>>874 ナチス台頭に対するスターリン(第3インター)とトロツキーの見通しを比較すれば、トロツキーの方が遥かに現実を正確に見通していた。
スターリン(コミンテルン)はドイツでナチスが急速に台頭し始めても「共産党は社会民主党の主導権を許さない場合のみ社会民主党との統一戦線が許される」という寝呆けた方針を出していた。
ドイツではこの方針に従って、地方によっては共産党はナチスと組んでまで社会民主党を叩き続ける愚行まで犯した。
トロツキーは亡命先から「ナチスは言わばドイツのコルニーロフ反乱軍であって、社会民主党はもとより、いかなる条件を飲んででも、どこと組んででも、早期に叩き潰せ」と警鐘を乱打し続けた。
スターリンはソ連一国の経営に没頭するあまり、ひたすら自国の安全無事だけを図って木を見て森を見ず、大局の見通しを誤った。
結果的にスターリンはスペイン、ドイツ、日本、中国の共産党に実情無視の無茶苦茶な指令を出し続けて自滅させた(中国はソ連派と疎遠な毛一派が主導権を握って生き残ったが)。
のみならず、ナチスドイツを化け物に育ててしまった挙句に結局ナチスとの和平維持にも失敗し、独ソ戦を招いた。
「統治者と亡命者の見地(重点の置き所)の違い」と言ってしまえばそれまでだが、歴史の審判はナチスの性格分析について明らかにスターリンよりトロツキーの見通しが正しかったことを証明している。
877 :
世界@名無史さん:2010/01/03(日) 23:25:10 0
>>874 石原莞爾は、満州国建国に際して、トロッキーの助力を期待していた。
これは、満洲国におけるユダヤ人の協力を得ることとも繋がっていた。
もし、トロッキーの協力が得られていれば、日本の極東戦略は、変化していたかもしれない。
この場合、アメリカの協力を得られる可能性があり、ヒトラーとスターリンの
同盟がより強固となっていた可能性がある。(リッペントロップの策略が生きる)
世界は、独ソ枢軸と欧米日本の戦いとなり、これに蒋介石の中華民国が助成するという
逆転の世界史が誕生したかもしれない。
日華事変は起こらず、満洲国と中華民国のすみ分けが行われ、真の全体主義国と民主主義国の
争いとなっていただろう。
スターリン体制の崩壊を20世紀の終わりまで待つ必要はなかった。
勿論、白日夢の話だが。
878 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 00:02:51 0
>>877 独ソ枢軸が崩壊していた場合、ヒトラーも英仏と組んでソ連攻撃を行い、
その時点で、ソ連は崩壊したかもしれない。
ナチス・ドイツと英仏・米との戦いは第二段階となるが、ソ連崩壊後に成立したトロッキー政権は
アメリカと連帯してヒトラーと戦ったであろう。
満州国の独自性は強まり、アメリカ資本(ユダヤ資本)の役割は大きくなったろう。
しかし、日本帝国は、ある意味「小日本主義」を選択して、軍部を牽制しつつ、大正デモクラシーの
延長としての国際協調主義に帰結したかもしれない。
日本連邦の枠内で、満洲国、朝鮮の自治権も拡大したかもしれない。
日本は、東洋の英国と成り、その歴史は侵略ファシズム国家の汚名から逃れることができた。
トロッキーとの連合は、意外に大きい。
スターリンがどうしてもトロッキー暗殺に拘った理由がわかる。
歴史は、実に不可解なものである。
879 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 17:32:04 0
>>878 トロッキー政権は、その性格を一変し、メンシェビキやエスエル・自由主義者
の連合体と成り、ナチス崩壊後は、民主主義的性格を強め、ローズヴェルト政権と
協力しつつ、英仏と日本の勢力を牽制しつつ、アジアアフリカの民族運動を支援するだろう。
派手な、世界革命はないが、世界は比較的バランス良く、地域経済の成立と民族自決を手に入れたかもしれない。
ロシア連邦(社会民主主義的)ヨーロッパ合衆国、アメリカ、中華民国、独立インド等の世界が並び立ち、
鳩山の東アジア共同体の成立は眼前であったかもしれない。
「トロッキー」と書いてるとバカにしか見えないんだが。
/ヽ /ヽ、
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882 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 23:28:59 0
>>881 じゃあ、どう書けばいいのかな。
Лев Давидович Бронштейн(レフ ダヴィドヴィチ ブロンシュティン)と書くのかな?
レオン・トロツキーでいいじゃないか?文学的で。
最初に、「わが生涯」を翻訳した栗田勇が所詮は、文学者で、トロッキーのロシア革命史の
文体も文学書のごとくであるのは、多少トロッキーを知っている人間の常識だ。
彼は、革命家であり、文学者であり、赤軍の組織者でもあった。
たぐい稀なる天才と言えよう。
レーニンの由来は、レナ川に由来するのか、レーナと言う初恋の相手の名前か、
確かなことはわからない。
スターリンは単純だ。説明しないがグルジアの名前より誤魔化しやすいし、カッコイイ。
>>879 は、白日夢であるが、ソビエト政権の存続こそが、70年間以上続いた悪夢かもしれない。
ナチスが、何らかの事情で継続していたらどうなっていただろうか。
フランコ政権の悪夢は、チリの軍事政権はどうだ。
そして、躍進する全体主義的中国はどうだ。
世界史は、悪夢の連続だ。カチンの森に死んだポーランドの将校は、未だに成仏はしてないな。
883 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 23:47:42 0
>>880 Троцкий(トロッキー)でカタカナ表記は良い。
実際は、Цの発音を自分流にしてどこが悪い。おれは ,100万回
トロッキーと発音している。それで、十分通じる。
お前が、教科書的馬鹿なんだ。
884 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 23:56:27 0
>>880 おまえがそんなに「トロツキー」のカタカナに拘るなら、以後、俺は、Троцкий
と表記する。それでいいんだろ。
<トロ売ってちょうだい!
(゚д゚ )
(| y |)
ト ( ゚д゚) ロ
\/| y |\/
( ゚д゚) 占
(\/\/
だめ。うらない。
(゚д゚ )
(| y |占
>>877-879 いくらなんでもIFを重ねすぎじゃないかw
確かに「スターリン以外の選択肢」をいろいろ空想するのも面白いけどさ
887 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 11:23:37 0
もし38年辺りにトハチェフスキーが軍事クーデターをおこして
政権を握っていたなら・・・
888 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 06:11:03 0
ぬこ、ロシア革命に関与 ─ レーニンの顧問格、映像の分析で判明 ─
1917年のロシア10月革命に、ぬこがレーニンの「ふところ刀」として関与していたことが判明した。
アメリカの動画共有サイト「YouTube」に10月革命当時のレーニンを記録したフィルムに人工着色したカラー動画が投稿された。
http://jp.youtube.com/watch?v=yXJfTN_LeaI 専門家がこの動画を分析したところ、1:57秒から2:07秒にかけて、ぬこがレーニンと密談している場面が写っていることが確認された。
ぬこはレーニンのテーゼ「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」で日和見主義的傾向を批判され、10月革命からは排除されていたというのが学界の定説だったが、これが覆された形となる。
各国の党派はレーニンの見解に基いてぬこへの賛否を議論してきただけに、今後は中国等の動向次第で国際政治情勢にも影響が及ぶ可能性がある。
この問題について猫政大学教授でソ連・ロシア政治史研究家の猫斗米猫夫氏は、
「映像を見る限り、ぬこはボリシェビキの幹部に復権して活動していたというよりも、レーニンの個人的な顧問格、いわば『ふところ刀』として、彼の腕の中で革命に関与していた可能性が強い。」
「今後はこれまでレーニンの批判に基いて葬り去られていたプレハーノフ等の見直しと平行し、10月革命におけるぬこの役割の再評価が学界の課題となるだろう。」
と語った。
889 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 21:16:28 0
>>898 「ぬこ」については、4月テーゼに反対しただけでなく、十月革命にも
否定的であったのにも拘らず、レーニンは、革命後も重用している。
レーニンのロシア革命への視角を考える重要な要素であろう。
890 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 22:10:09 0
内戦って白軍には勝ち目のない戦いだったの?
892 :
世界@名無史さん:2010/02/25(木) 00:20:09 0
ニコライ2世一家ついて思ったんだが
流石に共産党政権に拘束された後では無理だっただろうけど
国外への逃亡・亡命のチャンスは無かったのかな?
実史ではニコライ2世はイギリスへ亡命を希望したが
イギリスは自国に社会主義が蔓延することを恐れて拒否
その後ヴィルヘルム2世がドイツへの亡命を進めるがニコライ2世は拒否した訳だし
もしドイツへ亡命していればドイツか
或いはデンマークでマリア・フョードロヴナ皇太后と一緒に無事余生を暮らせたと思うんだが
仮にドイツへ亡命したらしたで
第2次大戦の時にニコライ2世がドイツ国内で死去したら墓がソビエト軍に破壊、荒らされないか?
生きていたらで西側に投降したのかも気になるが
893 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 19:35:18 0
>>891 白軍は言うなれば「寄せ集め所帯」
帝政時代の貴族や地主、将校などが中心
彼らの目的は帝政を復活させて
自分達の利益を守ろうとするのが目的
だから目的も手段もバラバラで作戦に統一感が無い
占領した地域で略奪を行ったから早々に支持を失う
逆に赤軍は良くも悪くも一枚岩
トロツキーの下でよく統率されていて士気も高い
しかも「これで負ければ祖国は失われる」という背水の陣だった
894 :
世界@名無史さん:2010/03/02(火) 21:44:22 0
本当に帝政派貴族だけだったら、もっとまとまってただろう。
白軍は帝政派、共和主義者、自由主義者など、反ボリシェヴィキの寄合所帯だったから、
まとまりがなかった。
895 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 07:52:28 0
三月革命で打倒された帝政を支持する勢力(貴族=地主、将校)
十一月革命で打倒された臨時政府を支持する勢力(資本家、自由主義者、共和主義者)
その他、ボリシェヴィキ独裁に反発する勢力や各民族の民族主義者
こういうのを全部ひっくるめた寄合世帯が「白軍」だからな。
専制主義からリベラルな自由主義、ロシア帝国再建から民族独立運動まで、
それこそてんでばらばら。
ちなみに白軍の主流となった勢力は、帝政復活には否定的で共和主義だった。
896 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 19:12:09 0
立憲民主党とエスエル右派の臨時政府がそのまま続いていたら、
おそらく現在のロシア連邦(プーチン政権)みたいな国になってたんだろうな。
ロシアはとんでもない回り道をしてしまったな。
897 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 05:21:08 0
本当にロスケは糞だな
898 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 06:58:35 0
エスエルって過激派なのか穏健派なのかよくわからん。
ケレンスキーってソヴィエト(労兵評議会)出身のくせに、
いつのまにかにブルジョワと連立して、ボリシェヴィキ弾圧してるし。
899 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 11:17:08 0
>>896 「不安定な臨時政府が長く続いても
いずれボルシェビキによる急進革命は避けられなかっただろう」
というのがソ連崩壊後の専門家達の見解
>>898 どんな組織にも穏健派もいれば過激派も居るだろ
ただそれだけの話
900 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 18:11:34 0
エスエル(とくに右派)は社会主義ではなく、
第三共和政のフランスみたいな自作農の多い共和国をめざしてたのかな?
ボリシェヴィキに乗っ取られる前の三月革命直後のソヴィエトってのは、
とくに社会主義ってわけじゃなく、戦争反対と食い物よこせで団結した、
単なる労働者と兵士の寄り集まり?
901 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 07:49:03 0
もともとのエスエルは単なるテロリストだし、左派はバリバリ社会主義者だろうが、
ケレンスキーとかの右派は西欧流の自由主義的民主主義国家をめざしていたのだろうか?
やはり、この時代でいえばフランスのような共和国を理想としていたのだろうか?
臨時政府は
死刑制度を廃止し
1日8時間労働を規定し
民主的な議会の開催も約束した
少なくとも後のボルシェビキと比べれば暮らしやすい世にしたことは確か
ケレンスキーもニコライ2世もそうだが動乱期でなければ
もっと評価されても良かった人物だと思う
ロシア内戦の流れについて学べる良書ないかな?
できたら、読みやすかったり面白いやつで。
904 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 12:34:16 0
臨時政府はもちろん、白軍の大半まで、実は共和派だったということは、
帝政やロマノフ家はどうころんでも復活の見込みはなかったってことだな。
905 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 19:22:19 0
歴史群像シリーズでロシア革命やってくれないかな
学研さん、ポマギーチェ!
907 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 22:19:47 0
帝政ロシア軍って、革命のあとどうなったんだろう?
あれだけの大組織がいつの間にかに消えてなくなってるのは不可解。
908 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 22:45:03 0
赤軍に吸収⇒粛清
909 :
世界@名無史さん:2010/03/08(月) 10:59:48 0
帝政軍は内戦の間にほぼ壊滅しただろ
コサックも赤軍やチェーカーにジェノサイドされたし
910 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 19:34:44 0
政府の正規軍としての旧帝政軍隊が消滅したのは、どの時期なんだろう?
当初、臨時政府は連合国の一員として対ドイツ戦争を継続しており、当然帝政軍隊は健在だったはず。
総司令官の任命とかも行われている。
コルニーロフが臨時政府に反乱をおこしたとき、ケレンスキーは赤軍に救援を求めたが、
このとき帝政軍隊は大部分、白軍として政府から独立したということ?
11月革命のとき、ケレンスキーは政府側兵力として士官学校生徒を動員しているが、
逆に言うと政府の手勢となる兵力は士官学校の生徒くらいしか残ってなかったってこと?
対独講和までの間、前線のロシア軍部隊はどこに忠誠を誓って従っていたの?
911 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:29:54 0
11月革命で成立したボリシェヴィキ政権に忠誠を誓ったとは思えないから、
ブレスト・リトフスク条約までの数か月間は、中ぶらりんな状態で対独戦やってたんだな。
912 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:53:30 0
本国で正統政府がなくなって、仕える主人もいないまま戦う軍隊なんて、
もはやただの軍閥勢力だな。
913 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 22:22:56 0
野良犬、狂犬とも言う。
914 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 22:24:34 0
ロシア革命から第二次世界大戦までの経緯をまとめた名著は有る?
915 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 13:15:18 0
>>912 だが、東部戦線の後始末をしたのはボリシェヴィキ政権のトロツキー外相で、
ロシア各地の白軍が一気に暴れ出したのは、この対独講和のあとなんだよな。
信じがたいことだが、旧帝政軍の将軍たちは、ボリシェヴィキ政権のもとで、
講和までドイツと戦ってたということなのか?
916 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 14:42:26 0
.:-=,一;ー,=;:、
ミ ゙ミ
ミ ★ ゙ミ
ミ;:=⌒ ⌒=:゙ミ
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 米露日印台で中国包囲網をつくるお!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
917 :
世界@名無史さん:2010/03/16(火) 18:09:10 0
1917年に2月(3月)革命がおこるまでは、
まがりなりにも皇帝のもとで帝政軍の組織と統制は維持されてたわけだが、
それがいつ中央政府の統制から離れて、革命派や白軍になったんだろう?
918 :
世界@名無史さん:2010/03/17(水) 18:03:03 0
コルニーロフの反乱のとき、大部分の司令官は反乱軍に荷担した。
ところがボリシェヴィキの息のかかった工作員が各部隊に入り込んで、
首都に着く前にほとんどの部隊は内部から崩壊した。
国内の軍隊はこんな感じで、四分五裂、雲散霧消したんでは?
結局のところ、ボルシェビキが他の諸勢力を打倒出来たのは
軍事的な優位に立てたからなのか。
兵器供給の点からして、ペテルブルクが本拠地だったのが原因か?
トロツキーって軍事的才能あったの?
アジるのが上手かっただけ?
921 :
世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:17:22 0
922 :
世界@名無史さん:2010/03/29(月) 12:59:55 0
そもそもロシア革命は
ロシア国内を混乱させて日露戦争の講和条約を
有利にするため仕組まれたもの
第一次世界大戦でもドイツが封印列車で
レーニンを送り返したし
日本だけがやっていたわけじゃない
トロツキーもロックフェラーだかロスチャイルドだかから
支援されていた説もあるし
『蒼ざめた馬』
を買ってしまった…
このサヴィンコフって人は
十月革命のとき何してたの?
恋愛と爆弾と、聖書と拳銃しか
出てこない小説なんですけど…
これはノワールか?
党とか思想とか全て下らねぇって
スタンスだしアナーキストですら
ないよなこの人、何も信じてない