1 :
世界@名無史さん:
面白いかもしれない
2 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 14:56:22 0
いくつ半島スレを立てりゃ気が済むんだ!?
3 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:00:48 0
4 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:01:22 0
親明派のリーダー=李成桂
5 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:02:17 0
6 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:03:58 0
7 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:15:21 0
元の皇后・奇氏は倭寇を雇って高麗に侵攻しようとしてたらしい。
8 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 18:28:09 0
阿只抜都が最強
岡田英弘によると李成桂はオランケ
10 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 19:30:58 0
李成桂の即位前についておせーて
このとき(高麗の恭愍王が一三五六年にクーデターを起こした時)、
双城(咸鏡南道の永興)にいた李ウルス・ブハという女直人の酋長が高麗に降伏した。
この李ウルス・ブハの息子が李成桂である。李成桂は、高麗軍に入隊して、武勇で名を知られ、
一三六一〜一三六二年の紅巾軍の高麗侵入のとき、奮戦して敵を撃退した。
【出典】『皇帝たちの中国』原書房(1998年)p176
12 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 19:59:33 0
紅巾賊ってなんでまた半島までいったんだ?
紅巾軍は「流賊」化して略奪してしのぎながら
あてもなく移動してたんじゃないの?
それにモンゴル帝国下では高麗は優遇されてたから
そこいけばとりあえずお宝があるとでも思ったか。
14 :
世界@名無史さん:2005/10/05(水) 01:21:15 0
そこで洪武帝サマの出番ですよ
李成桂の部下の「豆蘭」てのも半島人ぽくない名前だよな。
ただ当時はモンゴル風の命名が流行していたから名前だけでチョンじゃないとはいいにくいんだよな。
17 :
世界@名無史さん:2005/10/05(水) 18:21:42 0
当時の高麗王家は大元蒙古国の外戚で、歴代王はみなモンゴル名をもっていた。
官吏もみなモンゴル服を着て髪型は開剃(辮髪)にしていた。
李成桂がクーデターを決意したのも王命で明の攻撃に向かっていた時だ。
>>14 洪武帝が国号を「和寧」に決めてたら
今頃「和人」の呼称をめぐってもめてたかも。
19 :
世界@名無史さん:2005/10/06(木) 06:32:50 0
日本人は倭人でしょ
逆だ。倭人が日本人なんだよ。
21 :
世界@名無史さん:2005/10/06(木) 18:40:51 0
ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ <耽羅馬2000頭の朝貢はまだか?
22 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 00:04:16 0
李成桂の息子たちがやたらと争ってたのも騎馬民族の血のなせる業か。
血筋的には女真だから騎馬民族というのは微妙。
24 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 00:58:21 0
ツングース系も長子相続のようなルールはないんでない?
そうだね。狩猟民族って言う方が正しいな。
あと、時代を限定するのだったら、新羅末高麗建国期(後三国時代)
の方が面白いかもな。
ロクジョク夫人とか
李成桂の面白いエピソード無い?
>>27 息子たちの後継者争いに嫌気がさして故郷に隠遁した話とか。
そういう時は紅衛兵集めて文化大革命とかするといいよ
このスレで万暦朝鮮軍役以降はスレ違いでつか?
31 :
世界@名無史さん:2005/10/09(日) 10:44:17 0
チョンの歴史つまんない。 在日ども糞スレたてんな
半島に帰れ!
32 :
世界@名無史さん:2005/10/09(日) 10:57:05 0
崔瑩将軍も語ってください
35 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 11:20:07 0
>>27 弓の達者で敵将の兜を矢で射落としたとか。
>>34 済州島にいた牧胡(元の残党)を掃討したのは彼ですね。
36 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 11:46:00 0
羅加温
39 :
世界@名無史さん:2005/10/11(火) 13:56:46 0
恭愍王の時代に偏照という僧侶が国政改革をやろうとしてたけど
この頃はまだ仏僧も賤民扱いされてなかったのかな。
高麗王家だってもともと盗賊の親玉。
41 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 07:21:44 0
天皇家だってもともと韓半島の王族
42 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 10:05:31 0
王建は盗賊っていうか、弓裔の反乱軍に加わった地方豪族だ。
宗主国と違ってアウトローが天下を取るほど社会が複雑化していなかった。
崔瑩は李成桂なら女真族に顔が利くと思って遼東に侵攻させたらしい。
>>43 王建は地方豪族の出身じゃないでそ。本人は成り上がり。
>>41 嘘はどんなに言い重ねても嘘にしかならん。
嘘で塗り固めた人生を送るチョンは消えなさい。
>>45 山川の「朝鮮史」では「王建の一族は代々松嶽(開城)の豪族」と書いてました。
王建のボスの弓裔は坊主だったというから朱元璋みたいなもんでそ。
49 :
世界@名無史さん:2005/10/15(土) 13:15:22 0
凌遅三千刀滅九族!って朝鮮にもあったの?
>>49 宗主国様にならってウリ刑制にも取り入れられたが
野蛮な日帝に禁じられたニダ
伝統ある刑罰法を取り上げた日帝はやはり非人道的ミンジョクニダ
朝鮮の刑法は明律を適用していた。
凌遅処死の他に斬首刑や絞首刑もあったらしい。
滅九族はやってなかったと思うけど。
52 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 17:00:37 0
>>9 女真出身だろうが何だろうが、李成桂と名乗ってチョン化している以上チョンだ。
高麗史を調べたいんだが、「高麗史」「高麗史提綱」「高麗史節要」てそれぞれどういう位置づけになってるの?
どれから手をつければいいのかわからん。誰か教えてくれ。
>>55 ありがとう。
「朝鮮史」の高麗のあたりは既に読んだけど、高麗期の記録ってあんなに少ないの?
日本史と比較しても文献なさすぎの印象を持った。
57 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 14:31:33 0
>56
台湾よりは上だけど、ベトナムと同レベルかね。
58 :
55:2005/11/08(火) 12:14:19 0
>>56 『朝鮮史』はあくまで抜粋だが、それでなくても高麗は史料少ないよ。
まだまだよくわかってないテーマは山ほどある。
従って、ネタによっては日本史料や中国史料を当たることになる。
あと脳内補完。これ重要w
193 :世界@名無史さん :04/12/10 00:39:24
李朝実録に頻繁に登場する、羅加温という倭寇の頭目は
どういう人物なんですか?
>>58 やっぱりそうなんだ。
日本史では「朝鮮史」に相当するものとして「大日本史料」があるけど、史料豊富な李氏朝鮮にしてからがせいぜい戦国時代までと同程度しか史料がない。
日本の場合、江戸時代以降史料が急増するわけだが、朝鮮にはそういうことがなかったんだろうか、、、
>>57 ベトナムはレ・ロイあたりから急に多くならんかね。
「高麗史提綱」って宋時烈とかいう狂人が編纂した本じゃなかったっけ?
だとしたらウソばっか書いてあるに違いないから気をつけろ!
64 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 23:03:01 0
そう馬鹿にするな
まずは読んでみろ
そうだな。読んでみるとするか。
ハングル
67 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 14:24:22 0
李家の女真の血をとやかく言う者はいなかったのでしょうか。
オランケにはさんざんな目に遭ってきただけに相当反発があったんじゃないかと。
女真族どころかウイグル人の両班の家系までいたらしいよ。