紀元前7年10月の初め頃
なんとなくなんだけど・・・
2 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 18:24:31 0
単発スレッドを立てるほどのことではないので削除依頼を出します。
5 :
唯一ネ申:2005/09/04(日) 07:51:22 0
,r-'''"" ̄ ̄"'-,_
_,.-'^γ´ `i,
,r' ,.r'"ヽヽ、( ( ソノノ彡、 i
,i' { "''''''''''''' ミ .i [ ̄二. ̄| [二⌒二] / ̄7 [二 ̄二] [二二 ̄|
i i ミ i \\/ / [二__二] / l´ | | //
| i 二 二 二 二 ミ i.. > く. ┌──┐ く,/! ! | | / く
.i i ハ ミ i. ∠/\> l_二二_」 |_| [二__二] ∠/\_>
| ノ {{|iiiiiiilll;ノ,,,,,ヽ;liiiiiiii||}} ゝヾ
| .ミ >='^◎≫,i'^'i,≪◎'=、< ミヘ
,ヘ ミ ~こ二ヲ i i; .'ミ二こ、 ミ }
{ レ ノ i i; ヽ、_, ';,ノ ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Li,;'ゝ ,イ ト、 ';, i'~ | 支持者の皆さま いつも暖かなご支援ご声援 どうもありがとう御座います。
i, i ._,ノ^-0し0-ヘ,_ }| | 東京都民であれば 9月11日の選挙区投票で又吉イエスに投票すべきだ!
ゝ,イ'<ー--ニ---ー>|ノソ < 東京都に住む友人知人にも 又吉イエスに投票するよう呼びかけるべきだ!
ゝ.i `'ー-'´ i,イ \_______________
|..ヾ、 ,.......、,i'.,ソ |
,|. ヾヽ_____レ'ソ .|、
世界経済共同体党 †
http://www.matayoshi.org/index.html
6 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:45:13 0
∧∧ ∧∧
∧_∧ □ . (⌒─⌒) □ .(゜∀゜) .(゜∀゜)
選挙に行くがな(´・ω・`)ノ イエス! . ((´^ω^`))ノ | † | | † |
_( __ )__ _( __ )_ ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
. / ━━ /| ./ ━━ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
./ / | ./ / | |.. 東 京 一 区 .|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 投 | | | 投 | |
| 票 | | | 票 | | 9月11日やがな
| 箱 | / | 箱 | / 唯一ネ申しかないがな!
| |/ | |/ イエス♪イエス♪イエス♪
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
7 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/12(月) 11:05:00 0
「予測してみる」って? イエスって人はこれから生まれてくるんですか…??
3年ほど前に「キリストの誕生日」というスレが立って詳細に議論されましたので、
御要望があれば再録しますよ。
8 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 11:44:41 0
あれ?12月25日じゃなかった??
イエスが昇天してサンタクロースになったんだろう??
確か後世の聖職者が計算間違いして紀元ちょうどに生まれたんじゃないんだよね?
紀元前4年くらいだっけ?
>>7 あやめ殿、興味あります。
神の子だからな。一度死んでから復活したんだし。
もう一度生まれてくるぐらいの芸当はできるだろう。
12 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 22:23:39 0
>>10 「興味あります」とのお声が揚がりましたので、これを「過去ログ再録要望」の輿論と勝手に解釈して
早速ぼちぼちコピペにかかります。
−−−−−−−−−−−−−−−
キリストの誕生日 ■▲▼
1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/11(金) 03:43
っていつ? やっぱ12月24日であってます?
25 名前:あやめ 投稿日:2000/08/30(水) 16:43
イエスの生年月日については神学的史学的にいろいろ議論されています。
その詳細を見るのに最も便利なのはジャック・フィネガン著、三笠宮崇仁訳
「聖書年代学」(岩波書店昭和42年刊)という本です。
イエスの生年についての問題はちょっと脇に置いて、月日について同書に
より紹介します。原著は訳文と相俟って頗る記述が晦渋で要約に苦労しま
した。年代学的考証は省略します。
13 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 22:25:50 0
(前レスの続き)
アレクサンドリアのクレメンスの「ストロマタ」の記載 194A.D.
クリストの誕生からコンモドゥスの死まで194ヶ年1ヶ月13ヶ日である。
11月18日説 (3B.C.)
同書所引一説
ある人はパコン月25日にイエスは生まれたとしている。
5月20日説 (3/2B.C.)
同書所引一説
別の人はファルムティ月24か25日に救世主は生まれたと言っている。
4月19or20日説
14 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 22:27:10 0
(続き)
エビファニウス「パナリオン」の記載 4世紀末
オクタビアヌスとシルヴァヌスがコンスルであった時の、ヤヌアリウス月
満月より8日前で冬至から13日後にクリストは生まれた。
クリストが生まれたのはヤヌアリウス月の5日の晩から6日の朝にかけてで、
この日はエジプト暦でテュピ月11日、シリア暦でアウデュナイオス月6日、
ヒブル暦でテベト月5日に当たる。
1月6日説 (2B.C.)
同書所引一説
アロギ派ではポンペイアヌス(ポッパイウス・サビヌス)とスルキピウス・カメ
リヌスがコンスルの時、ユリウス月またはユニウス月初の12日前にイエスは
生まれたとしている。
5月21日or6月20日説 (9A.D.)
15 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 22:29:18 0
27 名前:あやめ 投稿日:2000/08/30(水) 18:21
以上は12月25日説以外の異説です。
12月25日説の最も早い記載はフィロカルス編「354年のクロノグラフ」所収の「殉
教者墓所表」に録されたもので、「ヤヌアリウス月初の8日前にクリストがベツレ
ヘムに生まれた」と述べられています。
12月25日説の神学的根拠については、キプロスのテオドレトス「誕生日の説教」に
引かれているアンティオキアで386A.D.にクリソストムスが行った12月25日の説
教の中で詳細に説明されています。
16 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 22:31:15 0
(前レスの続き)
ルカ1-9 ザカリアが神殿に入った時エリザベトはヨハネを生むことを約す。
大司祭ザカリアが神殿に入る重要な神事は断食と仮庵祭であろう。
レヴィ16-29 断食は贖罪の日でティシュリ(第7)月10日である。
レヴィ23-24 仮庵祭は第7月の15日に始まり7日間続く。
この祝祭をユダヤ人はゴルビアイオス月の終わりに行っていた。
ルカ1-13 ザカリアへのバプテスマのヨハネの受胎告知。
ゴルビアイオス月は9月1日に始まるので、9月末日が受胎日。
ルカ1-26 それから6ヶ月目にマリアにイエスの受胎が告知される。
即ちクサンティコス月=4月となる。
更に9ヶ月でイエスの誕生となる。
それはアペライオス月=12月である。
17 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 22:34:15 0
(続き)
クリソストムスは「イエスの受肉において『義の太陽』(マラキ4-2)が人の肉体から
光を地上に送ったのは何たる奇跡であろうか」といった趣旨の言及をしています。
これは冬至における太陽の再生を示唆したものであり、不敗太陽神信仰にクリスト
教の祝祭が取って代わったことを意識するものである、というようなフィネガンの
解説がなされています。
そしてアウグスティヌスの「主は3月25日に受胎されたと信じられている。この日は
また主の受難の日であった。……伝承に従えば主は12月25日に生まれた」という語
を引用し、クリスト教における特別な日が太陽年のそれに合致させられている点を
暗示した解釈を示しています。
東方の博士を導いた星の問題はまた別に書くことにします。
(イエスの出生年については明日以降にコピペします)
あやめさんは色々と詳しいなぁ。
19 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:04:05 0
ジョーカーさんはジーモンさんと同一人物ですか?
だとしたら世界史板の長老ですね。酔鯨で土佐守ということは高知の方ですか?
黒人協会ということは夏場うんと海水浴なさったんでしょうね。
お褒めに預かったのに力を得てコピペ続行します。
20 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:05:39 0
49 名前:あやめ 投稿日:2000/09/18(月) 19:48
先月末にイエスの誕生日に関する諸説について書きました(レス25,27)。
今回はイエスの出生年について何回かにわけて書くことにします。
前回同様に主な参考書はフィネガンの「聖書年代学」です。
普通の本にはイエスはキリスト紀元元年の生まれではなく、実は4B.C.であると
書いてあります、では何を根拠として前4年を推定したのでしょうか。
イエスの出生の年次について直接間接に言及したものは、先ず当然のこととして
新約聖書です、しかし聖書にはイエスは紀元何年に生まれたとか述べていません。
当時はまだキリスト紀元はありません、当たり前な話ですけど。因みにキリスト
紀元は531A.D.にディオニュシウス・エクシグウスというスキタイ人の修道院長が
提唱したものだそうです。この間の事情についてはダンカン著「暦をつくった人々」
(河出書房新社刊)とマイアー著「西暦はどのようにして生まれたのか」(教文館刊)
などを参照してください。当時一般的だった紀年法はユダヤでは王の統治年次か
ユダヤ教の世界創造紀元で、ローマではコンスルの任命、皇帝の統治年次、ローマ市
建設紀元、セレウコス紀元などです。
21 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:09:38 0
(前レスの続き)
やや後世になるとディオクレティアヌス帝紀元がキリスト紀元が普及するまでの間、
主流的な紀年法でしたがこの皇帝はキリスト教を迫害した人なのは皮肉です。
イエスの生誕にまつわる事実についての聖書の記述から、当時の歴史事実と対照し
て間接的にこれを推定するというのが、第一義的な方法ですが歴史学的研究の外に
例の東方の賢者を導いた星についての天文学的研究がこれを補助します。
そして第ニ義的方法としては早期キリスト教徒などが書き残した文献に記載された、
イエスの生誕年次に関する直接的言及です。
明日から先ず文献記載のイエスの生年次についての諸説を紹介することにします。
22 :
ジーモン・ジョーカー:2005/09/14(水) 15:10:15 O
>あやめさん 同一人物です。 土佐守をせん称していますが、高祖父の一人が高知県出身だっただけで(苗字はその人から受け継いでいます)、私は生まれも育ちも本籍地も神奈川県横浜市です。
23 :
ジーモン・ジョーカー>あやめさん:2005/09/14(水) 15:15:30 O
途中でつまらぬ質問なのですが、アルメニア正教会はイエスの生誕日を1月か2月に祝っていますよね? それは暦の違いからなのか、イエス生誕日予測の割り出し方が違うからなのか、西欧と違いクリスマスの土台となった土着習俗が12月になかったからなのでしょうか?
24 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:15:59 0
(続き)
50 名前:あやめ 投稿日:2000/09/21(木) 19:30
イエスの生誕に言及した文献では年次についてどのような表示を採用しているのでしょうか?
先ず第一の表示法は何らかの事件が発生した一定の年を起点として、将来に亘り
半永続的に毎年または毎一定複数年のシリアルナンバーを付する―早い話が紀元年数で
特定するやりかたです。なお紀元はパブリックな性格のものですが、著述家による
プライヴェイトな編年もこれに含めておきます。
第二には特定年の在位コンスルによる表示です。
第三は当時のローマ皇帝であったアウグストゥスの統治年次による表示です。
25 :
ジーモン・ジョーカー:2005/09/14(水) 15:17:23 O
ロシアにもクリスマスは19世紀になって、もみの木祭りとして広まったらしいですが(もみの木祭りなる言い方はソ連時代だけだったかな?)。
26 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:20:12 0
(続き)
関係文献で使用されている紀元はオリンピアド紀元とローマ創市紀元です。
オリンピアド紀元は776B.C.を起点として、4年を1単位とする周期(オリンピアド)の
回次と周期内の年次とを組合せて表示します。ギリシャでは年は夏至後の新月から
始まるのですが、他国ではオリンピアドを利用する際は自国の暦法に合わせていた
可能性があります。
ローマ創市紀元は753B.C.を起点とする年次で表示します。元来は4月21日が毎年の
起点であったようですが、153B.C.からヤヌアリウス月(現行カレンダーの1月)に
始まる暦年に合わせるようになったそうです。
関係文献で使用されている編年にアフリカヌスなどが独自に提唱している開闢以来
の年代があります。ユダヤ教で使用されている世界創造紀元もしくはアダム紀元に
似たようなものですが、起点である年次が大分古く5503B.C.ころに置いています。
ローマでは毎年に任期1年のコンスル(最高政務官)2名が任命されてました。その
任期は暦年と合致するもので詳細な任次一覧表が編纂されているため、特定事件が
どのコンスルの任期内に発生したものか記述されていれば、正確な年次を認知する
ことが可能です。
27 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:25:52 0
(続き)
51 名前:あやめ 投稿日:2000/09/21(木) 19:42
「新約聖書」の「ルカ傳福音書」2-1に「そのころ天下の人を戸籍に著かすべき
詔令カイザル・アウグストより出づ」とあって、イエスがアウグストゥスの
治世に生まれたことは疑いないところですが、それがアウグストゥスの
統治第何年のことなのかは後代の記録に待たなければなりません。ところが
彼の統治第何年という表記が実際は一義的なものではないので厄介です。
先ずカエサルが殺され彼の遺言によりアウグストゥスが地位を継承した、
44B.C.の3月17日にその統治が開始したものとして、翌年の同日までを
治世第1年とし以後も同様に年次を序していく方式、言わば満年式とも
呼ぶべき表記があります。
28 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/14(水) 15:31:59 0
(前レスの続き)
次に44B.C.の3月17日から同年末日までを治世第1年とし、以後は暦年に
従い年次を序していく方式、また即位の年は数えずに翌年元日から暦年に
従い年次を序していく方式、言わば暦年式とも呼ぶべき表記ですが前者を
立年式、後者を踰年式とでも呼んでおきましょう。ここで支那の古代史に
関心のある方は平勢隆郎東大東洋文化研究所助教授が、東周時代の紀年法に
おいて注意を要する点として強調しておられる立年式と踰年式の区別を
想起されたかも知れません。
更にアウグストゥスがアクティウムにアントニウスを破った31B.C.の9月
2日に統治が開始したものとするものとして、これまた満年式・立年式・
踰年式と3種の表記が有り得ます。
更にアントニウスとクレオパトラの死亡した30B.C.の8月にエジプトに
おける統治が開始したものとするものもあるそうです。
暦年式についてはローマ支配下の各地方による暦法の相違という事情も
あり、皇帝の統治年次の表記にはかなり複雑な問題が存在するようです。
次回から各文献の具体的な記述内容を紹介することとします。
(ということで続きは明日)
>>27 翻訳と本文批評の正確さに欠ける文語訳を、得意げに引用するやめましょう。
しかも、ルカを引用しながら、「疑いないところ」って言っちゃうのも凄い。
結果的には、「アウグストゥス」の治世(前27〜後14)に、イエスが生まれた
ことは疑いないにしても、今どき、ルカの記述を頼りに、推論するなんて
誰もしない。その引用部のローマ全土の戸口調査の存在が、他の資料
からは全く確認できないとしたら(しかもローマ史上、一度もない勅令)、
ルカの記述の信憑性の程度がわかるはず。
さらに言えば、次の節のキリニウスのユダヤ属州における戸口調査は、
後6年。かと思えば、1:5では、イエスの生まれをヘロデ大王の治世
としている。ルカの聖史 in ローマ史(1:3)なんて全く信頼できないもの。
現代の聖書学では、イエスの生年は、ルカ 3:23やポンティウス・ピラトゥス
だとかカイアファ等の在職年代に、マタイとルカが共通して記しているヘロデ
大王の治世(前37〜4)とを総合的に考えて、ヘロデの治世の末期っぽい
ってことにしている。これ以上は、推測不可能。ダラダラと後代の信憑性
皆無の文献で「諸説」語っても、与太話でしかないよ。
>歴史学的研究の外に例の東方の賢者を導いた星についての天文学的研究
ど〜せ、ケプラーとかもってくるんだろうけど、こ〜ゆ〜幼稚なことも、
いい加減、卒業した方がいい。イエスの誕生・幼少の物語は、100%創作。
それぞれの伝承にはネタ元がある。古代のオリエント世界では、偉大な
為政者の誕生の際には、新しい星が現われると考えられていた。
マタイの場合、民数記のバラムへの預言とも重ねている。マタイに
とっては、イエスは律法の完成だから。
>ユダヤでは王の統治年次かユダヤ教の世界創造紀元で
中世以前にユダヤ教徒が創世
30 :
29:2005/09/15(木) 15:06:31 0
最後が欠けたね。中世以前にユダヤ教徒が創世紀元を使ってたことなんてあんの?
31 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/15(木) 18:54:29 0
(前レスの続き)
53 名前:あやめ 投稿日:2000/09/23(土) 18:41
現存文献で最も早くイエスの出生年に言及しているのは「駁異端論」で、 著者は西暦2世紀末の
リヨンの司教イレナイウスで、初めてカトリック信仰を体系的に解明した書と評価されています。
殊に三位一体論を顕示しヨハネ福音書の価値を確認させたのはこの書の功績であると言われています。
本書はほぼ180A.D.に書かれたと推定されていますが、その中で「我らの主はアウグストゥスの
統治28年に誕生した」と述べています。この年は満年式では4/3、立年式で4、踰年式で3(いずれもB.C.
以下同じ)年となります。
次は「ストロマタ(雑録、原義は絨毯)」で著者は2世紀末にアレキサンドリアで教授していたティトゥス・
フラヴィウス・クレメンスです。ローマの司教クレメンスと区別するため、通常アレクサンドリアの
クレメンスと呼ばれています。彼は秘儀的認識(グノシス)と信仰の融合を主張する独自の神学を
構築しました。彼は聖書の所説のギリシャ哲学に対する年代的優越を示すため、年表付き歴史叙述を
「ストロマタ」の中で試みています。本書で「我らの主はアウグストゥスの統治28年に誕生した」と述べ、
またイエスの出生からコンモドゥスの死までは194ヶ年1ヶ月13ヶ日とも言明しています。
コンモドゥスは192A.D.の12月31日に殺されました。ということはイエスは3B.C.の11月18日ということに
なります。
32 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/15(木) 19:02:52 0
(続き)
54 名前:あやめ 投稿日:2000/09/24(日) 19:38
次の文献は「ユダヤ人への返書」で筆者はカルタゴ生まれの2世紀末3世紀初の
著述家のクィントゥス・セプティミウス・フロレンス・テルトゥリアヌスです。
彼は「護教論」など多くの著作があり、クリスト教に対する異教徒の非難を
論駁すると共に、非妥協的な教説を堅持しました。
本書は預言が実現さるべきもであることを証明する意図で書かれたものです。
そして「アウグストゥスの帝政41年でクレオパトラ死後28年にクリストは生まれた」
「アウグストゥスはクリスト誕生後15年君臨した」と述べています。また
アウグストゥスの統治期間についてクレオパトラ死後43年で全期間は56年としています。
クレオパトラ死後43年に合致するのは満年式により計算した場合と、ユリウス暦の
8月29日を年始とする当時エジプトで行われていた暦法での踰年式による計算です。
またローマにおける彼の統治全期間が56年となるのは踰年式です。これを基準とすると
踰年式によるアウグストゥス統治41年は3B.C.であり、エジプト暦年によるクレオパトラ
死後28年はユリウス暦では3/2B.C.に当たります。
33 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/15(木) 19:11:15 0
(前レスの続き)
次は「クロノグラフィアイ(年代誌)」で著者は2世紀後半から3世紀前半のパレスティナの
著述家ユリウス・アフリカヌスです。本書は彼の多くの著述の中でも最も重要なもので、
これにより彼は西洋年代学の開祖と称されています。本書は編年の元期をアダムの創生に取り
イエスの生涯までの聖書上の重要事件の年代を推定しました。その資料としては「セプトゥアギンタ
(七十人訳聖書)」など多くの文献を参照したようですが、その作業の具体的内容は省略します。
ただオリンピアド紀元(略号Ol.)が彼のアダム紀元(略号A.Ad.)の4727A.Ad.に相当するとした点は
注意さるべきでしょう。本書ではイエスの誕生は5500A.Ad.=194,2 Ol.=3/2B.C.としています。
なお本書では大洪水は2262、出エジプトは3707、バビロン捕囚の解放は4943(各A.Ad.)年と
なっています。因みにアダム紀元(創世紀元)にはこの外5493(パノドロス)5492(アンニアノス)
5508(ゲオルギオス)5491(ネストリウス派)5604(グルジア教会)3761(ユダヤ教)年(各B.C.)などの
諸方式があります。
34 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/15(木) 20:05:00 0
(続き)
55 名前:あやめ 投稿日:2000/09/25(月) 19:16
次は「クロニコエ(年代記)」で著者はアフリカヌスと同時代のローマの著述家でイレナイウスの
弟子ヒッポリュトスです。本書は234A.D.ころ著された ものですが完全な形では残っていません。
アレクサンドリア本などで復元されたところではイエスの誕生は5502A.Ad.としています。
しかし本書はまた実際には234/5A.D.に相当するセヴェルス・アレクサンデル帝の統治13年を
5738A.Ad.としており、これから逆算すればイエスの誕生年は3/2B.C.でなければならないわけです。
テーベ本ではアフリカヌスと同じ5500A.Ad.となっています。
次は「ルカ傳講義」で著者は2世紀末から3世紀前半の代表的神学者オリゲネスです。
彼はクリスト教とギリシャ哲学の融合を試み組織神学の祖と呼ばれています。殊に聖書訓詁学の
基礎を確立した点は重要です。余談ですが彼は聖書の教義に忠実ならんとして自ら去勢したそうです。
イエスの出生年とアウグストゥスの統治期間との関係について、クリストはアウグストゥスの41年に
生まれ、その後15年アウグストゥスの統治が続いたと述べています。これは前回に書いた
テルトゥリアヌスと同一で3B.C.ということになります。
35 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/15(木) 20:08:33 0
(続き)
56 名前:あやめ 投稿日:2000/09/25(月) 19:29
ヒッポリュトスの「年代記」のテーベ本の記載について補足しますと、ある個所では
イエスの出生年をアウグストゥスの統治42年とし、別の個所では43年としています。
前者なら3/2B.C.となり後者なら2/1B.C.となります。
(以下はまた明日)
>>7 「詳細に議論された」って、本の要約しただけのような・・
37 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 09:37:49 0
38 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 09:54:08 0
ま、あやめさんは、ツッコミいれらると、遁走する方ですから・・・
しばらく、どのスレにも出現しないかと。
40 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 22:07:40 0
本当に終わりなんですかね。コピペ読みたかったかも。
42 :
世界@名無史さん:2005/10/24(月) 12:43:02 0
水(バプテスマ)と血(十字架)、二つを一緒に信じて人は初めて救われる。
血(十字架)だけを信じても地獄に行くだけ。水(バプテスマ)と血(十字架)と御霊(イエスは神ということ、よみがえり)を信じよう。
あなたがこのように信じることは神の御心なのです。どうか真の福音により、救われてください。
>>42 朝7時くらいに回ってくるキリスト街宣カーだな。
44 :
世界@名無史さん:
え?