている。
112 :
世界@名無史さん :2006/06/08(木) 09:55:36 0
こんなかんじじゃね? 前漢だったら武帝の時代で 対 マリウス。 後漢だったら明帝の時代で 対 ネロ。 いずれも漢の単独というより、漢と匈奴の連合軍 がローマ軍と戦うというのが設定としては面白そう。 これなら絶対にありえなかったことでも無さそうだし。 いい勝負じゃないか?
ローマが長い歴史で関わりあった騎兵や騎馬民族ってばどんなのがあるかな? 俺が思いつくのってばヌミディア騎兵とかパルティア〜ササン朝(イラン人は騎馬民族だったとオモ)くらいしかないけど・・・
>>94 〜111
中国内の最強国家は勝手に決めてくれ。
でローマに勝てそうな王朝は?ないよなぁ
115 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 11:17:24 0
>>114 三国時代の魏・呉・蜀が心一つに連携して、西域諸国も
協力関係を築いて対ローマ戦に臨んだとしたら、それでも
勝てない?
116 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 12:44:57 0
孔明のビームがローマ軍を粉砕! 連合なんかしなくてもどこか一国だけで大勝利wwwwww
117 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 16:47:53 0
>>113 一番有名なアッティラとフン族がいます。手強い相手でしたが、アエティウスが
本気になると一応は勝てないこともない相手であるようです。
パルティアもササン朝も国内に問題を抱えている時はともかく、本気になって戦
えば大体、ローマのほうが強いようです。トラヤヌスやカラカラの遠征、ユスティ
ニアヌス死後のホスロー1世戦、ともに首都かそれに匹敵する都市を占領しての
ローマの圧勝です。
両国はローマに勝つことは出来ましたが、東地中海に達したことはヘラクレイ
オス時代のホスロー2世の時しかありません(それもすぐに取り返されています)
>>114 時代にもよりますが、三世紀の危機や東西分裂状態なら晋や宋以外ならどこで
も勝てると思います。まあ、最有力はモンゴルか唐太宗期でしょうが。
清や中共は銃と大砲が使えるので、対象外としたいです。
>>115 三国より劉邦や劉秀、唐太宗、フビライのほうが強力でしょう。
距離云々は国境を超えるとテレポートするということにでもして忘れましょう。
それだけ条件をつけても、膨大な人口を抱える互いを倒すのは国家の屋台骨を
ゆるがしかねない難行になることが予想されます。
ところで、勝つというのは相手国の完全占領でしょうか? それともどこかの
領有を巡ってのことでしょうか? それとも相手の首都占領でしょうか?
同年代に生きた人物比較するにほぼローマの勝ちと思われるが 曹操ならカラカラには勝てるな。セプティミウス・セヴェルスともいい勝負かもしれん。
むしろ匈奴とスキタイの対決に漢族やローマ人の捕虜が動員される可能性の方が高い。 実際モンゴルはマムルーク朝との戦いで捕虜の漢族兵士を投入していたし。
120 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 19:18:49 0
118 名将、班超を忘れてないかい?彼ならオクタビアヌスにも勝てるぜ
>>120 俺でも勝てるよ、オクタヴィアヌス相手なら。
>>120 アウグストゥスの軍事的才能は皆無に等しいが、彼には右腕アグリッパがいる。
班超で勝てると言い切るのは難しい。
班超の立場だと、どこまでいっても一人ですからね。アウグストゥスにはアグリッパ以外 にもティベリウス、ゲルマニクスなど有能な人物が多いので、一人で対抗するのは厳しい と思われます。 まあ、アウグストゥス時代のローマに班超に一人で対抗できるのはいませんが。 最大の難関は班超がホームシックにかからないで留まり続けることですかね。 かかったらその時点で勝負が決してしまうので。
ホームシックってばアレクサンドロス大王旗下のギリシャ兵がゴネなきゃ 大王の版図がどこまで広がってたのか気になるけど、スレ違いだね。
漢の武帝の頃って国力が強くても武将や兵が弱そうな感じがする 軍事力なら統一直前の秦のほうが強い気がする 強兵に加えて武将も百戦錬磨
秦は軍事力は強くても経済力が無い。大規模な軍事行動を起こして経済が破綻し 反乱が起って滅亡した。
127 :
94 :2006/06/10(土) 08:34:40 0
95 :世界@名無史さん :2006/06/07(水) 00:44:17 0 蒙古>金=清>唐>遼>匈奴=秦>>>超えられない壁>>漢=宋=明 98 :世界@名無史さん :2006/06/07(水) 01:30:47 0 こんな感じかと 蒙古>唐=清>漢=金>匈奴=秦>明>>超えられない壁>>晋=宋 やっぱ騎馬民族系が強いね。 ところで、金が匈奴より強いってのは異論ない? あと突厥なんかはどう?
128 :
世界@名無史さん :2006/06/10(土) 11:12:42 0
宋なんかは確かに官兵は弱いけど攻め込まれてくれば義勇軍がけっこういい働き するんじゃないの?岳飛とか韓成忠とか
北宋時代であれば梁山泊の豪傑達が大暴れするから強いぞ。
<<124それならモンゴルも指揮官が病死しなきゃどこまでいったか知れたものではない。 その両者に共通なのが「戦死した指揮官がいない」ということだwすげえ強いw
>>128 ただ、そうした義勇軍は規模がでかくないのがネックだからねぇ。
たしか岳飛も官兵があてにならなくて自前で義勇軍を組織せざるをえなかったんだっけ?
鄭成功の軍もそんな感じだったっけ?
だとすればあてにならない正規軍を切って自前で傭兵・私設軍を組織せにゃならん支那の将軍も大変だな。
>>131 清も太平天国の頃には正規軍が使い物にならなくなっていて、新たに編成された
湘軍とかで戦ったらしい。
正規軍がへたれる最大の理由は給料が安いせいで、訓練もしないで町で働いたり
してるせいだとか。今はどうなんだろうな?
なんで清とか太平天国とかローマと全く関係のない時代について書くのか意味わかんねぇ スレタイと多少違う時代の国家が出てきてもいいと思うけどあくまでローマが存在した時代にしないとただの中国スレになる。
>>132 >>81-82 あたりにも出てるけど、支那でもどこでも専制体制の兵隊は言うなれば
搾取者から薄給で得にもならない殺し合いを強要される様なモンだからね。
一方ローマの軍隊は共和制の頃は市民意識・国防意識が強いから士気が高いし頭数も多い、
共和制末期から帝政前半期は権力者が自前で賄うプロの職業軍人なんで金はかかるけど確かに強い。
でも帝政後期で誰でもローマ市民になれる=徴兵されるのとローマ皇帝が名実共に専制君主化した事で
政治に参加出来ない=やる気減退に加えて財政も疲弊してきた事なんかが重なって軍が弱体化したんだと思う。
135 :
世界@名無史さん :2006/06/13(火) 01:53:40 O
前漢は国民皆兵で、優秀者を選抜優遇する二段階の制度だった 更に異民族と辺境の民を中心とする騎兵軍団を擁し、数十万の馬匹を養っていた まあだからローマより強いとは言わないけど
136 :
世界@名無史さん :2006/06/13(火) 03:34:11 O
まあそれでもカエサルがルビコン渡った時の増援のガリア人部隊とドッコイじゃね?
西欧中心史観の為過小評価されがちだがダレイオスはスキタイ戦役で失敗したものの、 能力的にはアレクサンドロスやカエサルにもひけはとらないと思う。
武帝時代に膨大な馬匹を擁したが、その結果 漢の財政は破綻し武帝没後は大幅に馬匹を削減している。
>>134 殺し合いを強要されるといっても、行かなければ行かないでよりひどい目にあうし
天子のために兵になるということに疑問を抱かなかった時代だ。
徴兵軍だからといって、こと士気に関して
>>81 が考えてた程かどうかは疑問だな。
どうせ後漢末期だのの、天子の権威もクソもないような状況を基準にして考えてるんじゃないの?w
これが儒教も広まってなければ天子もいない戦国時代以前なら、梁のようにいかれた民も出るけれど。
周の君主は天子の称号を帯びてたんじゃね? 既に事実上のエンペラーだったわけで。
戦国時代なんかは結構士気高そうな感じはする 特に滅亡寸前の国はね
>>140 問題は兵士一人一人が、周の天子の権威を認め、服してたかどうかだと思う。
西周〜春秋時代は王師、王の民であるという意識があったようだが
戦国時代はねえ。
天子のために兵になるということに疑問を抱かなかった時代 って一体いつのことだよ? 中国の話なんだろう?
144 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:08:20 0
古代ローマと江戸幕府(家康)ならどっちが勝つの?
145 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 03:17:18 0
>>144 銃・大砲等火器を大量に保有し、野戦築城の戦術も確立し
築城技術も対明・朝鮮戦争で大砲の集中砲火を経験した上での築城方法に変化し
火器で攻撃・火器で防御という戦術的な一面だけでなく
農民兵から志願兵への転換も済み士気も高く戦闘技術に長け
補給面でも7年以上にわたり日本海を渡海し侵略戦争を行いつつ
博多湾〜釜山間の補給線を1度も絶やさず、
20万人以上の兵力の集中運用可能な指揮系統を持った
近世の軍隊(プレ近代軍)をローマと戦わせたらどうなるかって?
>>132 今の副業にいそしむ中共八路軍は漢の頃からの伝統なのかよ
>>146 伝統っていうか古今東西それが普通のこと。
動員兵力からみて漢が勝ちそうだな
錬度が桁違い。 ローマの勝ち。
錬度と言ってもなぁ・・何を持って錬度が桁違いと言ってるんだか まぁ平和ボケしてる頃の中華は経済力は強くても戦争に弱そうだが
総人口が大して変わらないのに、 動員兵力が上ってのも大して根拠なしとしか言いようがないけどね。 まあ、中国の史書の数字を丸呑みすればあれだが。
二世紀後半のローマ帝国の人口が約7000万人って言われていて 当時の世界人口が3億〜4億だから。およそ5分の1がローマ領内に居たわけだ。 の後漢の人口ってどんな感じだったんだろうか。
その時代の中国は黄布の乱とその後の三国時代の戦乱で人口が激減してる
動員兵力は総人口だけじゃ決まらないだろ 経済力もかかわってくる
後漢の人口は最盛期には5000万人ほどとのこと。
>>154 産業革命以前においては人口こそ最も重要な要素なのよ。
経済の根本たる生産活動も概ね人力に負っているし、
豊かになればその分人口も増えるから、総人口は経済力の目安にもなる。
それだけの人口を支えるだけの経済力があったってことになるから。
むしろ、そういう時代における兵力を考える上で重要なのは、経済力よりも生活形態とか。
例えば、遊牧騎馬民族などは農耕民族に比べ人口は極少数だし、経済力なんて全く話にならない。
しかし、人口に占める戦闘要員の割合は農耕民族に比べ圧倒的に高いし、
個々の戦闘力も概して上回るから軍事力という点では決して侮れない。
当り前の事だけど、社会体制如何によって 人口と兵力関係が結構深く関わってくるのでは? 人口が兵力としてカウントされる、 ギリシアや古代ローマの市民兵制度では特にそう、 ポリュビウス曰く、第二次ポエニ戦争時のローマの動員可能兵力は約70万人。 之なんかはやや多く見積もられていると言われているが・・・ 第二次ポエニ戦争でローマが失った兵力は10万を超えているから。 その損害は凄まじい。 それでも勝ったのはマンパワーの豊富さと市民意識を利用した制度があってこそ。 どっちが欠けてもローマは勝てなかっただろう。
帝政ローマの時代だと市民兵とは言いがたい状況だけどね。
前漢末期は戸籍人口で6000万で実人口はもっと多かったらしい でもこの人口を国土が支えきれず直後に崩壊してるからな・・ 軍事的に強かったのは最も戦慣れして兵馬共に洗練されていた秦統一前後 稀代の名将が現れた楚漢〜漢統一前後かな
あのさ人数で勝負の優劣を決めようとしてる人いるみたいだけど、ローマ軍団は
人数が多すぎる軍隊をつれての戦争は好ましいと見てないよ。
もう少し考えてみようや。
人数多い=兵糧確保が困難これがもっとも問題。
いくら略奪に頼ろうとしても4-5万人分の兵糧なんてそう簡単に確保できない。
ローマは兵站で勝つといわれたほどそういった戦争で必要な多面的な考えをもってたんだよ。
勿論中国の有能な武将も持ってたどろうし。
だから戦争全体で見れば人数の違いはあるにしても個別の戦闘そのもので見ればどっちも人数はあまり変らない。
ただしどちらかの国の領土内で戦闘があるとなると話はまた変るけど。
それでも攻め込んでる側で20〜30万の戦死者が出たら普通は手を引くだろうと思われる。
つまり言いたいのは現代人よ沢山の知識持ってんだからもっと頭働かせろってこと。
>>157 当然市民兵なわけがない。156が書いた時代はマリウスの改革以前で市民兵の時代。改革以降は職業軍人。
156は一言も帝政時代について言及してないからお門違いなつっこみだよ。
お前に言われなくてもわかってるとみな思うだろうな 人数が多すぎる軍隊をつれての戦争を好ましく思わず 精鋭だけを集めて攻めよと言ったのは秦王政(始皇帝)だし 項羽と劉邦(楚漢)の争いも兵站の差で漢が勝ったと言われてる そもそも兵站がどうのこうのと言うんなら両国の距離差はどうなる 近接していると仮定するなら領土が細長くて入り組んでるぶんだけ ローマのほうが大量の軍隊を送り込むのは難しそうだが
なんとなく 遠距離戦なら漢、接近戦ならローマ
ローマって遠距離からの攻撃だけなら 亀甲隊形や円形で防いでたろ? ローマが弱いのは機動力を活かしたヒット&アウェイ。 パルティアやササン朝みたいな騎馬主力の方々。
>>160 お門違いも何もスレタイ見てください。
古代ローマ「帝国」と後漢が闘ったら・・・です。
つまり、そういうことをいうなら、
>>156 の書き込みがそもそもスレ違い。
>>160 自国で養えないほどの大軍を用意しても無意味だが、
大軍を養えるだけの国力があるなら、大軍を用意した方が有利だ。
十分な補給を受けた少数と空腹の大軍では前者の方が有利だろうが、
どちらも補給が十分なら当然数が多い方が有利だという理屈。
つまり、重要なのはより多くの兵力を養うだけの国力があるかどうか、
だから最初から国力・経済力、及びその元となる総人口の優劣について語られている。
その国の国力で養えもしない大軍だけを用意しろなんてことは誰も言っていない。
166 :
160 :2006/06/27(火) 22:31:53 0
>>161 しっかりわかってらっしゃる方は書き込みをした自分よりよくわかっているでしょう。
>>163 たしかにローマ軍団は組織的にまとまって動くからヒット&アウェイには弱そう
>>164 あ、ほんとだ。あなたが正しいです。平に平にご容赦をm(_ _)m
>>165 アホかといいたい。国力云々が大事なのは当然わかってる。
そしてその国の国力で養えもしない大軍だけを用意しろなんてことは誰も言っていない。
なによりひとつの理想的な条件で語ろうって態度が気にいらない。
国力・兵力・錬度・兵站・経済力・etcで語ってほしいもんだ。
さて、165の意見に従って20万人の兵を一気にローマか後漢がぶつけたとしよう。
ここで質問。20万人分の食料を補給するとしたら165はどうするんだ?
これを論理的に可能だと説明できるなら国力・経済力云々で語ってくれ結構。
当然、敵はこれを妨害しようとすることを踏まえて、補給側に理想の条件という前提は却下。
特に↓みたいなもの
>どちらも補給が十分なら当然数が多い方が有利だという理屈。
それと何故過去、165の言う優劣の基準と反するような歴史があったのか説明してくれ。
167 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:50:24 0
匈奴って今ではトルコ系と言われているよね? その匈奴は結局、漢に勝てなかったわけだけど、 その後の時代ではトルコ系のオスマン朝が最後の ローマであるビザンチン帝国を滅亡させたのをは じめとして、ヨーロッパを制圧していったよね? と考えると、もし直接対決していたら漢の方がローマ より強かったと推察できない?
>>167 おいおい。
>その後の時代ではトルコ系のオスマン朝が最後の
>ローマであるビザンチン帝国を滅亡させたのをは
>じめとして、ヨーロッパを制圧していったよね?
さらにその後の時代にはローマ文明の後継者であるヨーロッパ諸国が
清朝の領土を半ば植民地化して分割しましたよね?
> と考えると、もし直接対決していたら漢の方がローマ
>より強かったと推察できない?
と考えると、もし直接対決していたらローマの方が漢
より強かったと推察できない?
169 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 16:41:04 0
>>168 うーん、なるほど。
でも、清朝は女真属であって漢民族の国家ではなかった
から・・・と言ってみたところでどうにもならんな、こりゃ。
やっぱり想像力を膨らませて、直接対決させるしかないな。
武帝VSマリウス(前漢)または明帝VSネロ(後漢)で決戦場所
はイラン高原あたりか?
>>167 お前さんは、15世紀のオスマン帝国が、紀元前の匈奴と同じ国家体制、軍制、兵備で
コンスタンティノプルを破ったとお思いか?w
>>166 国力が大事だと分かっているなら何の問題もないだろう?
一般論として国力が優れた方が有利である。それだけのこと。
もちろん劣勢を覆した勝利もあるが、
そういうのは稀なことだから史上有名なんだよ。
>>166 一方が理想的で他方はそうではないという条件で比べるなら問題だが、
どちらもともに理想的な状況でというならフェアな条件じゃあないか。
まあ、別に「理想的な条件」にこだわる必要もないが、
両者が同じ条件で対峙したなら数が多い方が有利なのは当然。
それを前提とした上で、その優劣をくつがえす条件があるというならそれを示せばいい。
あなたはそういうものがあると思っているようだが、
具体的にどういう条件があるからどちらが有利だという意見なの?
173 :
160 :2006/06/28(水) 21:47:15 0
>>172 >どちらもともに理想的な状況でというならフェアな条件じゃあないか。
>まあ、別に「理想的な条件」にこだわる必要もないが、
>両者が同じ条件で対峙したなら数が多い方が有利なのは当然。
>それを前提とした上で、その優劣をくつがえす条件があるというならそれを示せばいい。
↑にまともに付き合うと自分の論点が変な方向にいく。
自分は戦争っていうのは兵力も大事だけどその補給・後方支援も重要と考える。
逆に言えば補給・後方支援十分というものが重要なら、敵をその状態にさせないのが自軍にとって重要なこと。
つまり相手と同じ条件で対峙しないことを普通は考える。
だからどちらも理想的な状態にするという前提は考慮できない。そうすると余りにも非現実的になる。
なぜハンニバルが包囲するという戦略を取ったのかは真正面から互いにぶつかる同じ条件より
包囲して「フェアではない条件」を作り出すためというのが根本にあったのかなと思う。
で、大量の軍を抱えて進軍が絶対的有利という意見は戦争シミュレーションゲームであまりプレイヤーが不都合を感じないように設計されたものをイメージさせる。
実際自分もrome total warって言うゲームやってるから大軍有利という意見もわかる。だが大軍が有利なのは戦闘の部分だけ。
しかし現実は大量の軍を抱えての移動は非常にリスクを伴う。食料が尽きたらどうなるか。
1万人で移動すれば1万の食料を確保する必要が出て、10万で移動すれば10万の食料が必要。
するとどこかの村・町を襲って5万の食料を手に入れても10万人で進軍したら5万人は極論だが餓死としてみる(餓死はいき過ぎだけどリスクを考えやすい)。
だから大軍有利っていう意見は反対。それだけ。
あと171がなんか綺麗にそしてわかりやすい単純な形にまとめてくれた気がする。
174 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 01:18:51 0
史実でも大量の軍を動員したほうが絶対的に有利だぞ。 大量の軍を動員した場合、食料を確保するための「負担」は増えるが、それを 支えるだけの国力があるのなら、兵站線の防衛などに回せる余剰戦力が増える 分だけ「リスク」は少なくなるだろ。
>>173 なんか無駄に混ぜっ返して偉ぶりたいようだけど
実際リアルに考えると5万だろうが20万だろうが大して関係ない
なぜならローマから漢、漢からローマまで兵を送るとなると
兵站戦が伸び切って、兵糧が敵地に届く前に全部輸送兵の腹の中に収まるから
しかもこれは漢とローマの間でどの国も兵站戦を脅かさないという理想的な条件の元でもだ
だから地勢的にもし漢とローマが隣り合ってたらとか仮定の話にせざるを得ないし
仮定の話になるんなら両者理想的な条件で争ったら・・という話になるのは必然的なこと
それに突っ込むことは無粋で話を混ぜっ返してる、ということに気付いてくれ
176 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 02:48:33 0
単一民族で巨大人口を抱えている後漢の方が強いでしょ。 なんだかんだいって、ローマ帝国の主力はイタリア半島の諸都市でしょ。 後漢ほど集まらんと思う。
>>176 単一民族ってほどまとまってないよ。
たとえば後の三国時代に魏呉蜀で分かれた地域ではそれぞれ文化も習俗も違う。
178 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 10:08:06 0
そもそもこのスレは>1が言っているように、 「地理的要素は無視」なんだよね。 サッカーのトヨタカップみたいに、第三国で 直接対決させてみたらどっちが強いかっていう想像話 でいいんだよね。ただ、その想像にどのくらいリアル性 を持たせることができるかが、楽しいんじゃない? まあ、戦術と武器と将軍の器と勇猛さあたりを比較できる ものさしがあれば、いいんだけど。
ローマの将軍ってどういう人物がいるのか良くわからん から詳しく知ってる人がいたら教えて欲しいな
三国時代だと風習が違っても同一民族意識はあったと思うな これが春秋戦国時代だと逆に各国にそれぞれの国民意識があったようだが
181 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 18:06:26 0
モンゴル帝国の時代に彼らに勝てる国ってあった?
>>173 兵站も補給も重要だがそれも結局国力しだいなんだよ。
大きな国力によって大兵力を組織するということには、
当然その国力を用いて兵站補給を整えるということが前提になっている。
大軍を用意したが補給が途切れたというなら問題外だが、 大軍を養うだけの国力があるなら大軍を擁した方が有利なのは当たり前。 相手の兵站を狙うだの、ハンニバルが戦術で大軍を破っただのという例は、 大軍の方が有利だという前提を考慮した上で、それをくつがえすための戦略戦術の話。 それをごっちゃにするから話が分からなくなっている。 強大な国力に基づいて大軍を擁した方が有利だというのが当然のことだから、 見事な戦略や戦術でそれに勝利した戦いが特別なものとして歴史上記憶されるんじゃあないか。
184 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 22:46:22 0
[古代ローマ帝国] 攻撃:93 素早さ:15 防御:94 命中:91 運:96 HP:107
[後漢] 攻撃:100 素早さ:89 防御:37 命中:22 運:99 HP:209
古代ローマ帝国 vs 後漢戦闘開始!!
[後漢]の攻撃 HIT [古代ローマ帝国]は85のダメージを受けた。
[古代ローマ帝国]の攻撃 HIT [後漢]は121のダメージを受けた。
[後漢]の攻撃 HIT [古代ローマ帝国]は1のダメージを受けた。
[古代ローマ帝国]の攻撃 HIT [後漢]は159のダメージを受けた。
[古代ローマ帝国]が[後漢]を倒しました(ラウンド数:2)。
魔法のMD5 - MD5バトル
http://www.newspace21.com/mix/btl.php ローマが勝ちました。
185 :
160 :2006/06/30(金) 00:37:36 0
>>175 うーんたしかに兵站とかの問題出すと地理が絡んで無茶苦茶になっちゃうか。
ただ兵糧が全部輸送部隊の腹に収まっちゃ意味無いでしょw
>>173 に対して色々意見をくれる人全部
先ず先に言いたいんだけど大軍を持つのはいいんだけど、それを一気に派兵って言うのはよくないんじゃないかって言うのが自分の意見。
別に兵力を多く抱えること自体は有利になるに決ってる。(財政無視になるけど)
で、国力があれば強いって言うのは当然わかってるんだけど、それで大軍派兵が戦略的に見て必ず有利っていうのにはやはり疑問が残る。
上のには反しちゃうけど地理的考えを持つと補給を整えるってことは要所に護衛部隊を配置するか輸送部隊を巨大にってことになって余計負担が増えて合理的じゃないような。
つまり大軍だと現地調達が困難になりがちで補給が命綱になる→敵は命綱を狙うほうに注力(大軍を相手にするより楽)
→リスクの増大→輸送部隊の強化・負担増
だから軍を大軍としてまとめるより多少は分散させるほうがいいってのが自分の主張したいとこ。
要はリスクヘッジを考えるともし補給に失敗したときの損害が大きいから大軍をまとめておくるのはハイリスクハイリターンじゃないかと言いたい。
長々と書いておいて160が言いたいことは 「大軍をまとめておくるのはハイリスクハイリターン」 そんなことは言われるまでもなく誰もが知っている
187 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 06:02:48 0
ローマはダキアで膨張を止めさらに東のスキティアには手を出さなかった。 漢は匈奴相手に大規模な戦いを行い財政破綻をきたした。
188 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 07:48:28 0
>>185 大軍だろうと少人数だろうと派兵する方が不利に決まっているだろう。
そんな事は皆承知しているから、どちらが派兵するなんて話は誰もしていない。
いきなりそのように先走らず、国力はどちらが上だろうか?とか、
それによって動員できる兵力は?とか、基本的なところから話を進めている。
そんな事すらも分からずに今まで書き込んでいたのか?
189 :
160 :2006/06/30(金) 09:27:52 0
学校行く前でそんな時間が無いけど簡単に
>>186 君わかってるじゃないかwなら大軍が絶対有利てのは崩れるな。ハイリスクなんだから大きな失敗になりやすい。
>>188 >大軍だろうと少人数だろうと派兵する方が不利に決まっているだろう。
どこの誰が片方だけ派兵するって書いた?片方が派兵したら大抵は守る方が有利なんてことわかってる。
190 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 13:20:46 0
片方だけが派兵するのではなく中立地帯などで決戦を行なうのなら大軍の方が絶対有利。 決戦に際して兵力を出し惜しみするのは、兵力の逐次投入につながる最悪の作戦。 兵力の少ない方が更に戦力を分散させて相手の兵站を狙うなどというのは机上の空論。
191 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 13:33:04 0
前漢の対匈奴騎馬大軍団はどうでしょう?? 最強遊牧民国家匈奴と死闘を繰り返したわけだから、なかなかのものでしょう。 ローマ式だと、騎馬軍団対策は、陣地を固めて、射撃で撃退、ですよね。 最終的に、ローマは、前漢のような大騎馬軍団を組織することはなかった。 この辺の差がどうでるか。
192 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 14:05:55 0
なんだかんだいって、全盛期の匈奴が最強。 匈奴が強いのは、戦闘より、むしろ戦略。 騎兵で大挙侵入、蹂躙・略奪して、敵軍が来る前に退却。 会戦を避けるから、基本的に、負けない。 前漢のように騎馬軍団繰り出しても、どんどん逃げるから、 決定打を与えることはできない。 ローマの重装歩兵部隊じゃ、まず捕捉できない。 実際、匈奴を相手にしたら、頭抱えるしかないでしょ。 どうやって勝つか??が問題じゃなくて、 どうやって敵を捕捉するか??が問題なんだから。
確か、ローマがフン族に対してやった最終手段が前線の都市の経済活動を 停止させたという他に類を見ない経済制裁という洒落にならないやつだそうな。 現地住民も酷い目にあったが、フン族のほうがもっと酷い目にあった。 他にも、フン族についている連中を買収して味方に引き込むなんてことばっかり やっている。 この積み重ねでフン族はアッティラの死後に求心力を失って崩壊した、そうである
仮に平野ではなく、地形の入り組んだ東欧の山岳地帯なんかに引き込めば 騎兵の有利を相殺し、ローマ得意の歩兵戦術に持ち込めたかもしれないが。 実際、ローマが強かったのは経済制裁などの反応を含め、軍事をたくみに経済にシフトした問題にできた ということがあるかも。
趙の李牧は匈奴の大軍に打ち破っている
196 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 17:14:00 0
本日の議論の流れから言うと、経済戦略を絡めることが できればローマが有利だが、単純に戦闘だけだったら後漢 が有利ということかな・・? それはそれで、面白い仮説だよね。
197 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 18:17:59 0
>>185 少数ならリスクが低いとでも?
補給の心配が少ない代わりに小数で戦わなければならないという圧倒的なリスクを背負うのですが?
散々いわれているが、大軍を組織できるだけの国力があるなら、
大軍を用意した方が絶対的に有利、少数の側はその不利を覆すだけの、
戦略戦術等を考えなければならない。全く当たり前のこと。
>>196 >>151-158 辺りを見ると、
そもそもの国力でローマのほうが上のようだ。
まあ、この観点についてはその後変なのが乱入してきて空転しているが。
全盛期のペルシャとスキタイの対決はペルシャの敗退に終っている。 全盛期のローマの軍事力が全盛期のペルシャに勝っているとは思えない。
そうか?兵数とかは古代中国で号される兵数と比べるとあんまり多い感じではないし ローマ帝国の人口7000万人って数字は検索しても出てこないから信憑性がちょっと
201 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 18:46:22 0
>>189 守る方が有利だと分かっているなら、
>>185 の例えが守る方が有利だということしか言っていないということも分からないか?
ちなみに既出だが戦力の逐次投入なんていうのは愚の骨頂。
そんな事をまともに考えているようでは、
ゲームレベルの戦略すら理解できていないと言わざるを得ない。
202 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 18:48:21 0
古代ローマ帝国ってラテン系で最強国家だろ。 それなら支那からは「元代」で勝負しなきゃ不公平だよ。
>>200 中国の号する兵数はあまり参考にならないと思う。
まあ、西の史書もとんでもない兵力を挙げることがあるからお互い様だが。
で、実際の人口云々は確かにもっと良く検討すべきことでしょう。
守るといっても攻城戦でどっちが有利かは言うまでもないけど 普通の合戦の場合は自領内でやると兵が散って良くないってのが 兵法にあったような
>>199 スキタイはペルシャに朝貢していたはずだが、いつの話だ?
206 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 18:54:25 0
孫子兵法の「散地」ですね。故郷の近くで戦闘を起こすとホームシックが起こって 兵が逃げ出すってやつ。だからわざと辺境の遠い地方に兵を置き去りにすればやるべきことを 勝手にやってくれて士気が上昇するとかいう。それも半農半武状態の古代支那での話。
>>204 基本的に今のは補給とかについての話だし。
それにそういう心理的な条件は場合によって、
愛国心や郷土愛、攻め込んできた相手に対する敵愾心とかによって、
かえって自国内で闘う方が士気が上がる可能性もあるし、一概には言い切れない。
208 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 19:00:23 0
>>204 愛国心とかがかけらもない軍隊ならね。
古代中国は確かにそうだ、というか古代ならその方が一般的か。
しかし、とりあえず、共和制ローマは古代ギリシャと並んで例外的に、
愛国心というか、共同体の為に闘うという意思が強い軍隊だった。
帝政時代はどうかね?まあ一言で帝政と言っても長いから、時期にもよると思うが。
ダレイオスが70万と称した軍勢を率いて黒海北岸に攻めこんだが スキタイの誘導作戦にひっかかって8万もの損害を出し、 ダレイオスは退却し、以後ペルシャは黒海北岸への軍事侵攻はしなくなった。
>>208 いや、そうでもないと思う、戦国時代とかは軍民が一体となっていて
かなりしぶとい印象を受ける、まぁ後漢とかなら微妙だと思うが
211 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 19:17:12 0
>>209 黒海北岸まで攻め込んで行ってはなあ。
>>210 しかし、その時代の戦争を考慮して、孫子は「散地」といったのでしょう?
>>211 その現象が起こるのは必ずしも士気が低いからとも言えんでしょ
どれだけ士気が高くても誰だって命は惜しいわけだし
孫子の兵法ってのは集団の人間の心理行動に基づくものだから
孫子の後に兵法書なしって言われるように
古代にしか通用しない兵法書ではないわけで
>>212 そりゃあ誰でも命は惜しいだろうが、
そこで踏みとどまるかどうか、どこまで踏みとどまれるのかが、
正に士気の高低ってものだろう。
というか士気が高低にはそんなに関係ないだろう、あくまで傾向の問題だから 士気が低けりゃ敵地でも逃げるよ
215 :
160 :2006/06/30(金) 20:40:21 0
>>197 大軍と少数が必ず戦わなきゃいけない理由がわからない。既出の匈奴が采った戦略を見たかい?
ゲリラに対して何故現代でもまとまって行動する軍隊が苦労すると思う?
戦争ってのは昔の日本みたいに真正面からお互い名告りあって戦う必要なんて無い。
つまり大軍の会戦にいちいち数で劣る方があわせる必要は必ずしもあるわけではない。
何度も言ってるけど国力が重要てのはわかる。その上で戦略として軍を一箇所にまとめる大軍有利論にはあくまで反対。
例えば大軍戦略をとった場合その大軍をまとめてあるところ以外の戦力はどうなるんだい?
普通戦争の場合、複数箇所に戦線が出来上がるから大軍を置いてあるところ以外は手薄になりやすいと思うよ。
他にも大軍であれば軍隊移動するときは端から端までが長距離に伸びやすいからそこも考慮すべき。
>>190 >片方だけが派兵するのではなく中立地帯などで決戦を行なうのなら大軍の方が絶対有利。
上にも書いたけど決戦を行うならね
>決戦に際して兵力を出し惜しみするのは、兵力の逐次投入につながる最悪の作戦。
決戦を行うならね
>兵力の少ない方が更に戦力を分散させて相手の兵站を狙うなどというのは机上の空論。
いい加減、思い込みの反論は止めて。誰も兵力が少ないてかいてないでしょ。国力は重要な要素のひとつなんだから全体的な兵力も考慮してるよ。
なにより逐次投入てあなた自身が書いてあるんだから余剰戦力があるんだろ貴方の反論では。
でもまぁ、たしかに書き方が悪くて逐次投入良して感じになってる。勿論逐次投入は不利になりがち。
一応波状攻撃とか逐次投入て戦略はあるのだからのメリットはあるはず。例えば必要な場所に新鮮な戦力を投入できるとこ。
けれども戦争の基本は如何にすばやく終わらせるかってのが重要。
今のイラクも例になるけれども世論、占領した地域の感情悪化(カエサルはここら辺に考慮してたらしい)、兵の指揮低下など長期の戦争は好ましくない。
とにかく一貫して大軍絶対有利て言うのには反対しております。
補給、ゲリラ、戦力のバランス欠如などは大軍有利論を突き崩すための材料。
逆に言えばここの材料を突き崩す理論を出されるともうお手上げです。
216 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 21:17:39 0
>>209 ダレイオスのスキタイ遠征って史実なんですか??
とりあえず、ヘロドトスの記述だと、ドナウ河は越えたんだよね。
>>195 匈奴って、冒頓単于の時代までは大したことなかったんじゃないの?
そもそも、北方遊牧民統一してたわけじゃないし。
あと、別に、前漢も匈奴に「負けた」わけじゃない。
匈奴がの、手薄なところに侵攻しては退散する戦略に、苦しんだだけ。
>>216 統一してないって言うと趙も常に秦に脅かされていた戦国の一国に過ぎないし
最終的には趙は李牧を更迭したすぐ後に滅んだ
個人的には兵の数よりも将の優秀さのほうが大事だと思うけど
これを比較するのは困難だからなぁ
218 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 22:37:38 0
>>160 さんは、ローマと後漢が同じ兵の数で
戦ったらどっちが勝つと思ってる?
地理的要素は無視で。
>>215 大軍有利「論」を突き崩すんじゃあなく、
大軍は有利で小勢では不利だというのは当たり前の前提で、
それを覆す為に、ゲリラ戦だの何だのという戦術や戦略が必要とされるんだよ。
というか、いい加減無駄に長文すぎ。
220 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:08:54 0
>>215 トータルでみれば、大軍が絶対有利じゃないことは、そりゃ当然でしょ。
昔の場合は、「補給」が一番問題になるかな。
ちなみに、全盛期匈奴は、人口100万前後、総兵力20〜30万で、
一つの戦場に数万の兵力を投入できたから、古代〜中世の感覚だと、十分過ぎるほど「大軍」
遊牧民の場合は、補給の心配無く大軍動員できたから、あれほどの力を誇ったわけで。
221 :
160 :2006/06/30(金) 23:14:02 0
>>218 塩野さんのローマ史読んだ事あるからどうしてもローマよりになるかな。
正直技術、錬度云々より帝国時代のローマで考えると地中海周辺国の多種多様な兵を集めやすいだろうし。
>>219 うん。確かに文が長い。どうしても短文にすると言いたいことがしっかりと伝わらない気がしてついつい長文に。
そしていい加減このままだと議論がループし続ける気がしてきた。
で、219さんのそれを覆す為に、ゲリラ戦だの何だのという戦術や戦略が必要とされるんだよ。
て文をみてあっそうかて気付いた。
222 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:15:36 0
ちなみに、長期的にみれば、動員能力が大きい方が有利でしょ。 これも当然だが。 ローマも、一つの軍隊が壊滅しても、すぐ次の軍隊を送り込むことが出来たから強かった。 オスマン・トルコにしても、ヨーロッパに脅威を与えたのは、他国を圧倒する動員能力が あったからで。 一度の戦争なら、大軍集めても失敗するケースが、大いにある。
223 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:19:09 0
古代中国の軍隊・戦闘って意外とイメージしにくいな。 三国志読んでも、わからんし。 韓信の奇策とかはわかり易いけど。 具体的な軍制・用兵・戦術って、どういう本にのってるの??
224 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:25:41 0
久しぶりに見たら急にレスが増えてる。 読むのが面倒くさいよ〜
どういう陣形とかはまぁネット上でも見れるけど 実際大量の兵士が実際どういう風に布陣して合戦してるのかは想像しにくいな 兵の錬度は時代や国によって相当まちまちだと思う
ただ大量の兵士を一箇所に叩き込めば勝てる、という単純なものでもないし。 決戦に限っても、そこの地理をお互いの指揮官たちがどれほど知っているか、 決戦地のどこが大軍に有利でどこが不利か、 補給は、作戦目的は、戦略目的は、部隊間の通信はどこまで機能しているか、 士気、兵科のバランス、古代なら、指揮官同士の不和はあるか、部隊での文化的な差異はどれほどか、と 素人の漏れでもこれくらい気にしてしまう。
227 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 07:08:27 0
支那の負け。なぜなら将が前線で戦ってる最中に内部で分裂して終了。中原諸王朝の終わり方はみんな一緒。
>>226 具体的な話になればね。
しかし、歴史上起こらなかった、というか地理的に起こりえないような対決を、
あえて地理的条件を無視してもし起きたらと語るのだから、
とてもそんな具体的な話にまでならないよ。
国力・装備・軍制・基本的戦術とかで双方を比べるくらいがまずは妥当な線。
229 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 09:02:16 0
三十年戦争のヴァレンシュタインは「軍は大きければ大きいほど養うのが楽になる」と言ってたな。
おかげさまでドイツの荒廃ぶりはえらいことになったそうだが。
実際に中国の乱世では、小軍の時は勝ったり負けたりを繰り返していたのに、 大軍になるにつれ兵站を安定確保できるようになり、一気に巨大勢力へと 成長するヴァレンシュタイン型の武将がわりと多い。
>>231 そうかなぁ、むしろ逆の印象を受ける
小軍同士の戦では連戦連勝だが、領土を増やして大軍になっていくうちに
同じように連勝を重ねて領土を増やした優秀な将を相手せざるを得なくなって
そこで停滞してしまう印象がある
「闘ってら」てのは関ヶ原の戦いみたいに野戦一回なのかそれとも城の 奪い合いなのかはっきりして欲しい。
234 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 18:59:02 O
>>232 それは天下人の器じゃなかった曹操みたいな奴の場合な
235 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 19:21:53 0
>>231 しかしあまりに大きくなりずきるとナポレオン・ボナパルトでさえ
全軍の位置把握・命令通達の煩雑さに苦悩する事になる。
もちろん、兵站も問題だ。
ナチの電撃作戦もあと1週間、フランスが粘っていたら兵站崩壊が
おきていた。ロンメルは前線から火力・弾薬の欠乏を切実に本部に
連絡している。
>>234 そりゃどうかなぁ
春秋戦国時代では秦が統一するまで膨大な時間を要したぞ
英雄が一人だったら光武帝のように治めるのもあっさりしたもんだが
二人だったら漢楚のようになって、三人いたら魏呉蜀のようになるというだけの話だと思うが
どうも160がバカに見える
そんなことをいまさら書いてるお前も馬鹿に見える
239 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 00:31:31 O
>>236 漢楚が劉邦と項羽を言ってるなら、目茶苦茶早く統一されてるジャン。
三国時代は英雄が三人なんじゃなく、三人でやっと英雄一人前なんだよ。
実際統一については大したビジョンもなく、大ポカかまして統一逃した曹操なんかは天下人の資格自体がなかった感じ。
>>239 まぁ時間だけで計れば短いもんかもしれんけどな
なぜか曹操をやたら叩きたいようだけど個人をそういう言い方で貶すんなら
劉邦はありえないほど無能になる
どっちにしろ小軍の時に勝ったり負けたりのレベルの将が
大勢力になるってのはあまり思いつかない、逆ならいくらでもあるんだけど
あったら教えて欲しいな
そういう観点で劉邦が無能になるとは全く理解できないな。 劉邦は項羽の風下に立つ小勢力の時から連戦連勝で秦を落としてるよ。 派手でこそないが南陽、宛、武関と進み秦の本拠でも完勝して咸陽に乗り込んでいる。 項羽に大敗した後なども驚異的な粘りや回復を見せているし、 自らと韓信による二方向から侵攻し、最終的には項羽を戦略的に包囲する見事なビジョンを採用・実現した。 漫画を根拠にされても困る。
242 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 01:14:49 0
ところで1800年当時に国家としてはずたぼろになって ナポレオンに飲み込まれる直前の神聖ローマ帝国と イギリスからかなりのアヘンが流入し国家の箍が 相当に緩み始めていた始めていた清朝が戦ったらどうなるんだ? どっちもまとも戦争できる状態に無いが 神聖ローマ帝国としてではなくハプスブルクのオーストリアや プロイセン単体でこられたらそれなりに強い反面 人口4億の清も侮りがたいと思うからなんとも言えん。
>>241 劉邦好きなのはわかったけど
結局のところ秦に勝ったのも項羽が秦の主力を相手していたからに他ならないし
項羽に大敗した場面も曹操の大ポカ以上のアホっぷりだと思うがな
その項羽を戦略的に包囲する作戦とやらもその実行もほとんどを
優秀な部下に拠っていたし、まぁそういう強運も英雄の要素のうちの1つと
言うんならまぁ否定はしないが
244 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 01:27:56 O
ああなんかいかにもなレスが来た。 蒼天航路あたりの信者かな はいはい曹操すごいすごい 鴆毒飲んで死なないし剣の達人だし孫子に注付けたし異民族内地に移住させたし
>>244 悪いけど蒼天呼んだことないわ、お前と違ってw
劉邦の件で突っ込まれたら曹操マンセーのレッテル張りか
>>240 の一回しか曹操に言及してないのに
曹操ヲタから蒼天信者にまで膨らませる妄想は感心するw
246 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 01:53:13 0
だから元代とローマ帝国はどっちが強いのよ?
247 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 02:29:54 0
>>246 同一の時代ではない、比較することができない
>>242 どっちも国家というより、地方を統治する領主や軍閥が主体になりそうだな。
250 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 06:17:42 0
>>249 まあ、そうだろうね。
そもそも無理やり曹操を引き合いに出す必然性が何もない。
>>219 要するに自分が少数で相手が大軍でもゲリラ戦だの何だのという
戦術や戦略があれば十分戦えるってことだろ?大軍有利じゃないよね?
252 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 08:20:17 0
加藤徹『貝と羊の中国人』新潮新書によると、「熱血漢」「好漢」「痴漢」 など、オトコを指す「漢」の語源は、漢王朝の兵士を匈奴が「漢」と呼んだこ とに由来する。 いっぽう、「ローマの男」の「ロメオ」Romeoは、現代英語では「女たらし」 の意味もある。 「痴漢」の大軍と、スケコマシのロメオの大軍の激突。 ロメオの体をさわりまくって、「痴漢」軍の勝利。
まだ続けるつもりなのか・・・・
>>251 そういう工夫をしなければならない段階で、前提として大軍の方が有利なんだよ。
254 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 10:07:20 0
>>251 決戦を避け、城を固めながら、攪乱戦、遊撃戦で敵を圧倒したケースは、
古代〜中世では、百年戦争時のフランスのデュ・ゲグラン大元帥かな。
正面決戦では、基本的に英軍に勝てなかったので、機動戦で英軍を悩ませた。
この戦術の前提として、当時は城が陥落しにくく、堅守してれば、
いずれ大軍も撤収するという前提が必要だった。
255 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 10:11:06 0
>>241 劉邦も別働隊(韓信・彭越・英布たち)があそこまで活躍するとは
思ってなかったと思う。
劉邦が有能というより、自立して君主を目指さなかった韓信がバカ。
>>255 韓信が自立しなかったのは劉邦が内政面で優れてったからってのはどうよ?
たしか人心をつかむのが上手かったとかどうとかこうとか。詳しくは知らんので適当な意見。
少数の軍がゲリラ戦で大軍を悩ませたのなんて、ベトナム戦争をはじめとして 自国が戦場になったケースがほとんどだろ。 基本的に中立地帯で有効な戦術ではないよね。
258 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 10:43:27 0
>>256 韓信はどちらかというと、芸術家タイプで、お人よしなんじゃないの??
最後まで、劉邦を信じ、「自分は咎められる理由ないし」とか呑気に考えてたし。
英布のような野心家は、ヤバイと思ったら、即叛乱。しかし、
すでに漢帝国は強力で、一辺境王の力では太刀打ちできなかった。
兵力が多い方が派兵するんだから守る方の兵力が少ないのは当たり前。
>>255 いかに軍才に優れた韓信といえど、
超有能なスタッフばかり揃った劉邦相手には勝ち目がないだろ。
261 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 22:27:31 0
>>247 13世紀の東ローマ帝国とゲルマン部隊 VS モンゴル騎兵
はどっちが強い(勝利条件は双方どちらかの首都陥落として)ですかね?
262 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 22:31:10 0
それと2~3世紀のパルティア帝国とローマ帝国はやっぱローマの方が強いですよね?
247ではないがー 勝者、モンゴル 1.13世紀の東ローマ帝国とゲルマン部隊にはモンゴルの本拠地まで軍を派遣する能力がない 2.モンゴル軍には決まった首都がない。遊牧民ゆえ、ハーンのいる場所が首都であり、当然あちこち移動するため。 3.モンゴル軍に上記のハンデが存在しない。
13世紀当時のローマ帝国圏の戦法や武器、防具の技術と モンゴル騎兵のそれと、単純に平野で1万人ほどの部隊で 戦わせてみても、モンゴルの方が強いんですか? これが攻城戦ではどうなんでしょうか?
13世紀の東ローマ帝国とゲルマン部隊 VS モンゴル騎兵 双方の勝利条件 ローマ側:支那の大都陥落と長安占領 モンゴル側:コンスタンティノープルとナポリ占領 で、あのままモンゴル騎兵が東ローマ帝国に押し入ったとして、ローマ兵とゲルマン兵に勝てただろうか?
>264 野戦においてはよほどの不運に見舞われない限りモンゴル軍が勝つ。 攻城戦においては、その戦力比では戦い自体が行なわれない。 城塞を無視してモンゴル軍は近隣を荒らしまわることになる。 攻城戦を行う場合は、支配地域から兵力を召集し、十分な準備を行なったうえで戦う。 当時はドコであれ、よほどの兵力差が無いと攻城戦なんかやらないのよ。
267 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 00:27:32 0
13世紀の主要な兵器ってなんでしょう?モンゴルは炸裂弾(馬脅し)を使ったくらいしか知らないもので。 というか、モンゴル騎兵でローマの重装歩兵(当時もいたかはしらないけど)の鋼鉄の装甲を貫けたのか否か。
268 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 00:30:02 0
それと更に疑問があります。モンゴルはなぜ「騎兵だけで」世界最強の兵士になれたのか? 一人数頭の馬を使い電撃戦が可能だったとしても、それだけでそうそう領土を広げられるのか? なんかもっと根本的な戦術や武器の変化はなかったのでしょうか? 連投すみません。
269 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 00:50:12 0
>>267 >>268 モンゴル軍は征服した民族を支配下に入れた、諸民族混成軍では。
単純に、機動力のある騎馬の大軍団ってだけで、そうとうなもんですよ。
遊牧民なら、兵站気にする必要もないしね。
初期のアラブ・イスラムも、西はスペインから東はイランにいたる、
大帝国を築いていますよ。
城攻めには、投石器が活躍。つまり、イスラム技術者がモンゴル軍で
活躍しています。
あと、モンゴルが戦った相手は、基本的に弱かったのでは。
ロシア・ヨーロッパ・イスラム圏も封建的分裂状態なわけだし。
>267 別に変わった兵器は存在しない。 軽装騎兵は投槍や短弓を装備して、重装騎兵は槍や棍棒、剣を装備していた。 ちなみに戦闘部隊の損耗は戦闘による死傷によるものが主ではない。 士気の崩壊による部隊の機能停止が主。 軽装騎兵によって誘引、分断、混乱ののち、重装騎兵の突撃で、勝負が決まる。 いくら兵の装甲が優れていようと部隊として機能しなくなればどうしようもない。 >268 「騎兵だけ」ではないよ。 当時のヨーロッパの軍と比べて錬度も高く組織だっていて、きわめて優秀な軍隊だったんだよ。 良く聞く例えは「戦場を将棋板だとすると、ヨーロッパの将棋板はモンゴルの将棋板の1マスに過ぎない」 これはモンゴル軍の進軍速度や偵察、情報伝達能力の優位性を語っている。
271 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 00:54:04 0
>あと、モンゴルが戦った相手は、基本的に弱かったのでは。 つまり「数世代前のロシア・ヨーロッパ・イスラム圏はモンゴルなど意に返さない ほど強かった」ということですか?
272 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 00:56:50 0
モンゴルカッコヨス
273 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 00:59:34 0
モンゴル軍は10万くらいの兵力を投入できたのかな。 徴集兵じゃなくて、幼少時から戦闘に慣れた遊牧民兵なら、かなり強い。 帝政期のローマ軍10万と、モンゴル軍10万が野戦で激突したら、 どうなるんだろ。
274 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 01:02:41 0
モンゴル重装騎兵の武器:金馬サクがローマの重装歩兵の装甲を貫ければモンゴルの勝ち。 アルマジロ対凶暴な家ネコのようなものか
275 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 01:05:27 0
>>270 ローマや後漢のように、陣地固めて射撃で応戦されたら、
モンゴル軍は、対応できないのかな??
>>271 帝政期ローマと比べれば、明らかに、当時のヨーロッパは「弱い」でしょ。
イスラム・ロシアはどうか、微妙だが。
技術や戦術の問題以前に、統一されたヨーロッパとしての意識が
比較的希薄だった時代だからね。
当然、戦力の集中も指揮系統もモンゴルに比べて甘かった。
>>258 彼は、庶民同様の生活から身を起こし、才能の恃むままに
劉邦に一躍抜擢されてほとんど無名から一足飛びに王、大将軍という地位について
才能だけで漢で確固たる地位を築き上げたわけだからな。
生まれながらにして王侯でもなく、また年長として、王侯としての生活も比較的短く
才能以外にも処世が必要だということを理解しきれてなかったんじゃないかね。
才能だけで世を渡れ過ぎて、才能があれば大丈夫という自信をつけてしまったというか。
277 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 03:01:47 O
重装歩兵と騎馬軍団の戦いってぐだぐだになりそうだな。
そうでもないよ。いくら重装備に身を固め、仲間と一緒に列を組んでいても 視界一杯に広がる無数の騎馬が、自分のほうに殺到してくるのはかなり怖い。 たとえば、パドックで一頭の馬が走ってくるだけでも人間は怖がってしまう。 まして、どれほど訓練を積んだとしても、 自分を蹴倒し殺すために、騎兵が襲ってくる、という心理的プレッシャーは計り知れない。 それを克服するためには、何かのプラス要素が必要。 たとえば堀を作り柵を立てて足を止める、遠距離から射撃に徹するなどなど。
279 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 03:56:03 0
初陣だけだろ。隊列を組めば騎兵の突撃など取るに たりない事を知っていれば問題なし。
280 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 04:55:16 0
>>279 そんな、組織され、訓練された軍隊なんて、古代〜中世にどれほど
存在したのか。よく訓練された歩兵部隊なら、騎兵に対抗できるけど。
有名なクセノポンの「アナバシス」でも、ペルシャ騎兵に対する恐怖心を拭い去るため、
「馬にかみ殺されることなでない。一万の騎兵といっても、一万の人間に過ぎない」
とかいっている。
ギリシャ重装歩兵の場合、騎兵対策として、弓兵・投石兵を配備。
>ローマや後漢のように、陣地固めて射撃で応戦されたら、 >モンゴル軍は、対応できないのかな?? >266参照 近場の支配地域から圧倒的な兵を招集して攻城戦を行うことになる。 モンゴル軍はモンゴル騎兵のほかに支配地域からの現地兵を大量に召集して使用した。 それと、農耕民と遊牧民の「土地」に関するものの考え方が違うので、そのことを考えないと。 農耕民にとっては土地は食料を生み出すもので、土地を占領するのは重要な意味があった。 遊牧民にとっては、土地は単に放牧地だったり掠奪対象に過ぎず占領する必要性があまりない。 敵が陣地に立てこもれば無視して付近を掠奪するのが基本。 結局陣地に立てこもっているものは野戦による決戦を選ぶか、 後からやってくる圧倒的多数の現地招集兵を相手にするか選ばねばならなくなる。
>279 ローマ帝国崩壊後、対騎兵戦術である槍兵密集陣はスイス傭兵が復活させるまで無くなってしまってる。 これらの戦術を駆使するには莫大なリソースが必要だけど、当時のヨーロッパの生産力ではとてもとても。 そもそもローマ軍は騎兵の攻撃にかなり悩まされているし。
283 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 05:17:51 0
>>282 ローマも、3世紀の危機の時代には騎兵機動軍が活躍したんだっけ。
でも、どのくらいの数だろ??多くてもせいぜい1万??
前漢は匈奴に対抗して、10万以上の大騎馬軍団組織したから、
かなりスゴイ。
ちなみに、
>>282 のいう槍兵密集陣は封建騎士軍には有効でも、
遊牧民軍にはあまり意味ないと思う。
同じ騎兵といっても、遊牧民軍とヨーロッパ中世騎士軍じゃ別物でしょ。
でパルティアと帝政ローマはどっちが強い?
285 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 06:00:53 0
パルティアは純然たる遊牧民国家じゃなく、 あくまで、基盤は都市・農耕牧畜でしょ。
>>283 ただ頭数を揃えただけ、だけどな。それまで馬なんて農耕馬としてしか使ってこなかったような農民を徴兵して
俄仕込みの訓練をしたてただけ。
>>283 どちらかというと、騎兵の種類というよりは、選択する戦場に左右される。
古代ギリシア、ローマ風のファランクスは、側面や後方に回られると、
即座の転回が難しく、弱点があった。
広大な平野を大軍で縦横に駆けるような戦場だと、それこそ敵に倍する兵力じゃないと
弱点を見せずに支えきるのは難しいんじゃないかな。
だからこそアレクサンドロス大王は、ファランクスの側面を騎兵に援護させたわけだが。
287 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 18:17:58 0
>>286 槍兵密集陣が広大な平野で弱点を見せずに支えきった例としては、BC401年の
クセノフォン率いるギリシア人傭兵部隊約1万の例がある。
ギリシア人部隊はペルシア帝国内の内乱に傭兵として参加したのだが、バビロニア
の近くのクナクサ会戦で味方の軍は大敗を喫して全滅。
しかし、ほぼ無傷で生き残ったギリシア人部隊は、そこから密集方陣でペルシア軍
の攻撃を退けながら、アケメネス朝領内を横断してボスポラス海峡まで生還という
「島津の退き口」をスケールアップさせたようなことをやっている。
288 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 20:17:43 0
重装甲のロシア諸侯軍は軽装のモンゴル騎兵の機動力に追いつけず、 逃げるモンゴル軍を追撃して疲労した所を徹底的にモンゴル軍に叩かれ 潰滅している。 重装甲は近接戦闘では有理でも大平原での機動戦では逆に不利になる。
289 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 20:18:14 0
重装甲のロシア諸侯軍は軽装のモンゴル騎兵の機動力に追いつけず、 逃げるモンゴル軍を追撃して疲労した所を徹底的にモンゴル軍に叩かれ 潰滅している。 重装甲は近接戦闘では有理でも大平原での機動戦では逆に不利になる。
290 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 21:47:28 0
騎馬軍団はポニー軍団
292 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 22:26:57 0
>>286 前漢の騎馬軍団は匈奴に十分対抗できたんだから、
そんな寄せ集め部隊じゃないだろ。前漢の騎兵がどの程度訓練してたかわからんが。
あと、ローマって、ファランクスか??
>>287 襲撃してくる騎兵の対策として、ギリシャ軍は弓兵・投石兵部隊を組織してますよ。
重装歩兵部隊だけだといろいろ欠陥あるから、補助部隊が必要だった。
293 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 23:26:02 O
漢の騎兵は北辺の騎馬に精通した者を選抜する六郡良家子、 服属した異民族を徴発したものなどが中心 単なる農民を乗せただけというのは無知と偏見が過ぎるよ それなりの技術はあるからこそ匈奴の本拠に攻め入ったりできたんだよ
当時の戦闘用の騎馬って今で言うところの戦闘機にあたるんだろうな。 だから馬丁なんかはさしずめ航空整備士で、騎兵はパイロットか。 その頃(二、三世紀)って馬はやっぱり高かったのだろうか?
古代ローマとオスマントルコが戦ったらどっちが勝つんだろ?
銃砲の連発でローマ軍が壊乱しそうだが。
いかに全盛期のローマであれ漢であれ戦いが長期化すればさすがに財政的に苦しくなるし、 厭戦気分や農民反乱が起きて内部から政権基盤がぐらつき始める。
298 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 19:34:21 0
>>297 ローマだと、必要以上の軍備はもたないようにしてたんじゃないかな。
五賢帝期までのローマの敵は、ゲルマン人・ダキア人・パルティア人と、
相対的に弱い連中だったから、なんとかなった。
しかし、3世紀に内乱に加えて、外敵も強力になってくると、どうしようもない。
軍備を大幅増強→国土疲弊の悪循環だね。
前漢VS匈奴は全盛期の両帝国が激突した珍しいケース。決着はつかず、
両者疲弊。
299 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 20:17:11 O
前漢対匈奴は決着ついたよ どちらも損害は大きかったが、漢の勝ち
300 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 20:18:21 0
ウンコ下痢屁がドップン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
301 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 20:19:28 0
ウンコ下痢屁がドップン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
302 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 20:20:00 0
ウンコ下痢屁がドップン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
303 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 22:48:56 O
>>295 一応オスマンはドイツと組んで第一次大戦戦い抜いてんだが。
機関砲も飛行機もあるんだが。
でもローマが勝つけどな。
ローマならなんとかするに違いない。
全盛期のスキタイにローマが攻めこんだらダレイオスの二の舞になると思う。
305 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 00:19:23 0
当時の馬って現在の日本の貨幣価値に合わせてどれだけの価値があったのだろう?
306 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 00:31:35 0
>>305 そらピンキリだろ。
ホントに良い馬には思いっきり値がつくだろうし
どうでも良い馬は二束三文だろうし。
そういえばラムタラって買う時と売る時の価格差スゴイなw
307 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 01:04:12 0
戦闘に使える点を考慮しても現在の戦闘機並みに・・なるわけないか。
>>307 ローマ帝国時代の馬の値段は知らないが、中世西欧では馬は同じ重さの金と取引されていたそうな
310 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 03:02:07 0
だから良い馬からどうしようもない馬まで価格もピンキリだって。
今と一緒で300億出してもまず買えないディープインパクトから
(社台にいくら払えば売ってくれるかもはや全く想像つかん)
キロあたりいくらで取引されるコンビーフの材料みたいな馬まで色々いるわけで
本当にすごい馬なら
>>308 どころじゃない馬しただ同然の馬もいる。
これは今も昔も一緒。
311 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 06:23:23 0
今は馬が戦闘用に使われることなんてないだろ。精精競馬か貴族の趣味か輸送用くらいな用途だ。 しかし2~3世紀ころは軍用馬は相当活躍したはずだし、国家レベルでの需要もあったから値段も それなりにするはずだ。現在のB−2という最高級戦闘機は一機二千億円。まあこれは極端すぎる 例だけど、今で言う戦闘機を当時の騎馬が担っていたと思われるのだから、ただ同然の馬なんて さすがにいないだろ。
312 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 08:14:00 0
そもそも馬と戦闘機を比較することが間違い。 馬なんか中央アジアの草原地帯とかでは自転車ぐらいの感覚だろ。
ナポレオン時代だと軽騎兵用の馬が100フラン、重騎兵用の馬が300フラン 1フランが大体5000円相当なので50万から150万ほど。 前漢の馬の値段が5000銭。庶民の年収が10000銭の頃 日本、746年ごろの馬の値段が稲1000束。都の下級役人の年収が稲300束の頃。 −− 312 中央アジアの草原地帯での馬は貴重な財産。 自転車くらいなんてとんでもない話。馬がいなければ生きていくことさえおぼつかなくなるのだ。
ただ、金銭的価値で中央アジア草原地帯における馬の資産価値を測りきれるかというと難しい。 彼らにとっては移動手段でもあり、生活手段でもあり、食料でもあり被服材料でもありという まさに生活の糧そのものだったわけだからな。 総体として、ある個人が持つ「馬」という存在そのものは計り知れない価値を持つだろうが その中の馬一頭、というとどれほどの価値を持つのやら。
しかし湿地では馬は役に立たない。
>>315 それ以上に歩兵も役に立たないがな。
農耕馬がせめても、だろうか。湿地というより沼なら、船に載せた軽装兵。
つか、湿地ってどこのことを言ってるんだ?
地形によって最適なものが変わるのは当たり前だろう。
ステップの草原地帯だからこそ、騎兵の利が生きる。
313がちゃんと説得力のある材料を使って言ってるんだから馬の値段は50万〜150万で考えればいいんじゃない。 それと鐙のなかった時代だから突撃時とかでは騎手の能力もでかかったはず。 当時は馬にまたがってるとき鐙がないから股で挟む力が重用だったらしいよ。
>>317 鐙がない時代の騎兵というのは、基本的に集団突撃なんてしません。
個人の突撃もほとんどない。なにしろ下手すりゃ即落馬だ。
当時の騎兵というのは石や槍を投げるのがせいぜいだった。
7騎兵突撃なんて当時は遊牧民達による騎兵部隊にしか出来ないよ。 鐙がないから、物心がつくかつかないかのうちに馬に乗り始めるような人間で無いとまず不可能。 遊牧民は生活上必要なので必ずそうするけど、農耕民はそんな贅沢できるやつはほとんどいないので、 農耕民族による騎兵突撃は鐙の出現を待たなきゃならない。
320 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 08:40:14 0
自家用車のようなものか=当時の馬
>>319 古代でもマケドニアとか普通にやっているが。
>>321 マケドニアは純粋な意味での農耕民族ではない。
少なくとも遊牧をやっていたなんて事実はないがね。
>>322 周辺の騎馬民族の影響を受けていたとかいうこと?
そういうことを言うなら、ローマだってそうだし、
中国だって秦や趙は影響を受けているから、
少なくとも中国北部は純粋な農耕民族じゃあないことになる。
そして、現に彼らは騎馬隊も組織している。
純粋なとか言い出したらただの言葉遊びになるよ。
>>316 だったらどこで戦うかだけは決めた方が良くないか?
326 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 13:58:35 0
中国軍って、基本的に数で圧倒しなければ勝てないイメージがある。 ローマは特に蛮族相手なら、数が互角でも戦術や錬度、装備で勝っている。
327 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 14:12:26 0
支那は防衛戦に滅法弱いが羅馬は逆に強い。
328 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 14:20:49 O
漢も匈奴含む周辺異民族に装備、練度で勝ってた 多分その辺はローマと同じ
329 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 14:43:16 0
>>326 >>328 1〜2世紀ローマは、常備軍(正規兵+軍団兵)30万以上で、
内乱や外征には、5〜10万の軍隊を動員している。
古代〜中世では、ものすごい大軍というべきだろう。
しかも、一つの軍隊が壊滅しても、すぐに後続を繰り出す動員能力があった。
大帝国維持するなら、基本的に「数」は必須だよ。
前漢武帝期は、匈奴以外の西域・東越・南越・西南夷征服には、
囚人から兵士を動員して、征服に成功しても、遠征軍はほとんど餓死・病死・事故死
の惨状。大苑遠征では、出征6万に対し、帰還一万。それでも成功した。
これは、ひたすら「数」、動員能力の力かな。
330 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 15:04:13 0
30万で大軍?何を言ってるんだ?赤壁の戦いの曹操軍は100万の兵で(ry
官渡の袁紹は70ま(ry
ペルシャのダレイオスはスキタイ遠征で70万と称する兵力を投入したが、 ローマにこれほどの大軍が動員できるとは思えない。
ペルシャ戦争の時のペルシャ軍なんて528万3千人だぞ。 ・・・ってまあ要するにその手の数字を余り真に受けるなって話だわな。
70万は誇張でもペルシャ軍はダーダネルス海峡に浮橋を浮べて陸兵を渡海させたなど、 大規模な動員がされたのは確実。ペルシャの軍事力の根幹の陸軍が8万の損害を受けるという状況で、 ダレイオスはスキタイに対しての軍事的勝利を断念し、撤退を決意した。
漢は武帝時代に匈奴との戦いで大規模な動員を行い民生を圧迫し、 武帝末期には道端に餓死者が倒れている惨状だった。 明は清との戦いで戦費を捻出する為過酷な税を取り立て、 反乱が各地で頻発し、戦っていた相手の清ではなく、 反乱軍の首領の李時成に滅ぼされている。 歴代漢族王朝にとっては遊牧民に勝つために軍事力を強化すれば反乱で王朝が倒される(明)危険があり、 民生を重視すれば国防がおろそかになり遊牧民に敗北する(宋)というジレンマを抱えていた。
336 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 22:34:47 0
>>335 武帝期は匈奴との死闘以外に、
西域・西南夷・東越・南越・朝鮮と、
無茶苦茶に征服事業している。
してみると、この時期の漢の力も相当なもんだね。
あと、餓死者・流民なら、ちょっとした災害ですぐでるから、
どれだけが政策的困窮なのか、不明でしょう。
当時の漢が5000〜6000万の人口もってるなら、5〜10万クラスの
軍隊動員するのも、さほど苦にならないのかも。
そもそも、大軍を動員するにはそれだけの食糧と武器、さらにはそれを輸送するための物が必要だ。 後漢にそれほどの力があったとは到底思えない。
338 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 23:18:00 O
後漢にはないね。 人的にも経済的にも基盤となる民が豪族に囲い込まれつつある状態だから。
武帝時代の遠征軍も生きて帰れたのは10人に3人という割合だった。 食料は不帰の客となった同胞の血と肉で賄っていた。
340 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 00:02:29 O
なんかさらっと嘘ばかり書いてる人がいるね
342 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 10:07:28 0
何々兵、何十万 って記述は結局のところ食料係、輸送係、戦車護衛係、馬の世話係などなどを 含めて〜〜十万ってやつでしょ。 分かってるだろうけど。
343 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 10:11:13 0
そこに見物客、野次馬、火事場泥棒、落ち首拾い、物売り、乞食などもいるわけですな
344 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 10:58:16 0
漢は戦争に強いように思えない
345 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 11:04:10 0
敵が来ると内側で剛派と柔派で対立し、内乱を起こし滅ぶのが支那のお決まりのパターン
346 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 11:54:19 O
前漢は強いよ 後漢は貧弱だけどな だからスレタイどおり考えればローマの勝ち
347 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 12:08:32 0
ローマは歴史の本流 漢は傍流
ここに白人がおる。
349 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 21:05:02 0
>>349 確かにそうだが、恐ろしいことに滅亡した一回以外では、
敵が来ると団結して内乱が収まる、あるいは内乱中でも勝てる、という実績を示した。
まあ、まあフン族が来るまではローマの敵に中国における北方騎馬民族ほど、
やりにくい相手はいなかったと思うけど。
>>349 巨大な国で内乱がないところなんてめったにない。
ローマの場合内乱が成功するにせよ失敗するにせよ
首都が移ったことはないことからそういった帰属意識が高かったのかもね
>>351 そりゃローマは建前上は都市国家だから、遷都ということは
SPQRが丸ごと移動するという事態を考えない限りあり得ないんだよ。
ただ、これは遷都ではなく「国家の引越し」ということになる。
ローマの持つ都市国家性が実質的にほぼ完全に失われ
東方的な専制領域帝国になる帝国末になってはじめて
コンスタンティノープルへの事実上の「遷都」が可能になった。
普通の領域帝国では、帝国内の領域のどこにでも首都となる資格があるから
遷都というのはしばしば行われることになるが。
ところで激しくスレ違いだけど戦国時代の日本とローマが同じ数の兵、同じ兵種でぶつかったら どっちが勝つと思う? 自分は大河ドラマ見てると単純に突撃ばっかしてたのかなって思ってしまうからローマが圧勝だろうと思うんだけど。
>>352 コンスタンティノープルに遷都したって言うより分裂しただけじゃないの?
で西ローマが先に滅びたのは、蛮族の進入地点を受け持っていたのに加えて
豊かな地域を失って経済的に困窮。そのため国力が西ローマは東ローマに比べて大きく低下。
もともと分裂前もあまり豊かではないうえに蛮族の侵入を防ぐためライン川ドナウ川とかの
国境警備をしてた西ローマの部分を下支えしてのが東ローマの地域。
というよりこのスレの古代ローマ帝国って誰が皇帝やってた時代をを指すもの?
そこら辺決めないと議論が左右されると思う。
>>353 大河ドラマは史実に即してるんじゃなくて、単に画面うつりのいいやり方を選んでるだけ。
NHKでやけに軍事的な意味で史実に忠実な大河ドラマが出たら、それはそれで驚く。
357 :
世界@名無史さん :2006/07/10(月) 06:52:25 0
占領完了後に大強姦祭りまで再現したらまさにネ申
358 :
世界@名無史さん :2006/07/10(月) 10:30:39 0
邦画の白虎隊は維新軍に大奥の女官や姫たちが強姦される描写があったんじゃなかったっけ?
もしあったとしたら、それは単に監督が無知なだけ。 なにしろ官軍が江戸に来た時は、既に大奥なんて存在してなかった。
360 :
世界@名無史さん :2006/07/10(月) 18:54:08 0
大奥といったのは言葉のあやでごんす。でも、小学生のときに見た白虎隊には たしかに「戦勝者による敗戦者の女への強姦シーン」があったでごんす
>>353 なんだかんだで技術は進歩しているから、
ずっと時代が下った戦国時代のほうが普通に有利でしょう。
日本の戦国時代に関してなら兵の士気とか騎兵部隊の貧弱さとか、
懸念材料もあるけど、少なくともローマ圧勝と言い切る根拠はない。
少なくとも馬に鐙があるかないかだけでも大きく騎兵の運用が違うような。 あと、日本という狭く入り組んだ地形で戦うか、西アジアの草原で戦うか、 舗装されたイタリアで戦うかでも違う罠。
鉄砲・大砲・長槍・孫子兵学で武装した足軽500名と 標準的装備の古代ローマ兵4000名なら微妙
生まれてこの方、火を吐く筒なんて見たことも聞いたこともない兵士が 鉄砲に大砲を目にしたときの衝撃ときたら。
>>364 ローマ軍練度高いからなあ、インパクトだけじゃ破れんような気がする。
でも、有る程度鉄砲の数そろえりゃたぶんヤシらの装備なら飛び道具にはかなり弱いんじゃなかろうか。
というか、時代的にハンデありすぎw
一口にローマと言っても歴史が長いからねえ。 もっとも兵士の士気が旺盛だった時代なら、 敵の装備が戦国時代並でも勝負にはなるだろう。 倍いれば多分勝てる。 要するに飛び道具をかいくぐって血みどろの白兵戦に持ち込めば、 後は士気の高低の問題になるから。
白兵戦になっても武器の錬度にかなり差があると思うんだが
というより353の条件に順うと同じ兵種って言ってるんだから火器厳禁じゃないの? まぁ俺も功名が辻を見てるけどあの常に兵士が散らばって突撃するのはw
370 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 23:15:41 0
根本的に、ローマは野戦での決戦をよくやってるけど、 戦国の日本じゃ、大決戦は例外的じゃないの?? だからちょっとイメージしにくい。
ローマ市民兵はあんまり強くないだろ。 ハンニバルに不意打ち食らって何度も潰走壊滅してるし。
372 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 23:27:00 0
あれはハンニバルの戦術がすごかっただけ。 ローマ軍はハンニバルの低ガリア人部隊には深刻なダメージを与えてだぞ。
373 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 23:46:05 0
>>371 ローマ軍はよく敗北・壊滅してる。
しかし、補充動員能力で圧倒的。
一度や二度負けてもたいしたこと無い。
374 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 23:54:20 0
補充動員能力で比べるなら戦国日本連合軍の方が圧倒的では?
375 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 00:01:38 0
>>374 戦国日本だと、劣勢になると、みんな敵側に裏切るでしょ。
全盛期は数万の動員能力のあった武田家も、最後はロクに
抵抗もできず、見棄てられて、数百人の軍勢で自滅した。
共和政・帝政の全盛期ローマじゃこういうことはない。
ちなみに動員能力じゃ、大阪の陣の家康40万が最高?
ローマ軍でも十分対抗できると思うが。
376 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 00:30:47 0
>>375 味方がみんな敵側に裏切った結果、最後はロクに抵抗もできず、見棄てられて、
数百人の軍勢で自滅した帝政ローマの皇帝は何人もいるのだが・・・
377 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 00:41:56 O
最盛期という単語の意味を考えよう!
378 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 00:46:16 0
危機になったら結局裏切るんだから日本もローマも一緒じゃん。
>>363 >鉄砲・大砲・長槍・孫子兵学で武装した足軽500名と
『孫子』謀攻篇を読んでいたら、そもそも敵より少ない兵力で戦わない気が。
正直、平地で真正面からなら同数のローマ相手でも苦戦しそうな。
足軽の集団運用があったとはいえ、基本単位は主人と従者(一旦そこから召
し上げて、改めて集団で編成し直したという研究者もいる)、騎兵の運用も
無いでは、不利という気もしますが。
当時の鉄砲は不発も少なくなく、弾込めに時間がかかる事もあって一斉に発
射する事はご法度。絶対視は出来ないと思いますが。
>>368 刀剣、槍ひとつとってもかなり違うと思う
>>375 共和制ローマの場合、要するに共同体構成員皆兵ということで
「主君に従う」という王制軍と違って市民兵は寝返りようが無いので
その意味では確かに強いと言える罠(もちろん敵前逃亡というのはある)
これは帝政になって徐々に君主国家の軍隊のようになると弱くなる。
ただし、ローマの場合は「同盟都市軍がまるごと寝返る」という危険が
制度上極めて高いわけだが、これを抑えていたところが優れたところ。
専制君主国の軍と言うのは、傭兵にしても徴用兵にしても
市民団的な結合原理を持っていないので、大量の兵卒を「補給」できても
砂粒のようにバラバラになったり寝返ったり
中の部族単位で丸ごと寝返ったりする大きな危険は常にある。
匈奴やスキタイの機動力に漢やローマが太刀打ちできるとは思えない。
383 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 12:25:27 O
太刀打ちできてたじゃん
384 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 12:26:01 0
大名クラスの寝返りはありえない。 すでにある封土を捨てて共和制ローマに寝返って何か得があるの?
385 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 12:44:17 0
>>384 ローマは降伏した辺境の国は、属国扱いしてくれるよ。
王とかの称号ももらえるし。
ちなみに、漢も同様。
386 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 14:22:31 0
ゲルマン・・北方騎馬民族 ローマ帝国・・黄河文化 ギリシア・・長江文化
>ゲルマン・・・北方騎馬民族 ゲルマンは遊牧民族に手も足も出ずに蹴散らされ捲くっていたが。
ブルグントはローマを見捨てアッティラに帰順しようとしたが、 アッティラはローマを裏切って保身を図ろうとするブルグント族を許すどころか、 逆に徹底的に潰滅させている。 アッティラの目から見れば瀬戸際になっての裏切り行為は許せなかったのかもしれない。
>>378 帝政末期のローマと比べるのがおかしい、
共和政ローマや帝政初期のようなローマの最盛期とは4・5百年の差がある。
日本の歴史でいれば、戦国時代の話をしているのに、
太平洋戦争での日本兵は士気が高かった、という話を持ち出すようなもの。
ただでさえ、千年以上の差があるハンディキャップ戦なんだから、
最盛期のローマと比べるべきでしょう。
>>380 むしろ防具の違いで比べるべきでしょう。
ローマ時代の刀剣よりも戦国時代の刀剣の方が優れていても、
強固な防具がなければローマ兵のグラディウスでも十分な殺傷能力が期待できる。
つまり、日本の足軽がローマ時代のグラディウス程度では歯が立たないほどの、
強固な装備をしていたなら白兵戦でも有利だろうが、
そうでないなら白兵戦では互角の状態。あとは士気の高さがものを言う。
>>390 無理だろ、片手剣で刃渡りの短くて切れ味で大きく劣るグラディウスと日本刀じゃ
殺傷なんてのはクリーンヒットしないと無理だから
ただ、ローマ兵は歩兵騎兵問わず複数本の投槍は持ってるからね それに鎖帷子や一枚板の鉄板鎧で防具も充実してるし まぁ戦国武者側の有利な所は鉄砲が一番大きいと思うけどね
鉄砲衆がどれだけいるかでも変わってくるな。 戦国時代と一口に言っても、時代や大名家で大きく差が出るわけだし。
394 :
世界@名無史さん :2006/07/13(木) 03:22:55 0
戦国で白兵戦って言うけど長篠以降は火器を有効に使った
野戦築城戦術が中心になってて実は想像以上に近代的な戦争してたわけで、
そもそも関が原頃になると鉄砲を装備した兵の比率が半分かそれ以上で
(豊臣期の朝鮮での戦闘の絵巻見ると城に立てこもった防衛戦とは言え
全員火器で戦ってる絵が描かれてた)
>>353 の言うメインウェポン使用不可で同じ数の兵、同じ兵種でぶつかったらって言うのは
現在の米陸軍第1騎兵師団にほんとに馬乗って戦えって言う様なもんだ。
補給も荒海越えて侵略戦争数年にかけて行えるレベルにあり
10万人以上の兵力の集中運用可能な指揮系統もあり
正直100回やったら100回勝てるよ。
でも当然だ、時代が違いすぎる。
ちょっと流れを切って大雑把な軍隊のタイプを整理してみる A・農民、奴隷等の人口の多数で占められるマジョリティの軍隊→大量動員が容易い B・常備兵、傭兵等の職業軍人の軍隊→当然ながら戦闘技術が高い C・王侯貴族、有権者等で占められる権力者の軍隊→士気が高く戦意も旺盛 そして、どんな要素が軍の多数を占めてるかで7パターンに分類してみる Aのみ→中国や古代王朝の軍(将校はC、下士官はBだろうが大多数の兵卒はAなので) Bのみ→中世イタリアの一部の都市国家や戦国時代の堺で雇われてた傭兵軍 Cのみ→? A・B→近世絶対王政下の常備軍 A・C→古代ギリシャ・ローマや中世イタリアの一部の都市国家の軍隊 B・C→侍、騎士等の封建体制下の軍隊 A・B・C→ナポレオンから始まり現代に至る国民常備軍 してみるに漢の軍隊はAのみだが、ローマは時代の変遷でA・C→A・B→Aに軍隊の質が変わってるね 帝政中盤〜末期のローマは漢と同等だろうけど、それ以外ならローマが上だね 異論・反論や修正・代案とかがあったらバンバンどうぞ
396 :
世界@名無史さん :2006/07/13(木) 11:00:40 0
>>395 漢も辺境守備軍とか、騎馬軍団とかも、常備軍でしょう。
戦時の召集軍もかなり動員してたけど。
あと、「C」に該当する、貴族領主からなる封建軍だと、組織的訓練もされてないし、
内輪もめ・裏切りも多いから、戦闘での士気は高くても、
軍隊としての質は低いと思われ。
4世紀のローマ軍と、ヨーロッパ中世の封建軍なら、
ローマの方が上でしょ。
397 :
世界@名無史さん :2006/07/13(木) 11:49:51 0
>>396 395の分類だとスパルタは「C」に該当するはずだが、他のポリスより圧倒的に強かったぞ。
398 :
世界@名無史さん :2006/07/13(木) 14:27:11 O
大昔やし数が多い方がかつやろ。よって漢の勝ち。
>>397 スパルタは将校・下士官がスパルタ市民のB・Cで兵卒は軍人奴隷のA・Bじゃなかったっけ?
400 :
世界@名無史さん :2006/07/13(木) 15:44:48 0
4世紀のローマは標準的な中国王朝と同程度って感じ。
1〜2世紀の最盛期ローマは、前漢武帝期など、
中国王朝の強い時期と同じかな?
>>399 軍人奴隷っていうか、農奴ね。あと、同盟諸国兵を動員。
スパルタの正規市民軍は最盛期で5000人くらい。
これに、農奴・同盟諸国部隊を合わせて、数万〜10数万を動員。
スパルタが強かったというより、アテーナイの強大化を嫌った
ギリシャ諸ポリスが、スパルタを盟主に結束したって感じかな。
>>391 殺はともかく傷すら付けられないとでも?
タラス河畔戦で漢側が動員できた兵数も西側より少なかったような?
404 :
世界@名無史さん :2006/07/13(木) 18:52:26 0
唐
アッティラの進撃をローマ帝国はカタラウヌムで押し止めたのが精一杯で 北イタリアはいいように蹂躪されたが。
>>395 その分類はなんだかいまいちスッキリしないなあ。
このほうがいいジャマイカ?
A・専制王権により帝国内から徴発される臣民軍。
B・貴族層(選ばれた層)によって構成される貴族軍。
C・都市国家の市民が皆兵で自ら兵士となる市民軍。
D・カネによって雇われる傭兵軍
AからCまではいわゆる政体論と直接リンクさせてみた。
古代ギリシア政治学臭強杉と言って嫌う「東洋学派」の香具師もいるだろうけど(w
Bには、広い意味では封建制の下での騎士や武士の軍も含まれる。
近代国家の国民皆兵は建前はCだが現実は限りなくAに近づいてしまいやすい。
今では限りなくBに近くなっているようだ。
ローマは共和政期にはC、帝政に入るとやはりAに近づく。
中国は黄河文明の頃から現代の中華人民共和国に至るまでAしか知らない(w
ローマが10万の戦死者を出せばローマ市民の間から和平論がでるだろうが、 漢は100万ぐらい戦死者が出て兵力が枯渇でもしない限り和平論は出てこない。
408 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 02:09:49 O
古代中国はそれでいうところのCとその発展形だよ
409 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 02:45:45 0
>>407 ローマは戦死者いくら出ても動揺しないよ。
対ハンニバル戦争でも、数万の戦死者・捕虜が出たけど、和平は求めなかった。
前漢武帝期は、対外戦争に対する反対論が幾度も出てるよ。
今のアメリカと違って、市民は国家のために死んで当然、 市民自身の意識もローマの誇り>>>>>自分たちの命、だったからな。
ローマは北イタリアに攻めこんできたアッティラに相当な賂を贈って撤収を求めたが。
中国も春秋戦国時代は(C+日本の戦国時代の軍事態勢)÷2みたいな感じだった
>>409 漢武帝期は辺境の蛮地の匈奴を無理やり追い立てたって構図だからそりゃ反対論も出る
>>411 そりゃ民衆が望んだからではなく、単に戦略上勝てない、仮に勝てても富裕市民の財産が消し飛ぶからだろう。
414 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 11:00:21 0
>>409 いや、明らかに武帝はやりすぎだろ。
ハンニバルの場合は国家の存亡かかった防衛戦だったわけで同列にゃ語れない。
>>408 >>412 Cは極めて特殊な政体に固有の軍ですぜ。都市国家ならCというわけではない。
どんなに小さな都市国家であっても、君主が臣民を支配していて
臣民を使って戦争を行う場合には軍は必ずAとなる。
Cは立憲君主制という実質的な共和政体を取らない限り、
君侯不在の共和政体に固有の軍だから、古代の中国では決してあり得ないよ。
いわゆる「共和」の故事であっても、
国王代行の廷臣集団指導体制(つまりBの前提)になっただけだ。
中国には「共和国(res publica)」や「ポリス」は全く成立していない。
まあ、いわゆる政体論は首長制と王制の区別が出来ていないという
結構致命的な欠陥を持っているので、
そこが突かれても仕方ないところがあるけどね。
417 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 22:10:04 O
ですぜじゃねーよ 定義を後出しするお前は藤木より卑怯だな
しかし、実際中国において市民軍なんて今まで存在したことがないからなあ。
>>417 後出しも何も、既に
>>406 で「古代ギリシアの政体論に直接リンクさせた」と
実質的にこの上無く明解な定義付けを行っていたんだけど。
「政体論」という特定の学問分野が出てきたからには、
Cは特殊な共和政体における市民軍のみを指すことは明確なんだが。
ここは一応歴史板だろ?しかも「古代ローマ帝国」とスレタイにもある。
おまえさん、まさか政体論の基礎の基礎も知らないのか??
程度の差こそあれ政治に対して積極的に参加できる「市民」が、 軍隊を構成できるほどの数存在しなければ市民軍は存在し得ない。 つまり、中国の歴史上市民軍というものは存在したことがない。
421 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 00:22:47 0
ローマやギリシャは「都市国家」といっても、 別に、市民がみんな都市にすんでいたわけではない。農村・周辺人口の方が多かった。 都市を中心とした地域の総体が「都市国家」なわけで。 ギリシャ・ローマの市民軍は、成員(老弱婦女除く)全員が戦闘員になる、 部族民軍と同質でしょう。
>>421 正規軍となれるのは、成員全体ではなく市民権を有する者のみ。
ローマは奴隷国家だもんな、そりゃあ市民と言えば市民だろうけど 古代中国の都市国家の体制を基準にして考えればアレはほとんど 貴族、豪族を広く薄めたものみたいに見える だから市民軍市民軍とえばられてもねぇ
>>423 問題は下部じゃなくて上部だよ。
君主を戴く廷臣のピラミッド構造をとっていないというのがポイント。
だが、このことは古代ギリシア以来の伝統を汲む今の近代学問だから言えることで
この学問の流れと無関係な中国人が共和制ローマなどを分析したら、
君主を追放して新しく立てようともしない君臣の別も知らないDQNが集まった
gdgdの欠陥ヘボ都市国家にしか見えないだろう。
ペルシア戦争でアテネ人などは君主を戴かない市民軍の力を力説しているが、
ペルシア皇帝がそれを聞いてもそもそも一体彼らは何を自慢しているのか
サパーリ意味不明だっただろうね。
このペルシア皇帝や中国人のような知的立場に立つなら、
そもそも
>>406 の分類は前提となる知的枠組そのものから全く機能しない。
そういう立場は当然あり得るだろうよ。説得はもはやできん。
そういや西周時代は兵士は全員支配者側の氏族の人間だったな 兵役と言うよりは兵権に近いもので消極的なものではなかった 被支配者側は兵士になる権利がなく、トップを抱いてる以外はローマと似てるかもな 春秋の前の時代でローマとも時期が違うけど 時代が下るごとに争いが激しくなりその体制よりもより強い軍力を求めるようになって 兵をより下層からも求めるようになり春秋、戦国移行していったわけだが
>>423 その、広く薄めるのが重要なんだよ。
もしも、古代の中国に市民集会とかがあって、
法律はその承認を受けないと成立しないとかいうような制度ある、
つまり「支配者側」以外の市民も政治にかかわることができ、
そのような「市民」が兵士となるなら市民兵と呼んでも良かっただろうけどね。
>>426 あくまで「古代ローマ基準における市民」な、そこを履き違えちゃいけない
結局のところローマも帝政に移行して、以降どんどん
権力を増大させていったんだったっけな
>>417 おっと言い忘れたが、夭折の大天才藤木博士と同列に並べていただけるとは
あまりにも身に余る光栄ですな。つーか例に出す人物が板違い過ぎるだろw
>>425 つまりそれが首長制なんだよね。首長制というのは、見方によっては
ある種の貴族制のようでもあり、時には一種の市民政治のようにさえ見える。
政体論的分類法の限界でもあるな。政体の爛熟期に生まれた分類法なので
原始的な若い政体を上手に分類できないのは仕方ないんだけどね。
ポリス政体そのものが、首長制の首長を廃止した上特殊な変形を施した
世界的に奇妙な政体であるともいえるが。
>>427 ローマがもっとも激しく拡大したのは共和制の時代。
帝政になってからの獲得領土はブリタニアとダキアくらいで、
共和政時代の獲得領土とは比べ物にならない。
確かに急激な領土の拡大によって都市国家時代の政体は上手く機能しなくなり、
帝政に移行することとなったが、
領土の拡大によって旧来の政体を変える必要が生じて結果帝政になったのであって、
帝政になったから拡大したわけではない。
>>427 それでは中国には中国基準の市民といえるようなものがあったとでも?
そしてそれは市民軍といえるような軍を組織できたとでも言うつもり?
まあ、あなたはそんな事を言うつもりはないかもしれないが、
今の議論は
>>408 からの流れだからね、
中国に「市民が皆兵で自ら兵士となる市民軍」がいて、
それが発展していたことを証明しなければならない。
>>429 そりゃ知ってるが
権力を拡大したってのはローマ内での権力のことを指して言ったわけなんで
>>430 >>425 、春秋戦国時代の篭城してる首都、大都市
陳勝の反乱から秦滅亡までの反秦軍
>>431 ローマ内で何の、あるいは誰の権力が増大したといいたいの?
それから、そんな限定的にいうなら、どの国だってその手の現象は起きる。
社会一般に「市民」という階層があり、彼らが軍を担うから市民軍なのであって、
篭城中のとか反乱中のなんて限定的な状況での話をしてもどうしようもない。
>>431 おいおい、まさか必死に戦ったから市民兵とか言うんじゃあないだろうな?
その理屈なら高橋紹運が篭った岩屋城の兵士とかも市民兵ってことになってしまうぞ?
オレ定義が炸裂してますねえ。
まあまあ、
とりあえずいろいろ言うのは、どういう論理に基づいて、
それが市民軍だと言えると思うのか
>>431 の見解を詳しく聞いてからにすべきでは?
もういいよ 俺定義に俺定義で返すことになるだけだから
>>432 帝位についてる人物>誰の権力
西周時代は限定的でもなんでもないぞ
それはそうと、国民が国に愛想つかしてなかったら
どこの地域でも起こりうるだろうね
だから市民兵を神格化することなんてない
ローマの場合は相手を降伏させると降伏した兵、民を奴隷に落として過酷な搾取を行った
要するに市民が戦って相手を降伏させることが即市民の繁栄に繋がった点で
士気が高くなるのは特殊だけど、ある意味自転車操業だよな
>>437 皇帝の権力が帝政になってから強くなったなんて当たり前じゃあないか。
それから、その前に
>>431 のが市民軍だといえるという根拠を言ってみなよ。
>>438 当たり前だと思うのなら、突っかからないでほしいが
当たり前のことを言うのは許されないことなのかい
元レスの
>>427 を見てもわかる通り、そんな強く主張する気もなかったのに
>>431 は民のほうから積極的に兵士になったという意味で市民軍
少なくとも徴発された兵ではない、ちなみに春秋戦国時代には
墨家という防衛専門の傭兵的な面をもつ思想集団もいる
ソビエト赤軍がドイツ国防軍に膨大な被害を被ったが兵力で圧倒して勝利しており、 専制的な動員兵は民族的連帯感からなる国民軍に負けるとは限らない。
441 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 22:40:05 0
別に「市民」軍じゃなくても、士気の高いケースはいくらでもあるでしょう。 1〜2世紀帝政ローマ軍が、共和政時代の軍に士気で劣ってたか?? 錬度に関しては、当然、帝政期軍の方が上だろうし。 ちなみに、ローマが無茶苦茶領土拡大した前2〜1世紀は、 市民徴兵軍ではなく、志願制の傭兵軍。 特定の権門貴族の私兵と化した連中の方が、強かったわけ。 最終的に勝ち残った権門貴族が、帝政を開始したと。
442 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 22:46:36 0
>>439 無茶な定義振り回すなよ。
「徴兵じゃないから、市民軍」なら、募兵・傭兵は全部市民軍じゃねえか。
漢は匈奴相手に白登山の戦いなど、勝っても負けても膨大な犠牲を出している。 ローマがスキタイを相手に何十年も死闘を繰り広げられるほどの人的資源は無いと思う。 逆に兵の練度や質では漢を上回るかもしれないが。
444 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 22:58:25 0
前漢VS匈奴はそれぞれが全盛期の時だったから、 ものすごいことになった。 こういうケースって、あんまりないよね。
>>442 >>430 の
>中国に「市民が皆兵で自ら兵士となる市民軍」がいて、
>それが発展していたことを証明しなければならない。
に対して「市民が皆兵で自ら兵士となる市民軍」に当てはまるものを挙げただけなんだが
「少なくとも徴発された兵ではない」を「徴兵じゃないから、市民軍」に捻じ曲げておいて
無茶な定義振り回すなよとは随分な言い方だね
それでも議論の大元の
>>406 の
>中国は黄河文明の頃から現代の中華人民共和国に至るまでAしか知らない(w
には十分反論できてるし、市民軍じゃない市民軍じゃないと鬼の首を取ったように言い散らかしてるが
初めの反論の
>>408 、
>>412 なんかでも
>>406 のいう市民軍とはちょっと毛色が違うことを示してるんだよ
まぁ漏れは「市民」軍定義オタクではないから
別に細かい市民軍の定義なんてどうでもいいし、好きに言ってりゃいいけどさ
446 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 01:59:41 0
>>445 1:
>>431 のケースを市民軍という点については、
>>432 >>433 で、
すぐに反論されてる。
2:
>>425 はなにをいってるか、よくわからんが「氏族制」って、
普通、氏族が下層民・隷属民を抱えてるんじゃないのか??
戦時には当然、そいつらも動員されると。
支配階層=貴族階層が戦争に参加するのは当然で、そいつらを市民軍とは
いわんでしょ。
要は、ギリシャ・ローマ的な「市民軍」は中国には存在しなかったということで、
いいんじゃないかな。
>>446 >下層民・隷属民を抱えてるんじゃないのか??
>戦時には当然、そいつらも動員されると。
被支配者側は兵士になる権利がないって書いたのに・・
そりゃ物資輸送にぐらいは駆り出されたかもしれんが
氏族と言っても数十人単位ってわけじゃないし
そもそも下層民・隷属民を抱えてるのはローマ市民も同じなのに
なんでそんな区別したがるのかねえ、血縁の意味が強いか弱いかの違いなだけなのに
>支配階層=貴族階層が戦争に参加するのは当然で、そいつらを市民軍とはいわんでしょ。
ローマの市民件を持つ人間も立派な支配階層ですが、大量の奴隷を使って生産活動に従事しなくても
生きていけるぐらいの富を搾り取ってるんだから
ま、
>>445 で適当なことを言い散らかしてはいるが
>>431 で「市民軍」とやらの類型を自分で間違えたことには代わりがないわけで。
そもそもまともに中国にある市民軍とやらの例も言えないのに、定義がどうでもいいとは馬鹿そのものじゃん。
ついでに言えば、市民軍は同時に所属する市民に対して恒常的な名誉と義務、メリットを齎すものだから
そもそも非常事態である篭城や、その当時の王朝に対する非常的な反乱である農民反乱軍と一緒には出来ないな。
どちらにしても「参加しなけりゃ今よりひどい目にあう」から民衆は参加するのであって
「参加することで自分が利益を得られる」から参加するのではない。
「市民」定義ヲタクさんに合わせて
>>431 を言ったのに、残念
なぜか西周時代だけ無視するし
秦に対して起きた反乱軍は明らかに「参加することで自分が利益を得られる」
から動いてるのに、てか「参加しなけりゃ今よりひどい目にあう」も
「参加することで自分が利益を得られる」も表裏一体で大した差ないだろ
防衛戦か攻略戦の違いでしかない
>>437 おいおい何自分勝手に一部の資料見ていってるんだよ。
>ローマの場合は相手を降伏させると降伏した兵、民を奴隷に落として過酷な搾取を行った
>要するに市民が戦って相手を降伏させることが即市民の繁栄に繋がった点で
>士気が高くなるのは特殊だけど、ある意味自転車操業だよな
@ローマは属州といって降伏した領地があってもそこの民から税金をとるというかたちをとった。
ただし兵役は税金を蔵めたため基本的に免除。
Aもしくは同盟として兵役の義務を課したが、兵役が税として扱われたので税金はなし。
これがスタンダード。
>>437 がいってるのは多分一度ローマに忠誠をちかったのにそれを裏切った場合に適用されやすいかたち
歴史板なんだから自分に都合のいいところだけ抜き出して書かないように。
まぁいい加減なんで叩かれてるか気づいて欲しいところだ。
それと他の意見と区別つけづらいから前の160みたく名前を入れて欲しい。
歴史板なんだから が口癖だな市民軍たん 市民軍たんはヌルーしておくのが適当かと
>>439 当たり前のことだが今の議論と何の関係もない。
そんな話を持ち出しても間際らしいだけで無駄。
だいたい歴史上「市民」が存在したことがない中国に市民軍なんてあるわけ無いじゃあないか。
市民兵ではなくとも勇敢に戦う兵士はいる、
ということと、市民兵であるということを、
ごっちゃにしてしまっている人がいるんだよな。
>>431 が典型的な例。
455 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 21:28:04 0
( ・∀・)∩ ウンコビーム クラワスゾー εε=ヽ(;´Д`)ノ ヤメテー ⊃ ( ・∀・)∩ ニヤニヤ Σ(;´Д`) ヒイィィィッ!! ∩(・∀・ ) フッフッフ ⊃ ⊂ \人人人人人/ .< 人 > /VVVVVVVVVVVVVVVV< (__) >VVVVVVVVVVVVVVVヽ ( ・∀・)∩ ウンコビ━━━━━━ム <\(__)/> ム━━━━━ビコンウ ∩(・∀・ ) ⊃ VVVVVVVVVVVVVVVVV< ( ・∀・ ) >VVVVVVVVVVVVVVVV ⊂ /Y^Y^Y^Y^Y\ ウンコー!!
>>452 >>453 tp://www.h3.dion.ne.jp/~china/point87.html
このへんを読んで少しお勉強しましょうね
>>456 なんだ。「古代中国 市民権」でぐぐっただけじゃないか。
すぐに出てくるようなわかりきった情報を偉そうに開陳するなよw
ついでにいえば、これは春秋戦国時代における国家の人的リソースを言ったもの。
少なくとも>453の西周時代とは別物だな。
>>457 わかりきった情報って
中国に市民がいないと断言してる人が言うセリフじゃないよw
これは思いっきり西周時代も含んでる
カテゴリ分けをみたらわかるが夏、殷の時代からの話だから
戦国とかだったらもう完全に下層から大量に兵が徴発、動員されてるし
春秋は下層から兵が徴発され始める移行期
スクトゥムという大盾とピルムという投槍を持って、 独特の鎧ロリカセグメンタータを装着したローマ軍団兵は本当に魅力的だ。 この軍団兵とSPQRの文字をみると、ローマンエンパイア万歳気分になる。
460 :
世界@名無史さん :2006/07/17(月) 22:33:37 0
ローマ軍団ときいて普通にイメージする
>>459 みたいなイメージって、
いつ頃までだろ。4世紀段階ではかなり変わっていたのだろうか。
形は論破された状態だけど、勝利宣言キテル
>>458 だから、「市民(都市市民)が何らかの利益に釣られて徴発される」のと
「市民がギリシア・ローマ的な市民軍を構成する」
ってのは別物だ、と何度言えばわかるのかねえw
論破というか議論のすり替えだよ。 西周のころの士族に参政権だの固有財産だのといった「市民権」があったとしても、 それをもって「市民」とはいえない。 そんな事を言ったら同様にそのような権利を持ってい中世の騎士等も「市民」だということになる。 全く無茶苦茶な話だよ。
そもそも西周時代が古代ローマと似ていたとしても、 ローマはそういう段階から王制を排し、十二表法、市民集会の承認、 護民官の設置と一般市民の権利の拡大があって、共和制市民社会になった。 中国では逆に王権の強化、人民の臣民化が進んだ。 この両者を持って同じようなものだというのは、 時代をさかのぼれば祖先は同じだからという理由で、 その他の差異を全て無視して哺乳類は全て同じようなものだと主張するようなもの。
>>465 >>463 徴発じゃなくて自発的なものだったって何回も書いてるのに全く都合の悪いことは耳に入らないようだ
>>427 >>430 のやりとりからでもわかるけど別にこっちはローマ的市民軍とまで主張する気ないし
そもそも戦争ってものは普通利益を得るためか損害を防ぐためにやるもんだろ
古代中国だと威信とかメンツのためというのも多々あるが
>>464 「市民権」があっても「市民」じゃないとは論理破綻もいいとこ
古代ローマと全く同じ形態の市民ではないのはこっちも初めからわかってるし
>>465 無茶苦茶杉w哺乳類に例えるところをも笑えるが
こっちは春秋戦国と共和政ローマは同じようなものとは言ってないのに
春秋戦国ではローマとは反対に強力な王権と合理的な法制(法家思想)をとった国家が強力になった
ローマの共和政じゃあ秦のような巧みな外交戦略は難しいだろうねえ
まぁそれはそうとローマも時代が下ると帝政になって徐々に中国の王朝形態と似てくるわけだけどね
もはや
>>466 が何を言いたいのかすらよくわからん。
中国とローマは別の体制の別の国家で体制も違う。兵士のなり手の意識も異なるし
ましてローマ的市民軍を構成するほどの市民としての強烈な意識は中国の古代には存在しなかった。
>>431 で馬鹿がほざいてる「篭城中の城」は自発的に中の民が兵士に加わることもあったが
それは国家に対する忠誠心でもないし全員に参加義務があったわけでもない。
単に、「敵兵が乱入したら殺されたり家族が暴行されたりする」ことがあったためだし
反秦軍は「秦を滅ぼす」というためだけに集まった軍。
彼らに統一された目的意識は存在しなかったし、また自分たちが大きなひとつの階級であると兵士が理解することもなかった。
墨家に至っては市民ですらない、彼らは職業的傭兵と宗教家のごちゃ混ぜ。
まして、
>>449 で間違ったことをさらに強弁するような阿呆に、知ったかぶる資格はないよ。
468 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 21:39:42 0
まあまあ、
>>466 の主張をまとめると、
1:中国にも士気の高い軍隊はあった。
2:西周〜春秋期の政体は、秦漢専制帝国以降の政体とは違う。
と、いうことでいいんじゃないかな。
それなら、だれも反対じゃないでしょ。
469 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 21:40:20 0
んで、ギリシャ・ローマ的市民軍は、 中国にはなかった、と。それでいいでしょ。
反論が困難になると無理やり古いレスを腐して精神安定を図ってるようだ まぁ一応突っ込んでおくと >それは国家に対する忠誠心でもないし全員に参加義務があったわけでもない。 あるでしょ、秦に対する趙の抵抗ぶりや、燕に対する斉の抵抗振りを見れば 忠誠心がなかったとは思えん、と言っても知らないだろうな 参加義務がないのに参加するなんてまるで市民軍のようじゃないかw 普通に考えれば民に忠誠心がなければ春秋戦国に700年近くやそれ以上長く続いた 世界史全体を見ても長寿と言える国家がゴロゴロ存在するといった状況にはならないよ >反秦軍は「秦を滅ぼす」というためだけに集まった軍。 >彼らに統一された目的意識は存在しなかったし 自分で言ってるじゃんwwwwww「秦を滅ぼす」って統一された目的意識が こういうことを言うヤツが池沼って呼ばれるのかな・・ >墨家に至っては市民ですらない、彼らは職業的傭兵と宗教家のごちゃ混ぜ。 墨家に至ってはこっちが市民だと言ったためしもない、君の脳内がごちゃ混ぜ
471 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 22:59:40 0
>>470 まだ延々と続けるのかね??
だから、中国で、ムリヤリ徴兵された臣民軍以外の軍隊があったことなら、
誰でも認めるっていうの。
中華帝国時代になっても、徴兵だけじゃなく、募兵制度だった時もあるしね。
>>470 のマズイところは、田単の対燕戦争や、秦末の民衆叛乱など、
特殊なケースを自説の補強材料に挙げてるところ。
民衆叛乱軍が徴兵軍でないなんて、誰でも、わかってるからさ。
>普通に考えれば民に忠誠心がなければ春秋戦国に700年近くやそれ以上長く続いた
>世界史全体を見ても長寿と言える国家がゴロゴロ存在するといった状況にはならないよ
あのー、島津家が鎌倉以来続いているのも、民に忠誠心があったからですか??
472 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 23:20:54 O
どっちも見苦しいよ
島津の兵が命知らずで強かったのは有名じゃないか そりゃ忠誠心はあったのだろう
>自分で言ってるじゃんwwwwww「秦を滅ぼす」って統一された目的意識が >こういうことを言うヤツが池沼って呼ばれるのかな・・ たとえばローマは、子孫代々「市民としての義務としてローマへの軍役を果たす」 ことを名誉ある義務と考えていたわけだが。 反秦に加担した民衆は、子孫代々「市民への義務として秦に反抗し続ける」 ことを名誉ある義務とでも考えていたんだろうかなあ。 すごいなあ。 ちょっと考えれば非常措置だってわかるのに。
406だが、議論が混乱しているなあ。 だから原始的な首長制だってキーワードまで言ったのに。 王制・帝政に至らない原始的な首長制は本来Aの卵なんだがBや時にはCに 類似するものに「見えることもある」と既に書いたのになあ。 原始的首長制のもとで「海行かば水浸く屍」と自発的に戦う 帰属意識と戦闘意欲の高い臣従氏族はしばしば存在するが、 彼らを以って「市民軍」だとはとても言えないだろうよ。 古代大和朝廷における大伴氏は「一級市民」かね??
476 :
狡猾で卑劣な鬼畜 ◆w7Q5ywREpw :2006/07/21(金) 16:39:15 0
この時代は装備で勝敗が8割がたつく 装備とは鉄の加工技術 鉄の加工技術ではローマのほうが進んでいたのでローマに一票
鉄を装備すると機動力が落ちるし、移動に際しての体力の消耗も激しくなる。
478 :
世界@名無史さん :2006/07/21(金) 22:31:42 0
>鉄を装備すると機動力が落ちるし、移動に際しての体力の消耗も激しくなる。 そういう浅はかな発言すると叩かれるぞ。もっと勉強してから出直して来い。
重装備のロシア諸侯軍は経装備のモンゴル軍に大敗しているが。
あぁもう執拗い!! 1.マリウスの改革意向で市民兵の意識は弱くなって職業軍人化していったのは周知のこと。 2.後漢に市民兵っていうのはあったのか?中国史は世界史の授業だけだからよく知らん。 スレタイに従って後漢について議論してくれ。ちなみに中国史に関して無知だが叩かれている方が 客観的に見て無茶苦茶。途中から反対意見の小さな穴や言い回しの問題を見つけて突付いてるだけ。 3.叩かれてる方の定義だと後漢に市民兵がいたかどうか書いてくれ。 で、後漢にいなければ市民兵の定義の議論はこれ以上続けても意味なし。 続けたいなら新しくスレ立てるかそれらしきスレに移動命令!! それと重装備だろうと軽装備だろうと一長一短。相手の戦術がヒットアンドアウェイ的なら軽装。 だからモンゴル勝利。ただし相手が逃げずに戦うなら重装のほうが有利。 で、帝政ローマは基本的に重装備戦うほうを選んでた。後漢はしらん。
>>475 その「市民軍」も結局のところ長く維持できるような体制じゃないから
結局首長制のそれと結果的には大して変わりはしないよ、規模は大きいけど
482 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 21:39:45 0
日本の雑兵物語では、一日に兵士に支給するのは、 水一升(約1.8キロ)米六号(約1キロ)塩一勺味噌二勺(50グラム以内) まぁ、3キロってとこだな。 5万の軍だと、1日150トン。騎馬部隊は一騎あたりどのくらいの消費なんだろうか。 まぁ、馬は無視しよう。 で、輸送力だが、馬車を考えようか。馬車の馬の消費も無視しよう。 そこで、クグってみた 茨城県の道路交通法施行細則 第 11条 法第57条第2項の規定により公安委員会が定める軽車両の乗車人員又は積載重量等の制限は、次の各号に定めるところによる。 (2) 積載物の重量の制限は、次のとおりとする。 イ 四輪の牛馬車にあつては2,000キログラムを、二輪の牛馬車にあつては1,500キログラムをそれぞれ超えないこと。 という規定があった。2トンはいけるのかな。馬車八十台ぐらいで5万歩兵の一日の食料を輸送できるわけだ。 まぁ、水が現地調達できれば、輸送力は三分の一ぐらいに減らせる。しかし、砂漠地帯ではむずかしいな。 で、輸送力は、輸送しなければいけない距離に比例して増強しなきゃいけない。 馬車を牽引する馬は一日10時間で時速4キロと考えても40キロ。補給基地から40キロ離れた地点に陣をつくると、 往復で考えないとダメだから、百六十台の馬車がいる。80キロだと三百二十台の馬車が、200キロだと八百台の馬車がいる。 長距離遠征は大変だな。
蒙古馬は小さいが耐久力が強く、2〜3日食べなくても使役に耐えられた。 消費する草も少なくて済む為、大規模な遠征を難なくこなしたと言われる。
軽自動車が流行ってる今の時勢を考えると妙に説得力あるな>蒙古馬
米一キロって凄い量だな、米ばっか食うとしても1日で食いきれないような
486 :
世界@名無史さん :2006/07/27(木) 23:02:42 0
日本であれば、味噌で蛋白質を補える。
1日米6合なのは米だけで必要な栄養素を補おうとするからそうなってしまうんだね。
たしか似たような話で、近代ヨーロッパの下層階級の人たちは1日にパンを1キロ消費していたという話だから、まぁそんなものかと。
軍馬の飼料の方は、今で言う濃縮飼料(穀物)を与えていたようで
軍馬で3升(5.4リットル)駄馬で2升(3.6リットル)を与えていた模様。
よく言われる納豆伝説は馬の飼料が元らしい
ttp://www.shufu2.jp/dic/natto/03.html
蒙古馬が長期遠征に耐えられたのは、予備の馬が大量にあったおかげなんだよ。 ローテーションを組んで長期間休ませられるので、質素な飼料でも耐えられたんだね。 何せ人の数より馬の数の方が多いから。
489 :
世界@名無史さん :2006/07/28(金) 15:45:57 0
ここでの補給論議はローマと漢の中間までの補給を念頭においての議論か? 全軍を補給部隊にまわしても両者とも不可能だと思うが。 攻略した地域に負担させるしかないだろうな。 本国から輸送なんて無理すぎる。
基本的に隣り合ってると仮定しての話じゃないの
>489 ほんの数百年前前で兵糧は現地調達が基本だったからね。 古代の戦争は食料もしくは食糧生産地を求めて行なわれたから。 と、なると遠征軍の規模は遠征時に通過する土地の生産力に左右されることに。 あと、大規模な部隊を集結、移動させるとそれだけで損耗すると言う事も考慮に入れないと。 戦地についたときには行軍による損耗で部隊が壊滅なんてこともありえる。
492 :
世界@名無史さん :2006/08/02(水) 23:00:41 0
ローマは 補給が近くても同盟国を作ってから戦争やるやり方好きだから どこかしら補給目的に同盟国つくるんでーねの
493 :
世界@名無史さん :2006/08/03(木) 00:28:37 0
羅馬側の攻城戦・・・・羅馬の勝利。彼らはつつかれたサザエのように守戦に強い 野戦・・・・・支那の勝利。騎馬民族は当時世界最強の武力 支那側の攻城戦・・・・羅馬の勝利。支那人は敵に攻められると勝手に内部分裂して滅びるから よって羅馬>漢
>>492 まずはローマの歴史を知ってから物を言え。
支那には古くから弩があるから篭城戦では侮れない
>>489 トータルの軍事力でどちらが上かというところでしょう。
兵站も重要なその要素だからその優劣は考えるが、
何が何でも中間地点なり相手の領域なりまで軍を派遣しろという話ではないでしょう。
497 :
世界@名無史さん :2006/08/03(木) 22:28:41 0
黄河流域での攻城戦とローマが経験した攻城戦というのも質が違うしな。 中国では、簡易の野戦陣地というのは簡単にできる。 版築という工法で、簡単に重厚な野戦陣地を構築することができる。 第二次大戦でも国民党軍はコレを用いた。 日本軍はかなりコレに苦しめられた。 野砲で崩せるが、二重三重に版築で陣地を構築されるから。 まず、地形を設定してもらわんと。
では、平坦な平原での正面からの会戦という条件ではいかがか。 兵力についてはその議論だけで長くなるだろうから、とりあえず同数として。
騎兵戦力では匈奴相手に「鍛えられた」漢が上回るが各種兵器の精密さではローマが上回る。 機動力の勝負では漢、近接戦闘ではローマに分がある。
しかし現代のローマや漢の末裔ってどれも戦争に激弱いよな
古代は漢人も結構勇猛な感じを受けるんだけどねえ・・
あんまり触れていないようだが、 人材的要因も結構左右されるだろ。 同時代の人材なら誰が挙げられるんだ?
光栄のゲームじゃないんだから、将軍個々の能力なんてそれほど問題にならん。 せいぜいがところ、どちらがどれだけそこの地形を熟知しているかくらいのもの。
>>503 軍隊が組織であり、
人間に指導者として組織を運営・運用する点で優れた者と劣った者がいる以上、
指導者の資質というのは極めて重要な要素だよ。
>>504 503の言っていることは間違い。特に戦う理由をはっきりと提示できれば
士気は上がりやすい。例えばアレクサンダー大王はインドまで攻め込んだとき
その理由を兵たちに納得させることができなかった。結果インド攻略を諦める。
逆にカエサルの例だとカエサル個人に心酔していた兵たちによってカエサルは
あそこまで登りつめた。(もちろん政治的知略・戦術も優れていたが)
ルビコン川渡るときとかは勝てばなんとか負ければなんとか(忘れた)と言って
兵達にカエサルと一蓮托生的な意識を持たせ士気をあげた。
こんな感じに組織というものを運営する上でカリスマ性という数値に
できないものは大きな要素となる。
が、しかし数値にできないだけに比較が難しい上に両大国が戦った場合
複数の将軍・武将が活躍するんだろうからはっきり言って人的要因を考慮すると
客観的判断が難しい(個人の趣向が出る=事実自分はカエサル大好き)
ことに加えて複雑になりすぎるので無視したほうが無難。
それにしてもいたい子がいなくなってスレが落ち着いたと思ったら今度は
議論が盛り上がらないな。お盆だからか?
要するに将軍の優劣は非常に重要な要素だが、 客観的に比較するのが非常に難しいので、 とりあえず、無視したほうが無難だと。
507 :
世界@名無史さん :2006/08/15(火) 19:06:37 0
常備軍になった帝政ローマは給料などの関係で30万の軍勢に抑えられたが、 市民軍時代のローマはイタリア半島で75万の動員能力を持っていた。 ハンニバル戦争での無尽蔵の兵力供給が印象深いな。 中国の史書などに記される「100万の兵」に誇張なしとしても、十分に張り合える規模だと思う。
誇張と言えば、確か史書では秦を攻め滅ぼしたときに 項羽は40万を100万と号し、劉邦は10万を25万と号したとあったな 勿論40万、10万もどこまで当てになるかはまるでわからんけど
509 :
世界@名無史さん :2006/08/20(日) 03:19:01 0
古代ローマと後漢とオスマントルコと戦国日本とモンゴル帝国と強い順に並べるとどうなるの? やっぱモンゴル最強かな?
510 :
世界@名無史さん :2006/08/20(日) 03:26:10 0
烈海王みたいなのがいっぱいいた 漢に決まっているッッッッッ!!!!!!
>>509 兵器の違いがあるのでその中ではオスマントルコが最も強い。
というか、スレ違い。