ブンカーに着くと、囚われの人々はまずバラックへと車で追い立てられました。
そこで犠牲者たちがみずから脱衣し、そしてすでに裸になった状態でガス室に
入りました。たいていはすべてが平穏に進んでいきました。というのもSS隊員が、
みなさんは入浴とシラミ駆除をおこなうことになりますと言って、人々を落ち着
かせていたからです。全員をガス室に追い込むとドアが閉められ、ガスマスクを
つけた一人のSS隊員が側面の壁にある穴からチクロン缶の中身を投入しました。
そしてこの穴から犠牲者たちの泣き叫ぶ声や悲嘆の声がガス室のそとに
聞こえてきました。人々が死を前にしてもがいていることがわかるのです。
叫び声が聞こえるのはとても短い間だけでした。それは数分だったとわたしは
思いますが、正確には申し上げることができません。
※アウシュヴィッツ博物館が出版している Auschwitz in den Augen der SS,
2003, p. 153 の注に原文。
また9月5日の記述(
>>164)は
>>166 の本人の証言によって裏づけられるとともに、
戦後のヘス裁判の資料にもとづくこの日の出来事と矛盾しない。
それによると42年9月5日、ビルケナウの女性収容所の第27バラック(第25
バラックの誤記か。区画はBIa)に設置された病院においてSS医師が800人ほど
の病気のユダヤ人収容者を選別している。そして714人のユダヤ人男性、女性、
子どもがオランダの Westerbork 収容所から到着し、うち53人の女性が収容者
番号19117−19169を受けとったが、残りの661人の行方がわかっていない
(チェヒのカレンダリウムを参照)。