126 :
世界@名無史さん:
チェーザレ・ボルジアが陥落させたファエンツァの
青年領主はアストッレ・マンフレディ(16歳)ですが、
その折りに彼と一緒に捕虜となったアストッレの弟は
何という名前なのでしょうか?
その後、この兄弟は揃ってティベリス川から屍体となって
発見されたのでしょうか?
>>126 その質問の仕方は、答えを知っている人が知らない人に問いかけるやり方だね。
ぼくは、あなたのようなタイムトラベラーじゃないから分からないよ。
ずるいなあ。ぼくも不思議な少年とかになりたいや!
>>126 は
>>38 さんと同じですね。
>>41 でも言ったように間違えた知識を前提とした質問は困りものです。
まず、間違いを訂正しなければなりません。
陥落させられたのは、現在最弱F1チームの本拠になっているファエンツァではなく、
コンスタンティノプールです。また、陥落させたのは教皇の息子:チェーザレではなく
メフメト2世であり、殺されたのはコンスタンティノス11世です。
まず、この間違いに気づいて下さい。
そして、当然のことながらモレア専制公を継ぎその場に居なかった弟は殺されておらず
デメトリウスはオスマン帝国に臣従し、トマスはイタリアに亡命しています。