ホロコースト―何が、どのようにして起きたのか?

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848世界@名無史さん:2005/10/29(土) 13:30:17 0
ttp://www.vho.org/GB/c/GR/Green.html

なにわさんへ。ここを見てください。
読まなくていいから、このサイトにある写真をザーッと見てください。
見覚えのある写真があるはずです。
849世界@名無史さん:2005/10/29(土) 13:40:48 0
1995年秋のクロアチアの休日リゾート地での事故がこのことを示している。[18]

「ひどい失敗。3名の地域住民がガス中毒の症状に陥り、多くの害虫が生き残ったのは、
リイェカ近くのクロアチアの休日リゾート地の教会で害虫駆除が失敗したためであった。
害虫駆除作業員が手抜かりをしたために、数百名の地域住民が避難しなくてはならなかった。

害虫駆除作業員は、シアン化水素を使って、夜のあいだに、聖ジュライ教会の害虫を駆除しようとした。
しかし、彼らは教会に適切な気密処置をしなかったので、ガスが、すでに就寝中の地域住民の家に漏れ出した。
『幸いなことに、人々は突然に吐き気に襲われて、すぐに起きたので、そのために命だけは救われた』と『ヴェチェルニイ・リスト』紙の
記者は書いている。にもかかわらず、3名がひどいガス中毒にかかった。市長は市の中心の避難を決定した。
害虫駆除作業員は逮捕された。害虫は生き残った。dpa」
850世界@名無史さん:2005/10/29(土) 14:43:03 0
>>847
レイシストかお前
さすが否定電波はバカだ・・・
851世界@名無史さん:2005/10/29(土) 15:39:42 0
人格攻撃繰り返してないで何か有意義なこと言ってみろよ
852世界@名無史さん:2005/10/29(土) 15:43:37 0
人を納得させなきゃいけない時に、
レイシスト剥き出しってのは、とても頭がいいとは思えませんね。
なんで、否定派の方々はすぐに朝鮮人とか言うのでしょう?
853世界@名無史さん:2005/10/29(土) 15:58:33 0

        ∧∧
       ヽ(・∀・)/  ズコー
      \(.\ ノ  

なんだかなぁ。
>832
お互い大変ですなぁ。私はもう疲れましたけどね。

何度も繰り返し説明した事の質問は勘弁して。お願い。
ランプの有る無しはガス室の根拠じゃないし、蓋は書類上は木の蓋。
文字が読みにくいのは私も同じ事だし、サインとSSの印は押してあるが
名前はサインだから読めない。
>825から始まるコピペどうもありがと。
>831
プレサックの著述にこの部分に相当する文章は無いよ。
彼は「SSの事務員」としか書いてないと思うが。
>841
あの、横レスだけどね、ブレサックの要約と違いがあるでしょ?
>845
そりゃ、そういう写真があればいいけど、たぶん無い。
いや、無い。鉄板で。
ここからは予測だが、だからこそプレサックは他の書類資料を捜したんではないかとオモ。

>848
見た。すまんが読んだ。w いや、写真周辺だけだから。
これから全部読むけど、この話、どこかで和訳で読んだな。どこだっけかなー。
詳しくは良く読んでからね。
>850
レイシストってなんだっけ。シオレストって一時期まつりになったよな。
854世界@名無史さん:2005/10/29(土) 16:13:45 0
>>853
>この文書の作成を担当した事務員でしょう。
この部分に当てはまるけど…?
SSの事務員としか書いてないって、つまりそれがどういう人物か解らないということでしょ?
855世界@名無史さん:2005/10/29(土) 17:53:30 0
>854
えーと、もしかしたら君は私の気がつかない
ものすごい深い事を言っているのかもしれないので
詳細キボン。ちうかもっと詳しく説明してちょ。お願い。
856世界@名無史さん:2005/10/29(土) 21:52:14 0
試訳:フランケ・グリクシュ「再定住行動報告」:偽造の分析
http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/renk_01.htm
「再定住行動」報告(そして、さまざまな「目撃証言」)では、
致死性の物体(チクロン)は中空の柱を介して室内に降ろされた、
もしくは投下されたことになっているが、
この部屋(死体安置室T)の廃墟を訪れれば、この柱が中空ではなく、
しっかりとした鉄筋コンクリートで作られていることにすぐに気づくであろう。[11]
さらに、この文書は「新鮮な死体はとくによく燃える」と述べているが、
プレサックはこの馬鹿げた話についても説明していない。
また、報告は「この目的のために設置された収容所の特別区画への特別線」について触れているが、
プレサックはこれについて説明しようともしていない。
これは、アウシュヴィッツの幹線(ウィーン・クラクフ間)からビルケナウへの支線についてのことちがいない。
しかし、ビルケナウ支線の建設作業が始まったのは、1944年1月以降のことである。[12]
857世界@名無史さん:2005/10/30(日) 11:11:27 0
プレサックが証明したのはガス室と呼ばれていた場所が、死体安置室そのものの構造だったという事。
滅茶苦茶な証言を鵜呑みすることで、ガス室説の胡散臭さを強調した。
その後に破門。否定派の工作員だよなー、あれ。
858世界@名無史さん:2005/10/30(日) 12:46:54 0
>>857
> プレサックが証明したのはガス室と呼ばれていた場所が、死体安置室そのものの構造だったという事。
> 滅茶苦茶な証言を鵜呑みすることで、ガス室説の胡散臭さを強調した。
> その後に破門。否定派の工作員だよなー、あれ。

存在しない柱の中の穴を証言したり、
見えない毒ガスを見えたりと主張したり、
1平方メートルに28人詰め込んだりという証言をしたのも工作員ですか?
859世界@名無史さん:2005/10/30(日) 14:05:17 0
>>853
世界@名無史さんとして気が向いたときだけレスをつけるというのも悪くないですよ。
860世界@名無史さん:2005/10/30(日) 14:27:01 0
>>859
それは大沢ルール監督や茶々もやってるしね。
なにわもその道を歩みそう。
861世界@名無史さん:2005/10/31(月) 09:56:02 0
>859
あー、ねー。そうなると思いますだよ。
人に説明するより、自分が説明してもらいたいことも
山ほどありますからね。

さて、話題も進んでいないし、ここからはアウシュヴィッツの観光案内でも
してみようかな。w
大体のことはこのHPを見れば載っています。
>ttp://www.kk.iij4u.or.jp/~anne/travel-info-top.htm
アウシュヴィッツはポーランドにあります。首都はワルシャワ。
現地名はオシフェンチム。近郊の都市はクラクフです。
ポーランド入国に際しては入国ビザは必要ありません。
日本からポーランドへの直行便は今のところありません。
ヨーロッパ主要都市で乗換をしてポーランド入国となります。
比較的、短時間で行けるのはヘルシンキ(フィンランド航空)経由でしょうか。
モスクワ(アエロフロート)経由も距離は短いですが、ロシアはどうも乗り継ぎが
悪そうです。
フランクフルト(ルフトハンザ)、ウィーン(オーストリア航空)、アムステルダム
(KLMオランダ)で経由すれば、ウィーンまで1〜1.5時間くらいらしいですね。
フランクフルトは行ったことがありますが、空港が広すぎて迷います。w
そのかわり、ソーセージやらビールやらを買い込む事が出来ます。うれしい。w
空港内では換金の必要無く、航空券の提示で外貨が使える場合もあります。
ロンドン、パリ経由でも便があります。ロンドンはヒースロー空港かな?
ここがワルシャワ空港。
>ttp://www.porty-lotnicze.com.pl/
海外旅行と言えば、問題は言語ですが、そのあたりはちょっと解りません。w
続きはまた今度。
862世界@名無史さん:2005/10/31(月) 13:15:44 0
参考資料:航空写真と矛盾している12の「目撃証言」著ジョン・ボール(カナダ人の航空写真の専門家)
John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photos
(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/air_photo_evidence/ball_02.htm

1. 木々
2. アウシュヴィッツ収容所周辺の衛星労働キャンプ、抑留収容所のための管理局。
3. 主要幹線にいたる支線
4. 鉄条網のフェンスの外の9つの監視塔の1つ
5. 2つの並行した3mの高さの鉄条網のフェンス
6. メイン・ゲートにある有名な標語「ARBEIT MACHT FREI」(注a)は抑圧と残酷を示唆しているようであるが、実際には「労働は自由にする」を意味しているにすぎない。
7. 手術室を持つ病院は、いわゆる「ガス室」の道路向こうであった。
8. 平屋根の建物には2つの1メートルの煙突が炉の上についているが、いわゆるガス室の上には換気口も穴もない。これは収容所の鉄条網のフェンスの外にあり、作業場と病院の隣にあった。
9. 村人と囚人が家具を作り、衣服を縫った作業場(注b)
10. 24ブロック(注c)。1階は図書館、楽器庫に使われた。(注d)
11. 80名の交響楽団(注e)の様々なメンバーが軽いクラシック音楽を演奏した場所。(注f)
12. 13の石炭ストーブを備えた厨房。ここで毎朝パンが焼かれ、温かい食事(注g)が提供された。
13. 1階の郵便局。(注h)
14. 暖房装置のある煉瓦づくりの3階の就寝バラック
15. 音楽会場と劇場(注i)。ここでは囚人の音楽家がコンサートをおこない、様々な収容所からの演劇やコメディーグループが大きな舞台から囚人を楽しませた。人々は収容所のドア、収容所外の主要ドアから入った。
16. 2.5m深さの砂と砂利の穴。
17. 収容所のフェンスの中にある囚人の夏の水泳プール(注j)は、長さ20メートルであり、1.3mの高さの飛び込み台を持っていた。
18. 囚人たちが「バーチ・アヴェニュー」とよんだ並木
19. 収容所長の管理局の1つ
20. 所長の3階の邸宅
21. 2km行くとオスヴィエチムの町に向かうソラ川
22. 収容所両側の3mの高さのセメントの壁。外側から収容所の中をのぞくことを妨げており、囚人とスパイの接触を妨げた。
863世界@名無史さん:2005/11/01(火) 11:01:08 0
ワルシャワに着いたら、早速オシフェンチムに向かいたいところですが
ここは落ち着いてワルシャワ観光もしたいですよね。
ワルシャワは旧市街も復元されていて、中世のヨーロッパを楽しむ事も
できるらしいです。
後、ショパンの心臓が保存されている教会(聖十字架教会)もあります。
ホロコースト関連ではワルシャワゲットーの武装蜂起を記念した
「ワルシャワ蜂起祈念碑」があります。
「羊のようにおとなしく」殺されなかった人々の思いを感じられるでしょうか。
さて、一段落したらオシフェンチムへの中間地点クラクフへ向かいます。
基本的には鉄道で移動します。カトヴィツェという駅経由のルートもありますが
クラクフ経由が一般的らしいですな。料金は不明ですが、2時間半程度で
クラクフへ到着です。クラクフの街は戦災を受けなかった街なのでワルシャワ
以上に中世の町並みが残っているそうです。
>ttp://www.geocities.jp/pxc01462/old/11cra-balbacan11.jpg
>ttp://www.geocities.jp/pxc01462/old/11cra-hiroba11.jpg
上の写真のようなレンガ造りの建物は「ヴァルバカン」と呼ばれているらしいです。
ここには貴重な絵画のコレクションがある「チャルトリスキ美術館」もあります。
ダヴィンチ、レンブラントなどの絵画が展示されています。
閑話休題、オシフェンチムに向かいましょう。
一番良いのはバスですが、困ったことに便数がはっきりしません。
1時間に1本、という説もあれば1日3本という話もあります。
3本なんて行ったら帰って来れないジャマイカ。w まじで収容されるのかっ。
タクシーも有りますが、いわゆる「ボッタクリ」も多いらしいです。
某お隣の国も「ボッタクリタクシー」は多いですが。(私も引っかかった口)
「ラジオタクシー」というタクシーは比較的安全らしいです。
しかし、そのタクシーは元々料金が高い、てなオチはついてないんだろうな。おい。
バスに乗れたら、オシフェンチム(アウシュヴイッツ)到着です。
ここで言う「アウシュヴイッツ」とは第一収容所のことです。
航空写真で場所を確認してください。これ以外に第3収容所(工場群)もあります。
>ttp://www.mazal.org/images/Auschwitz%20Aerial/06-26-44%2001.jpg
864世界@名無史さん:2005/11/02(水) 21:55:31 0
クラクフにはユダヤ人街があるらしいですよ。旅行した人から聞きました。
大戦前から住んでる人たちではないかもしれませんけど。
865世界@名無史さん:2005/11/03(木) 02:04:52 0
ポーランド人は挨拶がわりの抱擁は3回やる。
そのつどほっぺたに、右左右と軽くキス。
通常より1回多い。
したがって、お姉ちゃんと仲良くなるととても得した気分になれる。
866世界@名無史さん:2005/11/04(金) 15:38:13 0
「捕炉抗屠」(ほろ・こうすと)

中国の三国時代、天下は麻の如く乱れ、その隙を突いた異民族の侵入に悩まされた政府では異民族を殲
滅し周辺諸国に恐怖を与えるため新しい処刑法の開発が盛んになったという。
だが当時の中国では、凌遅刑や車裂きなど、残虐な刑罰には事欠かなかったのであるが、大量の人間を
一度に処分する処刑法としては適さない刑罰が多かったという問題があった。
増加する異民族に頭を悩ませた時の中央政府は藍緋曼(あいひまん)という官僚に命じて新しい処刑方法
を開発させたと伝えられる。

それが「捕炉抗屠」(ほろ・こうすと)と呼ばれるものである。
これはとらえた異民族を一つの家屋に立錐の余地がないほどたくさん積め込んだ上に、その家屋に備え付
けられた煙突から有害な煙を出す竹露(ちくろん)と言う球状の物質を投げ込んで犠牲者を死に至らしめる
というものであったという。
この恐るべき処刑法によって虐殺された異民族は一説には六百万人とも言われ、当時の中国から反抗的な
異民族は文字通り一掃されたと言われる。

その後、三国時代を終結させ晋王朝を開いた武帝はこの惨状を憂い、責任者であった藍緋曼を死刑に処し
「捕炉抗屠」も禁断の知識として封印される事となった。

だが後の20世紀、放浪時代のヒトラーによってこの禁断の処刑法が発見され、それが歴史に残る大虐殺に
つながることになったとは何という因果だろうか。

(民明書房刊『中国〜封印された悪魔の知識』より)
867世界@名無史さん:2005/11/04(金) 19:52:26 0
しばらく書かなかったら「俺収容所スレ」、落ちちゃった。w
>864,>865貴重な情報どもありがとです。
ユダヤ人街もいってみたいが、ポーランド娘も捨てがたいな。w

さて、航空写真で解るようにアウシュヴィッツ2(ビルケナウ)と
アウシュヴィッツ1はかなり離れています。
おまけにビルケナウ収容所はカナーリ広いです。
どちらも満足するように見学するなら、それぞれに1日ずつ
割り振って日程を組むのがいいかも。
特にビルケナウを正門からクレマトリウムまで見ようと思ったら
充分、一日かかりそう。端っこと端っこだからね。
宿泊はオシフェンチムでもいいでしょうが、クラクフがお勧めらしいです。
まぁ、ホテルもきれいなんだろうし、食事もおいしいかもね。
ちなみにビルケナウ(ブジェジンカ)で宿泊って話は聞かないな。なんでだろ。
ここまでで日程的には7泊8日くらいいってますか。
やっぱり遠いよな〜。
ついでに、おまかせプランってのもあるらしいです。
お問い合わせはポーランド航空「エアツアーズ・ポーランド、
トラベルビューロー」まで。
情報はこのHPを参考にしました。
>ttp://www.geocities.jp/pxc01462/old/ausframe1.html
868世界@名無史さん:2005/11/06(日) 00:19:02 0
>>867
> おまけにビルケナウ収容所はカナーリ広いです。
> 情報はこのHPを参考にしました。
> >ttp://www.geocities.jp/pxc01462/old/ausframe1.html

想像以上の広さみたいですね。ほかに観光客がいないとかなり不安かつ
不審な感じになりそうです。ところでこのサイト管理人さんは2回目の
ビルケナウ訪問記のところで「人間の灰が捨てられた池」の近くのクレマ4・5
をクレマ2・3と誤認してませんか? 現地に行きもせず地図ばかり見ている
自分としては、「サウナ」(文中では「洗面所」)の先ならば位置関係がおかしい
のではないかと気になってしまいました。
869世界@名無史さん:2005/11/06(日) 00:40:20 0
>>632
> ホロコーストのいろいろな解釈について調べている高校生です。
> 「大量強盗殺人」「親切を振りまく独裁」「お天気屋政治家」などの
> 主張をしているアリについて、アリ ナチ ホロコースト・・・でくぐって
> もヒットしないのですが、どなたかアリのフルネームをご存知でしたら教えて
> 下さい。よろしくお願いいたします。

ゲッツ・アリーですね。国民に親切を振りまいていたというアリーの見方に
ついては、国民はけっこう苦しかったはずだという立場から一面的との批判
もあるようです。

個人的には、ナチが国民に福祉をばらまいて人気取りをやったというよりは、
国民が既にわがままだった(良くいえば意識が高かった)のでそういう統治の
仕方をせざるを得なかったという、逆の方向もあるのではないかと思います。
というのはワイマール時代がすでに先進的な福祉国家的憲法をもった時代
でしたので。福祉をふくめ、労働者のさまざまな要求にある程度敏感に反応
していかないと、宿敵である共産主義者や社会民主主義者の活動を押さえ
込むのは難しかっただろうと思います。

もっとも、アリーの本は読んでないので的はずれになるかもしれません。
870世界@名無史さん:2005/11/06(日) 01:46:39 0
>>588
> ユダヤ人達はどういう過程を経て、現在のように定住していったのでしょうか。

まず戦争末期の話ですが、東西から連合軍が進撃してきて強制収容所に
迫ってくると、SSは可能なかぎり収容者を後方に疎開させようとしました。
疎開の主たる目的は生産に必要な労働力を維持することでしたが、物資も
輸送手段もまったく不足していましたので多数の死者が出ることになります。
そして疎開の結果大多数の収容者はドイツの西の部分、のちに英米の占領
地域となる地域で解放を迎えました。

そのようにして大多数のユダヤ人元収容者は戦後に英米の管理下に入った
わけですが、疎開せずにソ連軍によって解放されたユダヤ人ももちろんいました。
アウシュヴィッツで解放を迎えたプリーモ・レーヴィもその一人です。そして
東西どちら側でもまずは避難民キャンプ(DP Camp)に収容され、再定住先
を決めるという流れになりました。

再定住先の希望についてですが、避難民キャンプを調査したアメリカのアール・
ハリソンの45年8月の報告によれば、ポーランドやバルト海諸国のユダヤ人
については故郷に帰りたがっている人が非常に少なく、ハンガリーやルーマニア
のユダヤ人はそれよりも高い割合で帰国を希望しているが、親戚を探すため
の一時的なものとしている人もいる、そしてドイツのユダヤ人のうちドイツ人・
ライヒ市民と結婚した混合婚の人はドイツにとどまることを希望している、
という状況だったようです。報告はユダヤ人は総じて帰郷を希望していないと
まとめています。一方でポーランドのアウシュヴィッツ国立博物館によると、
アウシュヴィッツで解放された収容者の多くは3〜4ヶ月病院で過ごしたのち、
東欧各地の収容施設から鉄道や船で故郷に帰ったとされています。西側の
ハリソンの報告に比べてスムースに帰郷したような印象を受ける記述で気に
なります。
871世界@名無史さん:2005/11/06(日) 01:47:01 0

さて、西側占領地域にいた大多数のユダヤ人元収容者は帰郷せずに移民先
を探すことになりましたが、各国の受入れ枠では十分ではなく、シオニストに
よる働きかけもあってパレスチナを目指していったようです。そこら辺の流れは
米国ホロコースト祈念館のページが参考になると思いますのでどうぞ。
Displaced Persons
ttp://www.ushmm.org/wlc/article.php?lang=en&ModuleId=10005462
872世界@名無史さん:2005/11/06(日) 12:10:11 0
なにわがまた楽しい妄想を繰り広げてらっしゃるご様子。
873世界@名無史さん:2005/11/06(日) 14:19:44 0
>868
ええっと、「死の門」から真っ直ぐならばクレマ2とクレマ3で
良いはずですね。クレマ4,5に行こうとすれば途中でバラック練を
横切るはずではないかな。女性収容練にも立ち寄っていますし。
>ttp://www.mazal.org/Auschwitz%20Aerial/12-21-44%20001.htm
航空写真でも確認できます。
私は「サウナ」の位置が解らないので、そのあたりが不安ですが。
>870
その質問、私です。w
名無しでこそっと聞いてみたのです。あの時はカナーリ荒れてましたので。
戦後のユダヤ人達の動向について書かれている資料も少ないですよね。
収容されていた人々の人生は大きく狂っていったのでしょうかね。
イスラエルに移住できた人達でも、アウシュヴィッツ帰りの人々は
「石鹸」と呼ばれて差別されたと聞きます。
また、戦後ソ連に帰還した捕虜達もスパイ容疑をかけられて
ソ連でもさらに収容区に住まわされたとNHKドキュメントでも
語られていました。なんだか不幸な話だなぁ。
>872
?
874世界@名無史さん:2005/11/06(日) 21:40:19 0
>>873
> ええっと、「死の門」から真っ直ぐならばクレマ2とクレマ3で
> 良いはずですね。

そのクレマ2・3の先にある「慰霊碑」から右に林の小径をたどってレンガ造り
の「洗面室」を過ぎ、さらに道なりに右に曲がったところにある廃墟と小さな池
についての話です。筆者はクレマ2・3の話をしていますが、その場所にあった
のはクレマ4・5だろうと思います。記憶が混ざってしまっていますが、それ
ほどクレマ2・3に強い印象を受けたのでしょう。訪問記はこのページに書かれ
ていて、ほかに観光用の地図も見られるようになっています。
ttp://www.geocities.jp/pxc01462/o-bilk-4.html
ttp://www.geocities.jp/pxc01462/o-frame.html

ちなみに「洗面室」はかつてザウナ(サウナのこと)と呼ばれていた施設で、
43年末から新規収容者の登録、身体検査、散髪、シラミ駆除、シャワー、
刺青入れそして被服の支給などがおこなわれていました。>>873の航空写真
だと Main Disinfection Building となっています。
875世界@名無史さん:2005/11/06(日) 23:11:39 0
>>869
アリーの話ですが、彼は要するにナチの支配に一貫性はなく、国民の支持を調達するために
何でも場当たり的に適当な手段をとっていった、という意味で言っているんだろうと思います。
アリーは機能派の中でももっとも極端な主張をしており、ホロコーストに関してもトップからの命令は
必要なかったとまで言っています。(が、もちろんこれは殺害の意図がどこにもなかったという意味ではありません)
ワイマール期の国民がわがままで要求が高かったため、ばらまき福祉をやらざるを得なかった、
というのはどうでしょうかね。ワイマール時代の社会福祉は高インフレやら自治体の財政難のために
削られっぱなしでしたから、給付水準がことさらに高かったとは言えないのでは。
876世界@名無史さん:2005/11/07(月) 09:45:41 0
>874
ああ、こっちの話でしたか。私も勘違いしてました。すみません。
この訪問記だと、訪れているのはクレマ4、5ですね。クレマ2、3というのは
記憶違いか書き間違いでしょうね。池が近辺にあるのはクレマ4、5ですしね。
しかし、見事に廃墟になっていますねー。
私自身はガス室に関してはそんなに詳しくは知らないのですよ。
それよりも、このような強制収容所を持っている「政府」というのが怖いです。
ナチスドイツの強制収容所というのはアウシュヴィッツ以外にも数多くあり、
ユダヤ人、ロマ族以外にも戦争捕虜、政治犯も入れられたと聞きます。
>ttp://www.breakpoint.jp/saimondo/honkan/instruct/concentration_canp.htm
強制収容所というのは刑務所よりも恐怖感を煽りますよね。
なんだか入ったら出られないというか、「お前なんか死んでもいいもんね」と
国家から言われているような。w
こんな施設を背景に行われる政治というのが怖い。
これで国民の支持が得られていたというのも信じがたいことです。
877世界@名無史さん:2005/11/07(月) 10:05:35 0
妄想広げて楽しそうですねえ。
まあ、幸せそうでなによりだ。どうせ隔離スレだし、好きなように妄想を楽しんでほしい。
878世界@名無史さん:2005/11/07(月) 12:52:39 0
>>876
強制収容所というのは別にナチスの専売特許ではなく、迫害目的で体制の敵を
収容する施設としては有名なスターリン時代のソ連のラーゲリをはじめ、オスマン帝国が
アルメニア人を収容したものなど、至る所の国で作られています。
「20世紀は収容所の世紀であった」とさえ言う人もいるほどです。
また強制収容所はナチスの謳い文句によれば労働忌避者(今で言うひきこもり)や政治犯を
強制的に働かせることで矯正しまっとうな人間に鍛えるための施設とされていました。
こうした発想はヨーロッパでは18世紀からありましたし、また昨今の日本で性犯罪者や少年犯罪者を
厳罰に処せとか一生閉じこめてしまえとかそういう話が出ているのも、こうした強制収容所設置の思想
とひょっとすると軌を一にしているのではありますまいか。
879世界@名無史さん:2005/11/07(月) 23:38:56 0
深度480m age
880世界@名無史さん:2005/11/08(火) 09:04:04 0
フランスの暴動見ると、イスラム教徒に失望するね。
881世界@名無史さん:2005/11/11(金) 08:44:03 0
「ジェニンの虐殺」って、デマらしいね。
882世界@名無史さん:2005/11/12(土) 10:25:22 0
あー、忙しかったですたい。
>878
あーねー。スターリン時代のソ連も怖いですね。
ソルジェニーツィンの「収容所群島」なんか読むとアウシュヴィッツのほうが
マシに思えてくるのがさらにコワヒ。古い小説だが、結構イイよ。
オスマン帝国までいくとホロコーストと何が繋がるのか解りにくくなりますが。
> また強制収容所はナチスの謳い文句によれば労働忌避者(今で言うひきこもり)や政治犯を
強制的に働かせることで矯正しまっとうな人間に鍛えるための施設とされていました。

これだと刑務所と根本は変わらないんだけどね。
ホェスなんかもそう考えていたようだけれども。
戦争捕虜や異民族以外の政治犯等は更正すれば出所できたのだろうか。
白バラのゾフィ・ショル等は収容所にこそ入れられなかったが、
逮捕後数日で処刑されたようだ。
彼女らにの映画も近日に公開されるそうだね。
>ttp://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5986
さて「ヒトラー最後の12日間」同様、見ておくべきかなぁ。
883世界@名無史さん:2005/11/12(土) 11:17:53 0
______初心者の皆様へ______

このスレは、ホロコーストを無理やりあったということにして妄想を語らう一部の人(主にな○わという元コテ)のための隔離スレです。
884世界@名無史さん:2005/11/12(土) 22:23:25 0
>>882
>オスマン帝国までいくとホロコーストと何が繋がるのか解りにくくなりますが。

ホロコーストの思想的源流が世紀転換期から20世紀初頭のドイツでさかんになった
社会ダーウィニズムにもとづく人種衛生論にあったことはよく知られています。
第1次大戦当時、オスマン帝国には、同盟相手であった帝政ドイツから医療衛生関係者が
大勢アドヴァイザーとして行っているのですが、彼らがもちこんだ人種衛生思想が
アルメニア人虐殺のおこった一因になったと言われています。

>政治犯等は更正すれば出所できたのだろうか。
反体制派でドイツ人や西側外国籍の大物の場合とくに初期には出所できた例があります。

>彼女らにの映画も近日に公開されるそうだね。
なかなか面白いらしいですよ。「最後の12日間」よりはマシな出来映えを期待しています。
885世界@名無史さん:2005/11/13(日) 01:02:37 0
>>875
> アリーの話ですが、・・・

なるほどそういうことですか。『最終解決』のほうは見ましたが、政策決定
過程の背景にあるものとして優生思想や人種衛生の考え方といったコン
センサスも重視しているようですね。

優生思想といってもさまざまなレベルがあるでしょうが、囚人や精神病者
について強制でなく任意で断種するという程度ならば、むしろ左派の社会
民主主義者の主張と重なるものであって、カトリック教会も強く反対しない
という社会状況がワイマール時代からありました。19世紀後半からの
精神病者や自殺者の増加に直面して、社会の遺伝的劣化を食いとめな
ければならないという問題意識が広まっていたと言われています。

そしてより広いものの考え方になりますが、淘汰せずに劣った者に栄養を
つけさせれば遺伝的劣化を助長することになる、社会的に価値の高い人
の子どもの数は貧乏人の子どもの数より少ないので将来の社会が心配
といった発言が社会民主党の議員や党員からも出ていたそうです。これは
人口政策とか福祉につながっていきますね。当時はさまざまな社会保障
制度が拡充・新設されていましたので、たんなるばらまきではなく、よりよい
社会をめざす責任ある福祉といったコンセプトだったのかもしれません。

さて、ここで劣った者や貧乏人をユダヤ人に、価値の高い人をアーリアに
置き換えればナチスの考え方に似てきます。ナチスと非ナチスの間の
思想的な距離はここでは説明に何行も要するほど遠くありません。ホロ
コーストを可能にした条件の一つにはそういう当時の社会状況もあったの
だろうと思います。
886世界@名無史さん:2005/11/13(日) 01:06:42 0
>>875
> ワイマール期の国民がわがままで要求が高かったため、ばらまき福祉を
> やらざるを得なかった、というのはどうでしょうかね。

国民の要求だけがナチスの社会福祉政策の決定要因だったとは思いませ
んが、だからといってナチスが好き勝手にできたわけではないと思います。
例えば村瀬興雄の『ナチズムと大衆社会』には仕事をサボる、仮病をつかう、
ナチス諸機関に不満を表明したり集団的な圧力をかけるといった労働者たち
の反対行動や闘争が描かれています。それによると経済が完全雇用水準
に達した36年ころから増大した集団的な賃上げ交渉などの労働争議の場
では、失業保険の保険料が高すぎることが攻撃され、そのことは労働省の
労働管理官などを通じて政府に報告されていました。また39年のポーランド
侵攻にともなって実施された有給休暇の廃止や賃金の削減をふくむ戦時
経済政策は、欠勤や労働拒否のあまりの多さのために、その多くを撤回
せざるをえなかったようです。ナチスは労働組合を禁止してドイツ労働戦線
という官製の労使協調団体に再編し、ストライキを徹底的に弾圧しましたが、
労働者が政治的に完全に無力化したわけではなく、社会福祉政策について
もある程度影響力をもっていたとみるべきでしょう。

なおワイマール時代については、失業保険の保険料の引き上げに労働
組合が反対したために30年にミュラー内閣が倒壊したということも忘れては
ならないと思います。
887世界@名無史さん:2005/11/13(日) 01:44:17 0
>>882
『収容所群島』は読んだことあります。確か収容所に人が集められてくる
システムを下水道にたとえているところがあったと思いますが、そのシュー
ルな感じが好きでした。高校のときだったので背景にある現実には思いが
至らなかったですね。一度読み直さなければなければと思っています。

ゾフィー・ショルの映画は観たことありますが、話の流れにムダがなく、
かつ緊張感があって、思わず引き込まれてしまうようないい映画でしたよ。
良心にこだわるゾフィーの精神力には感銘を受けました。自分ならばもっと
現実主義で妥協するだろうと…
888世界@名無史さん:2005/11/13(日) 16:03:44 0
更新情報。永岑氏のHP。
新たに講義資料としての整理と若干の記事の追加がありました。
>ttp://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050907ShuchuKogiNote.htm
889世界@名無史さん:2005/11/15(火) 01:31:26 0
>>885
ワイマール期の社会福祉政策のうち、相対的安定期までは
そんなに人種主義や優生学の直接の影響を受けていないと思うのですが
どうでしょうか。
世界大恐慌以降は福祉切り捨ての大合唱で、非生産的な社会的弱者は安楽死させてもかまわない、
などという極端な議論も出てきますが、ワイマール初期の世界最初の福祉国家建設の試みは
そんなに過小評価はできないと思います。
ホロコーストとのつながりを強調するとどうしても優生学とか社会ダーウィニズムとかのほうに目がいきますが、
ワイマール期前半の社会福祉はむしろ第1次世界大戦中の戦時福祉との関連で語られるべきでしょう。
890世界@名無史さん:2005/11/18(金) 09:00:24 0
ほす。
891世界@名無史さん:2005/11/20(日) 23:08:51 0
>>588
> 同時期に収容されていたシンティ・ロマ達に対してはどのような保証が
> されているのでしょうか。

ジプシーへの補償については、迫害や虐殺が人種的・民族的理由による
ものだったと認められるまでに時間がかかったため、90年代まではかなり
不十分だったようです。金子マーティンの『ナチス強制収容所とロマ』や
『「ジプシー収容所」の記憶』に詳しいですが、82年にシュミット首相がナチス
のロマ民族迫害は民族抹殺だったと公式に認めるまでに長い年月がかかり
ました。ジプシー迫害はたんなる浮浪者対策にすぎなかったという見方が
戦後ドイツでは根強かったようです。

>>889
確かに社会福祉政策全体から見ると優生学の影響は限定的だったと思い
ます。社会民主党も具体的な政策としては任意の断種以上のことには踏み
込まなかったようです。ただ>>885の第3段落にあるような優生学を意識した
政治的発言は20年代からすでにあったそうですので、当時の社会福祉を
考えるうえで優生学との対話という視点は重要だと思います。

(訂正)>>885
> 淘汰せずに劣った者に栄養をつけさせれば遺伝的劣化を助長することになる

×淘汰せずに
○淘汰に逆行して
892世界@名無史さん:2005/11/20(日) 23:46:59 0
>>873
> イスラエルに移住できた人達でも、アウシュヴィッツ帰りの人々は「石鹸」
> と呼ばれて差別されたと聞きます。

人間石鹸になりそこなった人たちという感じですかね? う〜む。
元収容者たちは戦後の生活のなかでも身体の障害や病気あるいは精神的
な不調などに苦しみ続けることになりましたが、そのような不健康状態は
「強制収容所症候群」と呼ばれています。

精神的な不調についてですが、元収容者たちには抑うつ、不信、抑制の欠如
といった方向に人格の変化が認められるとアウシュヴィッツの調査にあたった
クラクフの精神病院のロマン・レシニアク医師が報告しているそうです。まあ
無理もないでしょう。

元収容者といってもゾンダーコマンドという特殊な例になりますが、シュロモ・
ヴェネチアは年老いた今でも自分は生き残ってよかったのかと考えて抑うつ
になるようです。戦後結婚した妻マリアがインタビューに答えて話したところに
よると、結婚して5〜6年たってはじめて収容所のことを話し始め、悪夢に
うなされた次の日の朝などに「またドイツ人に追いかけられる夢をみた」と言って
少しずつ体験を語った、また2001年の夏には重い抑うつになり孤独感を
訴えていたそうです。そのときには妻も87年に自殺した元収容者のプリーモ・
レーヴィのことを思い出して心配になったとか(ヴェネチア夫妻はイタリア在住)。
Zeugen aus der Todeszone (dtv, 2005) という本に載っています。
893世界@名無史さん:2005/11/20(日) 23:59:09 0
>>892
訂正。名前が間違ってました。変わった名前ですが、ブダペスト生まれの
ユダヤ人で戦争中はルーマニアのブカレストに逃れていたそうです。

> 妻マリア → 妻マリカ


894世界@名無史さん:2005/11/21(月) 02:21:15 0
>>891
このスレ的には枝葉末節なのであまりこだわるつもりはないのですが、
福祉国家形成のプロセスで重要だったのは、国民すべてに等しく社会福祉の
恩恵を与えるという発想であって、優生学や人種理論ではありません。
それが成立した上で、こんな人たちにはいくら治療を施しても無駄ジャマイカ、とか、
慢性的な財政難なので給付を削るとしたらどこから切っていくべきか、という議論が出てくるようになって
初めて、社会ダーウィニズムや優生学の議論が世間の注目を浴びるようになるわけです。
この総力戦と優生学の二重構造こそが重要です。いくら初期から言説が存在していたからといって、
何でもかんでもホロコーストにつなげるような単線的発展史観はいい加減ヤバイと思います。
895世界@名無史さん:2005/11/21(月) 11:13:27 0
896世界@名無史さん:2005/11/21(月) 11:17:40 0
「ガス室」もウソだが、「ジェニンの虐殺」もウソ。
これは、公平のために言っておく。
人間は、みんなウソをつく。
パレスチナ人もウソをつくんだよ。

羅生門だね。
897世界@名無史さん
>891
シンティ・ロマの件、ありがとうございますー。
まさか調べて頂いているとはつゆ知らず、南京事件あたりをうろついてました。w
おまけにアク禁くらってました。w

>ジプシー迫害はたんなる浮浪者対策にすぎなかったという見方が
戦後ドイツでは根強かったようです。

そうなんですか。収容所でもロマ達は他の収容者と違って家族揃って
収容されていたようです。ホェスの「アウシュヴィッツ収容所」にも
その様子が描かれています。
彼らは収容所内でも新たな収容者がやってくると、歌を歌い、踊って
歓迎したそうです。なんだかツライ話ですが。
金子マーティンの本、読んでみます。
>892
 アウシュヴィッツに収容されていた人々はその劣悪な栄養状況から
身長が伸びず、太ることもできないやせっぽちな人が多かったらしいです。
その人達を「人体実験帰り」という揶揄を込めて「石鹸」と呼んだらしいです。
死ぬも地獄ですが生き残っても地獄だったらしい。
 プリモ・レーヴィは「全ての良き人は死んでしまった」という言葉が
印象に残っているくらいですかね、私は。
「どうして自分は今、生き残ってしまったのだろう」と思い悩み、死んでいった
彼は詩人らしく繊細な神経の持ち主だったのでしょうね。