99 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 11:18:45 0
>>97 アラカン山脈の西側は、長い間インド文明圏にも属さない地域だったしな。
モンゴロイド系住民が住む、ナガランドやマニプール、チッタゴン丘陵あたりね。
陸路では仏教などのインド文化はなかなか伝わらなかったと思われ。
山道は峻険、低地はジャングル、だものねえ・・・
南詔がトンキン湾まで進出した時は
雲南王朝の絶頂期だったな。
102 :
世界@名無史さん:2007/07/05(木) 00:42:50 0
103 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 14:44:47 0
>>99 アッサム側にもアホム王国のようなタイ系王朝が栄えていたことが信じられん。
ところでカーマルーパの主要住民ってどこ系?
チベット・ビルマ系あたりだろうか。
東南アジアってなんで陸続きなのに言語や民族が雑多なんだろ
山と河で細かく分断されているからでは?
106 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 00:43:12 0
白石隆さんの「海の帝国」を読んでいます。
既に他の誰かが指摘されているかもしれませんが、これを読んで思ったのですが、
東南アジアが「まんだらシステム」となったのは、他の地域でしばし見られた古代帝国が
なかったからなのではないかと思いました。マガタ、ローマ、ペルシア、中華などの古代帝国は、
地域に一体性とそれぞれの世界へのアイデンティティをもたらす効果があったと思うのです。
「海の帝国」に19世紀に、突然西欧近代的アイデンティティへの目覚めと国家・民族意識の誕生の同時的発生に
ついての記載がありますが、この、前近代的アイデンティティのあり方は、
この地域が「古代帝国」という現象を持たなかったから、という気がしました。
東南アジアに巨大な古代帝国が発生しえなかったのは、地形的要素なのでしょうか。
107 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 00:54:26 0
>>106 16世紀頃にはマレー半島やインドネシア地域の人口は今の1000分の1以下
だったらしい。だから帝国など作れるはずもなかったのだろう。
108 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 23:42:36 0
確かに人口が原因かも。でも1000分の1ではないと思う。
「海の帝国」でも、1600年当時、1100万程度。現在5億8千万程度だから、100分の1でも
580万人。つまり、50分の1くらい。古代帝国の時代はもっと少なかった
ろうから、確かに帝国成立の余地はなかったかも。地域の広さと比べると、
1600年当時で1100万は少ないかも。
109 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 12:41:16 0
アンコール朝は古代帝国じゃないの?
東南アジアをほとんど領有していた時代もあったんでしょ。
110 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 12:47:24 0
琉球は東南アジアでしょ。まちがいなく
111 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 19:57:14 0
>>109 これはあくまで個人的な定義なのですが、「まんだらシステム」に対置される
古代帝国とは、
-文化・文明的一体意識を、現在に至るまで地域住民に与え続け、その地域の古典時代となっている。
-いわゆる世界帝国。崩壊後は、世界宗教の範囲をも規定する
-現在に至るアイデンティティへの影響
というものです。この考えからすると、アンコール朝は、東南アジア全体に、そこまで
影響力を持っているようには思えないのです。しかし、それも私の無知であるとしたら、
アンコール朝に興味がわきますけれども。
112 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 20:17:10 0
アンコール朝は文化・文明面ではインドの影響が強いね
>>108 東南アジアでは全体的に人口過少で、農民たちは比較的大事にされていたそうな。
ジャワ島みたいな例外はあるけど。
>>109 アンコール朝が東南アジア全域に支配権を及ぼしていたとしても、
それは「曼荼羅の中心にいられた」比較的短い時期であって、
ローマや中国のような、ある程度固定した領域と
数百年にわたる継続した文化や統治システムを持つ、古代帝国とは大きく異なるよ。
114 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 02:58:49 0
115 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 03:05:29 0
現在、マレー半島には3000万人以上はいると思われるので、19世紀から
の比較でも60倍の人口増ということになる。
116 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 09:33:06 0
>>106 逆に言えば、インドには古代帝国なんてあったろうか?
マウリヤ朝の支配はほとんどアショカ王1代の間に終わったし、
後は全インドを支配できた政体は一つもない。
大体に短命で地域的な支配体制が多かった。
でも、インドはインドとしてのアイデンティティを持ち続けてきた。
117 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 09:47:17 0
パキスタンとバングラデシュに分裂している件について
>>116 「インド」って、結局のところマハーバータラとラーマーヤナを共有しているかどうか、ってのが条件のようにも。
119 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 16:51:35 0
東南アジアがヒンドゥー教だった時代にインドと東南アジアの区別は明確だったの?
>>119 一応「インドに比べて文明的に遅れている」という意識や認識はあったみたい。
でも今みたいな国境はないから、人種・民族的な区別は曖昧だったと思う。
中継貿易をやっていた関係で、他都市との混血や移住が多かったはずだから。
121 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 22:32:26 0
確かにインドは全領域支配王朝はなかったが、前5世紀から後6世紀までの
マガタ国が中核を担い、「古典インド」を作り出した。
アショカ時代は、インド各地の発展度を均一化する功績があり、
グプタ朝は、都市社会生活をもたらした。もちろん南インドがインド世界観を
内面化するのは、より後世かも知れないが、アショカやビンビサーラ王の
南インド遠征は、「インド世界」の認識のもとに行われたものと思う。
中華や地中海ほど明確な単一の世界帝国は生まれなかったが、マガタ国を
中心として、古代帝国の機能が存在していたものと思うのですが、いかがでしょうか。
122 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 23:48:59 0
マガダ国の支配領域なんて相当小さいし、ライバルのコーサラ国なんかに
比べてそれほど優越してたのかな?
インドは良く古代16国なんて言うけど、つまりマガダは16分の1だったわけでしょ。
マガダ国1国に帰着せしめるのは無理がありすぎるような気が個人的にします。
インドがインド足り得てるのはやはり宗教によるのではないかと。つまりはヒンドゥー。
古代帝国の存在云々より、宗教の力の方が大きいのではないか?
123 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 00:28:54 0
マガタ国は、マウリヤ朝以前だけではなく、グプタ朝も正式名称はマガタ国だったはず。
124 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 00:30:05 0
あと、もちろんマウリヤ朝もマガタ国です。
つーか今のインドも「マガタ国」って呼んでいるような。
126 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 05:47:50 0
今のインドの自称は「バーラタ」でしょ。
マハーバーラタ(大いなるバーラタ)のバーラタ。
バーラタ族の末裔と言うのがインドのアイデンティティ。
琉球人と台湾の少数民族はマレー人の骨格をしている
128 :
世界@名無史さん:2007/11/25(日) 14:55:30 0
129 :
世界@名無史さん:2007/11/25(日) 14:58:43 0
東南アジアで、日本のような室内では素足文化の国ってどこがある?
フィリピンは家庭によって土足の家と素足の家があるらしいが・・・。
各国のありきたりな日常生活ってなかなか情報が少ない。
高床式の家では、素足らしい。
130 :
世界@名無史さん:2007/11/25(日) 14:59:30 0
131 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 19:17:46 0
age
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080121-OYT1T00699.htm カンボジアで2000年前の水の祭壇、日本調査団が発見
カンボジアの世界遺産、アンコール遺跡周辺の環濠(かんごう)集落跡「プンスナイ遺跡」で、
約2000年前に水を流す祭事を行っていたとみられる「水の祭壇」が見つかった。
国際日本文化研究センター(京都市)の安田喜憲教授を団長とするカンボジア学術調査団が21日、当地で発表した。
カンボジアにおける最古級の都市文化の存在を示す貴重な史料になるとみられる。
「祭壇」は、調査団が昨年12月に発掘。直径約15メートル、高さ3メートルの小高い丘の上に平らな巨石があり、
その周囲に白い漆喰(しっくい)を塗った水路が巡らされ、丘の四方には流れ落ちた水をためる池が配置されている。
漆喰は水が土に吸収されるのを防ぐために用いられたとみられる。
同様に水を流す祭壇は、グアテマラのマヤ文明遺跡(7〜9世紀)でも見つかっている。
安田教授は、実際に水を流す実験を披露し、「水を扱う儀式で、水の恵みに感謝し、豊作を祈った」と説明。
「古代インドの水の文化が、紀元1世紀にすでにカンボジアに伝わり、
堀を巡らす12世紀のアンコール遺跡に受け継がれた可能性が高い」と語った。
調査団は、昨年1月からプンスナイ遺跡の調査を開始。
直径約3キロ・メートルの堀に囲まれた円形の集落を確認し、墓跡や人骨、土器片、青銅器なども発見した。
出土品は、放射年代測定の結果、紀元1世紀ごろのものと判明。
調査団は、アンコール遺跡以前の東南アジアの都市文明の存在を明らかにする重要な歴史遺産とみて調査を続けている。
(2008年1月21日22時39分 読売新聞)
133 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 03:03:59 0
たいへん亀レスだが、この安田さんって人、こんなプリミティブな水信仰にまで
文化・文明の伝播を見いだすのか。当時のクメール人は白痴だとでも思ってい
るのだろうか
134 :
世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:26:44 0
プリミティブだからこそ、
文化の伝播の証になると考えたんじゃないかな?
135 :
世界@名無史さん:2008/05/03(土) 00:13:13 0
昔の東南アジアの人の髪型とか衣装ってどんな感じだったんだろう?
「王様と私」のユル・ブリンナーのイメージでスキンヘッドとか、
アンコール遺跡の石像のイメージで男女ともに半裸体のイメージしかない。
>>133 信仰じゃなくて、信仰の仕方、形式、建造物の形、だろ?
>>136 > 直径約15メートル、高さ3メートルの小高い丘の上に平らな巨石があり、
> その周囲に白い漆喰(しっくい)を塗った水路が巡らされ、丘の四方には流れ落ちた水をためる池が配置されている。
これがインド式ならそう言うことになるが、この記事ではそうは読み取れない。記事でもグアテマラの例が紹介
されているように、農耕地域で水信仰があるのは別に何の不思議もない。何でこれが「古代インドの水の文化」の伝播
になるんかいな?
正直言って、甚だ疑問なんだが。もちろん、こういう記事ってかなり端折ってるから、ちゃんと証拠があるのかも知れないが。
138 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 17:05:45 0
ソヴィエトロシア・東欧にも、北欧にも、支那朝鮮にも、回教徒にも夢破れた反日左翼が、最近、東南アジアに夢を見出している。
政治や思想は、専門板でどうぞ。
>>140 現在の日本の歴史学が政治業者のオナニーでしかないのは周知の事実。笑止な事だ。
これから様々な捏造が横行するだろうと警告している。
既に中世の陳朝大越と元朝との三度の戦争で、大越の誇張を全肯定する政治工作がなされている。
曰く、60万の元軍を撃退した……これはヴェトナム戦争後に顕著になった。
併せてヴェトナムのお陰で日本は征服を免れた云々の自国卑下、これは高麗の抵抗なる虚妄との連動と同様の形態である。
日本の歴史学は退行している。
>>139の事情で、これからは当該地域の中世以前の歴史すら侵食してゆくだろう。それは加速して行く。注意する事だ。
>>141 > 現在の日本の歴史学が政治業者のオナニーでしかないのは周知の事実。笑止な事だ。
俺はそうは思いたく無いな。
確かに現状が云っている通りだとしても。
大越を全肯定する書き込みを前にしてならともかく、
何の前触れも無く「政治工作」なんて書き込まれてもな。
同じ穴の狢に見える。
>>143 この人はインドスレとかで暴れてた基地の外の人でしょ。
むこうで誰も相手してくれなくなったから移住してきたんだと思うよ。
なんだそりゃ
五島勉だってもう少し頭のいい言い方するぞ
147 :
世界@名無史さん:2008/09/14(日) 10:37:34 0
>このあたりは先進国ですがコンビニの監視カメラが付いていますまで併記なのはやりすぎなのではないでしょうか
>抜け道を見つけられそう
そういう警告はそもそも監視カメラをどうにかできるレベルの奴への抑止効果は狙ってないと思うが