826 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 02:31:02 0
レーニンの父親は視学官をつとめて世襲貴族の身分に昇格していたはずだが。
827 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 06:33:27 0
父方の祖父は解放された農奴出身の仕立屋で、
祖母はモンゴル系カルムイク人(オイラト)を父に持つ。
父イリヤは著名な教育者(物理と数学の上席教師)であるが、
世襲貴族でもあり、レーニン自身も1900年に妻の流刑地変更の申請書に
「世襲貴族 ウラジーミル・ウリヤノフ」と署名している。
828 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 18:22:25 0
ジェルジンスキーは転向左翼で元々家は貴族
トロツキーも両親は富農だし
ジノヴィエフも一応牧場は持ってた家庭らしいし
かのポル・ポトも実家は裕福な地主クラスの農民だった
そこうして見ると真に底辺から這い上がった革命家って実はスターリンぐらいなもんか?
829 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 23:31:35 0
既存の身分制度を否定したはずの革命なのに
ジェルジンスキーは元々家は貴族
トロツキーも両親は富農
ジノヴィエフも牧場主
ポル・ポトも実家は裕福な地主
革命家のレーニンは父親が世襲貴族
革命家の出自が「貧農じゃない」ことに拘ってるが笑止。
結局、上とは平等になりたいけど、下とは絶対に平等になりたくない
そんなダブスタ抱えたままだから、共産主義は破綻したのよ。
830 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 23:38:19 0
>レーニン自身も1900年に妻の流刑地変更の申請書に
「世襲貴族 ウラジーミル・ウリヤノフ」と署名している。
貴族のプライドをしっかり持ちながら身分制度打破の万人平等を説くw
独善的だから独裁者になって、革命後も粛清ができたのね。
831 :
KGB:2009/12/19(土) 13:59:47 0
貴族や地主なんて反動的な連中は残しておいたところで白軍に寝返るだけ
ロシアから封建階級を一掃したレーニン同志は正しい
ロシアの貴族って言っても皇帝(当時世界一の資産家)とその取り巻きたちから、
食うや食わずの貧乏貴族までピンキリだからねえ。
>>829 ギニア=ビサウ、カーボ・ヴェルデの独立運動家で社会主義者のアミルカル・カブラルも、
「革命を主導しているのはプチ・ブルジョワで、独立戦争はプチ・ブルジョワと労働者、農民の同盟によって
遂行されるが、独立後新国家の権力を握るプチ・ブルジョワは階級的に労働者、農民を裏切らないと
国を運営することはできない。どうしたらいいんだ。どうしようもないし誠実になろう」。
みたいなことを言ってた。だからこそ、史上革命を担う主体と成り得たのが。
階級的に裏切りを孕んでいたプチブルしかいなかったから、社会主義が破綻したってのは正しいと思う。
833 :
世界@名無史さん:2009/12/19(土) 14:27:58 0
>>830 いや、それは役所に出す申請書だから、そういう書式だったんだろ。
明治時代の正式の書類に署名するとき、「福岡県士族 磯野波平」って書くようなもんだろ。
>>829>>830 >革命家のレーニンは父親が世襲貴族
>レーニン自身も1900年に妻の流刑地変更の申請書に
>「世襲貴族 ウラジーミル・ウリヤノフ」と署名している
革命前のロシアでは官吏の等級14等級のうち、9等官に昇進すると自動的に終身貴族の資格が貰えた。
4等官に昇進すると自動的に世襲貴族の資格が貰えた。
レーニンの父はこの規定に乗って「世襲貴族」の称号を得たにすぎない。
ロシア史で「貴族階級」と言うときには通常、「領地を持って(農奴解放前は)農奴に耕作させて収入を得ていた階級」を指す。
だから「レーニンは世襲貴族の資格を持っていた」と言うのは正しいが「レーニンは貴族階級に属していた」というのは正しくない。
レーニンの父は出世によって名誉的称号を与えられただけであって、領地まで与えられた訳ではない。
レーニン自身の規定ではレーニン本人(及び多くのボリシェビキ指導者)は「小市民(プチ・ブルジョワ)階級」出身者に属する。
共産主義の指導者が労働者・農民階級出身ではなく、小市民階級出身であることが圧倒的に多いことは、レーニン自身がすでに著書『何をなすべきか』の中でカウツキーを追認する形で理論的に認めている(いわゆる外部注入論)。
そもそもマルクス主義の開祖マルクス自身が小市民階級の出身(弁護士の息子)。
その他のマルクスと同時代の社会主義者たちも、ブランキが小市民、エンゲルスがブルジョワ、ラッサールが小市民の出身。
プロレタリア出身なのは(有名どころでは)職人出身のプルードンぐらいしかいない。
レーニンと同時代では、カウツキー、ベルンシュタイン、リープクネヒトがいずれも小市民階級出身。
眼鏡をかけてる奴は資本家
文字が読める奴は資本家
836 :
世界@名無史さん:2009/12/20(日) 18:52:44 0
帝政ロシアって貧富の差がはげしく貴族領主と農奴しかいなくて、
中流階級なんて都市に住む外国系市民かユダヤ人くらいしかいないってイメージ。
837 :
世界@名無史さん:2009/12/20(日) 21:49:57 0
うむ、帝政ロシアの中流階級とかプチブルなんて、イメージできんよな。
19世紀の文学者とか音楽家も貴族の出が多いし。
838 :
世界@名無史さん:2009/12/21(月) 10:26:48 0
一応帝政末期は工業化が進んでたから
資本家や銀行家とかも普通に居たような気がするが
839 :
世界@名無史さん:2009/12/21(月) 19:55:29 0
ロシアの作曲家ボロディンみたいなケースはどうとらえればいいんだろう?
>サンクトペテルブルクにて、
>グルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子として生まれる。
>ゲデヴァニシヴィリはボロディンを実子として戸籍登録せず、農奴の一人の名を使った。
>しかしながらボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻し、
>ペテルブルグの医学大学の薬学部に入る。
>卒業後、陸軍病院に勤務
840 :
世界@名無史さん:2009/12/26(土) 11:50:15 0
農奴?
市民?
841 :
世界@名無史さん:2009/12/27(日) 16:35:10 0
デカプリストとかナロードニキのような19世紀の革命家は、
貴族の出身と考えてよいのだろうか?
842 :
世界@名無史さん:2009/12/29(火) 17:56:51 0
ナロードニキとか社会革命党の連中も貴族と考えていいんだろうな。
843 :
世界@名無史さん:2009/12/29(火) 20:07:40 0
ロシアの貴族(あるいは、マフィア)
レーニンも含めて、ロシアの革命家は、雑階級出身者が圧倒的に多い。
それは、19世紀のロシアの現実に発している。
少数の知識人の中からしか、革命の指導者を得ることは、できなかった。
「何をなすべきか」(チェルヌイシェフスキーの同名の著書に由来)で、
レーニンが、少数者の結束した党の理論を展開したのは、19世紀ロシアの
現実がなさしめたものである。
ロシアの現実は、労働者階級が形成されつつも、大都市に集中し、熟練工と
言えども、農村との関係を依然、強く持っていた。
ロンドンの労働者とは、根本的に違う性格を持っていた。
だからこそ、労兵評議会(ソビエト)の成立と労農同盟の課題が
現実的であったのである。
労働者=兵士=農民の三位一体が現状であったのである。
知識人によって組織された前衛党が、全体のコントロールに
あたるという考えもロシアの状況が要求した組織論であった。
一定程度の資本主義の発達は、必ずしもその国の社会構造を変えるものでないし
社会的文化的精神構造を変革できるものではない。
まして、ロシアのロマノフ家の支配は、徳川300年に匹敵し、圧倒的多数の
農民の意識構造を変えることはできなかった。
少数の革命家の空想的プランと前近代的共同体主義に染まった農民の反資本主義的運動
の結合が、ロシア革命の全てである。
この様にして、生まれた上部構造が、強制的に下部構造を要求し、多大な犠牲により
イワン雷帝的スターリン体制を成立させた。
またその中で、新たな貴族階級である、ノーメンクラツーラを成立させた。
この貴族階級は、まだプーチン体制の中で生き延びている。
844 :
世界@名無史さん:2009/12/29(火) 23:08:03 0
>>843 つまりロシアの土壌から必然的に発生したロシアの産物であるロシア的な者達がロシアそのものをロシア的にロシア化した結果、すったもんだの挙句にロシアは現在も相変わらずロシア的なロシアである、と?
>>837 ああいう国の中産階級は役人や教師が多い。
おかげで左翼の土壌はきわめて豊かになるんだよな
846 :
世界@名無史さん:2009/12/29(火) 23:29:11 0
言ってみればインテリ中流階級だった士族が、
自由民権運動家や初期の社会主義者になったようなもんだな。
847 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 11:43:19 0
>>844 その通り。
異質な者は、排除された。その典型が、ユダヤ人。
コミンテルンの指導者の多くが粛清されたが、理論と言うより
ユダヤ人だから。
革命初期、政策をめぐって何度も全党員討議が「民主的」に実施されたが、
常に、トロッキー派が敗北した背景には、トロッキー=ユダヤ=非ロシア=スパイ
の書記局を握るスターリンのキャンペーンがあった。
まともな、討議に見せているが嘘だ。鍛え抜かれたボルシェビキは、内戦で多く戦死し、
この頃の、新入党員は、スターリン(書記局)の意のまま。
遂には、外国経験のある党員まで、非ボルシェビキ的ということで処刑された。
レーニンも生きていたら、処刑されたろうと、クルプスカヤが回想していたと伝えられている。
ロシア的なるものが、何なのか、説明は難解である。
結局、ロシア正教に辿り着くのかな。もっと昔かな。
ロシア農民が、皇帝の布告を聞くのは、教会の神父からであったが
スターリンが神学校出身というのも単なる偶然かな?
レーニンは、西欧派とスラブ派の中間みたいな人物だが、魂はスラブ派
だな。マルトフとは違う。
レーニンとスターリンを合体させると、毛沢東的になる。
所詮、「革命」は土着的なものである。
国際主義に幻想をもつと失敗する。
国際主義は、旧ブッシュ政権のトロッキー派と同様
どのようなものでも失敗する。新自由主義でも!
「国際主義」的土着主義が、ある程度成功しているのは、世界宗教だけ。
まあ、宗教は変幻自在だから。
848 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 19:30:56 0
思想よりも出自や階層の方が気になる。
ボリシェビキはともかく、デカプリストやナロードニキ、エスエルは貴族だよな。
849 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 20:22:50 0
>>843 レーニンの出身階層は世襲貴族なんだけれど……?
851 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 22:08:15 0
デカ フ゛ リストな
852 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 22:13:17 0
ロシアの農民の諺
「魂は神のもの、頭はツァーリのもの、体は領主のもの」
支配階級にとって彼等はそういう存在。
853 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 22:15:47 0
>>839 >グルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子として生まれる。
キリスト教国家の社会常識からすると、非嫡出子=婚外子=私生児
私生児は教会で洗礼拒否されたり、母子でミサに参列することを拒否されたりした。
父親が皇太子なら、少しはマシな扱いだったかもしれないけどね。
854 :
世界@名無史さん:2009/12/30(水) 22:42:02 0
>>849 19世紀のロシアの現状をどう捉えるかの問題なんだ。
レーニンの兄貴はテロリストとして処刑された。
弟の悪ガキのレーニンとしては、ウリヤーノフ家の今後の
事を含めてかなり悩んだろうな。
初期レーニンの最大の転機である。
秀才の兄貴がなんで、国賊となったのか?
悩みに悩んで、彼はある種のモンスターと成って行く。
ところで、テロリストを生んだウリヤーノフ家の未亡人
にも、亡き夫の年金は確実に国家から送金されていた。
一代貴族と言えども、国家はその遺族を養っていた。
ロシヤって意外に近代化されていたのかな?
まあ、ロシアの多重性は、ロシア革命の評価の多重性に繋がっているな。
855 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 00:46:21 0
ナロードニキの例
ニコライ・チェルヌイシェフスキー(1828 - 1889)
ナロードニキ運動の創設者の一人。
聖職者の家庭に生まれる。
神学校を中退した後、サンクトペテルブルク大学歴史・哲学部に入学する。
1850年ペテルブルク大学を卒業する。帰郷し中等学校(ギムナジウム)で教師となり教壇に立つ。
ヴェーラ・ザスーリチ(1849 - 1919)
生家は小貴族で、3歳の時に父親が死去する。
裕福な親族(従兄弟の関係にあたるミクーリチ家)に姉二人とともに預けられた。
1866年女学校を卒業し二人の姉とともにサンクトペテルブルクの寄宿女学校に入学する。
寄宿女学校卒業後、モスクワ郊外の判事の事務所で助手として働く。
856 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 00:59:19 0
エスエルの例
ヴィクトル・チェルノフ(1873年 – 1952)
父ミハイルは、農奴出身から身を起こし、郡主計官を勤めて貴族となった。
1892年モスクワ大学法学部に入学する。
大学では学生運動に身を置き、ナロードニキの継承者を以て任じていた。
マリア・スピリドーノワ(1884 – 1941)
貴族で官吏(六等官)であったアレクサンドル・スピリドーノフを父に生まれる。
タンボフの女子中学校で学ぶ。
タンボフ県の貴族会で事務職員として勤務する。
ボリス・サヴィンコフ(1879 - 1925)
ウクライナのハリコフに貴族の子息として生まれる。
父ヴィクトルはポーランド王国の首都ワルシャワで裁判官をした人物。
1897年サンクトペテルブルク大学法学部に入学するが、1899年退学処分となる。
その後、ドイツに渡り、ベルリン、ハイデルベルクで学ぶ。
857 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 01:30:18 0
貴族といっても、微妙な連中が多いな。
ロシアやオーストリアは貴族=国家公務員と言い換えてもいいんじゃねってレベルだからな
859 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 13:34:55 0
>>858 ロシアの場合、雑階級知識人出身の革命家が圧倒的。
それとユダヤ系、ポーランド系等の出身者も重要。
実は、エスエルとボルシェエビキを区分けするのもあまり意味はない。
かつての人民の意志党労働者グループの多くは、ボルシェビキに入党している。
ボルシェビキのナロードニキ化と言われるかもしれないが事実である。
革命運動の系譜
ナロードニキ主義(農民社会主義)
「土地総割替」派・・・労働解放団・・・ロシアマルクス主義(プレハーノフ・マールトフ)・メンシェビキの流れ…社民主義
国際主義の流れ・・・トロッキーグループ
人民の意志党労働者グループ・・・ロシアマルクス主義(レーニンら)ボルシェビキ派・・・共産党
ナロードニキ派(農村重視派)・・・エスエル・・・左右分裂・・・左翼エスエル
都市での抵抗組織・・・ユダヤ人ブンド、アナーキスト諸派
最終的に、ボルシェビキ・レーニン派、トロッキーグロープ、左翼エスエルの
野合により、10月革命のクーデターが決行される。
ボルシェビキもマルクス的国際派「人民の意志」党労働者グループと呼んでよい。
860 :
くすのき:2009/12/31(木) 14:01:52 0
861 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 15:27:56 0
>>859 ロシア革命の特殊性
(1)ロシアの階級的対立の鋭さ
ツァーリ専制体制と人民大衆の和解しがたい矛盾
(2)人民大衆の怒りと大農民反乱(プガチョフ・ステパン=ラージン)
(3)雑階級インテリゲンチィアの無権利状態と劣悪な環境
(4)合法的反対の無意味さと知識人の職業選択の狭さ
(5)ロシアの資本主義の後進性と特殊性
(6)(5)の「上からの改革」は、ロシア資本主義の発展の「幻想」と実質
における「その本質的根源」の欠如を生みだした。
以上の条件の下で、雑階級インテリゲンチィアの間に、革命に対する切迫感と国家の
弱体性への確信、権力奪取の容易性の思想が生まれた。
合法的反政府活動の困難性は、「地下革命組織」を生み、ツァーリズムの中央集権制は
、革命組織における「中央集権制」を生みだした。
ロシア資本主義の弱体性とその基盤の欠如は、その打倒と社会主義への移行の
容易性の「幻想」を生んだ。
ボルシェビキは、この様な条件のもとで生まれた、マルクス主義的農村社会主義である。
革命後のマルクス主義的近代主義と農村社会主義の相克は、結局、スターリン的工業化と農業
集団化に収斂していく。
862 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 15:44:47 0
ボルシェビキは、10月革命時、エスエルの土地綱領を盗作したが、
本質的にこのグループには、権力奪取しかない。
政策は、二の次なのだ。
「国家と革命」は、国家論としては、人民の意志党ジャコバン・ブランキストの
構想を継承している。
今日の日本に例えれば、民主党の小沢幹事長に酷似している。
革命前の貴族政治家とソ連時代の政治家は顔つきが全く違うね。
赤い貴族と呼ばれても容姿は労働者のオッサン。
864 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 16:11:36 0
第一次世界大戦という好機とそれによる騒乱を利用して権力を奪取した
ブランキストの一団は、自らを国際共産主義運動の司令部と称し、
コミンテルンを組織して、他国に内政干渉をおこなった。
丁度この当時、アジア等の反植民地運動が高揚しており、この波に
乗って自国防衛のためにコミンテルンを利用することとなる。
彼らは、結局、一世紀を待たず崩壊したが、その惨禍と影響は今日でも
多くの弊害をもたらしている。
特に、社会主義運動に与えた影響は限りなく大きく、ヨーロッパでは、共産党が
ほぼ壊滅し、中国・北朝鮮では、独裁を正当化する道具と成り、日本では、民主勢力の統一を
遅くしている。
ボリシェビズムからの脱却が、真の社会主義への道であろう。
865 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 16:14:51 0
>>863 顔つきが変わるまでに崩壊した。
中国は、現在、顔つきが変わりつつある。(太子党の連中)
866 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 17:08:22 0
>>864 ロシアジャコバンの研究については下記参照
「革命独裁の史的研究」 ロシア革命運動の裏面史としてのポーランド問題
著編者 ・出版社]
著:早坂真理
出版社:多賀出版 (株)
867 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 22:55:21 0
「カデット自由主義」の系譜に立ち、自由主義ブルジョワジーを担い手とする
「近代化」が可能であったと考えるカルポーヴィチは、そのロシアジャコバン=トカチョフに関する著書で結論的にこう言っている。
「・・・革命のためのレーニンの計画の実現の過程で実際起こったことは、次の通りである。
最初に、政治的クーデターの手段による、ロシアにおけるプロレタリア独裁(即ち、共産党独裁)の確立、その後に
おける、国家権力の強圧による上部構造にみあった社会経済的土台の創造であった。
結局、マルクス主義者レーニンとナロードニキ・トカチョフの革命戦略における広範なる相違を私は見出す事ができない。」
868 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 23:29:25 0
>>867 レーニンとロシア・ジャコバンの直接の繋がりは、有名なロシアのブランキスト
ザイチネフスキーの弟子、その秘密組織「鷲の子」のメンバーでもあった、「女ジャコバン」
ヤースネヴァ=ゴルベイワの回想に詳しい。
(ヤースネヴァ回想録、ヤースネヴァとレーニンとの書簡)
レーニンは、トカチョフやチェルヌイシェフスキー等のロシア・ジャコバンの著作だけでなく
直接的にシベリアの流刑地で交流している。
ヤースネヴァもその他のジャコバンのメンバーも揃って、躊躇なくボルシェビキの隊列に参加した。
869 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 23:45:10 0
870 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 00:15:38 0
>>870 結局、スラブ主義的なものからの脱却は、ロシアでは無理。
民主主義であろうと、共産主義であろうと。
中国も同様。
何故なら、それが文明というものだから。
アレクサンドロスの夢よ、今何処。
ヘレニズムは、形の影響は与えるが、内実は無理。
資本主義は、化けものだが、これも数万年の文明の蓄積を
打ち破るには、いまだ不十分。
人種・民族・宗教・文化のもつ重層的相違を、普遍的要素に
還元することは無理である。
資本主義に其処までの力があるのか?
あるいは、資本主義自体が、今後、変質せざるを得ないのか。
政治的帝国は必ず消滅する、しかし、世界が認識する普遍的価値の創造が
不可能とは言い切れない。
ロシアの問題は、実は我々自身の問題なんだ。
871 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 12:30:43 0
>>870 大川周明のアジア主義が、対面した課題は今後、鳩山の東アジア共同体
構想の中身にヒントを与えるだろう。
ロシアのスラブ主義もEUの拡大に対抗し、その本質を露わにするだろう。
ヨーロッパ(UK,USA含む)近代と資本主義の持つ貪欲な拡張主義は、21世紀を以って終わり、
急速なアジア文明の興隆とロシアの抵抗を受けている。
更に、収奪の場としてのイスラム圏、南米の暴力的反発は、今後、ますます
暴発を繰り返すだろう。
スラブ主義の課題は、ヨーロッパ近代の否定と独自な道の探索であり、
世界のあらゆる地域の課題と共通する。
レーニンは、ロシアにおける資本主義の発達を理解しつつ、論理矛盾であるが、その成功を
革命を永遠に遠ざけるものと考えた。
彼の国際主義は、世界革命としてのドイツ革命を前提としたが、ロシアでの
行動・戦術は、人民の意志党労働者グループのブランキ主義に発想の原点を持ち、
西欧革命の挫折後は、その一国社会主義自体が、スラブ主義的幻想に支配された。
スターリンはその象徴であり、ロシアでは大祖国戦争の指揮者であり、ナポレオンの
ロシア遠征の失敗以来の、ロシアの世界史的使命の代行者であった。
スラブ主義の研究は、隣国ロシアの政治的根源を理解する上で不可欠である。
872 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 13:07:22 0
>>871 スラブ主義・・・ナロードニキ・・・エスエル・・・エスエル主流(労働の旗)
左翼エスエル
人民の意志党労働者グループ
ボルシェビキ・レーニン派(プラウダ) 十月革命
トロッキー派、国際主義者、アナーキスト
西欧派・・・ 労働解放団・・・ 社会民主労働党 メンシェビキ プレハーノフ、マールトフ
873 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 23:24:42 0
>>872 人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ。
レオン・トロッキ−の言葉は、亡命者としては甘い。
ブランキスト=ボルシェビキのスターリンに勝てるはずがない。
人生は、徒労の苦しみである、未来の世代に希望があるとすれば、それは、多くの屍の上にしか築かれないだろう。
レオン・トロッキ−じゃなくてトロツキーは、アメリカに亡命してNY資本家に養われてた男だからなあ。
言葉は甘いかも知れないが、人間は甘くないだろう。
つうか、人間というよりは犬みたいなもんだったかも知れんが。
皇帝もこんなへんてこりんな連中に天下を取られるとは甘いお方ですのう。
>>874 ナチス台頭に対するスターリン(第3インター)とトロツキーの見通しを比較すれば、トロツキーの方が遥かに現実を正確に見通していた。
スターリン(コミンテルン)はドイツでナチスが急速に台頭し始めても「共産党は社会民主党の主導権を許さない場合のみ社会民主党との統一戦線が許される」という寝呆けた方針を出していた。
ドイツではこの方針に従って、地方によっては共産党はナチスと組んでまで社会民主党を叩き続ける愚行まで犯した。
トロツキーは亡命先から「ナチスは言わばドイツのコルニーロフ反乱軍であって、社会民主党はもとより、いかなる条件を飲んででも、どこと組んででも、早期に叩き潰せ」と警鐘を乱打し続けた。
スターリンはソ連一国の経営に没頭するあまり、ひたすら自国の安全無事だけを図って木を見て森を見ず、大局の見通しを誤った。
結果的にスターリンはスペイン、ドイツ、日本、中国の共産党に実情無視の無茶苦茶な指令を出し続けて自滅させた(中国はソ連派と疎遠な毛一派が主導権を握って生き残ったが)。
のみならず、ナチスドイツを化け物に育ててしまった挙句に結局ナチスとの和平維持にも失敗し、独ソ戦を招いた。
「統治者と亡命者の見地(重点の置き所)の違い」と言ってしまえばそれまでだが、歴史の審判はナチスの性格分析について明らかにスターリンよりトロツキーの見通しが正しかったことを証明している。
877 :
世界@名無史さん:2010/01/03(日) 23:25:10 0
>>874 石原莞爾は、満州国建国に際して、トロッキーの助力を期待していた。
これは、満洲国におけるユダヤ人の協力を得ることとも繋がっていた。
もし、トロッキーの協力が得られていれば、日本の極東戦略は、変化していたかもしれない。
この場合、アメリカの協力を得られる可能性があり、ヒトラーとスターリンの
同盟がより強固となっていた可能性がある。(リッペントロップの策略が生きる)
世界は、独ソ枢軸と欧米日本の戦いとなり、これに蒋介石の中華民国が助成するという
逆転の世界史が誕生したかもしれない。
日華事変は起こらず、満洲国と中華民国のすみ分けが行われ、真の全体主義国と民主主義国の
争いとなっていただろう。
スターリン体制の崩壊を20世紀の終わりまで待つ必要はなかった。
勿論、白日夢の話だが。
878 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 00:02:51 0
>>877 独ソ枢軸が崩壊していた場合、ヒトラーも英仏と組んでソ連攻撃を行い、
その時点で、ソ連は崩壊したかもしれない。
ナチス・ドイツと英仏・米との戦いは第二段階となるが、ソ連崩壊後に成立したトロッキー政権は
アメリカと連帯してヒトラーと戦ったであろう。
満州国の独自性は強まり、アメリカ資本(ユダヤ資本)の役割は大きくなったろう。
しかし、日本帝国は、ある意味「小日本主義」を選択して、軍部を牽制しつつ、大正デモクラシーの
延長としての国際協調主義に帰結したかもしれない。
日本連邦の枠内で、満洲国、朝鮮の自治権も拡大したかもしれない。
日本は、東洋の英国と成り、その歴史は侵略ファシズム国家の汚名から逃れることができた。
トロッキーとの連合は、意外に大きい。
スターリンがどうしてもトロッキー暗殺に拘った理由がわかる。
歴史は、実に不可解なものである。
879 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 17:32:04 0
>>878 トロッキー政権は、その性格を一変し、メンシェビキやエスエル・自由主義者
の連合体と成り、ナチス崩壊後は、民主主義的性格を強め、ローズヴェルト政権と
協力しつつ、英仏と日本の勢力を牽制しつつ、アジアアフリカの民族運動を支援するだろう。
派手な、世界革命はないが、世界は比較的バランス良く、地域経済の成立と民族自決を手に入れたかもしれない。
ロシア連邦(社会民主主義的)ヨーロッパ合衆国、アメリカ、中華民国、独立インド等の世界が並び立ち、
鳩山の東アジア共同体の成立は眼前であったかもしれない。
「トロッキー」と書いてるとバカにしか見えないんだが。
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882 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 23:28:59 0
>>881 じゃあ、どう書けばいいのかな。
Лев Давидович Бронштейн(レフ ダヴィドヴィチ ブロンシュティン)と書くのかな?
レオン・トロツキーでいいじゃないか?文学的で。
最初に、「わが生涯」を翻訳した栗田勇が所詮は、文学者で、トロッキーのロシア革命史の
文体も文学書のごとくであるのは、多少トロッキーを知っている人間の常識だ。
彼は、革命家であり、文学者であり、赤軍の組織者でもあった。
たぐい稀なる天才と言えよう。
レーニンの由来は、レナ川に由来するのか、レーナと言う初恋の相手の名前か、
確かなことはわからない。
スターリンは単純だ。説明しないがグルジアの名前より誤魔化しやすいし、カッコイイ。
>>879 は、白日夢であるが、ソビエト政権の存続こそが、70年間以上続いた悪夢かもしれない。
ナチスが、何らかの事情で継続していたらどうなっていただろうか。
フランコ政権の悪夢は、チリの軍事政権はどうだ。
そして、躍進する全体主義的中国はどうだ。
世界史は、悪夢の連続だ。カチンの森に死んだポーランドの将校は、未だに成仏はしてないな。
883 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 23:47:42 0
>>880 Троцкий(トロッキー)でカタカナ表記は良い。
実際は、Цの発音を自分流にしてどこが悪い。おれは ,100万回
トロッキーと発音している。それで、十分通じる。
お前が、教科書的馬鹿なんだ。
884 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 23:56:27 0
>>880 おまえがそんなに「トロツキー」のカタカナに拘るなら、以後、俺は、Троцкий
と表記する。それでいいんだろ。
<トロ売ってちょうだい!
(゚д゚ )
(| y |)
ト ( ゚д゚) ロ
\/| y |\/
( ゚д゚) 占
(\/\/
だめ。うらない。
(゚д゚ )
(| y |占
>>877-879 いくらなんでもIFを重ねすぎじゃないかw
確かに「スターリン以外の選択肢」をいろいろ空想するのも面白いけどさ
887 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 11:23:37 0
もし38年辺りにトハチェフスキーが軍事クーデターをおこして
政権を握っていたなら・・・
888 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 06:11:03 0
ぬこ、ロシア革命に関与 ─ レーニンの顧問格、映像の分析で判明 ─
1917年のロシア10月革命に、ぬこがレーニンの「ふところ刀」として関与していたことが判明した。
アメリカの動画共有サイト「YouTube」に10月革命当時のレーニンを記録したフィルムに人工着色したカラー動画が投稿された。
http://jp.youtube.com/watch?v=yXJfTN_LeaI 専門家がこの動画を分析したところ、1:57秒から2:07秒にかけて、ぬこがレーニンと密談している場面が写っていることが確認された。
ぬこはレーニンのテーゼ「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」で日和見主義的傾向を批判され、10月革命からは排除されていたというのが学界の定説だったが、これが覆された形となる。
各国の党派はレーニンの見解に基いてぬこへの賛否を議論してきただけに、今後は中国等の動向次第で国際政治情勢にも影響が及ぶ可能性がある。
この問題について猫政大学教授でソ連・ロシア政治史研究家の猫斗米猫夫氏は、
「映像を見る限り、ぬこはボリシェビキの幹部に復権して活動していたというよりも、レーニンの個人的な顧問格、いわば『ふところ刀』として、彼の腕の中で革命に関与していた可能性が強い。」
「今後はこれまでレーニンの批判に基いて葬り去られていたプレハーノフ等の見直しと平行し、10月革命におけるぬこの役割の再評価が学界の課題となるだろう。」
と語った。
889 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 21:16:28 0
>>898 「ぬこ」については、4月テーゼに反対しただけでなく、十月革命にも
否定的であったのにも拘らず、レーニンは、革命後も重用している。
レーニンのロシア革命への視角を考える重要な要素であろう。
890 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 22:10:09 0
内戦って白軍には勝ち目のない戦いだったの?
892 :
世界@名無史さん:2010/02/25(木) 00:20:09 0
ニコライ2世一家ついて思ったんだが
流石に共産党政権に拘束された後では無理だっただろうけど
国外への逃亡・亡命のチャンスは無かったのかな?
実史ではニコライ2世はイギリスへ亡命を希望したが
イギリスは自国に社会主義が蔓延することを恐れて拒否
その後ヴィルヘルム2世がドイツへの亡命を進めるがニコライ2世は拒否した訳だし
もしドイツへ亡命していればドイツか
或いはデンマークでマリア・フョードロヴナ皇太后と一緒に無事余生を暮らせたと思うんだが
仮にドイツへ亡命したらしたで
第2次大戦の時にニコライ2世がドイツ国内で死去したら墓がソビエト軍に破壊、荒らされないか?
生きていたらで西側に投降したのかも気になるが
893 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 19:35:18 0
>>891 白軍は言うなれば「寄せ集め所帯」
帝政時代の貴族や地主、将校などが中心
彼らの目的は帝政を復活させて
自分達の利益を守ろうとするのが目的
だから目的も手段もバラバラで作戦に統一感が無い
占領した地域で略奪を行ったから早々に支持を失う
逆に赤軍は良くも悪くも一枚岩
トロツキーの下でよく統率されていて士気も高い
しかも「これで負ければ祖国は失われる」という背水の陣だった
894 :
世界@名無史さん:2010/03/02(火) 21:44:22 0
本当に帝政派貴族だけだったら、もっとまとまってただろう。
白軍は帝政派、共和主義者、自由主義者など、反ボリシェヴィキの寄合所帯だったから、
まとまりがなかった。
895 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 07:52:28 0
三月革命で打倒された帝政を支持する勢力(貴族=地主、将校)
十一月革命で打倒された臨時政府を支持する勢力(資本家、自由主義者、共和主義者)
その他、ボリシェヴィキ独裁に反発する勢力や各民族の民族主義者
こういうのを全部ひっくるめた寄合世帯が「白軍」だからな。
専制主義からリベラルな自由主義、ロシア帝国再建から民族独立運動まで、
それこそてんでばらばら。
ちなみに白軍の主流となった勢力は、帝政復活には否定的で共和主義だった。
896 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 19:12:09 0
立憲民主党とエスエル右派の臨時政府がそのまま続いていたら、
おそらく現在のロシア連邦(プーチン政権)みたいな国になってたんだろうな。
ロシアはとんでもない回り道をしてしまったな。
897 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 05:21:08 0
本当にロスケは糞だな
898 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 06:58:35 0
エスエルって過激派なのか穏健派なのかよくわからん。
ケレンスキーってソヴィエト(労兵評議会)出身のくせに、
いつのまにかにブルジョワと連立して、ボリシェヴィキ弾圧してるし。
899 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 11:17:08 0
>>896 「不安定な臨時政府が長く続いても
いずれボルシェビキによる急進革命は避けられなかっただろう」
というのがソ連崩壊後の専門家達の見解
>>898 どんな組織にも穏健派もいれば過激派も居るだろ
ただそれだけの話
900 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 18:11:34 0
エスエル(とくに右派)は社会主義ではなく、
第三共和政のフランスみたいな自作農の多い共和国をめざしてたのかな?
ボリシェヴィキに乗っ取られる前の三月革命直後のソヴィエトってのは、
とくに社会主義ってわけじゃなく、戦争反対と食い物よこせで団結した、
単なる労働者と兵士の寄り集まり?
901 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 07:49:03 0
もともとのエスエルは単なるテロリストだし、左派はバリバリ社会主義者だろうが、
ケレンスキーとかの右派は西欧流の自由主義的民主主義国家をめざしていたのだろうか?
やはり、この時代でいえばフランスのような共和国を理想としていたのだろうか?
臨時政府は
死刑制度を廃止し
1日8時間労働を規定し
民主的な議会の開催も約束した
少なくとも後のボルシェビキと比べれば暮らしやすい世にしたことは確か
ケレンスキーもニコライ2世もそうだが動乱期でなければ
もっと評価されても良かった人物だと思う
ロシア内戦の流れについて学べる良書ないかな?
できたら、読みやすかったり面白いやつで。
904 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 12:34:16 0
臨時政府はもちろん、白軍の大半まで、実は共和派だったということは、
帝政やロマノフ家はどうころんでも復活の見込みはなかったってことだな。
905 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 19:22:19 0
歴史群像シリーズでロシア革命やってくれないかな
学研さん、ポマギーチェ!
907 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 22:19:47 0
帝政ロシア軍って、革命のあとどうなったんだろう?
あれだけの大組織がいつの間にかに消えてなくなってるのは不可解。
908 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 22:45:03 0
赤軍に吸収⇒粛清
909 :
世界@名無史さん:2010/03/08(月) 10:59:48 0
帝政軍は内戦の間にほぼ壊滅しただろ
コサックも赤軍やチェーカーにジェノサイドされたし
910 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 19:34:44 0
政府の正規軍としての旧帝政軍隊が消滅したのは、どの時期なんだろう?
当初、臨時政府は連合国の一員として対ドイツ戦争を継続しており、当然帝政軍隊は健在だったはず。
総司令官の任命とかも行われている。
コルニーロフが臨時政府に反乱をおこしたとき、ケレンスキーは赤軍に救援を求めたが、
このとき帝政軍隊は大部分、白軍として政府から独立したということ?
11月革命のとき、ケレンスキーは政府側兵力として士官学校生徒を動員しているが、
逆に言うと政府の手勢となる兵力は士官学校の生徒くらいしか残ってなかったってこと?
対独講和までの間、前線のロシア軍部隊はどこに忠誠を誓って従っていたの?
911 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:29:54 0
11月革命で成立したボリシェヴィキ政権に忠誠を誓ったとは思えないから、
ブレスト・リトフスク条約までの数か月間は、中ぶらりんな状態で対独戦やってたんだな。
912 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:53:30 0
本国で正統政府がなくなって、仕える主人もいないまま戦う軍隊なんて、
もはやただの軍閥勢力だな。
913 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 22:22:56 0
野良犬、狂犬とも言う。
914 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 22:24:34 0
ロシア革命から第二次世界大戦までの経緯をまとめた名著は有る?
915 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 13:15:18 0
>>912 だが、東部戦線の後始末をしたのはボリシェヴィキ政権のトロツキー外相で、
ロシア各地の白軍が一気に暴れ出したのは、この対独講和のあとなんだよな。
信じがたいことだが、旧帝政軍の将軍たちは、ボリシェヴィキ政権のもとで、
講和までドイツと戦ってたということなのか?
916 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 14:42:26 0
.:-=,一;ー,=;:、
ミ ゙ミ
ミ ★ ゙ミ
ミ;:=⌒ ⌒=:゙ミ
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 米露日印台で中国包囲網をつくるお!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
917 :
世界@名無史さん:2010/03/16(火) 18:09:10 0
1917年に2月(3月)革命がおこるまでは、
まがりなりにも皇帝のもとで帝政軍の組織と統制は維持されてたわけだが、
それがいつ中央政府の統制から離れて、革命派や白軍になったんだろう?
918 :
世界@名無史さん:2010/03/17(水) 18:03:03 0
コルニーロフの反乱のとき、大部分の司令官は反乱軍に荷担した。
ところがボリシェヴィキの息のかかった工作員が各部隊に入り込んで、
首都に着く前にほとんどの部隊は内部から崩壊した。
国内の軍隊はこんな感じで、四分五裂、雲散霧消したんでは?
結局のところ、ボルシェビキが他の諸勢力を打倒出来たのは
軍事的な優位に立てたからなのか。
兵器供給の点からして、ペテルブルクが本拠地だったのが原因か?
トロツキーって軍事的才能あったの?
アジるのが上手かっただけ?
921 :
世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:17:22 0
922 :
世界@名無史さん:2010/03/29(月) 12:59:55 0
そもそもロシア革命は
ロシア国内を混乱させて日露戦争の講和条約を
有利にするため仕組まれたもの
第一次世界大戦でもドイツが封印列車で
レーニンを送り返したし
日本だけがやっていたわけじゃない
トロツキーもロックフェラーだかロスチャイルドだかから
支援されていた説もあるし
『蒼ざめた馬』
を買ってしまった…
このサヴィンコフって人は
十月革命のとき何してたの?
恋愛と爆弾と、聖書と拳銃しか
出てこない小説なんですけど…
これはノワールか?
党とか思想とか全て下らねぇって
スタンスだしアナーキストですら
ないよなこの人、何も信じてない