1 :
世界@名無史さん :
2005/09/04(日) 09:38:02 0 皆さんどう評価するでしょうか? なかなか難しい問題だと思います
単なる戦争忌避と捉えるか、軍備を整えるまでの時間稼ぎと考えるかで 随分、印象も変わってくるね
チェンバレン自身は単純に前者だった気がするな
4 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 13:36:25 0
なんでポーランドに手え出したらあかんかったの? あこが境い目やろ
>>3 イギリスの軍備が整っていない以上にドイツの軍備は整ってなかったからな。
結果論で言えばラインラント進駐時に戦争を辞さずとの姿勢を示していたら
その後の流れは大きく変わったろうな。
当時の英仏にはなにかドイツに負い目があったのでないかと思う。 結果的勝敗の差こそ違え、 戦後日本が中国に対して抱いた負い目や卑屈感漂う賞賛振りが重なる。
反共の壁になってくれることへの期待感も大きかったんじゃないかな
例え、対独戦争に勝っても世界の覇権を失うと言う悲観論が 当時の英政界を支配していた。
20世紀早々から没落が既定路線として語られていたよね>大英帝国 今日の本朝も我が身だ・・
イギリス首脳の戦意の薄さもそうだけど 当時のフランスは輪を掛けて弱気だったからな。 足を引っ張りすぎ。
ミュンヘン会談もヒトラー(独)、ムッソリーニ(伊)、チェンバレン(英) あともう一人は誰だっけ?とテストで悩む確立は高い
12 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 20:09:04 0
その後世界中の好戦派の言い草になったな 「ミュンヘンの二の舞になるぞ!」
今の対北朝鮮六カ国会談なんか事あるごとに 「ミュンヘン会談の二の舞」と言われているが?
14 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 21:17:46 0
やはりラインラント進駐の時点でガツンと強気な態度に出なけりゃいかんかったのかな ヒトラー自身が「あの時はビビって小便チビりそうだった(意訳)」って言ってるくらいだからね まあこれはイギリスもそうだがフランスが国内のゴタゴタでヘロヘロになってたからってのも大きいが しかし大戦間期と第二次世界大戦はフランスは本当に影が薄いね
15 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 07:02:29 0
その割りに戦後は戦勝国としてデカイ面してるしね こんなことになるならド・ゴールだけでもダンケルクでブチ殺すべきだった
16 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 12:57:17 O
今で言えば尖閣諸島みたいな。
17 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 17:17:28 0
ヒトラーからすればラインラントもチェコとスロバキアもOKだったんだから ポーランドも大丈夫だと思ったのかな イギリスとポーランドは片務の保障条約があったんだよね、確か でもこの時期のポーランドはドイツに対して一歩も引かないというか異常に強気だよね
英仏が軍事介入してくれると信じていた>ポーランドの強気。 だが他力本願の結果があれ。 歴史のいい教訓。
当時のポーランド外相ベックは策士策に溺れるの典型のような人物 やはり自分の身は自分で守らなければならないという教訓だな イギリスも己が一番大事という当たり前のことを徹底していたとも言える でもチェコは気の毒だけど
仮にドイツがポーランド侵攻したと同時に イギリスが海上封鎖してフランスがマジノ線篭城放棄して ライン川渡河したら、ナチス政権は崩壊したかも。
ポーランド侵攻後もイギリスは爆弾落とすことよりもビラ撒きの方に熱心だったし ヤヲ試合にも程がある
戦争も外交もパワーバランスの調整過程と考えると、 当時の国力に見合った勢力範囲を外交的に認めれば戦争が起きなかったような気がするが、 ドイツがポーランドまで取りにいったのは欲張りすぎだったのか、 それともポーランドまでは認めてソ連に向かわせた方が得策だったのか。 正直、スターリンに妥協してヒトラー叩くのも、ヒトラーと妥協してスターリン叩くのも、 どっちがより悪か、率直に言ってよくわからん。 (とか欧米で言うと総叩きか)
23 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 14:24:11 O
ヒトラーがチェコを併合した後のチェンバレンのラジオ演説での 落ち込み振りは他人事ながら気の毒になる
24 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 08:15:54 0
>>22 初めからソ連に向かっていればっていう仮定はよくされますが、それでドイツは
ソ連に勝てただろうか
ポーランド通過を英国が認めれば、米国からソ連への援助も無いことになるから
ソ連もかなり苦しい戦いになるでしょうが
しかし独ソ戦の鍵はドイツよりもソ連内部にスターリンを打倒しようという気合の
入った奴らがいるかというところが大きいと思うな
スターリン体制が磐石ならシベリアまで後退しても降服しなさそうだし
.
26 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 10:42:22 0
イギリスはドイツのポーランド侵攻の狙いも戦力規模もすべて諜報部 で逐一知っていながら、防共の防波堤の国粋主義ドイツと共産主義ソ 連が相食み相殺してくれる事を願っていたので、なかなかポーランド の支援要請には返答しなかった。 そもそもドイツを増長させたのはチェンバレンの優柔不断にあったの だ。
やっぱり、WWIでの戦後処理が失敗したんだろな。 特に東ドイツが、分断された事はポーランド侵攻の要因になった。 その負い目がチェンバレンの優柔不断に繋がったと思う。
28 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 13:53:09 0
フランスも第一次世界大戦の教訓からマジノ線なんてアホみたいに巨大な要塞群を 高い金を掛けて作ったもんだから、意地でも使わなきゃ勿体無いっていう考えに捉われたのかね 目的と手段が逆転してしまってるよな 旧日本軍が高い金かけた大和が沈むのが勿体無くて出し惜しみして有効に使えなかったのと 似てるね
>>28 「手段」の否定は「目的」の達成が不可能であることを認めなければならないからな。
これまた当時の日本とよく似ている。
30 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 20:57:39 0
第一次大戦後の英仏は、第二次大戦後の日本のように盲目的に全ての戦争を忌避するという 考え方になってしまってたんではなかろうか 欧州ではその夢から覚めさせる二度目の大戦が数十年後に来たわけだけど 日本ではいまだにその夢を見てる人達も多いわけで まあどちらがいいとか悪いとかは一概には言えないけど
31 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 22:15:15 0
ヒトラーはポーランド領を要求してない。 あくまでも、ダンツィヒ地方の返還だ。 ダンツィヒは、国際連盟管理下に置かれていたので あって、そもそも最初からポーランド領じゃない。 もともとドイツの領土であって、ダンツィヒ住民の96%はドイツ人。 今の日本の北方領土返還要求より、正当な外交だと言える訳。 フランス、イギリスが文句をつけられないのは当然。 ダンツィヒ市におかれていたすべてのポーランド側事務機関は 防護用の強化壁、鋼板でかため、要塞化していた。 職員もすべて軍事教練を受けた予備役兵からなっていた。 これは、明らかにポーランド側の国際法違反。
32 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 08:12:29 0
やはりヴェルサイユでのやり方のまずさが起因なのかな
ポーランド回廊と飛び地のドイツ領なんて不自然すぎるからな
>>31 当時のポーランドはともすればドイツを挑発してるともとれる行動にでてますね
これにはポーランドと保障条約を結んでいたイギリスも頭を抱えていたようです
ポーランドは強気の外交をしなければ、せっかく掴んだ独立も失ってしまうという
脅迫観念があったように思える
33 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 20:53:34 0
当時はポーランド陸軍は結構な力を持ってると認識されていた ドイツ兵にもポーランド軍と戦うのを恐れるものが結構いたという話 まあ結果はあの通りなんだけどね… フィンランドみたいに地形的な有利も無い、だだっ広い平野でまともな 機動力をもった部隊が騎兵と自転車ではどうしようも無いとも言えるが 陸軍の規模だけは大きかった
当時のポーランド軍の主力はナポレオン時代と変わらぬ 槍騎兵じゃなかったけ? そんなんで機械化されたドイツ軍とまともに渡り合えると思い込んだ ポーランド政府首脳の頭の中が見てみたいものだ。
ポーランドは総兵力100万の陸軍を有していた でも全て動員する以前にドイツの電撃戦で各個包囲殲滅されてしまった ポーランド騎兵が強いというのは当時の欧州人には共通の認識だったけど ポーランドにとって強力な機械化部隊による電撃戦なんて想定の範囲外だったんでしょう あとポーランドも一応戦車は持ってました とはいっても豆戦車でドイツの化け物戦車相手には勝負にならないんだけど
結局、夜郎自大で他力本願のポーランドが悪い。 さらに、それを煽った英仏も悪い。
37 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 21:30:17 0
>>35 とはいっても豆戦車でドイツの化け物戦車相手には勝負にならないんだけど
当時のドイツの戦車も二号戦車装備だったりする訳だが。
>>35 ポーランド軍も局地的には結構奮戦してドイツ戦車部隊に大打撃を
与えているよ。
39 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 21:34:16 0
ドイツとの密約でソ連にも東部を併合されてしまってるし まるで第四回ポーランド分割ですね しかし大戦後のソ連の巨大化と西欧諸国の疲弊ぶりを考えると ポーランドすら見捨ててドイツとソ連の開戦を待ち、共食いを 狙うという判断もあったのではないかと考えてしまう そう都合良くはいかないかもしれないですが難しいところだと 思います
40 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 22:08:22 0
>>39 モロトフ・リッペントロップ協定は1939年の8月23日。
ポーランド開戦は9月1日。
つまり、開戦のぎりぎりまで、ドイツ側はポーランドとの和解を
望んでいた事になる。
悪いのは、最後まで突っぱねたポーランドなのは明らかだ。
つまり誰もあんな大きな戦争になるなんて思ってなくて、ドミノ倒しの様に あれよあれよという間に大戦争になっていったってことか 第一次大戦と同じということか
つまりフィンランドのスキー兵最強ってことだな
対ポーランド戦、対フィンランド戦とヘタを打ち続けたソ連をみたら、 総統が簡単に勝てると思うのも不思議ないよな。 自分でもそう思うw
45 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 20:58:06 0
実際、戦争自体は、結構良い所まで行ったし 冬将軍さえなければ、、。 ドイツが勝っていれば、日本も おこぼれに預かっていたのに。 ソ連の極東地域とか、ドサクサにまぎれて 日本の領地になってると思う。
46 :
世界@名無史さん :2005/09/17(土) 11:11:31 0
そもそもモスクワが堕ちたからといってソ連が降服するかね スターリンに権力がある限り、後退を続けて戦いつづけるんじゃないかな まあモスクワ陥落をきっかけにスターリンの足元がぐらつく可能性はあっただろうけど ポーランド情け無いという話題は結構あるがドイツと戦って降服した国の中では 結構頑張ったほうじゃないのか
47 :
世界@名無史さん :2005/09/17(土) 15:14:45 O
情けないのはフランスだよ イギリスの宥和政策は結果を見れば修正的な評価もできるが 一緒になって宥和政策をとったフランスの場合は単なる失策でしかない
48 :
世界@名無史さん :2005/09/19(月) 07:16:47 0
フランスはヴェルサイユの時にアルザス・ロレーヌだけにしといて ルール地方に進駐しなければ少しは結果は変わってただろうか 少なくともドイツはあそこまで酷いインフレにはならなかったんじゃないのか
49 :
世界@名無史さん :2005/09/21(水) 19:08:48 0
勝ちすぎるのも良くないってことか 元をたどればヴェルサイユでドイツ帝国成立宣言なんてやってしまったとこまで さかのぼってしまうわけか
50 :
世界@名無史さん :2005/09/21(水) 22:09:11 0
559 :世界@名無史さん :2005/05/31(火) 01:58:13 0
>>506 >そもそも、ブンデスバンクの成功例を持ってそれを真似して作ったのが
>ECBでしょうが。
対照的に戦前のドイツの中央銀行ライヒスバンクはブンデスバンクよりも
遙かに高い独立性を有していた。
ライヒスバンクは説明責任もなければ、対象者の異議申し立て権も認めない
過剰な独立性を有していた。
ライヒスバンク統治下のドイツは歴史上最悪のハイパーインフレや大恐慌を
経験した。
ワイマール共和国崩壊の原因となった経済的な不安定さは戦勝国の理不尽な
要求だけが原因ではなかった。
少なくとも同じくらいの責任が説明責任が無く過剰な権力を持った中央銀行
だった。
欧州中央銀行はブンデスバンクよりも遙かに独立性が高い。
説明責任を持たなかったライヒスバンクにそっくりであり危険というほかない。
51 :
世界@名無史さん :2005/09/22(木) 09:38:26 0
>>45 日本が領土とったからって
お前に何かいいことあるのか?
52 :
世界@名無史さん :2005/09/22(木) 21:41:33 0
あの頃の英仏はよほどのメリットが無い限り積極的に戦争をやろうなんて気分にはなれないだろう ましてチェコやポーランドの為にどれほどモチベーションが上がるだろうか その点、ドイツは復讐心に燃えてただろうしな
>>51 エネルギー危機とか、万が一の時にオコボレに預かれる可能性が高まる。
安定したモノが豊な時代には役に立たないだろう。将来は分らないけどね。
54 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 18:59:43 0
>>52 英国民全体がもう戦争はコリゴリ状態だった時に殺る気満々のチャーチルは
相当浮いていたんだろうな
戦争に勝っても選挙でまけてるし
戦争する為に首相になったような男だ
ロンドン空襲で一時的に英国民の戦意が向上したけど、 勝利を確信した大戦末期になると掌を返してチャーチルを蹴落とす。 さすが大英帝国。
そのへんのブリテン野郎のバランス感覚はさすがだな
チャーチルは戦争以外では使えないやつだからしょうがない。
58 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 19:35:54 0
「チャーチルは戦争屋だ」byスターリン ちなみにスターリンは「チャーチルは不思議なほどヒトラーとその一味に似ている」 とも言っている 前の発言はまだいいが後の発言はさすがにチャーチルもお前に言われたかないと 思っただろう
>>58 それは鉄のカーテン演説に対するスターリンのプラウダでの論評だな。
自分の所業も十分自覚していたにも関わらず 政治的デゴマギーのためならシャーシャーと開き直りもする。 政治家には不可欠な要素。
61 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 10:10:55 0
チャーチルはダータネルス作戦やノルウェー作戦の失敗があっても政治生命を 失わずに、しぶとく生き残ってるね 確かに自分の事を棚に上げて相手を批判することができないような奴に政治家は 無理だろうな
>>60 の
「デゴマギー」はデマゴギーの間違いでした。
と、自己批判するようなのは被支配に身に甘んじなけれならない。
イギリスが香港から去る時に「俺達が立派に育ててやった」的なコメントを 残して堂々と去っていったのを思い出した やはり政治・外交の世界はそれくらい図太くないといかんな しかしチェンバレンの前フリがあってこそのチャーチルという気もする 初めからチェンバレンがチャーチルのような態度に出るのは当時のイギリスの 世論からして無理だったろう 当初は圧倒的にチェンバレンのやり方に支持が集まってたわけだし
64 :
昔はロンドン生まれ :2005/09/25(日) 08:10:59 0
ロンドン生まれで老後はオーストラリアで過ごしたいって思ってたよ。 イギリス人に生まれたかったって思ってた。
イギリスはフランスのルール占領には反対したんだよな イギリスはギリシャ権益がらみでトルコと対立していたが、フランスは 対ソ連への牽制にはトルコは不可欠なパートナーと考えていた イギリスがトルコ相手にダーダネルスで苦戦してる時に、フランスに救援を 求めたが上のような理由でシカトされてしまった ドイツのラインラント進駐の時にイギリスがあまり関与しなかったのは このことがあったからとされている 英仏は大戦間期もいがみあっててその隙間をドイツにつかれてしまったとも言える
66 :
ロンドン生まれ :2005/09/25(日) 10:05:53 0
ドイツとイギリスこの先どっちが? 最近、英国の方が元気あるが・・・・
>>63 香港返還って、中国政府が香港にとって不可欠な新界の
期限返還を強行に要求したから成功したんだよ。
(香港・九龍・・イギリス固有の領土 新界・・・租借地)
サッチャーが人民大会堂から出てくるとき倒れ掛けたくらいだから、
本当は不本意な返還だったんだろうな
68 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 19:45:36 O
共通の敵がいないと英仏が仲良くできるわけがない ルール進駐の時も英国民はドイツに対して同情的だった
69 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 08:28:58 0
>>65 お互いの不信感から下したラインラント進駐黙認という決断が致命的なものに
なるとは思ってなかったんだろうな
イギリス保守
の保守
72 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 12:49:20 0
イギリスがナチス・ドイツと戦わなければ、大英帝国を保持することはできた? その場合、独ソ戦にも影響を与えそうだが。
73 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 17:48:38 O
イギリスがドイツと戦わないをじゃアメリカ参戦もない その場合日本にアジア分捕られるのはほぼ確定的だが そんなおいしい展開で日本がアジア諸国を独立させてやるとはとても思えない アジアの独立運動がないならアフリカは押さえられるだろう
そうさなぁ、支那をめぐって米英独VS日本+ソ連もありえたかも。 思いつきだけど。
ドイツは当時、日本と国民党双方に肩入れしてたからな。 支那への野心も見え隠れしていた。
76 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 20:33:41 0
以前、イギリスの歴史学者(名前は忘れた)がヒトラーと講和する方法もあった、 と主張していたが。
実際、ヒトラーは大英帝国の権益を保障すると言っていたし そんな楽観論唱えた学者識者も珍しくなかっただろ。
シンガポールに6個師団送って大英帝国を守ってやるから仲良くしようとか持ちかけてたな。
79 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 21:08:06 0
英独が講和してれば、ドイツはソ連に勝てたんだろうか?
>>79 日本がウラジオストク抑えて米ソの援助ルート遮断すれば
可能性大。
81 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 21:47:00 0
>>80 そしてソ連に勝利したドイツは、今度は英国に対して牙をむくと…
>>80 日ソ不可侵条約がございます。
日ソ関係が史実どおりだと、共倒れだと思いますが。。
>>81 ソ連を攻撃した理由が英国との講和なんだが。
当方に生存権を確保して英国が講和に応じればひ〜さんの野望はほぼ成就。
別に英国を攻撃する必要はない。
大衆に勝利の果実を分配するのに忙しくなると思うんだが。
83 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 22:25:49 0
>>82 ということは、英国はドイツと講和していたほうがトクだったのか?
>83 後知恵だと独ソが傷つけあっているのを傍観して適当な口実で講和するのもありかもね。 でも、その当時の人間にヒトラーの行動を予測するのは無理げだし、空想でしかないと思うが。 現実的にはやはり徹底抗戦が正しいと思う。 後知恵世界史ヲタ嫌いのたわごとでした^^
イギリスがおいしい所持っていくとして、その場合レイプされたフランスを 誰が慰めてあげるんだ
86 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 22:58:52 0
>>85 いや、フランスがレイプされたと言い出したのはドイツが負けてからだって。
フランス人のことだからドイツとフランスの協力が新しい世界秩序を構築したうんぬんと
知っている限りの形容詞を動員して宣言すると思うんだけど。
87 :
世界@名無史さん :2005/10/25(火) 18:47:35 O
世界帝国を維持するて前提で講和はありえん アジアあたりの意味わからん僻地ならともかく 欧州でポーランドほどの規模がある国家への 保障条約も完遂できなた国家が世界帝国なんてやってけるか 中華帝国でいえば治安維持の放棄にも等しい
88 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 20:26:02 0
ポーランドに対して保障条約結んでしまってるからね ドイツを牽制するつもりもあったんだろうけど、それによってポーランドが思いのほか 調子に乗ってドイツを挑発し始めてしまったからな イギリスとしてはポーランド空気読めよの思いでいっぱいだったに違いない
89 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 22:06:27 0
>>88 ポーランドは1920年のソビエト・ポーランド戦争に勝ったせいで
意気軒昂だった。
もっともこのときはフランスの援助があったけど。
90 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 07:15:41 0
ヒトラーはフランス戦の直後まで本気でイギリスと同盟する事を考えていたみたいだね。 当初、ナポレオンの愚を起こす気はさらさら無かった。 和平の打診を何度も行なったけど、チャーチルが旧フランス艦隊を攻撃するわ何やら好戦的で、 空の戦いに突入・・。 さらに、イタ公のアフォのおかけでアフリカやバルカンにも戦力を分散させてしまう始末w
91 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 10:40:10 0
>>90 地中海的要素を持つフランスと違って、イギリスはゲルマン系の国
だったからね。
ちなみにリッベントロップは駐英大使時代、イギリスのメディアから
さんざんこきおろされていた。
というかリッベントロップをほめる奴なんていたのだろうか 厚顔無恥が服着てるような男じゃないか
93 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 12:37:28 O
ロシアってなんかデータ上の数値だけは強大だけど 冬将軍閣下に他力本願しないでまともに勝った戦争って全然なくない? 特に同格以上の相手に勝った戦争がひとつもないょうな そんなロシアが更に弱体になった姿であるソ連に勝って ポーランドはさように誇らしかったのか
94 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 13:56:45 0
>>93 日露戦争のときの日本と同じじゃないの?
イギリスの助けがあってやっと勝ったにもかかわらず、
国民は自力で勝ったと思い込んだ。
95 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 14:23:30 0
>>94 日本は破産寸前だったのにもかかわらず、講和条件に不服で暴動を起こしていたからなw
当時の政府は極めて理性的に判断していた。
・・その後、誇大妄想気味に軍部が暴走したのはアレだったが・・
96 :
世界@名無史さん :2005/10/27(木) 15:21:09 0
エドワード8世(ウィンザー公)は、母であるメアリー皇太后がドイツの公女 だった関係で親独派だった。 ただし、英国内の親独派と呼ばれる人々は、現実の政治にはほとんど影響力が 無い人々だった。 ヒトラーとリッベントロップはそこを見誤っていた。
97 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 04:21:39 0
>94、95 当時の政府が国民に破産寸前だってことを隠していたからね。 隠した理由は国民やマスコミに公表すると相手のロシアに日本が、 破産寸前だとばれて講和してもらえなくなるのを恐れたからだけど。 ロシアがそのことが分かれば戦争を続ければ日本に簡単に勝てると思うからね。
98 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 17:14:07 0
宥和政策について、ドイツに対抗できる戦力を再建するための時間稼ぎの 一面もあったと弁護する意見もあるね。
その見方も確かに正しい面はあると思う でもラインラントの時点で英仏協調して一発強硬な姿勢を見せていれば あそこまでの大戦争は回避できたんじゃないかという考え方もある 確かイギリスの兵器生産のピークはその時点では一・二年後になるはずだった らしいから時間稼ぎたかったのも事実だろうね でも見殺しにされたチェコは気の毒としか言い様が無い
100 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 21:17:01 0
>>99 ドイツ軍がラインラントを占領したとき、ポーランドはフランスに、そちらが
出兵するならこちらもドイツに進攻し挟撃する、といったが、フランスは
応じなかった。
ところで、ヒトラーは、もし独英同盟を結べるなら、インドが日本に
攻撃された場合、ドイツ海軍をシンガポールに派遣してイギリスを支援する
と申し出たけど、イギリス側では誰もこの案を本気で検討しようと
しなかったの?
>>98 イギリスの軍備が整っていない以上に、ドイツの軍備は準備不足だった事を
考えればその点でも失敗。
102 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 21:27:17 0
確かドイツは、チェコの軍備をそっくりそのまま手に入れたので、 ポーランド侵攻ができたんじゃなかったっけ。
103 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 21:31:04 0
>>96 >メアリー皇太后がドイツの公女
>だった関係で親独派だった。
メアリ・オヴ・テックは英国生まれの英国育ちですが何か。
それを言うなら英王室そのものがドイツ系。
>>100 >攻撃された場合、ドイツ海軍をシンガポールに派遣してイギリスを支援する
海軍じゃねえょ。陸軍六個師団だ。
105 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 00:29:45 0
>>104 もし実現されてたら、日本とドイツ軍が対戦していた訳か・・
マレー派遣軍山下大将vs独東洋派遣軍団マンシュタイン大将。
・・完敗してただろうな、日本。
106 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 00:34:00 0
いや、クルーゲかクライスト辺りか?
107 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 00:34:21 0
>>105 東南アジアのジャングルで、ドイツ軍がどこまで戦えただろうか?
108 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 00:42:41 0
>>107 後のベトナムでちゃんと戦えてるからなんとかなるんじゃないかな?
一号戦車はチンピラごろつきだから惨敗はしないと思う。
英独同盟があったらシンガポール攻略自体が存在しないけど。
110 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 00:47:26 0
日本が中国を好きなように引っ掻き回す、というシナリオに なるのかな?
111 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 00:50:15 0
>>108 ドイツは戦車自体の能力よりも運用能力で勝っていた訳で。
しかも日本の頭上にはシュトゥーカのサイレン音。
そもそもドイツとイギリスの連合軍がいるマレー半島に上陸する事さえ出来ない気が。
ドイツと戦ってない状態の英国海軍だったら、マレー沖にわんさか戦艦が並んでいそうだしw
確かにそうかもしれないがスツーカくらいは何とか蹴散らせるだろ
英独両方を敵に回したら正に孤立無援だよな>大日本帝国 国際情勢が余りにも悲惨すぎて 個別の戦闘での戦績をシミュレートする気にもなれないよw だが、ドイツと英国の関係は、一貫してドイツの片思いというところがある。 ドイツは同族の好なのか英国に妙な思い入れがあるらしく 歴史の端々にそれが見え隠れするが 島国で海洋国家的気質を持つイギリスは いかにも大陸的なドイツに対しては根源的なところで反りが合わない。 結局常にイギリスがドイツを袖にし続ける関係なので ヒトラー政権の親英気質は相互関係としては無意味に近いジャマイカ。
114 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 20:47:39 0
>>113 そこまでいったらさすがの日本もあきらめたんじゃないのかなあ。
それともあの当時の日本国内の熱狂的な雰囲気ではそれも無理?
でもイギリスのことだから中国を英独米日で分割する調停案とか
出してきたりして。
115 :
世界@名無史さん :2005/10/29(土) 22:09:22 0
日本は同盟国であるドイツが欧州で勝ちまくってて、欧州に新秩序が構築されると 確信してたから対米への決戦に踏み切った面もあるからね ドイツと英国が結んでたらアメリカの嫌がらせにも忍の一字で耐えたんじゃないかな しかし日本が対米開戦したのとほぼ時を同じくしてドイツがスターリングラードでの 敗北が決定的になってるのは皮肉としか言いようが無い
>>115 スターリングラードは1年後だよ。
それを言うならモスクワ。
117 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 09:29:37 0
>>115 ・・と言うか、ドイツがモスクワに最も近づいたのが12月上旬で、
日本の開戦時には撤退し始めていた。
日本は間が悪いと言うかなんと言うか。
ドイツが分が悪いと言うことは、11月下旬にはモスクワ大使館付きの武官も知っていただろうに・・
どうせ頭ごなしに日本では無視されたんだろうけど。
118 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 10:43:44 0
このスレとは直接関係がないけど、イギリスはアミアンの和約で、 ナポレオンが自由貿易の原則のもとに、イギリス製品に大陸市場を 開放するなら、ナポレオンのヨーロッパ支配を認めようと考えた。 でもナポレオンはフランス製品を守ろうとしたので、大陸封鎖令まで 突き進んでいく。
ロシアとドーバー海峡は鬼門だな
120 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 12:58:40 0
146 :世界@名無史さん :2005/09/28(水) 20:54:25 0 「グレート・ゲーム」のせいで、英国とロシアは常に対立していたような イメージを持っている人がいるが、両国は欧州外では激しく争っても、 欧州大陸に強大な統一勢力が出来そうになると、共同してこれを阻止 していきた。 (ナポレオン時代、第一次世界大戦、第二次世界大戦など)
チェンバレンじゃなくていきなりチャーチルだったらどうだっただろう まあ当時の英国世論的にはありえないだろうけど
チャーチルはトルコでのヘマが尾を引いているから平時に首相になることは考えにくいよね なんたって「ガリポリの肉屋」だから やはりチェンバレンがいてこその、その後のチャーチルだと思う そのチャーチルも戦争が終わってしまえばポイだけどねw
123 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 20:29:19 0
チェンバレンはチャーチルやイーデンと違って、アメリカに対して不信感を 抱いており、何も期待すべきでないと考えていた。 それがドイツ・イタリア・日本に対する宥和政策につながっていった。 当時のイギリスの国力では、独伊日三国を相手に同時に戦争をすることは 不可能だったから。
>>117 >11月下旬にはモスクワ大使館付きの武官も知っていただろうに・・
当時にあっては手遅れ。モスクワ敗退が10月でも微妙だな。
125 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 22:48:30 0
「多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ようとしない」 by ユリウス・カエサル この頃は日本をとりまく状況が厳しすぎて現状の認識に希望的な観測が入ってしまってるんだろうね 大戦中でも戦況の悪化につれてこの傾向は強くなっていく 台湾沖航空戦に至ってはほとんど発狂したとしか思えない戦果発表
欧州では独英が共倒れすると言っていた石原が失脚させられたからな 反対意見は出づらいだろう
127 :
世界@名無史さん :2005/10/31(月) 19:55:52 0
やはりイギリスにとって大事だったのはチェコの運命やその他の弱小国家よりも イギリス自身だったってことでだろう >宥和政策 当たり前といえば当たり前のことだけど、それを世界におおっぴらにせざるを得ないくらい 世界帝国のイギリスにも落日の時が近づいていたということかな
>>125 米海軍の方でも闇夜の海上で燃える日本軍機を見て「味方艦が多数やられた」
と誤解する乗組員が多かった。
じっくり見ることの出来るはずの船からそれだったのだから航空機
からちゃんと確認するのはもっと難しかった筈で、戦果誤認までは
ある程度やむを得ない。
問題なのはその後、戦果報告の誤りを認識していたにもかかわらず
そのまま作戦を続行してしまったことだな。
国民騙すだけならまだしも身内の軍部まで騙してどないすんねんと…
>>128 まあ、それは言えるが、戦果報告が
誤りだと気付いても、それを隠し通したのは
異常だろ。
自分の保身の事しか考えてない。
今の日本の責任者の考え方と同じだ。
結局、日本人の体質みたいなもんなんだろうな。
131 :
世界@名無史さん :2005/11/01(火) 20:42:46 0
イギリスは極東においても日本に対して宥和的な政策をとっていた。 (英語の文献にはあまりこういうことは書かれていない)
世界中に広げた手が回らなくなりつつある状態だったからね
>>127 が書いてるようにもはやなりふりかまってられなかったんだろう
でもそういう状況から現代まで英国はしたたかに頑張ってるほうだよな
米国を上手いこと利用したからだろうか
133 :
世界@名無史さん :2005/11/02(水) 10:50:36 0
イギリスって今でもそうだけど、遠隔地との貿易に依存している状態だったん だよな。 中国も重要な市場だったし、英領マラヤのゴムも大事、南欧・東欧に対する 投資も守らなければならなかった。 帝国の「過剰拡張」ということも言われていたっけ。
134 :
世界@名無史さん :2005/11/03(木) 19:17:05 0
英国の宥和政策を成功か失敗のどちらかで断定しろと言われると答えにつまってしまうな 間違いなく成功ではないんだけどね ただフランスに関しては失敗だったと断定できる
135 :
世界@名無史さん :2005/11/03(木) 20:13:48 0
当時イギリス・フランスは大戦の痛手と植民地や委任統治領の保持に忙しくてなるたけ戦争したくなかった。 で、ソ連という目障りな野郎が出てきたがこいつはドイツのアフォに始末してもらおうと。 ところが、ぎっちょん。ドイツのアフォはあろうことか露助と不可侵条約を結んじまったからさぁ大変。 大慌てでポーランドと相互援助条約を結んだわけだ。 んで、ドイツのアフォはどうせこいつもブラフだろうと。どうせこんな不可侵条約なんてすぐに破棄しちゃうもんね そのままソ連との密約通りにポーランドを分割。 で、しょーがなく英仏が開戦してアフォは仰天ってとこかな
age
137 :
世界@名無史さん :2005/11/04(金) 00:10:58 0
>>135 典型的な後知恵厨房だな。
それがなに。
お前はその当時の指導者よりも偉いといいたいの?
それともここをお前の日記帳にするつもりなのか?
イギリスが戦勝国になったというのは名ばかりで 失ったもので言えば、日本やドイツよりはるかに大きいわけよ。 まあ、ボロ切れのようになった挙げ句アメリカから捨てられた、というところか。 このスレのどっかで、「イギリスとの対戦を望まなかったヒトラーが イギリスの権益を保障するといったのは信用できない」と誰かが書いてたが 大戦後イギリスの権益をせっせと取り上げたのはアメリカなんだよな。 別にヒトラーを信用する必要はないが、むやみにアメリカを信頼するとは イギリスのやることとは思えんな、というか、ヤラセなんだろうけど。 まあ、いまだに「宥和政策は誤り」という、アメリカのプロパガンダを 真に受けてるやつが多いんだなあ、と、このスレを見てつくづく思う。
139 :
世界@名無史さん :2005/11/04(金) 17:08:26 0
第一次世界大戦後、欧州諸国はアメリカが債権を放棄することを望んでいたが、 アメリカはこの期待に応えなかった。 (欧州諸国が借金を返すにはドイツから搾り取ることが必要) 第二次世界大戦後は、武器貸与法の適用を打ち切って、英国に借金を返せと 迫ってきたし、たしかポツダム宣言では「民族自決」という条項を無理矢理 入れさせたはず。
まあ、アメリカの立場で言えば 植民地なんて商売の邪魔でしかないから 英仏その他ヨーロッパ諸国を弱らせるという準備をした上で 植民地を独立させたってわけだな。 南米については別途処理済み。 せっかく独立させたのに米資本を追い出して楯ついてるキューバは もちろん眼の敵。
141 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 10:29:01 O
逆にヒトラーはラインラントで英仏にガチで抵抗されたらどうする気だったんだろうか
良くも悪くも後先考えない人なんですよ >チョビヒゲ伍長
143 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 18:58:27 0
>>139 米 ドル借款 → 独 賠償金 → 英仏 借金返済
というからくり
144 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 19:34:11 0
>>141 ヒトラーは政治家というより宗教家と考えたほうがいいと思う。
145 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 20:05:50 0
>>144 政治家と宗教家とマスコミを足して3で割ったようなもんかな?
146 :
世界@名無史さん :2005/11/05(土) 22:36:59 0
ラインラント進駐・オーストリア併合・ミュンヘン会談までは、 虚勢かまして成功してたけど、 ポーランド侵攻後も今までと同じ様にうまくいくと思ってたんだよな。 リッペンドロップの甘言を鵜呑みにして>例の伍長
147 :
世界@名無史さん :2005/11/06(日) 10:07:56 0
物事があまりにも上手く進みすぎて伍長も冷静な判断力を失っていったんじゃないかな ラインラントで躓くくらいが調度よかったんじゃないか 同じく大日本帝国も大戦序盤で局所的にはつまづいた所はあったが、ほぼ全作戦を 完遂できてしまったもんだから、うかれて計画性を失っていったね オーストラリア攻略作戦とか真面目に言い出す奴もいたぐらいだから
ラインラントの時は軍の上層部と対立していた それがうまくいったもんだから誰も止められなくなったと
俺がチェンバレンだったら、ポーランドに侵攻したソ連のほうに宣戦布告 伍長閣下は放置しておくとバルバロッサ作戦を発動するから お互い戦わせて、消耗したところでドイツに宣戦布告
>>149 何でポーランド侵攻の時点でそこまで分かるんだよw
イギリスは独ソ戦までむしろソ連を「ドイツの同盟国」と見て
1940年にはバクー油田爆撃計画を立案し、実際に国籍マーク
を消した英軍機で偵察までやらせてる。
皮肉にもその直後にフランスが崩壊したので、バクー油田爆撃
どころではなくなったのでお蔵入りになったけどな。
151 :
世界@名無史さん :2005/11/06(日) 17:42:57 0
チェンバレンの宥和政策は今でこそ非難されているけど、そもそも欧州大陸の 紛争に出来るだけ巻き込まれないようにするというのは、19世紀以来の英国の 伝統的な外交政策だったわけで。
チェンバレンの失敗の原因は ヒトラーが伝統的上流階級の出身ではなく 国際関係のルールを理解しない田舎物だったという事かな。
欧州大陸の新秩序建設を目指すヒトラーと 譲歩によってドイツに今の現秩序を認めさせようとするチェンバレンの 相違でしょ。
154 :
世界@名無史さん :2005/11/07(月) 13:15:12 O
まあ当時誰もヒトラーの真意なんて読み取れないだろ 今でも初めからそのつもりだったか徐々に増長してああなったのか 議論が分かれるところだし おそらく伍長は結構場当り的だったと思うけど
155 :
世界@名無史さん :2005/11/07(月) 15:18:30 0
>>154 まあ、戦争って大方誤解から生じるもんだろ
156 :
世界@名無史さん :2005/11/07(月) 19:24:52 0
まあ英国その他欧州諸国は最初からヒトラーに防共の壁の役割を期待していたから 自然と希望的な観測が先行するのも仕方無いのかもしれない それこそ前出のカエサルの言葉じゃないが自分達が望む現実を見たがったわけだね でもソ連の脅威が間接的に育てたヒトラーを最後はソ連がトドメをさすというのは 皮肉なもんだ
しかもその結果、共産主義勢力は大幅に拡大するという2重の皮肉に。
158 :
世界@名無史さん :2005/11/07(月) 23:46:32 0
>>140 英国の古い世代は、「日本のせいで植民地支配がガタガタになった」と
考えている人が多いらしいけど、
大英帝国を真に滅ぼしたのはアメリカだということ?
>>140 >>158 アジアから英仏を追い出したのは
皮肉なことに戦い合っていた日米の合作だったというのは
福田和也が力説していたことだよね。
20世紀前半の日本とアメリカの外交政策長期目標は
内実として驚くほど似通っていたというのは事実で、
実はそうであったために、実行資格を巡って大戦争を起こした
という考え方は十分あり得ると思う。
160 :
世界@名無史さん :2005/11/08(火) 19:36:00 0
イギリスだけではなくて、戦間期のフランスの政策についても語ろう。 フランスの人民戦線政府とかさ。
161 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 02:56:05 0
>>151 昨今のEUへの半身のスタンスを見る限り、未だに何ら変わっていないような。
宥和政策が完全に失敗だと英国民が判断するまでは チャーチルは口を開けば勇ましいことしか言わない タカ派の政治家程度の印象しかなかったのかな
163 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 17:38:58 0
>>162 学者にいわせると、当時、欧州の人々がナチスの脅威について理解できなかった
のには、彼らの“近代的な外貌”にも原因の一端があったそうでつ。
ナチスの母体はアウトバーンと重工業で、議会のかわりに大集会を開き、
マスメディアを駆使して社会改造を推進し、芸術に例えれば表現主義や
未来派といったアヴァンギャルドのような存在でした。
164 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 19:13:51 O
合成着色料の不使用、無農薬、禁煙といった健康指向の 政策を実施していたのもナチスなんだよな それで煙草業界と結構やりあっていたはず
165 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 19:54:33 0
健康帝国ナチス ロバート・N. プロクター (著), Robert N. Proctor (原著), 宮崎 尊 (翻訳) 草思社 ISBN: 4794212267 ; (2003/09) ナチス政権下の医学と科学の恐るべき歴史はよく知られている。 そのため、ナチスが世界で最も積極的に癌と戦う政策をとっていた ことは、意外に思えるかもしれない。ロバート・N・プロクターの 『The Nazi War on Cancer』(邦題『健康帝国ナチス』)は、ほとんど 知られていないこの事実を詳細に伝える示唆に富む1冊だ。
166 :
世界@名無史さん :2005/11/11(金) 09:22:21 0
★★英国風!切れ味抜群なTケル兄貴(aka Toshi)のDOLL Q“ブログ”ダイジェストが読めるのはこのスレだけ!!★★
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/punk/1095757178/ > 正直言って、ランキングに参加しているブログの中で、俺よりも凄いと思うよ
> うなものは無いね。ガキの使いみたいなものばかり。(中略)
> ブログというのは個人のジャーナリズムのためのツールとして米国で始まった
> のに、この国では、ミーハーな馬鹿ガキの小遣い稼ぎのためのオモチャだな。
> 失望したよ。
DOLLQのタケル兄貴の自分のブログへの絶大なる自信はどこから来るのか。それを俺にちょっと分けてほしい。
167 :
世界@名無史さん :2005/11/11(金) 12:23:27 0
419 :世界@名無史さん :04/12/25 19:08:18 第三〜第四共和制時代のフランスの保守派って印象が薄い。 有名な急進社会党はジャコバンの系統で、実態はともかく左翼を標榜してるから、 イギリスでいう保守党みたいな政党がない。 あと、ポワンカレとかタルデューのような保守政治家の所属政党もよくわからんし、 ミルランとかラヴァルみたいな左翼くずれが保守の大物になってるし・・・ 423 :世界@名無史さん :04/12/27 21:16:09 ポワンカレは1890年代はプログレシスト(進歩党)として行動。 その時点ではオポルチュニスト(穏和共和派)よりやや左。 タルデューはパリ講和会議では、急進派のクレマンソーの片腕だったが、 自らは左翼共和党(保守系)の政治家として首相になっている。 425 :世界@名無史さん :04/12/28 14:53:53 ミルランは右派の「ブロックナショナル」の支持で大統領となり、左翼と対立した。 そのため、1924年にポワンカレ右派政権が倒れたとき、左翼の反対で大統領を クビになった。 一方、ブリアンは右派政権にも左翼政権にも外相として参加している。 ブリアンの所属政党である共和社会党自体、左翼の中では保守中道寄りの穏健派だが、 430 :世界@名無史さん :04/12/29 09:59:21 ころころ内閣は変わっていたが、ほとんどの内閣に急進社会党が参加しているので、 首相が右派であれ急進社会党であれ、内閣の構成メンバーは大体同じ。 また、ブリアンみたいに20年代を通じて一貫して外相の座にあった政治家もいる。
フランスはルールを差し押えて何かいいことあったのか
169 :
世界@名無史さん :2005/11/11(金) 12:50:22 0
>>168 フランスの栄光のためには必要不可欠だった。
フランスは賠償問題をドイツの強国化を阻止する安全保障政策の一環と みなしていた。 そもそも、第一次世界大戦前は露仏同盟が存在していたが、ロシア革命で それがなくなった。アメリカ・イギリスは欧州大陸の問題には関わらない ようにしていたので、自国の防衛に不安感を抱いてルール進駐という 極端な手段をとろうとした。
171 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 18:32:44 0
>賠償問題について、ドイツは修正または延期を求め、連合国内でも英国が態度を軟化させはじめた。 >フランスは、しかし、強硬に賠償金支払いを主張して、一九二三年一月十一日、ベルギー軍とともに >ルール地方を占領した。賠償金を支払えば撤兵する、という。 >フランスにも内部事情があった。フランスは戦費を英国、米国に借りていたが >英米は対ドイツ賠償の減額をフランスに勧誘しながら、フランスの債務はきっちりと請求した。 >フランスとしては、米英にたいする借金を払うためにもドイツから賠償を取り立てる必要に迫られたのである。 >だが、ドイツにとっては、フランスの行動は明らかに独立国の主権侵害であり、侵略である。 >ドイツは怒り、左右の主義主張を越えて団結した。 >ルール地方のドイツ人労働者はフランス軍への協力を拒否して、村、町、都市から退去した。 >生産と輸送機関は麻痺し、交通事故が頻発した。 >英米は対ドイツ賠償の減額をフランスに勧誘しながら、フランスの債務はきっちりと請求した ここちょっと笑った さすが米英、仕事キッチリw
172 :
世界@名無史さん :2005/11/15(火) 22:33:38 0
ネヴィル・チェンバレンは蔵相時代に債務問題の折衝で対米不信を募らせ、 「アメリカ人には、言葉以外は何も期待しない」と考えていた。 そうかといって共産主義への不信感から、ソ連と手を組むという案も論外 だった。 (ここで英仏がソ連と手を組んでいれば、独ソ不可侵条約の締結も 無かったかもしれないが)
173 :
世界@名無史さん :2005/11/16(水) 19:20:27 0
>>171 得るものは何も無く反仏感情を煽っただけでフランスにとって何一ついいことないな
ベルギーも一緒になってなにやってんだか…
しかし英米も他人の借金の取立てには文句つけるくせに自分はビタ一文負けずに
とりたてるなんて相変わらずやることがえげつないねw
まあ笑顔でこういうことできないと外交とは言えないだろうけど
174 :
世界@名無史さん :2005/11/27(日) 11:14:04 0
今、独仏は随分仲良くしようと努力しているみたいだけど、どうも素直にはうけとれないな 結局、アメリカという巨人に対して必死で存在感をアピールする為のものなんだろうけど… いつまで続くものか
175 :
世界@名無史さん :2005/11/27(日) 19:31:39 0
>>174 それよりもドイツと東欧諸国との関係がどうなるかに興味ある。
第二次世界大戦後、東欧諸国から追放されたドイツ系住民の問題もあるし。
176 :
世界@名無史さん :2005/11/30(水) 20:04:53 0
>>54 少し前に亡くなったエリザベス皇太后が言ってた。「当時は皆、チェンバレン
のことをよくやったと思ってたのよ。皆戦争はこりごりだったから。」ドイツ
から戻ったチェンバレンと共に宮殿バルコニーに立って手を振った国王夫妻
・・・当時の人の気分は本人しかわからないよね。
>>140 >>158 その通りなんじゃないの?その昔、日本はもちろんイギリスも日英同盟を更新
したがってたのに、アメリカが嫌がるからやめて、結果的にそれが日本をドイツ
に走らせることになってしまった。植民地支配の権益に後から食い込もうと
ゴリ押しして、アジアの安定を崩してしまったのはそもそもアメリカなんじゃないの。
そんでもって日本までエスカレートしてしまう。アメリカの外交音痴が問題なんだよね。
177 :
世界@名無史さん :2005/11/30(水) 21:30:14 0
>>176 アメリカは二大海洋国家である日英に挟撃されるのではないかという懸念を
抱いていた。
欧州の植民地帝国が崩壊したのは、
(1)二つの世界大戦において、日本を含む列強が敵を切り崩すために独立を
支援した。
(2)新たに世界政治の主役として現れたアメリカとソ連がともに植民地主義に
反対する存在だった。
(3)アジア・アフリカ諸国におけるナショナリズムの勃興。
など複数の要素が絡まっていたように思う。
178 :
世界@名無史さん :2005/11/30(水) 22:46:00 0
>>177 ドイツとの戦争による被害で本国がそれどころじゃなくなったというのもあるだろ
赤字植民地を威信と面子だけで維持していたようなもんだし。
179 :
世界@名無史さん :2005/12/01(木) 00:15:20 0
イギリスの、ドイツに対する“人種的親近感”というのは宥和政策に どれだけ影響を与えたんだろうか? 第一次世界大戦前、植民地相だったジョセフ・チェンバレンは、 イギリス・アメリカ・ドイツ三国による「チュートン人種の同盟」を 唱えたぐらいだったし。
180 :
世界@名無史さん :2005/12/01(木) 01:25:23 0
>>177 >>178 日本って人畜無害に見えなかったのかな?(笑)日露戦争に勝ってからヘンな
自信つけちゃったからね。アメリカが日英の挟撃を懸念しなきゃならなかった
のは、自分も人畜無害じゃなかったからだよね、ゴリ押しで。(笑)第二次大戦は
日本とドイツという「後発組」の攻撃性が招いた破局みたいに説明されるけど、
アメリカも「後発・ゴリ押し」の一翼だからね。日英同盟の件はアメリカが
太平洋戦争を自分で招いちゃったとこがあるじゃない、外交音痴で。
植民地支配は戦争がなくても、たぶん同じくらいの時期に終わってたでしょう。
イギリスでは19世紀後半から嫌がる人が多くなってくる。左翼思潮もあるけど、
お金かかり過ぎだからね。西インド会社にインド経営まかせてた時代とは意味が
違ってきて「何のための植民地?」って感じでしょ。民間経営だったらずっと前に
畳んでるはずだもんね。
というか日本の当時の海軍力を見て人畜無害だと思えという方が無理があると思うが バルチック艦隊を全滅させた艦隊がすぐ隣にいるっていうのは 常々アメリカの対日警戒派は言ってたことだし
日本に対してはアメリカだけでなく、オーストラリアも警戒心を抱いていた。
183 :
世界@名無史さん :2005/12/01(木) 19:42:09 0
フランスはなぜマジノ線をベルギーと共同で建設しなかったの? ルール進駐はいっしょに行ったのに。
185 :
世界@名無史さん :2005/12/02(金) 14:23:08 0
>>184 ルール出兵の理由が賠償金支払いの遅滞への懲罰であることを考えれば
おのずとわかるのでは
186 :
世界@名無史さん :2005/12/02(金) 20:29:21 0
>>182 第二次大戦ではオーストラリア軍と日本軍が結構ガチで戦ったてたことを知らない人は多いよね
>>181 開戦前の日本海軍は相当な戦力だからね
陸軍の方の戦車はアレだけどw
空母対空母の本格的な戦闘も日米が始めてだしね
>>186 まぁ〜日本海軍は戦争したくなかったし、天皇や東条は陸軍の力によってアメリカとの戦争はさけれなかったから仕方ないな
188 :
世界@名無史さん :2005/12/04(日) 15:26:19 0
戦間期のイギリスでは、オズワルド・モーズリーという人物が、 「イギリス・ファシスト連盟」を結成してファシズムの普及につとめていた。 「持たざる国」であるドイツやイタリアだけでなく、「持てる国」である イギリスでこのような組織が結成されたというのが興味深い。 当時の人々にとって、ファシズムというのはそんなに魅力のある思想だったのか?
火の十字団はフランスだっけ アメリカでもドイツ系移民を中心にファシズム団体があったよね 一種の流行思想だったのかな
190 :
世界@名無史さん :2005/12/04(日) 20:37:10 0
悪名高い偽書「シオンの賢者の議定書」が流行したのもこの時代だった。
191 :
世界@名無史さん :2005/12/04(日) 21:42:32 0
>>188 日本でもいまだに公明党とか共産党とかファシズム政党があるじゃないか。
>>189 -=-::.
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ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/
||. ◎ .| ̄|. ◎ |─/ヽ
|ヽ二/ \二/ ∂>
/. ハ - −ハ |_/
| ヽ/ヽ/\_ノ / |
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ヽ `ー-‐'⌒::::`ル:::::::r~`( /
`‐- ─ヘ:::::::|::::::::::ヾ、__,ノ
〉::::|::::::::::/
クロアドフ─/;;;;/;;;;;;;/───ッ!!!
/;;;/:::::::《
<;;;l《:::::;;:ヽ
/ ヽI,r''"^~、
/ ,/ ヽ 、
( r' ヽ 〉
`、 ヽ / /
ヽ__l / /
__,,ノ:::;::〉 ト、:::`ー'〉
` - ‐'` ` ‐ '
自国内に限定した漸進的穏健的社会主義革命を目指す>ファシズム ナショナリストによる共産主義の対抗、議会主義政治の揚げ足取り、 政治混乱への対処策としての主張だから思想としての発展は見なかった。
194 :
世界@名無史さん :2005/12/12(月) 20:14:16 0
E・H・カーも対独宥和論者だった。
195 :
世界@名無史さん :2005/12/12(月) 22:55:29 0
カズオ・イシグロの『日の名残り』という小説は、戦間期のイギリスが舞台で、 主人公の執事が使える貴族はドイツに対する宥和政策を進めている。 あの時代の雰囲気が味わえる小説です。
>主人公の執事が使える貴族 英国貴族裏の支配者が執事だったなんて・・
198 :
世界@名無史さん :2005/12/20(火) 07:16:56 O
テーブルトーク読んでると総統は何だかんだ言っても 英国と仲良くしたがってるよね 逆に東方への執念は尋常じゃない
>>194 カーって親ソかとおもたらそうでもなかったんだ
そういや、イギリスの皇太子でドイツ宥和論唱えて失脚した人いたよな
201 :
世界@名無史さん :2005/12/23(金) 20:42:00 O
総統の価値観は基本的に人種に基づくものた゛からね 同じアングロサクソンで支配者であるイギリス人には好意的だった ただ貴族達は大嫌いだったようだが ロシアに対して辛辣なのはスラブ人である以外に対した理由も無い気がする
202 :
世界@名無史さん :2005/12/24(土) 18:53:57 0
ヒットラーおじさんはオランダ、スウェーデンあたりからは積極的に移民を受け入れてもいいという
考えだったんだよね
ただスラブ人は絶対に駄目、あくまでも奴隷人種という考えらしい
>>201 英国に対しては愛と憎悪が入り混じった複雑な感情だったんじゃないかな
そういう意味では意外と女々しい奴だったのかもしれない
203 :
世界@名無史さん :2005/12/24(土) 19:21:17 0
>英国に対しては愛と憎悪が入り混じった複雑な感情 >だったんじゃないかな これはヴィルヘルム2世も同じ。
>>201 総統の価値観は基本的に人種に基づくものた゛からね ×
総統の価値観は基本的にwwTの体験に基づくものだからね○
205 :
世界@名無史さん :2005/12/31(土) 17:42:54 O
ヒトラーは英国に対してちょっと夢を見すぎてる気がする
206 :
世界@名無史さん :2005/12/31(土) 17:52:05 0
ヒトラーはスラブ人を嫌っていたが それは人種的なものではなく、欧州の歴史的なものだろ。 現にヒトラーは中国人や日本人、アラブ人に 対しては、嫌っていない。 むしろ、手を結ぼうとしていた。 判りやすく言えば、日本が北朝鮮や中国を警戒するようなもの。 どちらかといえば、日本の方が人種的差別は多い。 例えば、ヒトラーは戦争中、ロシア人やウクライナ人、フランス人といった 人種を超えた軍隊を編成して連合軍と戦ったけど、日本は アジア人を信用せず、日本人しか武器を与えなかったし。 第三帝国の親衛師団とか、外国人の師団がほとんど。
ヒトラーは自分で言ってるように利用できるものなら何でも利用するという考えだからね 大嫌いな教会や貴族達でも それにしては独ソ戦での占領地でのやり方はひど過ぎたけど
どちらかと言えば、ドイツ軍はソ連で 住民から共産主義からの解放者として 歓迎されていた訳だが。 凄惨な泥沼戦になったのはゲリラ戦に なって、住民が巻き添えを食らい始めた 1942年中ごろからだろ。 1941年独ソ戦当初はソ連の住民は、 ドイツ軍に対して好意的だった。
ヒトラーもチャーチルがあんなに頑固だとは思わなかったんだろうな しかしイギリスにとっては苦労の割には得る物の少ない 災難な戦争だったな
211 :
世界@名無史さん :2005/12/31(土) 21:03:11 0
>>210 総統は政治家というより宗教家ですから。
少しでも政治的センスがあれば、イギリスはヨーロッパ大陸において
統一された強大な勢力が出現することは許さないはずだ、
と思っただろうけど。
212 :
世界@名無史さん :2005/12/31(土) 21:18:54 0
いっそのこと、ドイツを解体させればよかったんじゃないかな。 バイエルン、プロイセン、ブランデンブルクを独立させたりして。 他にもシュレスヴィヒ・ホルシュタインをデンマークに併合させたり、ライン川以西をフランスに編入したり……。
>>209 戦時中の日本でも
「イギリスはドイツを打倒しても没落するのは確実だから講和するだろう」
という甘い認識を示す書籍が結構あります。
甘いというより、理にかないすぎというべきか。 民主主義国は一度燃焼すると止まらない。
215 :
世界@名無史さん :2005/12/31(土) 22:16:46 0
>>212 フランスはドイツを解体したがっていたけど、他の国々が反対した。
特にアメリカはウィルソン大統領が“民族自決”の原則をうちだしていた
以上、ドイツ国民が反対している分割案など通るはずも無かった。
まあそれでも、ドイツとオーストリアが一緒になることは拒否したんだけど。
216 :
世界@名無史さん :2006/01/01(日) 13:42:14 0
サッチャーが何故ヨーロッパ共同体構想に参加しないのかと問われた時に 「確かに我々がいなければ欧州は一つになっていたでしょう。五十年前にね」と 言ったらしい さすがジョンブル、チャーチルといいサッチャーといいパンチの効いた皮肉が好きだね
皮肉だろうが、wwUの「真実」って感じも。
218 :
世界@名無史さん :2006/01/01(日) 18:03:28 0
ナポレオンの諸国家統一も妨害したしな。 イギリスは、昔からオーストリア(ハプスブルク)、フランス、ドイツといった国々のヨーロッパ統一という純粋な願いを踏みにじってきた悪の帝国ということでFA?
>>212 当時のヨーロッパ諸国はドイツ打倒後の脅威をソ連と認識していたので
ドイツが崩壊し共産化の波が中欧まで押し寄せる事を危惧していたんだよ。
220 :
世界@名無史さん :2006/01/01(日) 19:52:16 O
今も昔もドーバーとロシアは欧州統一の高い壁だね ドーバーを越えたローマは偉大だったということか
221 :
世界@名無史さん :2006/01/01(日) 20:32:04 0
なにをいうソ連は中欧にまで進出したぞ。 もう少しで西ヨーロッパを併合して欧州統一を達成できたのに……。
222 :
世界@名無史さん :2006/01/01(日) 21:03:01 0
いっそのことエルベ川越えてさ、パリ迄突き進めば良かったのにな、ロシア赤軍 まだ核兵器も使われていないわけだし
>>221 それ第二次大戦の話。ここで言われてるのは第一次大戦後のドイツの
扱いについて。
>>210 ヒトラーは共産主義の脅威は感じて、イデオロギーによる区別は
してたけど、人種的差別とかはしてなかっただろ。
227 :
世界@名無史さん :2006/01/02(月) 14:58:36 O
発言録を読むと感情的に罵倒してはいるよね 奴隷民族だの怠け者民族だの ただ個人的な感情の問題であって政策としては別問題なんだろう 現にクロアチアとは上手くやってるわけだし イギリスには好感を持ってるいるけどチャーチルは 大嫌いみたいなもんなんだろう 面白いのはソ連を腐った家と評していたけれども スターリン個人は高く評価してたんだよね
つ ヒトラーのロシア解放軍 ロシア人で構成されたヒトラーの部隊。 ドイツの兵器で武装して、ソ連軍と戦った。
229 :
世界@名無史さん :2006/01/08(日) 00:29:55 0
>>218 ルイ14世モナー。
イギリスがなければルイ14世が欧州を統一して、ドイツの諸侯はヴェルサイユに
参勤交代するブルボン幕藩体制が出来たと思われ。
>>229 「ブルボン幕藩体制」ワロスw
だが、イギリスの影響以前に
ハプスブルグに対して「大坂の陣」を仕掛けて成功させないと
「ブルボン幕藩体制」は大陸内でも成功出来ないと思うが。
神聖ローマ皇帝という地位まるごとなんとか処理しないといけない分、
早々に征夷大将軍位を獲得できた17世紀初頭の徳川家より
ブルボン王家へのハードルは高いよw
アヴィニョン捕囚以来ローマ法王庁はフランス王家に潜在的抵抗があるから
ここも何とかしなければいけない。
231 :
世界@名無史さん :2006/01/08(日) 01:41:42 0
>>230 おお。受けた(w。
ヴィーンが大坂なら、スペインは会津か薩摩かなあ。
ルイ14世は上杉や島津を押さえ込むことには成功した。
石田三成=デ・ウィットは勝手に暴徒に襲われて殺されるし(w。
名誉革命は、真田幸村が明に逃げて明の将軍になって家康の邪魔したようなもんだなあ。
232 :
世界@名無史さん :2006/01/08(日) 19:31:04 O
戦争が始まるなりチャーチルを首相にして 勝利するとさっさと変えてしまうあたりは 英国民の民主主義の運用はさすがという感があるな
233 :
世界@名無史さん :2006/01/10(火) 01:16:35 0
戦間期の米英仏の外交を見ていると、自分たちで国際連盟をつくっておきながら、 1923年に起きたコルフ島事件では、イタリアに対して断固とした制裁措置を とらなかったり、ひたすら事なかれ主義に終始しているような印象を受ける。 ロカルノ条約締結に至るまでの過程でも、ドイツのシュトレーゼマンに 主導権を握られているし。
関係無いがイギリスでサッチャー元首相が主人公の ミュージカルが上演されるらしい 歌って踊りながらフォークランドへの武力行使を 決断するサッチャーっていやすぎるな
235 :
世界@名無史さん :2006/01/24(火) 07:36:29 O
ヒトラーも英国があっさり諦めてくれると思ったのかな 例えBOBに敗れてもチャーチルは降伏しそうに無いけどな
236 :
世界@名無史さん :2006/01/25(水) 21:56:49 0
チャーチル 下院での首相就任演説 (1940) 我々は最後までやるつもりだ。我々はフランスで戦う、我々は海で戦う 我々は日々大きくなっていく自信と力でもって空中で戦う 我々はどんな犠牲を払おうとこの島を守る。我々は海岸でも戦うだろう 我々は水際でも戦うだろう。我々は野で、街頭で、丘で戦うだろう 我々は決して降参しない 例えこの島やその大部分が征服され飢えに苦しもうとも私は降参を信じない 我々の陛下が海の向こうで英国艦隊に守られ、陛下の全ての力と権力によって 神のよき時代の中へ、彼らを古きより救い新世界へ解放する歩みを進めるまで 努力を続けるだろう。 島、英国、陛下の文字がなければ文面だけ見ればヒトラーの演説のようにも見えるよね
ヒトラーよりヒトラーらしいのがチャーチルだったからなあ。
238 :
世界@名無史さん :2006/01/27(金) 12:29:42 O
イギリスがドイツに宣戦布告したのはポーランドを守るため。 なら東ポーランドを支配したソ連と組んだのは何故?
239 :
世界@名無史さん :2006/01/27(金) 21:03:50 O
ポーランドを守るとかアカの脅威とか以上に さしせまったドイツの脅威でてんてこ舞いだったから
>>238 別に手を組んだわけじゃない。少なくとも独ソ戦まではソ連も「潜在的敵国」
と認識していたし、実際に40年半ばにはバクー油田空爆を計画し偵察機も
送り込んでいた。
フランスが屈服してそれどころでは無くなったが、もしフランス戦が膠着して
いたら、空爆が実際に行われソ連がドイツ側に立って参戦した可能性はかなり
高いだろう。
241 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 15:01:55 0
>>240 そうすると、第二次世界大戦は、英米VSドイツ+ソ連の戦いになって、
もっと長引いた可能性がある?
242 :
世界@名無史さん :2006/01/28(土) 17:10:51 0
どっちみち、ヒトラーがスターリンを裏切るから、 内部分裂して、独ソ戦が始まり、両者が消耗。 アメリカとイギリスと日本が独ソを打ち破っていただろう。
>>242 ドイツとソ連が手を結んで第二次大戦になったとするなら
昭和15年〜16年の日本はほぼ間違いなく独ソ側につくだろうよw
そして「独ソ側」の情勢が混乱すると
「欧州情勢複雑怪奇」の第二段となり大日本帝国政府は再び大混乱で
情報分析不能、外交不能状態に陥る。
こういう時の日本政府は必ず方針変更不能になるので
グダグダの独ソと一緒に奈落の底へ転落して行くだろう。
負けた暁には現状よりさらに酷い全体主義国家のレッテルが
大日本帝国に張られてしまうことになる。
スターリンの分まで付け加わるからね。
244 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 05:22:46 O
イギリスとドイツは軍事力はどちらが上だったの?
245 :
\(^■^ ラ 【卍】 :2006/01/29(日) 09:04:20 O
【卍】 ≦予 ̄> G\(^■^ ラ \ <!>+\ 防共協定は、おそらく他日、 悪魔に脅かされた世界の平和及び文化の脅威を除去することを以て 究極の目的とする一群の強国の結晶点となるのであろう。 最近2年間に幾多の輝かしい英雄主義の模範を我々に示した日本国民は、 今や世界の他の側において文明のために戦いつつある。 日本の崩壊は、ヨーロッパもしくは世界の他の部分の文明国民にとって何らの利益とならぬばかりか、 東亞におけるボルシェヴィズムの決定的勝利をもたらすに過ぎないであろう。 (1939.1.30) ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク \¶:¶±\¶:¶±\¶:¶±\ (>_<)どのみち日独が、 対中ソ政策に行き詰まってしまう以上、 対米英戦争は避けられなかったな。
>>242 ソ連が英仏に参戦したら、幾らヒトラーでも英仏が片付く前に独ソ戦を
始めたりはしないさ。
247 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 22:30:29 0
>>244 海軍力は間違いなく英国の方が上だろうね
ちなみに陸海軍は1936年から軍備増強が始まっている
空軍は1935年から五ヵ年計画が始まっています
BOBの勝利はこの五ヵ年計画の成果ともいえます
弱腰外交と言われながらもかなりのペースで軍備増強しており、
1941,2年くらい(だったはずw)にピークを迎える計画だったようです
そのため時間稼ぎ的な政策とも言われるわけです
スペインでの宥和政策と比較しないとわかり難いよ。
249 :
世界@名無史さん :2006/03/05(日) 00:09:17 0
ヒトラーやナチスはスラブ人に対してはゲルマンと比較しては劣等と考えていたが、 ユダヤ人やその他アジア人よりははるかに優等と考えていた。 実際、スロバキアやクロアチアを友邦とし、ウクライナ義勇軍と提携していた。 スラブの中でことさらにポーランド人を貶めようとプロパガンダに必死だったのは、 ドイツ国内に反ポーランド世論(=ポーランド侵攻の正当化)を喚起するためだった。 ソ連侵攻後には、今度はロシア人が非ユダヤ人のなかで最下層に置かれた。 同じ理由からだ。 ケルト人やユダヤ人の社会的同化が進んでいたイギリスに対しては、 ケルト人とユダヤ人の血がイギリスを堕落させていると結論していた。 こういった政治的理由からアジア人の中で日本人は特別な扱いだったわけで、 そういうダブルスタンダードが前提では、日本人としてはちっとも嬉しくない。 連合国側のアメリカでも同様の現象が見られた。 当時は中国人は優等人種で、日本人は劣等人種だというプロパガンダが盛んに行われ、 タイム誌(だったか)では、中国人と日本人の見分け方という特集まで組まれた。
251 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 22:07:48 0
>>250 ドイツ国内に反ポーランド世論(=ポーランド侵攻の正当化)を喚起するためだった。
当時のドイツ国内でポーランド撃つべしと思っていなかったドイツ人はほとんどいなかったのではないか。
最初はヒトラーはポーランドに宥和政策を取っていたが、軍事動員令などはじめケンカを売り続けていたのは
ポーランドのほうだった。
252 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 22:45:20 0
>>251 >当時のドイツ国内でポーランド撃つべしと思っていなかったドイツ人はほとんどいなかったのではないか。
いや、ドイツの市民はポーランドには全く無関心だったようだ。
なぜわざわざポーランドと戦うのか、納得しているドイツの一般市民ははほとんどいなかったろう。
だが、独裁政権の有無を言わさぬ命令だから仕方ない。
>ポーランドに宥和政策
それは初耳だ。恫喝外交ではなかったか。
英仏との二正面戦争を避けるための引き延ばしが1939年8月に行われたのは知っているが、これは宥和政策ではない。
253 :
世界@名無史さん :2006/03/27(月) 00:17:19 0
宥和政策の具体的な話が聞きたい
254 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 08:32:45 0
255 :
世界@名無史さん :2006/04/15(土) 19:46:57 0
アメリカは第二次世界大戦が始まってからも、自国が攻撃されない限り参戦 しないといっていたんだが、 もしアメリカが戦争が始まる前に、イギリスの安全が脅かされたら軍事介入 するといっておけば、ヒトラーもあんな無茶なことはしなかっただろうか?
>>255 ドイツによる侵略戦争は不可避。
当時のドイツの財政状態で一目瞭然。
アウトバーン等の表面上の発展の裏で財政は事実上破綻状態にあった。
破綻を表面化させないためには侵略戦争を敢行して獲得財産を国内に分配するしかない。
座して死を待つより一か八か外に打って出るべしという極限状態。
だが財政状態の推移を見る限り、この極限状態には
ドイツが追い込まれたのではなく、ヒトラーが1933年からわざとドイツを追い込んで行ったことがわかる。
イ保守
259 :
世界@名無史さん :2006/04/21(金) 21:11:43 0
>>252 、253
独ポ不可侵条約のことじゃないかな。
もっとも1939年4月28日に、ヒトラーは『独ポ不可侵条約』、『英独海軍協定』破棄を通告
してるけどね。
260 :
世界@名無史さん :2006/04/22(土) 00:22:39 0
261 :
世界@名無史さん :2006/04/22(土) 00:57:04 0
>>256 むちゃくちゃ。
ヒトラー以前の財政状態はどうだったんだっけ?
むしろヒトラーの政策からケインズがケインズ理論を発展させたという説さえある。
>>256 戦争しなくてもまたインフレ時代に戻って
同じことの繰り返し。
>>261 >ヒトラー以前の財政状態
戦後のハイパーインフレ、世界恐慌による資産暴落から立ち直りつつあり、財政赤字収束。健全化。
ただ、インフレ対策のため短期金利を引き上げており失業率は高かった。
そこへヒトラーが現れて財政をぶち壊し、短期金利は引き下げてジャブジャブ経済にして、
失業率を劇的に低下させた。
失業が減ったのを肌で感じた愚かなドイツ国民はヒトラーに魔法をかけられたかのように感じた。
一方で実のところ長期金利は跳ね上がり、国債は長期のものから暴落していき、
戦争をしなければまたいつか臨界点を越えてハイパーインフレがおきるところだった。
この状態に懸念を表明し批判した者は、特にカトリック中央党と社会民主党に多かったが、反政府的として逮捕された。
中央党と社会民主党は解散させられたが、戦後西ドイツで保守政党のCDU/CSU、革新政党のSPDとして復活する。
ヒトラーの経済政策と戦争はセットであって、これは確信犯。
開戦後の方がいっそう財政悪化したので、「戦争しなければ財政破綻してた」 ってのはおかしくね?
266 :
世界@名無史さん :2006/05/04(木) 22:58:04 0
イあげ
誰か
>>265 に財政とか金融とか、マクロのイロハ教えてやって
269 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 21:48:09 O
フランスが割を食っただけだね
ギ保守
271 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 12:13:41 0
そうか
272 :
それにしても… :2006/08/06(日) 13:04:13 O
【1922年11月《ジャパンアドヴァタイザー紙》掲載記事より】 日本は[第一次]世界大戦の際に連合国側に荷担したが、 これによって日本はもっぱらアジア人のための 絶好の機会を利用することを怠ったのである。 かようなアジア人のためのアジアが建設されてこそ、 アジアは白人、特にアングロサクソンに対抗することが出来た筈である。 世界大戦の初期に私[孫文]は日本の政友会総裁犬養[毅]氏に一書を呈して、 この際日本はすべからくチュートン諸国[ドイツ・オーストリア]を援助し、 かくしてアングロサクソンの相対的勢力の相殺をはかり、 以て世界の勢力均衡を維持すべきであると説いた。
>>272 >かくしてアングロサクソンの相対的勢力の相殺をはかり、
>以て世界の勢力均衡を維持すべきであると説いた。
それは結局アングロサクソンとの対決、結果としての大日本帝国崩壊を意味する。
孫文はどこまでいってもシナ中心にしか考えられないシナ人。